夢のあとさき(17)

 すみません。昨日、ちょっとフライングしちゃいまして。次の話、下書き保存したつもりが公開になってた☆
 拍手が入ってたのに気付いて下げたんですけど、不完全な状態で公開してしまってすみませんでしたー。特に(3)、ワードからコピペしただけの状態で。読み辛かったでしょう?
 ちゃんと体裁整えて公開し直しますので、少々お待ちください。





 青薪さんは最終章ですー。 
 お付き合いくださってありがとうございました。






夢のあとさき(17)








 怒っても宥めても青木の涙は止まらず、結局、次のサービスエリアで薪と運転を交代することになった。
「ったく。おまえのその泣き虫のクセはどうにかならないのか」
「す、すみませ、うっ、ううっ」
 鬱陶しいからと後部座席に追いやられた青木は、ヘッドレストから少しだけ覗いた亜麻色の髪に向かって頭を下げた。

 高速道路の両側に取り付けられた道路灯が、夢幻のように流れていく。時間が遅くなったせいか道路も空いたらしい。おかげで帰路は順調に進み、高速を下りて薪の自宅までは半時間ほど。ナビの到着予定時刻は午後9時を指していた。明日薪は仕事で、だから今日は薪の家には行けない。マンションの玄関まで見送って「さようなら」だ。
 離れ難いのはいつものこと。その我が侭は青木には許されていない。時計と薪を交互に見て、ミラーの中でそっと溜息を吐く青木に、薪は軽く舌打ちした。
「泊まっていくか」
「いいんですか?」
「帰りに思い出し泣きされて事故って死なれたら寝覚めが悪い」
 ひどい言われようだが、大事なのは言葉面ではなく、薪のほうから誘ってくれたという事実だ。ぴたりと涙を止めて笑顔になる青木をルームミラーで確認し、薪は苦笑した。

 心のまま、人前でも素直に涙を流せる青木を薪は羨ましく思う。よほどのことがなければ、自分は他人の目があるところでは泣けない。涙を見せるのは弱さを曝け出すこと、そんな思いが感情を堰き止める。要は怖いのだ。自分の弱さを他者に知られるのが怖い。
 付き合いの深い岡部や青木には、何度か情けない自分を見せてしまった。そのことも後悔している。そのせいで彼らが薪のために危険を顧みずに行動するようになってしまったのではないかと、ひどく申し訳ない気持ちになる。と同時に、彼らの安全のためにも自分は強くあらねばと思う。

 昔、薪は自分のことが大嫌いだった。
 人類の中で誰か一人を殺してよいと言われたら真っ先に自分を選んだ。薪が自分自身を殺さずにいたのは、鈴木の生き甲斐だった第九を守りたかったのと、死んだ方が楽だったからに他ならない。自分は罰を免れた罪人。楽な方を選んではいけないと思った。
 刑法上の罰を受けることはできなかったが、人を殺しておいて何も報いを受けないなんて、そんなことは道理が通らない。近いうちに自分には天罰とやらが下るのだろう。だから自分がこの世に留まらなくてはいけないのは第九を軌道に乗せるまでだと、それはさほど長い時間ではなく鈴木の元へ逝けるだろうと。
 そんな死生観を持って生きていたはずなのに、いつの間にか。薪には大事なものが沢山できていた。大切な人が、守りたい人が、たくさんたくさん。
 鈴木がいなくなった世界には何も残っていないと思っていた。でも、そうじゃないと気付かされた。薪に殺された鈴木ですら、薪が生きるために大事なものを遺して行ったと教えられた。
 ――この男に。

 青木は自分の部下であり恋人であり、鈴木の本心を見せてくれた恩人でもある。青木への薪の気持ちは、かつて鈴木に向けていたような純粋な恋愛感情ではない。恋心だけではない、様々な気持ちが混じっているのだ。
 その上、問題も山積みだ。以前のように、恋人がいる男に片思いしているのなら現実的な問題は自分の心のケアだけだ。仕事に生き甲斐を感じていた薪にとって、それは耐え切れないほどの痛みではなかった。しかしこうして秘密の関係になってしまうと、自分だけの問題では済まなくなってくる。彼の肉親や友人や仕事仲間。否応なく多勢の人々を巻き込んで、その内の何割かは確実に彼を責めるだろう。自分の眼の届かない所で起きる彼への弾劾、それが辛い。
 秘密を秘密のまま永久に。しておけるなんて夢みたいなことは思っていない。真実は滲み出るものだ。隠しても隠しても、ほんの僅かな隙間から染み出してくる。

 とりあえず、一番大きな課題は。
 1年後にこいつとどうやって別れるかだ。

 青木と付き合い始めた頃に上司と約束した。5年のうちに彼と別れることは、さほど難しくないと思った。というより、初めからそんなに上手く行くとは考えていなかった。あの頃、まだ薪は鈴木に想いを残していて。いつも彼と鈴木を比べていた。もっと酷いことに、彼を鈴木を思い出す縁にしていた。自分のことでありながらそれが無意識に為されることに、当時の薪は深く絶望していた。
 青木との始まりは、そんな薄ら寒い恋人関係だった。長く続くとは到底思えなかったのだ。
 でも青木は諦めなかった。終いには「薪が誰を好きでもいい」と、自らの立場を否定するようなことまで言ってくれた。
 それから色々なことがあって。何度も何度も壊れそうになるものを二人で守って、気がついたら。
 どうしようもないくらい好きになっていた。

「別れてくれ」と薪が言えば、青木はきっと頷く。そのことで薪がのっぴきならない立場に陥ると分かれば、必ずイエスと言う。青木はあの子狐に負けないくらい純真だけれど、なりふり構わず相手にしがみつくほど子供ではない。
 それに、本当のことを知ったら自分から離れて行くかもしれない。心からの愛情を捧げた相手が他の誰かと「彼とは5年のうちに必ず別れます」なんて約束をしていたと知ったら。お人好しの彼にも限界はあるだろう。
 問題は自分だ。
 どうやって彼に別れを切り出せばいいのか、見当もつかない。5年前から用意していた言葉はある。どんな状況になっていても対応できるよう、相手がどんな反論をしてきても封じられるようにシミュレーションを重ねてきた。が、それを口に出せるような雰囲気に持っていくこと、これが難しい。

 青木といると楽しい。バカみたいに楽しい。
 薪は知っている、いい夢は長く見れば見るほど目覚めが辛いこと。だからできるだけ短期間で終わらせるつもりだったのに。
 彼の顔を見た瞬間、そんな気持ちはなくなってしまう。些細なことで笑いあって、ちょっとでも気分が盛り上がったら睦みあって。戯れた後はもっと彼のことが好きになってる。そんなことを繰り返していたら、あっという間に時が過ぎて、約束の日まであと1年を残すばかりになってしまった。
 家に着いたら、今日を最後に別れようと切り出そうか?
 無理すぎて笑える。同じ車中にいるだけで、こんなに浮かれた気分になれる相手と別れる術ばかり考えなきゃいけない。頭がおかしくなりそうだ。

「――ね、薪さん」
「え。なに?」
 考え事をしていて彼の話を聞いていなかった。聞き返すと青木は上の空の恋人を責めもせず、身を乗り出して薪に近付いた。
「今日は手をつないで寝ましょうね、って言ったんです」
 あと一月ほどで三十になる男が、なんて可愛いことを言うのだろう。道端に車止めて押し倒してやりたい。

 ――ほら見ろ、この有様だ。

 ちょっとした彼の仕草や言葉に心を揺さぶられ、様々な感情が入り乱れる。愛しくて苦しくて嬉しくて切ない。まるで僕を愛した殺人鬼のように、自分では止めようのない激情の波に流されて行く。
 僕は彼に恋をしている。夢中で恋をしている。
 こんな状態で、頭の中で組み立てたシミュレーションが何の役に立つ?

「明日は薪さんが仕事だから。今夜はそれだけで我慢します」
 薪の身体に負担が掛からないよう、気を使ったつもりらしい。薪の腹の底で天邪鬼の虫がむくむくと目を覚ます。
 風呂上りに、バスローブ姿で誘惑してやろう。「今日はゆっくり眠らせてくれるんだよな?」と言い含めながら、彼の膝の上に座ってやろう。
 青木の困惑顔を想像して、薪は意地悪く笑った。



―了―


(2013.6)


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夢のあとさき(16)

 昨日は朝早くから行列に並ばれたみなさま、ごくろうさまでした。
 8時開店で10時には配布終了しちゃったそうで……さすが。
 整理券をゲットされた方、おめでとうございました。31日のサイン会、どうか楽しんできてください(^^






夢のあとさき(16)








「もう少し詳しく説明してもらえませんか」
 信号や路上駐車の車両など障害物が多い街中の道路を抜けて高速に乗り、落ち着いたところで青木は切り出した。
 狐に化かされた、いや、お礼に夢を見せてもらった、そこまでは分かった。でも青木の夢は楽しいことばかりではなかったし、最終的には薪に叩かれて眼が覚めたのだ。薪は憧れのアイドルと結婚するというケチの付け所のない夢を見たのに、どうして自分はあんな結果になったのだろう。

「三好先生にイタイとこ衝かれちゃったし」
「雪子さんが出てきたのか?」
 薪は青木の方に身を乗り出して、興味深そうに尋ねた。不思議に思って青木が質問を返す。
「薪さんもいらしたでしょう?」
「僕は恭子ちゃんとの結婚がポシャったところで眼が覚めちゃったから。その後の夢は、おまえしか知らない」
 そうだったのか。では薪の言う通り、2度目の旅行に出かけた薪は虚像だったのだ。道理でやさしくてあっちの方も積極的だったと、ああいっつもこんなんでもうほんとヤダ。

「どんな夢だったんだ?」
 問われて青木は、自分が見た夢を思い返す。

 青木が夢見たのは、薪が何の罪も苦しみも背負わない世界。それを望むと同時に青木は、自分が薪にとってかけがえのない人間であることを願った。鈴木の事件がなかったら青木はここまで薪の心の中に入れなかった。それは十分承知の上で、青木は2つの相反する望みを持った。
 どちらも青木の心からの願い。その願いは最初から矛盾を孕み、だから青木の夢は崩壊したのだ。

 夢の内容を薪に聞かせていいものかどうか少し迷ったけれど、青木は話した。すると薪は、
「僕が一緒だったらその夢はないな」
 そう、あっさりと言った。だから思わず訊いてしまったのだ。
「チラッとも思わないんですか。忘れたいって」
 思わないわけはないと思った。薪が自分の罪に向き合おうとしない弱い人間だなどと言う心算はない、むしろ逆だ。もう7年も経つのだし、罪悪感も薄れていくのが自然だ。なのに薪はこの春の事件で、また抱えなくてもいい罪を背負い込んで。
 青木はもうこれ以上、薪に自分を責める要因の一欠けらたりとも持って欲しくない。あの夢のように薪がすべてを忘れてくれるなら重畳、そのせいで薪に捨てられることになっても我慢しなくてはいけないのだと、彼を本当に愛しているのなら耐えられるはずだと、夢の中の青木は悲壮な決意を固めようとしていたのに。

「鈴木さんのことを忘れるって意味じゃなくて、その……あの事件だけを忘れることができたらって」
「思わない」
 薪が返してきたのは、はっきりとした否定の言葉だった。
「僕に殺されたことまで含めて鈴木の人生だ。僕が背負わなくて誰が背負う」

 それを聞いた瞬間、青木は頭をバットで殴られたような衝撃を覚えた。
 自分はなんておこがましかったのだろう。こんなにも強い人に、自分ごときが何をしてやれると?
 鈴木のことを忘れさせてやりたいとか、彼の支えになりたいとか、よくも言えたものだ。薪に幸せになって欲しい、心から笑って欲しい、青木はそのために努力し続けてきた、その実。それは自分が薪に必要とされたいと切望していただけのこと。
 結局は我欲に塗れた行為だったと今更ながらに気付いて、青木はひどく落ち込んだ。でも、次の瞬間。
 自嘲の形にくちびるを歪めて、薪が言ったのだ。

「まあ、おまえに鈴木の脳を見せてもらうまでは僕もけっこう逃げてたからな。あんまり偉そうなことは言えない」
 鈴木の願いを夢を。その心を伝えてくれたのは青木だと、だから自分は強くなれたのだと。薪はそう言ってくれた。
「ありがとう。僕が自分のことをほんの少しでも好きになれたの、青木のおかげだ」
 涙が溢れて止まらなかった。どうしようもなくぼやけるフロントガラスに、前走車の赤いテールランプが滲んで水に映った夢のように見える。

 しゃくりあげる青木に、薪は言った。
「運転中に泣くな、顔を伏せるな、前を向け――っ!!」



*****

 このシーンを書きたくて、敢えて蛇足を書きました。
 薪さんなら鈴木さんの人生をこんな風に背負うんじゃないかな。


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夢のあとさき(15)

 明日はジェネシスのコミックスの発売日ですが、清水先生のサイン会の引換券が配布されるそうですね。
 何人かの秘密仲間は渋谷のツタヤまで行かれるとかで。暑い中ごくろうさまです。みなさん、ゲットできますよう応援しております。がんばってー!





夢のあとさき(15)







 車に辿り着いてみると、思いもかけない人物が待ち受けていた。

「きみは昼間の」
 露天風呂でダブルブッキングした子供だ。両親の姿はない。どうやら迷子らしい。こんな子供が森の中に独りきり、さぞ心細かっただろう。
「はぐれちゃったんだね? 大丈夫、すぐにパパやママに会わせてあげるから」
 青木は驚き、咄嗟に彼を勇気づけようとしたが、薪は予測していたみたいだった。彼の顔を見据えて腕を組み、穏やかな口調で、「滝で僕たちの話を聞いていたのか」と質問した。
「ごめんなさい」
 青木には意味が分からなかったが、子供には通じたらしく、彼は薪に向かって頭を下げた。ツーブロックに揃えた黒髪がさらりと下方に流れる。謝罪の理由に見当も付けられず、青木が薪と子供を交互に見ていると、薪は彼の小さな頭に手を載せてやさしく言った。
「お父さん、早く怪我が治るといいな」
「うん。ありがとう」

 まったく話の見えない青木を置き去りにして、薪と子供の会話は進んでいく。あのお、と控えめに掛けた青木の声を、薪は尊大な溜息で迎えた。
「おまえは本当に頭が悪いな。その程度の頭で人間やってて恥ずかしくならないか」
 ひどい言われようだが、薪のアイスピックで心臓一突きにされるみたいな罵倒には慣れている。動じない青木に、薪は明確な回答をくれた。
「彼は滝の上にいた子狐だ」
「ああ、あの滝の、――キツネ!?」
 薪の口から突拍子もない言葉が出て、青木は声を裏返す。此処は森の中、気が付いたら水溜りに座っていた。薪と自分は二人揃って夢を見ていた。昔話によく似たシチュエーションだけど、まさかそんなことって。

「何を驚いてるんだ。さっき自分で言っただろう。『狐に化かされたみたいだ』って」
 いや、言いましたけどそれでオチが付くとは思ってなかったです。

 口はパクパク動くのに声は出てこない。下手くそな腹話術師の人形みたいになった青木が哀れになったのか、薪はこの結論に到った経緯を説明してくれた。
「観瀑台で僕が『予約時間を変更しろ』って言っただろ。彼はそれを真に受けて、あの時間風呂が空くと思ったんだ。それで慌てて家に帰って、両親を連れて温泉に向かった。簡単な幻術で受付の女性を欺いて、でも騙すつもりじゃなかったんだ。キャンセルは本当になると思っていたから、それで」
 狐の一家が風呂に来た理由は分かった。が、どうして狐が風呂に来たがるのだ。
「パンフレットに書いてあったじゃないか。切り傷と打ち身に効くって。彼の父親は足を怪我していた。そもそも彼のような子供が単独で狩りをしなきゃいけなかったのは、親が動けなかったからだ」
 それでは父親の傷を癒すために? 親孝行は立派だが、わざわざ人間が造った施設に出向かなくてもいいだろうと青木は思った。この森には未だ沢山の自然が残されている。その中には薬草も、傷を癒す泉もあるだろう。
「待合室の掲示板に書いてあった。2年前、森の中に自然に湧き出ていた温泉を利用してあの施設が造られた。あの温泉は元々、この子たちのものだったんだ」
 土地の所有権は人間が人間の社会の中で決めたもの。人間は自分たちの都合で勝手に定めた法に則り、先住民である彼らには何の断りもなく彼らの住処を奪っていく。そう思ったら貸切風呂の予約くらい、進んで差し出したい気分になった。

「もしかして薪さん、始めから?」
「まさか。分かったのはついさっきだ。キツネの妖術なんて信じてなかったし。足に包帯を巻いた父親を見て、この子を連想したのは事実だが」
 薪はすっかり納得しているようだったが、青木はまだ頭の中がぐるぐるしている。だって、狐に化かされたのなんか初めてだ。

「ええっと、まだよく分からないんですけど。あの一連の夢はもしかして」
「そうだ。この子の仕業だ」
「森の中で道に迷ったのも古井戸に落ちたのも、この子の悪戯ですか」
「そうだけど、悪気があったんじゃない」
 薪は本当に動物には甘い。楽しみにしていた露天風呂を奪われた上に散々な夢を見せられたのに、怒るどころか彼に微笑みかけている。青木の扱いとはえらい違いだ。
「これは僕の推測だけど、君はまだ子供で、自分の妖気が強くなる一定の場所でしか術が使えないんじゃないか。だから僕たちをあの場所に導く必要があった」
「術?」
「人に願い通りの夢を見せる。礼のつもりだったんだろ」
 子供はこっくりと頷いた。あの時、礼をすると彼は言った。それはこういう意味だったのか。
「所々、子供には不適切な場面があった気がしますが」
「安心しろ。この子がシナリオを書いたわけじゃない。あれはあくまで僕やおまえの心の中の願望が夢に現れただけだ。この子も夢の詳細までは分からないはずだ。でなかったらもっと早くに術を解いていた。そうだろう?」
 少年は再びこくりと頷き、申し訳なさそうに言った。
「ぼく、余計なことしちゃったんだね」
 彼の殊勝な様子に、そんなことはない、と青木は言い掛けたが、夢を見てうなされたことも夢から醒めて泣いたことも、彼は承知しているのだと思い直して止めた。下手な嘘は彼の罪悪感を募らせるだけだ。

「せっかく用意してくれたのに、ゴメンね」
 夢を楽しめなかったことを謝ると、ううん、と子供は首を振り、つぶらな瞳で青木を見上げた。キツネが化けていると分かったせいか、最初見たときよりも愛らしく感じた。
「お父さんが言ってた。この世には箱の中の世界で――ぼくたちはキョコウって呼んでるけど――自分に都合のいい夢を見ることで自分を保っている人がいっぱいいるって。でも、お兄ちゃん達はそうじゃないんだね」
 箱とは何のことだろう。青木は考えて、パソコンのことかもしれないと思いつく。
 古きよき時代の夢と現代の夢は、少々趣を異にする。昔、夢は明日への活力を担う楽しいものだった。いい夢だった、今日も頑張ろう。そんな風に夢をエネルギーに変換できた。
 しかし時代は変った。夢の形態も変わり、現代人は起きたまま、ネットの世界で夢を見られるようになった。電脳世界に展開される理想の自分に酔い知れるのは気分がいい。偽ることはリアルよりずっと簡単で、しかも露見しにくい。
 心地良さに負けてリアルに帰れなくなる。一日の殆どをそちらの世界で過ごす。そんな人間が増え、大きな社会問題になっている。薪の言う三猿の教えではないが、インターネットは諸刃の剣なのかもしれない。

「お兄ちゃん達には、夢は必要なかったんだね」
 青木だって夢を見るのは大好きだ。薪がやさしくしてくれる夢とか薪が好きだと言ってくれる夢とか薪がベッドに誘ってくれる夢とか、何度見たか知れやしない。でもどうしてだろう、青木には現実の素っ気ない薪の方が魅力的なのだ。青木の期待を悉く裏切る、その外しっぷりが薪らしいとさえ思える。
「現実の憂さ晴らしに夢を見るのはいいが、夢に幸せのすべてを求めてしまっては本末転倒だ」
 薪の言う通りだと青木も思う。一日中偽りの世界から離れられない彼らにも彼らなりの意見があろう、でもこの世に生を受けたなら。この世界で精一杯生きるべきじゃないのか。
「夢は夢に過ぎない。大事なのは現実だ。そこから逃げたら何も始まらない」
 転んでも傷ついても、やることなすこと裏目に出ても。頑張って生きること、生き続けること。時には逃げてもいい、夢に縋ってもいい、だけどそれはあくまで緊急避難であり一時的なもの。
 現実以外に、人間が生きる場所はないのだ。

「他人に迷惑掛けなきゃいいだろって言い分もあるけどな。現実に背を向けて人生を終えるなんて、男のすることじゃない」
「お兄ちゃんみたいな人、なんていうか知ってる。ブシって言うんだよね」
 青木は思わず吹き出した。横で薪がフクザツそうな顔をしている。
「後はええと、ジダイサクゴとかカセキとか言うんでしょう?」
 笑いを募らせる青木を薪の脚が蹴り飛ばす。子供を、それも動物を殴るわけにもいかず、溜まったストレスを青木にぶつけるのはいつものことだ。

「お兄ちゃん、カッコイイね」
「そうだよ。薪さんはとってもカッコイイんだ」
 話の流れからいって素直に喜べない薪の代わりに、青木は相槌を打った。自分の腿くらいまでしかない子供に合わせて屈み、彼の小さな肩に手を置く。
「きみも、カッコイイ大人になりなさい」
「うん。おじさんもね」
「だからどうしてオレがおじさんで薪さんがお兄ちゃんなのかそこんとこ説明してくれないかなってきみはなんでこの質問するといなくなっちゃうの?」
「現実から逃げちゃダメってことだろ」
 どうせ後ひと月ほどで30の大台ですけど、41歳の薪さんに言われたくないです。

 一陣の風と共に消え失せた子供が立っていた場所には、茶色い狐の毛が数本。青木がそれを拾っていると、薪に「早くしろ」とどやされた。これから東京へ、しかもあの渋滞の中を帰るのだ。速やかに出発しないと夜が明けてしまう。
 水溜りで濡れたズボンと下着は脱いで、立ち寄り風呂のために用意しておいたものに着替えた。浴衣を貸してくれることを知っていた青木は下着しか用意してこなかったが、予備知識のなかった薪は下着の他にバスタオルとスウェットパンツを持ってきていた。青木は薪からバスタオルを借り、腰から下に巻いて運転することにした。検問に引っかかったら末代までの恥、というか変質者扱いされてそのまま連行されそうだが仕方ない。

 エンジンをかけると、ナビゲーションが誇らしげに帰り道を示した。順路に従って車を走らせると、2分もしないうちに太い砂利道に出た。そこからは来る時と同様一本道で、迷いようもなく公道に戻ることができた。
 公道に出る直前、多くの車が走る音と錯綜するライトに交じって、遠くから、ケーンという鳴き声が聞こえたような気がした。




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夢のあとさき(14)

夢のあとさき(14)








「ここ、何処ですか?」
「日光の森の中。古井戸らしい。正確な位置は不明だ」
 おまえ、ずっと気を失ってたんだぞ、と薪に言われて思い出した。森の中で道に迷って、公道を探すために車から降りた。何処からか人の声がして、こちらだと思われる方向に歩いて行ったら地面に穴が開いていて、そこに落ちたのだ。
「するとおまえは上から落ちたんだな。首の骨を折らなかったのはラッキーだったな」
 上を見るとかなりの距離があった。あれだけの高さから落ちて怪我がないのは、薪の言う通り幸運だった。長い年月で井戸の底に泥が堆積し、柔らかかったのが幸いしたのだろう。
「僕はそこの横穴から滑ってきたんだ。おまえにぶつかって脳震盪起こしたけど、衝撃が軽かったおかげで直ぐに目が覚めた」
 薪が指し示した場所は暗くて、青木の眼には周りと区別がつかなかった。月明かりもここまでは届かない。察して、薪は携帯電話の電源を入れ、パネルの明かりで青木にそれを見せてくれた。そこには動物が掘ったのか、歪な形の穴がぽっかりと開いていた。

「落ちた時に水に浸かってしまったらしい。発信機が使えなくなった」
「携帯電話は」
 無言で提示されたスマートフォンの画面には、圏外の文字がでかでかと書かれていた。ナビのGPSも届かない森の中、しかも地中とくれば、携帯電話など通じるはずがなかった。
「落ちた横道から這い上がれば」
「無理だ。草が滑って」
 横穴は青木が通れるほど大きくはなかったが、せめて薪だけでもと思った。薪も自分が助けを呼びに行くことを考えたのだろう、何度か挑戦してみたが駄目だったらしい。
「レンタカーの返却期限が過ぎても返ってこなけりゃ、レンタルショップで探してくれるかな」
「届を出せば所轄が探すかもしれませんが。ここを探し当てるのは何ヶ月先でしょうね」
「そんなに待てるか。明日は仕事だ」
 何ヶ月もここに放置されたら餓死してしまうが、命の心配よりも仕事の心配が先に立つ。実に薪らしい。

「なんとかしてここから出ないと。忌々しい古井戸だ、――おわっ」
「薪さん、大丈夫で――ええっ?!」
 腹立ち紛れに井戸の壁を蹴ろうとして薪はぬかるみに足を取られたらしく、バランスを崩してその場に転倒した。泥まみれになった彼に手を差し伸べようとして、青木は驚きの声を上げる。
 井戸の壁がぐにゃぐにゃと歪んで消えていく。深い穴の底にいたはずの二人は、いつの間にか森の中の草叢の上に座っていた。

「な……なんだ、これ」
「水たまり、ですね」
 尻の冷たい感触だけは本物で、その正体は窪地に溜まった昨夜の雨だ。日の射さない森の中だから乾くのに時間が掛かるのだろう。
「まるで狐に化かされたみたいだ」
 我が眼が捉えた一連の出来事が信じ難くて、青木は呟く。森林の足湯が古井戸の汚水になり、窪地の水溜りになった。
 これまでにも不思議な体験は何度かしてきた、そのいずれもが薪と一緒だったことを思い出し、青木は彼の美しさが呼び寄せるのは人間だけではないのかもしれないとファンタジックな考えを持った。青木はそのくらいで済んでしまうが、理屈屋の薪は超常現象が苦手だ。科学で説明のつかないことに出会うとパニックに陥る傾向がある。青木は彼の乱心を心配したが、薪は意外にも落ち着いていて、軽く肩を竦めると意味不明の言葉を呟いた。
「だからガキは苦手なんだ」
「え?」
「なんでもない。車に戻るぞ」
 薪は「よっこいしょ」とオヤジくさい掛け声を掛けて立ち上がり、左手の茂みを目指して進んだ。すぐそこに、銀色の屋根が見えている。自分たちが乗ってきた車だ。

 青木は薪を追いかけた。長い手を伸ばして細い肩を掴み、彼の優雅な歩みを止める。薪は不機嫌そうに首だけでこちらを振り返り、形の良い眉を盛大にしかめた。
「こんな場所に長居は無用だ。話なら後に」
「薪さん。来週末、休みが取れたらまた此処に来ませんか」
 青木は薪の言葉を遮った。舌打ちを聞かない振り、吊り上がった眉を見ない振りで彼を誘う。薪は少しだけ眉を下げると、再び前を向いた。
「悪いけど。来週はだめだ」
 薪の返事を聞いたら胸が潰れそうになって、青木は咄嗟に薪を抱きしめた。何かで押さえないと、本当に砕けてしまいそうだった。

「な、なんだ急に。離れろ。おい青木」
「オレが」
 中腰になって背中を丸め、華奢な肩に顔を埋めた。青木が泣いていることが分かると、薪はもがくのを止めた。大人しくなった薪をいっそう強く抱きしめて、青木は言った。
「オレがあなたを抱きしめてさしあげます。風邪を引いたときもお腹が痛いときも、こうして抱きしめてさしあげます」
「いやいい。特に病気の時は鬱陶しい」
「傍にいさせてください」
 薪の冷静な切り返しも醒めた口調も気にならない。胴に回した青木の手の甲を、薪の温かい手がやさしく包んでいるから。
「オレがあなたを苦しめるとしても。オレはあなたの傍にいたい」

 人間は、なんて矛盾した生き物なのだろう。彼のためなら何でもできると、それは決して嘘偽りではない青木の本心なのに。その行動は時として薪を追い詰め、その立場を危うくさせる。そんなつもりではない、困らせたいのじゃない、泣かせるつもりなんかなかった。何度も経験した失敗の記憶と、それがまた繰り返されるのではないかという不安。彼と瓜二つの容貌を持つ自分は薪を苦しめているのかもしれないと、薄々感づきながらも彼から遠ざかることができない。

「すみません……すみません」
 身勝手な望みを口にしたら、自分が最低の人間になったような気がした。泣きながら謝る青木に、薪は溜息混じりに、
「なんだ。怖い夢でも見たのか」
 言って右手を自分の肩に伸ばし、そこに突っ伏した男の頭を撫でた。休日仕様のソフトワックスで整えた短い髪を丁寧に梳きながら、薪は愛おしく吐き捨てた。
「ガキ」





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夢のあとさき(13)

夢のあとさき(13)







 青木は結論を出し、顔を上げた。真っ直ぐに雪子の眼を見る、その瞳に迷いはなかった。
 雪子なら分かってくれる、青木はそう信じた。が、雪子は醜悪な虫でも見たように、眼を逸らして顔をしかめた。

「あんたさ。ご大層なこと言ってるけど、それ自分の都合でしょ」
 憎々しげに吐き捨てる。蔑みの籠った瞳に、青木の腹の底が急速に冷えた。雪子に厳しいことを言われたことはある、でもそれは青木のため、再び薪に向かっていく勇気を与えるため。こんな風に、切り捨てる口調で言われたことは一度もなかった。
 呆然とする青木の前で、雪子はすっくと立ち上がった。今まで座っていた床面に上がり、座ったままの青木を冷酷な瞳で見下した。
「あなたは薪くんに、克洋くんを殺したことを忘れて欲しくないの。だって、そうなってしまったら」
 赤い唇が薄笑いする。思わず青木は息を詰めた。
「薪くんはあなたを必要としなくなるものね」

 床が抜けたような気がした。

 気付くと、青木は足湯の中に尻をついていた。温かい温泉水が何故だかとても冷たかった。石張りだったはずの浴槽はぬるぬるして、驚いて手元を見ると、青木が浸かっているのは泥水に満たされた大きな水溜りだった。
「なんで」
 思わず口を衝いて出た、だが青木は思い出した。この冷たい泥水、ここはあそこだ、あの不思議な声が聞こえてきたところだ。
 薪も言っていた、同じ夢を見たと。
 同じ夢? あり得ない、双子でもない自分たちに、ゼロではないがその確率はとてつもなく低い。では、あちらが現実でこちらが夢? あの声の主は、本当に願いを叶えてくれた?

 ああ、では、もしかしたら。
 これは薪が望んだ世界なのか。

 辛い記憶を消し去りたいと、薪は願っていたはずだ。アイドルとの結婚なんかより、ずっとずっと切実な魂の叫び。
 あの時、この右手が引き金を引かなければ。
 その後悔を持たずに済む世界。鈴木のことを、純粋な悲しみと愛情を持って思い出せる世界。それが薪にとっての幸せな世界。

「あー、イライラする! あんたって本当にバカね」
 雪子のヒステリックな声が、青木の思考を破った。見上げると、雪子が腕を組んで仁王立ちになっていた。赤い唇を大きく開けて、彼女は鋭く青木を糾弾した。
「まだ気付かないの? これは薪くんが見てる夢じゃない、あなたが見てる夢なのよ」
「オレの?」
 そんなわけはない、と青木は思った。自分はこんな世界を望んではいない。第一自分が望んだ世界なら、薪が女性と結婚する夢を見たりするはずがない。
「そうよ。証拠もあるわ」
「証拠?」
「薪くんの夢だったら、フカキョンほっぽってあんたの方に来るわけないでしょ」
 うわあああんっ!!

「わ、分からないじゃないですか! 彼女よりオレを選んでくれる可能性だって」
「じゃあ一晩にエッチ5回とか、信じられるわけ?」
「だからそれは薪さんの夢だから」
「なんでそこで夢決定なんだ!?」
 いきなり薪が出てきた。「ちょっと引っ込んでて」と雪子に言われて頬を膨らませている。何だかメチャメチャになってきた。

「青木くん」
 乱れた場を雪子が仕切り直し、青木の名を呼んだ。その声は、いつもの雪子の声だった。青木を正しい方向に導こうとする女神の声だ。
「あなたは薪くんの幸せを願いながら、その実、彼が罪から解放されることは望んでない。あなたは自分が彼の人生に関わっていたいがために、彼の救済を妨げている」
「そんな」
 その望みが表れたが故のこの世界なのか。解放を切望する心と否定する心、両方が組み合わさった故の矛盾と混沌。

「違います。オレは本気で薪さんに鈴木さんのことを乗り越えて欲しいと」
「結果、薪くんがあなたから離れて行ったとしても?」
 薪が本当に立ち直った時が終わりの日だと。そう自分に言い聞かせて、でも抑えきれなかった青木の心が見せた夢。それがこの世界。きりきりと胸は痛むけど、事実なら認めるしかない。
「仕方ありません」
「だったら早めに身を引くことね」
 え、と青木は首を傾げた。現実の薪はまだ立ち直っていない、青木の力を必要としてくれているはず。だってそう言ってくれた、ずっと僕を好きでいろと、一生好きでいていいと、だからだからだから。
 心に決めても不安は残る。本当に自分といることが彼にとって一番の幸せなのか。

「分からないの?」
 雪子は青木が尻をついている泥溜まりにさぶんと飛び込んだ。跳ね上がった泥が浴衣の裾を汚す。
「この顔」
 豊かに張った腰に手を当てて、雪子は青木の頬に指を添えた。冷たい手だった。
「この顔を見るたびに、薪くんは克洋くんのことを思い出すわ。越えられる壁も越えられなくなってしまう」
 雪子は腰を折り、青木に顔を近付けた。至近距離で見る彼女の顔は美しく、黒い瞳が真正面で燃えるように輝いていた。
「薪くんの壁を高くしているのは、あなたよ」
 自分の存在が薪の躍進を妨げる。そのことは承知していた、心苦しくも思っていた、しかし。自分が薪の心に悪影響を与えていると弾劾されたのは初めてで、それも薪が一番触れて欲しくない領域に関することで、その指摘の鋭さに青木は息が止まりそうになる。

 自分の顔。鈴木にそっくりのこの顔。
 何度も何度も薪に間違えられた、数えきれないくらい重ねられた。そのことを青木は悲しく思った、でも薪はもっと傷ついたのだ。薪に辛い思いをさせないためには、鈴木か自分、どちらかしか薪の中には住めない、ということだ。
 現実に帰れば薪の元から去らねばならない、だったらこのままこの世界に留まりたい。この世界なら薪は鈴木の笑顔を思い出せる。自分が殺した鈴木の死体ではなく、彼との楽しかった日々を思い起こせる。さすれば彼に瓜二つのこの顔も薪の罪悪感を煽り立てるものではなく、大切な友人の記憶の風化を防ぐ手立てとなろう。薪と鈴木、両方の役に立てるのだ。

「――でもそれは」
 真実ではない。

「青木!」
 夢に過ぎないと言おうとした時、鋭い声で名を呼ばれた。その声を聞いた瞬間、青木は直立した。毎日のように研究室に轟く室長の怒号だ。条件反射とは恐ろしいもので、この声を聞くと例えどんな心理状態でも青木は背中がしゃっきりと伸びる。
「騙されるな。そいつは偽者だ。雪子さんがそんなこと言うわけないだろ」
「あれ。薪さん、いつの間に服を」
 薪は白いボタンダウンのシャツにライトグレーのスラックスを穿いていた。朝と服装が違う。今朝は青木が好きな少年ルックだったはずだ。

「さっきのは僕の偽者だ。ふんじばってトイレの個室に閉じ込めてきた」
「偽者?」
「いや、偽者じゃなくて虚像というべきか。ああ、今はそんなことはどうでもいい」
 薪はざばざばと泥水に入ってきて、雪子に対面した。
「雪子さんに化けるなんて身の程知らずな。彼女の怖さを知らないのか。彼女が本気で怒ったら、この建物全体が吹き飛ぶぞ」
 褒めているのか貶しているのか微妙だが、薪が尊大に言い放つと雪子は舌打ちして身を翻し、前庭から続く森の中に姿を消した。偽者を追い払った薪はさっと振り向き、青木の浴衣の襟を掴んだ。

「青木、目を覚ませ。このままだと僕たち二人ともオダブツだぞ」
「え? なんのことで、痛っ!」
 いきなり頬を張られた。それも往復、しかも速いし! パンパンて音が重なってパパパンて聞こえますけど!?
「いたっ、痛いです、薪さん、そんなに叩かないで」
「いいから起きろ!」
「起きてますよ、とっくに!」
 あまりの痛みに喚いたら、周りが突然暗くなった。

「――あれ?」
 見回すとそこは暗くじめじめした洞窟のような場所で、腰を落とした地面には真っ黒な水が溜まっていた。向かいに薪がいて、青木にビンタをくれようとしていた。刹那、目を覚ました青木と眼が合った、合ったのに。
「痛ったーい!!」
 思い切り頬を張られて青木は泣いた。




テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

夢のあとさき(12)

夢のあとさき(12)






「薪くんじゃない?」

 2本目の酒瓶が空こうとした時、名前を呼ばれて薪は振り返った。
「雪子さん」と驚いた顔で薪が応じるのに、青木もそちらを見やる。自分たちと同じ浴衣を着て、髪を濡らした雪子が立っていた。
 青木は彼女に会釈しながら、見なかった振りで通り過ぎてくれればいいのに、と思った。青木たちと同じように忙しい日々を送っている人間は科警研にも沢山いて、たまの休みに羽を伸ばしに来た彼らとばったり顔を合わせてしまうのも不思議ではない。が、こんな話の最中に選りにも選って雪子とは。不幸な偶然としか思えなかった。

「青木くんとデート?」
「ええ、まあ。雪子さんは竹内さんと?」
「そ。たまにはね」
「婚前旅行ですか? いいですねえ」
 なんだ、このありえない会話は。
「デート?」と聞かれて薪が頷いたのにも驚いたが、薪が竹内の名前を出したのにはもっと驚いた。竹内と雪子は今年の1月に婚約したばかりだが、そのことを薪は快く思っていない。否、思うなどと言う消極的なものではない。薪は二人を別れさせるべく果敢に行動しているのだ。具体的には、雪子にあることないこと竹内の悪口を吹き込んだり、竹内の女関係を躍起になって調べたりしている。そんな薪が二人の婚前旅行を容認など信じられない。

「竹内さんはどちらへ?」
「実は替えの下着を車に忘れちゃって。取りに行ってくれてる」
「え。じゃあ雪子さん、この下って」
「ストップ。それ以上想像したら投げるわよ」
 笑いながら雪子は言って、薪の隣に座った。薪と二人きりのところを邪魔するなんて、ガサツに見えて気遣い上手な雪子らしくないと思ったが、そのうち竹内も来るだろうし、それまでの間だと思い直した。
 ところが、竹内はなかなか戻ってこなかった。雪子に勧めた冷酒の瓶が空になり、追加注文をして半時間が過ぎても姿を見せない。この日帰り入浴施設は自然の中の露天風呂をコンセプトにしているため、エンジン音が聞こえないように駐車場までは多少の距離を取ってあるが、それにしたって時間が掛かり過ぎだ。雪子は心配にならないのだろうか。
「先生。竹内さん、遅くないですか」
 堪りかねて青木が尋ねると、雪子はパタパタと手を振って、「大丈夫大丈夫」と繰り返した。すでに酔っぱらいの口調になっている。

 薪もそうだが、雪子も鈴木の月命日のことは頭にないようだった。そこで青木は朝から感じていた違和感の正体に気付いた。
 鈴木の存在が希薄なのだ。
 7年も前に亡くなった人の存在を濃厚に感じることの方が異常なのかもしれない。でも、青木はずっとその思いを味わってきた。薪に雪子に、現実には会ったこともない彼の姿を見てきた。
 青木の恋人になってくれる前、薪の心は鈴木のものだった。付き合いだしてからも長いこと、それは変らなかった。最初の頃は完全に鈴木の面影を重ねられていて、酷いことにベッドの中で間違われたこともある。それでも少しずつ少しずつ、薪は青木自身を見てくれるようになった。
 薪と二人、辿ってきた道筋は決して楽なものではなかった。喧嘩もすれ違いも嫌になるほどあった。だけどそのたびに、青木はますます薪のことが欲しくなった。薪もまた、青木を必要としてくれた。
 鈴木の存在を否定されると、自分たちが重ねてきた大事なものまで否定されたような気分になる。青木の苛立ちはそれが原因だったのだ。

「三好先生。竹内さんとのこと、鈴木さんのお墓には報告に行ったんですか」
「行ったけど。なに、急に」
 雪子は面食らっているようだった。婚約者を亡くして7年、新しい伴侶を得た報告を彼の墓前に供えたのかと、どうしてそれを赤の他人の青木に質されなければいけないのか。理由が分からなかったに違いない。
「雪子さん、気にしないでください。青木は朝からヘンなんです。ここに来る前も、鈴木の墓参りに行かなくていいのかって僕に訊いたんですよ」
「え。ああ、明日が月命日だから? なんで薪くんが。いくら親友だったからって、月命日まで参る義理はないわよね」
「それがなんか、何処かからおかしな話を聞いてきたみたいで。言うに事欠いて僕が鈴木を殺したって言うんですよ。ひどいデマですよね」
「えー、なにそれ。ていうか、なんで青木くん、そんな話を信じるのよ?」
「なんでって……どうしちゃったんですか、お二人とも! 鈴木さんのことを忘れちゃうなんて」
 思わず大きな声が出た。びっくり眼で自分を見返す、二人が見知らぬ他人に思えた。
 これはどういうことなのだろう。薪だけではなく雪子の中でも、あの事件は鈴木の自殺になっているのか。
 まさか、自分の記憶が間違っている? 自分は何か、とんでもない思い違いをしていたのだろうか。

「忘れてなんかいない。鈴木のことを忘れるはずがないだろ。鈴木よりいい友だちなんて、僕にはいなかったんだから」
「そうそう、仲良くてねー。克洋くんが薪くんばっかりチヤホヤするもんだから、あたし時々、ヤキモチ妬いてたのよ」
「嫌だなあ、雪子さんたら。ヘンなこと言わないでください。こいつ、僕と鈴木の仲を疑ってるみたいなんですよ」
 あら楽しそう、と雪子は彼女らしいノリの良さで薪の懇願を受け止め、でもちゃんと親友の立場を守ってくれた。
「大丈夫よ、青木くん。二人は健全な親友でした。あたしが保証するわ」
 薪が鈴木を好きだったこと、それを教えてくれたのは雪子だった。自分の記憶と異なる会話が次々と展開し、青木は目眩を感じた。車酔いした時のように気分が悪くなってくる。気持ちが悪い、薪も雪子も。これは本物じゃない。
 黙ってしまった青木に、何となく白けた空気が流れた。手洗いに行ってくる、と薪は席を立ち、気まずさが漂う空間には青木と雪子が残された。

「オレが間違ってるんですか?」
 青木が躓くたびに、雪子は青木を助けてくれた。傷ついた青木を慰め、勇気付けて、再び薪の元へ送り出してくれた。薪に関することで何か困ったことがあれば青木は雪子にすぐに相談する。目の前の彼女に違和感を感じてはいても、その習性は変えられなかった。
 果たして、雪子は青木の問いに答えた。
「間違ってないわよ。薪くんが忘れちゃってるだけ」
 あっさりと肯定されて、青木はまた分からなくなる。雪子はやさしい女性だが、真実を追求する研究者でもある。その彼女がこんな姑息な嘘に追従するだろうか。

「ご存知だったんですか。なぜそれを薪さんに教えてあげないんです」
「いいじゃないの。あんな辛いこと、忘れちゃったほうがいいのよ」
「そんな。それじゃ鈴木さんがあまりにも可哀想で」
「可哀想? 克洋くんと直に会ったこともないあなたが?」
 偽善者ぶらないで、と暗に糾されて青木は黙った。鈴木の婚約者だった雪子に、青木の立場で言えたことではなかった。彼女の方が青木より遥かに傷ついている。当たり前のことだ。
 それでも雪子は澄んだ眼をして、強く言い切った。
「これまで薪くんがどんなに苦しんできたか、傍にいたあなたが一番よく解ってるでしょ。それに、薪くんの記憶が戻ったところで克洋くんは帰ってこないのよ」
「それは違います」
 雪子のやさしさは痛いくらい分かって、でもやっぱり青木にはそれを認めることはできなかった。青木は警察官だ。真実を捻じ曲げて前に進めば、その先にはもっと大きな悲劇が待っている。そう教えてくれたのは他でもない薪だ。見過ごすことはできない。
「雪子先生のおっしゃるそれは、被害者は生きて戻らないのだから殺人犯を捕まえる必要はないと言うのと同じで」
「薪くんを犯罪者と一緒にしないで!」
「す、すみません、そんなつもりじゃ……」
 一喝されて青木は怯んだ。相変わらず雪子は怒らせると怖い。
 青木が俯くと、雪子は軽く肩を竦め、足の先で低く張られた湯をぱちゃぱちゃと叩いた。

「忘れて欲しかったんじゃないの。克洋くんのこと」
 問われて、青木は自分の心を湯面に映し出す。最初に薪の顔が浮かび、次に鈴木の顔が浮んだ。再び水面に現れた薪の顔は、涙で濡れていた。
 出会ったばかりの頃、薪はずっと下を向いていたような気がする。いつもしゃんと背中を伸ばして胸を張っているのに、何故かそう感じた。青木はそれを、彼が鈴木に囚われているせいだと思い、彼の中から鈴木を追い出してやろうと決意した。自分が鈴木に成り代わって、薪の心を愛で満たしてやろうと思った。
 ――だけど。

「たしかに、オレは薪さんに鈴木さんのことを忘れて欲しいと思ってました。オレが忘れさせてみせるって。でも、こういうのは違う気がします」
「何が違うの。あなたが望んだことよ」
「違います。上手く言えないけどこれは違う。忘れちゃダメなんです」
 薪と過ごしてきた年月、重ねてきた数多の出来事。それらが青木に教えてくれた。
 辛いことも悲しいことも、廻り回って糧になる。人生には無駄なことなどない、忘れていいことなど何もないのだ。
「未来に進むためには過去を忘れちゃ駄目なんです。傷も痛みも、抱えたまま進まなきゃ。真の意味で乗り越えたことにならない」




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夢のあとさき(11)

夢のあとさき(11)






 貸切風呂を出て、共有の休憩スペースでまずは冷たいビール、次に頼んでおいた地酒を飲んだ。車は駐車場に停めてあるが、今宵の宿はこの施設の系列ホテルだ。フロントに頼めば係員がホテルの駐車場まで車を移動してくれるし、宿泊客はホテルと此処を往復するシャトルバスに乗せてもらえる。運転手の青木には嬉しいサービスだ。
 古民家風のラウンジは広々として、木のぬくもりに満たされていた。桟の無い大きな窓の向こうに広がる風景は、風呂から見えたのと同じ新緑の森。風に揺れる枝葉に木漏れ日がキラキラと輝いて、実に美しい。
 屋外に張り出した小縁に足湯のスペースが取ってあって、そこに座ると直に森の空気を味わうことができた。酒瓶を一本空けるころには身体の火照りも治まったので、そちらに席を移すことにした。
 二人お揃いの浴衣姿で差しつ差されつ、幸せを絵に描いたような休日だった。傍らに薪がいればそれだけで青木は天国だが、旅先の薪は特にかわいい。職場から離れるせいか、ガードも甘くなるし、先刻のような大胆な真似もしてくれる。

 休憩スペースには何人かの客がいたが、次の予定が詰まっているのだろう。青木たちのように長居をする客はいなかった。薪にも気になる観光地があるかもしれないと考え、二本目の酒の封を切る前に、青木は彼に聞いてみた。
「チェックインの時間にはまだ早いですね。薪さん、どこか行きたい所ありますか? と言ってもオレ、飲んじゃったんで車は無理ですけど」
 湯上りの酒が利いているのか、薪はとろんとした瞳を青木に向けた。それから青木の肩に自分の身体を持たせるようにして、
「いい。おまえとこうしていたい」と眼を閉じた。
 青木も同じ気持ちだった。独りで街を彷徨う人間が孤独を感じるように、知人のいない人混みは風景と一緒だ。ここに自分たちを知っている者はいない。こうして彼を抱き締めても誰にも咎められないし、恥ずかしいとも思わない。

「薪さん。楽しいですか?」
「うん。すごく楽しい」
 素直な答えが返ってきて、青木はますます彼が愛しくなる。本当に旅先の薪はかわいい。
「夜も楽しみだ」
「渓流沿いの露天風呂ですからね。気持ちいいですよ、きっと」
 違う違う、と薪は眼を伏せたまま笑って、もっといいこと、と悪戯っぽく青木を見上げた。
「また飲む気ですか? お酒はほどほどに」
「違うって。こっちの方」
 細い指がそっと青木の股間を撫でていく。ベッドの誘いだと分かってびっくりした。あの薄い薪がこんな、さっき風呂の中でしたばかりなのに。
「まさか、さっきので打ち止めとか言わないよな?」
「そういうわけじゃありませんけど。あの……失礼ですが、薪さんは1日に複数回のエッチはできないってご自分で」
「失礼な。僕はまだ40になったばかりだぞ。一晩に5回はいける」
「男は30を過ぎたら簡単に僧侶になれるんじゃなかったんですか?」
「なんだそれ。どこの世界のED患者だよ」
 あははと笑い出した、薪は真に楽しそうで。朝から続いていた違和感を、またも青木は遠くへ押しやる。薪がこんなに無邪気に笑ってくれるのに、余計なことは考えたくない。

 薪は青木の手を取って自分の後方に導き、その大きな手のひらの上にふざけて自分の尻を乗せた。みっしりと詰まった肉の感触。薪の腰は細いけれど、その触感はすこぶる官能的だ。
「こっちはおまえが僕に教えたんだぞ。ちゃんと責任取れよ」
「それはもう。一生面倒見させていただきますから、浮気なんかしないでくださいね」
「するわけないだろ。おまえが僕には最初で最後の男だ」
 ムードに流されたのか、薪はウソを吐いた。女性のことは知らないが、薪の最初の男は鈴木だ。鈴木以外に、彼が自分を全部差し出した相手はいなかった。
 青木にとって薪の過去の情事は嫉妬せずにはいられない事実だが、薪には大事な思い出だろう。青木だって、昔の恋人のことを何一つ覚えていないわけではないし、忘れたいとも思わない。

「気を使ってくださるのは嬉しいですけど。薪さんの最初の人になれなくても、最後の人になれたらオレは最高に幸せです」
「ちょっと待った。聞き捨てならないな。いつ僕がおまえ以外の男と寝たって言うんだ」
「すみません。20年以上前のことなんて時効ですよね」
 青木はぺこりと頭を下げた。薪が本気で怒っているように見えたからだ。これは青木が悪かった。恋人同士の睦言の最中に、過去の男のことなど口にすべきではなかった。しかし薪の怒りは、青木の無神経さに対してのものではなく、認識の相違によるものだった。

「20年前? 何言ってんだ、僕はおまえと会うまで男性とは経験なかったぞ」
「え。だって、薪さんは鈴木さんと」
「鈴木? おまえ、僕と鈴木のことをそんな風に見てたのか?」
 心外だ、と薪は眉根を寄せ、不愉快そうに青木の手の上から尻を退けた。
「鈴木とは親友だったけど、そんな気持ちになったことは一度もない。鈴木には雪子さんがいたじゃないか」
 頑固に薪が言い張るので、青木も少々意地になる。薪にとって鈴木の思い出は謂わば聖域で、それを簡単に否定する薪が理不尽に思えた。
「どうして知らないふりをするんですか。オレは鈴木さんの脳を見てるんですよ。薪さんも一緒だったじゃないですか」
 普通なら、過去の恋人のことを共有する必要はない。でも鈴木の場合は特別だ。薪がどんなに彼を愛していたことか。その彼を殺めてしまった薪の苦悩を、痛みを、理解して慰撫するためにはその事実を避けては通れない。嫉妬で心が焼き切れようと、枯れるほどに泣いた瞳が腫れ上がった瞼に塞がれようと、青木は薪と鈴木が愛し合う姿を見続けた。薪に、鈴木の本当の願いを知って欲しかったから。
 ところが。

「鈴木の脳を見た? 何の話だ」
 薪が心底不思議そうに尋ねるので、青木は自分の頭がおかしくなったのかと思った。何があっても、薪は鈴木のことを忘れない。それは薪が友人を忘れるような薄情な人間ではないという人間性以前の問題で、言ってしまえば、薪が彼を殺したからだ。なのに薪は罪悪感の欠片もない口調で、
「鈴木は貝沼の画を見て発狂して自殺した。それだけだ」
「自殺……」
 青木は戸惑った。なんだか話がおかしい。
 それでも、薪が鈴木を射殺した事実をそのまま口にすることはできない。青木は言葉を選び、さらに慎重に濁らせた。

「ええ、あれは自殺に近かったと思います。あの時も言ったように、オレは薪さんとの心中説を推しますが」
「心中? なんで僕なんだ。心中するなら相手は僕じゃなくて雪子さんだろ」
 自分は関係ないと言わんばかりの口ぶりに、青木は薪に真実を告げる決意をした。苛立ったのではない、薪の中で何かが起きていると確信したのだ。
 薪から、鈴木の事件の記憶が抜け落ちている。自分に罪のないように改竄までされている。これは異常事態だ。

「鈴木さんは薪さんに、自分を撃ってくれって言ったんですよね? それで薪さんは鈴木さんを……もちろん正当防衛で薪さんに罪はありませんけど、薪さんはそのことをずっと悔やんで、辛い日々を過ごして来られた」
 青木の言葉に薪は眼を瞠り、ぽかんと口を開けた。ゆるゆると首を振り、不安そうに青木を見上げた。
「どうしちゃったんだ、青木」
「どうかしてるのは薪さんの方ですよ。自分が鈴木さんにしたことを忘れちゃうなんて」
 青木は薪の両腕を掴み、彼と眼を合わせた。亜麻色の瞳はいつもと変わらず澄み切っており、そこに狂気はなかった。しかし薪は言った。
「さっきから何を言ってるのか、さっぱり分からない。鈴木は貝沼の脳データを破壊し、自分の頭を拳銃で撃ち抜いて自殺した。それがあの事件のすべてだ。貝沼の捜査の指揮を執ったのは僕だから責任を感じてはいるけれど、防ぎようのないことだった」
 事件に関する自分の認識をひとつ残らず否定されて、青木はどうしたらいいのか分からなくなる。東京に戻れば事件調書も新聞記事も保管してあるが、ここでは証明は不可能だ。

「誰から何を聞いてきたのか知らないけど、この話はもう終わりにしよう。せっかくの旅行なんだ。もっと楽しい話をしよう」
 青木を見上げてにっこりと微笑む。この上なく美しい薪の顔が、虚ろに見えた。





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夢のあとさき(10)

 お盆休みくらい頑張って更新してみようとか口ばっかですみませんー(^^;
 15日はオットの誕生日で、家族で温泉行ってお祝いして、昨日の夕方帰ってきました。13日の夜にも義弟家族とさんざん飲んだんですけどね、また飲みすぎちゃいましたよ★




夢のあとさき(10)





 森林の露天風呂は期待通りの解放感だった。オープンして2年目で設備も新しく、浴槽に身を沈めると檜の良い香りがした。
 長時間の運転で凝り固まった背中を反らし、青木は大きく息を吐いた。隣には柔らかな表情で景色を眺める薪の横顔がある。その美しさを横目で見ながら青木が肩を回していると、視線に気づいた彼は青木に微笑みかけた。

「おまえも肩が凝る年になったか」
 笑いながら、青木の肩を揉みほぐしてくれる。背骨と肩甲骨の間をぐいぐい押されると、温泉効果で身体が温まっているからか、たちまち肩が軽くなっていく気がした。
「ありがとうございます。もう充分です」
「遠慮するなって」
「薪さんの手が疲れちゃいますよ」
「それはおまえの方だろ。運転、お疲れさま」
 薪にやさしい言葉を掛けてもらえたのは何年ぶりだろう。いやまさか年単位ってことはないか、と苦笑して記憶を辿るがとんと思い出せない。罵られた記憶ばかり甦ってきて悲しくなった青木はその作業を中断し、目前に広がる新緑の風景に心を移した。
 来てよかった、と青木は幸福感に浸りきる。眺めはいいし空気は爽やかだし薪はやさしいしで、最高の気分だ。

「ありがとうございました。お返しします」
 振り返って薪の肩をつかみ、後ろを向かせる。揉もうとすると、肩に掛けた手を握られた。
「肩よりも、こっちを」
 そう言って薪は、青木の手を自分の胸に宛がった。もう一方の手は脇下を通して腰の位置に、薪のそこはすでに硬くなっていた。
「おまえの裸見てたら何だかそんな気分になっちゃって。いいだろ」
 嬉しいけれど、ここではマズイと思う。男同士で貸切風呂の時点で限りなく黒に近いグレーなのに、喘ぎ声なんか聞こえてきたら追い出される。

「此処からは見えませんけど、隣も同じ造りになってて人がいるんですよ。ちょっと大きな声を出したら聞こえちゃいます」
「いいじゃないか。聞かせてやれば」
「えっ?」
「隣は若いカップルだ。声を聞いたら自分たちだってしたくなる。そうなればお互い様だ。文句なんか出ないさ」
 薪は自分たちの関係を他人に悟られることを極端に恐れていた。その彼が、こんなことを言うなんて。

「青木。早く」
 さばっと湯から上がって板張りの床に座り、薪は大胆に青木を誘った。湯の中ではのぼせてしまうのと、理由はもう一つ。
「ここにキスして」
 淫蕩に腰を揺らして湯中ではできないことをねだる。薪の顔つきは妖しかった。
 蛇に睨まれたカエルというかローレライに魅入られた舟人というか、とにかく逆らえるはずがない。これは青木の意志が弱いのではなく、薪が妖艶すぎるせいだ。そう思いかけて青木は、何でも人のせいにする恋人の癖が伝染ったかと恥じ入るような気持ちになった。
「ああ、青木、ああ、いい」
 口に含むとすぐに、薪は派手に善がり出した。腰を浮かせて青木の手を取り、後方を探らせる。青木の指を掴んで内部に導き、気持ちよさげに腰を捩った。
 先に進むことを躊躇う青木の腰に、薪の脚が絡んだ。脚で抱き寄せられる。そこに宛がわれたら、さすがに我慢が効かなくなった。薪は恍惚とした表情で青木を迎え入れ、結局は二人して溺れた。

 放った液体を洗い流した後、もう一度湯に浸かった。時計を確認すると10分も経っていなかった。長い時が過ぎたように感じたが、錯覚だったらしい。何だか得した気分だ。
 湯船の壁に背中を預け、自分の膝に座った薪の柔らかい太ももを撫でながら、青木は彼の後ろ首にキスをした。背後からかぶさるように緩く抱きしめて、耳の穴に舌を入れる。薪はくすぐったそうに笑った。
「なんか最近、積極的じゃないですか。こないだの旅行の帰りだって」
 強引にホテルに連れ込まれた。あんなにがっついた薪は初めてだった。
「あれは違うんだ。鳴竜が」
「あの時もそんなことを言ってましたよね。深田○子ちゃんが奥さんになった夢を見たって」
「夢じゃない、本当なんだ。願いを叶えてやるって言われて冗談で『恭子ちゃんを僕のお嫁さんに』って言ったら本気にされて。でも僕はおまえが好きだから、おまえの記憶を戻そうと必死で」
「……長い上に凝った夢ですね」
 東照宮で見た鳴竜が印象に残って、それでそんな夢を見たのだろう。竜が願いを叶えてくれるなんて、まるで漫画だ。夢以外の何物でも―― 夢?

「あれ?」と思わず声を上げたら、膝の上の薪に「どうした」と尋ねられた。
「いやあの、オレも最近、そんな夢見たなあって」
「夢? おまえも恭子ちゃんと? ていうか、したのか?!」
 そこに突っ込むか。
「ちがいます、竜の方です。――いや、違うな。薬師寺じゃなかった。もっと暗くてじめじめした所で、『何か一つ願いを叶えてやる』って言われたような」
「暗くてジメジメした所? 不思議だな、僕もその夢を見たぞ。森の中で迷って、おまえを探しに行ったら深い穴に落ちたんだ。草の上をどこまでも滑っていって」
 眼が覚めたら東照宮の駐車場だった、と薪は言った。
 それは青木も覚えている。薪を起こしたら出し抜けに額を叩かれて、「対象から離れるな」と叱られた。その時に見ていた夢のことだろう。
 ふと、青木は首を傾げた。
 では自分は、いつ夢を見たのだろう? 運転中に居眠りなどしていない。ならばもっと以前の記憶か。いや待て、暗い場所に落ちる前に森の中を彷徨ったような、自分を呼ぶ薪の声が遠くから聞こえてきたような――。

「青木。そろそろ時間だぞ」
 薪に声を掛けられて、青木は我に返った。薪はいつの間にか湯から上がって、ドライヤーで髪を乾かしていた。時計を見れば残り時間は10分ほど。せっかく薪と二人きりで露天風呂にいたのに、考え事に時間を割くなんてもったいないことをした。それも、どうでもいい夢の話に。


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夢のあとさき(9)

 お盆休みくらい頑張って更新してみよう。
 1日目。




夢のあとさき(9)






「青木」と呼ばれて振り返った、途端にくちびるを押し付けられた。ニコッと笑ってコーヒーカップを手渡してくれる、パジャマ姿の可愛い恋人。
 厄祓いに行った日から、薪は毎日機嫌が良い。ご利益覿面だ。旅行帰りにラブホテルなんて初めてだったし、東照宮って本当は縁結びの神社なんじゃ、などと心の中で思ってはニヤニヤしっぱなしという青木にとっては夢のような日々が続いていた。

「週末は休みが取れそうだ。大型連休が終わったばかりだから、東照宮も空いてるんじゃないか」
「また神社に行くんですか?」
「鳴竜に火をつけてやるんだ」
 先週ホテルのベッドで青木が嫉妬に狂うようなことを薪が言うから、他の人間のことなんか考えられなくなるように徹底的に責め、いや、可愛がってやった。「僕は悪くない、鳴竜が悪いんだ」と意味不明のことを叫んでいたが、どうして東照宮の鳴竜に責任転嫁がされたのか、薪の思考経路は相変わらず謎だ。
「いいですね。リベンジと行きますか」
 あの悪夢のような渋滞さえなければ、いろは坂をドライブがてら中禅寺湖まで足を延ばしてもいいし、高原を訪れてもいい。ニッコウキスゲの盛りも過ぎていないだろう。

「こないだもらった優待券、まだ使えるかな」
「ええ。期限は3ヶ月くらいあったと、あ、でも」
 頷きかけて青木は気付く。次の日曜日は9日。鈴木の月命日だ。
 毎月この日は、薪は絶対に青木を拒む。あからさまに彼の名前を出されたことはないし、薪も義理立てしているつもりではないのだろうが、要は気分になれないのだろう。「悪いけど」と言う断り文句に、彼のそんな気持ちが現れている。薪が青木の誘いを断るとき、しおらしい態度を取るのは自分に引け目があるときだけだ。仕事なら仕事、休養に充てたいなら休みたいとハッキリ言う。誘いを断られた青木の落胆なんて、この人は基本的に考えない。
 察しの良い薪のこと、青木が具体的な言葉を用いずとも言いたいことは分かるはず。が、その日の薪は「なんだ?」と無邪気に首を傾げた。

「いえ、何でもないです。えっと、優待券使うと半額ですって。よかったですね」
「浮いた金で地酒を頼もう。こないだのあれ、美味かったよな」
「非常に残念ですが賛同を求められましても一滴残らず薪さんの口に入ってしまいましたのでお答えできません」
 仕事の報告をする口調で青木が丁寧に反論すると、薪はふいっと上方に眼を逸らし、「だっておまえ運転だし」と口の中で言い訳した。
「今度はオレにも飲ませてくださいね」
「わかった。じゃあ、今回は泊まりだな。昼間の風呂が森の中だから、夜の風呂は渓流沿いとかいいんじゃないか」
「そうですね。この宿なんかどうです?」
 山ほど集めたパンフレットと旅行雑誌を広げて、掲載された一枚の写真から二人で想像を膨らませる。薪は心の底から楽しそうで、彼の人のことは胸の片隅にも留めていないように見えた。
 彼が言い出さないものを青木から言及することはない。後で気付いて取り消されるかもしれないけれど、こうやって薪と一緒に旅行のプランを立てるのは青木の一番の楽しみなのだ。

 その週の青木は、薪からキャンセルの通知がいつ来るかと気に掛けながら過ごした。約束を反故にされても落胆を表に出さないよう、薪に話しかけられるたびに身構えたが、金曜日の夕方に「明日な」と手を振られて、これは明朝ドタキャンか、当日キャンセルは宿泊代100%返ってこないんだよな、と少々セコイことを考えた。
 翌朝、薪からの電話がないので約束の時間に彼のマンションを訪れると、薪はボストンバックを片手にマンションの車止めで待っていた。「晴れてよかったな」と上機嫌で車に乗り込む。自分が言うべきではないと思ったけれどどうにも我慢がならなくて、青木はとうとう彼の名前を出してしまった。
「少し回り道になりますけど、鈴木さんのお墓に寄って行きましょうか」
「鈴木の? どうして?」

 不思議そうに尋ねる薪に、だけど訳が分からないのは青木のほうだ。鈴木の名前を出すとき、未だ薪はその瞳に苦渋を浮かべる。自分の手で殺めてしまった親友の命を、奪ってしまった彼の未来と幸福を偲んで、身を切り裂くような罪悪感に打ちのめされる。鈴木がどんなに薪の幸せを願って死んでいったか、その事実が分かっても薪の痛みは変らない。鈴木のためにも頑張って生きようという決意と、自責の念はまったく別物だ。己が内から発せられる人殺しという罵倒が、薪の中から消えることはない。
 ところが、その時の薪からは一欠けらの後悔も痛みも感じられず。薪が彼の死を乗り越えてくれることを望む青木にとってそれは喜ぶべきことなのに、何故かひどく不安になった。

「どうしてって。明日は鈴木さんの月命日でしょう」
 遺族に気を使って当日の墓参りは避ける、青木はそのことも知っている。明日は帰りが遅くなるかもしれないから、行くとしたら今しかない。青木がそこまで口にしたのに、薪は助手席の窓に肘を載せた姿勢で細い眉根を寄せ、不満そうに唇を尖らせた。
「鈴木の墓は横浜だぞ。回り道なんてもんじゃないだろ」
「でも」
「それに、命日じゃなくて月命日だろ。命日にはちゃんとお参りするけど、月命日まではなあ。いくら親友だったからって、もう7年も経ってるし」
 青木もそれが普通だと思う。一生を共にすると誓った伴侶でさえ、3回忌を過ぎた辺りからは月命日は自宅の仏壇を飾るくらいで済ませ、墓所を参るのは彼岸と盆くらいになっていくものだ。
 だが、薪の場合は普通ではない。鈴木は薪に殺されたのだ。

「それじゃ鈴木さんが……ちょっと気の毒って言うか」
「ああ、不幸な事故だった。鈴木は運がなかったんだな」
 今度こそ、青木は驚きで声も出せなかった。
 不幸な事故? 運がなかった?
 薪の口から鈴木の事件が、そんな軽い言葉で語られたことは一度もない。いや、あってはならない。

「あの時は僕も辛かった。鈴木は一番の親友だったから、ずい分泣いたよ。でもさ」
 薪は澄んだアルトの声にほんの少しだけ悲しみを滲ませ、しかしすぐにその色を明るく変えた。ハンドルに置いた青木の左手をぎゅっと握る。
「いつまでも過去に拘ってちゃダメだろ。人生楽しまなきゃ」
 それは青木が薪に、何度も何度も繰り返し訴えたことだったけれど。いざこうしてそれを薪の口から聞くと、えらい違和感だった。
 薪は鈴木を殺した、だからいつまでも自戒の煉獄に囚われていろと、そんなことは思っていない、断じて。でも――でも。

「青木。どうした?」
 狭い車中で仰のくようにして、薪は自分の頭をハンドルと青木の顔の間に潜り込ませた。楽しそうな彼の様子に青木は戸惑ったが、考えてみたら全然おかしくない。これから恋人と二人で旅行に出掛けるのだ。はしゃいで当たり前だ。
「いえ、何でもないです。行きましょうか」
 青木はにっこり笑って薪にシートベルトを締めさせ、慎重に車をスタートさせた。

 何を考えていたのだろう。憂いの無い薪の笑顔、自分はそれが見たくて彼の恋人になりたいと思ったのではないか。屈託なく笑える薪に喜びこそすれ、違和感を覚えるなんて。
 過去を乗り越えるときは、唐突に訪れるのかもしれない。あの日聞こえてきた滝の音のように、次第に薄れていくのではなく、ある日を境に吹っ切れるものなのかも。
 交通量の少ない早朝の道路を快適に走りながら、青木は自分の中に生まれた違和感に折り合いをつけようと、そんなことを考えていた。




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夢のあとさき(8)

 こんにちは。
 日曜日、過去記事にたくさんの拍手をありがとうございました(〃▽〃) ご新規さんも常連さんも、いつも励ましていただいてありがとうございます。
 お礼のRです。(←え)
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2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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