イヴに捧げる殺人(9)

 こんにちは。
 お祖母ちゃん、また入院しちゃいました。
 なんかねえ、あれは繰り返すんだって。発作が起きると息が吸えなくなるそうで、とっても苦しいって言ってました。がんばって生きてきたのに、どうして最後はみんな痛かったり苦しかったりするのかなあ。

 さて。
 お話の方は、うん、この辺からめんどくさくなっちゃいました感アリアリで……とにかく早くたたんじゃえって雰囲気が随所に現れてる気がしますが、ごめんなさい、大目に見てください。





イヴに捧げる殺人(9)









「まさか娘に告発文を書かせるとはね」
 驚いたな、と中園は微笑み、満足そうな視線を薪にくれた。
 大学ノートを破り取ったものでも、要件さえ揃っていれば法的には有効だ。未成年者でも告訴状は出せるし、正式に提出された以上、警察は責任を持って事実関係を確かめなければならない。
 これで強制捜査が可能になる。九条議員の逮捕は時間の問題と思われた。
「いったいどうやったの? 寝たの?」
「冗談でもそういうこと言わないでもらえますか」
「やきもち妬きの恋人に聞かれたらエライ目に遭わされる?」
 中園はこうして事あるごとに青木との仲を当てこする。ポーカーフェイスの裏側で、薪は舌打ちしたいのを必死でこらえた。

「僕に潜入捜査を命じたの中園さんだって、小野田さんにばらしますよ」
 どうせまた中園の独断だろうと踏んでいた。こんな職務範囲外の危険な仕事、小野田が薪にさせるはずがない。
 痛いところを衝いたのか、途端に中園は猫なで声になって、
「さすが薪くんだ。君のような優秀な部下を持って鼻が高いよ」
「お褒めに預かり恐縮です。で、臨時会の方は抑えられそうですか?」
「うん、電話しておいた。今は11月だからね。時期もよかった」
 国会議員には不逮捕特権がある。円滑な政治を行うため国会の会期中は逮捕を拒むことができる、と言う警察にとっては忌々しい悪法だ。国会の会期とは、通常国会が開かれる1月からの150日間、及び臨時会、特別会の開催期間のことで、最後の特別会は内閣総辞職の際に開かれるものだから今回は関係ないが、心配なのは臨時会だ。
 臨時会の召集決定権を持っているのは内閣だが、総議員の4分の1の要求があれば、内閣はこれを認めなければならない。九条が逮捕を逃れるため、仲間の議員を扇動して臨時会を要請することは十分考えられる。
 しかし、合理的な期間内に常会(通常国会)が召集される場合には臨時会の要請を棄却しても憲法違反にはならない。通常国会が開かれる1月まで2ヶ月足らず。臨時会の召集理由に緊急性が薄いと内閣が判断すれば、正当な棄却の理由になる。もちろん、警察寄りの閣僚に前もって通告はしておくが。

「警護対象の娘が警察の保護下に入るんじゃ、ボディガードもお役御免だね。吸血鬼事件の方は、君が見つけてきた被害者の共通点から洗い直すように捜一に言っておくよ」
「その必要はありません。犯人の目星は付きました」
「本当に?」
 自分が部下に命じた職務でありながら、中園はその成果に舌を巻いた。性格や気質に難はあるものの、この男は捜査に関しては捜査員百人分の働きをする。

「犯人、分かったの」
「証人も見つけましたので間違いないと思います。ただ動機が」
 薪は口ごもった。学内で集めた証言をもとに推理を組み立てるとある人物に辿り着く。黒幕は彼女で間違いない。しかし。
「動機が見えてこないんですよね。らしきものはあるんですけど、理解に苦しむっていうか」
「それは取り調べで明らかにすればいい。連続殺人だぞ、のんびりしてたら次の被害者が」
「その点は大丈夫です。犯人の目的は既に達成されてますから。逃亡の危険もありません。逃げてしまったら殺人を犯した意味がなくなる」
「誰なの、犯人」
「学園の生徒です」
 薪がその人物の素性を告げると、中園はひどく驚いた顔をした。学内に犯人がいると確信してはいたものの、生徒だとは思わなかったのだろう。

「もちろん彼女一人に犯行は無理です。彼女には協力者がいました。この証拠は、協力者の家にあった物です」
 積み重ねられた書類の隙間に音もなく置かれた小瓶には、赤黒い液体。血液だ。薪がこれをここに持ってきたと言うことは、DNA鑑定の結果が被害者の一人と合致したのだろう。
 決定的だね、と中園は呟き、そんな証拠を残しておいた犯人の心理を疑問に思った。血液なんて処分しやすいもの、さっさと流してしまえばよいものを、犯人はこれを何のために取っておいたのだろう。

「物証があるなら速やかに逮捕だ。犯人の氏名を捜査一課に」
「すみません。それはちょっと待ってもらえますか」
「なぜ」
「共犯者が確定できないのと、……できれば、自首を」
 躊躇いながらも薪が言うと、あからさまに舌打ちされた。だから言いたくなかったのだ。自首では世間に警察の有能さと威光を示せない。だが今回は事件関係者に未成年者が含まれることと礼子のプライバシーを優先し、できるだけ秘密裏に事を運びたいと薪は考えていた。
「不明瞭な動機も共犯者の氏名も、取り調べで吐かせればいい。17歳の少女だろ。ちょっと脅せばすぐに落ちるさ」
「被疑者を脅して得られる供述は往々にして真実ではありません」
 それきり薪は口を噤んでしまった。まったく使いにくい部下だ。いくら優秀でも上官の命令に逆らう職員は部下として失格だ。中園ならそれを最初に徹底的に叩き込むのに、小野田が甘やかすから。

 直球では薪の口を開かせるのは難しいと悟って、中園は話題を変えることにした。
「犯人の動機らしきものって?」
 その動機が犯人たちに証拠品を保存させたのかもしれない。中園はそう考えたが、薪はため息交じりに首を振り、
「中園さんには理解できないと思います。もちろん僕にも解りません」
「決めつけないで欲しいな。僕は君みたいな石頭じゃないよ」
「じゃあ話しますけど、つまり」
 珍しく自信無さ気に薪が話すのを聞き終えて、中園は眉間に深い皺を刻んだ。
「なんだい、それ」
「だから言ったじゃないですか、理解できないって。女の子じゃないと無理なんですよ、きっと。雪子さんにでも訊いてみようかな」
「それじゃもう一つの質問。どうして犯人は被害者の血液を2ヶ月も持ってたの? トイレにでも流しちゃえばいいじゃない」
「それも分かりません」
 確かに弱い。物的証拠があるから自白がなくても送検はできるだろうが、供述書に不明点が多過ぎるのは困る。

「女ってのは謎だねえ」
「ええ、まったく」
 上司と部下は顔を見合わせ、殆ど同時にため息を吐いた。
 警察庁の天才と官房室の諸葛亮が知恵を絞っても解けない難問。汝の名は女なり。




テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

イヴに捧げる殺人(8)

 こんにちはー。

 おかげさまで、実家のお祖母ちゃん、退院しました。
 お見舞いくださった方、ありがとうございました(^^


 またまた更新が空いてしまったしづですが、今回は放置していたわけではなく。新しいお話を書いててそっちに夢中になってブログを放ったらかしに、あれ、やっぱり放置ですね、すみません。

 4月中も、お花見の話とか青薪さんが夜中に雪を眺める話とか、ぼちぼち書いてたんですけどね。さっぱり筆が進まないわ、ブランクできちゃったからな~とその時は思ってたんですけど、
 やっぱりネタだね! ドS話だと筆が走る走るw
 というわけで、只今40Pお話の中盤、岡部さんと青木さんは爆弾で吹っ飛ばされて生死不明、薪さんは変態殺人鬼の毒牙に掛かろうとしております。
 いつも自分だけ楽しくてすみません(>▽<)







イヴに捧げる殺人(8)





 その日、自宅に戻った礼子は真っ直ぐに自分の部屋に向かい、机に向かって宿題を始めた。
 教科書の内容がちっとも頭に入ってこないのは、課題が礼子の苦手な数学だからではない。「ただいま」の挨拶をしに養父母の部屋を訪れると、そこには養父だけがおり、養母が不在だったからだ。
 婦人会の集まりで、今夜は遅くなるそうだ。養母は後援会の会長も務めているし、付き合いも広い。養父ほどではないが、夜、家を空けることも多かった。
 要するに、夕食は養父と二人きり。大分日も空いているし、今夜は確実だと思った。
 いっそのこと、泥酔して寝ててやろうか。できもしない抵抗を思いつくが、あの男がそれを歯牙にも掛けないことは、自分がそれを為せないこと以上に明らかだった。相手は礼子の意志などどうでもいいのだ。自分はただの人形。そのために引き取られたのだと今では分かっていた。

 身体の関係ができたせいか、礼子は義父のことを義母以上によく知っていた。見栄っ張りで小物の性格も、篤志家の仮面の裏で様々な悪事を働いていることも。
 今日のようなたっぷりと時間の取れる夜、礼子は義父の部屋に呼ばれる。部屋には常時鍵の掛かっているクローゼットがあるのだが、礼子はその中身を知っている。
 その扉は礼子にとっては絶望の扉だった。そこには女の身体を責め苛むための様々な性具と、義父の未来の政治資金に化ける粉が置いてあるのだ。礼子が義父に逆らわないのは、それを使われるのが怖いせいもある。性具だけならまだしも、薬漬けにされるのは嫌だった。

 ドアがノックされ、養父の声が聞こえた。ユリエが直ぐにドアを開け、何事か言い付けられて部屋を出て行った。
 人払いされたことを知って、礼子は焦る。まさか、こんな時間から?

「ママから電話があってね。今日は夕食までに戻れるそうなんだ。家族3人で食事が取れるのは嬉しいけれど、パパは少しだけ残念な気分だ。礼子もそうだろう?」
 養父は机に向ったままの礼子の背後に迫り、後ろから礼子の身体を椅子ごと抱きしめた。シャープペンを握りしめたまま、礼子は身構える。声が漏れないように奥歯を噛みしめた。
「可愛い娘をがっかりさせるのも忍びなくてね。夜の予定を繰り上げることにしたよ」
 胸のリボンが解かれ、ボタンが外された。襟の隙間から手が入ってくる。ごつごつした男の手。吐き気がした。
「おまえも期待していただろう?」
 養父の息が耳に掛かる。ヤニ臭い男の息。腹の底から嫌悪感が這い上がって来る。このペン先を無粋な手に突き立ててやりたい。
「さ、早く脱ぎなさい」
 養父の性的虐待が始まった当初は、礼子はなんのかんのと理由を付けてそれを拒もうとした。そして学んだ。抵抗しても不快な時間が伸びるだけだ。素直に言う事を聞いて、さっさと終わらせた方がいい。
 諦めて、礼子はシャープペンを机に転がした、その時だった。

「礼子さま。入りますよ」
 入りますよ、と言った時には既に薪は部屋のドアを開けていた。養父が泡を食って礼子から離れる。思わず噴き出しそうになった。
「九条先生もこちらでしたか。ちょうどよかった、先生に報告があって来たんですよ」
「き、君っ、案内もなしに失礼じゃないか!」
「すみません。インターホンを鳴らしても、誰もお出にならなかったので。勝手に入らせていただきました」
 嘘だ。インターホンは鳴らなかったし、玄関には鍵が掛かっている。
 驚くべきは彼がこの部屋に自力で辿り着けたことだ。九条邸は迷路屋敷の異名をとる建物、道順を知らない者にとって主要な部屋に行くのは至難の業だ。からくり屋敷のように入り組んだ廊下と階段が、泥棒避けにもなっているくらいだ。

 躊躇う様子もなく部屋の中に入ってきた彼に、養父は太く短い指を突き付け、だぶついた頬を赤くして彼を糾弾した。
「そんな嘘が通るとでも、――っ」
 ずい、と美しい顔が迫ってきて、養父は言葉を飲んだ。彼の美貌は氷の冷気と凄味を持っていた。
「どうやらインターホンが故障しているようですね。早く修理された方がよろしいですよ。でないと」
 完璧に整った顔が凄まじく微笑む。草食系なんて誰が言ったんだか、彼は立派な猛獣だ。
「不用意に入って、見てはいけないものを見てしまう輩がいないとも限りませんから」
 言外に、見たぞ、と言っている。養父の顔が青ざめて行くのが痛快だった。
「ど、どうかね、夕食でも。報告はそのときに」
「ありがとうございます。では後ほど」
 養父がそそくさと部屋を出ていくと、彼は傲慢に腕を組んだ。冷たい眼で礼子を見る。蔑まれても仕方ないと思った。

「お礼を言うべきかしら」
「僕に感謝する気持ちがあるなら、君にはしなきゃいけないことがあるはずだ」
「お母様に黙っててやるから好きにさせろとでも?」
 寝てやる気なんか無かったけれど、ブラウスの前をはだけて見せた。彼の説教口調は礼子の神経を逆撫でする。大人しく話を聞く気にはなれなかった。
 彼の瞳は礼子の胸元を見ても冷たいままだった。見入るどころか呆れたように、
「最近の女子高生は進んでるって青木が言ってたけど、本当なんだな。まさか、お父上も君の方から誘ったのか」
「8歳の子供にそれができると思うなら勝手に思ってれば」
「そんなに小さい頃から?」
 あのクソ親父、と言う罵声が聞こえたが、気のせいかもしれない。彼の綺麗な顔には何の変化もなく、相変わらず上品でそんなことを言うように見えなかったから。

「なるほど。周り中とても話が合うとは思えない世間知らずのお嬢様ばっかりで、その上いじめにまで遭って。そんな学校にどうして君が行きたがったのか、分かったよ」
 彼は組んでいた腕をほどき、養父が解いて床に落としたリボンを拾って、何も書かれていないノートの上に載せた。白いノートに蛇のようにのたくった臙脂色のリボンは、酸化して黒ずんだ血液を思わせた。
「でも分からないな。君はいじめに負けないくらい強いのに、どうしてあんな親父の言いなりになってるんだ?」
 訳知り顔に言われて腹が立った。彼に自分の気持ちが分かるはずがない。この気持ちは、経験したものでないと分からない。
「生きていくためよ。世の奥さん連中だって自分が食べるために亭主に抱かれるでしょ。あたしがしてることもそれと同じ」
「全然違うと思うけど」
「あんたみたいに裕福な家庭に生まれ育ったお坊ちゃまには分からないわよ。夜ごはんも朝ごはんも誰かに奪られちゃって食べられなくて、学校の給食だけで何日も過ごしたことなんかないでしょ」
「さすがにそこまでの経験はないけど、僕の家だって裕福じゃなかったよ。小さい頃に親が死んで親戚の家に引き取られたんだけど、その家も借金がたくさんあってね。小学生の頃から家のことやら叔母の内職の手伝いやらで、遊ぶ暇もなかった」
 おかげで手先が器用になった、と微笑んだ彼を、礼子はしげしげと見直した。正直、驚いた。そんな幼少期でも、彼のような気品は身に付くものなのか。

「大人になって稼げるようになって、自分で自分の生活を賄うことの喜びを知った。君もそうすればいい」
「働けってこと? 無理よ、そんなの」
「無理なものか。もうすぐ十八だろう。立派に働ける年齢だ」
 君の年には僕はアルバイトで生活費を稼いでいたぞ、とそれは彼だからできたこと。とても優秀な頭脳と飛び抜けた容姿を持っている、そんな人間なら引く手あまたで、就職先にも困らなかっただろう。
「自立するんだ。この家にいちゃいけない」
「だから無理だって。あたしにできることなんて」
 自分には何の取り柄もない。家を出て働くと言っても、まともな職なんか見つかりっこない。結局は身体を売って生活している施設の先輩を、礼子は何人も知っている。要は、不特定多数相手に商売をするか一人に絞って商売をするかの違いで、だったら後者の方が倫理的にもマシではないか。

「いいか。君はもう非力な子供じゃない。大人の言いなりにならなければ生きて行けない、そんな弱い生き物じゃないんだ。勇気を出せ」
「放っておいてよ。あたしは今の生活に満足してるんだから」
「今のままでいいわけないだろ。好きな人ができた時、絶対に後悔するぞ」
 下らないことを言う男だと思った。
 好きな人? どこの世界の夢物語? 少なくとも、今までの自分の人生には無縁のものだった。
「誰も愛してくれないわよ、あたしのことなんて」

 そんなものは、物ごころ付くと同時に諦めた。礼子が純潔を失ったのは九条家に引き取られる以前のことだ。相手は施設の職員で、彼は礼子に「他の子には内緒だよ」と言って菓子や人形を与え、それを代価にして礼子の幼い身体をおもちゃにした。
 その当時、礼子は自分が何をされているのか分からなかった。ただ、これは秘密にしなければいけないことだとは感じていた。もしもこれが皆に知れたら、もうお菓子は食べられなくなる。その程度の認識しか持っていなかったどころか、他の子には与えられないお菓子が自分だけに与えられることに無邪気な優越さえ抱いていた。
 あれが性行為の真似事だったことを知った時、礼子は自分のしたことが恐ろしくなった。お菓子をくれた男性職員が自分の腹の上に撒き散らしていた白い液体が子供の元になる成分だと分かり、もしかしたら自分にも赤ちゃんができるかもしれない、そうしたら皆にこの事が知られてしまう。未だ初潮も迎えていない礼子に妊娠の可能性はなかったが、それを彼女に教えてくれる人はいなかった。
 さらに長じて、お金で自分の身体を売る女たちがいることを知った。娼婦と言うのよ、最低の職業よ、と施設の友人が話しているのを聞いたのだった。お菓子が欲しくて彼の言いなりになった礼子は、知らないうちに娼婦になっていた。

「気が付いたら汚れてた」
 知った時には手遅れだった。なんて愚かだったのだろうと、いくら悔やんでもこの穢れは消えない。
 今となっては顔も覚えていない男性職員を恨む気持ちはなかった。悪いのは自分だ。自分が何も知らないバカな子供だったから。
「あなたには、わたしの気持ちは分からない」
 今さら、自分の身の上を嘆こうとは思わない。なのに、どうしてか涙が溢れた。
 汚い人間には汚い人生しか歩めない。割り切ってすべて受け入れて、自分はこれからもそうやって生きていく。覚悟は決まっていたはずなのにどうしてだろう、彼の亜麻色の瞳を見ていると、心がぐらぐら揺れる。まるで。
『何があっても礼子さまをお慕いしております』
 生まれて初めてあの娘に言われた言葉を、胸のうちで反芻するときのように。

「分かるよ」と彼は呟いた。
「僕は取り返しのつかない罪を犯した人間だから。自分自身を呪わしいと思う、君の気持ちはよく分かる」
 彼の犯した罪がどんなものか礼子は知らなかったが、呪わしいと言う言葉には驚いた。彼のように美しく、優れた人間が自分を呪わしく思うことがあるなど、俄かには信じがたかった。
「でも、僕と君では状況が違う。僕はもう取り戻せないけど、君はまだまだやり直せる。君次第だよ」
「悪いけど、あたしの汚れは年季入ってるわよ。もう落ちないわ」
 諦めるには早すぎる年齢だと、そう言った意味合いの慰めならよして欲しい。若くてきれいなのは表面だけ、皮一枚、剥いだら下は汚物塗れだ。どろりと腐って酸っぱい匂いを撒き散らす肉の塊。誰の目にも触れずに消滅できればいいのに。

「どうやら赤点は数学だけじゃないな。生物もだろ」
 絶望する礼子を、あろうことか彼は嘲笑った。なんて性格の悪い男だろう。確かに礼子は現国以外はオール赤点と言う華々しいタイトルホルダーだが、何もいま成績の話を持ち出すことはなかろうに。
「汚れが落ちない? バカバカしい。人間の皮膚細胞は約28日間、一番サイクルの長い骨でさえ7年ですべて新しくなるんだ。どんなに深く浸透した汚れでも落ちないなんてことはない。第一」
 礼子の非学をせせら笑う調子で知識を披露していた彼は、一旦言葉を切り、表情を改めた。それから礼子の頬に手を伸ばし、人が大切なものを扱うときのやさしさと慎重さで、そおっと頬を包んだ。
「人間は男と寝たくらいじゃ汚れない。汚いとすればそれは君の身体じゃない。心根だ」
 いつも礼子を見下していた亜麻色の眼は、今は下から、椅子に座った礼子を見上げていた。すなわち彼は床に膝をつき、学友の誰よりも近しい距離で礼子を見つめていた。
「どんな辱めを受けようと、君にそれを拒む心があれば君は汚れない。自分の弱さに屈服したとき、初めて人は穢されるんだ」

「これ以上、自分を汚すな」と彼は言った。
 負けるな、戦え。戦って自分の人生を勝ち取れ。

 彼の、見た目よりもずっと温かな手から伝わってくるのは強烈なメッセージ。彼は優しい男じゃない、慰めなんか一言もくれない。厳しく礼子を叱咤し、茨の道を歩ませようとする。
 だけどそれは礼子に大事なものを取り戻すための試練。とうに失くしてしまった未来を夢見る心、何も知らなかった子供の頃に自分を支えてくれたもの。夢とか希望とか、取りとめもなく漠然として具体的に何ができるわけでもない、でも人が人として生きていくには絶対的に必要な、明日を夢見る能力。
 取り戻すことができるなら。惜しいものなど何もない。

「何度か、考えたことはあったの」
 家人の眼を盗んで家を出る。でもその先のことは自信がなかった。未成年の上に身元保証もないのだ、まともな職に就けるとは思えない。そんな女が行き着く先はほぼ決まっている。それでは本末転倒だ。
「それに、わたしは謂わばお父様の暗部なわけでしょう。この家を出たところで、直ぐに連れ戻されてしまうわ。秘密を知る人間は手元に置いて監視しておくのが一番だもの」
「もっともだ。君は案外頭がいいな」
 褒められて嬉しくなった。こんな単純な褒め言葉が嬉しいのは、今現在も自分の細胞が生まれ変わっているから? 屈服しない限り汚れないと言う彼の言葉が本当なら、こんな自分でも幸福を求める権利はある?
 心の中で発した礼子の問いを肯定するように、彼はにこりと微笑んだ。その美しさに礼子は図らずも感動した。大袈裟だけど、神さまに許されたような気がした。
 彼は礼子の机からノートを持ち上げ、少し首をかしげて、
「それでどうしてこんな簡単な問題が解けないんだ?」
 ちょっと、あたしの感動返してくれる。

「君の言う通り。こっそり姿を晦ましたところで天下の代議士先生だ、どこまでも追って来るだろう。そこで提案だ」
 彼はノートの上部を掴んで開き、空白のページを礼子に突き付けた。
「このノートが君の武器になる」



テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

イヴに捧げる殺人(7)

 こんにちは。
 前の記事から10日も過ぎちゃいましたね(^^;)
 どうしてこんなに日が経つのが早いんだろうっ。←万国共通ナマケモノの言い訳。

 うーんとね、実は、実家のおばあちゃんが心筋梗塞で入院したんですよ。
 最近、寒暖差が激しかったし、もう年だからね~。96歳だもん、心臓も疲れるよね。
 そんなこんなで、少しワタついておりました。

 更新を待ってくださってる方、もしもいらしたらゴメンナサイでした。
 続きですー。





イヴに捧げる殺人(7)





「柚子さま。お聞きしたいことがあります」
 体育館の壁の前、ジャージ姿で薪は、自分と同じように隣に座った女生徒に話しかけた。コートではバスケットボールの試合が行われており、広い空間にはドリブルの音とバスケシューズが激しく床を叩く音が響いていた。
 楽しそうでいいな、と薪は軽い羨望を彼女たちに抱く。ジャージならともかく、ここの体操服はブルマなのだ。穿いたら一発で男だとばれてしまう。体育の授業は見学で通すしかない。隣の柚子は生まれつき身体が弱いらしく、激しい運動は医者に止められているそうだ。おかげで彼女に話を聞くことができる。

「なんですの」とこちらに顔を向けた柚子の声を掻き消すように、わっと歓声が上がった。輪の中心にいるのは、驚いたことに礼子だった。
 運動神経が良い、と自慢していただけあって、礼子のプレイは群を抜いていた。周りがおっとりしたお嬢様ばかりだからかもしれないが、薪の眼から見ても俊敏な動きだった。特にドリブルは巧みで、コートの端から端まで3人抜きでシュート、などというスーパープレイも見せてくれた。今のはそれに対する称賛の声だ。
 バスケなんて何年もやってないけど、もともと好きなスポーツだからついつい試合に眼を奪われる。活発に動く若い女性の身体は男の薪から見れば魅力的だ。食べ物のせいか最近の子は発育が良くて、胸やお尻も成人女性と同格以上だ。ハーレム気分なんでしょう、と青木にベッドの中で詰られて、「彼女たちはまだ子供だ」と否定したけれど。中にはそちらの方面の成熟を感じさせる娘もいる。間宮じゃないけど、見れば何となくわかる。男を知っている女の身体。

「あの、美奈子さま?」
「はい?」
「私に聞きたいことって」
 自分から話しかけたくせに彼女の存在を忘れていた。気付いて薪は、コホンと咳払いをした。

「礼子さまを苛めている生徒のこと。詳しく教えていただけませんか」
「先生におっしゃるつもり?」
 情報の出所が自分だと分かれば、今度は自分が標的になる。その恐れが柚子の口を重くした。俯く彼女に、薪はそっと身体を近付けて、
「わたくし、考えましたの。もしも今現在礼子さまを苛めている生徒がいれば、次はその生徒が吸血鬼に狙われるんじゃないかって」
「まさかそんなこと」
「どうしてですか? 被害者の3人が3人ともイジメをしていた生徒なら、次の犠牲者もきっとイジメをしている生徒だとわたくしは思います」
「それもそうですわね……分かりました、お教えします。でもあの」
「大丈夫。あなたから聞いたことは決して誰にも言いません。わたくしたちだけの秘密ということで」
「美奈子さまと私だけの」と顔を赤らめる柚子に、薪はダメ押しとばかりに微笑んだ。彼女の好意を利用するようで気が引けるが、潜入捜査とはこういうものだ。非情でなければ務まらない。非情な人間ならこの任務自体を断れたはずだが、そこは触れないでおくことにした。

 柚子から聞き出した情報によると、礼子を苛めていた生徒は7人。首謀者を含む3人が死んだことで、彼女への苛めは現在は止まっている。次に狙われるとしたら残りの4人の誰かである可能性が高い。薪は被害者候補の名前とクラスを聞き出し、頭の中にメモをした。

 最初に殺人が起きたのが2ヶ月前。2回目がそれから2週間後。3回目がさらに3週間後。最後の殺人から、そろそろ一月が経とうとしていた。
 最初はともかく、2番目3番目の事件の際には被害者たちも警戒していたはずだ。良家の子女なら尚更、単独行動を取らないよう人の少ない場所に行かないよう、親に注意を与えられたに違いない。そんな彼女たちが人知れず連れ去られたのは自ら人気のない場所に赴いていた、つまり自分が人に見られたらまずいことをしていたからではないか。
 被害者は殺される前に陰に隠れて礼子を苛めていた。家や学校では良い子で通っているのだ。人に見られない場所を選んだはずだ。そして被害に遭った。
 そう考えると、やはり犯人は礼子の関係者か。しかし、子供が苛められたからと言ってその相手を殺すか? 現場を押さえたなら、教師や相手の親にその証拠を叩きつければいい。両親は除外される。彼らは苛めの事実を疑ってはいたが、確証を持てずにいたからだ。
 ならば、礼子の使用人たちはどうだ。
 あの家には執事、ボディガード、小間使い、家庭教師に下男、と言った使用人たちが礼子と一緒に暮らしている。例えば小間使い。年が近い誼で、親には言えないことも彼女には話したかもしれない。主人の為に復讐を誓った小間使いが――。

「ないな」
 ちっ、と舌打ちして、薪は首を振った。どこかの執事話ではあるまいに、ご主人さまのために人殺しまでする使用人がそうそういるとは思えない。苛めは学内で行われているのだから、それを使用人たちが把握しているのも変だ。
「み、美奈子さま?」
 しまった。地が出た。
 この柚子と言う子は大人しくて目立たないから、つい居ることを忘れてしまう。空気みたいな娘だ。こういうのをエアー女子と言うのだろう。いつの間にかクラスからいなくなっていても誰も気付かない。遅刻やサボリには最適な能力だ。育ちの良い彼女はそんなことはしないだろうが。

 にこっと笑ってごまかした。相手もつられて微笑む。猜疑心の少ないお嬢様は扱い易い。こういうのが人攫いにとっ捕まって外国へ売られるのだ。自室に酒やタバコを隠し持っているなどとんだ不良娘だが、礼子の方がずっとしっかりしている。自分の意見を持っていて、それをハッキリと言葉にできる。良い子ではないが、頼もしさを感じる。
 ふと思った。柚子のような女の子の眼に、礼子はどんな風に映るのだろう。
 そっと隣を伺えば、真剣に試合を見つめる柚子の姿。よくよく観察すれば彼女の視線は一人の女生徒に固定されており、それはつまりコート上で一番活躍している選手だ。柚子の黒い瞳は羨望と憧憬で満たされ、ふっくらとした丸い頬には朱が上っていた。
 体の弱い少女にとって、スポーツ万能の礼子は憧れなのだろう。更に観察すれば、礼子を同じような眼で見ている生徒は他にもいて、要するに、彼女は苛めを受けていても嫌われ者ではない。誰も彼女に話しかけないのは事件の関与を疑って、或いは巻き込まれるのを懸念した親たちの訓戒に素直に従っているものと思われた。

 礼子は育ちの違いを気にしているようだったが、周りにはそれを介しない人間もたくさんいる。一部の狭量な観念を持った生徒たちが彼女を苛めていたのだ。なのに彼女は。
 ――そうだ。彼女はあのとき何と言った?
『彼女たちとは流れてる血が違うのよ』
 薪が初めてこの学園に登校した朝、正門から昇降口までの短い会話で、彼女はこう言ったのではなかったか。

「血か」
「え? 何かおっしゃいまして?」
 隣で柚子が尋ねたが、答えるのも面倒で無視した。
「美奈子さま、あの、お加減でも?」
「ちょっと気分が。わたくし、保健室に参ります。先生には柚子さまから伝えてください」

 薪は仮病を使って体育館を出た。推理を組み立てている最中に邪魔されるのが一番頭にくる。幸い授業中だ。校舎裏にでも行けば誰にも邪魔されずに考えることができるだろう。
 ところが、体育館から校舎に向かう途中、守衛に見咎められた。授業中に気分が悪くなったので保健室へ行く途中だと言うと、一人では危ないからと付き添われてしまった。藪蛇もいいところだ。

 良家の子女を預かるだけあって、この学校のセキュリティはしっかりしている。
 学校の門は3つ。そのそれぞれに守衛室があり、外部からの訪問客はそこで必ず、住所氏名訪問先、訪問の目的を記載した届出書を身分証明書と一緒に提出しなければならない。守衛は届出書に基づいて訪問先に連絡を取り、訪問の目的が虚偽でないことを確認する。帰りは訪問先の印鑑を書類に貰ってくることが条件だ。
 つまり、内部の人間と通じていないと外部から侵入することは難しい。そして薪のように単独で校庭をうろつくものがいれば、生徒であれ父兄であれ、守衛が寄ってくる。
 加えて今は、腕に覚えのある多数のSPがいる。生徒のボディガードを務める彼女たちは、校舎内に幾つかの部屋を与えられ、そこに待機している。薪と同じように無線の警報受信機を持っており、ご主人さまからの一報があればすぐさま駆けつけると言う段取りだ。

 この状況下では犯人も手出しができないのか、ここ一月、新しい被害者は出ていない。ボディガードの同伴を学校側が許可した時期から犯行が行われていない、その事実は、学内に犯人がいると言う中園の推理を裏付けるものであった。
 薪もその推理に概ね賛成だった。その線で探りを入れてみたが、犯人らしき人物は一向に浮かんでこなかった。
 犯人は大人である可能性が高いと、薪も最初は思っていた。教員、用務員、学園に出入りしている業者。それらの中の誰かが、と、それはしかし捜査一課の見解も同様で、彼らからは十分な事情聴取とそれに基づいた裏付け捜査が為されていた。
 残る学校関係者は生徒たちと父兄。そして3人の被害者を結ぶ糸が礼子が受けていた苛めだとすると、捜査対象は絞られてくる。

 礼子の周りに犯人がいる。1週間の潜入捜査の末、薪が出した結論だった。

 学内には彼女の友人は見当たらないから、家の者かもしれない。両親も使用人たちもそこまでのことをするとは思えなかったが、薪の知らない秘密があるのかもしれない。あるとしたらおそらく、それは礼子の抱える秘密と密接な関係がある。
 礼子の自宅に探りを入れてみようと思った。自宅の警護は任務外だが、父親に報告があると言えば訪問の理由はできる。
 父親にアポを取ろうとして、薪はそれを途中で止めた。
 行くなら不意打ちだ。自分はあの家に探し物をしに行くのだから。
 人間は不意を突かれると、隠しておきたいものに対して不自然な行動を取る。視線がその付近を何度も行き来したり、逆にその場所だけを見なかったり。人を観察することで隠しているものの種類や重要度が分かる。刑事である薪にはそれを見抜く力がある。

「ありがとうございました」
 昇降口まで送ってくれた守衛に礼を言い、薪は教室へ戻った。体育の授業はまだ30分くらい残っている。無人の教室は九条家の捜索計画を立てるのに持ってこいだ。

 何の気なしにドアを開けて、咄嗟に立ち竦んだ。教室の中に人がいたのだ。
 その人物は、机の上に出した学用品に墨汁を降り注いでいた。礼子の席だった。
「何をしている」
 反射的に厳しい声が出た。びくっと身体を強張らせた少女が、怯えた顔で薪を見た。黒髪のおかっぱ頭で色白の少女、このクラスの生徒ではない。先刻、柚子に教えてもらった残り4人のうちの誰かか。

 彼女は身を翻し、薪が現れたのとは反対のドアから逃げ出そうとした。咄嗟のこととはいえ、それを逃がす薪ではない。彼女がドアに行き着く前に、彼女の細い手首は薪の右手にがっちりと拘束されていた。
「お願い、見逃して」
 彼女が持って逃げようとした墨汁の容器に、クラスと名前が書いてあった。C組、水島智子。思った通り、柚子が名を挙げた生徒の一人だった。

「黙っていてあげるから、ひとつ教えて」
 薪の提案に、彼女は訝しそうに顔を上げた。助かるかもしれないと言う一縷の希望と、後悔に歪んだ顔。彼女には自分が悪いことをしている自覚がある。
「頷くだけでいいわ。あなたにこれを命令したのは」
 薪がある女生徒の名を口にすると、彼女は狼狽し、うろうろと目を泳がせた。それで充分だったが、薪は彼女の返答を待った。
 彼女はやがて、すべてを観念したように力なく頷いた。





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イヴに捧げる殺人(6)

 こんにちは。
 GW、楽しんでますか~?
 お仕事中の方はご苦労様です。

 わたしのGWは、映画2本立てでした。
「相棒」と「テルマエ」。 どっちも面白かったです。
 個人的には「相棒」の方が笑ったかな。右京さんの変人に磨きがかかってます。まあ、あれも計算のうちなんでしょうけど。

 そう言えば、昨日は結婚記念日だったんですよ。
 去年の結婚記念日も映画を観に行ったんですけどね、その時が「藁の楯」で今年が「相棒」。我ながらシュールなアニバーサリィチョイスだなあ(^^;

 青薪さんにも、結婚記念日(家族になった記念日)ってあるのかしら。
「今日は薪さんが初めてオレの家にいらした日ですから」とか言って3人でお祝いすればいいと思うの。だれか書いてください。 




イヴに捧げる殺人(6)







 支度をしてドアを開けたら青木がいて、うわっと仰け反られた。無理もないと思った。40男のセーラー服なんて薪だって卒倒する、ていうか、条例違反でトラ箱にぶち込む、絶対。

「悪い。驚かせた」
 薪が謝ると青木は慌てて首を振り、
「落ち着いて見れば大丈夫なんですけど、いきなりだとドキッとしますね」と自分の動揺を恥じるように言った。
 醜悪だという自覚はあった。青木は薪の女装は何度も見ていて、つまりは免疫がある。その青木ですらたじろぐような姿なのに。
「おまえがドン引くほどヒドイ格好なのに。不思議だよな、どうしてバレないんだろう」
「いえあの、衣装に驚いたんじゃなくて。要はですね、全世界美少女コンテストの優勝者が突然目の前に現れたら誰だってびっくりするでしょう?」
「美少女コンテストの優勝者? そんな娘とどこで知り合ったんだ?」
「いや、そうじゃなくて」
「僕にも紹介しろ」
「……もういいです」
 訳の分からない事を言い出したと思ったら勝手に会話を終了させて、これだから最近の若い者は。世界一の美少女は何処へ行ったんだ。
 まあいい。薪の好みは成熟した大人の女性だ。背は低めでちょっとぽっちゃり系。他のことはあまり拘らないが、胸はCカップ以上が必須条件。未成年者は対象外だ。

「お嬢様ってのは温室育ちだからな。どこかズレてるんだろうな」
「薪さんには言われたくないと思いますけど」
「何か言ったか」
「いいえ、なにも」
 青木はついと眼を逸らし、薪の追及を逃れた。昔は蛇に睨まれたカエルよろしく冷汗を流すばかりだったのに、最近は空っとぼけるようになった。
 この制服を着るのも4日目だ。さすがに慣れてきて、スカーフを結ぶのも早くなった。おかげで今朝は時間が余って、薪はその空白を2杯目のコーヒーで埋めることにした。昨夜青木が此処に泊った、ということは薪は当然寝不足だ。いつもより多くのカフェインを摂る必要があった。

「調査の方はいかがですか」
 お湯をドリッパーに注ぎながら、青木は現在薪が携わっている事件について尋ねた。青木の問いに、薪はきらっと眼を輝かせ、
「面白いことが分かったぞ」と遠足に出掛ける前の子供のように笑った。
「彼女は間違いなく苛めの被害者だ。それも多数の人間から苛めを受けていた」
「受けて、いた?」
 言葉尻を捉えて青木が聞き返すと薪は満足そうに頷き、次いで青木が差し出したコーヒーを鼻先に近付けて、夢見るように微笑んだ。その美しい微笑み。やわらかな線が織りなす、いっそ夢幻の世界にしか存在しないかのような美貌。
 しかしながら、その花のような口元からこぼれる言葉はひどく現実的で、青木は彼が作り出すギャップと混沌にいつも眩暈を覚える。

「吸血鬼事件の被害者は3人とも、彼女を苛めてた生徒なんだ」
「えらい偶然ですね。捜一の見解はどうなってるんですか?」
「それが件の学園は男子禁制で、生徒たちは男性に免疫がなくてな。捜一の連中が彼女たちに話を聞こうとすると、一様に口を噤んでしまうらしい。だからこの事実は未だ掴んでないと思う」
「潜入捜査のお手柄というわけですか。苦労した甲斐がありましたね」
 昨夜、ベッドに行く前の前哨戦が行われたソファで仕事の話をする。そんな日常にもだいぶ慣れた。
「じゃあ、その子が犯人なのかもしれませんね。苛めに耐えかねて、衝動的に相手を殺してしまった」
「被害者は身体中の血を抜かれてるんだぞ。頭も丹念に潰されてる。子供にできるとは思えないが」
「それは彼女の犯罪を隠そうとして、周りの大人たちが。子供にはできない、と思わせることが目的なんですよ」
「だとしても親は無関係だ。中園さんにボディガードの斡旋を頼んできたくらいだからな」
「父親だけが知らないのかも。母親や使用人たちがグルになってて」
「そろそろ時間だ」
 薪はふいに席を立った。薪が話を打ち切きったということは、青木の推理は却下されたと言うことだ。薪の琴線に響かないなら、この線は誤りなのだろう。青木は思考をリセットし、鞄とコートを持って彼の後を追いかけた。

「あの。苛めの方はまだ続いてるんですよね。放っておいていいんですか」
 車の後部座席に収まった美少女にミラー越しに話しかけると、思いもかけない答えが返ってきた。
「首謀者を絞り込むことはできると思うけど、注意したところで苛めがエスカレートするだけだろう。何より、本人が戦う気マンマンなんだ」
「マンマンですか」
「代議士のお嬢さんで苛めに遭ってるって言うから、風が吹いただけでも泣くような女の子を予想してたんだけど。まるで違ってた」
 ミラーの中で薪は微笑んだ。相手を好ましく思っているときの笑み。子供のお守なんてまっぴらだと、初めはあんなに嫌がっていたくせに。野良猫も3日飼えば情が移るというやつか。

「施設にいたらしくて、小さい頃から苦労して育ったみたいだからそのせいかもしれないけど。必死に強がる様子が、なんか可愛くてさ」
 薪に邪心はないのかもしれないが、青木は穏やかではない。薪は青木の恋人だが、同性愛者ではない。普通に女性が好きなのだ。その証拠に、可愛い女の子がいれば自然にそちらを見る。今もちらっと右側を見た、視線の先にはバス停でバスを待つOL。ふっくらしたくちびるがキュートな女の子だった。
 そんな彼が女の園で潜入捜査。仕事とは言え、楽しくないわけがない。
 嫉妬心に煽られて昨夜は少々無理をさせてしまった。鏡の中で彼が発した大あくびはその証。自覚はあるが反省する気になれないでいる。ヤキモチは謙虚さを遠ざけるのだ。

「それと、あの子には何か秘密がある」
「秘密? それはさっきオレが考えたようなことで?」
「おまえの言う通り、彼女は事件に関係してる。被害者の接点が彼女なんだからな。でも彼女の秘密は事件とは無関係だと……いや、もしかしたら」
 薪は右手の拳を口元に当て、視線を虚空に据えて固まった。推理を巡らせるときのポーズ。表面は静かだが、彼の頭の中では目まぐるしい速度で仮説とそれに基づく論理展開がなされているに違いない。
 それから学校までの約20分、薪は黙りこくって思考を続けた。その間、彼は声も発せず身じろぎもせず、窓の外を見ることもなかった。




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イヴに捧げる殺人(5)

 こんにちは。
 今日から連休の方、多いですよね。みなさん、行楽なさるのかしら。お天気に恵まれますように。

 わたしは遠出の予定はありませんので、真面目に更新を……あれっ、4月って記事6つ?
 なんで現場出てた時と数変わらないの? ←当事者の言葉とは思えない無責任さ。

 すみません~、5月はがんばるです~。
 でも今日は映画に行ってくるねっ。右京さん、今行くよー!






イヴに捧げる殺人(5)






「美奈子さま。ちょっとお話が……あの、美奈子さま、あのっ」
 それが自分に対する呼び掛けだと気付くまで、4秒ほどかかった。その時薪はよんどころない事情で焦っていて、つまり生理現象だ。潜入捜査とはいえ、さすがに生徒たちがたむろしている女子トイレには入れない。考えた挙句、日中は使われていない講堂か体育館のトイレを使えばいいと思いつき、校舎外に走り出そうとしていたのだ。
「はい」と淑やかに返事をして振り返る。薪を呼びとめたのは、ストレートの黒髪を背中に垂らした大人しそうな女の子だった。同じクラスの、名前は確か更科柚子。席は礼子の隣だ。
「更科さま。なにか」
「もう私の名前を? 優秀でいらっしゃいますのね」
 褒め言葉には微笑みだけを返し、心の中で、あなたのお父様の会社の住所まで知ってますよ、と薪は答えた。一応ね、と中園から渡された資料の中に、礼子のクラスメイトたちの履歴書があった。すべてインプット済みだ。

 廊下の隅に連れて行かれ、お喋りを楽しむ他の生徒たちの眼から隠される。普通の学校なら新入りに対するヤキ入れだが、ここは天下のお嬢様学校。そんな野蛮なことはしないだろうと思う一方で、礼子がイジメを受けている事実を思い出す。ガキのやることなんて、金持ちも庶民もあまり変わらないのかもしれない。
 私のことは柚子とお呼びになって、と微笑んだ後、彼女は口ごもった。言おうか言うまいか迷っている素振り。どうでもいいから早くしてくれ、と言いたいのをぐっと堪える。

「あの、こんなこと、言っていいのかどうか」
「遠慮はいりませんわ。どうぞおっしゃって」
 薪が促すと、柚子は意を決したように顔を上げ、きゅっと唇を引き結んだ。
「礼子さまとは、あまり親しくなさらない方がよろしいと思います」
「何故ですの?」
「礼子さまはその、お可哀想なことに苛めにあってらして……」
「一緒にいるとわたくしまで巻き添えになると? それはご親切にありがとう。でもわたくしは礼子さまとは小さい頃からとても仲良しでしたの。そんな状況ならなおさら、礼子さまの支えになって差し上げたいわ」
「違います。それだけなら私だってこんなことは申しません」
 強く言い返されて、少したじろぐ。マスク越しで話をしているようなホワホワした声しか出せない連中だと思っていたが、例外もいたらしい。薪は改めて彼女を見直し、彼女の黒い瞳に振り絞った勇気を見つけた。

「先ほど、美奈子さまがおっしゃった吸血鬼事件。被害者は3人とも、礼子さまを苛めていた生徒なんです」
「ほう。それは面白い」
「えっ?」
「あ、いえ、そうなんですの。それは初耳ですわ」
 有力な手掛かりに、思わず素が出てしまった。慌ててお嬢様の仮面を被り、薪は咳払いでその場をごまかした。幸い、柚子はそれ以上薪の失言を追求することはしなかった。この辺がお嬢様だ。これが雪子ならここぞとばかりに突っ込んでくる、絶対。
「最初に被害に遭われた三宅裕子様、二人目の遠峯千尋様、そして三人目の岸谷千秋様。みんな礼子様にひどいことを……だから、礼子様は事件と何か関わりがあるんじゃないかって」
 柚子は眼を伏せ、長い髪で顔を隠すように俯いた。それから弱々しい声で、
「あの方に近付くと血を抜かれて殺されてしまうって。クラスでは噂になってるんです。だからクラスであの方に近付く生徒はおりません」
 育ちの良さ以上に。不安が彼女を追い詰めていたのだろう。その中で、彼女は薪の身を案じて忠告してくれたのだと知った。

「大丈夫。こう見えてもわたくし、とても強いんですの。礼子さまはもちろん、柚子さまのことも守って差し上げますわ」
 薪はにっこりと笑い、柚子の小さな肩に手を置いて顔を近付けた。それは子供を安心させるときに青木がよくやっている仕草で、でも薪がやるとまったく別の効果を表す。すなわち柚子はぽーっと顔を赤らめ、つまり彼女にはこれから自分の性癖を疑い悩むと言ういささか可哀想な未来が待っている。色んな意味で罪作りな男である。

「ではこれで。わたくし、休み時間中に行きたいところがありますの」
「あら、どちらへ? よろしかったらご案内しますわ」
「ありがとう。でも大丈夫ですから」
 着いてこられたら身の破滅。これから毎日トイレに行くたびにハラハラしなきゃならないのかと思うと悲しいやら情けないやら。さらには自分のこんな姿を想像して意地の悪い上司が嗤っていることも予想がついて、そうしたら今度はひどく腹が立ってきて今すぐにもこの太腿にまとわりつくスカートを脱ぎ捨ててここから立ち去りたい衝動が沸き起こり。
 それらすべてを薪は、3日後の土曜日、自宅を訪れるはずの恋人をいじめ倒す手段を考えることで押さえつけた。



*****




 薔薇の花が華やかに踊るティーカップを、礼子は乱暴にソーサーに置いた。ガチャンと痛々しい音が響く。エルメスの限定品とか知ったこっちゃない。
「あの男。マジでムカつく」
 礼子の苛立ちの原因は臨時雇いのボディガード。初日から気分は最悪だ。
「どうしてそんなに薪さまのことをお嫌いになるんです? あんなに綺麗な方なのに」
「だから、気持ち悪いって言ってるでしょ」

 雇われ人のくせに上から目線だとか口の利き方が超生意気だとか、彼を不快に思う要素は他にもあるし、心の底では礼子も彼の美しさを認めている。礼子が彼を遠ざけたいと思う、本当の理由は別にある。
 それは彼の気品だ。
 彼の内面から滲み出る優雅さは本物だ。自分のように、上っ面だけの紛いものではない。クラスメイト達と同じ本物だけが持つ品の良さ。自分には決して得られないそれを持っている彼が、礼子には妬ましくて仕方ないのだ。

 礼子は九条家の本当の娘ではない。生物学上の親は顔も知らない。
 孤児という境遇に幼い頃は苦労したが、施設から九条家に引き取られ、それからは何不自由なく育ててもらった。養父が行かせてくれたお嬢様学校も養母が用意してくれた服も、習い事も友だちもまったく趣味ではなかったが、文句を言ったら罰が当たると思った。施設の暮らしに比べれば、ここは天国だ。
 養父母には感謝しなければ、といつも自分に言い聞かせていた。どんなことをされても我慢して、彼らの恩に報いようと思っていた。
 それは幼い頃からの礼子の決意ではあったが、時に我慢の限界を超えそうになった。特に子供の頃は、その純粋さ故に傷つくことが山ほどあった。慣れない上流階級の暮らしやしきたり、来訪者たちの物珍しそうな視線と嘲りの笑み。幼い礼子は彼らの悪気のない態度や言葉に自分を否定され、陰で涙を流した。
 そんなとき、礼子を慰めて元気付けてくれたのがユリエだ。彼女は小間使いで、当然庶民だ。だから礼子とは話が合ったし、気持ちも通じた。その頃はユリエが礼子の支えだったのだ。
 一人寝に慣れていない礼子のために、嵐の晩はそっとベッドに潜んできてくれた。夜が更けるまでお喋りに興じていたから翌朝寝過して一緒に寝ているところを見つかってしまい、執事の高田にめちゃくちゃ怒られていた。それでも礼子が頼むと、添い寝してくれた。中学生になってからはそんなこともなくなったけれど、生まれのせいで学友たちとの間に常に溝がある礼子にとって、ユリエは使用人というよりは気の許せる友人であった。

 高等部に進んで、礼子は一人の女生徒と親しくなった。何度か家に連れてきて、ユリエと3人でお茶を飲んだりした。その彼女とも事件のせいで距離ができてしまったが、彼女を大事に思う礼子の気持ちは変わっていない。

「お代わりはいかがですか?」
「ありがと」
 ユリエがティーポットを傾ける。細い注ぎ口から流れ込むうっとりするような赤色を、礼子はしげしげと見つめた。
 新しいお茶を一口含んで首を捻る。どうしてユリエが淹れるローズヒップはこんなに美味しいのだろう。酸味はあるがまろやかで、何とも言えないコクがある。何処に出しても恥ずかしくない味だ。
「同じ茶葉なのに。なんであたしが淹れると酸っぱくなるのかしら」
「性格が出ますから」
 思わず舌打ちする。小さい頃のあれやこれやを知られている分、ユリエは礼子に遠慮がない。

 そう言えば、あの娘が淹れたお茶は優しい味がした。
 お茶の味に人柄が出ると言うのは本当のことかもしれない。正確には育ちが出るのかも。
 九条の家に引き取られたばかりの頃、料理の味付けが薄いことに驚いた。良質の材料を使えば調味料を多用せずとも十分な旨味が得られる。が、普段安手の材料ばかり使っている人間はその引き出し方を知らないから、ついつい調味料に頼る。それと同じで、茶葉の入れすぎとか時間の置き過ぎとか、礼子が気付いていないミスがあるのかもしれない。

「結局は血が違うのよね……」
 礼子の自嘲めいた呟きを、ユリエはいつものように聞こえなかった振りをしてくれた。





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プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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