メロディ10月号の感想、書いてみた

 改めまして!
 メロディ10月号の感想でございます!
 珍しいことに、今回は内輪揉めが起きませんで。第二の脳の単独トークで参ります。よろしくお願いします。 



 *がっつりネタばれしてますので、未読の方はご遠慮願います。



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カエルの王子さま(9)

 メロディ読みましたー。
 追記にちょこっとだけ感想入れておきます。ネタバレいやんな方、見ないでね☆







カエルの王子さま(9)





「ありがとう、聡。話を合わせてくれて」
 青木に付けられた泥靴の跡を拭き取りながら、省吾は彼に礼を言った。彼は踊り場に座って左足を抱え、省吾の働く様子をじっと見ていたが、省吾に話し掛けられるとクスッと笑って、
「あの男、どう見ても普通じゃありませんでしたから。関わり合いにならない方がいいと思って」
「それにしても、聡は強いな」
「ありがとうございます」
「それに、怒るとおっかない」
「それは相手によりますよ」

 危機を脱した興奮が、省吾を包んでいた。口をついて出る軽口はその証拠だ。二人は共犯者のように微笑み合い、軽い揶揄を含んだやり取りを楽しんだ。彼も乱入者を撃退したことに興奮していたのかもしれない。掃除を済ませた省吾が彼を迎えに行くと、手摺に掴まって立ち上がりながら、はしゃいだ調子で言った。
「それよりも省吾さん。今日は僕が朝食を作ったんですよ」
「な。怪我が未だ治らないのにどうしてそんな無理を、――聡、料理なんかできるの?」
「普通できるでしょ」
 どうも彼とは普通の概念が噛み合わない。尤も、省吾の「普通」はこの狭い世界の中の普通だから、彼の方が正しいのだろう。
「足はもう大分いいんですよ。さっきの背負い投げ、見たでしょう?」
 悪戯っぽく笑って、彼は省吾を食堂に案内した。

 彼の作った朝食は見事だった。材料は冷蔵庫にあったものを適当に使ったと言っていたが、大したものだ。あれらをどう調理すれば食べられるものになるのか、彼女がいなくなってからはお手上げだったのだ。
 省吾は朝は苦手で普段から朝食は食べないのだが、招かざる客のおかげでテンションが上がっていたせいもあって、食事がとても美味しく感じられた。温かなスープの湯気の向こうには彼の美しい顔がある。朝食が食べられる時間に起きれば、毎朝この顔が拝めるわけだ。
 明日からは7時に目覚ましをセットしよう、と省吾は心に決めた。
「すごく美味しいよ。これなら家政婦を雇う必要はないね」
「家政婦を雇う予定があったんですか?」
「いや。でも、君のために食事が作れる人間が必要だと思って。僕は不器用だから、洗濯と掃除くらいは何とかなるけど、料理は難しいよ」
「そうですか? やってみると案外楽しいですよ」
 これだけ料理が上手いところをみると、彼は独身だったのだろうか。指輪もしていなかったし、刑事は農家の次に嫁の来てがない職業だと何かの本に書いてあった気がする。だとすると、彼の捜索願を出すのは彼の親だろうか。

 これが一般人なら、このまま隠しおおせたかもしれない。
 失踪人の捜索は、形ばかりのものとなることが多い。それは失踪したとされる人間たちのなんと6割近くが自発的な蒸発であるという現実があるからだ。残りの3割は依頼者の錯誤や本人との連絡不足で、いなくなったとばかり思っていたのに友だちの家に転がり込んでいたとか単なるプチ家出だったとか、実際に事故や事件に巻き込まれてしまった者は全体の1割に満たない。だから警察も本腰を入れて探してくれないのだ。
 しかし、彼は警察官だ。
 さっきの青木とかいう上司が、署にこの家のことを報告するだろう。そうしたら、もっと多くの仲間が此処に押し寄せてくる。そんなことになったら、省吾は身の破滅だ。
 青木を、このまま帰すわけにはいかない。

「聡がこんなに料理が上手いなら、今日は街に出て食料品を買ってくるよ」
 幸い、省吾はこの森に精通している。街に出る秘密の近道も知っている。森の出口で青木を待ち伏せることは十分に可能だった。
「買い出しですか。お手伝いしたいのは山々なんですけど、僕の右足、長時間は無理みたいです。さっき無理をしたせいか、段々痛くなってきちゃって」
「いいよ。聡は家で待ってて」
 願ったり叶ったりだ。街に出れば彼は様々なものを見るだろう。その刺激が彼の記憶を呼び起さないとも限らない。
「あの、おねだりしてもいいですか?」
 おずおずと申し出た彼に、なんなりと、と省吾は答えた。
「コーヒーが飲みたいんですけど、買ってきてもらえませんか」
「いいよ。銘柄は?」
「特にありません。普通のブレンドでいいです」
「わかった。他には?」
「男物の服を買ってきてください」
 彼があんまり真剣にそれを言うから、省吾は思わず笑ってしまった。女物の服がよほどお気に召さないらしい。

 食事が終わって後片付けに入ろうとした彼を、省吾は止めた。「僕が後でするから」と彼の手を取り、二階の一番奥の部屋に案内した。
「僕がいない間、話相手がいなくて退屈だろう。この部屋を使うといい」
「……すごい」
 父の自慢のオーディオルームを見回して、彼は感嘆の声を上げた。
 研究一筋で趣味らしい趣味も持たなかった父だが、音楽だけは好きだった。古今東西の音楽CDを収集し、専用の部屋を作った。金に糸目を付けずに高価な音響機器を組み合わせ、最高のサウンドで部屋を満たした。CDラックの殆どは著名なオーケストラによるクラシック音楽だったが、ジャズやブルースも混じっていた。その代わり、時代に合わせたホップスは見当たらず、流行りの歌謡曲は皆無だった。

「良い趣味ですね」
「僕じゃないよ。父の趣味だ」
 省吾は父ほど音楽に興味が持てなかった。この部屋はもっぱら、家に招いた彼女たちのために使用していた。
「では、このオーディオルームはお父さまの形見ですか。そんな大事な場所を僕が使っていいんですか」
「もちろん。ここには大事な人しか入れないよ」
 そう、今までにも結婚しようと決めた女性しか入れたことがない。美しく華やかで愛らしく、一生傍に置いておきたいと思った女性しか。
「言っただろう? 聡、きみは特別だ」
 愛を込めた省吾の言葉に、彼はいつものように曖昧に笑い、CDラックを覗き込んだ。

 CDケースに薄く掛かった埃を払いながら好みの音楽を物色している彼に気付かれないように、省吾は一枚のディスクを自分の鞄に入れた。それから、朝の光にきらきらと輝く彼の亜麻色の頭をぽんぽんと叩き、
「じゃ、いい子でお留守番してるんだよ」
「はい」
 鍵のかかった部屋に入ってはいけないと、敢えて省吾は言わなかった。人間、禁止されると余計に気になるものだ。彼はこの家に来て1週間も経たない。遠慮深い子だし、まだ足も痛むようだし、鍵をこじ開けてまで屋敷を探索することはないだろう。

 省吾は彼に見送られてオーディオルームを出ると、屋敷の裏に回った。ここから森を抜けると1時間ほどで街へ出られるのだ。正規の林道――と言っても、一見道とは分からないくらいの獣道だが――を通ると車でも1時間、徒歩では半日は掛かる。あの男の様子では徒歩で来たのだろう。家から林道に出るまで半時間、そこから半日。先回りする時間は十分にある。
 彼を見つけて、青木は仲間に連絡を取ろうとしたに違いない。が、この森では携帯電話は使えない。応援を呼ぼうにも自分が一旦戻るしかないのだ。省吾の目的は、それを阻止することだ。

 省吾は鬱蒼とした森を見やり、ぎゅ、とくちびるを噛んだ。
 ――彼は渡さない。
 財布とディスクの入った鞄を胸に抱き、省吾は森への一歩を踏み出した。



*****



 この下、メロディ10月号の一言感想です。
 あんまりいい感想じゃないので、不快に思われた方ごめんなさい。


* TLで話したりコメントいただいたりして、考えが変わりました。次の記事で新しい感想を上げてます。ので、こちらの感想は消してしまおうかとも思ったんですけど~、
 敢えてこのままにしておくことにしました。消したら反省の気持ちも消えちゃいそうだから。

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テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

カエルの王子さま(8)

 明日はメロディの発売日!
 ツイッター情報によると、今回は岡部さんが表紙らしいですね(笑)←嘘です。でも、本当にそうだったら記念に2冊買います♪

 嬉しいことに、今年は仕事の出が早くて、8月から準備に追われてます。おかげでブログに割ける時間が減ってしまっているのですが、お話には気長にお付き合いくださると嬉しいです(^^


 

カエルの王子さま(8)





 桂木家に闖入者があったのは、その翌朝。降り続いた雨がようやく上がった日のことだった。
 どうやらあの雨の中、森を彷徨ったらしい。その男はずぶ濡れの上にひどく汚れて、風体はまるで浮浪者のようだった。無精ひげの生えた頬は枝に引っかかれて傷だらけだったし、眼鏡には泥汚れの跡があった。
 だが、その体格はとても立派だった。長身で足が長く、汚れを落とせば顔もよさそうだ。年は省吾よりも10歳くらい年上に見える。となると彼との年齢差は15歳くらい。彼の上司かもしれない、と省吾は男の素性を類推した。

 眼鏡の奥の充血した眼でしっかりと省吾を見て、男は青木と名乗った。
「人を探しています。この森で行方不明になったんです」
 心当たりはありませんか、と彼は思い詰めた様子で訴えた。
 知らない、と省吾は答えた。青木が省吾の嘘を見破ったのかどうかは分からない。青木は、この家の中を調べさせてくれと言いだした。
「なんだい、失礼な」
「あなたのではない靴があるようなので」
 玄関に置きっぱなしになっていた彼の靴を指して、青木は言い募った。目ざとい男だ。思った通り青木は彼の上司、つまりは刑事だ。中に入れるわけにはいかなかった。
「それは弟のものだ。ここには僕と弟の二人だけだ」
「弟さん、ですか」
 泥に汚れたメガネの奥で、黒い瞳がきらりと光る。疑いを持った刑事の眼。脛に傷持つ身だからか、青木の一言一言に過敏に反応してしまう。落ち着け、と省吾は自分に言い聞かせた。
「弟さんにも話を聞きたいんですけど」
「あいにく弟は病気で療養中だ。会わせられないよ」

 玄関先で押し問答をしていると、騒ぎが耳に入ったのか、彼が部屋から出て来てしまった。手摺に掴まり、未だ痛みの残る右足を引きずるようにして歩いてきた彼は、階下の様子が眼に入ったのか、踊り場で立ち止まった。
 部屋に入っていなさい、と彼に声を掛ける暇もなかった。青木は非常識にも靴のまま、省吾を一足飛びに置き去りにして階段を駆け上った。階段は全部で12段あるはずなのに、廊下に響いた彼の足音はたったの3回だった。

「よかった。無事だったんですね」
 あっけにとられた省吾が我に返って振り向いた時には、青木は彼をしっかりと抱きしめていた。会社勤めをしたことがない省吾にはよく分からないが、上司と言うのは部下の無事を確かめた時、こうして抱きしめるものなのだろうか。
 否々、そんなはずはあるまい。夜の森が非常に危険であることは子供でも知っている。野犬は多いし、灯りがないから遭難の危険も高い。青木はそれを推して彼を探しに来たのだ。単なる仕事仲間の為にそこまでするものか。少なくとも、青木は彼に特別な感情を抱いているに違いない。
 百歩譲ってそれが友情だとしても、その光景は省吾にとって大きな打撃だった。昨夜、省吾を投げ飛ばした彼が、青木の抱擁は受け入れてじっとしている。青木に抱きしめられて、うっとりと眼を閉じている。ショックだった。
 男に触られるのは気持ち悪いと言った彼の言葉は、やはり嘘だったのだ。自分がこれほどまでに醜くなければ、彼に受け入れられる可能性は十分にあった。
 いずれにせよおしまいだ。知り合いに会えば、彼は記憶を取り戻すだろう。省吾が恋をした「桂木聡」という人間は何処にもいなくなる。いつかは来ると覚悟はしていたが、その終焉はあまりにも唐突だった。

 しかし次の瞬間、青木は彼に投げ飛ばされていた。省吾の時よりも時間が掛かったのは、立っていたために右足の踏ん張りが利かなかったのと、青木が省吾よりも遥かに大きかったせいだ。
 突然響いた男の悲鳴と共に、家の床全体が振動した。何が起きたのかと顔を上げれば、階段を転がり落ちてくる青木の姿。階段落ちする人間を省吾は生まれて初めて見た。はずなのに。
 これと同じ光景をどこかで見た、と省吾は思った。
 何故、階段落ちにデジャビュを感じたのかは分からない。或いは小説の中だったか、それとも昔、プレイ中に女を階段から突き落としたことがあったのか。

 玄関の大理石にしたたか背中を打ち据えた青木を、省吾は思わず助け起こしていた。身体が自然に動いたのは、図らずも昨夜の自分と同じ憂き目に遭った青木に同情したからだろうか。
 振り仰いで彼を見ると、彼は踊り場に座り込んでいた。力を込めた右足が痛むのか、下を向いて、痛みに耐えるように眉を寄せている。前の彼女が残していった服を着て、それはなんとも可愛らしい姿だった。
「聡。大丈夫かい」
 省吾は苦笑し、彼に話しかけた。
「何もここまでしなくても。知り合いなんだろう」
 本音では、彼が青木を拒絶してくれたのがうれしい。それを気取られないよう僅かな非難を口調に忍ばせる。彼のいる踊り場まで省吾が階段を昇っていく間、彼は顔を上げ、じいっと省吾の顔を見つめていた。研磨された宝石のように澄んだ琥珀色だった。

 省吾が踊り場に到達すると、彼はちらりと階下にいる青木を見下ろし、
「いえ。知らない人です」
「な、なに言ってんですか。オレです、青木です」
 青木と同じくらい、省吾もびっくりした。知り合いの顔を見ても記憶が戻らないとは。記憶障害は省吾には馴染み深い病気だが、天然ものは初めてだ。やはりマニュアルは使えないようだ。

 彼に投げ飛ばされて幾らか冷静になったのか、青木は、やっと気が付いて靴を脱ぎ、靴下のまま階段を上って来た。森を歩いているうちに靴の中に泥が入ったのだろう、彼の靴下は土足となんら変わりなかった。
 省吾たちと同じ踊り場までやってきた青木は、彼の前にその長身を屈め、
「本当にオレを覚えてないんですか」と彼に自分の顔を近付けた。彼がやや邪険に首を振ると、青木はすっと身を引き、
「仕方ないですね。この手はあんまり使いたくないんですけど」
 言いながら、彼は気乗りしなさそうに眼鏡を外すと、オールバックにまとめた髪を手櫛でほぐし、前髪を額に垂らした。
「この顔に見覚えは?」
「あ、鈴木」
「じゃあこっちは?」と青木が再びメガネを掛けて手のひらで前髪を上げると、
「知らない」
「はいはいはいはい! どんな状況でも鈴木さんのことだけは覚えてるんですよねっ、オチは分かってましたけどね!」
 さめざめと涙を流す大男を見て省吾は思った。この男、ちょっとアタマ弱いんじゃないか。

「鈴木ってだれだい?」
「さあ。なんか自然に浮かんできて」
 どうやら青木の奥の手は効かなかったらしい。省吾は聡に手を差し延べ、彼の身体を抱き上げた。聡は省吾の首に腕を回して自分の身を安定させると、床にへたり込んだままの大男を冷たい目で見下した。
「どうせオレなんか何年経っても鈴木さんに比べたら」
「なにを言ってるのか分かりませんけど。とにかく、僕はあなたなんか知りません。帰ってください」
 冷たくて厳しい声だった。省吾は初めて見る彼の厳格に、思わず唾を飲み込んだ。それほどの威圧感だったのだ。彼の職業を思えば、それは普通の態度だったのかもしれないが。

 だが青木も警察官。彼と真っ向から睨み合った。場の緊張が極限に達すると一般人の省吾は居たたまれなくなり、均衡を崩す目的で彼の言葉に追従した。
「聡もこう言ってることだし。帰ってくれないかな」
「サトシじゃありません。あなたの本当の名前は」
「誰かとお間違えじゃないですか」
 彼はその先を青木に言わせなかった。
「僕は桂木聡です。省吾兄さんの弟です」
 亜麻色の瞳がギラリと光った。まるでゴーゴンの瞳でも見たかのように、青木はその場に凍りついた。

 はっきりとした拒絶。彼は全身で青木を拒んでいた。

 それを悟ったのか、青木は深々と一礼し、「申し訳ありませんでした」と自分の暴挙を詫びた。名残惜しそうに彼を見ていたが、彼が自分に一瞥もくれない事を知ると、肩を落として帰って行った。





テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

カエルの王子さま(7)

 新しくリンクさせていただいたブログ様のご紹介です。

 なみたろうのブログ ←ポチると飛べます。

 すでにご存じの方も多いと思いますが、なみたろうさんは優れた絵師さんです。本当に上手。
 技巧もさることながら、描かれる薪さんがわたしの好みど真ん中なんですよ~!
 表情がね、とっても良くて。綺麗で凛々しくて切ないの。イラストの背景を深読みしたくなる、物語性のある絵を描かれる方です。
 わたしが紹介文を書くより、見てもらった方が早いし、間違いなく伝わると思います。まだチェックがお済でない方は、ぜひご覧になってくださいねっ!
 

 さて、お話の方は、あー、けっこう放置してましたね(^^;) ごめんなさい。
 入札は終わったんですけど、施工計画のやつがね、元請2本あるからね。下請けと合わせて3本だからね。打っても打っても終わらない(笑)
 今日もこれから仕事しますー。これを提出しないと工事に入れないと言う建前もありますが、本音は、
 全部終わらせて、すっきりした気持ちでメロディ読みたいから。←社会人失格。
 いいのよ、仕事さえきちんとやれば。心掛けなんか見えないんだから。←人間失格。




カエルの王子さま(7)





 さっきから一向に減らない皿の中身を見て、省吾は、彼と此処で暮らすなら使用人を雇わなければならないと思った。省吾は不器用で、家のことなど何もできない。今夜の夕食もレトルトのおかずとパンとインスタントスープだ。彼も男だから似たようなものだろう。家政婦が必要だ。

「ごめんね。こんなものばかりで」
「あ、違います」
 彼に食欲がないのは食べ物が口に合わないせいではなく。では怪我が痛むのかと聞けば、それも違うと言う。
「ちょっと不安になって」と彼は零した。
「男のくせにって思われそうですけど。自分が誰だか分からないことが、こんなに怖いものだとは思いませんでした」

 省吾が彼を自分の家に連れ帰ってから、3日が過ぎていた。打撲による痛みは大分治まって、怪我による発熱もなくなった。無理をして風呂を使ったせいか初日は熱が高くて、省吾は慣れない看病に大わらわだったのだ。
 翌日には熱も下がって、彼はベッドの住人になった。生憎の雨で山の風景も楽しめず、退屈そうにしていたから自分の小説を何冊か貸してやった。しかし彼は恋愛小説には興味がないそうで、推理小説かサスペンス物はないかと聞いてきた。残念ながらそのジャンルは省吾の方が苦手で、苦し紛れに父が購読していた古い科学専門誌を与えてみたら、それが大層お気に召したらしく、一日中、飽きもせずに読んでいた。まったく変わった子だ。
 その間、彼を訪ねてくる者はいなかった。それを不思議とも思わない。3日前から降り続いている雨が救助隊を足止めしている事実は省吾の与り知らぬことであったが、これまでもずっとそうだったのだ。この家は、森のほぼ中心に位置している。ここに家があること自体、だれも知らないのだ。

「本当に、僕は何者なんでしょう」
 3日目に入り、残る不自由は右足の捻挫のみとなった。食事もこうしてダイニングで摂れるようになった。しかし、肝心の記憶の方はさっぱりだった。彼は未だに自分の名前すら思い出せなかった。
 記憶はすぐに戻るものと、彼も始めは楽観的に考えていたのだろう。それが3日たっても思い出せず。頭の中の霧は晴れたのに、そこには何もなかったのだと、彼は困惑しきった瞳で省吾を見上げた。
 こんな瞳で頼られたら、誰だって慰めずにはいられない。その細い肩を抱いて、「元気を出せ」と励ましてやりたくなる。省吾は自分をいい人間だとも優しい人間だとも思っていないが、どういうわけか、彼はひとにそんな気を起こさせるのだ。
「大丈夫だよ。きっと今頃、君の知り合いも懸命に君を探しているよ。明日になっても君の記憶が戻らないようだったら、僕が街の警察署に行って、捜索願が出されていないか確認してきてあげるよ」
「警察……」
 そのキーワードを、彼は口の中で繰り返した。何の気なしに発してしまったが、それは彼の記憶に密接に結びついているに違いなかった。

 とんでもないドジを踏んでしまった。彼がそこから記憶を引きださないうちに話題を変えなければと、省吾はやや唐突に昔話を始めた。
「僕の母も失踪したんだ」
 え、と彼が思索の淵から顔を上げる。驚きに目を見張った彼の顔にどきりとした。なんて可愛らしい。
「父と僕を捨てて、男と逃げた。母は大層きれいな女性だったけれど、父との間に愛はなかった。父は資産家でね、優れた科学者でもあった。特許をたくさん持っていて、だから僕も生活に困ったことはない。母が父と結婚した理由も、つまりはそういうことだったんだろう」
 省吾の打ち明け話に、彼は気の毒そうに眉を下げ、省吾を慰めようとしてかこんなことを言った。
「母親が子供を置いて行くのは、身を切られるような辛さだと聞きます。きっとお母さんにも事情があったんですよ」
「普通の母親ならね」
 省吾は苦く笑った。あの女のことは思い出したくもない。

「母は、一度も僕を抱かなかった」
 そう、ただの一度も。

「理由は僕が醜かったからだ」
「まさか。自分の子供でしょう?」
「母は僕が小さい時に家を出てしまったから、父から聞いた話だけど。実際、僕にも母に抱かれた記憶はないんだ。世の中にはそんな母親もいるんだよ」
 自嘲する省吾に、彼は言葉を失った。とても困った顔をしている。彼の素直さが愛しかった。
「あの女に最後に言われた言葉だけは、今も胸に突き刺さっている。『なんて醜い。お父さんそっくり』」
 美しい女性ばかりを選んで苛む己が性癖は、母親に捨てられたことが原因になっているのだと、省吾自身理解していた。自分を捨てて行った女への思慕が自分をサディズムへと駆り立てる。不毛極まりないサイクルだと分かっていたが、自分でも止められなかった。

「いやあ、劣性遺伝て怖いねえ。僕は父の醜さと母の残酷を受け継いでしまったんだね」
「そんなことはありませんよ。省吾さんはご自分でおっしゃるほど不細工じゃないし、やさしい人です」
 世話になっている礼のつもりか、彼は省吾の外見に対してお世辞を言い、だけどそれは少なからず省吾のプライドを傷つけた。だから次に省吾の口をついて出た言葉は、多少の毒を含んでいた。
「きれいな人にはね。君がブスだったら助けなかったよ」
「ふふ。冗談ばっかり」
 省吾は冗談を言ったつもりはなかったが、彼は可笑しそうに笑った。彼の笑い声は、部屋を明るくした。テレビもオーディオもない部屋で、それは貴重な音楽になった。

 省吾の家には娯楽と呼べるものは何もなかった。テレビもラジオも置いていない。そもそも電気がきていないくらいだから固定電話もないし、もちろん携帯電話も通じない。しかしながら最低限のライフラインは確保されており、日常生活に不便はなかった。水は深井戸で街の水道水より余程美味だったし、電力は太陽光システムと自家発電まで完備されていた。家の南側にずらりと並んだ太陽光パネルは、父が市販のものを改良した高効率のパネルで、家一軒には十分すぎるほどの電力を生み出していた。
 省吾と同じくらい醜かった父は、その優秀さゆえに世間に注目されることも多く、結果、省吾以上に辛い目に遭ってきた。優秀な科学者であり技術者でもあった彼は、この森の中に秘かに研究施設を設立し、住居スペースに美しい妻と幼い子を住まわせ、人目を避けて研究に没頭した。研究に使う材料を仕入れるために父が街へ出ることはあったが、誰かが訪ねてくることはなかった。父は誰にも自分の住居を教えなかった。
 だから省吾は、小さい頃からずっとひとりぼっちだった。勉強は父が教えてくれたが、学校には行っていない。調べたことはないが、もしかすると戸籍もないのかもしれない。ともかく、極端に人付き合いを拒んだ父親のせいで、省吾が孤独な人生を送ってきたことは確かだった。

 それは、自分そっくりの容姿を持った息子に対する父なりの愛情だったのかもしれない。子供だけは自分のような辛い目に遭わせまいと、世間の残酷から省吾を必死に守ってくれたのかもしれない。だけど。
 省吾には、楽しいことなど何もなかった。こんな風に、他人の笑い声に包まれたことも。
 こんな気持ちになったのは初めてだ。この子といると癒される。美しいだけじゃない、彼には人をやさしい気持ちにする何かがあるのだ。美しい女性を前にすると、省吾は必ずと言っていいほど凶暴な衝動に襲われた。それがないのは、彼が男性だからという理由だけではない。彼は特別な人間なのだ。
「省吾さんは善い人ですよ。見れば分かります」
 やり直せるかもしれないと思った。彼がいれば、彼が自分の傍にいてくれれば。

「ねえ。君の名前を決めないか? 短い間とはいえ、名前がないと不便だし」
 そうですね、と彼が頷いたので彼の意見を聞いたが、彼は右手を口元に当てて考え込んでしまった。自分で自分に名前を付けると言うのはあまり例がないことで、要は一般的ではない。普及しないのはそれが困難を伴うからだ。
 名前には、将来の夢や希望が詰まっている。こういう人間になって欲しい、と願って親は子に名をつける。それは親が子に一番最初に示す人生の道しるべだ。親から与えられたものならそれに報いる努力はするだろうが、名前通りの人間になれなかったとしても自分に責任はない。が、自分がそれを為してしまったら逃げ場がなくなってしまう。だから自分に名を付けるという行為は難しいのだろう。

「僕が決めてもいいかな?」
 どうぞ、と微笑んで、彼はパンをちぎった。一口で食べることができる上品な大きさ。一つ一つの仕草が洗練され、品が良くて、それが嫌味にならない。元子爵とか、そういう世界の人かもしれないと、省吾は彼の血筋を想像した。
「ええと、何がいいかな」
「いいですよ、なんでも。省吾さんが呼びやすい名前で」
「イメージから言うと『静』とか『薫』とか、女性的で綺麗な名前が浮かぶんだけど」
「もっと男らしい名前だった気がします」
 なんでもいいって言ったじゃない。苦笑して、省吾は冗談とも皮肉ともつかない応えを返した。
「俗に言う名前負けってやつだね」
「ンだと、こら」
「えっ」
 聞き間違えかと思った。本人もびっくりしたらしい。あのような言葉を吐いたとは思えぬ愛くるしい口元を手で覆って、あれ? と首を傾げた。
「すみません、反射的に……なんか僕、キレイとか女っぽいとか言われるの、すごく嫌みたいです」
「そうかい。これから気を付けるよ」
 美しいという言葉が褒め言葉にならないなんて。変わった子だ。

「じゃあ、サトシはどう? 聡明の聡と言う字でサトシ」
「漢字は必要ないんじゃ」
「必要だよ。聡明の聡と俊敏の敏ではイメージが全然違うだろ」
 はい、と彼はうなずいた。その瞬間から、彼は『桂木聡』と言う人間になった。
 いい名前だと思った。美しく聡明な彼に相応しい名だ。

 苗字に自分の姓を付けていることから察せられるように、省吾はもう、彼を元の世界に帰すつもりはなかった。彼がもしも正常な記憶と健康な体を持っていたなら、今までの女たちと同じように、例の施術を行っていたところだ。
 しかし、できればあれはやりたくない。何度も繰り返せば壊れてしまうし、何よりもあれで作られるものは紛い物にすぎない。その事実が余計に省吾を残酷にするのだ。
 省吾だって、本当は彼女たちに優しくしたかった。自分が凶悪な人間であると罵られるより、優しい人間であると褒められた方が誰だって嬉しいに決まっている。それをさせなかったのは彼女たち自身だ。
 でも彼なら。省吾をやさしいままの人間でいさせてくれる。
 記憶が無く頼る人もなく、不安の中で遠慮がちに省吾に手を伸ばす。この状態の彼こそが、省吾の魂を救ってくれるのだ。

「天使みたいだ」
 思わず零れた本音は、彼の耳に入って彼を戸惑わせた。持っていたスプーンを置いて、そっと右手を自分の口元に当てる。俯き加減になる彼を見て、省吾は慌てて謝った。
「ごめんごめん、こういうこと言われるの嫌だって言われたばかりだったね」
「いえ、そうじゃなくて」
 彼はそれを言っていいものかどうか迷う風だった。口に出すことによって嫌な予感が現実のものとなる。そんな不安からくる躊躇いが、彼の口を重くしていた。
「僕はとても罪深い人間のような気がします」
 しばしの沈黙の後、彼は言った。
「熱が高かった時、夢を見たんです。僕の両手は、誰かの血で真っ赤に染まっていました」
 その夢は、彼が恐れているような過去を彼にもたらすものではないと省吾は思った。彼の職業は刑事。ならばそれは殺人事件の捜査か、最悪でも犯人を射殺したとか、そんな記憶が見せた夢だろう。
「もしかしたら犯罪に手を染めていたのかも。不安でたまらないのも、そのせいかもしれません。せっかく省吾さんに助けていただいたのに……」
 省吾を見上げた縋るような亜麻色の瞳に、彼の躊躇いにはもう一つの意味があったのだと知る。自分の経歴が他人に言えないようなものであった場合、省吾が自分に悪感情を抱くかもしれない。嫌われたくないと思ってくれたのだ。嬉しさに舞い上がるように、省吾は彼を明るく勇気づけた。

「そんなことはないよ。万が一、君が人を殺めたことがあったとしても、それは仕事だったからだろう?」
「仕事? 僕の仕事について何か分かったんですか」
 また口を滑らせてしまった。そして彼は刑事。人の言葉尻を捕えるのが上手い。
「いや、あくまでも一般論でさ。例えば軍人とか、仕事で人を殺さなきゃいけない人だっているじゃない。いくら仕事だと言っても実際に人を殺してるわけだから、罪悪感は付き物だろう。君のもそういうことじゃないのかな」
 省吾の説明に、彼はいつものように素直に頷いた。それから遠くを、まるで自分が置いてきた世界を俯瞰するように眼を伏せて、
「もしもそうなら」と呟いた。
「思い出さない方が幸せなのかもしれませんね。そんな仕事に戻りたくないし」
 どくん、と省吾の心臓が跳ねた。彼も今の状況の継続を、省吾との生活の延長を望んでいる。もしかしたら、本当に彼と愛し合って暮らしていけるかもしれない。

「すみません、勝手なことを言って。省吾さんにご厄介になってるのに」
「僕はいいよ。ずっと君に此処にいて欲しい」
 食事を終えてトレイを差し出した、彼の右手を捕まえた。邪魔な食器を横に追いやり、小さな手を包み込むように握る。
「こんな森の奥で一人ぼっちで暮らしているの、本当は寂しいけど仕方ないんだ。この容姿じゃ人前に出られないから」
 そんなことないですよ、と彼が入れてくれたフォローを、省吾は敢えて無視した。自分の醜さは自分が一番よく知っている。実の母親にさえ疎まれた、この顔。
「だから君が此処にいてくれるの、僕はとても嬉しいんだ」
 省吾は彼の細い身体を抱いた。抱きしめてしまえば顔は見えなくなる。彼にとってもその方がいいはずだ。相手の醜い顔を見なくて済む。こうして眼を閉じてしまえば、人肌のぬくもりだけが感じられる。

「君さえよければ僕と、うわっ!」
「あ、すみません。手が勝手に」
 投げ飛ばされた。さすが警察官。腰をさすりながら起き上って、省吾は自嘲した。
「いいよ、無理もない。僕みたいな醜い男じゃ」
「いやあの、顔がどうこうじゃなくて。省吾さん、男でしょ。男に触られるの気持ち悪いです」
「え。きみ、男ダメ?」
「普通ダメでしょ」
 この顔と身体で普通とか言われても。
 そういうことなのか、と省吾は我が身を省みて納得した。自分が醜いせいで他人から謂れのない迫害を受け続けたように。彼はその美しさゆえに他人に誤解を受けて、だからキレイという言葉は彼にとって禁句なのだ。

「ごめんなさい。省吾さんのことは好きですけど、こういうことはちょっと」
「今、なんて」
「……キスは無理です」
「ちがう、その前」
「手が勝手に」
 戻りすぎ。
「僕のこと、好きだって言った?」
 恐る恐る聞いてみる。聞き間違えだったらえらい赤っ恥だが、どうしても確かめたかった。
「好きですよ。当たり前じゃないですか」
 省吾の問いに、彼はにこりと微笑んだ。誰かに面と向かって好きと言われたのも初めてなら、好意を打ち明けた相手にこんな風に微笑まれるのも初めてだった。それから、
「こんなによくしてもらってるのに。省吾さんが変態だったからって、嫌いになんかなれません」
 さらっと変態扱いされたのも初めてだっ!

「違うよ、僕は変態じゃない。今まで男の子を好きになったことなんかないよ」
 省吾の言葉を信じたのかどうか、彼は曖昧に笑った。しかしそのはちみつ色の瞳は曇ることなく、糖度を増したかのようにゆるりときらめいた。
 今や省吾は彼との出会いに運命すら感じるほど、彼に惹かれていた。
「君は特別だ……聡」



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ジャンル : 小説・文学

カエルの王子さま(6)

 お盆休みも終わりました、と思ったら入札が6件(・◇・) 
 休み明けの積算、きついー。アタマ回んないよー。
 第九メンズがこんなこと言ったら、ものすごい雷が落ちるに違いない。仕事しよ。

 お話の方は、今日からカエル再開でございます。
 こっちもいい加減ヤバい状況ですけど、お盆SSに比べたらへっちゃらだよねw




カエルの王子さま(6)






 その夜一晩中、中園はテーブルに置いた電話を眺めて過ごした。自宅に帰ってから掛かってきた電話は4件。そのすべてが同じ男からのものだった。
 地元警察から発見の電話があったらすぐに連絡するから、と再三言い聞かせたにも関わらずしつこく掛けてくるから、「君からの電話を受けている最中に所轄から連絡が入って、こちらの対応が遅れたらどうするんだ」と脅してやったら静かになった。その代わり、30分おきにメールが来るようになった。

 ふと壁掛け時計を見やれば、深夜の3時半。夜半過ぎから降り始めた雨の音だけが、静まり返った家の中にひっそりと響いている。
「寝なさいよ、青木くん」
 明日も仕事なんだから、と、それは中園も同じことだったが。
 自分と青木だけではない。今夜はまんじりともせず夜明けを迎えるものが何人もいるはずだ。おそらく、中園の上司も。

 崖から落ちた薪が重傷を負って動けない、上着につけた救難信号のスイッチさえ押せない状態であろうことはほぼ確定的だった。県内の病院を虱潰しに当たった県警が彼を見つけられなかったなら、彼はまだあの森の中にいるのだ。この雨に体力を奪われて、人知れず命の灯を消そうとしているかもしれない。それだけでも十分過ぎるほどの脅威なのに、さらにもう一つ、中園の白髪を増やす仮説が浮かび上がった。
 薪が自分の身と引き換えに助けた、件の女性だ。
 彼女は精神的にも肉体的にも、健常者の領域を遥かに超えていた。何かにひどく怯えており、話を聞くどころか、安定剤なしには傷の手当さえできない状態だった。彼女の身体には、ありとあらゆる種類の傷が数えきれないほどに刻まれていた。打撲痕に切り傷、火傷、鞭の跡まで。明らかに他者の手によるものであった。
 おそらく彼女は何者かに長期間監禁され、日常的に暴行を受け、ついには精神に異常をきたしてしまったのだろうと言うのが医師の所見であった。

 知らなかったこととはいえ、そんな女性を車のトランクに閉じ込めた。青木が彼女にしたことは、何が何でも隠さなくてはいけない状況になってきた。
 いや、重要なのはそこではなく。薪がその犯人の魔手に落ちたかもしれないという可能性だ。

 明らかにサディズムの傾向を持った相手だ。すぐには殺されないだろうが、何をされるか分からない。死んだ方がマシだと言う目に遭わされるかもしれない。実際に、彼女は精神に異常をきたしてしまったのだ。
 一刻も早く犯人を見つけ出す必要がある。だが、捜査資料は白紙だ。被害者の供述が得られない以上、森の近辺に住居を構えているであろうことくらいしか指標を立てられない。加えて、薪がその犯人に捕まったと言う確証は何処にもない。でも。
「薪くんだからなあ」

 薪は運が悪い。目を瞑って右と左どちらかの道を選べば、必ず行き止まりかひどい時には崖。そういう男なのだ。しかし、中園個人の予感だけでは、県警を動かして森を一斉捜索させるなんて大がかりな戦術は取れない。万が一、薪がひょっこり出てきたりしたら官房室の失点になる。自分のミスは小野田の足を引っ張る。軽はずみな真似はできない。
 官房長だ首席参事官だと権力が服を着て歩いているように思われているが、様々な制約があって、思うように動けないのが現実だ。警察機構に於いて肩書は大事だが、その分不自由を強いられるのも事実だ。

 ――こんなとき。薪を助けられるのは、何物にも縛られずに行動できる人間なのだろう。

 ふと、薪を人質にして第九に立てこもった男を思い出す。
 まったく、青木は薪が絡むと無茶をする。普段の温厚な彼からは想像もつかない無茶ぶりだ。愛ゆえだか何だか知らないが、そのたびに尻拭いをさせられるこっちは堪ったものじゃない。

 そんな風に、つらつらと愚にもつかぬことを考えながら夜明かしをした翌朝、中園は出勤直後に第九を訪れた。朝になって急に激しさを増した雨に、ズボンの裾を濡らしながらの訪問であった。
 室長不在の第九は騒然としていた。薪が行方不明になったことは昨日のうちに伝わっていたはずなのに、こうも尾を引くものだろうかと訝しがっていると、中園の姿を見つけたメタボ体系の第九職員が泡を食ってこちらにやってきた。
「おおおおおおはようございます、中園参事官! ご機嫌うるわしゅう!」
 明らかに様子がおかしい。徹夜明けのテンションにしても突き抜けすぎだ。

「今朝は何のご用で?」
「青木くんに会いに来たんだよ」
「なんでピンポイント!?」
 どういう意味? と尋ねたが、曽我は両手で口を押さえてしまった。ぶんぶんと首を振る。窮地を察した小池が、助け船を出しに駆けつけて来た。
「おはようございます、中園さん。青木に何かご用ですか」
「以前岡部くんと一緒に飲んだ時さ、青木くんは薪くんが第九に居ない日は使い物にならない、て零してたんだ。面白そうだから見に来たんだよ」
 中園が得意の憎まれ口を叩くと、糸目とメタボのコンビは顔を見合わせ、
「なら岡部さんの自爆ってことで」
「仕方ないよな」
 頷き合って道を開けた、その先には机の陰にしゃがみ込んで電話をしている岡部の姿。人目を忍んでいるつもりかもしれないけど岡部くん、声も身体も大きすぎだから。

「青木、いいから帰ってこい。おまえが勝手な行動を取ると薪さんに迷惑が掛かるんだよ。いや、確かに今はその薪さんがいない状態だけど。この雨で救助隊も足止めを食ってるそうじゃないか。そんなところに素人のおまえが行ったところで……そりゃ俺だって薪さんのことは心配だよ。でもおまえにみたいに職務を放り投げて探しに行くなんて真似は」
「青木くんかい」
 中園が声を掛けると、岡部はびっくりして飛び上がった。どうしてここが分かったのかと言うように辺りを見回す。自分の大きさに自覚のない男だ。
「や、あの」
「ちょっと貸して」
 戸惑う岡部から強引に携帯電話を奪い取る。耳に当てて、冷静に尋ねた。
「青木くん。なにしてるの」
 全員が固唾を飲んで中園の行動を見守っている。みな一様に目を腫らし、不安な表情をしている。多分、昨夜安眠できた者はこの中には一人もいない。

『すみません、中園さん。これはオレが勝手にやってることですから。どうか室長や副室長の責任問題にはしないでください』
「君はどうしてそんなに無鉄砲なの」
『捜索の仕方は昨日見てましたから。百メートルのロープも3体用意しましたし』
「そういう意味じゃないよ。なんで薪くんのことになると見境なく突っ走っちゃうのか訊いてるの」
『どうしてって』
 中園自身、答えが返ってくるとは思わなかった問いに、青木は易々と答えた。
『薪さんが怪我をしてたら助ける。いなくなったら探しに行く。当然のことです』
 それは部下の思考じゃないと中園は思った。今どき奴隷だってこんなに主人に尽くさない。ここまで主人に忠誠を誓える生物と言えば。

「犬か、君は」
 ハーッと思い切り、昨夜の寝不足による倦怠感を硬直している岡部に向かって吐き出すと、いくらか心が軽くなった気がした。
 精一杯の軽蔑を込めて、中園は冷酷に言い放つ。
「薪くんのイヌならイヌのプライドに掛けて。ご主人さまを探しだせ」



 

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Someday(4)

Someday(4)




「あーあ。難しいわねえ」
 バリッと音をさせて、塔子は塩せんべいを齧った。喪服の膝にボロボロとカスが落ちているが、それにはまったくの無関心で、一枚目を食べ終えると間を置かず次に手を伸ばした。
「全然ダメ。上手くできなかったわ」
「だからやめろって言ったのに」
 通りすがりに塔子の夫が、菓子鉢の中から芋羊羹を持っていく。彼は甘いもの好きだ。
「だって」と塔子は口の中で言い、茶碗のお茶を飲み干した。空になった茶碗に、雪子が新しいお茶を淹れてくれる。どっちが客だか分からない。

 会食が終わり、弔問客が引けた後も、雪子は塔子の昔話に付き合っていた。
 薪に塔子のことを頼まれた後、夫にはメールを打った。すぐに「任せてください」と返信が来た。家事に育児に協力的な夫に、雪子はずい分助けられている。

「ごめんね。雪子ちゃんの前であんな話」
 いいえ、と雪子は首を振り、急須に残ったお茶を自分の茶碗に継ぎ足した。塔子はしばらく自分の湯飲み茶碗を見ていたが、思い切ったように語り始めた。
「最初にあれって思ったのは、二人がまだ大学生のとき。薪くんが、急に家に来なくなったの。それまでは一週間と空けずに来てたのよ。ケンカでもしたのかしら、って思ったけど、克洋からはしょっちゅう薪くんの家に泊まるって電話が入るし」
 さすがに相手の親とは顔を合わせ辛かったのだろうと、雪子は当時の薪の心理状態を推測した。鈴木と愛し合っていた頃の薪は、若さと美しさの両方を手にしていて、怖いもの知らずと言うか恋愛一直線と言うか、羨ましくなるくらい素直に鈴木への恋心をその身に溢れさせていた。それで鈴木も警戒して、親を避けたのだろう。

「それから二年くらい経って、公務員試験を受ける頃になったらまた家に出入りするようになった。昔みたいに克洋の勉強を薪くんが見てあげて、でも、前とはどこかしら雰囲気が違ってて……薪くんが、妙に大人っぽくなってた」
 その頃を思い出すように、塔子は遠い目をして言った。
「ピンときたの。なにかあったな、って」
 恋はひとを変える。薪は鈴木に恋をして、身も心も彼に捧げて、その恋に破れて大人になった。以前の薪しか知らない者には、別人のように見えたことだろう。

「わたしが気付いたくらいだから。雪子ちゃんも知ってたんでしょう?」
「まあ、薄々は」
「我が息子ながら勝手よねえ。雪子ちゃんには、本当に申し訳ないこと」
 深く頭を下げる塔子に困惑しながら、雪子は曖昧に首を振った。
 申し訳ないことなんか、された覚えはない。鈴木にも、薪にも。二人はいつも、雪子に対して誠実だった。彼らの真実を知る者が傍から自分たちを見た場合、それを雪子の強がりだと考える人間が殆どだと思う。でも雪子はただの一度も、自分を可哀想な女だとは思わなかった。
 だが、それを他人に納得させるのは難しい。曖昧に否定する他なかった。

 塔子は雪子から視線を外し、手持無沙汰に斎場の庭園を眺めている夫に目をやった。ちょうど新芽の芽吹く頃で、庭師が余分な枝を枝切り鋏で大胆に切り落としていた。
「あの人は全然気付いてないのよ。男って鈍いわよねえ」
 言われてみれば竹内も、青木と薪の関係に長いこと気付かなかった。彼は捜査一課の刑事で人間観察には一日の長があり、しかも恋愛経験は雪子の十倍はあるはずなのに、おかしなものだ。

「本当のことを知りたかったの。克洋の、あの子の気持ちはちゃんと薪くんに届いていたのかどうか、知りたかった。もしも通じてなかったら」
 あの子が可哀想すぎるじゃない。

「克洋がねえ。夢でわたしに言うのよ」
 塔子の言葉に促され、そっと雪子は鈴木の写真を振り返った。既に陰膳と花輪は片付けられており、白百合が一輪だけ供えられていた。

「『薪は悪くないよ。なのに、どうして母さんは』」
 いつまでもそのことに気付かない振りをしてるの?

 背後に塔子の声を聞いて、雪子は背筋を緊張させる。亡くした我が子の夢を、母親はどんな思いで見るのだろう。
 気が付くと、塔子も一緒に鈴木の写真を見ていた。向かいにいる雪子ではなく、塔子は写真の息子に向かって話し掛けていた。

「本当はね。薪くんに、昔みたいにやさしくしてあげたかった」
 塔子は小さく、けれども強く首を振り、
「でも、できなかった」
 ――ダメねえ、わたし。
 そう言って、塔子はくしゃっと顔を歪めた。
「がんばったのよ、あれでも。一生懸命がんばったの」
 バリボリとせんべいを噛み砕きながら、塔子はぽろぽろと涙を零した。その様子に、雪子は思わず涙を誘われる。慰めの言葉など、あろうはずもなく。彼女と一緒に泣くことしかできなかった。鈴木を亡くしたときと同じように。

 弔問客の前では見せなかった涙を、塔子は喪服の袖に吸い込ませた。彼女のそれは、そう。悔し涙だ。
 自分の失態に流す、悔し涙。
 塔子が薪を招いて何をしたかったのか。雪子は分かったような気がした。
 それはきっと特別なことじゃない。世界中で、普遍的に行われていること。かつては薪と塔子の間でも、自然に行われていたこと。
 なのに今は、それが為せないことへの悔しさ。

「ふー」
 塔子は、鼻を真っ赤にして息を吐きだした。固まっていた肩を開き、椅子の背にもたれかかる。涙と鼻水をハンカチで拭きとると、せんべいの残りを口に放り込んだ。ボリボリと音をさせながら、
「次は17回忌ね」
「はい」
「その時には千夏も来れると思うから」
「はい」
「雪子ちゃん、またよろしくね」
「はい。――え」
 諦めてないのか。さすが鈴木の母親。
「次は絶対に白状させてやるわ」
 そっち?!
 雪子の焦った顔が可笑しかったのか、塔子は、ふふ、と笑いながら立ち上がった。膝に付いた食べカスを、遠慮なく床に払い落とす。それからスタスタと草履の音をさせながら祭壇に近付き、息子の写真を手に取った。
「次は上手くやるわ。期待してて」

 結局、雪子は使用時限の3時ギリギリまでホールにいた。セレモニーホールの正面玄関で、タクシーに乗り込む鈴木の親を見送った。
「ごめんね、付き合わせちゃって」
「いいえ」
「なんでかしらね。もうそんな立場じゃないのは分かってるのに、ついつい雪子ちゃんには甘えちゃうのよね」
 それはよく知り合いに言われることだが、20歳以上も年上の人から言われるとは思っていなかった。自分の守備も広がったものだ。手の掛かる弟のような親友を、ずっと見てきたからだろうか。

 一人になって、帰途を辿る。6月も半ばを過ぎて、日差しは夏のそれだ。じりじりとアスファルトを焼く太陽光が、解剖室と研究室を行ったり来たりの雪子にはかなり堪えた。そこに梅雨時期の湿度が加わって、まったく、日本の夏は過ごしづらい。
 駅に続く交差点で立ち止まる。赤信号だ。
 雨の一つも降ればいいのに、と空を見上げれば、嫌味なくらいに晴れ上がっている。鈴木が好きだった、夏の空。
 眩しさに、雪子は目を細めた。塔子の話を思い出す。
 もしも鈴木が自分の夢に出てきたら。彼は自分に何を言うのだろう。

 ――この舞台裏、薪には言うなよ。

 想像して、萎えた。内容は違うかもしれないけれど、絶対に薪のことだ。
「分かってるわよ」
 空に向かって呟いた言葉が自分に落ちてくる。雪子は苦笑して、横断歩道を渡った。


―了―


(2014.6)



 お盆SS、こちらでおしまいです。読んでくださってありがとうございました。
 4回とも予約投稿ですみませんでした。年寄りは夜起きてられないのよ。9時になると眠くなっちゃうの(^^;)←どんだけ。

 次からカエルに戻りますので、よろしくです。


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Someday(3)

Someday(3)





 薪のマンションで、青木は5分おきに時計を見ていた。
 昼過ぎには帰ると言っていた恋人を待って、何十回も同じ動作を繰り返している。薪は行先を告げなかったけれど、目的は服装で分かった。いけないと思いつつも、彼が出かけた後に彼の机を探った。
 見つけたのは一通の葉書。消印は横浜だった。

 薪を待つ10分が、1時間にも思えた。青木の体感時間ではゆうに三日が過ぎたと思われる頃、薪が帰ってきた。予定時刻を1時間しか超過していないなんて、信じられない。
「おまえの電話貸せ」
 お帰りなさい、と声を掛ける暇もなく、玄関先で靴も脱がないうちから命じられた。早くしろ、と怒鳴られてリビングに逆戻りする。携帯電話はサイドボードの充電器の上だ。
 差し出すと、引っ手繰るように奪い取られた。断りもなく電源を入れ、勝手にアドレスを引き出し。薪と自分の間でプライバシーとかどうでもいいけど、あ、もしかしたら自分が留守の間の浮気を疑って、だったらちょっとうれしい、気に掛けてもらえたってことだもの、なんて青木が頭の中のお花畑を走り回っている間に薪の指先が選んだのは、意外な人物であった。
「お母さん。薪です、ご無沙汰してます」
 電話の相手は青木の母親だった。薪は部下全員の緊急連絡先を記憶している。青木の場合は福岡の実家で、おそらく掛けても繋がらなかったのだろう。一人暮らしの母は、昼間は雑用で出かけていることが多い。それで青木の携帯電話から母親の携帯電話を呼び出したのだ。

 すうっと息を吸い込んで、薪ははっきりと言った。
「僕は、あなたの息子を愛しています」

 たぶん、電話の向こうの母も。
 青木と同じように絶句したのだと思う。でなければ、何をいきなり、と我が耳を疑ったか。目を丸くする青木の前で、薪はその言葉を繰り返した。
「この世で一番愛しています」
 それに対して母がどう応えたのか、青木は知らない。あの母親のことだからコロコロと笑って、「知っていますよ」とでも答えたのかもしれない。薪はふっと笑い、「はい。失礼します」と電話を切った。
 それから青木の方へ向き直る。取り上げた携帯電話を持ち主に返しながら、ジロリと青木を睨みつけた。

「僕の電話を立ち聞きとは。いい度胸だな?」
「すみません。今日の薪さんは突き抜け過ぎててツッコミ切れません」
 ぶふっ、と薪は吹き出した。だって、青木があんまり真面目に困ってみせるから。
 薪はくるりと背中を向け、すると青木が上着を脱がせてくれる。彼がそれをハンガーに掛けている間にネクタイを解き、こちらを向いた青木にポイと投げた。受け止めようと差し出された青木の手を掴み、それを為させない。ネクタイの放物線を眼で追う青木の無防備なくちびるに、薪は素早くキスをした。黒いネクタイが床に落ちる。

「突っ込みも間に合いませんけど、こっちも間に合いません」
 青木に、吸い返す暇なんか与えなかった。自分勝手に食い散らかしてやったのだ。
「でもなんか」
「なんだよ」と低い声で返したら、急に抱き締められた。彼の体型に馴染んだ身体が、その曲線に沿って自然にしなる。
「すごく素敵です」
 親子して、似たようなことを言う。青木の返事を聞いた薪は、そう思った。


*****


 青木に抱かれながら、薪は思う。
 愛する人の親に、もしかしたら自分以上の愛情を彼に注いできた人に、彼を愛していると告げることのできる幸せ。それをまた相手に祝福してもらえることのなんて幸運。

 ――いつか。

 いつか、来るだろうか。彼女にも、本当のことを言える日が。
 僕はあなたの息子を愛していましたと、正直に告白できるときが。
 彼の命を奪っておきながら、その彼を心から愛していましたと。告げて蔑まれようとも責められようとも、彼を愛したことを後悔するつもりはないと。あのひとの眼を見て言い切れる日が。
 いつか。



*****

 この話、書いたのが今年の6月初めだったんですけど、
 薪さんの上着を青木さんが脱がせるシーン。
 本誌とモロ被りで嬉しかったです(〃▽〃)

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Someday(2)

Someday(2)






 会食会場には、法事に参列した殆どの人間が顔をそろえていた。ひな壇には鈴木の写真と陰膳がセットされ、段飾りになった白百合がその両側を飾っている。克洋くんは白百合が好きだったっけ、と思いながら雪子は会場の入り口を潜りかけ、聞こえてきた言葉に思わず足を止めた。
「塔子さん。なんだってあんな男を呼んだんだい」
「そうだよ。あんたの息子はあの男に殺されたんじゃないか」
「千夏ちゃんが来なかったのだって、あの男の顔を見たくないからなんだろう」
 言葉の暴力に息が止まる。やっぱり、断ればよかった。雪子は自分がしたことを激しく後悔した。

 薪を此処に連れてきたのは自分だ。もちろん勝手に連れて来たのではなく、鈴木の母親に頼まれたのだ。13回忌ともなれば近しい親類だけで行うもの。いくら婚約していたとはいえ、雪子には法事の連絡は来なくなるのが普通だ。葉書が届いただけでも驚いたのに、後日掛かってきた塔子からの電話にはさらに驚かされた。塔子は、既に新しい家庭を持っている雪子を元婚約者の法事に招待したことを詫び、その上で、薪を連れてきて欲しいと言ったのだ。
 薪の元にも葉書は送った。だが、一人では出席しづらいだろうから雪子に声を掛けたのだと。

 鈴木の親から声が掛かれば、薪は何処へでも出向くだろう。彼はそういう人間だ。それは鈴木の両親も知っているはずだ。
 彼らが、法事の席で何をする気なのか気になった。今さら薪を吊るし上げる気でもあるまいが、恨み言の一つや二つは言われるかもしれないと予想していた。逆に、他の参列者たちからは白眼視程度は予想はしていたが、ここまで悪しざまに陰口を叩かれるとは思わなかった。甘かった、と雪子はほぞを噛む思いでその場に立ち尽くした。

「自分が殺した男にいくら包んできたか知らないが、つっ返してやんなさい」
「呼ばれたからって来る方も来る方だ。神経を疑うよ」
「人の息子を殺しておいて、涼しい顔で出世するような人間だからな。それが普通の感覚なんだろうよ」
 いっそ当て身で薪を気絶させ、肩に担いで帰ろうか。雪子の殺気を感知したのか、薪は後ろに一歩下がり、雪子を見て困ったように笑った。

「みなさん。聞こえてましてよ」
 内輪話か説教か、とにかく輪の中心になっていた塔子が声を張り上げる。数人の黒服の男たちはぎょっとこちらを振り向き、そそくさと散って行った。良くも悪くも薪は有名人だ。官房室の若きエリートとして警察機構の顔になっている。国家権力相手に面と向かって文句が言える人間は少ない。
 不穏な空気が漂う会場に、その原因たる自分たちが入っていいものかどうか思案に暮れる二人に、塔子は喪服の裾をさばきつつ、ゆっくりと近付いてきた。その視線は雪子を通り越し、後ろの薪に注がれている。雪子の背中が強張った。それを雪子は薪に気取らせまいと、下腹に力を入れた。
 本当に大変なのは薪なのだ。自分がしっかりしないと。

「ごめんなさいね、口さがない人たちで」
 二人の前に立つと、塔子は鈴木そっくりの黒い瞳に笑みを浮かべ、薪に非礼を詫びた。いいえ、と薪が頭を下げると、
「千夏のことは誤解しないで。あの子、いま妊娠中なの。嫁ぎ先のロンドンから帰って来るのはしんどい時期なのよ」
 娘の不在について説明を入れた塔子に、雪子がホッと息を吐いたのも束の間、彼女は、
「でも、あのくらいは覚悟して来たんでしょ」と静かに言った。薪が顔を上げた時、塔子の眼から微笑みは消えていた。
「はい」と薪は答えた。平静な顔つきだった。

 二人のやり取りに、雪子は早くも心が折れそうになる。かつては自分の親のように慕っていた鈴木の両親の前で、ポーカーフェイスを作らなきゃいけないのはどんなにか辛いだろう。
 覚悟してきた。薪が責められるようなら自分が彼の弁護に立とうと思った。鈴木の両親と薪が対立した場合、自分はどっちにつくか、雪子の中で答えは出ていた。薪の苦しみをずっと見てきた雪子には、それ以外の選択肢はないと思えた。
 だが、こうして喪服の塔子を見、その後ろに黒縁の額に入った鈴木を見ると。
 もしもわたしの夫や子供が同じ悲劇に見舞われた時、相手がどれだけ苦しんだところでわたしはその人を許せるだろうか。
 死んだ人間は帰ってこない、帰ってこないのだ。何十年待とうと、もう会えない。だからと言って忘れられるはずがない。自分のお腹を痛めて産んだ、愛する人との結晶。我が身を削られるにも等しい痛みを、忘れられるものか。
 結局自分には、何もできないのだと思い知らされた。あの事件のときも今も、自分は無力だ。
 雪子は身を躱し、塔子の視界に入らないよう一歩退いた。見守ることしかできない。名ばかりの親友。

 肩を落とす雪子の前で、塔子は右手を上に向け、場内を指し示して、「中にどうぞ」と雪子たちに入室を促した。
「いいえ。僕は失礼します」
「あら、どうして。遠慮することないのよ。こちらがお招きしたんですから」
「お心遣いはありがたいのですが、これから仕事がありまして。職場に戻らなければなりません」
 それが嘘だと、雪子にはすぐに分かった。おそらく塔子にも。薪の返答は滑らか過ぎたのだ。
 そして雪子にはもう一つ、分かっていることがある。
 先ほどの一幕が無かったら、薪は塔子の誘いに素直に応じただろう。それで自分が傷つこうが裂かれようが気にも留めない。むしろそれでこそ、彼の十字架は軽くなる。
 だが、ここで自分が居座ることは塔子たちの立場を悪くする。そう判断したのだ。薪は自分を守る嘘は下手くそだが、他人の為に吐く嘘はとても上手いのだ。

「日曜日なのに、お仕事?」
「はい」
「そう。残念だわ」
 逃げるのね。
 そう言わんばかりの塔子の口調に、雪子は唇を噛みしめた。腹に溜めておくことが苦手な雪子にとって、「薪くんは気を使っているのよ」と口に出さないようにするには、それしか方法がなかった。

「申し訳ありません。埋め合わせは次の機会に」
「雪子ちゃん、あなたは残ってくれるでしょう? 親類って言っても法事のときくらいしか顔を合わせない人たちばかりで。克洋の話ができる人は、あなたくらいしか招いていないのよ」
 薪の謝罪を無視するように、塔子は突如として雪子に話しかけた。鈴木の名前を出されて、自分も帰るとは言いづらい雰囲気になってしまった。口ごもる雪子に薪は目配せし、黙って頭を下げた。お願いします、と言われたのだ。
「では失礼します」
「ねえ。ひとつだけ訊いていい?」
 立ち去ろうとした薪の、細い背中を塔子が呼び止めた。振り向いた薪の、やや訝しげな表情。彼の美貌には慣らされているはずの雪子ですらどきりとする。しなやかな身体のラインの、なんて美しさ。

「あなたと克洋って、本当にただの友だちだったの」
 ひっ、と思わず雪子は声を上げそうになった。
 藪から棒に何を言い出すのか、それもこんなところで。なにかやる気かもしれないとは思っていたが、選りにも選ってこんな、超デリケートな質問とは。
「あ、雪子ちゃんは黙っててね」
 話題を逸らそうと口を開く前に機先を制される。さすが専業主婦、井戸端会議のプロだ。話の主導権を握るのが上手い。

「あの事件のとき、克洋はあなたのことしか考えてなかった。あなたの所へ行かなくちゃ、って繰り返す克洋を、わたし必死に止めたわ。そんな体で何ができるって言うの、まずは体を治さなきゃ、って。でも、あの子はわたしが目を離した隙に仕事場に戻ってしまった。そしてあなたに」
 本当に、あっという間の出来事だった。第九が崩壊するまで僅か4日。そんな短期間に警察でも指折りのエリート組織が壊滅するなど、誰が想像しただろう。それは警察にとっても雪子にとっても、晴天の霹靂であった。貝沼事件の捜査が始まる前の週まで、そのような兆しは職員の誰にも一片とて見つけられなかったのだ。
 崩壊を防げなかったのは薪のせいじゃない。仕事場に戻る息子を止められなかったのは塔子のせいじゃない。婚約者の異常に気付けなかったのは雪子のせいじゃない。ここにいる誰も悪くないと分かっているから、一人として、自分を責めることを止められない。

「克洋は、自分の身体を壊してまであなたを守ろうとした。普通の友人に、そこまでするものかしら」
 薄々は気付いていて、だけど口には出せなかった疑問。その疑問はこの12年間、否、もしかしたらもっと前から。塔子の中で燻り続けていたのだろうか。
「なにをお疑いなんです?」
 苦く笑って、薪は答えた。
「友人に決まってるじゃないですか。克洋君は雪子さんと婚約してたんですよ。彼は不実な男じゃないし、ましてやそんな趣味はありませんでした」

 ニコリと笑った薪の顔は、背筋が寒くなるくらいの美しさだった。
 それは、人間の誠意とか理性などで太刀打ちできるような、生半なものではなく。
 この美しさの前に、人はかしずくしか術を持たないのだろうと、鈴木はそれを守りたかったのだろうと。想像するに余りある超絶的な美であった。

 すっと優雅にお辞儀をして、薪は帰って行った。凛と伸ばされた細い背中が廊下の角を曲がって見えなくなるまで、雪子と塔子は並んでそれを見送っていた。



*****

 うちの鈴木さんの妹は千夏と言います。
 それと、鈴木さんは自宅から第九に通ってて、雪子さんに置手紙で職場に戻ったんじゃなくて、お母さんがお風呂に入ってる隙に職場に赴いて亡くなりました。
 原作と違っててごめんなさい。あちこちに書いちゃった後で、もう直せない(^^;





 

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Someday(1)

 こんばんは。夜中の0時の記事なんて初めてじゃなかろうか。
 しづは年寄りで、夜は眠くなってしまうので、当然予約投稿です(^^;

 お話の途中で突然、予告もなしにすみません。
 今朝、記事を上げるとき、8月10日の0時から別の話を挟みますって言い忘れちゃって、
 え、と、

 鈴木さん。
 ご冥福をお祈りします。
 
 薪さんがこの世から消えたくなった夜、「おれがずっと一緒にいるよ」と彼を抱きしめてくれた人。
 親がどんな罪を犯していようと「幸せになっていいんだよ」と若かりし薪さんに教えてくれた人。(だと勝手に思っている)
 薪さんの笑顔のためならスーパーマンになれた人。
 薪さんの幸せだけを願って、ゆえに貝沼の狂気に呑まれて、薪さんに絶望と一生消えない十字架を背負わせた人。
 薪さんを心から愛した人。
 薪さんが、心から愛した人。

 どうか。
 共に描いたMRI捜査の理想と現実とのギャップに打ちのめされる薪さんの。
 自分が幸せになることに憶病な薪さんの。
 心の支えでいてあげてください。これからも、ずっと。 





Someday(1)





 西洋化が進んだ現代、畳の無い家が増えている。特にマンション暮らしの者はそれが顕著だ。畳に座るのは、居酒屋の座敷が空いていた時か田舎に帰った時くらい。慣れていないから胡坐をかいていても足がしびれる。それが正座となれば言わずもがな。
 現代人の軟弱な脚が自身の体重によって痺れを覚え、限界を迎えるまでの平均時間、約30分。平均点は越えたものの、それより10分ほどで雪子はギブアップし、喪服の下でそっと脚を崩した。

 脚の乱れを隠せるフレアースカートの形状に感謝しながら、座布団の上にぺたりと尻を落とす。それでようやく隣の男性と同じ高さになる。彼は雪子よりも10センチほど背が低い。
 眼だけで周囲を伺えば、雪子と同じように正座を解いている者も多かった。身内だけの集まりだと言っていたから、みな、それほどかしこまる必要を感じていないのかもしれない。20人ほどの弔問客の中には、畳の上に足を投げ出している者も何人かいた。彼らにとっては退屈な法要なのだろう。雪子も経験があるが、遠い親戚の13回忌なんて、それも顔も知らない叔父さんとか勘弁してよって感じだ。お経なんて意味が分からないし、東京に出てきてしまったから知り合いは少ないし、お昼ご飯のメニューを想像することくらいしかやることがない。
 この部屋には、そういう緩慢な空気が混じっている。そんな中、雪子の隣人だけが異質であった。
 ピシリと正した彼の背筋は微動だにしない。瞬きもせず、冗漫な読経に意識を散らすこともなく、僅少の乱れもなくただ前を向く、だが。彼は、その亜麻色の瞳に映した何ものをも見ていない。彼の心はここにはない。

 ――まるで人形のよう。

 緩みやダレは自然に訪れるもの。そもそも人間の集中力は1時間程度が限度で、それを超えれば誰の身にも等しく起こる生理現象だ。例え今が法要の真っ最中でも、不真面目だとか誠意が足りないとか、倫理的に責められる筋合いのものではない。
 それから約1時間。人間らしさを滅するがごとし彼の凄絶な謹厳は、読経の後に始まった僧侶の説法で皆が足を崩す中、孤独に続けられた。

 説法が終わったのは、丁度正午であった。午前十時からの法要だったから、かっきり2時間掛かったことになる。よく2時間も正座を続けられるものだと感心しながら、雪子は隣の男性に声を掛けた。
「薪くん。お昼どうする?」
 雪子たちは招かれて此処に来たのだから、食事の用意は当家でしてくれているはずだ。が、彼にあっては遠慮するだろうと察せられた。だったら自分も一緒に帰ろうと思った。2人の幼子を夫に預けて出て来たのだ。できれば早く帰りたかった。

 慣れない子供の世話に、困り果てているに違いない夫の姿を思い浮かべ、雪子は思わず笑みを零した。が、すぐに思い直し、心の中で遺影の彼に謝罪する。
(ごめんね、克洋くん。でもね)
 黒い縁取りの大きな額に入った写真の人物は、あの頃と同じ笑顔で雪子に笑い掛けている。
(あたし、いま幸せなの)
 心の内で呟けば、よかったな、と彼が笑ってくれる。都合のよい幻に失笑する。人間て、本当に現金だ。
 死んだ人のことは次第に忘れていく。その時は深く傷ついて、絶対に立ち直れない、彼以外に愛せる人なんていないと溺れるほどに泣いても、人はまた愛する人を見つけることができる。それを薄情だと恥じることは、むしろ故人に失礼だと雪子は思う。特に鈴木の場合、別れた彼女に新しい恋人ができたら心から喜ぶような男だったから。

「何だったら、その辺のお店に」
 法事の後、真っ直ぐ家に帰るのはタブーだと田舎の母が言っていたのを思い出す。ならばと、彼を軽い食事に誘おうとした言葉を、雪子は途中で飲み込んだ。
 整然と並んでいた周りの人間が座布団だけを残して去っていく中、彼だけは身じろぎもせずに座っていた。無表情のまま、虚空に視線を据えたまま、2時間前と寸分変わらぬ姿。

(まだ)

 不覚にも涙が出そうになる。雪子の「まだ」は「2時間も前から」ではなく。
 12年も経つのに、だ。

(まだ、こんなに)
 ――こんなに簡単に壊れてしまうの。

 それが彼に下された罰ならば、あまりにも惨いと雪子は思う。引き戻されること、それが無限に続くことの、残酷。
 彼も今は、雪子と同じように幸せなはずだ。仕事も順調、上司や仲間にも恵まれ、恋人もいる。しかし。
 思い知らされる。彼に、自分のような安息の日は訪れない。

 彼の行動は法に問われなかった。彼は罪を犯していない、だから法に基づいた罰を受けることができなかった。でも。
 形のない罰は、彼の身に雨のように降り注いだ。他人から、友人から、職場の仲間から。
 去っていく者、悪意をぶつけてくる者、陰で声高に彼を非難する者。それは確かに彼を傷つけはしたけれど、彼を害するものではなかった。彼にとってそれらはむしろ、下されなかった罰を満たす恵みですらあった。
 本当に彼を害したのは、それが可能であったのは、この世に一人しかいなかった。それは彼自身だ。
 夜ごと彼を眠らせなかったのも、彼の腕や脚をボールペンで抉ったのも、全部彼が自分でしたことだ。我が身を傷つけ、その身を細らせ、生存本能に危機を訴える。本能は脳に働きかけ、生命活動を彼に行わせる。そこまで自分を追い詰めなければ生きられなかった。生命体として、明らかに彼は壊れていた。

 新しい友人や恋人の助けもあり、彼は立ち直ることができた。大分時間はかかったものの、もう大丈夫だと雪子は思っていたのだ。
 それが間違いだったと教えられて、雪子は唇を噛んだ。ベージュ色のリップが白い前歯の下で強く圧迫される。物理的な力で押さえないと泣き出してしまいそうだった。
 雪子は、誰にも顔を見られないように俯いて、その衝動にじっと耐えた。心を落ち着けるにはある程度の時間が必要だった。穏やかに続く幸福な日常は、雪子から、感情を封じ込めるスキルを奪っていた。彼を喪ったばかりの頃、自分を心配してくれる友人たちの前でいつもしていたことなのに。

「薪くん。終わったわよ」
 とん、と軽く彼の肩を突いて声を掛けられるようになった頃には、座敷には雪子と彼の二人しか残っていなかった。
 身体に伝わった僅かな衝撃は、彼のマスキングされた聴覚を上回ったらしい。彼はゆっくりと瞬きをし、さぞや凝ったであろう首を動かして雪子を見た。
「みんな会食会場に行ったけど、どうする?」
「僕はご両親に挨拶だけして帰ります」
「じゃ、あたしも一緒に帰るわ。あ、でもね、真っ直ぐに帰っちゃいけないのよ。悪いものを連れてきちゃうんだって。だから何処かに寄ってお茶の一杯でも」
 言いながら雪子は立ち上がり、次いで、彼の頭が一向に近付いてこないことを不思議に思った。彼は自分の両膝を握りしめ、何かと戦っているかのように眉を寄せていた。

「薪くん?」
「痺れちゃって。イタタ」
 やっと人間に戻ったと、雪子は束の間喜んだ。が、すぐにその高揚は打ち消された。彼が、その痛みを歓迎しているのが分かったからだ。
「お昼、何処かで食べて行きましょうか。何がいいですか」
 痺れた脚を撫でながら雪子を見上げて微笑んだ、彼の笑顔に雪子は胸を締め付けられる。
 なんて完璧な作り笑顔。
「そうねえ。やっぱり中華かしらね」
 頬が無様に震えるのを、雪子は、頬に手を当てて迷う仕草でさりげなく隠した。




テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

カエルの王子さま(5)

 こんにちは。少々暑さでへばっておりました、しづです。
 コメントのお返事、滞っててすみません。テンション上がらなくて~。実はね、
 よいお天気が続いていたので、梅干しの土用干しをしたんですよ。あの暑さの中、梅干し引っくり返してて、まんまと熱射病になりました☆ 
 苦労の甲斐あって、今年の梅干しはとってもフルーティにできたんですよ~。市販のものよりは大分酸っぱいですけど、甘い梅干しが苦手なオットには大好評でございました。よかったよかった(^^



カエルの王子さま(5)





 来客のために用意した寝巻きを脱衣籠の上に置き、省吾は浴室のガラス戸に向かって声を掛けた。
「ここに着替え置いておくからね。お湯加減、どう?」
「ありがとうございます。ちょうどいいです」
 中から彼の声が聞こえる。透き通ったアルト。男にしてはやや高めだが、ケチの付けようがない美声だ。きっと歌も上手いのだろう。

「すみません、何から何まで。迎えに来てくれる人間の一人や二人、いるとは思うんですけど、どうしても思い出せなくて。桂木さんにご迷惑を」
 恐縮する彼に「省吾でいいよ」とフランクに話し掛ける。できるだけやさしい声で、省吾は言った。
「気にすることはない。今はショックで記憶が飛んでるだけだ。すぐに思い出すさ」
「思い出そうと頑張っているんですけど。頭の中に霧がかかったみたいで」
「無理に考えない方がいい。どうせ今夜はここに泊まるしかないよ。迎えが来るとしても、日が落ちてからでは道に迷うのがオチだ。ここは森の中だからね。一晩ゆっくり眠りなさい。明日の朝には記憶が戻るよ、きっと」
 ガラス越しに二人は言葉を交わした。彼は決して口数の多い方ではなかったが、省吾は彼の遠慮がちな態度に新鮮な感動を覚えていた。今どきの若者にしては礼儀をわきまえている。美人なのに遠慮深い子なんて、今まで一人もいなかった。

「そろそろ出ます。ごめんなさい、手を貸してもらえますか」
 入るよ、と断ってから、省吾は浴室の中に入った。彼の身体には多数の打撲痕があり、中でも右足首の捻挫はひどかった。左足の倍ほどにも腫れていたことから骨折を危惧したが、つま先を自分の意志で動かせることから折れてはいないと判断した。が、一人で歩ける状態ではない。松葉杖か車椅子があると良かったのだが、そんなものを常備している民家は少ない。
 自分がひどく汚れていることに気付いた彼は、風呂を貸して欲しいと言った。打ち身に風呂はよくないと注意したが、泥まみれのままでいるわけにもいかない。さいわい、右足の捻挫以外は軽傷のようだったので、無理をしないで省吾の手を借りるという条件付きで風呂の用意をしてやった。
 ベッドから浴室に移動するのも、洋服を脱ぐのも、省吾が手伝った。脱がせてみて、省吾は心底驚いた。衣服の下、土に汚されていない彼の肌は、これまでに見たどの女性よりも白かった。

 美しいと思った。女の身体よりも、ずっと。
 その上、妙な色香がある。くびれたウエストから腰のラインなんて、まるで――。

「すみません、桂木さん。服が濡れちゃいますね」
「省吾だよ」
「……省吾さん」
 彼は、困ったように微笑んだ。なんて愛らしい笑みだろう。こんな風に微笑む人間を、子供以外で見たことがない。
「気にしなくていいよ」
 そう返すのがやっとだった。心臓が激しく打って、彼に聞こえてしまうのではないかと不安になった。
 浴槽から上がったばかりの、濡れて火照った身体を抱き留めながら、すっかりきれいになった髪から立ち上るフローラルな香りを吸い込む。草やら葉っぱやらが付いていた時には分からなかったが、艶の良い亜麻色の髪だ。長く伸ばしたらさぞや美しかろう。
 こんな美しい人の身体に、肌に、この自分が触れている。この醜い自分が。今までの女たちとは違って、彼にはまだ何も与えていない。それなのに自然にこうして、言葉を交わして笑顔を見ることができる。同じ性別が有利に働くこともあるのだと知った。

「きみ、出身は東北かもしれないね。肌が白くてきめ細やかだ」
「そうでしょうか」
「眼と髪の色からすると、外国人の血が混じっているのかもしれないね。フランス人のお父さんと、秋田美人のお母さんとか」
「そうかもしれませんね」
「職業はきっと、タレントとかモデルとか、そういう華やかな世界にいたんじゃないかな」
「いや。もっと男らしい職業だったと思うんですけど」
 何故だかそこだけはきっぱりと否定する彼の肩を掴み、脱衣籠の前に立たせる。生まれたままの美しい姿。
「普通の男だなんて思えないな。こんなに綺麗なのに。……なんで怒るの、褒めたのに」
「すみません。なんか不愉快な気分になって」

 省吾の心からの称賛を不機嫌な顔つきで辞退して、彼はパジャマに手を伸ばした。脱衣籠の中に、汚れて丸められた自分の衣服があるのを見て、
「ワイシャツにスラックスに無地のネクタイ。タレントやモデルなら、もっとそれらしい服装をしていると思いますけど」と省吾の意見を否定した。
 なるほど。観察力はあるし頭もよさそうだ。となると、あの身分証は残念ながら本物だ。
「上着はどこでしょう?」
「なぜ?」
 急に尋ねられて、つい質問で返してしまった。彼は、自分が上着を着ていたことを覚えている、その上着を省吾が隠したことに気付いた。その予想が省吾を焦らせた。
「上着の中に、財布や身分証が入っていたかもしれないと思いまして」
「上着はなかった」
 省吾は強く言い切った。
「崖から落ちた時、木の枝にでも引っ掛けてしまったんだろう。でなけりゃ猿が毛布代わりに持って行ってしまったか」
 咄嗟に考えた言い訳が、するする出てくる。幾人もの恋人たちと仮初めの日々を送るうち、省吾が身に付けたスキルだ。
「そうですか。残念です」

 肩を落として、彼はパジャマに袖を通した。白いレースの付いたパジャマは、彼の透き通るような美貌によく似合った。
「……これって女物ですよね」
「我慢してくれよ。僕のじゃ大き過ぎるだろ」
「いいえ、構いませんけど。誰のなのかなって思って。省吾さんの彼女ですか?」
「うん、そう。別れちゃったけどね」
 え、と可愛らしい声を上げた後、彼は省吾に向かって済まなそうに頭を下げた。「立ち入ったことを聞いてすみませんでした」と素直に謝る態度に、省吾はますます彼に惹かれていく自分を感じた。人間、素直が一番だ。ツンデレだかヤンデレだか知らないが、いま流行りの女の子は複雑で面倒臭い。

「いいよ。彼女とは潮時だったんだ。そのおかげで君に会えたようなもんだし」
「え?」
「実はね、彼女が黙っていなくなったから探しに出たんだよ。この森は迷いやすいから心配でね。そうしたら君を見つけた」
「いいんですか。彼女を探さなくて」
「書置きがあった。男と一緒だとさ。君を家に連れ帰ってから、サンルームで見つけたんだ」
「一緒に暮らしていたのに書置きだなんて。ひどい話ですね」
「仕方ないよ。僕はこのご面相だからね」
「そんな」
 彼は省吾の言葉を鵜呑みにし、気の毒そうな顔つきになった。同情心が篤くて人を信じやすい性格。実に好ましい。施術を施すにも最適の人格だ。懸念があるとすればただ一つ。彼の上着の中に入っていた身分証だ。
 あの身分証が、省吾の決断を鈍らせていた。気持ちの上ではゴーサインは既に出ている。自分のような醜い人間は、美しいものにはとことん弱いのだ。とはいえ、彼の記憶が戻ったら。もし彼の仲間が彼を助けに来たら。彼の職業は省吾にとって、あまりにも危険だった。

 進むべきか戻るべきか、迷う省吾の背中を押したのは、他でもない彼だった。
「そんなの、ロクな女じゃないですよ。切れて良かったんじゃないですか」
「言うね」
「男の魅力はここです」
 そう言って彼は自分の薄い胸を叩き、ウッと顔をしかめた。背中の打ち身に響いたのだろう。
「省吾さんは親切で、初めて会ったばかりの僕にとてもよくしてくれる。僕は記憶を失って、何処の誰とも分からないのに。素敵な人だと思います」
 微笑まれて、省吾は泣きそうになった。
 本当に、この世には天使のような人間がいるのだ。人を疑うことを知らない、邪心のない美しい人。外見だけでなく、心の芯まできれいなひと。

 美しい人の美しい顔が、ふと曇った。躊躇いがちに訊いてくる、やさしさで潤った瞳。
「あの。僕、何かいけないこと言いましたか」
 堪えたと思っていたのは錯覚だった。省吾はとっくに涙を流していた。
 泣き笑いの顔で省吾は言った。
「そんなことを人に言われたのは、生まれて初めてだったから」




テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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