青木警視の殺人(2)

 あ、また1週間……本当に早いですねえ(^^;

 昨夜、歯医者に行ってきたんですよ。左の下の歯が痛くって痛くって。でも虫歯じゃないんですって。
 初顔合わせの下請さんと慣れない道路工事で緊張したのかなあ。昼間は現場、夜は書類で無理が祟ったのかなあ。
 とにかく、噛むとめちゃくちゃ痛いんですよ。右で噛んでても、だんだん痛みが増してくるんです。だからごはんがいつもの半分くらいしか食べられなくて。
 ダイエットしてると思えばいいのか。よし、2キロ痩せよう。



青木警視の殺人(2)






 人事部警務課から薪に連絡があったのは、薪がマンションを出る4日前。7月の終わりの日だった。

「特別監査? 青木にですか」
 監査課長室で通知書を受け取り、その内容に思わず唸る。彼の声は眉間に刻んだ皺の深さに相応しい低さで、かつ、不信と不満に尖っていた。
「何故です。私が再三推薦状を提出している岡部靖文警視や、或いはキャリア組最古参の今井警視ではなく、なぜ年も若く経験も浅い青木が」
「恐れ入りますが、薪室長。職員の監査、昇任人事に関する一切の決定権は我々人事部にあります。部下の階級を決めるのはあなたではない」
「それは私の人事考課が適正ではないという監査課長のご指導ですか。部下の能力も満足に測れないならさっさと室長なんか辞めちまえという人事部全体のご意見と受け取ってよろしいのですね」
「薪くん、薪くん、その辺で。葉山課長もそんなに怯えなくていいから。取って食われたりしないから」
 お目付役にと着いてきた田城が、薪の暴走にやんわりとブレーキをかける。課長の言い分が正しいことは薪も分かっていた。しかし納得できない。年功序列には拘らないが、第九には青木より仕事のできる者が大勢いる。警視正昇任の特別監査なら、彼らの方が先ではないか。

 薪の氷の視線に恐れを為したのか、それとも薪のバックに控えている人物への懸念か、葉山と言う名の監査課長は青い顔でカクカクと肩を揺らしながら、
「じ、実は、今回の監査は人事部の決定ではなく、長官の指示で」
「長官? 村山長官ですか」
「そうです、村山警察庁長官のご指示です。監査官も長官自ら選任されて」
 どういうことです、と拳を固めて詰め寄る薪に、葉山はいっそう鼻白み、
「わ、私はただこの通知書を薪室長に渡すようにと、それだけを託った次第で」
 震え上がる課長に軽く舌打ちして、薪は拳を開いた。机の上に置かれた通知書を細い指が取り上げ、ファイルに挟みこむ。

「青木一行警視の特別監査、よろしくお願い致します。それと」
 すっと頭を下げ、すぐに背筋を正す。上から目線の傲慢な態度で、薪は言った。
「長官が口止めしたかどうかは知りませんけど。僕なら、あなたのように口の軽い部下は重用しませんね」
 脅しといてそれ?!

 さっと踵を返して薪が課長室を出て行く後ろで、葉山課長と田城は思わず顔を見合わせる。後のフォローは田城に任せることにして、薪は真っ直ぐに官房室へ向かった。
 長官が一介の警視の特別監査を命じるなんて、あり得ない。この監査、絶対に裏がある。薪の知っている裏工作が得意な人間の中で、長官に影響を与えることができるのは官房室の策謀家だけだ。
 薪はそう予想して、しかしそれは的外れだった。持参した通知書を見せると中園は不思議そうに首を捻り、
「なんで青木くんなの? 岡部くんや今井くんじゃなくて?」
「それを聞きたくて来たんですけど」
 中園さんじゃないんですか、との問いに首を振る。本当に知らないようだった。
「村山長官の指示だって言うから、てっきり小野田さんが頼んだのかと」
「まさか。岡部くんの監査ならともかく、青木くんの出世のために長官に頭を下げるなんて。あの小野田がするわけない」
 それもそうだ。小野田はしごく個人的な理由で青木が嫌いなのだ。

「岡部の特別監査は、やはり難しいのでしょうか」
 名前が出たついでにと薪が訊けば、中園は渋い顔をして鼻から息を吹いた。人事部は警察庁の中で唯一、中園の支配が及ばない部署だからだ。
 以前、次長の娘婿である間宮隆二が警務部長を務めていたことからも分かるように、人事部は次長派の領地だ。役職者はすべて次長寄りの職員で構成されている。
 旧第九職員滝沢幹夫の帰国を機に巻き起こった3年前の事件で、次長派の勢力は大幅に削がれた。その後、派閥の分裂と寝返りは進み、次長派にとっては人事部が最後の砦と言ってもいい。そこを残しておくのは小野田の仏心、ではなく。その方が都合がいいからだ。
 ここで完全に次長派の息の根を止めたとしよう。すると、現次長に替わる新興勢力を、政敵の警視総監辺りが必ず押し出してくる。現在の三竦み状態は解消され、行き着くところは警視総監と次長のタッグチームとの全面戦争だ。今の時点でそれは避けたい。警視総監と雌雄を決するのは、小野田が警察庁の最高権力を握ったとき。警視総監と同等の力を持っていなければ、潰されるだけだ。
 小野田が次長職に就くには、あと一つ、決定打が必要だ。それまでは無力なナンバー2をお飾りに据えておく。それが官房室首席参謀の計画であった。
 警察内の勢力争いはさておき、問題は青木の監査だ。

「村山長官が青木くんをねえ。長官には別件でお願いしたことがあるけど、それとは関係ないだろうし」
「別件てなんですか?」
「きみは知らなくていいの」
「僕は次席参事官ですよ。官房室に関することなら知る権利が」
「だったら早く第九辞めて。官房室の人間になりなさい」
 バッサリと急所を責められて薪は口ごもる。第九と官房室の兼任なんて、我儘もいいところだと自分でも思う。その勤務体制のまま薪は次席参事官になった。小野田の娘との婚約が決まったからこその内部人事だったが、婚約解消の後も役職はそのままだ。小野田に特別扱いされていると陰口を叩かれても仕方ない。薪は殊勝に考えたが、官房長の愛人ならそれもアリだと思われている現実を知れば、陰口も立派な犯罪だと怒り狂うに違いない。

「岡部が……室長に就任するまでは」
 それが薪が官房室入りする条件であった。その時、それはさして遠くない日のことに思われた。当時の警務部長は岡部の能力を高く評価していたからだ。しかし、人事部は3年前の事件で総入れ替えされ、岡部の室長就任は難しくなった。法曹界の黒幕を炙り出した薪の尽力が、結果的に岡部の出世を潰した。皮肉な話だ。
「いっそのこと、第九は今井くんに託したら。今井くんならキャリアだし。推薦状も受理されると思うよ」
「でも、第九のことを一番よく分かっているのは岡部です。今井より経験もあるし、能力的にも」
 それだけではない。もっと大事なことがある。
「誰よりも皆に頼りにされてるし、誰よりも皆のことを思っている。室長を任せられるのは岡部しかいません」
 仕事の実績や能力、それら推薦状に書けることより、書けないことの方がより重要なのだ。室長として、第九をまとめていくためには。

「きみの気持ちも分かるけどさ。やっぱり無理があるんだよ。ノンキャリアが科警研の室長になるのは」
 ノンキャリアとキャリア組の格差は、未だ警察内にそびえ立つ大きな壁だ。そのことに薪は強い憤りを感じる。国民を犯罪から守るために必要なのは試験勉強ではなく、実地経験と鍛錬だ。それを何でも試験試験と、だから上層部は形骸化するのだ。
「その理屈はおかしいです。僕の経験から言うと、キャリア組の多くは部下の能力を引き出せていない。現場を経験していないからです。逆に、現場経験の豊かなノンキャリアの方が指導力、統率力ともに優れている。警察は学校じゃない、実戦部隊なんです。もっと実力主義を徹底すべきだと」
「改革案を推進する実力もないくせに、勝手なことを言うんじゃないよ。人事改革がしたいなら、まずは完全に官房室の人間になることだ。一人前の口を利くのはそれからだ」
 中園の叱責はもっともだった。今の宙ぶらりんな状態では、チームを立ち上げて企画を推進することもできない。大きな事件が起きれば、薪は第九に戻るしかないのだ。

「中園。あんまり薪くんを苛めるんじゃないよ」
 うつむいた薪に、助け船が出された。官房長の小野田だった。ちょうどドアを開けたところに、中園の声が聞こえたらしい。
「心外ですな、官房長殿。身に覚えのないことで疑われ、管轄外の人事を責められ。苛められていたのは私の方ですよ」
 薪の頬が羞恥の色に染まる。おどけた口調だったが、中園の言うことは本当だった。濡れ衣は事実だったし、人事の矛盾については訴えるべき相手を間違えていた。
「すみませんでした」
「謝らなくていいんだよ、薪くん。こっちだって、今きみを完全に官房室へ引き抜くわけにはいかないんだから。そうだろ中園」
 まあね、と肩を竦めた首席参事官に薪は首を傾げる。上官たちは、早く薪に第九を卒業して欲しいのではなかったのか。
「葉山監査課長が言ったことは本当だ。人事の決定権は人事部にある。当然、きみの後釜を決める権利も。次長の息のかかった警務部長に、次長派の警視長でも送り込まれてごらんよ。第九の機密情報が次長派に流れ放題だ」
「まあ、そういうこと」と小野田は腹心の部下の言葉を肯定し、ソファに腰を下ろした。上司に着いて、中園は応接ソファに移動する。下座に座って薪に手招きした。首席参事官室の応接セットは官房室のものより大分小さく設えられているが、3人の密談には十分だった。

「部下の話を立ち聞きとは。高潔な官房長殿がなさるとも思えぬ下衆な行いで」
「おまえと一緒にしないで欲しいね。田城くんから連絡をもらったんだよ」
 中園の隣に姿勢よく座った薪に、小野田はにっこりと微笑んで、
「薪くんのことだから。ぼくのところに来なけりゃ、此処だと思ったんだ」
 さすが官房長。薪の行動パターンなんかお見通しだ。
「一応お訊きしますけど。小野田さん、青木の警視正昇任を長官に進言なさったりは」
「まさか。彼を交番勤務に推薦するなら分かるけど、警視正になんて。ぼくの人を見る目が疑われてしまう」
 何もそこまで言わなくても。
 小野田の手酷い答えに、薪は胸を痛める。小野田が青木を疎んじるのは自分のせいだ。彼の娘よりも青木を選んだ。そのことで、恩人である彼をひどく傷つけた自覚はある。だから青木に関係することは小野田には言い難い。それで中園のところへ来たのだ。

「冗談はともかく、ぼくにも心当たりはない。様子を見るしかないだろうね」
「特別監査はけっこう厳しいぞ。身辺の整理をしておくよう、青木くんにはよく指導した方がいい」
「ご安心を。監査期間中は、僕はホテルに泊まりますので」
「いや、別にきみが家を出なくても」
「中園さんともあろう方が、なにを呑気なことを!」
 突然スイッチが入った人形のように薪はパッと身を翻し、中園に向かって一息に捲し立てた。
「特別監査ですよ。家の中のプライバシーなんかあるわけないじゃないですか。何時に風呂に入って足何回の裏洗って何時に寝て何回寝返り打って何回イビキかいたかまで全部調べられるんですよ?!」
 薪の剣幕に押され、中園は上半身を仰け反らせた。悲痛に叫んだ薪は、何を思い出したのか眼の縁に涙を浮かべていた。
「なに。薪くん、特別監査に嫌な思い出でもあるの」
「おまえが言うのかい、それ」
 やった方は忘れてもやられた方は忘れない。典型的な人間関係にため息を漏らしつつ、小野田は話題を切り替えた。

「それより薪くん。例の法案はどうなってる?」
「順調ですよ。再来週の水曜には閣僚会議で3回目の打ち合わせです」
 現在薪は、MRI捜査に関係する新しい法律案の制定準備を任されている。この法律が成立すればMRI捜査は物証と同等と見做され、第九の地位は揺るぎないものになる。薪としては、必ずや通したい法案であった。
「それはよかった。反対派も多いから、身の周りには気をつけるんだよ。外へ出るときには必ずSPを付けて」
「大袈裟ですよ。SPなんて」
「法案のトラブルは準備期間中が一番危ないんだ。油断は禁物だよ」
「大丈夫ですよ。僕には優秀なボディガードが付いてますから」
 薪の返答に少しだけ嫌な顔をする上司に微苦笑で敬礼し、薪は官房室を後にした。小野田は青木との仲を認めてはいるが、諸手を挙げて賛成してくれたわけじゃない。それが態度の端々に表れている。けれど、薪は今の状況に何の不満もない。そこまで望むのは贅沢というものだ。それよりも気になるのは、村山長官の意図だ。

 岡部や今井ではなく、未熟な青木をターゲットにした。悪意か、それとも。

 警察庁8階の長い廊下を歩きながら、薪は、青木の監査対策について思案を巡らせていた。


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ジャンル : 小説・文学

青木警視の殺人(1)

 ご無沙汰です。
 本格的に現場が動き始めたので、なかなかブログに来れませんで。1週間経っちゃいましたね~。

 さて。
 今日からの公開作は、「青木さんガンバレSS」第3弾でございます。
 青木さんが薪さん似の女性と不倫して殺して逃げる話です。(←何を頑張らせようとしているのか)

 巷で「生ぬるい覚悟」とやらが話題になってますけど、過去作ちらっと読み返しましたら、うちの青木さんの覚悟が半端なくてドン引きしました。我ながら無茶苦茶やらせたもんだ(^^;
 ああいうこと言っちゃうあたり、薪さんも若いねえ。
 なんでもね、行きすぎると人間、大事なものを失っちゃうからね。ほどほどがいいと思うよ、おばちゃんは。






青木警視の殺人(1)





 午後のコーヒーを挟んで、薪が言った。
「別居しよう」
 カラッと晴れた夏の昼下がり。しかし、その言葉を聞いた青木の視界には夜空を切り裂く稲妻が見えるようだった。

「――と言うわけだ。分かったか」
 雷の直撃を受けた青木に意識があろうはずもなく。続く薪の説明を、青木はまったく聞いていなかった。薪が喋っていた1分間、青木の時間は止まっていたのだ。
 澄ました顔で青木が淹れたコーヒーを飲む薪に、その伏せられた睫毛に心を奪われながらも、青木はやっとの思いで尋ねた。
「なんでですか」
「いま説明しただろうが。聞いてなかったのか?」
 聞いてなかった、そんな余裕はなかった。薪に見限られることは神さまに見捨てられるより悲惨だ。青木はクリスチャンではないから神さまに見向きもされないと感じても生きて行ける、でも薪に愛想を尽かされたと思ったら生きて行けない。いろいろ間違ってる気もするけど、事実なんだから仕方ない。

「もう一度言うぞ、あのな」
 それを聞いたら薪さんと別れなきゃいけないんですか?
 そんな恐怖が薪の声をシャットアウトする。説明なんか無意味だ。どんな理由を付けられたって青木は納得できない。薪の婚約者に子供ができたと聞かされても別れられなかったのだ。結婚した後も、彼女に隠れて会ってくれと薪に頼んだ。最愛の人を最低の人間に堕としめる行為をねだるような見下げ果てた男に、どんな説法も効くものか。
「だからおまえとは距離を」
「どうしてですか」
 質問を重ねる青木に薪が眉を寄せる。薪は聞き分けの悪い人間は嫌いだ。飲み込みの悪いバカはもっと嫌いだ。それは知っているけれど食い下がるしかない。青木にとって、これは死活問題なのだ。

「オレがごはん食べすぎるからですか」
「いや。生ゴミが減って助かってるけど」
「プライバシーの問題ですか。薪さんの部屋、掃除しないほうがよかったですか」
「いや。部屋がキレイになるのはうれしいけど」
「じゃあ夜ですか。最近、マンネリになってましたか」
「……何の話だ」
「わかりました! オレ、もっと研究して新しい技を」
「おまえはこれ以上僕の身体でなにを試す気だ!」
 まるで青木が薪の身体を弄んだような言い方だが、むろん青木にそんな美味しい記憶はない。保守的と言うか冒険心がないと言うか、薪はベッドの中ではしごく慎ましやかで、それはそれで可愛いのだけれど、若い青木には物足りないことがある。たまにはBC(市販の催淫剤)でもキメて、薪と二人、めくるめくような快感に浸りたい。でも、そんなものをこっそり使ったことが後でバレたらどんな目に遭わされるか。そんなわけで、薪と一緒に使いたくて買ったラブグッズは日の目を見ないまま、押入れの奥で埃を被っている。
「HEローション、使用期限過ぎちゃったよなあ……高かったのに」
「青木、いい加減にしろ。さっきから訳の分からんことを」
「訳が分からないのは薪さんの方ですよ。不満がないのに別れようなんて」
「別れるなんて言ってない。別居しようって言ったんだ」
 すみません。オレには両者の違いが分かりません。

「もう一度だけ説明してやるから」
「聞きたくないです!」
「なんで」
「それ聞いたら薪さんと別れなきゃいけないんでしょう」
「……ガキか、おまえは」
 首の後ろを掴まれて、ぐいと抱き寄せられた。柔らかいくちびるが重なり、すぐに薪の舌が入ってきた。ねっとりと絡められ、恍惚となる。気が付いたら夢中で吸い返していた。

「来週、幹部候補生の監査が入ることになった」
 息継ぎの合間にさらりと言われて、青木は薪の罠に掛かったことを知る。「薪さん、ズルイ」と膨れるが、薪が自分から仕掛けてくるときは何か裏があるのだと、何度引っ掛かっても学習しない青木も青木だ。
「この監査に合格すれば警視正への昇任もあり得る。大事な監査だ。だから」
「え。オレ、警視正になれるんですか」
 驚きのあまり、薪の話を遮ってしまった。最後の言葉の形に口を開いたまま、薪は少し意外そうに、
「おまえ、出世したいのか」
「はい。薪さんのお手伝いができるようになりたいです」
 薪が警視正の頃は、些少なりとも第九職員として彼の役に立つことができた。しかし薪の階級が警視長に上がり、官房室の職務の割合が増えてくると、青木のできることはなくなった。運転手兼ボディガードという立場にはいるが、もっと現実的な手助けがしたい。具体的には薪が家に持ち帰ってくる大量の仕事を手伝いたい。そのためには自分が出世するしかないのだ。

 薪は、つい、と青木から眼を逸らした。そのきれいな横顔には困惑とも悲しみともつかぬ憂いが浮かんで、それが青木には納得いかない。薪は毎年青木に警視正の昇格試験を受けさせる、だから自分に出世して欲しいのだと思っていた。その目標が近づいてきたのに、どうして悲しみを見据えたような瞳をするのだろう。
「いや、駄目だ。昇格試験に受かるまでは僕が認めん」
「ええ~」
 この人のこれは冗談ではない。直属の上司である薪の推薦がなければ、青木の昇進はない。やはり、地道に試験勉強をするしかなさそうだ。
「推薦と監査で昇進しようなんて、前世紀の悪習を踏襲する気か。あんな制度があるから、警察は上に行くほど堕落するんだ」
 薪は、つい先刻まで困惑に翳っていた瞳を強気な上司の色に染め替え、
「いいか、人間死ぬまで勉強だ。警察も法医学も法律も進化してる。僕たちは、学び続けなければいけないんだ」
 階級が上がっても、努力する姿勢を失わない。薪のこういうところが青木はたまらなく好きだ。十年後の自分もこうありたいと思う。

「とにかく、監査期間中は別居しよう。僕はホテルに泊まる」
「何故ですか。オレが薪さんのボディガードとして此処に住んでいることは正式に届が出てます。監査課も承知のことだと」
「おまえは特別監査の恐ろしさを知らないんだ」
 青木の甘さを叱るように、薪はぴしゃりと言った。
「前にも言っただろ。セックスで何回腰振ったかまで調べられるんだぞ。盗聴も盗撮もやりたい放題なんだ、あいつらは」
「まさか。いくらなんでも家の中までは」
「経験者の僕が言うんだ、間違いない。警視正の特別承認の時、小野田さんに写真付きの報告書が上がってて。後にも先にも、あんな恥ずかしい思いをしたのは初めてだ」
 その程度の恥なら日常的にかいている気もするが。女装の隠し撮り写真は言うに及ばず、シャワーシーンやら昼寝中の寝顔やら、共有スペースに薪のプライバシーはないと思って間違いない。本人が知らないだけだ。

 昔の羞恥プレイを思い出したのか頬を赤くした薪に、青木はぽんと自分の胸を叩いて、
「安心してください。監査の間は部下に徹します。薪さんには指一本触れません」
「1ヶ月だぞ。我慢できるのか」
「すみません。できないこと言いました」
「なんだ、その無駄な謙虚さは」
 何だと言われても。青木は自分を分かっているだけだ。
「誤解するなよ。僕はおまえとの関係を隠したいわけじゃない。でも」
 これはおまえのためなんだ、とは薪は言わなかった。そのココロは隠したい気持ちがゼロじゃない。自分の狡さを恥じるように、薪はくちびるを噛んで言葉を飲み込んだ。
 そんな薪を見ると青木は、彼が可哀想になってしまう。人間の気持ちに100%なんかあり得ない。人の心はそんなに単純じゃない。なのに、どうして薪は自分を恥じたりするのだろう。他人には厳しく、自分にはもっと厳しく。薪の許容範囲はダーツのトリプルリングよりも狭い。

「1ヶ月ですね。職場では会えるんですよね」
「そうだ。研究室からホテルまでの送り迎えもおまえの仕事だ」
「じゃあ楽勝です。幹部候補生試験の時よりずっと短いし、薪さんがフランス警察へ出向してた時より一緒にいられる時間は長いですから」
 口ではそう言ったが、それほど余裕ではないことは予想が付いた。顔を見ることができても、恋人としての時間を持てないことは辛い。一方通行に恋をしていた頃なら顔を見られるだけでも幸せだと思えたが、今は同じ家に住んで、休日になれば24時間共に過ごすのが普通だ。気持ちが通じ合っているのに手も握れないなんて、今からストレスで胃に穴が空きそうだ。
 予備の胃薬を買っておこうと心に決めて、にっこりと笑った。薪を困らせるくらいなら、青木は胃痛を選ぶ。

「いつからですか?」
「来週の水曜からだ。僕は明日からホテルに移る」
「そうですか。それじゃ」
「ちょっと待て。いきなり何の真似だ」
 ダイニングの椅子から青木の腕の中に、急に抱き取られて薪は抗議する。まだコーヒーの香気も消えていないのに、第一、日が高いうちから触れ合うことは薪の趣味ではない。それは重々承知の上、でも青木は引かなかった。この方面に於いて薪を困らせることを躊躇していたら、胃に穴が空くどころか精神が崩壊する。

 抱え上げて寝室へ運び込む。エアコンを掛けてベッドに座り、膝に載せた小さな身体を抱き締めた。
「1ヶ月分前倒しでお願いします」
「……それは後払いと言うことで」
「却下です。薪さんには踏み倒しの前科がありますから」
 激しく舌打ちしたところを見ると、今回も倒す気マンマンだったらしい。あからさまにそういう態度を取られたら、青木だって少しムッとくる。暴力に結びつきはしないけれど、アプローチに表れる。相手の準備を待たない性急さだとかいつもよりも激しい愛撫だとか、ダメと言われる場所をしつこく責め続けるとか。
 青木を受け入れるどころかまだ服も脱ぎ切らない状態で最初の精を絞られて、薪はとうとう悲鳴を上げた。

「せ、せめて分割払いで!」
「仕方ないですね。今日は前金ということで。残りは後日回収させていただきます」
「う。わ、わかった」
「大分未納が溜まってますから、それも一緒に」
「記けるか、普通」
 この機会に現状を把握してもらおうと、必需品を入れてあるヘッドボードの引き出しから青木が取出したのは、ハンディサイズのダイアリーノート。カレンダー枠の中に予定が書き込めるようになっているものだ。30個の予定欄の過半数にはハートマークとバツ印、稀にマルの印が記入されていた。
「僕、こんなに断ってたか?」
 先月だけでもバツ印は二桁。1ヶ月に20日超という青木のモーションは多過ぎる気もするが、断られるからお願いの回数が増えるのだ。その証拠に、丸印の後は4日ほど空白になっている。

「ごめん。おまえとこうするの、いやなわけじゃないんだけど」
 薪はノートを青木に返し、裸の腰にそっとシーツを被せた。昼間の情事を好まない彼の性質を思い出して青木は、続きは夜に持ち越そうかと考える。
 分かっている。薪だって本当は、青木と愛し合いたいのだ。このバツ印は仕事の都合で仕方なく――。
「疲れるから」
「……やっぱり一括返済してもらっていいですか」
「なんで?!」
 逃げ腰の薪を押さえつけ、青木が行為を続行したのは言うまでもない。



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Are you happy?(3)

 先日からの雑文、こちらでおしまいです。
 お付き合いいただいてありがとうございました。




Are you happy?(3)





「なんで僕なんだ」
 自分の不機嫌な声がして、薪は眼を開けた。正確には、開けたつもりになった。自分と鈴木がいる。ここはまだ夢の中だ。
 鈴木はパジャマ姿でベッドにいて、口に体温計を咥えていた。シチュエーションが分かりやすくて助かる。青木の風邪つながりで、鈴木が風邪を引いたときの夢だと知った。

 薪が警視正になる少し前、24、5の頃だったと思う。妹がテニス部の試合だとかで母親は外出していた。せっかく休みが取れたのだからオレも応援に行きたかった、とそれは鈴木が病気になったから有給が適用されただけだろうと電話口で突っ込んだ憶えがある。夏休み真っ只中のこの時期、おいそれと休暇が取れるほど世間は独身者に甘くない。薪のように何年も有給休暇を棚上げにしていたせいで課長が人事部に絞られて強制的に休暇を取得させられた者でもなければ。
「雪子さんに看病してもらえよ。医学生の彼女以上の看護師なんて、この世にいないぞ」
 そう言いながらも、全然迷惑じゃなかった。病気で弱った鈴木に頼ってもらえたことがむしろ嬉しくて。でも、それを表面に出すわけにはいかなかった。

 複雑な気持ちを抱える薪に、鈴木はベッドの横に置いてあった片手鍋を差し出した。促されて蓋を開けてみると、中にはペースト状の物体が異臭を放っていた。色は焦げ茶色で、どういった化学反応からか所々に緑色の斑点があった。
「なにこれ」
「雪子のおかゆ」
 雪子が大学に行く前に家に寄って、鈴木家の台所で拵えたと言うそれは、間違いなく救急車が必要になるレベル。おそらく台所も酷い有様なのだろう。鈴木はその後始末をして欲しくて自分を呼んだのだ。
 果たして、強盗事件の現場のようになっていた台所を片付けながら、薪は鈴木の食事を作った。夜食に好評だった鶏肉と卵の雑炊。お粥では味気ないだろうし、ロクな栄養も摂れないだろうと思ったのだ。
 それは間違いだった。鈴木は喜んで食べてくれたけれど、風邪で弱った胃腸に、たんぱく質は不向きなのだ。必要なのはエネルギーに変換されやすい炭水化物とビタミン類。よって、雪子が作ったネギ入りのお粥が正しい。食べられる状態で供されれば、の話だが。

「ごちそうさま。美味かったあ」
 食後に、救急箱に入っていた総合感冒薬を飲ませた。雪子はそれも用意して行かなかった。気が利かないと思ったけれど、薬は自然治癒力を下げる。できれば飲まない方が全快するのは早いのだと、これも後で知った。
「これだけ食欲があれば大丈夫だと思うけど。他に何か欲しいものある?」
「悪寒がする。熱があるんだと思う」
 額に手を当ててみたら、少しだけ熱かった。
「とりあえず、氷嚢と水枕だね」
 熱があれば水枕。叔母の家でずっとそうしてきた薪は、当たり前のようにそれらを用意したが、熱の上がり始めで悪寒がするときの水枕は逆効果で、そもそも風邪の熱は下げない方が治りが早いのだそうだ。体力のない子供や老人ならともかく、健康な成人男子なら38度くらいまでは解熱剤は使わない方がよい。結果として薪は、甲斐甲斐しく鈴木の世話を焼いたものの、逆に悪寒を強める結果になってしまった。

「鈴木。大丈夫?」
「すげえ寒い」
「夏だよ?」
「熱、上がってきたみたい。関節痛てえ」
 鈴木が苦しむ様子を見て、薪は心配そうに眉を寄せる。「風邪なんか気合で治すもんだ」と、後輩になら言える台詞が鈴木には言えなかった。
「薪。となり来て」
「え」
 咄嗟に顔を歪める。瞬時にそんな表情ができたことに、薪は満足していた。
「やだよ。キモチワルイ」
「なんにもしないから」
「なに言ってんだよ、バカ」
「だって寒いんだもん。鈴木くん、凍えちゃう」
「じゃあ雪子さんに電話を」
「雪子は解剖実習中」
 監察医志望の雪子にとって、その実習は外せないものなのだろう。薪だって、たまたま休暇を取っていなければここには来れなかった。同じことだ。

 素っ気ない言葉とは裏腹に戸惑う様子の薪の手を、鈴木は強引に引っ張った。病人相手に無体な真似はできないと自分に言い訳しながら、薪は彼の隣に入った。長い腕に抱かれる。ベッドの中は懐かしい鈴木の匂いが充満していて、薪の胸を切なさでいっぱいにした。

 ドキドキする。心臓が痛いくらい。息もできないし、先にこっちが死ぬかも。

「あったけー」
 呑気に笑う彼に、腹が立った。
 鈴木は平気なのか。僕だけがこんなに苦しくなって、不公平だ。
「なんか懐かしいな、こういうの。学生の頃はよく一緒に寝たよな」
 この状態でそれ言うか?
 無神経にもほどがある。単なる友だちとして清らかに同衾した時期もあったけど、そうじゃない季節もあったのに。こうなったら一言も喋ってやるもんかと、薪は黙って息を殺していた。

 やがて静かになった鈴木の顔をそっと窺って見ると、気持ち良さそうに眠っていた。風邪薬が効いたらしい。
 見上げた彼の寝顔は、憎らしいぐらいハンサムだ。顔も身体も、男ならこうありたかったと、薪の憧れの男性像がそこにある。
 あの頃もこうして、長い時間彼の寝顔を見ていた。片思いの頃も、恋人同士になってからも。――そして今も。
 僕だけが立ち止まったまま。先に進めないでいる。
 鈴木はとっくに忘れてしまったのだろう。もう何年も前のことだし、それほど長く付き合ったわけでもない。別れようと言いだしたのは鈴木の方だ。それはお互いのためでもあったと、今は分かっている。

 薪も努力はしている。
 捜一に入って現場に身を置いたのだって、自分を鍛え直したかったからだ。精神的にも肉体的にも強くなれば、鈴木への依存心も薄れると思った。
 彼に、相応しい男になりたかった。
 なのに。
 こうして触れ合ったら、自分でも信じられないほど彼が好きで。この腕を解かないで欲しいと願う自分がいて。
 あり得ないけど、鈴木が熱に浮かされて自分と雪子を間違えて迫ってきたら、それでも拒めないだろうと思った。鈴木に愛されたいと思う気持ちの前にはプライドなんか何の役にも立たなくて、こんなだから鈴木に愛想を尽かされたんだと分かっているのに、そんな弱さを克服したくて彼と距離を置いたのに。
 たったこれしきのことで昔に戻ってしまう、自分が情けなかった。
 今だって、鈴木が眠ったのだから自分は此処を出るべきだ。ここは僕の場所じゃない。でも、身体が彼を求めてる。腕が自然に伸びて、彼の背中を抱き締める。彼と重なり合った部分が叫び声を上げる。このままずっとこうしていたい。

 突然鳴りだしたメロディに、薪はびくりと肩を上げた。
 音源は鈴木の携帯電話で、相手は雪子だった。薪は慌ててベッドを出た。
 鈴木の病状を心配して、実習の休み時間に掛けてきたのだろう。薪は鈴木の友人なのだから、彼の代わりに電話に出て、「鈴木は今は眠っています。大丈夫ですよ」と彼女を安心させてやればいい。でも、できなかった。薪は鳴り続ける電話を放ったまま、鈴木の家を出た。

 ひどい罪悪感に襲われた。
 恋人がいる男と同じ布団に入って、彼と抱き合った。
 ただの友人ならいい。でも自分はまだ彼が好きで、その気持ちを隠して彼らと付き合っている。それは欺瞞であり、彼らの信頼を裏切ることでもある。
 この気持ちが消えないうちは、彼らの傍にいるべきじゃない。

 申し訳なさと自己嫌悪でいっぱいの頭を抱えて、薪は殆ど意識のないまま街を歩いた。気が付いたら。
「なんでいるんだよ、薪坊。課長に見つかったら雷落ちるぞ」
 薪は職場にいた。場所は捜査一課で、薪に声を掛けたのは先輩の世良だった。
「こういう場合って普通は知らない女の子に逆ナンされてホテル行っちゃうパターンですよね。つまんないなあ」
「なに訳の分かんねえこと言ってんだ。それより、お台場で殺人事件が起きてよ」
「僕が課長に見つかったら雷じゃなかったんですか」
「課長の雷が怖くて捜一のエースは張れねえよ」
「ほう。いい度胸だな、世良」
「げ。き、聞き込み行ってきます」
 途中まではカッコよかったのに。世良の後ろ姿に、薪は呆れ口調で呟いた。
「言葉と行動が一致しない人だなあ」
「まったくだ。ところで薪」
「はい」
「休暇前におれが言ったこと、覚えてるか」
「ええ。『てめえがまともに休み取らねえせいでおれが警務部長に怒られたじゃねえかよ。1時間も説教食らったんだぞ、冗談じゃねえ。10日ばかりその顔見せるんじゃねえ』でしたよね」
「レコーダーみてえに一字一句繰り返してんじゃねよ! 実行しろよ、ばかやろう!」
「……すみません」
 課長の雷は、夢でも怖かった。



*****




 翌朝、目を覚ました薪はベッドの中で部屋の天井を見ながら、夢の続きを思い出していた。
 あのあと、表で待っていた世良と一緒に現場に向かった。そのことが課長にバレて、二人して思いっきり怒られた。が、犯人は3日で逮捕した。そして二人の命令違反は帳消しになった。
 次の年、薪は小野田の勧めでロス警察に研修に行った。海外研修は警察官僚の箔付けのようなもの。最高得点を塗り替えて警視正試験をパスしたのだから、断ろうと思えば断れた。でも薪は自分から行くと言った。日本を、彼らの傍を離れる必要があると思った。

 現在に戻ってきて、薪は自分の周りを見る。
 あの頃と違う家。違うベッド、違う家具。それから。

 ふと横を見る。ちょうど薪の鼻先で、同居人が目を覚ましたところだった。
「薪さん。おはようございます」
 そう言って上半身を起こし、間の抜けた顔でへらっと笑った。間抜け面がますますバカっぽく見えた。
「青木」
 はい? と首を傾げた青木の隣で、薪はゆっくりと起き上がる。一つの毛布を分け合った彼を見上げて、思ったことを言葉にしてぽんと投げた。
「すきだよ」

 おまえが好きだよ。大好きだよ。

「すみませんっ」
 ……好きって言われてなんで謝ってんだ、こいつ。
「オレの風邪、伝染っちゃったんですね? 熱に浮かされて譫言を」
 うん。奴隷根性もここまでくると究極体だな。
「ごめんなさい、オレのせいです。オレが看病しますから、薪さんは寝ててください」
 朝はおかゆにしますね、とベッドから抜け出した彼の腕を捕まえる。ベッドの上に膝立ちになって、それでようやく彼との高低差がなくなる。前髪を上げて額を着ければ、そこには薪と同じ穏やかな体温。熱が下がってよかった。

「今日一日、大事を取って休め。朝食は僕が作る」
 風邪は治りかけが肝心だ。ここで無理をすると高確率でぶり返す。
「いえ。もう大丈夫です」
「僕に刃向かう気か」
「でも」
「それ以上、一言でも言い返してみろ。雪子さんの作ったおかゆを食べさせるぞ」
 ひっ、と引きつった顔で、青木はベッドに逆戻りした。雪子の料理は思わぬところで役に立つのだ。
「今朝は卵粥にしてやるから。大人しく寝てろよ」
「はあい。あ、大盛りでお願いしますねっ」
 病気になっても食欲だけは衰えない男だ。呆れるやら羨ましいやらで、薪は返事をする気にもなれなかった。黙って寝室を出ようとすると、青木に呼び止められた。

「薪さん」
 ドアを開けたまま振り返る。ベッドの上から青木は、真っ直ぐに薪を見ていた。
「オレも大好きです。薪さんのこと」
 無邪気な笑みと一緒に投げられた言葉を、薪はそっと自分の胸にしまいこむ。
「は。そんなこと」
 鼻先で嗤ってドアを閉めた。背中に青木のうめき声。聞いて薪は、クスクス笑う。

 そんなこと。
 言われなくても知ってるよ。


(おしまい)


(2014.7)


 しづしば~。

 ねえ知ってる?
 薪さんは今のままで満足してるけど、相手に気持ちを伝えられる幸せも現実にあるんだって。
 それは決して特別なものじゃなく、普遍的なものであっていいんだって。
 だから薪さんも、あーーー。 (←飛ばされた)

 毎日ひとつ、薪さんLOVE、らんらんらん♪ ふふ。

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Are you happy?(2)

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 管理人はMisaさんとおっしゃいまして、主な記事は薪さん愛がたっぷりと詰まった楽しいレビューです。
 Misaさんのレビューは、捉え方が素直でやさしいので、読んでいてほっこりさせられます。あんな凄惨な事件なのに、Misaさんのレビューを読んでいると何もかも丸く収まるような気がしてくるの、不思議。
  スピンオフからの新しいブログさんなので、チェックがお済みでない方はぜひどうぞ(^^




 

Are you happy?(2)






 部下を全員定時で上がらせ、室長会の定例懇親会を岡部に押しつけて、薪は六時にマンションに帰ってきた。玄関のロックを解除し、背後を固めるSPたちに中に入るよう指示をする。
「それはキッチンの床下収納庫、そっちはシンクの上の棚。日付順に並べておいてくれ」
 帰りに買い物するから途中で下ろしてくれ、と頼んだら、家まで送ると彼らが言い張るから頭にきて、米や味噌など重量級の品物を大量に買い込んでやった。とても一人で運べる量ではなかったから彼らが家まで運んでくれたわけだが、もしかしてパワハラだったかもしれない。
 片付けは彼らに任せて、寝室に向かう。たかが風邪とは言え青木は病気知らず。普通の何倍も辛いに違いない。
 ましてや、独りで寝ていると心細くなるもの。早く顔を見せて安心させてやりたかった。

「あれっ」
 青木は寝室にはいなかった。不可思議なことに、ベッドがきちんとメイクされている。
 医者に行ったのだろうか。こんな時間に? それともトイレ?
 どちらもおかしい。病人が僅かな時間ベッドを離れるのに、いちいちメイクなんかしないだろう。

「おかえりなさい。早かったんですね。こほっ」
 マスクの下でくぐもった咳を繰り返しながら青木が出てきたのは、なぜかクローゼットルーム。どうしてそんなところに、と尋ねようとした薪の声に、片付けを命じておいたSPの質問が重なった。
「薪室長。塩はどこへ」
「お酢と一緒に床下。洗剤はシンクの下。洗濯用と間違うなよ」
「薪さん、お客さまにそんなこと。オレがやります」
「客じゃない。SPだ」
「余計マズイじゃないですか。警視総監に叱られますよ」
 SPは警視庁警備部の職員だから、大雑把に言えば警視総監の部下だ。警視庁に戻った彼らから、薪が、警護以外の仕事をSPに押し付けたことが伝わる可能性がないとは言い切れないが、そんなことはどうでもよかった。

「いいからおまえは大人しく寝てろ。てか、なんでクローゼットに布団?」
「薪さんに伝染ったら大変ですから」
 遠慮深い青木らしいけれど、クローゼットみたいに埃っぽい場所にいたら治るものも治らないだろう。
 でも、こいつはそういうところが可愛いんだ。病気なんて滅多にないことだし、今夜はちょっとやさしくしてやろうか――、
「病人をクローゼットに」
「噂通りの冷血漢だな」
 ――オボエテロよ、青木。
 年に数回しか発揮されない薪の希少なやさしさを粉砕したとも知らず、SPたちの内緒話は続く。
「あのクールさが魅力なんだよな」
「さすが女王さま。たまらないなあ」
 SPの隠語はよく分からない。
「ヒールで踏まれたい」
「『豚野郎』とか罵られたい」
 分かりたくない。
 ともあれ、これで警視庁警備部にも自分の悪評が流布されるのだろうと薪は少々憂鬱な気分になったが、現実には薪の家に入った二人が英雄になったことと、一部のマニア熱に拍車が掛かったことは知らない方が幸せかもしれない。

「ずいぶん買い込みましたねえ。別に、今日じゃなくてもよかったんじゃないですか」
 SPたちが引き上げた後、収納庫に入りきれず、キッチンの床に並べられた米や調味料の山を見て、青木は苦笑いした。
「SPを家政婦扱いなんて、薪さんたら、ごほごほっ」
「だから寝てろって。おかゆ、作ってやるから」
「いいですよ。薪さんはお仕事でお疲れなんですから。レトルトで充分です」
「いいから。それと、クローゼットは収納庫で寝る所じゃない。寝室で寝ろ」
 薪に睨まれて、はあい、と彼は亀のように首を竦めた。自分の睨みが健在であることに満足を覚えると同時に、叱られた子供みたいな彼がかわいいと思った。
 そのとき薪は、青木にプレゼントされたアルファベット柄のエプロンを付けて、右手には小さな土鍋、左手には長ネギ。叱責を怖がるどころか長ネギの代わりに刻まれたいくらいの愛らしさだと青木は思っていた。その事実に彼が気付かなかったのは、それを口に出さないだけの賢明さを青木が持ち合わせていたからに過ぎない。

 粥は米から炊くと、四十分くらい掛かる。シンプルな割に待ち時間の長い料理だ。冷ご飯に水を加えて作れば早いけれど、それでは米の甘みが出ない。出汁で炊く雑炊なら味はごまかせるが、風邪で弱った胃腸にはよくない。
 米と規定量の水を強火に掛けて、煮立ったら弱火にする。鍋の上下を木べらで返して、後は蓋をずらして待つだけだ。
 粥が出来る間、病人がちゃんと休んでいるかどうか見回りに行くことにした。薪もそうだけれど、症状が軽い時はついベッドの中で本を眺めたりしてしまうものだ。それだと脳が休まらないから回復が遅くなる。もしそんなことをしていたら盛大に叱ってやろうと期待しながらドアを開けると、青木は仰向けになって目を閉じていた。枕の下に雑誌を隠した様子もない。こいつ、風邪のときは優等生だ。

 額に手を当てると、いくらか熱かった。夜になると熱は上がる傾向が高いから、これからまた発熱するのかもしれない。
「薪さんの手、冷たくて気持ちいいです」
「料理中だからな。あと三十分くらいで出来るから、ここへ持ってきてやる」
「ありがとうございます」
 額に載せた薪の手の甲に、青木の大きな手が重なる。熱のせいか、とても温かった。
「風邪っていいですねえ。薪さんにやさしくしてもらえるの、幸せです」
「なに言ってんだ。僕はいつもやさしいだろ」
「え。あ、はい。……はあ」
「なんだ、最後のため息は」
 いつもなら蹴りがいくところだけど、今日は特別だ。元気になったらまとめて返すけどな。

「退屈だろうけど、雑誌やテレビは禁止だぞ。その方が早く治る」
「平気です。枕に薪さんの匂いが着いてるから」
 微笑ましいと思った。子供が病気で心細い時に母親のエプロンを預けると安心してよく眠れるのと同じで、恋人の香りが心を休めるのだろう。
「アロマセラピーみたいなもんか」
「や、この匂いを嗅いでると妄想広がっちゃって。退屈なんかしてる暇ないです」
 そんなことを考えてるから熱上がるんだよ、バカ。

 照れ笑いする青木の額をぱちんと叩いて、薪は台所へ戻った。料理の仕上げに掛かる。
 付け合わせの梅干しは刻んでシラスと和える。水分はたっぷり摂った方がいいから、他にスープを作る。薄味のみそ汁に、みじん切りにした長ネギをこれでもかと言うほど浮かべる。食後のデザートはビタミンCを豊富に含むイチゴ。
 質素だけど、風邪は身体を休めるのが一番だ。消化にエネルギーを要する肉や魚は避けた方がよいのだと、昔雪子に教わった。
 出来上がった夕食を寝室に持っていくと、青木は嬉しそうに起き上った。ぶんぶんと飛び回る尻尾が見える。
「風邪を引いても食欲が衰えないとは。見上げた食い意地だ」
 薪が呆れるくらい青木の食は進み、一人炊きの土鍋はあっという間に空になった。物足りなそうな顔をしているので、追加のリンゴを剥いてやったらそれも食べた。一瞬、仮病じゃないのかと疑いを持ったが、首に触ってみたらやはり熱かった。

「大人しく寝てろよ」
 妄想も禁止だぞ、と釘を刺して、食事の後片付けを済ませた。それから一人で風呂に入る。青木に邪魔されない貴重なバスタイム、ゆっくりと羽根を伸ばしたかったのに。青木の首の熱さが気になって、ちっとも楽しめなかった。誰かと一緒に暮らすのって、やっぱり面倒だ。
 一人なら心配なんかしない。青木が病気をしたら気にはなるだろうけど、一緒にいられなければ出来ることは限られている。そういう状況なら多分、たかが風邪だと割り切ってしまえる。
 でも、こうして一緒に暮らしていたら。
 あれもしてあげたい、これもしてあげたいって。頼まれてもいない仕事は増える一方で。バスタイムは薪の一番の楽しみになのに、それすらおざなりになっていく。
 彼の傍にいてやりたいと思ってしまう気持ちの、なんて強いことだろう。「たかが風邪」なのに、我ながら過保護すぎる。

 自嘲しながら寝室を覗くと、果たして彼の病状は悪化していた。さっきより顔色が悪くなっている。
「どこか痛むか」
「脚の関節が、ちょっとだけ」
「悪寒は」
「少しあります」
 帰りが早かったから時刻は未だ八時前で、風呂を済ませても寝るには早すぎたけれど、病人に付き合ってやることにした。

「ダメですよ、薪さん」
 パジャマ姿で隣に入ろうとした薪を、青木が押し留める。
「人間の体温で温めるのが一番効くんだぞ」
「でも、伝染ったら大変ですから」
「風邪は空気感染だ。もう手遅れだ」
 論破して、いつもの場所に納まった。長い腕を取り、自分の腕と絡ませる。ついでに脚も絡ませてやると、薄いパジャマを通して彼の熱が感じ取れた。彼の身体は乾いた砂漠みたいだった。

「どうだ」
「あったかいです。すごく」
 薪の腕の中で青木は言った。
「裸だと、もっと温かいと思うんですけど」
「風邪引いてるのに?」
「でも、このパターンて普通は」
「普通? おまえの地元では、子供が風邪引いたときにお母さんは裸で添い寝するのか」
「……わかりました」
 裸なんて病気にいいわけがない。健康体だって裸で寝てたら風邪を引くのに。頷いておきながら、しかし青木はブツブツ言うのを止めなかった。
「つまんないなあ。他のところではみんな」
「よそはよそ、うちはうち!」
「……すみません」
 首の後ろに爪を立ててやったら、青木は謝罪して沈黙した。やっと大人しくなった、と薪は心の中で安堵する。病人は黙って寝てるのが一番だ。

 彼を安静にさせたことに薪は満足するけれど、青木の心中は複雑だ。正直な話、薪が傍にいると落ち着かない。わくわくとうれしくなって、はしゃいでしまうのだ。
 青木だって人間だから、咳や悪寒程度の風邪は引く。そんな時は早めに休めば、翌朝にはスッキリと起きられたのだ。
 でも、薪と一緒に暮らしはじめたら。もったいなくて早寝ができない。
 だってそこに薪がいる。顔が見られる、声が聴ける。手を伸ばせば触れ合えるのに、寝てる暇なんかあるわけがない。そんな理由で、別々に暮らしていた時よりも、青木の睡眠時間は確実に減っている。それは自覚していた。
「疲れが溜まったんだろう」と薪に言われて反省した。
 薪と一緒に暮らせることになって、舞い上がっていたせいだ。これからは気を付けないと、彼に迷惑を掛けてしまう。今日だって、薪にしてみたら早退けに近い時間に帰ってきたのだ。きっと仕事を残してきたに違いない。それなのにこうして青木に付き合ってくれて、腕枕までしてくれる。怒られてばかりだけど、すごくやさしくされてる。申し訳なくも幸せだった。

「薪さん。そろそろ体勢変えないと、また腕が」
 痺れますよ、と言い掛けて青木は口を噤んだ。上から、妙に規則的な呼吸が聞こえてくる。顔を上げると薪はすでに眠っていた。
 時計を見れば、まだ八時半。この時間に熟睡することは子供でも難しい。
 本当に疲れているのは薪の方で、だから横になるとすぐに眠ってしまうのだ。決して年のせいではなく。
 亜麻色の頭をそっと浮かせて、自分の肩に載せた。薪は2、3回、いやいやをするように小さな頭を振ったが、やがて落ち着きどころを見つけたらしく、「ふうん」と満足げな声を洩らした。
 ……かわいいっ。
 寝息を深くする彼の頭を撫でながら、やっぱり眠るのはもったいない、と思う青木だった。



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Are you happy?(1)

 い・そ・が・し・いっ!
 もう本当に忙しい! 文字通り、心を亡くすほど忙しいっ! メロディ、まだ2回しか読めてないよー!

 でもどんなに忙しい時でも、薪さんは「僕は忙しい」と言わない。そんな暇はない、と言うことはあるけど、忙しいとは言わない。心を亡くしたら、薪さんの仕事はできないんだろうなあ。
 時間は作るもの。わたしも薪さんを見習って、時間を作ってブログの更新します。(仕事から逃げてるだけだろうとか言わないでw)


 が、さすがに長編の再読は無理なんで(^^;
 予告いたしました「青木さんがんばれSS」(「あの内容で?」とか言われそうだ)の前に、メロディ10月号で凹んだとき、リハビリに書いた雑文をひとつ。

 自分の気持ちをオープンにしないのは薪さんのデフォルトだと思うし、薪さん自身、そんな自分を不幸だとは露程も思っていないに違いない。薪さんが青木さんに手にして欲しい幸せは、青木さんが望む「薪さんと家族になること」じゃない。その信念に基づいて行動している。自分の気持ちを無理やり押さえてるんじゃない。やりたいからやってるんだと思う。
 それでも言いたくなっちゃうんだよなあ。こんな形の幸せもあるんだよって。
 わたし、おばちゃんだから。おばちゃんて、お節介な生き物なんだよ☆





Are you happy?(1)




 鬼のかく乱か青木の風邪か。六年目にして、初めて彼が寝込むところを見た。

「ウィルスを拡散するな。大人しく寝てろ」
 朝、ゴホゴホやりながら出勤のために起きてきた彼に、厳しく言い付ける。風邪と言うのは病気ではなく、疲れが蓄積し過ぎて体力の限界を超えたときに働くリセット機能みたいなものだ。大人しく寝ていれば三日で治るのに、無理に動くからこじらせたりする。そんな理屈で彼を寝室へ戻らせようとする薪に、青木は熱で潤んだ瞳を向けて、
「毎回毎回、意識不明になるまで我慢しちゃう人に言われても、ごほっ」
 ンだと、こら。
 風邪は気合で治すが薪のポリシーで、実際それで上手く行くときもある。しかし風邪ウィルスは宿主の気が緩んだ途端急激に増殖する性質を持っていて、瞬間的に身体を乗っ取られたようになる。それが意識混濁の原因であり、決して自分の体調管理が未熟なわけではない。ちょっと油断しただけだ。

「職場のみんなに伝染されたら困る。寝てろ」
「はい。――あ、薪さん。ロビーにSP呼んでおきましたから。勝手に行かないでくださいね」
 部下の手回しの良さに、薪は思わず舌打ちする。
 余計なことを。久しぶりに電車に乗れると思ったのに、がっかりだ。
「オレの風邪が治ったら、電車でお出掛けしましょうね」
 その上、子供っぽい我儘を見抜かれたと思ったらめちゃくちゃ腹が立った。薪は盛大に舌打ちし、「行ってらっしゃい」の声に答えもせずに玄関の戸を閉めた。



*****




「室長。渋谷の強盗殺人の報告書です」
 窓の外を眺めながらコーヒーを飲んでいた上司に、今井は声を掛けた。すぐに机に戻って報告書を手に取る、彼の敏捷を好ましく思う。役職者の中には、報告書の類はまとめて夕方に処理する者も多い。ろくに中身も見ないで判を押すだけならその時刻で充分、というわけだ。
 この上司にあってはそのようなことは絶対にないし、その精査は必要以上に厳しい。だから製作者側にも気合が入る。点の辛い彼に一発で承認印を押してもらえた職員は、第九では密かな英雄になる。

「鞄から被害者のネックレスがはみ出していた、と。確定だな」
 パラパラとページをめくりながら、決め手になった証拠について確認する。事件の概略を知っているとはいえ、あの早さで報告書を流して理解できるのだから、やっぱり薪の能力は飛び抜けている。この人には逆らえないと職員たちが思うのは、階級よりもむしろ、こうして圧倒的な力の差を見せつけられたときだ。
「いつも洗練された報告書で助かる。よくまとまってるし、内容が頭に入りやすい」
「恐れ入ります」
 詳しい精査は後で行うのだろうが、とりあえずは及第点だ。ホッと頬を緩めた今井の前で、薪が飲みかけのコーヒーに手を伸ばす。その細い指はカップの取っ手を掴み、持ち上げかけて止まった。小さく揺れたマグカップの白い内壁で、限りなく黒に近い焦げ茶色の液体がやるせなく波打つ。
 薪の口元に運ばれることなく沈黙したコーヒーを見て、今井は、病欠の届が出ている後輩を思い出した。

「青木、風邪ですか」
 ああ、と生返事を返しながら薪は、再度報告書に目を落とす。薪は青木が淹れるコーヒーが大のお気に入りだ。今日はそれが飲めなくて、残念な思いをしているのだろう。
「珍しいですね。あの元気の塊みたいな男が」
「バカは風邪引かないってのは迷信だな」
 皮肉を言いながら、ふっ、と笑った。薪が仕事中に冗談なんて珍しいことだ。鬼の室長も青木と暮らし始めて人間らしさが出てきたか、と今井はなんだか嬉しくなって、仲間内で話すときのように軽い口調で言った。
「そう言えばこないだテレビで、『バカは風邪を引かないのではなく、風邪を引いたことに気付かないんだ』って言ってましたよ。青木はこれまで独り暮らしだったから、その状態だったんじゃないですか」
「そうかもしれないな。……やり直し」
「え」
 分厚いファイルを突き返されて、今井は戸惑う。付箋も赤ペン添削も無いんですけど、これはいったいどうしたら。
「あの……どの辺りを」
「言わなきゃ分からないのか」
 無意識に持ち上げたマグカップを、今度はあからさまに机に戻して、薪は別の書類に手を伸ばした。絶対拒絶のオーラが出ている。賢明な今井は、一礼してファイルを持ち帰った。

 ドアを開けると、小池と曽我のコンビが揃ってニヤニヤしていた。中の様子を窺っていたに違いない。肩を竦めた今井に、笑いながら小池が、
「あの人、自分が青木の悪口言うのは平気だけど、人に言われると面白くないんですよ」
「知ってるよ。失敗したー、つい軽い気持ちで言っちゃったんだよ」
「根に持つタイプですからね。一週間は苛められますよ。お気の毒に」
「おまえも気を付けろよ」
「大丈夫。簡単ですよ、逆に褒めればいいんです」
 自信に満ちた足取りで、今井と入れ替わりに中に入っていく。曽我と二人、ドアに張り付いて聞き耳を立てていると、小池の報告書にも難はなかったようで、「ご苦労だった」と言う室長の言葉が聞こえてきた。

『薪さん、青木は本当に優秀ですよね。たまに休まれると、あいつの重要さが分かります』
『そうか。具体的にはどんな?』
『ええっと、掃除とか買い出しとかお茶汲みとか。ホント面倒で』
『そういった雑用を、まだ青木一人に押しつけてるのか』
『ち、違いますよ。押しつけてるわけじゃなくて、あいつが進んで』
『同僚として感謝している?』
『もちろんです!』
『では週末の青木のバックアップ当番、おまえにシフトでいいな』
『え』
『普段の感謝を表す意味でも、喜んでやってくれるよなあ、小池』
『……はい』

 情けない顔で出てきた小池に、吹き出したいのを堪えるのが大変だった。隣で今井と同じように顔を赤くしていた曽我が、ようやくに笑いの衝動を治めて、
「バカだな、小池。おれは失敗しないぞ」
 ムッとした表情の小池に、曽我は邪気無く言った。
「青木は確かに仕事できるけどさ、薪さんみたいにズバ抜けて仕事できる人にそこをプッシュしても当たり前だって思われるだけだろ。それよりは青木の人柄を褒めるんだよ。結局は薪さんだって、青木のそういうところが気に入ってるんだから」
 曽我がドアの向こうに消えて、今度は小池と二人でドアにへばりつく。そんなことを繰り返していれば他の職員が関心を持つのは当然のことで、曽我の舞台は満員御礼の大賑わいとなった。

『薪さん。青木がいないと、第九は火が消えたようです』
『そうか』
『第九だけじゃないですよ。あいつ、庶務課や総務の女の子にも人気あるから。メール便持ってきた庶務課のミキちゃんも、通達持ってきた総務のタエちゃんも、『今日、青木さんいないんですか』って悲しそうな顔して帰って行きましたよ』
『ふうん。……おまえ、今日から1ヶ月間メンテ当番な』
『なんでっ?!』

 曽我の悲痛な叫びが木霊する中、今井はしみじみと言った。
「バカだ」
「バカですねえ」
 下方で聞いていた山本が相槌を打つ。こいつも段々、ここの色に染まってきた。
「曽我のKYはもはや凶器だな」
「一番言っちゃいけないことだよな。薪さん、今日一日機嫌悪いぞ」
「おれも相当機嫌悪いぞ」
 こそこそ話す小池と宇野の後ろから、重低音のドスの効いた声がした。四人の肩が、びくんと上がる。
「仕事しろ!!」
 職員たちは慌てて自分の机に戻る。第九で怖いものと言えば室長のブリザードだが、副室長の雷も充分こわい。

 泣きそうな顔で出て来た曽我を訝しげな表情で見送りながら、岡部は室長室に入り、そのままの姿勢でバックで出て来た。そーっとドアを閉める。
「何やったんだ、おまえら」
 室長室が氷河期になってるぞ、とこちらを振り向く岡部に、職員たちがわらわらと寄る。この中で薪を宥められるのは岡部だけだ。彼には事情を話しておく必要がある。
「室長が青木のこと、『バカは風邪引かないってのは迷信だな』なんて言うからつい話に乗って」
「そこは否定しとけよ。あの人、自分以外の人間が青木の悪口言うと怒るんだから」
「それで小池がフォローを入れようとしたんですけど。結果的に、青木が未だに雑用全部こなしてることバレちゃって」
「まずいよ。前々から雑用は交代制にして、青木を捜査に専念させろって言われてるんだから」
「トドメは曽我のやつが。青木が女子に人気あることバラしてて」
「最悪だな。ああ見えて薪さんは、ものすごいヤキ」
「僕がなんだって」
 地獄の使者もかくやという不気味さを孕んだ声音に、岡部の剛毛が総毛立つ。まるでヤマアラシのようだと思ったが、誰も笑えなかった。

「岡部。僕に何か話があったんだろう。聞いてやるよ、人目に付かないところで」
「や、報告ならここでっ」
「遠慮するな。内緒話が好きなんだろう? 僕ともしようじゃないか」
 薪は岡部の後ろ襟を掴むと、彼を引きずるようにしてモニタールームを出て行った。岡部の巨体が薪の細腕に引きずられる違和感や、連れ去られる岡部がまるでいたいけな子牛のように見えたイリュージョンや、そういったもろもろの現象を現実と擦り合わせる努力を放棄して、残された職員たちは一斉に溜息を吐いた。
「岡部さん……」
「だから、声大きいんですよ」
 内緒話には向かない岡部の声が薪の堪忍袋の緒のみならず袋そのものを破壊して、今日の第九は針山地獄決定。



テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

Today&Tomorrow(7)

 最終章です。
 お付き合いくださってありがとうございました(^^




Today&Tomorrow(7)




危険ポイントその8 家路


 帰りのバスの中、薪は殆ど眠っていた。
 この人は子供と一緒で、遊びに出ると大体こうだ。ペース配分ができないのか自分の体力を過信しているのか、帰りはほぼ100%の確率で爆睡している。
 東京駅にバスが着いて、そこからは電車を利用するのが普通だが、薪がこの状態では仕方ない。タクシーを使うことにした。一人で乗せたら間違いなく乗り過ごすし、それ以前に薪の無防備な寝顔なんて他人には見せられない。誘拐される、絶対。

 タクシー乗り場に並んで順番を待つ間にも、薪の膝は何度も崩れそうになる。「眠っちゃダメですよ」と声を掛けるが、耳に届いているのかどうかも怪しい。
 何とかタクシーに乗せたものの、薪は完全にグロッキーだ。「お客さん、どちらまで」の言葉を待たずに後部座席に横たわり、運転手に白い目で見られた。
「お客さん。行き先は?」
「……うち」
 ダメだ、こりゃ。
「吉祥寺までお願いします」
 見かねて一緒に乗り込んだ。クラゲみたいにふにゃふにゃする薪の身体を起こし、背もたれに預けて座らせる。シートベルトをして、でもそこまでだった。腰の部分だけを固定するシートベルトに姿勢の保持は望めず、薪はコテンと青木の胸に倒れてきた。
 寝やすい位置を探して、薪の頭が無意識に動く。本当に電車に乗せなくてよかった。もしも青木が女の子だったら完全に痴漢行為だ。

 眠ってしまった友人をタクシーで送る男を装って、青木は溜め息交じりに窓の外を見た。自分の胸で無邪気に眠る恋人を、本音では抱きしめてしまいたい。だけどそれはできない。どんなに愛し合ってもつきまとう切なさ。彼は秘密の恋人。

 薪のマンションの前でタクシーを降りて、青木は管理人室に向かった。住人が眠りこけていては瞳孔センサーは使えない。管理人に鍵を開けてもらうしかないのだ。
「やあ、青木さん。いつもご苦労さまだねえ」
「毎度すみません」
 いやいや、これも仕事だから、と管理人は鍵の束を持って青木の前に立つ。他人の手を煩わせておきながら、薪は青木の背中で熟睡している。いい気なものだ。
 部屋に入り、薪をベッドに寝せる。服を脱がせ、パジャマに着せ替えて、布団を掛けてやる。目覚まし時計を4つともセットして、ついでに風呂のタイマーも付けておく。朝、目が覚めたら風呂に入りたいだろう。
 リビングと台所の火の元を確認して、やり忘れたことはないかと辺りを見回す。冷蔵庫とストッカーはきれいに整理されていたが、照明器具の上に埃が積もっていた。今度来た時に掃除をしてやろう。

 最後にもう一度、薪の寝顔を見るために寝室に入った。
 こうして、薪と同じ家に帰ってきてそのまま隣で眠れたら、どんなにか幸せだろう。彼と別れたくない気持ちが、ついそんなことを考えさせる。
 人の欲には限りがなくて。
 何年か前は彼に触れることもできなかった。それが今では彼の恋人として彼に愛されている。
 過ぎるほどに幸せなのに。もっともっとと考えてしまう、欲張ってしまう。ずっとずっと一緒にいたい、片時も離れたくないと。
 ――これ以上望んだら、本気でバチが当たる。

 おやすみなさい、と青木は声に出さずに言って、寝室を後にした。管理人に挨拶をし、マンションを出てから薪の部屋を仰ぎ見る。明かりは消えているけれど、あそこに薪がいる。そう思うだけでまた彼の顔が見たくなる。出たばかりの部屋に戻りたくなる。
『薪さんと一緒に暮らしたいです』
 言えない言葉を、今日も青木は飲み込む。それがどんなに薪を困らせるか、分かっているから。
 代わりに、青木は大きく伸びをした。
「あー、今日は楽しかったー」
 デートの最後にしんみりするのは、青木のスタイルではない。誕生日のプレゼント代わりにと薪がくれた夢のような時間を大切に胸にしまって、そうしたら切ない気持ちなんかどこかへ吹っ飛んでしまう。
 鼻歌交じりに長い脚を動かして、青木は家路を辿り始めた。



*****


危険ポイントその9 明日


 今日の二人はこんな風に別れても、明日の二人は違うかもしれない。
 その明日は、すぐそこ。


―了―



(2014.6)


 今日の青木さんはヘタレでも、明日の青木さんは違うかもしれない。
 期待してます。

テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

Today&Tomorrow(6)

 読みました♪
 報告するの、遅くなってしまってごめんなさい。心配してくださった方、ありがとうございます。凹んでません、元気です。仕事がめっちゃ忙しかっただけ。発売日には手に入れたものの、読めたのは30日だった(^^;
 簡単な感想は追記に。

 10月26日から昨日にかけて、過去作読んでくださった方、拍手をたくさんありがとうございました。
 仕事で神経削られるとSS書く気力がなくなっちゃうんですけど(^^;)、とても励まされました。書きかけのSS、来年まで寝かさないで続き書きます。よーし、今回は薪さんが泣く話だぞーw ←仇で返した。

 
 ところで、
 公開中のお話、二人がイチャイチャしっぱなしなものだから身体中痒くて仕方ないです。体質に合わないらしい。




Today&Tomorrow(6)





危険ポイントその7 夕陽



「薪さん、見てください。貝がこんなに採れましたよ」
「……どうやって持って帰るんだ、それ」
「あ」
 両手いっぱいの名も知らない貝を、薪に言われてやり場に困る。仕方なく青木は、貝を海に戻した。
「ほんっとーにバカだな」
 だからしみじみ言うの止めてくださいってば。

 貸切風呂を堪能した後、二人は部屋で洋服に着替えた。プラン終了の時刻になったのでフロントに鍵を返し、帰りのバスを待つ間、海岸の散歩と洒落こんだ。ホテルのプライベートビーチだからか人は少なかった。波打ち際で波と追いかけっこをしている家族連れが二組と、浅瀬に点在する岩の上に立っている青木たちだけだ。
 身軽な薪は岩から岩へと飛び移り、波しぶきが掛かるギリギリのところまで進んだ。後を追いかけたが濡れた岩は滑りやすく、青木は何度も海に落ちそうになった。その度に薪に笑われて、ホントにこの人は意地が悪い。

「バスの時間、何時だっけ」
「6時です」
「それが最終?」
「いえ。1時間に1本、東京行の最終は8時です」
 じゃあさ、と2つ先の岩で薪が笑う。傾きかけた太陽が照らす海はガラスの破片を散りばめたごとくに慎ましやかな輝きを抱いて、薪の後ろできらきらと光る。思わず見蕩れる、その笑顔の向こうにバーミリオンの空。
「……な?」
「え?」
 しまった。また聞いてなかった。今日何回目だ、この失敗。

 薪は軽やかに岩を渡って、青木の隣の岩までやって来た。青木を叱るために近付いてきたのだと怯えたが、そうじゃなかった。
「1本遅らせて、夕陽を見てから帰ろう」
「あ、いえ。ここでは夕陽は」
 朝日は見られるけれど夕陽は見られない。
 ホームページの地図を見ればそれは分かることで、その程度のことに気付かない人ではない。青木が口を噤んで待つと、果たして薪はバミューダパンツの尻ポケットから一枚の紙切れを取り出した。
「朝、バスで一緒になった子がいただろ。さっきロビーでもらったんだ」
「いつの間に」
「おまえがフロントで支払いしてたとき」
 まったく油断も隙もない。
 薪をナンパしようとした若者からの情報であることには些少の引っ掛かりを覚えたが、そのチラシにはいかにも薪が喜びそうな内容が書かれていた。題して「夕陽ツアー」。ホテル側の企画で、この時間帯には使う当てのない最寄り駅とのシャトルバスを用い、夕陽の絶景ポイントまで連れて行ってくれる。途中、地域の隠れた名所案内も、と付記されている。地元のホテルならではのオプショナルツアーだ。

「ガイド役の笹本さんて、ホテルの支配人さんですよね。さっきボーイもやってたのに」
「一人三役か。大したものだ」
 薪も感心していたが、青木も見習いたいと思った。第九で一番下っ端の青木の仕事は多岐に渡るが、自分のバランス感覚の悪さは自覚している。ついつい目の前の事を優先し、それに掛かりきりになってしまう己が未熟の代償を、室長である薪に押し付ける形になっている。反省しなくては、と青木は心に決め、それに気付かせてくれた笹本氏に感謝した。
「そうか。第九のシフトにも兼任という概念を」
 笹本さん、余計なことしないでっ。

 とにもかくにも、二人は海岸の散歩を終え、夕陽ツアーの集合場所であるホテルの玄関前に向かった。そこには既に、約20名の参加希望者が集まっていた。席は早い者勝ちで、みんな次々とバスに乗り込んでいる。青木たちも列に並ぼうとすると、チラシの提示を求められた。どうやらこのチラシはチケットとしての役割も果たしていたらしい。となると、これを薪にくれた若者は参加できなくなってしまう。涼しい顔でバスに乗り込もうとする薪にそのことを訊くと、薪は事もなげに青木の問いに答えた。
「貰ったって言っただろ。自分たちは行かないからって」
 なるほど。あの年代の若者なら、夕陽を見るよりも仲間と騒いでいた方が楽しいのかもしれない。
 青木の短絡思考が可笑しかったのか、薪はぷっと吹き出すように笑って、
「朝はあんなに怒ってたくせに。おまえは本当にお人好しだな」
 言ってタラップを昇る、パンツの裾から伸びたふくらはぎがしなやかに彼の身体を運んで行く。青木は慌てて後を追う。ボケっとしていたら朝の二の舞だ。

「本日は夕陽ツアーにご参加いただき、誠にありがとうございます。定刻となりましたので、発車させていただきます」
 時間になると笹本氏がやって来て、簡単な挨拶をした。バスが出発すると彼は簡単な自己紹介をし、たっぷりと肉の付いた腹をさすって、
「当ホテルの支配人の目印はこのお腹です。このお腹を見たらお気軽に声を掛けてください」と自虐ネタを披露した。
 青木はあまり笑ってはいけないとは思ったが、彼の人の善い笑顔に釣られてついクスッと笑ってしまった。他の客もそうだったのだろう、笹本氏は一番前の席に座っていた若い女性に微笑みかけて、
「いいんですよ、お嬢さん。笑うところですから。あ、隣のお父さんは笑わないでくださいね。笑えるような体型を目指して、わたくしと一緒に頑張りましょう」
 今度こそバスは笑いに包まれた。ピエロに選ばれてしまったお父さんには申し訳ないが、おかげでバスの雰囲気が和やかになった。笹本氏は名ガイドらしい。

「さて、後にしましたのは当ホテル、『I観光ホテル』でございます。潮による侵食が進んで外見はちょっとアレですけど、施設をご利用いただいたお客さまにはお解りのことと存じます。見掛けは残念、中身はアットホーム。家は住む人を表す、ホテルは支配人を表すとは誠に名言で」
 バスは東京からの途を戻る形で走り、やがて地元民しか知らない横道に入った。その間、笹本氏は名ガイド振りを発揮し、乗客を大いに沸かせた。
「イギリスでは『ドーバーの白い崖』と言うのが有名ですが、あちらの屏風が浦は東洋のドーバーと呼ばれております。下方の白い地層、時代は白亜紀のものでございます。ロケ地としても有名で、先日も女優のUさんが撮影を」
「両側はキャベツ畑でございます。温暖な気候を活かして冬でもキャベツが栽培され、年間4回もの収穫が可能で」
 へえ、とか、ほう、などと言う声と共に乗客が頷きを返す中、薪はずっと外を見ていた。彼の瞳に映っているのは、暮れかけた海辺の風景と切り立った崖。反対側は山になっていて、夏の生命力に満ちた木々が生い茂っている。冷房で閉められた窓を通って中に入り込んできそうな、匂い立つような緑。

 薀蓄を聞くよりも自分の眼で、五感で。薪はいつもこうだ。その知識量はスーパーコンピューター級、だけど彼はいつだってそれを軽んじる。辞書を引けば簡単に得られる情報に、大した意味はないと考える。
 大切なのは、自分がそれをどう感じるか。捜査中にもよく言われる。感性を研ぎ澄ませ、五感を使って捜査をしろ。精神の奥深さが問われることで、それが薪の驚異的な推理力と神憑った的中率に繋がっている。
 薪のその姿勢を青木は心から尊敬している。だから青木は言ったのだ。目的地の入り江に到着してバスから降り、赤く染まった水平線近くにわだかまる雲が残念だと、青木たちを追い越して行ったカップルが何度も繰り返すのをやり過ごしてから、
「雲が多いことで有名な海岸ですけど。だからこそ玄妙な趣がありますよね」
 その瞬間を待つ5分ほどの時間。丘の上や船着場の突端など、各々が自由に自分たちのベストスポットを定める中、薪はバスの側にぼんやりと立っていた。折り重なる雲と、それらを照らす夕陽の神秘的な美しさに魂を抜かれたように。
「どれ一つとして同じ形の雲はなく、よって夕陽の掛かり具合も反射も微妙に違う。人間も同じです。同じものを見て同じように感動しても、その形は微妙に違って、完璧に重なり合うことはない。その違いを推し量ることしかできない。だから犯罪捜査は難し、すみません、熱はないんで安心してください」
 真面目な顔で額に手を当てるとか、レトロなジョークで青木の長舌を遮った。薪が冷やかすような表情をしたので、青木はやや恥ずかしくなって横を向く。

「何らしくないこと言ってんだ」
「海は人を詩人にするんですよ」
 あなたと一緒です。本当はそう言いたかった。
 いよいよ鮮やかさを増す夕陽を浴びて、薪の亜麻色の髪が金色に輝く。白い頬は朱色に透けて、その輪郭を危うくする。いっそ夕陽に溶けてしまいそう。
 口にしたら海に突き落とされるから言わないけれど、青木は常に薪の讃美者で、彼を称える詩は胸のうちで何千と作られている。

「捜査官にとって鋭敏さは大切だ。見過ごしは命取りになる。心の鋭敏さを保つためにも体験による感動は有効だ。だけど今はもっと」
 言いかけた、薪のくちびるが止まった。
 水平線から肉眼距離で約3メートル上空の雲に楕円形の夕陽が隠れ、辺りは急に薄暗くなった。しかしその1分後、雲の下方から再び太陽が顔を出し、帯状の雲に上下を挟まれる形で最後の光芒を強烈に放ち出した。
 上空で海を翡翠色に輝かせていた時とはまるで違う、眼を刺すような朱色。鉛色の雲とのコントラストはあざとささえ感じさせる。太陽は今や液状化し、下方に待ち構える雲の器に女の吐息のように落ちてくる。痛ましいほどの蠱惑。

「すごいな。雲から夕陽が生まれてくる」
「こんなの見たことないです」
 前方で歓声を上げる者、カメラのシャッターを切る者、携帯電話に映像を保存する者。それぞれがそれぞれのやり方で、この美しい光景を留めおこうとする。そんな中で。
 青木は薪の手を握った。薪がさっき何を言い掛けたのか、分かった気がしたから。

 ――だけど今は。
 もっと大事なことがある。その感動を誰と共有するかだ。

 薪は少しためらって、でもすぐに握り返してくれた。解答に丸をもらった、と解釈しておくことにした。
 たった2分ほどの光景だった。雲から生まれ落ちた太陽が再び雲に飲み込まれ、やがて海に沈んでいった。
 辺りが暗くなり、乗客たちがバスに戻ってくる。青木はそっと手を離した。



*****

 かーゆーいー(笑)


 この下、メロディ12月号の一言感想です。

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しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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