青木警視の殺人(14)

「暗殺教室」がアニメになりましたね。
 松井先生はネウロの頃からのファンなのですけど、今回の話もいいですね。ギャグも鋭いけど、人間の暗部のえぐり方も鋭いんですよね。このギャップがたまりません。
 ギャップ萌えと言えば薪さんですよねっ。最近使い始めた若者言葉、たまりませんww



青木警視の殺人(14)





 第九に戻った薪を待ち受けていたのは、捜査本部から回ってきた青木の本部内手配書と、彼の身を案じる仲間たちだった。

「室長。青木は大丈夫なんですか」
 心配のあまり薪を取り囲んだ職員たちは、口々に青木の安否を尋ねた。彼らの気持ちは分かるが、本当のことを告げるわけにはいかない。本部内手配された職員を匿うと言う重大な違反行為をしているのだ。それを知りながら黙することは、やはり違反になる。彼らを巻き込むわけにはいかなかった。
「青木のことは僕が責任を持って対処する。おまえたちは仕事に戻れ」

 眉根を寄せる職員たちを残し、岡部と二人で室長室に籠って、薪は手配書を前に頬杖を付いた。向かいには、岡部の苦虫をつぶしたような顔。
「どこをどう間違えたらこんなもんが出回るんですか」
「敢えて答えるならこの辺りだろうな」
 空いた手で掴んだ指し棒代わりのボールペンの先が、とんとんと紙面の下方を叩く。薪が指摘したのは捜査本部長の名前だった。そこには次長付首席参事官の氏名が記されていた。
「本部長だけじゃない。首席管理官の緑川を始め他4名の管理官、すべて次長派閥で占められている。竹内が中に入れてもらえなかったはずだ」
「てことはなんですか。青木は派閥争いに巻き込まれたってことですか」
「おそらくな」
 くだらないことに青木を巻き込みやがって、と毒づく薪に、岡部は複雑な気持ちになる。薪が出世すればするほど、こういうことは増えていく。薪の気性を心得ている岡部には、それがどんなに彼の心を削ることか察しが付く。ましてや今回のように、大事な人がその犠牲になったりしたら。
 薪にとって警察機構の階段を昇ることは、針の山を進むようなことなのかもしれない。

「薪さん、青木と会ったんでしょう? なにか突破口はないんですか」
「現場近くの店の裏口に、防犯カメラが付いていたことを青木が覚えてた。そのカメラに犯人が映っているかもしれない」
「だったらそれを早く捜査本部に」
「中園さんが動いてくれてる。こういうのは階級がモノを言うからな」
 実質的に捜査本部を動かしているのは首席管理官の緑川卓という警視長で、薪とは同じ階級だ。敵対派閥だし、それでなくともキャリアは階級にはうるさいから、警視監の中園から話を入れないと耳を貸さないだろう。
「それに、僕はじっとしてろと釘を刺された。あまり派手に動くと、前の時みたいに捜査員たちにその」
 2年前、青木と二人で地方に出張した際ある殺人事件に出くわせ、青木は誤認逮捕された。彼の濡れ衣を晴らすため薪は奔走したが、その過程で、二人が恋人関係にあると言う決定的な証拠を捜査員たちに握られてしまった。それを力づくで中園が黙らせたのだ。
 あれは地方の所轄だったから緘黙させることができたが、今回の帳場は警察庁だ。噂の流布を抑えることなど、できようはずもない。上官たちの命令は当然のことであった。

「ところで、宇野はどうした」
「あー、今日は頭痛がするそうです」
 写真の解析について本人から話を聞きたかったのに、と薪はくちびるを尖らせ、でもすぐに納得したように肩を竦めた。
「無理もないか。宇野は彼女にお熱だったからな」
「薪さんもご存知で」
「分かるさ。僕はもともと恋愛の機微には鋭いんだ」
 初耳だ。顔がいいだけの朴念仁とか陰で言われてるの、知らないんだろうか。
「まあ宇野の場合はな。あんなにあからさまに態度に出てれば、僕じゃなくたって分かるだろうけど」
「青木もあからさまでしたけどねえ」
「ん? なんか言ったか?」
 青木が恋情を募らせていた頃、薪は彼の気持ちにまったく気付かず、青木はよく薪の無意識の誘惑に振り回されていた。今思い返すに、見事な悪女っぷりだったと思う。

『ちょっと、勝手に入らないでくださ、わっ!』
 突然、モニタールームが騒がしくなった。何事かとドアに近付いた岡部の鼻先で、室長室の扉が開く。岡部は咄嗟に身構えた。此処にノックもなしに入ってくるなんて命知らずは、第九にはいない。
 ドア口に立った男と眼が合った。
 大柄な男だった。岡部に負けないくらい筋肉質で、岡部に負けないくらい目つきが悪い。半袖のワイシャツから伸びた太い腕が岡部の襟元を掴もうとする、その手首を岡部の手が締め上げた。二人の男の眼から発せられた眼光がぶつかってスパークする、そんな光景が室長室のドア口で繰り広げられ、乱暴な来訪者によって床に転がされたと思われる第九の職員たちが立ち上がるのも忘れて床の上を後ずさる。今にも切れそうな、引き絞られた絃のような緊張はしかし、冷静な二人の男の声によって遮られた。

「やめろ、岡部」
「やめなさい、田上」
 田上と呼ばれた男の後ろから姿を現したのは、気障ったらしい銀縁眼鏡にライトグレーのスーツを着た、いかにもキャリア然とした男だった。髪をきれいに撫でつけて、右のこめかみあたりを触るのがクセらしい。決めポーズのつもりだろうか。
「初めまして、薪室長。本部で首席管理官を務めております、警視長の緑川と申します」
「なにか」
「本部を代表して事情聴取に参りました。警視正への聴取なら他の管理官に任せるところですが、あなたは警視長なのでね」
「事件解決に役立つなら巡査の聴取にも応じますよ。質問をどうぞ」
「あなたの部下のことですよ。人払いされなくてよろしいのですか」
 結構ですと薪が答えると、緑川は室長席の前まで歩いて、背中に手を組んだ。上から見下すような眼で薪をじっとりと見る。蛇のように嫌な目つきで、岡部はそこに悪意以外のものを感じ取れなかった。

「手配書はすでにご覧いただけたことと思いますが、青木一行警視に殺人容疑が掛かっています。我々が本人に事情を聞くために、彼の自宅を訪れた時にはすでにもぬけの殻でした。いち早く情報を得た誰かが彼を逃がしたのではないかと、我々は考えております」
「それで」
「その人物は彼を匿い、手配書が回った今となっても彼の居場所を本部に隠し続けると言う反逆行為を行いながら何食わぬ顔で過ごしているのではないかと、そう予想しています」
「その人物が僕だと? では第九へは、青木を探しに?」
 自分に向かって折り曲げた手首の、その先の細い指に自分の顎を載せて、薪はふっと笑った。
「どうぞ家探しをと言いたいところですが、第九のキャビネットは機密情報でいっぱいです。部外者に見せるわけにはいきません。お引き取り下さい」
「警視長の私にもですか」
「階級は関係ありません。閲覧を制限する権限は室長の僕にあります。あなたには見せられません」
 緑川の出入りをきっぱりと拒絶し、薪は彼を見上げた。薪は座ったまま、立っている緑川を見上げているのに、見られている緑川は見下されていると感じる。尊大な雰囲気とかふてぶてしい態度とか、人を見下すことにかけては薪の方が一日の長がある。

「強大な後ろ盾を持っていれば、階級など気にならないと言うわけですか」
「否定しませんよ。第九には官房室と言う後ろ盾がある。しかしそれは機密を守るための手段であって、権力でもって人を支配するためではない」
 薪は、緑川が階級を笠に着て捜査を間違った方向に導いていることを痛烈に皮肉ったあと、更に追い打ちをかけるように、
「後ろ盾があるのはあなたも同じでしょう。そちらにご相談されてはいかがですか」
 強気な態度に、岡部はハラハラする。相手は捜査本部の代表、つまりは本部長の代弁者だ。次長の指揮下にある捜査本部と表立って対立するような真似をして、薪の立場は大丈夫なのだろうか。
 しかし相手もキャリア。皮肉合戦には慣れている。ふん、と鼻先で嫌な笑い方をすると、緑川は右のこめかみに手のひらを当てた。

「上に言い付けるようなさもしい真似は致しません。私は千川次官から全権を託されております。あなたのように、仕事以外の能力で上官に取り入ったわけじゃない」
「それはどういう意味です」
「ご自分が一番よくお分かりでは? それとも薪室長は、朝になったら昨夜のことは全部忘れておしまいになる性質ですか」
 言葉尻に被せるように、ガタンと椅子が跳ねる音がした。立ち上がった薪が前に身を乗り出す、それより早く岡部が緑川と薪の間に割って入っていた。岡部の太い腕に阻まれて、薪の身体は緑川に届かない。尖った亜麻色の瞳と岡部の三白眼がぶつかり、結局は薪の舌打ちで二人の距離は元に戻った。

「現場に防犯カメラがあったはずですが。確認はされましたか」
「どうしてそのことをご存知で? まさか我々の捜査に不満で、ご自分でお調べになったとか?」
「……通勤途中、見掛けたもので」
「はて。薪室長のお住まいは吉祥寺では? 新宿の、それもあんな路地裏をどうして通られたのですか」
 ブツッと何かが切れた音がした。岡部はその音を聞き、すぐさま薪の傍を離れた。長年のカンが告げている。ここは避難だ。止めた方が薪のためだと思ったけどやっぱ無理。だって部屋の温度が下がったもん。

「余計なことはしないでいただきたい。捜査は我々捜査本部に任せ、っ」
 半袖のワイシャツから伸びた百合の若茎みたいな腕が、その先端を飾る百合のつぼみのごとき手と連動し、優雅な舞を舞うように動いた。腕の白さに緑川が眼を奪われる、その隙を衝いて彼の顎を二本の指が捕える。上向いた手のひらから突き出された二本の指、その柔らかな指先に顎先をくすぐられ、緑川は引き攣った笑いを浮かべた。
「前の夜に小野田さんと使ったホテルが近所だったんですよ。いけませんか」
 至近距離で顔を覗き込んで、キワドイ台詞で相手の度肝を抜く。もちろん薪の笑顔は氷点下。その様子を見て、部下たちはこそこそと囁き合った。
「あーあ。薪さん、キレちゃったよ」
「捜査本部全員胃潰瘍になるまで引っ掻き回すな、あれは。可哀想に」
「そっとしておけば大人しくしてたかもしれないのに」
「墓穴でしたねえ、あの緑川って人」
 薪がああいう切り返しをするときは、とっくに理性が振り切れているときと相場が決まっている。理性の無くなった彼ほど容赦のない生き物を、第九職員たちは他に知らない。
 身が竦んで動けない緑川を、どう料理してやろうかと薪の瞳が残酷に煌めく。相手を甚振る方法が悪辣になればなるほど、彼の瞳の輝きはいや増す。本当に、どうしてこんな性格の悪い男と同居する気になれるのか、薪の性格の悪さを見せつけられる度、第九メンズは青木を尊敬する。ドMもあそこまで行けば立派なものだ。

「防犯カメラは確認済みです。あのカメラには何も映っていませんでした」
 すっかり委縮してしまった緑川に代わって答えたのは、彼のお付きの田上と呼ばれた男だった。彼は絶対零度の空気をものともせず、室長席に歩み寄ると、眼に見えない呪縛に囚われていた緑川の肩を掴んでこちら側へと引き戻した。
 薪の脅しに怯みもしないなど、この田上という男は大したものだ。寡黙で無駄な動きもない。返しも的確だ。喚くしか能がない上司より、管理官の役職に相応しいのではないかとすら思えた。

「本当に?」
「なにをお疑いですか」
 金縛りから解けた緑川は、格下の田上に庇われたことにプライドを傷つけられたのか、彼の手を乱暴に払いのけて言った。
「来客に椅子も勧めず、口の利き方も知らない。薪室長は聞きしに勝る礼儀知らずですな」
「礼儀を知らないのはそちらでしょう。第九は極秘部門です。そこにアポもなしで入ってくるとは、礼儀を知らないと言うよりは常識がない……ああ失礼、あなたには『関係者以外立ち入り禁止』の文字が読めませんでしたか」
「なっ」
「守衛にも止められたはずですがね。なるほど、声は聞こえても言葉の意味が分からなかったと。では僕が噛み砕いて説明して差し上げましょう」
 薪は机の横を回り、緑川に接近した。一歩進むごとに部屋の気温は下がり、気の弱い山本などは震えだす始末。再び足をすくませる緑川を、田上は今度は助けなかった。

「ここはおまえが来るところじゃない。帰れ」
 ぐい、とネクタイを掴んで相手を引き寄せる。美人が怒るとブスの百倍怖いとか言うけれど、薪の場合はそんなレベルじゃない。背筋が凍る、心臓が止まるかと思う。この恐怖から逃げられるなら大抵のものは差しだそうと言う気持ちになる。死よりも恐ろしい何かがこの男の後ろには控えているのだと、思わせるものが薪にはある。
「僕に話を聞きたかったら本部長を連れてこい」
 吐き捨てるように言って、薪は緑川を解放した。
 巡査でもいいんじゃなかったのか、と揚げ足を取る勇気もなく、解放された緑川は我先にと室長室を出た。

「後で吠え面かくなよ」
 薪に聞こえないように、緑川はドア口で小さく呟いた。
 ヤクザ映画でさえ聞かなくなったレトロな脅し文句を聞いて、岡部はひどい疲労を覚える。今どき、こんな捨て台詞を使うとは。そんな時代錯誤の人間が上層部の一員だなんて、警察機構の明日は暗いと――、
「行くぞ、岡部」
 いつの間にか戸口まで来ていた上司の声で、岡部は思考を破られた。肩に上着を掛け、ポケットには塩飴。薪はすっかり外出の準備を整えていた。
「行くってどこに」
「現場に決まってるだろ。店にカメラのことを確認するんだ」
「しかし、薪さんは動かないようにと」
「言われただけだ。従うとは言ってない」
「ええ~……」
 今どきそんな屁理屈、子供だって言わない。
「あんなイヤミ言われて黙ってられるか。あの男、いっぺん泣かさんと気がすまん」
 ずかずかとモニタールームを横切る薪に、職員たちがぱっと左右に飛びのく。モニタールームの出口で、薪は宣戦布告するように叫んだ。
「今に吠え面かかせてやるっ!」
 あ、ここにもいた。

 警察機構の明日は真っ暗だと心の中で嘆く岡部に、二人を見送る職員たちが小さく手を振った。

テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

青木警視の殺人(13)

青木警視の殺人(13)



 ウォッホン、と中園が咳払いをすると、薪はようよう青木を蹴るのを止めてソファに座り直した。澄ました顔で「青木、早く席に着け」と命令する薪の性格はあり得ないと思ったが、それに素直に従う青木はもっとあり得ない。どんな調教をしたらこんなドMが出来上がるのか、参考に聞いてみたいものだ。

「あの。本当に、北川さんは亡くなったんですか」
 青木の質問に答える代りに中園は、封筒からもう一枚の写真を取り出した。そこには彼女の死体があった。薄いブラウスの胸を真っ赤に染めて、薄汚れた路地に仰向けに転がっていた。
 青木はその写真を見て初めて、彼女が死んだことを実感した。何かの間違いではないのか、最悪、人違いではないのかと、心の隅で呟き続けた声が沈黙する。その写真にはそれだけの力があった。
「どうして彼女がこんな目に」
「きみが殺したことになってるけど」
「だから混ぜっ返すなって」
 キッと眦を吊り上げた薪を牽制するように手を振り、中園は不穏当な空気を発する二人の間に割って入った。
 小野田が余計な茶々を入れるのは、いっそこのまま青木が殺人犯として逮捕されてしまえばいいと思ってのことかもしれない。そんなことを思われずに済むよう、もっと頑張らなければと青木は思った。
 小野田は薪の親代わりのようなもの。自分がその彼に認めてもらえるような人間にならないと、間に挟まった薪が苦労する。青木が知らないだけで、薪はこの手の苦労をずっとしてきたのかもしれない。

 ショックに負けている場合ではない。青木はもう一度、北川の遺体写真を見直した。
 最後に会ったときの服装とは違う服だ。耳のイヤリングもなくなっている。あの後、すぐに殺されたわけではない。しかし、この路地の店の並びには覚えがある。
「この店、『Zen』じゃないですか?」
「え。えっと……ああ、うん。なんで知ってるの」
 薪がタブレットの画面に出した地図を捜査資料と突合する。そこは木曜日、青木が北川と訪れた店の裏の路地であった。
「裏口の上に防犯カメラがありました。それは確認したんですか」
「なんでカメラの位置まで。まさか青木くん、本当に」
「違いますよ。この店、トイレが裏口の近くにあるんですけど、ちょうどオレがトイレから出てきたとき、バイトの女の子がビールケース二つも重ねて外へ出て行こうとしてて」
 転んだら怪我をすると心配になって、青木が運んでやった。その時に裏口の風景と、通りに向けた防犯カメラを見たのだ。

「へえ。青木くんは優しいねえ」
「いえそんな」
「色んな女の子にコナ掛けてるねえ」
「はいはい、青木くんが何してもおまえが気に入らないのは分かったから。薪くんもいちいち目くじら立てない」
 腹の虫が治まらないらしい薪は、何か言おうとして途中でやめた。彼の上司に対する無礼を防いだのは、彼の上着のポケットで震える携帯電話だった。細い指に取り出された電話は薪の持ち物ではなかった。おそらく、会話を傍受されない為のプリペイト携帯だ。
「雪子さん、ありがとうございました。青木は無事です」
 電話の相手は雪子だった。薪に頼まれて彩華に連絡を取ったものの、首尾よく行ったかどうか、気になって電話を掛けてきたのだろう。
「解剖結果、もう出たんですか? あ、ちょっと待ってください。――どうぞ」

 スピーカー機能をオンにして、雪子の声が全員に聞こえるようにすると、薪は携帯電話をテーブルに置いた。映像が映るわけではないが、全員の視線が自然とそこに集中する。薄いカード型の機械は、潜めた声で語り始めた。
『死因は出血性ショックによる急性循環不全。刺されたのは一箇所で、心臓の真上。いま、傷口から凶器を特定してる。科警研の分析は今夜には出るけど、捜査本部には二日掛かるって言わせておいたから。分かり次第、この携帯に連絡入れるわ』
 さすが雪子だ。捜査レースでは情報が勝負を決めることを知っている。彼女が科警研の職員に偽りの日数を申告させた方法については、聞かない方がいいだろう。
「ありがとうございます。助かります」
『それと、あの遺体。ちょっと気になるのよね』
「遺体に何か特徴が?」
『そうじゃなくて、なんか既視感があるっていうか……』
 北川の顔は薪にそっくりだ。まるで薪の身体を切っているような、そんな錯覚を覚えたのだろう。雪子がいくら豪胆な女性でも、精神を乱されるのは当然のことだと思えた。

『詳細なデータはUNOボックスに入れておいたから』
 UNOボックスは、宇野が作った極秘の共有フォルダだ。他部署からの捜査依頼で、なのに故意的に隠されたり改竄されたりした解剖所見があるとき、雪子に頼んで原本をこのフォルダに入れてもらう。自分たちがお手上げだからと第九に事件を回し、その情報を隠匿する。彼らの矛盾は青木には全く理解できない。
 その他の機能としては、便利なアプリケーションがいくつか。容量は10TBまで増やしてあるから解剖所見に限らず、大抵のデータは受け入れ可能だ。

「帰ったら確認します。雪子さん、本当に何から何まで協力していただいて」
『青木くんが殺人犯なんて、ありえないもの』
 捜査本部が断定した青木の犯罪をまったく信じようとしない、雪子の揺るぎない信頼がうれしかった。じん、と胸の奥が熱くなる。
『間違ってやっちゃったとしても逃げたりしないでしょ。『薪さん、オレ、どうしたらいいですかぁ』って泣きながら電話してくるわよ。一人じゃ何もできないんだから、あの男』
 ……熱くなりすぎて涙出てきた。

『おい、長すぎるぞ! 中で何をしている』
 雪子の声に、電話から聞こえてきた男の声が被った。どうやら雪子にも監視が付いているらしい。青木の逃亡に手を貸す恐れありと思われているのだ。雪子は多分、監視者と距離を取れるところ、女子トイレの個室などからこの電話を掛けてきているのだろう。
 青木の想像は当たり、男に言い返す雪子の声が、
『うるさいわね! 生理中よ、タンポン替えてんの!』
 さすが先生。それを言われて引かない男はまずいません。
 女の武器を最大限に利用した雪子の言葉よりも、それを聞いて瞬時に真っ赤になった薪の愛らしさの方が青木には衝撃だった。なんなら使用済みのタンポン見せてあげましょうか、と息巻く雪子の声が聞こえ、薪は慌ててスピーカーを遮断した。

 再び電話で雪子と喋り始めた薪を置いて、青木は部屋の隅に置いてあったパソコンを起動させた。インターネットのブラウザを開き、UNOボックスにアクセスする。パスワードは暗記している。CUREMAID――宇野御用達の秋葉原のカフェの名称だ。
「どうして女ってのは結婚すると恥じらいが無くなるのかねえ」
「いや、雪子先生は結婚前と変わってないです。あの人に慎みとか期待する方が間違い、と、出ました」
 青木と一緒に画面を見ていた中園にフォローにならないフォローをしながら、ログを拾って一番新しいファイルを開くと、画面には雪子が送ってくれた検死報告書が表示された。
 検案書があると知った小野田は席を立ち、青木の右側から画面を覗き込んだ。右に小野田、左に中園。高官二人に挟まれ、緊張で肩が強張る。が、今は悠長に上がっている場合ではない。青木は画面に意識を集中し、捜査に必要だと思われる部分を素早くピックアップした。画像を切り取り、それに対する説明を添付する。薪が電話を終えるまでに書類の形を作っておかないと、また「役立たず」と怒鳴られる。

「遺体に致命傷以外の外傷はありません。心臓を一突きですから、即死に近い状態だったでしょう」
 感傷に流されそうになる自分を抑え、青木は事務的な口調を心掛ける。薪に口酸っぱく言われている、捜査には情を挟むな。被害者が欲しがっているのはおまえの同情じゃない。突然に断たれた生命の無念を、その真実を明らかにすることだ。その言葉を身体の中心に据えて、青木は検案書の要点を手早くまとめ上げた。
 百戦錬磨の中園は眉ひとつ動かさず、検案書に添付された写真を見て言った。
「女の化粧ってのは怖いね。落としたら別人だ。薪くんにまるで似てない」
「もともと北川さんと薪さんは似てないですよ」
「きみ、メガネ取り替えなさい」
 小池にも同じことを言われたが、青木には彼らの目の方がおかしいとしか思えない。薪の方が段違いにかわいい、無敵に可愛い。

「正確に心臓を刺した後、刃を捻ってますね。プロの仕事みたいだ」
 傷口に空気を入れるのは、確実に人を殺すときのやり方だ。これは殺しに慣れた人間の仕業ではないだろうか。
 青木がそれを指摘すると、二人の間に微妙な空気が漂った。緊迫したような空々しいような――青木は、自分の発言がえらく的外れだったような気分になる。
「すみません。確証もないのに、憶測でものを言って」
「いや。ぼくもそう思うよ」
 思いがけないことに、青木の解答に丸を付けてくれたのは小野田だった。青木と同様、中園も意外そうに彼を見る。二人の視線を受けて、小野田はこの場の最高階級者としての号令を下した。

「ぼくたちはそろそろ警察庁に戻らなきゃいけない。捜査本部の暴走を止めなくちゃね。その間、青木くんは此処に隠れてて。逮捕された後ではさすがに手が出し難い」
「はい」
「坂崎に連絡しておいたから。必要なものは彼に頼むといい」
 いつの間に、と思ったが、さっき中園に取り上げられた電話がそうだったのだろう。ちなみに坂崎は小野田の運転手兼ボディガードだ。彼が青木に付く間、小野田の身辺警護はSPに頼むことにすると中園が言い、小野田はうんざりした顔で横を向いた。薪と同じでSPが鬱陶しいのだろう。

 電話を終えた薪がこちらにやってきた。その深刻そうな顔つきで分かる、雪子からもたらされた情報が青木にとって不利であったこと。
「現場で発見された髪の毛のDNAが、青木のものと一致したそうです。本部内手配の許可が出ました」
 北川の胸を染めた血にへばりつくように、彼女のものではない髪の毛が発見されたと検案書に書いてあった。その髪の毛が青木のものと断定されたのだ。本部内手配の決定は法一には回ってこないから、これは彼女の夫からの情報だろう。
「拙いな。これでは写真の男が青木くんではないと証明しても、何の役にも立たない」
 写真や証言はあくまで状況証拠。物証の前には意味を為さない。そんなものを覆したところで青木の容疑は晴れない。髪の毛に負けない物証を手に入れるか、真犯人を捕まえなければ。
「青木、大丈夫だ。おまえの無実は必ず証明してやる。僕を信じて待ってろ」
 帰り際、薪に言われて頷いた。青木は身動きが取れないのだから、薪の言う通り、信じて待つしかないのだ。

 3人の上司を見送って部屋に一人になると、青木は強い疲労を覚えた。ふらふらと歩いてベッドに転がり込む。色々なことがいっぺんに起きて、青木の頭の中は飽和状態だった。
 北川舞は何者かに殺された。自分がその犯人にされ、警察に追われている。それを小野田達が助けてくれた。新たな証拠が出て捜査本部の方針が修正されるまで、青木はここに缶詰だ。
 ホテルのやわらかいベッドは気持ちよかった。青木はそのまま、深い眠りに落ちた。

*****


 と言うわけであやさん。
>案外、薪さんの指示で逃げてるとか。
 大当たりです!!

 今回のシーン、書いてて楽しかったです。
 娘婿をいびる父親に娘が「もう、お父さんたら!」的なあれですね。なんて幸せな日常の光景……! (若干、世間一般と幸せの定義がズレててすみません)

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ジャンル : 小説・文学

青木警視の殺人(12)

 こんにちは。
 今年は、現場がお休みの日は更新しようと決めました。(今日は雨で休工になりました)

 一昨年は精神的に疲弊してて、休みの日はぐったりしちゃってましたけど、今年の下請さんは任せて安心だし。だってね、工事始まって2ヶ月経つのに、苦情ゼロなんですよ。
 一昨年の現場は1ヶ月で4回くらい苦情来たからね。初日から8時までかかって、課長に大目玉食らったからね。毎日毎日、開放期限の5時を超えちゃうんじゃないかとヒヤヒヤしっぱなしで。ホント疲れた。
 今年は道路規制していない日でさえ、5時前にはピタッと終わるし。写真の取り忘れはないし、頼んだ書類はきっちり上げてくるし。
 今年の下請さんは本当に当たりです♪




青木警視の殺人(12)




 そんなわけで、青木はいま指定されたホテルの部屋の前に立っている。青木がチャイムを押すと、中では廊下の様子を伺っていたのだろう。すぐにドアが開いて薪が出迎えてくれた。
「青木、よく無事で」
 言い掛けた薪の言葉が止まる。開いた口唇をそのままに、ドアを閉めることも忘れて青木を見上げた。久しぶりにこの眼で見る薪のキョト顔は青木の記憶の何倍も可愛くて、思わず抱き締めて胸に仕舞いたくなる。手を伸ばしかけた青木の耳に、爆発するような男の笑い声が聞こえた。
「ぶはははは! なんだい青木くん、そのカッコ! てか、顔!!」
 部屋にいたのは薪一人ではなかった。そこには薪の直属の上司である中園と、官房室の長が顔を並べていた。
 我に返った薪が、慌てて青木を中に引っ張り込む。廊下に誰もいないことを確認してからドアを閉め、鍵とチェーンロックを掛けた。

 入口の姿見に自分を映してみて、青木は初めて自分が彩華と同じ化粧をされていたことを知った。目の上は真っ青、唇は真っ赤に分厚く、頬はまあるくピンク色。この顔で街中を歩いてきたとは、サングラスが無かったら別の容疑で警察に捕まっていたかもしれない。
「服のセンスといい化粧の仕方といい、青木くん、きみ、芸人になったらどうだい」
「中園。笑いすぎだよ」
 笑い転げる中園を窘めつつ、小野田は口元を押さえて青木の頓狂な姿を見ていたが、どうにかポーカーフェイスを保って、
「さすがは薪くん。機転が利くねえ」
「いえ。僕は変装してこいとは言いましたけど、女装してこいなんて一言も――ふっ」
 鼻で笑った後、さすが彩華さんだな、と小さく呟いた薪の声を青木は聞き逃さない。雪子に頼まれたと彩華は言ったが、雪子に指示をしたのは薪だろう。この逼迫した状況で、よくあの人物を思い出せたものだ。

「とりあえず化粧を落とせ。それからシャワーと着替え。おまえ、香水臭い」
 小野田は軽蔑の眼差しで青木を見やり、中園は笑いこけ、薪は苦笑いする。青木は好んでこの姿になったのではないことを説明しようとしたが、「いいからその顔を何とかしてこい」と薪に言われ、急いでシャワーを使った。着替えは薪が用意しておいてくれた。潜伏することを考慮してか黒いジャージの上下だった。上官の前に出るにはラフすぎる服装だが、ピンクのワンピースよりはマシだろう。
 ソファに陣取った3人のところへ戻り、青木は敬礼した。座るように指示をされたが、席は小野田の隣しか空いていなかった。まさか官房長と同じソファに座るわけにもいかず、青木は文机の前から椅子を持ってきてそれに腰を下ろした。

「青木、状況を説明するからよく聞け。いま、おまえには殺人容疑が掛かっている。被害者は北川舞さんだ」
 薪の衝撃的な言葉に、青木はしっかりと頷く。そこまでは捜査員たちの会話から察しがついていた。だが、何故自分に容疑が掛かったのかは謎であった。そんな青木に、薪はひとつの解答を示した。
「捜査本部の見立てはこうだ。おまえが自分の監査官である北川さんと男女の関係を結び、そこで起きた何らかのトラブルで彼女を殺害するに至った、と」
 恐ろしい誤解だった。青木は夢中で薪の手を握り、自分の無実を訴えた。
「薪さん、信じてください。オレ、浮気なんかしてません!」
「「「弁明、そっち?!」」」
 3人同時に突っ込まれた。青木には一番大事なことだった、だから最初に言ったのに。
「呑気だな、おまえは。殺人容疑だぞ」
「それは調べれば分かることです。でも、彼女が死んでしまったら浮気は証拠不十分で」
「なるほど。死人に口なしとは上手いことやるね、青木くん」
「やってません!!」
 中園に茶化されて、青木は思わず立ち上がった。そういうことは冗談でも言わないで欲しい。

「そうは言ってもねえ。こういうものが出回ってるんだよ」
 中園に見せられた写真は、青木にとって実に不愉快な代物だった。裸で睦み合う男女――青木に覚えはないが、それは青木と北川だった。当人に記憶が無いのだから偽造写真に決まっている。紙面に顔を近付けて修正の痕を探すが、肉眼では見つけられなかった。
 しかし、これで刑事たちの疑いの根拠が分かった。これを捜査本部に送り付けた人間が真犯人だろう。
「よくできてますね」
「あれ。意外と落ち着いてるね」
「身に覚えがありませんから」
 青木は以前、やむを得ない事情でラブホテルに小型カメラを仕掛けたことがあるが、その時の写真に比べるとこの写真は出来過ぎだ。アングルの変化が多すぎる。偽造の証拠だ。

「その写真は合成じゃない。本物だ」
 意外なことに、青木の見解を薪は否定した。青木でも気付くような矛盾に薪が気付かないのはおかしいと思ったが、彼の断定には理由があった。
「岡部から連絡があった。竹内が持ち込んで、宇野が鑑定したそうだ」
「そんな馬鹿な」
 信じられない思いで青木は写真を見つめた。この写真が本物なら、自分は記憶喪失か夢遊病者か。
「宇野さんの鑑定の素晴らしさは知ってますけど。オレには本当に覚えがないんです」
「分かってる」
 写真を本物だと言ったり青木の言い分を信じてみたり。薪の言葉は矛盾しているように聞こえるが、彼の導き出した答えを知ればそれが正解だと分かる。つまり。
「これはおまえじゃない」
 写真が偽物なんじゃない。写っている青木一行が偽者なのだ。

「おまえそっくりに顔を変えた誰かだ。このアングルを見ろ。顔はしっかり写っているのに、全身を写したものは一枚もない。顔は変えられても身長は伸ばせないから、アングルでごまかすしかなかったんだ」
 言われて見直せば、顔はよく撮れているけれど身体のどこかしらはシーツに覆われていて、ベッドや調度品との比較による身長の算出ができないようになっていた。偶然とは思いがたい。鑑識の手法をよく知る何者かが、この写真を撮ったのだ。

「その説明は前も聞いたけど。本当に青木くんじゃないの?」
 小野田の質問に薪の眉が微かに吊り上がる。表面に出さないようにしているけれど、薪はものすごくイラついている。薪の微細なシグナルを読む術に長けた青木にはそれがよく分かって、でもどうしようもなかった。上官同士の会話には入れないし、この場では薪の部下でいるしかない。恋人の顔で彼を癒すなんて真似はできなかった。
「混ぜっ返すなよ、小野田。おまえだって、青木くんが犯人だなんて思ってないだろ」
「それは調べてみないと分からない。ちなみにきみ、金曜日の夜、何処で何してた?」
「自宅で一人で寝てました」
「はい、アリバイ無しと」
「待ってください、小野田さん。その日は青木から電話がありました。基地局を調べれば裏は取れます」
 土日が休みになったのだから一日だけでも会えないものかと、期待を掛けて薪に電話をしたのだった。結果は惨敗だったが、「この電話は盗聴されてるから迂闊なことを話すな」と本気で心配している薪はとても可愛かった。

「悪いけどね、薪くん。被疑者と昵懇な人間の証言は使えないよ」
 身に覚えのないこととは言え青木がこんな騒ぎを起こして、小野田はおかんむりらしい。その様子に薪はすうっと眼を細めて、テーブルに置いてあった写真の一枚を指差した。
「アリバイはともかく、この写真は青木じゃありません。証拠があります。この、手の形」
 女の細い背中を強く抱く、男の手。青木の手はもっと大きい、そう反論するのかと思いきや、薪は自分の5本の指を猫のように丸めて、
「青木はセックスのとき、こんな風に指を曲げる癖があるんです。興奮すればするほど」
 と、とんでもないことをのたまった。
 小野田が思わずソファに仰け反り、中園が面白そうに眼をくるめかせる。薪の逆襲は小野田にはそれなりのダメージを与えたようだったが、中園には完全に楽しまれていた。

「そうなの、青木くん」
「いや、そんな覚えは……自分ではよく分からないだけかな。あ、でも、シーツを握っちゃうのはどっちかって言うと薪さんの方だと、ぐほぉっ!!」
 腹にめり込んだ革靴に押され、青木が椅子ごと引っくり返る。床に転がった青木を蹴り続ける薪は、赤い顔をして汗をだらだらかいていた。背伸びして嘘を吐くからだ。
「自分で振っておいて。メンドクサイ子だねえ」
「薪くん、殺さない程度にね。死体の処理とか面倒だから。――あ、もしもし、捜査本部? 逃亡中の青木警視がここに」
「だからおまえのはシャレにならないって!」
 慌てて携帯電話を小野田の手から奪い取る。通話中になっていた電話を壊さんばかりの勢いで、中園は電話を切った。
「頼むから3人掛かりでボケないでくれ! 僕のツッコミが間に合わない!」
 岡部くんがいれば僕もそっちに回るのに、と中園の本音は小さく呟かれ、当然それは誰の耳にも届かなかった。




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青木警視の殺人(11)

 こんにちは。
 ハラハラドキドキは法十の売りですけど、それ以上にうすら寒いギャグとか脱力感とか肩すかしとかも重要な目玉商品なので~。そこんとこよろしく!




青木警視の殺人(11)




 日曜日の朝のこと。青木は都内のとあるホテルに向かっていた。
 その姿を友人が見ても、彼だとは分からないだろう。金髪のウィッグを被り、顔には大きなサングラス。そのせいで眼鏡が掛けられないから足元がおぼつかないのだが、素顔では道を歩けないのだから仕方ない。

 2時間ほど前、青木は携帯電話のコール音で叩き起こされた。時計は4時55分を指していた。知らない番号からだったが、電話に出てみると相手は薪だった。てっきりデートの誘いだと思って跳ね起きたのに、薪の言葉は冷たく、そして意外なものだった。
『おまえだとバレないように変装して、すぐに家を出ろ』
「変装? どうしてですか」
『おまえは殺人犯だ。早く逃げろ』
 なんだろう。新しい遊びだろうか。
「あ、わかりました。オレが犯人役で薪さんが刑事役で、逮捕しちゃうぞラブラブビームみたいな」
『……13階段に画鋲敷きつめて裸足で昇らせてやろうか』
 冗談ではなかったらしい。めいっぱい本気の口調で脅されて、青木はベッドの上に正座した。

『迎えをやったから彼女の指示に従え。当たり前だけど、携帯の電源は切っておけよ』
「もう少し詳しく説明してもらえますか。状況がよく」
『そんな暇はない。もうすぐそこに』
 薪の声を掻き消すように、激しくドアを叩く音が聞こえた。日曜日の朝5時に、これは只事ではない。
『青木一行! 中にいるのは分かっている、ここを開けなさい!』
 闇金融の取り立てだって8時からだ。警察はヤクザより厳しい。

「薪さん、どうしましょう。ドアの外に」
『お隣の石塚さんちを通らせてもらって表から出ろ』
「石塚さんちはハワイ旅行に行っててお留守ですけど」
『知ってる。だから窓ガラスを割らせていただいて中に入らせていただきなさい』
 お言葉は丁寧ですけど、やれって言ってることは犯罪ですよね?
 反論しようと開きかけた青木の口を、ドアを叩く音が止めた。仕方なく、急いで身なりを整えカツラを被り、布団を干すときの手摺りを利用して隣の家に侵入した。破片が飛び散らないようにあらかじめガラスにガムテープを貼るとか音が響かないようにハンマーをタオルで包むなど、犯罪者の手口を青木は、薪と付き合っているうちに自然に覚えてしまった。ワーカホリック全国大会優勝候補の薪との会話は九割が仕事の話だ。イヤでも犯罪に詳しくなってしまう。

「ごめんなさい、石塚さん」
 小さな声で謝りながら、ハンマーを窓ガラスに振り下ろす。当然のことだが、その謝罪はハワイの彼らには届かなかった。
 実はこのとき、長期の留守だからと石塚宅にはセキュリティが掛けられていた。セキュリティシステムが働いて管理人室のモニターに赤ランプが点滅したのだが、管理人は目的の部屋を解錠させようとした刑事たちに叩き起こされている最中で、それに気付く余裕がなかった。もし彼らが、管理人が起床する7時以降にマンションを襲撃したならば、そこで被疑者を捕まえることができただろう。寝込みを襲ったつもりが裏目に出たのだ。

 留守宅に侵入し、青木はそこで待つことにした。いくら変装していても、朝の5時に部屋を出て行ったら怪しまれるだろう。小一時間もすれば、休日を利用して遠出する人々にに紛れてマンションを出られる。それまでの辛抱だ。
 素早く警報装置を切り、しばらく息を殺していると、隣の部屋つまり自宅の鍵が開いて、複数の人間が中に入ってくる足音がした。「靴は脱いでくださいよ!」と注意する管理人の声も聞こえる。このマンションは完全防音が売りだが、青木は自分が窓から逃げたと思わせるために窓を開けたままにしておいた。そこから潜伏している部屋の割れた窓ガラスを通して、隣の音が聞こえてきたのだ。
 このマンションには防犯のため、ベランダがない。青木が移動に利用した布団用の手摺りは、その都度取り付けて使う。隣家に侵入した後は取り外しておいた。ついでに火災時用の梯子も下ろしておいた。青木がいた部屋は二階。この状況なら、窓から逃げたと考えるのが自然だ。
『逃げたぞ。あの窓だ』
 偽装工作が上手く機能したことに、青木は安堵する。と同時に、自分が一端の犯罪者になった気がした。

『早く追いかけないと』
『待て。逃げたように見せかけて、部屋の中に隠れてるかもしれない』
 どきりとした。家探しをされても青木はいないが、見られては困るものはある。薪とお揃いのカップとかパジャマとか、デートの時に撮った写真とか。他人の目に触れたら、たちどころに薪との関係がばれてしまう。
 5分も経たないうちに青木の予感は的中し、隣の部屋は騒然とした空気に満たされた。寝室に飾っておいた写真が発見されたのだろう。来客があっても寝室には入ってこないのが普通だからと、写真立てを並べたのがまずかった。
 青木は観念したが、隣室からの声は青木の思惑を大きく外れていた。

『見ろ。被害者と青木の写真だ』
『へええ。本当に彼女、薪警視長にそっくりだな』
 いや、それ薪さんですけど。
 なんてボケをかましている場合ではない。薪のそっくりさんと言えば、北川監査官に決まっている。青木から見れば両者の間には明白な違いがあるが、他の人間にはその違いが分からないと言うから不思議だ。
『全くだ。これが笑顔の写真でなかったら見分けがつかん』
『そうだな。鬼の警視長がこんなに可愛いはずがないからな』
 いや、可愛いんですよ、薪さんは。特にデートのときの少年ルックなんてボーイッシュな女の子にしか見えなくて、一人にしようもんならナンパの嵐で……、だから今はそれどころじゃないって。

『やっぱりデキてたんだな、あの二人。犯人は青木で決まりだな』
 あり得ない誤解だ。北川と自分が恋人関係にあるなんてデマが、薪の耳に入ったら大変だ。何かの犯人にされてるみたいだけど、どっちかって言うと浮気疑惑の方が問題――、
『こんな美人を殺しちまうなんて。もったいないことをしやがる』
 前言撤回。こっちも大問題だ。

 北川が殺された? 

 彼女を最後に見たのは、木曜の夜だった。翌日の金曜から日曜まで、監査は休みにすると彼女は言った。翌日の金曜日、宣言通り彼女は第九に姿を現さなかった。密かに青木を観察していた可能性もあるが、誰も彼女の姿を見た者はいなかった。
 もしかしたらこの週末、彼女は恋人と会っているのかも。何となく青木がそう思ったのは、木曜の夜の彼女がいつもよりはしゃいでいたのと、耳元で揺れていた小さな耳飾りのせいだったかもしれない。
 その彼女が死んだなんて。とても信じられない。

 それにしても、どうして自分に容疑が掛かったのだろう? 『やっぱりデキていた』と刑事は言ったが、「やっぱり」という言葉は前提に噂や目撃証言があって、それが証明されたときに初めて使われる言葉だ。彼女と出会ったのは2週間前。そんな短期間に、恋人どころか友人にすらなった記憶はない。
 しかしながらそれは青木の意識であって、第三者の目から見たら違ったのかもしれない。聴取が目的ではあったものの、何度も二人で食事をしていたのは事実だ。レストランやカフェの店員が、そう証言したのかも。
 だからと言って濡れ衣は困る。潔白なら自分から出頭するべきだ。逃げたりしたら余計に疑われる。警官の青木にはそのことは嫌というほど分かって、でも薪は逃げろと言った。薪は死んでも容疑者に逃亡を勧めたりしない。なにかあるのだ。

 やがて捜査員たちは家の何処にも青木がいないことを確認し、青木は窓から逃げたという結論に達した。その間に青木は石塚家から出た。折りしも世間は夏休み。日曜日ともなれば、海水浴やバカンスに出かける家族連れが早朝から通りを賑わす。楽しそうに歩く彼らが自分を隠してくれると踏んだのだ。
 廊下に捜査員はいなかったが、ロビーに一人、見張りがいた。変装してきてよかった。
 以前、第九の宴会用にと購入したパンク系のカツラが役に立った。服装もそれに合わせて派手目のものを選んだ。オールバックにスーツが定番の青木とは正反対。これならバレないだろうと思っていたが、しかし。
「ちょっと、そこのあなた!」
 急ぎ足でロビーを抜けようとした青木の背中に、捜査員の鋭い声が飛んだ。ぎくりとして足を止める。
「あなた、青木警視じゃ」
 どうして分かったんだろう。青木は焦るが、190センチの長身はそう簡単にはごまかせない。相手もプロだ。髪型や服装ではなく、体格で人を見る癖が付いているのだ。
 緊張で身を固くする青木に若い捜査員は素早く寄ってきて、しかし次の瞬間、彼はその場に凍り付いた。
「やぁン、遅いじゃない、ユッコったらあ」
 青木も凍りついた。いつぞやの地球外生命体が隣に立っている。

 長い金髪をポニーテールに結わえているのは、トレードマークのどでかいピンクリボン。真っ白におしろいを塗りたくった顔と青黒い髭剃り痕のコンボは相変わらずの破壊力で、気の弱い人間ならそれだけで失神させることが可能だ。釣り上ったキツネ目に太い眉、割れた顎に大きく張ったエラ。5分刈りにねじり鉢巻きがしっくりくる顔つきに夜の女の化粧を施せば、拳銃よりも恐ろしい生物兵器の出来上がり。それがパッションピンクのドレスを着て歩いている。地獄だ。
 薪とは真逆の意味でこの世のものとは思えない彼、いや彼女は、雪子の友人で名前を本間竜太郎、源氏名を彩華という。彼女は第三の性の持ち主、要はニューハーフだ。彼は、違った彼女は、ああもうメンドクサイ、てか妖怪の性別なんかどうでもいい。とにかくその物体は、「ユッコも一旦お店に顔出すでしょ」とか訳の分からないことを言って青木の腕に自分のごつい腕を絡ませ、
「昨夜のお客、すごかったわねぇ。アタシとアンタ、二人相手に何回も。アタシ、3回もマジ逝きしちゃったわン。アンタは? 何回イッた?」
 あなたの存在しない世界に行きたいです。

 青木に職質を掛けようとした捜査官が、ずざざっと後退りする。青木も彼と一緒にその場を逃げ出したかった。しかし、彩華の腕は万力のような力で青木の右腕を拘束していた。
 そのまま引きずられるようにマンションを出た。通りに出るや否や彩華はものすごい力で青木を引っ張り、人の群れに紛れた。大通りに出る一本手前の路地に連れ込まれる。彩華は素早く周りを見回し、人目がないのを確認すると、やにわに服を脱ぎ始めた。
「ほら一行ちゃんも。早く脱いで」
 派手な英文字が踊るシャツを脱がされ、ズボンのベルトを外された。青木のスラックスが地面に落ちる。青空の下、こんなところで二人して裸になって、彼女が青木に何をする気なのか、想像するだけで気絶しそうだ。
 ――逃げなくては。
 青木の本能の警鐘は割れんばかりに轟いたが、パッションピンクのワンピースの下から現れたボディビルダーのような腕と胸毛の生えた胸元が、青木の意識を遠のかせた。とても逃げられない。人生終った、と青木は思った。

「一行ちゃん。急いでこれに着替えて」
「え」
「カツラ替えて。それと顔も」
「え? え?」
「雪子に頼まれたのよ。自分が行きたいけど、自分は一行ちゃんと友人だってことが敵にばれてるから、警察関係者じゃないアタシにって」
「てき?」
「詳しいことは教えてくれなかったわ。知るとアタシにまで危険が及ぶからって」
 雪子も水臭いわよね、と笑って、彩華は青木の唇にルージュを引いた。
 服を取り替えてみると、彩華と青木の体格にそれほど違いはなかった。身長だけは青木の方が10センチ以上高かったが、ヒールとカツラの盛り具合で何とでもなる。後ろ姿なら身代りが務まるレベルだ。
「此処でマキちゃんが待ってるって」
 最後にホテルの名前と住所が書かれたメモを青木に渡して、彩華は表の通りに戻って行った。建物の陰からそっと見送ると、彼女はゆっくりと歩いて人混みに紛れ、どこにいるか分からなくなった。





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青木警視の殺人(10)

 心を入れ替えて頑張ったけど3日しか持たなかった再開4日目。←くどい。





青木警視の殺人(10)




 警察庁人事部警務部長宛てに問題の写真が届いたのは、青木の監査二週目の金曜日、北川舞が死体となって発見される前日のことだった。

 それを入手してきたのは、人事部に紛れ込ませた中園の手駒だ。親展と書かれた封筒の中身が写真らしいことに気付いた彼は、こっそりと中を確認し、中園に指示を仰いだ。写真の内容を重く見た中園は、警務部長とその愛人が腕を組んで街を歩いている様子を捕えた写真を彼に渡し、封筒の中身をそれとすり替えさせた。これで警務部長はどこの誰とも知れぬ脅迫者のことで頭がいっぱい、封を切るときに感じた些少の違和感など忘れ去ったに違いなかった。
 内田警務部長の写真は中園の手持ちのカードの中でもAクラスだったが、彼が入手してきた写真にはそれだけの価値があった。第九研究室で監査を実施している監査官と、その対象者である警視が男女の関係に陥っているという数枚の証拠写真――こんなものが警務部長の目に触れたら、青木は昇進どころか厳罰だ。

 警察官房の自室に戻り、中園は頭を抱えた。まさか、こんな写真が警務部に送られるなんて。
「なんでこうなったかなあ……」
 写真の角をつまんで持ち上げ、さまざまな角度から見上げて頬杖をつく。重要なカードを切ってまで手に入れてはみたものの、中園はその写真が偽造ではないかと疑っていた。中園には未だに理解できないが、青木は薪にメロメロだ。いくら顔が似ているからと言って、こんな軽はずみな真似をするだろうか。

「いいもの持ってるじゃない」
 考えに沈む中園の手から写真を取り上げたのは、彼の上司だった。写真を見て、ふっ、と小野田は笑った。でも眼が笑ってない。嫌な予感がした。
「おまえ、それどうする気?」
 中園の問いに答える前に、小野田は内線で薪を呼び出していた。薪は今日は第九にいるはずだが、よほど混み入った事件を抱えていない限り小野田の呼び出しには応じる。ほどなく此処に姿を現すだろう。
「まさか薪くんに見せるつもりじゃ」
「可哀想だとは思うけどさ。裏切られてるのを知らないのはもっと可哀想じゃない?」
「ちょっと待てよ。裏を取ってからの方がいい。まだ、この写真が本物かどうかも」
「こんな浮気男なんかより、うちの裕子の方がずっと薪くんには相応しい。中園もそう思うだろ」
 裕子と言うのは小野田の二番目の娘だ。まだ諦めてなかったのか。
「……おまえの差し金じゃないだろうね」
「おまえじゃあるまいし」
 そんなわけで、薪がその写真を見たのは第九に写真が持ち込まれる二日前。宇野の心配はすでに遅かったことになる。

 捜査が佳境に入っていたのか、呼び出された薪は不機嫌そうだった。口にこそしないが、玩具を取り上げられた子供のような顔をしている。しかし、この写真を見せれば事件どころではなくなるだろう。彼の弱点はメンタル、それも恋愛方面限定なのだ。
 ところが。
「この写真は僕じゃありません」
 女の身体じゃないですか、と被写体の裸の胸を指差し、
「つまらないことで呼び出さないで下さいよ。せっかく面白い画が、あ、いえ、興味深い画が出てきたところなのに」
「つまらないって。青木くんはきみの」
 部下と言うべきか恋人と言うべきか、中園は一瞬迷った。その僅かな時間に、薪がせっかちに言葉を重ねる。一刻も早く第九へ帰りたいらしい。

「知りませんよ。青木が彼女と寝たかどうかなんて、どうでもいいですよ」
「え、いいの。まあ、薪くんがそう言うならそれで」
「いや、よくないだろ。監査官と監査対象者だぞ。監査の成績目的で関係を結んだとしたら厳罰確定だ。査問会の結果次第では懲戒だぞ」
「青木はそんなことしませんよ」
 揺るがない口調で否定されて、中園は納得する。薪が取り乱さないのは、青木を信じているからか。今年の春に青木と一緒に暮らし始めてから、薪は強くなったというか開き直ったというか、こちらの方面で揺さぶりを掛けても、以前のように過剰な反応を見せなくなった。構い甲斐がなくなって、中園としては少しつまらない。
「青木は監査に合格すれば昇進できるってことを知らないんです。こんなリスクを背負ってまで、監査官におもねる意味がない」
「いくら青木くんが呑気でも、監査の結果が出世に響くことくらいは知ってるだろ」
「昇格試験に受からない限り警視正昇任は僕が認めないって言ってありますから」
 薪の言い分を聞いて、中園は青木に同情する。推薦状に判を押すべき上司が二人して不承認とは。青木の警視正昇任は遠そうだ。

「それじゃ、この写真はどう説明するんだい」
「問題は写真の真偽よりも、写真の処分と送り主への対応ではないですか。下手したら第九や官房室の責任問題ですよ」
「そうだねえ。間宮が警務部長なら、きみへのセクハラで済んだと思うけど。今の警務部長の手に渡ったら、少し厄介なことになってたね」
「警務部長? これ、人事部宛てに送られてきたんですか」
「ぼくも聞いてないよ、中園。そんな大事なこと、なんで黙ってたんだい」
「あの展開の何処に説明を挟む余地があったのか教えてほしいものですな、官房長殿」

 小野田と中園の押し問答の横で、薪は考え込んだ。官房室ではなく警務部に送られてきたのなら、それは官房室の敵の仕業だと考えるのが妥当だからだ。
 官房室の政敵と言えば真っ先に思い浮かぶのが警察庁次長の派閥だが、3年前の大捕物で、次長側の勢力は大幅に削がれた。次長の右腕だった参事官は海外に飛ばされ、彼の娘婿で警務部長を務めていた間宮隆二は長野県警に出向させられた。
 間宮は優れた情報収集能力と分析能力の持ち主で、精緻を極めた人事データを作り上げており、それを基に下される人事評価は的確かつ公正、交付される辞令は誰もが納得するものであった。人事部長としては適切な人物であったが、彼には多情という欠点があり、飛び抜けた容姿を持つ薪は集中的にその被害に遭っていたのだ。

「間宮はあれで、けっこう利用価値があったんですけどね」
 セクハラはともかく、間宮の人事データは信用できた。雪子にプロポーズしてきた法一の医者や小池を引き抜こうとした二課の課長など、職員たちの人となりを調べるためにデータを横流ししてもらったこともあった。薪を自分の愛人の一人にしたがっていた彼は、薪が頼めば大抵のデータは用意してくれた。データと引き換えに尻を撫でられたりしたけれど、別に減るもんじゃなし。それ以上仕掛けてくるようなら蹴り飛ばせばよかった。今思うと実に便利な男だった。
 間宮に代わって警務部長の役職に就いたのは、内田と言う警視長だ。身内でこそなくなったものの、やはり次長の息のかかった男には違いなかった。

「この写真が真実にせよ偽造にせよ、北川監査官は我々の敵だと思って間違いないと思いますよ。どの写真も二人の顔がはっきりと写っている。こんな都合の良いアングル、どちらか一人でも撮影側の意図を知ってないと撮れませんよ」
「じゃあ、彼女自身が首謀者の一人だと」
「僕はそう思います。それと、この情交写真。この男は青木じゃありません」
 さらりと薪は断定した。二人の上官が目を見開く。
 なるほど、街中のカフェで撮影されたらしい写真は明るい店内で顔がよく写っているが、情交写真だけはホテルの一室で明かりを落としてある。顔はそっくりに造ってあるし、その前に何枚も本物の青木の写真を見せられた後では、これだけが偽者だとは気付きにくい。上手いやり方だ。
「本当に?」
「よく似せてますけど別人です。筋肉の付き方が違う。青木はもっと」
 青木の身体をよく知る薪ならではの分析に、小野田があからさまに顔を歪める。それを横目で見て、薪は苦笑した。
「だから言いたくなかったんですよ」

 最初から薪は、情交の写真だけは青木が偽者であると見抜いていた。それで平気でいられたのだ。しかし、これが官房室ではなく警備部に送られた物だと知って、真実を明らかにしなくてはならない状況に追い込まれた。写真の送り主が青木や官房室に敵意を持っていることが分かったからだ。官房室なら本人への勧告で済むが、警務部では厳罰の対象になる。第九や官房室の責任問題にも発展するだろう。送り主の目的は、おそらくそこにある。

「誰かが何か大きな事件を起こそうとしている。これはその前座だと思います」
 その時、薪はそう予言した。その予言が現実に姿を変えるのに要した期間は、わずか3日。北川舞が監査官として第九にやってきてから、12日目のことであった。

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青木警視の殺人(9)

 心を入れ替えて頑張ります3日目。
 
 今日からまた現場なので、次の更新は週末になります。やっぱり3日が限度だねえ(^^;



青木警視の殺人(9)



 ――宇野さんから見て、青木警視はどんな人ですか?

 薄茶色の瞳が宇野を真っ直ぐに見つめていた。琥珀色の紅茶のように、潤った瞳だった。
「青木はいいやつです。真面目で仕事熱心で、性格もいい。やさしくて親切で、おれたちには可愛い後輩です」
 ――欠点はありませんか?
「欠点て言うか弱点て言うか。青木は室長命で、薪さんが絡むと人が変わります」
 ――まあ。みんな同じことを言うのね。
 クスクスと、彼女は口元に手を当てて可笑しそうに笑った。彼女が笑うと、殺風景なミーティングルームがぱあっと光り輝くようだった。宇野は息苦しさを覚え、無意識にネクタイを緩めた。それを彼女の視線が捉える。完璧な美貌に笑みを浮かべたまま、彼女は言った。

 ――宇野さんのネクタイ、いい趣味ね。
 センスが良いと褒められたのは生まれて初めてで、それがとても嬉しかった。弾かれたように顔を上げると、彼女の姿は消えていた。立ち上がって辺りを見回すと、キャスター付きのホワイトボードの陰で、彼女と青木が抱き合ってキスをしていた。慌てて目を逸らしたが、二人の姿は宇野の網膜にしっかりと焼きついてしまった。

 ――宇野さん。お先に失礼します。
 部屋を出ていくとき、青木は後輩らしくきちんと挨拶をした。生返事をしてちらりと彼を見ると、彼女は青木の腕の中で絶命していた。青木に抱き上げられた彼女の顔色は真っ白で、細い首は奇妙な形に折れ曲がっていた。血の気を失った美しい顔の、バラ色のリップを塗った唇から真っ赤な血が左頬を伝い落ち、リノリウムの床に血溜りを作っていた。

「――っ!」
 声にならない叫びを上げて、宇野は浅い眠りから目覚めた。荒く息を吐いて心を落ち着ける。パソコンデスクのうたたねで見る夢なんて、ロクなもんじゃない。
 宇野は2日ほどまともに寝ていなかった。
 北川が殺害され、青木が行方を晦ましたのが2日前。宇野の睡眠不足はそれからだ。
 死体が発見されたのは新宿の『Zen』というバーの裏口付近で、明らかな他殺体であった。直ちに青木が重要参考人として手配されたのは、彼が北川と最後に接触を持った人間であることと、匿名で捜査本部に送られてきた写真が原因だった。
 そこには、生まれたままの姿で愛し合う男女が写し出されていた。PCオタクの宇野の眼から見ても、写真は合成ではなかった。青木が薪を裏切るとは信じ難かったが、これは紛れもない事実だ。

 合成を疑った元捜査一課の竹内が、その真偽を判定してほしいと持ってきた写真を初めて見た時の衝撃を、宇野はまざまざと思いだす。途端に、どす黒い感情が胸に重く広がって行く。こんな気持ちになったのは生まれて初めてで、どう対処したら楽になれるのか分からなかった。
 自分は青木に嫉妬している。それは自覚した。だが宇野はこれまで、嫉妬と言う感情を甘く見ていた。彼女は死んだのだ。それ以上に辛い現実などあろうはずもないのに、それでも心が疼くのを止められない。ここまで業の深い感情を、宇野は他に知らなかった。
 彼女を抱いている後輩が羨ましいとか憎らしいとか、そんな単純なものではない。現実に胸が痛くて息が苦しくて、二人が睦み合っている写真を見ようものなら叫びだしたくなる。岡部たちの前で平静を装うために、宇野は研究室の机に飾ってあったヴィーナスのフィギュアを自分で壊した。ショックでショックを相殺したのだ。
 自分がこの有様なのだから、薪のショックはもっと酷いはずだ。恋人として部下として、二重に裏切られたのだ。彼が憔悴しきっているであろうことは想像がついた。
 それでも、青木と彼女が愛し合っているのなら。小池たちと酒でも飲んで、どうせすぐに別れるさとか、彼女は顔が室長そっくりなんだから性格も悪いに違いないとか、恨み言で一夜を明かして、翌日には「よかったな」と言ってやれた。傷心の室長を慰めるために、彼の大好きな女優のイケナイ写真を合成してやることもできたと思う。

 でも、青木は彼女を殺して逃げた。

 何かの間違いだと思いたい。宇野は青木とは長い付き合いだ。職場仲間の域を出ないが、知り合って九年になる。彼の人となりは理解しているつもりだ。何があっても人を殺して逃げるような男ではない。しかし。
 2日前の早朝、捜査員がマンションを急襲したが、すでに青木は行方を晦ました後だった。今回の捜査本部は特別編成で、事件そのものにも緘口令が敷かれているから情報はせき止められている。が、そこは蛇の道ならぬ邪の道。竹内の「知り合い」からの情報が、岡部のところへ流れてきていた。

 重要な証拠は2点。目撃証言と物証だ。
 死体が発見されたすぐ側のバーで聞き込みをしたところ、彼女と背の高いメガネ男が言い争っていたという店員の証言が取れた。青木の特徴にぴったりと合致する。店内から青木と彼女の指紋も採取されたし、この証言は本物だと思っていいだろう。
 そして現場には、指紋と髪の毛が残されていた。指紋は彼女の鞄に、髪の毛は傷口の血にへばりついていた。DNA鑑定の結果が合致したら、それで本部内手配の号令が下るとのことだった。
 全国指名手配ではなく本部内手配が選択されたのは、これが警察官同士の殺人事件だからだ。痴情のもつれによるものかどうかは未だ不明だが、監査官と監査対象者が肉体関係を結んだ上に殺人事件まで起こしたとなると、どれだけマスコミに叩かれるか分からない。迂闊に公式発表はできない。発表されるとしたら青木に手錠が掛かってから、否、青木が懲戒免職になってからだ。

「くそっ」
 数えきれないくらい掛け、でも一度もつながらなかった電話を、宇野は再びコールする。すぐに抑揚のない機械音声が、相手の電話の電源が切られていると宇野に教える。毒づいて、宇野は携帯電話を床に投げつけた。
「何やってんだよ、青木……」
 宇野は青木を罵ったが、人のことを言えた義理ではなかった。宇野はズル休み3日目。問題の写真を預かってから、頭痛で自宅に引きこもっている。捜査本部の情報は電話で得たものだ。

 パソコンマニアの宇野の部屋は、5台のモニターと5台のデスクトップPCが我が物顔にのさばっている。その専有面積はベッドより広い。5台のパソコンは、すべて使用用途に応じて宇野がカスタマイズしたものだ。グラフィックに特化したパソコンで写真を解析し、メモリーを増設しまくったパソコンで重いプログラムを動かす。そして、LINUXをインストールしたパソコンの目的は一つだ。
 椅子のキャスターを滑らせてそのパソコンの前に移動する。宇野が昨日から挑んでいる宝箱は鍵が7個もあって、寝る間も惜しんでクラックして壊せたのはやっと3個。これだけ厳重に守られている場所に侵入したことがバレたら査問会に掛けられるかもしれないが、他は全部こじ開けて検索したのだ。もうここしか残っていない。
 この中に、本物の彼女はいる。宇野は確信していた。

「よおし。今度こそ」
 2回ほど大きく肩を回すと、宇野は恐ろしい速度でキィを打ち始めた。


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青木警視の殺人(8)

 心を入れ替えて頑張ります2日目。
 




青木警視の殺人(8)







「青木が殺人犯だあ?」
 早朝の室長室で、岡部は頓狂な声を上げた。そこに含まれる驚きは2割程度、残りの8割は呆れ声であった。
「日曜の朝っぱらから人を呼び出しておいて。何の冗談だ」
 応接ソファの向かいで岡部の非難がましい視線をぶつけられているのは、捜一時代の後輩の竹内誠。この春に昇進し、現在は警視正だ。昇進と同時に警察庁の警備部に転属した彼が現場に出られなくなって2ヶ月、ストレスがとうとう脳に回って幻想に囚われるようになったらしい。
「冗談じゃありません。ついでに言っておきますけど、幻想でもありません」
 岡部の失礼な想像を言い当てて釘を刺す。竹内といい薪といい、エリートというのはこちらの考えを読むから困る。

「おれだって信じたくないですよ。だからこいつを持ってきたんです」
「まっ、薪さ……! いや、北川さんか」
「ええ。被害者は彼女です」
 真剣な面持ちで竹内が取り出したのは、数枚の写真であった。
 北川の遺体は、薄汚れた路地裏に仰向けに転がっていた。美しい女性が息を引き取るには、そこは切な過ぎる場所だった。

「青木が犯人にされたのは、こいつのせいなんです」
 2枚目からは、青木と北川の密会の写真だった。レストランやカフェが多かったが、中には情交中の写真もある。裸で抱き合う男女の上半身を斜め上方から捕えたもので、下半身はシーツに隠れているが、顔が同じだけに、薪と青木の濡れ場のようだ。朝から見るもんじゃない。
「監査官の意向で、青木はこういった店で聴取を受けていたんだ。この写真はそのとき撮られたんだろう。でも、最後のこれは合成じゃないのか。鑑識の判断は?」
「それが、今回の捜査本部は刑事局の特別編成なんです。捜一を捜査に加えないばかりか、鑑識まで自分たちが選定して連れてくるという徹底ぶりです。この写真も彼らの目を盗んで、知り合いにコピーしてもらったんですよ」
 同じ警察庁の仕切りならと、竹内は捜査本部のドアを叩いた。しかし、竹内が青木と親交があることを彼らは知っており、関係者に情報は渡せないと断られてしまった。仕方なくお茶汲みの女子職員をたぶらかし、もとい説得して、写真のコピーを手に入れたというわけだ。

「戒厳令が敷かれてるだろうに。その知り合いもよく協力してくれたな」
「どうやったのかは聞かないでくださいね。先生にバレたらもう1件、殺人事件が起きちゃいますから」
 声を潜めて竹内が懇願するのを受け流し、岡部は写真を見直した。被害者の、ブラウスの胸の真ん中に、赤黒い血が熟したバラのように咲いている。他に外傷は見られない。血が邪魔をして刺殺か銃殺はかは不明だが、いずれにせよ一撃だ。苦悶にのたうちまわった跡がない。
 もう1種類の写真は、間違いなく青木と彼女だ。仲睦まじく食事をする様子や、裸で抱き合う様が写されている。これが薪の目に入ったらえらいことになるが、しかし。
「偽造に決まってる。青木がこんなことするかよ」
 女と浮気なんて、薪にバレたら殺人事件がさらに1件増えるぞ、と岡部は心の中で呟いた。悪い冗談だ。

「おれもそう思いたいんですが。この写真、おれには合成の証拠を見つけられなかったんです。そこで宇野さんに鑑定をお願いできないかと」
 写真が偽造であるとの鑑定結果を宇野の名前で捜査本部に提出し、青木の容疑を晴らす。それが竹内の目論見であった。宇野のIT技術は署内でも有名で、サイバー犯罪対策課の部長が直々にスカウトに来るほどだ。特別捜査本部と言えど、その彼の鑑定を無視はできまい。……だが。
「いや、宇野にはこれはちょっと」
 刺激が強すぎるんじゃないか、と岡部は難色を示した。
「そんな、宇野さんだって子供じゃないんですから。MRIを見てればこんなシーン、いくらでも出てくるでしょう」
 竹内は知らないが、宇野は北川に一目惚れ状態だった。監査官と監査対象者の同僚という形ではあったが、毎日顔を合わせるうち、宇野が彼女に夢中になっていくのが見て取れた。その彼女が殺されたと聞けば、平常心を保つことはまず不可能だろう。そんな状態で彼女と自分の後輩が男女の関係にあったことを証明する写真を見たら、幾重にも重なったショックでパニックになるのではないか。
 他人の恋愛事情を暴露するわけにもいかず、岡部は苦手な言い訳に心を砕く。
「竹内、おまえはMRIを誤解してるよ。事件に関連した画だけで十分な証拠が上がれば日常生活までは検証しない。こういう写真は一課の連中の方がよっぽど慣れてるよ」
「それは失礼しました。でも、これには青木の殺人容疑が」

 岡部がテーブルに投げ出した写真を、爪を短く切った神経質そうな手が取り上げた。薪が出勤してきたのかと焦ったが、違った。それは今、話題に上っていた第九の優秀なIT技師だった。
 MRIシステムの母親代わりの宇野は、システム調整のため捜査のない日曜日に出勤してくることが多い。この日もその目的で出てきたのだろう、ノーネクタイにノーワックスの髪の毛で、システムチェックに使うタブレットを抱えていた。
「俺の名前が聞こえたので」
 第九は税金で建てられた施設。室長室のドアは薄い。ドアに張り付いて聞き耳を立てれば、中の会話は丸聞こえだ。内々の話だと竹内が言うから室長室に籠ったのだが、あまり意味がなかったようだ。

 宇野はそれを持ってさっさと自分の机に戻り、スキャンシステムを作動させて画像の読み取りを始めた。程なく彼のモニターに問題の画像が映し出される。その後ろで竹内が厳しい顔つきで腕を組み、岡部がはらはらと汗を流しながら部下の様子を見ていた。
「う、宇野。大丈夫か」
「大丈夫ですよ。子供じゃないんですから」
「だっておまえその……無理すんなよ」
「無理って、なにをですか」
 言葉に詰まりながら気遣う岡部に対して、宇野はあくまでもクールに、そしてハッキリと言った。
「間違いありませんね。この写真は本物です」



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青木警視の殺人(7)

 怒涛の年末ですっかり間延び更新になってしまいましたが、みなさん、やさしいコメントをどうもありがとうございました(;▽;)
 続きを待っていてくれる人がいるの、本当にありがたいです。


 心を入れ替えて頑張ります1日目。



青木警視の殺人(7)
 
 

「青木さん。今日はこちらのお店にしましょう」
 はあ、と曖昧な返事をして青木は北川の後に続いた。古びた木製のドアを開けると、年季の入ったカウベルがカランと乾いた音を立てた。ひんやりとした室内の空気が心地よい。

 監査10日目。彼女に連れられてレストランに入るのは、これで何軒目だろう。
 聴取は街中の飲食店で行う、と聞いた時には耳を疑ったが、監査官と監査対象者の性別が異なる場合は、長時間の密室状態を避けるため、一般の店を使うのは普通のことだと説明を受けた。監査官が言うのだから間違いはないのだろうが、毎日のように2人で夕食を摂っていたら余計に誤解されるのではないか。何より、このことを薪が知ってあらぬ疑いを掛けられたりしたら。監査の結果よりも、青木にはそちらの方が心配だった。
 まだ薪の耳には届いていないようだが、第九の中では既に噂になっていた。北川の青木に対する接近は、監査の域を超えているのではないかと。

「あれっ」
 店の中を見回して驚いた。カウンターにスツール椅子。ボックス席のテーブルには氷とグラスに入った琥珀色の液体。そこはレストランではなく、バールであった。
「北川監査官、ここは」
「外では監査官は止めてくださいって、昨日も申し上げました」
「北川さん。ここはお酒を飲む店ではないですか」
「たまにはよろしいでしょう」
 アルコールを摂取しながら監査聴取を行うなんて、聞いたことがない。監査官の言うことには逆らうな、と薪に言い含められていなかったら、青木はそこに彼女を残して店を出ただろう。
 それでなくとも彼女の仕事には疑問がある。脱線ばかりしていて、聴取らしい聴取をしてこないのだ。青木は特別監査を受けるのは初めてだが、こんなものなのだろうか。幹部候補生選抜試験の面接の方がずっと厳しかった。

「青木さんはビールがお好きだって、宇野さんから聞きましたわ。このお店、地ビールが自慢なんですよ。ぜひお試しになって」
「いいえ。職務中ですから」
「おかしいわ。定時を過ぎてから職場を出たのに」
 対象者に酒を勧めるなんて、変だ。これも薪に言わせると「誘惑に打ち勝てるかどうか試している」ということになるのだろうが、青木は常識人だ。薪のような飛躍思考は持ち合わせていない。
「自分にとって監査は職務ですから」
 固く固辞して、ミネラルウォーターとサンドイッチを注文する。もっとボリュームのあるものが欲しかったが、あいにくこの店にはフードメニューが3品しかない。その中で一番食べでがありそうなものを選んだつもりだったが、運ばれてきた皿を見て青木はがっかりした。三角形の薄いパンが3つしか載ってないのだ。あれでこの値段とは、ぼったくりもいいところだ。

「青木さん。少しお疲れのようですね。気疲れかしら」
「いえ、そんなことは」
 ある。実はものすごく疲れている。理由は明白だ。この10日あまり、薪の手料理を食べていないのだ。それが青木のパワーをダウンさせる大きな要因になっている。加えて、プライベートの可愛い薪が見られない。声が聞けない。触れない、キスができない。禁断症状だ。
「明日は監査はお休みにしましょうか」
「本当ですか」
「ええ。日曜日までゆっくり休めば、青木さんの気疲れも取れるでしょう」
 トマトのブルスケッタとブルーチーズ、それと赤ワインという青木から見れば食事とは思えないプレートに手を伸ばしながら、北川は3日間の休暇を提案した。青木の表情がパッと明るくなる。3日あれば、1日くらいは薪と会えるかもしれない。

「お休みだと言って油断させて、こっそり家の中に監視カメラを仕掛けたりは」
「ぷっ。青木さんて、面白いこと仰るのね」
 ワイングラスの脚を支えた細い指が、かくんと揺れる。ワインが波打ち、透明なグラスの内側に薄赤い痕を残した。
「そんなことは致しません。監査のために犯罪を犯したら、監査そのものが無効になってしまいますわ。わたくしも降格です」
 騙されるな青木、と喚く薪の声が頭の中に響いて、青木は思わず笑いを洩らした。まったく、薪の思い込みには振り回されっぱなしだ。あんなに頭がいいのに、だけどそういう所がたまらなくかわいい。

「なにか?」
「あ、いえ。すみません」
 何でもないです、と平静を装ったものの、青木の頭にはすでに薪との楽しい休日が描かれている。自然に頬が緩んでしまう。青木はポーカーフェイスが苦手なのだ。
「青木さんが何を考えてらっしゃるのか、当ててみましょうか」
 恋人のことね、と言われたら、そうです、と直球で返してやろうと思った。相手の氏名を訊かれたとして、そこまで答える義務はない。
「薪室長のことでしょう」
「そうで、っ、や、違います、てかなんで?!」

 パニクる青木を見て、彼女はコロコロと笑った。ワインのアルコールも手伝ってか、彼女はとても楽しそうだった。
「詳しいことは喋れませんけど、わたくしたちの情報網はとても優秀ですの。よーく知ってましてよ。あなたのことも、薪室長のことも」
 そのとき青木に迫られたのは、彼女が薪の敵であるかどうかの判断であった。自分は薪のボディガード。彼女が薪の個人データを収集し、それを悪用しようとしているならば阻止しなくてはならない。
 青木の目つきが変わったことに気付いたのか、北川はやんわりと手を振り、
「安心してください。わたくしたちはあなた方の敵ではありません。こうして薪室長そっくりに顔を変えたのも、あなたの監査に付いたのも、任務の一環であるとだけ申しておきましょう」
「任務?」
 青木は心底驚いた。妙齢の女性が任務のために顔を変えるなど、そこまでの自己犠牲が要求される部署が警察にあることを、その時まで青木は知らなかった。

「そんな任務に、どうして女性のあなたが」
「女性だからですわ。薪室長の容姿を真似るには、男性職員ではいくら骨を削っても無理だと整形外科の先生が」
「その病院、薪さんには教えないでくださいね。ネットで名前晒して手術ミス100件でっち上げて廃業に追い込むくらいやりかねませんから」
「青木さんて、本当に面白い方」
 冗談を言ったつもりはなかったが、彼女は可笑しそうに笑った。その笑顔に作り物の不自然さはなかったが、整形と聞いた今ではついその証拠を探してしまう。他人の青木が気になるくらいだ、本人はもっと気になるだろう。ましてや北川は女性。相当の覚悟が要ったに違いない。

「断ることはできなかったんですか」
「それは勿論。警察は軍隊ではありませんもの」
 青木の質問に、北川は首を振った。断ることが可能だったなら、何故。
「この任務を受けることを選んだのは、わたくし自身ですのよ」
「どうして」
「青木さんには恩がありますから」
「恩?」
 鸚鵡返しに聞いたのは、青木にはまったく覚えがなかったからだ。北川の元の顔が分かれば心当たりもあったかもしれないが、この顔には助けられた記憶しかない。
「それから、薪室長にも少し」
 彼女の言い方ではメインが青木で、薪の方がオマケのような感じだ。警察内部のことで、青木が薪よりも誰かの役に立つなんてことがあるとは思えないが。

「いったい何の話で」
「青木さんは知らなくていいことです」
 青木に恩があるからこの任務を受けたのだと、そう言っておきながら青木は知らなくていいと言う。女性と言うのは矛盾だらけの理屈が得意で、それを強引に通してしまう特技を持っている。
 複雑な顔で黙り込んだ青木を見て彼女は、その美しい顔に満面の笑みを浮かべ、グラスに入った赤ワインを軽快に飲み干した。

 それが青木が見た、彼女の最後の姿だった。
 2日後の土曜日、早朝。北川舞は、この店の裏の路地で死体で発見された。


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青木警視の殺人(6)

 こんにちは~。

 言い訳だらけの前記事に、やさしいコメントありがとうございました。秘密クラスタさんは本当にやさしい人がいっぱい。わたし自身は口唇炎のせいでマスクをしないと人前に出られない状態になってますが、他は至って健康でございます。特に事故が円満解決したおかげで、よく眠れるようになりました。唇も1週間もすれば治ると思います。そしたらお雑煮食べるぞ~♪
 

 ところで、年末には大ニュースがありましたね! 遅ればせながら、
 清水先生、『秘密』実写映画化おめでとうございます!
 原作者の承諾が無かったらプロジェクトは発動しないわけだから、先生は反対してないんですよね? でしたら、おめでとうございます。一ファンとして、わたしも一緒に喜びたいと思います。

 本音言うと不安が無いわけじゃないんですけど~(薪さんのビジュアルとかビジュアルとかビジュアルとか)、プラスの希望もあるんですよ。だってね、
 映画で盛り上がったら原画展とかあるかもよ? アニメで原画展が開かれたなら、(何のかんの言ってもあのアニメで認知度が上がったことは事実ですよね) 映画では画集が発売されちゃうかもよ? もしもそうなったら映画化バンザイじゃん!
 何より、
 映画化されることで秘密の連載が延びる!! かもしれない(〃▽〃)←これが一番うれしい。

 ポイントが微妙にズレてる気もしますが、見逃してください☆




青木警視の殺人(6)




 その日、日中の業務すべてを終了した第九研究室の職員たちが研究室正門を潜り抜けたのは、夕方の6時であった。
 夏至から一月あまり、まだまだ夏の日は長く、辺りは十分に明るい。気温も相当なもので、暑い暑いと連発して亀のように首を伸ばす曽我の横で小池が「おい、あれ」と出てきたばかりの門を指差した。少し離れた場所にいた宇野も、曽我と一緒に振り返る。
 門に向って、二人の男女が歩いてくる。北川監査官と青木だ。
 真面目な顔を崩さない青木に対して、北川は自然な笑顔で青木に笑いかけていた。これから二人で夜を共にする恋人同士のように、その身体は青木に接近していく。とても監査官と監査対象者とは思えない。
「北川さんてさ、青木のこと好きなんじゃないのか」
「マズイだろ、それ」
「だよな。監査官と監査対象者だもんな」
「いや、そうじゃなくて」
 薪さんが、とこっそり囁き合う。誰にも聞かれちゃいけない内緒の話。

「妙な邪推はよせよ。北川さんは誰に対してもフランクなんだよ」
 ほら見ろ、と宇野が指差す先では、北川が守衛に向かって「お疲れ様です」とにこやかに声を掛けていた。声はさほど大きくなくても、唇の動きで話の内容はほぼ分かる。彼女は守衛と世間話をしていた。
「宮下さんて仰るの。まあ、夜もずっとこちらに? それは大変なお仕事ね」
「いえ、みなさんの安全を守るのが自分の仕事ですから」
「お勤めご苦労さまです。そうだわ、これ、よかったら」
「え。いいんですか」
 守衛に手渡した袋の中身はおそらく手作りマフィン。今日の第九のおやつの残りだ。
 お菓子作りが趣味だと言う北川は、差し入れと称して何度か手作りの菓子を持ってきていた。それは見事な出来栄えで、こんな監査ならいつでも歓迎だと職員たちには大好評であった。

 恐縮した守衛が守衛室から出てきて北川に頭を下げる様子に、宇野は微笑む。
「な。分かっただろ」
 言いながら、宇野は彼女が見える位置に足をずらした。背の高い青木と、青木には負けるが180は軽く越している長身の守衛に挟まれると、北川は簡単に見えなくなってしまう。ちょうど青木と岡部に挟まれた時の薪みたいだ。
「っと。あの守衛、あんなにデカかったっけ」
「ちげーよ。いつもの守衛は夏季休暇中。奥さんとオーストラリア旅行だってよ」
 守衛が動くたびに隠れてしまう北川の姿を見ようと左右に身体を揺らす宇野に、小池が鋭く突っ込みを入れた。宇野が北川にホの字なのは今や第九全員の知るところだったが、小池は少しだけ面白くない。北川のことは、小池もちょっといいなと思っていたのだ。でも宇野に先を越されて、いまさら言えないって感じだ。
「スマホの画面ばっか見て歩いてるから。守衛の顔も覚えないんだよ」
 とは言ったものの、実は小池も守衛の顔はうろ覚えだ。警備員と言うのはいつも帽子を被っているから顔が見えづらい。警備の制服が顔みたいなものだ。さらに、守衛や立ち番の警官は、職員にとっては風景の一部と言う傾向が強い。宇野が守衛の顔を覚えていないのも不思議ではないのだ。

「悪かったな。おれのことはともかく、彼女は誰にでもやさしいんだよ」
 守衛相手にも彼女は親切だと言いたいのだろう。宇野がますます彼女に夢中になっていくのが手に取るように分かった。
「明るくて親切で無邪気で……ルーナみたいだ」
「ルーナって誰」
「知らん。どうせまた二次元人だろ」
 その話をし始めた宇野とは眼を合わせるな、が第九の鉄則になっている。ちょっとでも興味を持った素振りを見せると、一晩中キャラの魅力について語られてしまう。宇野の二次元ドリームは、室長の説教、青木の室長賛歌に並んで第九の聞きたくない話ベスト3に入っている。

 それから二人は連れ立って門を潜り、小池たちとは反対の方向へ歩いて行った。駅とは逆だ。
「どこ行くんだろ」
「あっちはレストラン街だぜ。やっぱりおかしいよ」
「だから邪推するなって。あれは聴取だよ」
 訳知り顔の宇野に、二人が揃って首を傾げる。北川に心を奪われた宇野のこと、二人のアフターについては小池たちよりずっと以前から気になっていたのだ。

 毎日のように北川と一緒に帰って行く青木を見るに見かねて、宇野は彼らの後を尾けた。そして二人がイタリアンレストランに入る現場を押さえた。注文を終えた北川が席を立ち、青木が一人になったところに出て行って、宇野は問い質した。万が一、監査官とそのような関係に陥ったら。青木だけじゃない、室長の責任問題にもなるんだぞ、とハッキリ青木に言った。そこに手洗いに行っていた北川が戻ってきて、事情を説明してくれたのだ。
 同僚に対する聴取と比べて、本人に行われる聴取は聞き取り項目も時間も桁違いに長い。宇野は知らなかったが、時間も30時間以上という規定があるそうだ。そんな長い時間を密室で過ごすのは苦痛だし、異性ゆえの別の危険も生まれてくる。そこでこういった飲食店を利用して聴取を行うのだそうだ。
 時間外に行うのは公務に支障をきたさないため。宇野たちのように半時間ほどの聴取では、仕事に差し支えない代わりに監査を期日前に切り上げることは不可能だ。できるだけ早く監査を終えて欲しいと言う室長の要望もあり、そのために自分もプライベートを割いて職務を遂行している、と彼女は、宇野の的外れなお節介に苦笑いした。
『もし第九の中でそんな誤解をなさる方がいらしたら、宇野さんから説明してくださいね』
 宇野は彼女に、そう頼まれたのだ。小池たちを納得させるのは自分の役目だと思った。

「そういうことだから。ヘンな噂、流すなよ」
 分かった、と頷いた小池と曽我だが、別れ道で宇野がいなくなると、どちらからともなく顔を見合わせた。互いの顔には同じ疑問符が浮いている。どちらも宇野の説明に納得していない様子だ。
「やっぱりヘンだよな?」
「うん、おかしい。監査課に同期のやつがいるけど、そんな慣例聞いたことないよ」
 帰り道を辿りながら、二人は同じ形に眉根を寄せる。写し鏡みたいな相手の表情に不安を煽られながら、小池は重苦しく呟いた。
「青木のやつ。厄介なことに巻き込まれなきゃいいけど」



*****

 巻き込まれなきゃ面白くないじゃない(笑)


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青木警視の殺人(5)

 あけましておめでとうございます。
 今年こそは心を入れ替えて頑張ろうと思ってますので、どうかよろしくお願いします。(←毎年言ってる)


 コメントのお返事も暮れのご挨拶もできませんで、誠に失礼しました。
 でも言い訳させて、つよし君。
 年末年始はみんな忙しいのが当たり前なので、それが理由にならないのは重々承知ですが。今年は本当に忙しかったんですよ(><)

 12月23日  叔母が亡くなりました。葬儀世話役をやることになりました。
 12月25日  従業員が交通事故に遭いました。役所および保険関係の対応をすることになりました。
 12月27日  実家の祖母が入院しました。
 12月29日  叔母の葬儀。世話役なので朝8時から夕方4時まで、最中、事故関連の電話がバンバン掛かってきました。
 12月30日  祖母の見舞いとお正月用品の買い出しに行きました。
 12月31日  葬儀および事故対応に追われて、できなかった仕事をしました。気が付いたら年が明けてました。

 幸い、従業員の怪我は軽く、打撲程度でした。祖母も命に関わるような怪我ではないので、安心しました。叔母はもう何年もがんと闘い続けていたので……楽になったと思います。ご冥福をお祈りします。


 年末+葬儀+事故+入院、と見事に重なったもんです。こんなことってあるんですねえ。
 ストレスなんでしょうね、口唇炎が5個もできちゃいましたよ。あんな狭いスペースに5つも吹き出物ができたら、何をどこからどうやって食べても痛いっての(--;
 そんなこんなでメロディ読めたの、今日の午後ですよ。感想はまた後ほど。コメントのお返事も、もうちょっと待ってくださいね。明日から旅行なんで……うう、家でゆっくり寝てたいよお。


 2015年、最初の記事なのに、言い訳だらけの後ろ向きなご挨拶になってしまってすみません(^^;
 今年は何事もなく、平穏無事に過ごせますように。
 特に事故は勘弁して欲しいです。






青木警視の殺人(5)



 聴取室にと定めたミーティングルームで、薪は北川と向き合った。MRI捜査は故人の脳を見る捜査だ。プライバシー厳守の為、いかなる理由があろうともモニタールームには部外者の立ち入りは禁止だ。よって今回の監査は、書類と、対象者及び関係者聴取のみによって行われることになっていた。

「青木警視がこれまでに担当した事件と、その貢献内容をまとめたものがこちらです。このように、彼は非常に着眼点が良い。彼のアイディアが解決の糸口になった事件が多数あります。現場の経験こそ少ないですが、その不足を補って余りある才覚です。勤務態度は真面目で実直。人望もある。問題があるとすれば、同情心の強い性格ゆえに事件関係者の境遇に感情移入しすぎることでしょうか」
 青木警視に対する室長の評価は、との質問に答え、薪は相手の反応を待った。シンプルな会議用デスクの向こう側で彼女は、最初そこに座った時と同じように、薪の顔をじっと見つめていた。
 彼女の写真を見た時は鏡を見ているようだと感じたが、こうして実際に会ってみれば全くの別人だ。いくら顔を似せても、男と女の骨格の差は大きい。セルフイメージの自分と現実の彼女を比べて薪はそのことに優越を抱いたが、他人から見たらそれはほんの数ミリの違いで、その現実を世間では気の迷いと呼ぶことを彼は知らない。

「他に、僕に訊きたいことがありますか? 無ければこれで」
 薪が口を噤むことによって二人の間に下りた沈黙は、いささか長かった。焦れて薪は次の質問を促したが、応えはなかった。
 ふざけるなと思った。
 彼女には、監査と言う重要な職務に就いている者の自覚が感じられない。答えが返ってこないのはこれが最初ではなかったし、今の薪の話を聞いていたのかどうかも怪しい。彼女の手元のノートは白いまま、少なくとも薪と向き合ってからは、彼女は一度もペンを動かしていない。こんな監査官がいるだろうか。

「よろしいですか、北川監査官!」
 厳しい声で呼びかける。ぱちっと大きな目が瞬かれ、はい、と返事をするが、何に対してのイエスなのか分かっていないに違いない。腹に据えかねたが、監査官相手に説教をするわけにもいかない。薪は努めて冷静に、二度目になる資料提示を行った。
「こちらの資料を読んでいただければ、彼が警視正に相応しい実績と能力の持ち主であることはご理解いただけるかと」
「ええ、もちろんですわ。薪室長の仰る通り、素晴らしい経歴です。青木警視は幹部候補生選抜も次席で合格しておりますし。警視正昇進は遅すぎたくらいですわ」
「それは仕方ないですよ。彼は昇格試験に落ちたんですから」
 どうして同じ試験に何度も落ちるのか、薪にはさっぱり分からない。毎年似たような問題が出るのだから、一度失敗すれば十分だと思うのだが。

 試験に受からなくとも、キャリア組には推薦と監査による昇任制度がある。警視正になるには警視長以上の階級にある上司3名の推薦が必要で、なおかつ、監査に合格しなければならない。監査は警視長3人分の人事考課と同等なのだ。その重要な監査で不合格になれば、それは青木の将来に渡って尾を引く失点となる。そうでなければ、薪はとっくに彼女にこの質問をぶつけていた。
『何故その顔に?』
 明確かつ必要性を満たした答えがあるなら教えて欲しかった。なぜ長官自らが青木の監査を人事部に命じたのか、その理由も知りたかった。しかしそれらの情報は本来なら薪が知り得ないことで、口にした時点で彼女を秘密裏に調べたことが分かってしまう。それは監査における重大な違反行為だ。本人に非がなくとも、青木は失格になる。黙するしかなかった。

「聴取にご協力いただき、ありがとうございました。次に、職員の聴取に移りたいと思います。対象者の青木警視を最後に、他の職員の順番を相談したいのですが」
「それは副室長の岡部と話し合って決めてください。現在、実質的に第九を回しているのは岡部ですから」
 内線で岡部を呼ぼうと、薪は手元の受話器を取り上げた。そこに北川の声が掛かる。
「その前に少しよろしいですか」
 まだ何か、と眼で尋ねる薪に、彼女は声のトーンを落として言った。
「実は、薪室長にお話しておきたいことが」
「なんです」
「わたくしの顔のことです」
 コールを待たずに、薪は電話を切った。不意を衝かれた薪の瞳が、小さく引き絞られる。まさか相手から切り出されるとは思わなかった。

「お察しのこととは思いますけど、この顔は整形です。上司に命じられてやったことですが、最終的に決断したのは自分です」
 彼女の告白は信じ難いことだった。上司が部下に整形を強要するなんてあり得ないことだと、彼女の言葉を否定しかけて薪は気付く。警察内にたった一つ、それが普通に行われている部署があるではないか。
「あなたはもしかして」
 薪が一つの可能性を示そうとすると彼女は首を振り、しかしその正しさを認めるかのように、にっこりと微笑んだ。
「僕と同じ顔にしたのは何故ですか」
「それは職務上の秘密ですからお話しできません。でも薪室長、わたくしはあなたに」
「薪さん、お呼びですか」
 コールは鳴らさなかったはずなのに、副室長がドアをノックした。内線のランプがたった一度点滅したのを見逃さない、岡部の目敏さが今回ばかりは邪魔になった。

「この事は内密に」
 小さく言って、北川は席を立った。ドアに近付いていく背中を、薪は慌てて呼び止める。
「待ってください。青木の監査は」
「監査はちゃんとやりますよ。ご安心ください」
 それから彼女はドアノブに掛けた手を止め、口元に運んでクスリと笑った。
「薪室長は本当に、青木警視が大切なのですね」
 嘲笑うように言われてカッとなった。拳を握りしめる。
 薪の想像が当たっていれば、彼女には特殊な人事データを閲覧する権利がある。もしかしたらそこには、薪と青木の秘密の関係も記されているのかもしれない。
「部下はみんな大事です」
「ええ。そうでしょうとも」
 勝ち誇ったように笑う、彼女の鼻っ柱にファイルをぶつけてやりたかったが我慢した。いやな女だと思った。
 以前にもどこかで、こんな感じの女にこの手の屈辱を味わわされたような気がする。咄嗟には思い出せないが、たしか何処かで。

「岡部副室長。みなさんの聴取ですが、順番はそちらで決めていただけますか? お仕事の都合もおありでしょうから、1日に2人ずつ、ひとり30分くらいで結構です」
「恐れ入ります。助かります」
 ドアを開いて顔を合わせた岡部にローテーションを託すと、彼女は「ちょっとお手洗いに」とその場を離れた。純情な岡部は赤くなって道を空けたが、薪は彼女の嘘を見破っていた。現在は男しかいない第九の女子トイレは、彼女を第九に送り込んだ上司へ電話をするのに絶好の場所だ。

「いやあ、彼女、気が利きますねえ。青木はいい監査官に当たってよかっ……なにか気に障りましたか」
 能天気な岡部の言葉に腹が立つ。睨まれて青くなる部下を一瞥し、薪は憤然と腕を組んだ。
「あの女、気に食わん」
「どこが気に食わないんです?」
「顔」
「薪さんと同じ顔で、あ痛てっ!」
 ファイルで思いっきり顔面を叩かれた、岡部が眼を白黒させる。痛めた額と鼻を武骨な手で押さえ、岡部はふごふごと言った。

「そろそろ時間じゃないですか。今日は議員会館に行くんでしょう」
「分かってる」
 官房室の仕事の一つに、犯罪対策閣僚会議に於ける企画案の提出がある。犯罪閣僚会議というのは政府内に設置された犯罪対策委員会のようなものだが、メンバーの閣僚たちは犯罪に関しては素人の集まりだ。そこに専門家の警察庁職員が出向いて、管轄行政区における具体的な犯罪抑止策を提示する。彼らはそれを自分たちの企画案として行政区に提出する。警察官房の名前はどこにも出ない。ボランティアのようなものだ。
 しかし、転んでもタダでは起きないのが警察官僚。企画案の見返りとして、警察側に有利な新しい法令の立案や改正を閣僚に持ちかける。薪が今閣僚たちと煮詰めているのは、MRI画像を状況証拠ではなく、物証として認める法案だ。
 MRI画像には視覚者の主観が入ることから、その証拠能力は不当に低く評価されてきた。被害者の画像に少しでも幻覚めいたものが映っている場合、MRI画像を裏付ける物証若しくは被疑者の自白が無いと、裁判では勝てなかった。この法案が通れば、MRI画像は物証と同等に扱われる。これまでのように、科警研に決定打を委ねることがなくなるのだ。

 薪は室長室に戻り、鍵の掛かったロッカーから会議用の資料と、それの何倍も厚いMRI法案のファイルを取り出した。当たり前のように岡部が着いてきて、ポールハンガーに掛かっていた上着を薪に差し出す。
「ハンカチ持ちましたか? にわか雨があるそうですから、傘も鞄に入れておきますね」
 仕事のことで頭がいっぱいの薪は、仕事に直接関係のないものをよく忘れてしまう。そこまでは誰にでも経験のあることだが、薪の困ったところは、それに気付いても面倒がって取りに戻らないことだ。例えば真冬にコートを忘れたとしても、絶対に戻らない。結局、後から気が付いた誰かが彼を追いかける羽目になる。何度言い聞かせても改善されないから、こうして出掛ける前に身支度を確認するようになった。
「おまえはいつまで僕のお母さんでいる気なんだ?」
「薪さんがご自分でご自分を労わってあげられるようになるまでです」
 熱中症予防にと、薪の口に塩飴を含ませようとする岡部から逃げるように横を向き、薪は苦笑いした。

「岡部」
 耳打ちするしぐさに、察しの良い副室長は背中を丸める。相手の唇の高さに自分の耳を持っていくと、薪は声を潜めて指示を出した。
「北川監査官はあくまで部外者だ。絶対にモニタールームに入れるな。それから、過去の事件調書の開示には応じるな。第九の秘匿権を行使しろ」
「――北川監査官にスパイの可能性があると?」
 これだけの言葉から薪の疑惑を言い当てる、岡部のひらめきは見事としか言いようがない。さすがは薪の女房役だ。
「確信はない。みなには言うな」
「分かりました。聴取の際、事件に関与することは喋らないよう注意しておきます」
「頼んだぞ」

 疑ってはみたものの、その可能性は低いと思っていた。もし彼女が第九の内部調査のために送り込まれた公安部のスパイなら、薪に正体を明かすような真似はしないだろう。或いは滝沢のように、第九で取り扱った過去事案に目的があるのかもしれない。それならば身分を明らかにした理由も分かる。公安部の任務は、そのすべてが秘密任務だ。公式に情報開示を求めるわけにはいかないのだろう。
 そう考えてみても、彼女が薪そっくりに顔を変えた理由には説明が付かない。上司に命じられてのことならば、これは任務の一環なのだろう。では、その任務とは何なのか。それに長官はどう関係しているのか。
 会議の時間が迫っていたこともあって、薪は彼女の問題を後回しにした。MRI法令は、是が非でも通さなければならない。
 監査は1ヵ月あるのだ。そのうち聞き出してやる。

 その決意が甘かったことを知ったのは、それから2週間後。青木警視が北川監査官を痴情のもつれから殺害したとの報告が、官房室にもたらされた後のことだった。


テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

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Author:しづ
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