蛇姫綺譚(5)

 新しいお話を書いてるんですけどね。(わたしだけが)面白いのよ、これが。
「破壊のワルツ」や「破滅のロンド」みたいな事件もので、滝沢さんも出てくるし。←生きてるの、ごめん。
「題名は『モンスター』って言うのよ」てオットに話しましたら、
「ありきたりだな」て返されました。
 どーせネーミングセンスないわよ。ふん。





蛇姫綺譚(5)





 目的の警察署には、午後の3時に到着した。

 薪の道案内は途中までは合っていたが、川を渡ってからは少し違っていた。目印の消防署が見当たらず、一度は通り過ぎてしまったのだ。橋を渡って20キロ走っても着かなかったので一旦引き返し、すると青木が小さな交番を発見した。車を停めて聞いてみれば、地元の警察はここだけだと言う。
「薪さんにも記憶違いってあるんですね」
「悪かったな。いいだろ、着いたんだから」
 なんだか妙に嬉しそうな青木の横顔を見上げながら、薪は心の中で首を傾げる。
 記憶が飛ぶことは結構ある。したたかに酔ったときとか、その勢いで青木と、まあそのなんだ、朝になると自分が何をしたか憶えていないことが殆どだ。しかし、記憶違いはしたことがない。何年も前の記憶なら他の記憶と混じることもあるかもしれないが、地図を見たのは昨夜のことだ。それなのに。

 交番のギイギイいうパイプ椅子に並んで腰かけて、年老いた巡査が淹れてくれた麦茶を啜りながらこそこそ話す。巡査は田崎と名乗った。
 田崎巡査は二人に背を向けて、しばらく電話を耳に当てていたが、やがて二人を振り返り、申し訳なさそうに口を開いた。
「すまんの。相方が聞いとったんやろうけど、電話に出んけん」
 警察官たるもの、非番の日でも連絡は取れるようにしておくものだ。他部署の指導に口を挟む気はないが電話にも出ないなんて、と思いかけて気付いた。この土地では携帯電話が使えないのだった。となると彼からの定時連絡を待つしかないが、時刻は午後3時。すぐに捜査に取り掛からないと、今日の進展はゼロだ。

「電話では、宮原さつきさんの資料を用意しておいていただけると」
「預かっとりませんねえ」
 随分無責任な話だが、地元警察の協力なしに捜査をするのはご法度だし、現実的にも無理がある。田舎の人間ほど余所者に対する警戒心は強い。薪は経験上、そのことを知っていた。顔見知りの巡査の紹介でもなければ、話も聞いてもらえないだろう。
「なあに、安心してつかあさい。わしが協力しますけん」
 田崎巡査は皺だらけの顔をくしゃりとほころばせ、とん、と自分の薄い胸を叩いた。
「わしゃあ、この村の駐在を勤めて40年になる。この蛇神村のことで知らんことはない」

 薪は思わず椅子から落ちそうになった。すでに町の名前から間違っている。この巡査、少々ボケが始まっているらしい。
「オレたち、町村合併の前の時代にタイムスリップしちゃったみたいですね」
「あほか。単なるボケ老人だろ」
「薪さん。そういう直接的な言葉は各方面からの反感を買いますよ」
 SF仕立てに皮肉る方がよっぽど嫌味だと思うが。

 認知症とまでは行かずとも、警察官としては完全にアウトだ。市名と同じく、彼は自分の勤務年数についても思い違いをしている。いくら地方の交番とは言え、警察は40年も同じ人間に一箇所の交番業務を預けたりしない。地元業者との癒着が起きるからだ。
「治安の良い田舎の交番勤務とは言え、こういう人が担当で大丈夫なんでしょうか」
「あの年じゃとっくに定年だろ。代行のシニア巡査じゃないのか」
 シニア巡査と言うのは元警察官で、県警本部が認めた交番業務の代行要員だ。今日は正規職員の巡査が非番で、彼が留守を預かっていたと思われる。

「宮原さんの家なら村外れじゃが。今は誰もおらんよ」
 天涯孤独の身の上だと聞いていたから、それは承知の上だ。それでも、近隣の者に彼女の話を聞くことはできるだろう。
「ここからじゃと来た道を戻るようになるの」
 簡単な手描きの地図を渡されて、二人は顔を見合わせた。この地図に従うと、トラブルに巻き込まれた畑の道を通ることになる。
「他の道はありませんか」
「あるにはあるが。遠回りになるけん」
「多少遠回りになっても構いません。そちらの道を教えてください」
 懇願する青木に、老巡査は疑わしげな視線を向けた。無理もない。これから捜査に向かうのに、わざわざ時間の掛かる回り道を尋ねられたのだから。

「実はここに来る前に」
 青木は畑であったことを正直に話した。厳密に言えば村人たちの行為は暴行罪に当たり、巡査は勧告なり厳重注意なり何らかの行動を起こすかもしれない。すると捜査がやりにくくなる。だから黙っていたのだが。
「そりゃあ災難だったの」
 話を聞いた老巡査が苦笑したのを見てホッとした。事件にする気はないらしい。
「蛇姫信者の中には血の気の多い者もおるけん。大層美人の神さまという話じゃからの。男衆には人気があるんじゃろ」
 一見して、若い女性の少ない村だ。神さまが美女と言うのは納得できる話だ。
「蛇神のご利益は金運が多いみたいですけど、美しい女性神なら恋愛のご利益もあったりします? ――痛っ」
 意気込んで尋ねた青木の足を、薪は机の陰で蹴り飛ばす。もしもあれば参って行こう、そう考えているのがバレバレの顔だったからだ。涙目で見られたから、僕は行かないぞ、と睨みつけた。

「蛇姫は子宝の神さまじゃよ。蛇姫に祈れば、長年子供のできない夫婦はもちろん、女の機能を失った女、果ては男でも身籠ることができるそうじゃ」
「へえ。それはなんと言うかその、強烈なご利益ですね」
「言い伝えでは、蛇姫は元々は男神での」
 老巡査が語った伝承によると、この村は昔から女性が少なかったそうだ。そのために何年もの間赤子が生まれない年が続き、村の存続が危ぶまれた。そこで村の衆が蛇神さまに相談したところ、神さま自ら女になって何人もの子供を産み、村を救ったと言う話だった。
 世の中には色んな神さまがいるものだ。その多くは困窮した人々が作りだした自分たちに都合の良い夢物語。女性が少なく、子宝に恵まれ難かったこの村の、それが願望だったのだろう。

「なんでもありですね」と失笑する薪を、巡査は老人特有のやや横柄な目つきで見た。それから「よっこいせ」と立ち上がり、作りつけの戸棚から古い地図を取り出した。
「普段使わん道だでの。あんた、見てくれんか。細かい字はよう見えんけん」
「田崎さん。こちらの方は」
 警視長をあんた呼ばわり。焦った青木が思わず口を挟むと、
「かまわん。年長者には敬意を払わんとな。僕たちの大先輩だ」
 薪は飲んでいた麦茶のコップを静かに机に置き、田崎から地図を受け取った。捜一の資料に書かれていた被害者の住所を索引から調べる薪に、田崎は小声で、
「余計なお世話かもしれんがの。あんた、もう少し口の利き方に気を付けた方がええよ」
 しまった。小さい声で言ったつもりだったが、ボケ老人発言を聞かれていたか。ここは謝ってしまった方がいい。

「すみません。失礼なことを言いました」
「わしに謝ることはねえ。あんたの上司に言いなせえ」
「は?」
「いけんよ。上司にはもっと丁寧な言葉を使わんと」
 こらクソボケジジ、いやその、誰が誰の上司だって?
「あの上司も悪い。わしの若い頃は、上司にあんな口をきいたら拳が飛んできたもんじゃ。要は、上のもんが甘やかすから若いもんが付け上がるんや」
 上司と部下の適切な言葉使いを理解しているくせに、僕が上司となぜ気付かない!
 カチンときたが、ムキになって誤解を解きにかかるほど薪も子供ではない。相手は70過ぎの老人だ。老眼もだいぶ進んでいるようだし、多少のカン違いは仕方ない。
「あちらさんの気持ちも分かるがなあ。おまえさん、可愛い顔しちょるけん」
 とうに40を超えた男を捕まえてカワイイとは何事、いや、相手は自分の親のような年齢なのだ。子供扱いされても仕方ない。
「女子(おなご)は得じゃの」
 その干からびた体、交番の窓から外に放り投げてやろうか。
 目的地までの道筋を地図に書き込む巡査の後ろで、薪はこっそりと呪詛の言葉を吐いた。

「この道じゃと、車使うても30分くらいはかかるかねえ」
「結構広い町なんですね」
「田舎だで。土地だけはあるさあね」
 老巡査の言葉通り、その道は大きく迂回している分距離はありそうだ。街中を抜けるルートらしく、役所や文化センターなどの公共施設が道沿いにあった。目的の家の近くには浄水場もあり、それらが目印として役立ちそうだった。
 設備投資の少ない田舎の交番で、コピー機なんて便利なものはないから地図を携帯のカメラで撮影することにした。ついでに確かめたが、電波は圏外のままだった。

 それから二人は、田崎巡査から宮原さつきについての情報を得た。両親は彼女が20歳の時に亡くなったこと、翌年の春、21歳の時に上京し、それきりここには帰ってこなかったこと。多くは一課の資料の確認であったが、中には有益な情報もあった。彼女の出生についてだ。
「さつきちゃんは、宮原の実の娘じゃなくての」
「養女ですか。本当の親は何処に」
「分からん。そこまでは知らんよ」
 この村のことなら何でも知ってるんじゃなかったのか。
 まあいい。その辺りのことは近隣への聞き込みで判明するだろう。

「もうひとつ。5年ほど前、この町で子供が行方不明になったことはありませんでしたか」
 宮原さつきの故郷の事件は、昨日のうちに調べてきた。5年前、子供が被害者になった事件は無く、誘拐事件もなかった。可能性があるのは事故として処理された事件と、行方不明者だ。これは地元の警察でないと分からない。事件にならなければ公式記録には残らないからだ。
「子供?」
「ええ。3、4歳くらいの男の子だと思うんですが」
 田崎巡査は首を横に振った。こういう田舎町で子供がいなくなれば大騒ぎになるはずだ。5年前とは言え、駐在の記憶にも残っていないのではこの線も薄いか。
「さつきちゃんとその男の子と、何か関係があるんかい」
「それは言えません。すみません」
「いや、捜査上の秘密なら仕方ない。しかし、さつきちゃんは特に子供好きということもなかったと思うがなあ。物静かで、家にこもって本ばかり読んでる娘じゃった」

 それ以上、巡査から得られる情報はなかった。
 薪は念のために地図をもう一度見てルートを頭に叩き込み、二人は交番を後にした。


 二人がいなくなった後、田崎巡査は1本の電話を掛けた。
「今、こっちを出たところじゃ。後はよろしくの」

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蛇姫綺譚(4)

 5連休ですね。みなさんはいかがお過ごしですか?

 うちは、
 仕事です! 5日とも!!
 だって……あんなに雨が続いたら工期に間に合わないよ……。

 てなわけで、シルバーウィークも通常運転でございます。
 本日も広いお心でお願いします。





蛇姫綺譚(4)





「あれっ。あれあれ?」
 川を渡って5分ほど走った頃、またもや青木が騒ぎ出した。
「どうした」
「いや、エンジンの調子が……あ」
 プスン、と車は空気の抜けるような音を出し、ガクンと車体を揺らして止まった。今度は竹内の呪いだろうか。
「おかしいなあ。ちゃんと点検済みのものを借りてきたのに」
「整備したやつがいいい加減だったんだろう。帰ったら整備部に文句を言ってやる」
 ちょっと見てみます、と青木はボンネットを開けた。車オタクの青木は車のメカ構造にも詳しい。エアロパーツの取付けはもちろん、ドライブレコーダーやナビは自分で配線するし、簡単な故障なら自分で直す。こと車に関して、薪の出る幕はない。

 薪が車の中から様子を伺っていると、青木はトランクから工具を取り出し、本格的にエンジンをいじり始めた。これは時間を食いそうだ。
 薪は車から降りた。
 見渡す限りの広大な畑が広がっている。土と草の匂い。明るい日差しの中、人々は農作業に勤しみ、空ではヒバリの声がする。のどかな農村の風景であった。

 薪は小石を踏み分けながら砂利道を進み、目に着いた畑の、一番近くで畝を作っていた男に話し掛けた。
「お仕事中にすみません。警察に連絡を取りたいのですが、お宅の電話を貸していただけませんか」
 車の故障で約束の時間に遅れそうだから相手方に連絡をしなくてはならない。しかし、携帯電話は使えない。公衆電話も無いから誰かに家の電話を借りるしかない。
「警察? なにか、困りごとかね」
 金でも落としんさったか、と心配そうに尋ねる男に薪は顔をほころばせた。一般に田舎の人は警戒心が強く、余所者を歓迎しない傾向がある。以前、青木が誤認逮捕された町などはその典型で、薪は大層辛い思いをした。
 ここの住民は余所者にも親切でやさしい。こんな風に思いやりの心に満たされた土地柄なら、あの孤独を絵に描いたような宮原さつきも、きっと孤独ではなかったはずだ。荒れた生活をしていたようだが、それでも彼女はこの町を出るべきではなかった。

「僕は東京から来た刑事です。こちらの警察の方と約束がありまして」
「東京の刑事さんが、こんな田舎になんの用ね」
「宮原さつきさんと言う女性について調べています」
「宮原?」
「5年ほど前まで、こちらに住んでいたはずですが。ご存じありませんか」
「知らんなあ」
 宮原さつきの家は、この近所ではないらしい。
「では、5年ほど前に事故、あるいは行方不明になった子供に心当たりはありませんか。3、4歳の、男の子だと思うのですが」
 二番目の質問にも、男は首を振った。それほど期待して訊いたわけではなかったが、幸先の悪いことだ。
 薪が少しだけ眉を寄せると、男は持っていた農具を畝の傍らに置き、手に付いた土を落とすためにパンパンと手を叩いた。
「駐在さんには俺から連絡しちゃるけん。あんたら、車がエンコしたんやろ。迎えに来てもらえるよう頼んじゃるわ。そこで待っとって」
 そうしてもらえると助かる。薪は素直に礼を言った。

「ひゃあっ!」
 男が自宅に戻りかけた時だった。青木の悲鳴が聞こえた。
 驚いて振り向くと、青木が飛びのくように車から離れるのが見えた。さては焼けたエンジンを触って火傷でもしたのかと、薪は慌てて彼に走り寄った。

「怪我をしたのか」
「あ、違います。ちょっと驚いただけで……でも、こんなことって」
 口に手を当てて眉をしかめる青木の様子に、薪もエンジンルームを覗き込む。ラジエーターやバッテリーの周りを埋め尽くすコードやチューブに混ざって、そいつらはいた。
 それは3匹の蛇だった。青、緑、赤とそれぞれ色が違う。焼けたエンジンルームの中で、それらは息絶えていた。肉の焦げる臭気が辺りに漂う。
「どうやって入ったんだ」
「ボンネットは割と隙間がありますから、それほど珍しいことではないんです。ただ」
 3匹って言うのはちょっと、と青木は語尾を濁し、困り果てた表情で薪を見た。ここにきて4匹目の蛇だ。夏だから蛇が出てくるのは自然だが、その悉くを死なせてしまっているのだ。少々、気味が悪い。

 とにかく、この死骸を取り除かねばならない。焼けた部品に触らないように気を付けて、彼らを外に出した。先ほどの白蛇同様、埋葬してやりたいところだが、周りは畑ばかりだ。誰だって自分の畑に蛇の死骸を埋められるのは嫌だろう。
 ひとまず、ここへ来る途中に立ち寄ったコンビニの袋に入れた。障害物が無くなったから車も直るかもしれない。青木はスパナを握り直し、薪は蛇の死骸をトランクに入れようと車の後部に回った。
 トランクには、3日分の着替えを詰めたボストンバックが2つと、私服に着替えた時のための薪のスニーカーが置いてある。その横にビニール袋を置いた。
 と、そこに人影が差した。振り返ると先ほどの男だった。警察署と連絡が取れたのだろう。親切な男に薪はにこりと笑いかけた。

「ありがとうございます。先方は、なんて?」
「警察は来ん」
「え。それは何故」
「あんたたちは蛇姫さんの使いを殺した。このまま帰すわけにはいかん」
「は? 一体なんのこと」
 周りを見ると、いつの間にやら囲まれていた。農民たちは怒りに眼を赤く濁らせて、手に手にショベルやら鍬やらを持っている。たった今まで農作物に命を吹き込んでいた農具が人の命を奪う武器になるのだ。農村てこわい。

「みなさん、落ち着いてください。僕たちは何かあなた方の気に障ることをしてしまったのかもしれませんが、決して悪気があったわけでは、わ!」
 言葉半ばで、薪の足元に鍬が振り下ろされる。こいつら、目がイッちゃってるぞ。
「申し開きは儂らではなく、蛇姫さまにしろ」
「ヘビ? 蛇がなんだって?」
「なんてバチ当たりな。蛇姫さまを知らんのか。あのありがたい神さまを」
「神さま?」

 これは厄介だ、と薪は思った。
 田舎に良くある土地神信仰と言うやつだ。この辺では蛇姫とやらが神さまで、蛇はその使いだと信じられているのだろう。それをいっぺんに3匹も殺してしまった余所者――本当は4匹なのだか――に対する制裁を、彼らはこの場で加える気なのだ。
 相手は5人。武器を持っているとはいえ、全員素人だ。2、3人投げ飛ばせば恐れをなして引き上げてくれるかもしれない、と薪が構えを取って腰を落とした時。

「薪さん、乗ってください!」
 ラッセル車のように突っ込んできた青木は、一気に3人の男を跳ね除けた。タイミングを逃さず、薪は車の中に逃げ込む。体格と腕力に物を言わせ、青木は更に2人の男を薙ぎ倒し、運転席に乗り込んだ。
 砂埃を立てて車が急発進する。さすがに、追いかけてくる者はいなかった。

「ああ驚いた。田舎って怖いなー。たかが蛇が死んだくらいで」
「だから祟りですよ! さっきの白蛇のタタリ!」
「あれは祟りって言わないだろ。完全に人災だろ」
 蛇を崇め奉っている前時代的な村で、たまたま運悪く蛇がボンネットから侵入して死んで、それを土地の者に見られただけのこと。帰りは別の道を通れば済む話だ。あの暴力的な教義は問題があるが、それこそ余所者が口を挟むことではない。
 小心者の青木が小声で白蛇の成仏を祈り続ける横で、薪はさっさとその事件を頭の中から追い出した。

 が、後から振り返るに、これは青木の方が正しかった。
 この時、彼らはすでに捕えられていたのだ。人智を超えた恐ろしい蛇姫の呪いに。



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ジャンル : 小説・文学

蛇姫綺譚(3)

 日曜日、横浜の原画展に行って参りました!
 土曜日の夜に行けることが決まったので、お友だちに声を掛ける暇もなく、今回はオットと一緒です。

 1巻の原画は初見でしたが、10年以上も前の作品とは思えないクオリティの高さでした。
 大変失礼ですが、漫画家さんの中には、「最初ひどかったけど上手くなったなあ」とか、「昔はよく描き込んでたのに最近デフォルメ強すぎて残念」という方もいらっしゃると思うのですけど、清水先生の場合はそれが全くないのが素晴らしいと思います。
 10年前から、てか、デビュー当時からレベル100で、最近はもう人間のレベル超えたんじゃないかってくらい美しい絵を描かれて、しかもアングルや構図なんかどうやって思いつくんだろうって不思議になるくらいカッコよくなってきて、この人あれだ、
『進化する神』
 オットにはそう説明しておきました。

 原画の並びは順不同でございました。
 秘密未読のオットが、「これ、どっちから読むの?」と訊くので、番号順に指差して行ったら「覚えてるの?」てドン引かれましたけど。聞いておいて引くってどういうこと?

 
 店員さんに聞いたら、原画展は9月一杯やってるそうです。
 コミックス2,3巻同時購入特典のクリアファイルも在庫有り、でしたので、まだの方はぜひ!

 *開催会場を追記しておきます。
  有隣堂書店 横浜西口ザ・ダイアモンド店
  地図はこちら  (ぽちると案内図に飛びます)




 さて。
 お話の続きです。
 本日もよしなにお願いします。



蛇姫綺譚(3)






「すごい田舎ですねえ」
 運転席の感心したような声に、薪は書類から眼を離して顔を上げた。少し気分が悪い。砂利道を跳ねる車内で細かい文字を追っていたせいか、車に酔ったらしい。
 窓を開けて風を入れる。閉塞感は緩和されたが爽快感は得られなかった。顔に当たるのは夏の盛りのむっとするような空気。今日も文句なしの真夏日だ。

「オレの田舎よりすごいです。30キロ走って車一台通らないなんて、本当にこの先に町があるんですか?」
「心配するな。道は一本道だ。方向音痴のおまえでも迷いようがないはずだ」
 青木の疑問に皮肉を返し、薪は小さく呟いた。
「捜一の資料が正しければな」
 捜査一課から預かった資料を封筒に戻し、薪は物憂げに車窓を眺める。捜一から資料は借りられたものの、捜査協力は得られなかった。抽出できたMRI画像が曖昧過ぎたのだ。

 もとより、MRI画像には証拠能力がない。MRIに映っている容疑者を逮捕するためには裏付け捜査が必要だ。宮原さつきの事件も、工務店の男を探し、彼の同僚や家族から話を聞き、アリバイを確認し、任意同行の上で自白に追い込んでいる。MRIだけでは犯人を見ることはできても捕まえることはできないのだ。
 その理由は、MRI画像が人間の脳から生み出された映像であることに尽きる。
 MRI画像は当事者の主観が強く表れるため、現実とは違った映像になることがある。例えば酷い暴力を受けた時など、相手の顔が本物の鬼のように映るのだ。これではモンタージュが作れない。
 そう言った一面が、MRI捜査全体の証拠能力を引き下げている。最先端の科学技術を駆使して人間の脳から取り出したMRI画像が、科学的根拠に乏しいと言う理由で証拠にならない。何とも皮肉なことだ。

 幻覚と現実の見極めは捜査官の力量に掛かってくるわけだが、人間のすること、絶対はないと言われてしまうと否定はできない。これを改善するには法から制定しなければならない。
 現行の裁判制度では、有識者の意見を付与することによって様々な状況証拠が物証に劣らない威力を発揮する。医療裁判における医学者の証言、精神鑑定における精神科医の診断等がその例だ。それに追随する形で、MRI捜査官による検証制度を作れないかと薪は考えている。その際、第九の捜査官に検証させたのでは身贔屓を疑われるから、アメリカやフランス等、利害関係を生じない第三国者に検証してもらう。他国のために誰がそんな面倒を、と失笑されそうだが、何処の国のMRI捜査でもこの問題は付いて回るはず。他国に出向く必要はなく、データのやり取りをするだけだからそれほどの手間は掛からない。互いに協力体制を整えれば実現可能な話だし、双方の利になるはずだ。
 ただし、今回のように熟練した捜査官でも判断が難しい場合には、やはり現場での検証が必要となる。その場合の規約をどのように定めるかは今後の課題であるが、まずは裁判で確かな証拠としてMRI画像が認められる道を作ること。それが自分にできる、第九室長としての最後の仕事だと思っている。

 それはさておき。
 捜査一課の協力が得られないとなれば、自分たちで行動するほかはない。積極的に行使することは少ないが、第九には独自の捜査権が認められているのだ。
 そんなわけで、被害者、宮原さつきの生まれ故郷、N県K市に二人は来ている。

 例の殺害シーンが映っていた5年前、捜一の調べに依れば宮原さつきはN県の田舎に住んでいた。東京に出て現在の会社に就職したのが4年前。21歳まで、彼女は地元で暮らしていたことになる。
 親兄弟もいない彼女が、20年以上も住んでいた土地を離れるからにはそれなりの理由があったはずだ。それもまた、あの画が真実である可能性を高める。何よりも青木が。
 初めて、捜査官としてのカンを働かせて掘り当てた事件なのだ。他の誰も気付かなかったのに、青木だけが彼女の異常性に気付いた。調べもせずにお蔵入りなんて、そんなことはできない。強い決意のもと、雹のごとき中園の厭味を潜り抜け、小野田の冷たい視線を黙殺し、3日間の猶予を捥ぎ取って来たのだ。

 そこまで考えて薪は、はたと気付く。
 もしかして、これって公私混同? いや、第九の誰が言い出したことでも調べたさ。岡部はもちろん今井でも小池でも、あ、曽我はちょっとビミョーかな……。

 軽く首を傾げた瞬間、何かに突き飛ばされたように薪の身体が前に振られた。下腹にシートベルトがめり込んで、思わず呻く。
「すみません、大丈夫ですか」
「なんだ。曽我の呪いか」
「は? 曽我さんがどうかしましたか」
「いや、なんでも……お」
 車の運転なら総理大臣の運転手にも引けを取らない青木が急ブレーキなんて、どうしたことかと思えば砂利道の上に障害物。それは一匹の蛇であった。右の草むらから左の草むらへ移動中だったらしい。ノンブレーキで轢いてしまったと見えて、細長い身体が2つに轢断されていた。

「砂利道が保護色になって。見えませんでした」
「白蛇か。珍しいな」
 舗装道路なら白い蛇は目立っただろうが、砂利道、それも再生材を使用した白っぽい砕石道路で白蛇を見つけるのは、自転車でも難しかろう。
 青木は路肩に車を停め、道に降り立った。交通の障害になる死骸を片付けるつもりらしいが、果たして。

「ふわっ、ひっ、ひゃっ」
 情けない悲鳴が聞こえてくる。青木は蛇が苦手なのだ。その証拠に、動物園の爬虫類ブースではいつも無言になる。蛇特有のぬめるような肌質に生理的恐怖を感じる人間は多いが、彼もそうなのだろう。見かねて薪は車から降りた。
「おまえはサル以下か」
 青木は素手で蛇の死体を動かそうとしていた。その辺に落ちている棒切れか何か使えばいいものを。
「でも。この蛇はオレが轢いたんですから」
 まったく青木らしい。苦手な相手にも誠実を尽くそうとする。薪にはできない芸当だ。
 薪は「やれやれ」と大仰に肩を竦め、長々と地面に横たわった白蛇の死骸を両手で持ち上げた。慌てて青木が手を差し出す。
「薪さん、大丈夫です。オレがやります」
 薪に被害が及ぶとなれば、生理的嫌悪など消えてなくなる。こと薪に関してだけ、青木は時々人を超える。
「僕も乗ってたからな。同罪だ」
 もう半分を持って来い、と薪が命じると、青木は、目を背けながらではあったが、半分になった蛇の尾っぽの方を子猫でも持ち上げるようにそっと両手に乗せた。

「で。どうするんだ」
「この辺りに埋めてあげましょう」
 言うと思った。交通の邪魔にならない場所に捨てておくとか、そういう発想は青木にはない。
「穴はおまえが掘れよ」
「はい。――あの樹の下にしましょう」
 田舎道の両側は我が物顔でのさばる雑草と、その花の小さな紫色に覆われていたが、5メートルほど先に1本だけ、大きな樹が佇んでいた。樹が養分を吸い上げてしまうのか、その周りだけ草が少ない。墓も作り易そうだった。

 穴は青木が掘ったが、土をかけるのだけは手伝ってやった。白く細い身体を渦巻の形に丸くして、暗い穴の底に収まった姿を見れば、青木ほどではないが可哀想なことをしたと思う。彼の仲間たちは今この瞬間も夏を謳歌しているのに、こいつには微生物に分解される未来だけが待っているのだ。
 隣で、簡素な墓に向かって屈み、汚れた手を合わせる青木の横顔に、少しでも白蛇の魂が救われてくれることを願った。

「青木、そろそろ」
 薪は立ち上がって出発を促したが、青木は一心不乱に蛇の冥福を祈っている。まったくもって青木はやさしい。こんな行きずりの爬虫類にまで、それは自分には持ちえない美徳だ。職務中の寄り道だということも忘れて、惚れ直してしまいそうに――。
「青木?」
 青木の唇が小さく動いていることに気付いて、薪は再度屈んだ。顔を寄せ、じっと耳をそばだてる。すると、
「祟らないでください、呪わないでください、お願いします、お願いしま、痛っ」
 自己保身かよ! 惚れ直して損した!

「なに非科学的なこと言ってんだ。それでもおまえは第九の捜査官か」
「だってっ。白蛇は神さまの使いだって昔から」
「ああん? アクマの間違いだろ」
 エデンの園で、アダムとイヴを唆して知恵の実を食べさせた。どちらかと言うと悪いやつだ。
「白蛇は特別です。ご神体として祀ってる神社も、だから蹴らないでくださいよっ」
「白蛇に特別な能力なんて無い。白化現象を起こしてるだけで蛇は蛇だ。祀り上げられて、できもしないことを期待される方も迷惑だ」
 行くぞ、と厳しく追い立てると、青木はようやく腰を上げた。車に戻り、汚れた手をウェットティッシュで拭う。車をスタートさせると、5分も走らないうちに市境界の印の立札を見つけた。珍しいことに、今どき木札だ。大分古いものらしく、「ようこそ」と書かれた文字の下にはK市の名前があったのだろうが、風雨に晒されて消えてしまっていた。

 やがて、点在する民家が見えてきた。
 立札に相応しいレトロな風景で、揃いも揃って年代物の民家の周りは一面畑だ。胡瓜やトマト、南瓜などの夏野菜がたわわに実っている。夕飯の野菜料理が今から楽しみだ。
「なんだ、すぐ傍まで来てたんですね。その割には人の姿が見えなかったけど」
 これだけ田畑が広がっていれば、住民たちはその殆どが農業人で、昼間は畑仕事で忙しいのだろう。天気の良い日にふらふらしている者などいないのだ。

「あれっ?」
 青木が訝しげな声を出したかと思うと、アクセルを緩めた。蛇を轢いた時ほどではないが、前方へと身体を振られて、薪は足を踏ん張った。
「どうした」
「いえ、急にナビが消えちゃって。どうしたんだろう」
「故障だろ。公用車だからな。予算的にも車検が精一杯でナビの整備まではなかなか、――うん?」
 車のナビゲーションの代わりにスマホの地図アプリを起動させたが、『ページを表示できません』とエラーが出た。見ると、右上に圏外の文字。これではルート検索が使えない。
「嘘だろ」
 海の中でも携帯電話が使えるこの時代に、圏外って。

「困りましたね。道を訊こうにも人の姿は見えないし。どっちへ行けば」
 二人が目指しているのは地元の警察署だ。管轄外の場所で勝手に捜査をするわけにはいかないから、電話で話は通しておいた。先方に自分たちが行くことは伝えてあるから、電話さえつながれば道を訊くことも迎えに来てもらうこともできたのだが。
 困惑する青木に、後部座席から薪の落ち着いた声が聞こえた。
「そこ、右だ」
「え」
「5キロ走ったら左。川を渡って12キロ先に消防署。その裏手が警察署だ」
 目を丸くする青木に、薪はルームミラーの中から話しかける。
「昨日、地図を見ておいた。道の形状と大体の距離しか覚えてないけど、何とかなるだろ」
「薪さんの頭の中ってどうなってるんですか」
「頭蓋骨の下に髄膜、大脳に覆われるように脳梁と脳弓、その下に間脳、更に下に脳幹があって」
「いや、脳の構造についてレクチャーを受けたいわけでは……もういいです」
 人に質問しておきながら答えを途中で遮った青木に薪は些少の苛立ちを感じたが、何も言わずに引き下がった。我ながら現金なことだが、久しぶりの現場で機嫌がよいのだ。薪は微笑さえ浮かべて背もたれに寄り掛かり、どこまでも広がる田畑の風景を眺めた。

 しばらく走ると、畑で働く男たちの姿が見えてきた。意外なことに若者の姿が目立つ。今や第一次産業に従事する若者は絶滅寸前だと聞いていたが、この地域では率先して農作業に臨む若者が大勢いるらしい。頼もしいことだ。
 逆に、女性はひどく少なかった。
 特に若い女性は皆無で、背中の曲がった老婆しか見かけない。えらく偏った人口ピラミッドだが、地方では珍しくない。農家の嫁は重労働だ。成り手がいないのだろう。
 こんな処に竹内が来たら30分と我慢できまい。老婆たちが集団で豆をむしっている大豆畑の真ん中に放り込んでやりたいものだ。想像して薪は、薄く笑った。



テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

蛇姫綺譚(2)

 コミックス買いました!
 冒頭の部分が加筆されてましたね。事件の背景がより分かりやすくなってました。
 
 本誌連載中はあーだこーだ言いましたが、まとめて読んだらよかったです。
 エンドゲームの時もそうだったんですけど、一気に読むとすんなり読める。大騒ぎした「好きだじゃなかった事件」も、意外なくらい納得できて。「一番手のかかる家族」、いーじゃない、それ。なんか薪さんらしいよ。
 青木さんも、諦めちゃったの?! と思ってたけど、そうじゃないんですね。薪さんは見送りとかそういうの苦手、だから(手紙のことも)いいんです、てことなんですね。諦めたなんてどこにも書いてない。青木さん、笑ってるし。きっと心の中で、(急がなくていいです、待ってますから)って言ってたんだよ、きっと。そうじゃないと、
 新連載の青木さんの態度につながらないじゃん。
 まあ、薪さんは完全に今の状態に満足してるみたいだけど……ただ、その気持ちも分かるんだよね。現状維持なら誰も傷つかないもの。先に進むのは勇気がいるよね。ちょうど構図的には2061年のうちの青薪さんみたいになってるのかな。青木さんは薪さん大好きで、薪さんはそれを嬉しく思いながらも上司と部下の一線を超えないように頑張ってる。でもそれは長くは続かない……のは男爵だからか。原作薪さんなら10年くらい引っ張りそうで怖いわー。


 さてさて。
 お話の続きでございます。





蛇姫綺譚(2)






 捜査一課から協力依頼のあった事件の被害者は、ごく普通の中小企業に勤めるOLだった。全身を30箇所以上も刃物で刺され、自宅付近の川に遺棄されていた。
 被害者の名は宮原さつき、25歳。親兄弟も親類もなく、天涯孤独の身の上。そのせいか、美人だが雰囲気が暗い。
 初動捜査で目撃証言は得られなかった。事件現場は人通りの少ない河原、しかも犯行は雨の夜に行われた。翌朝、散歩途中の老人が死体を見つけるまでに、証拠は雨が洗い流してしまっていた。

 遺体の状態から怨恨の線を洗い始めた捜査陣は、しかしすぐに壁にぶち当たった。彼女は孤独に、ひっそりと生きていた。両親はおらず、親しい友人もなく、恋人もいない。あまりにも孤独過ぎて、殺されるような理由が全く見当たらなかった。
 怨恨の線がなければ通り魔か。ならば近いうちに同じように川に女の死体が上がるだろう。さすれば新たな証拠も出ると捜査本部は考えた。が、事件発生から3ヶ月が過ぎても類似性のある事件は起きなかった。
 もはや考えられるのは、通り魔殺人、それも一発屋。となると、犯人の絞り込みは困難を極める。
 ここに到ってようやく、第九に捜査依頼が来た。遺体の損壊が激しい事件、初動捜査が振るわなかった事件被害者の脳は万が一に備えて冷凍保存しておくのが慣例になっている。おかげで最近、第九には冷凍された脳しか回ってこなくなった。

 捜一の捜査は難航したが、第九での捜査は順調だった。
 首から下の損壊はひどかったものの、脳と眼は無事だった。彼女の最期の画――それは暗い川の底に沈んだ粗大ゴミの画だった――から遡ること1時間。土木作業員風の男が彼女に言い寄ろうとし、それを拒まれて犯行に至った経緯が判明した。
 無我夢中だったのだろう、男は恐ろしい形相で凶行に及んでいたが、彼女が動かなくなったことに気付くと、急に自分がしたことが恐ろしくなったらしく、彼女を川に捨てて逃げてしまった。犯人の男は顔を隠しておらず、しかも自分が勤めている工務店の社名が入った作業服を着ていた。その画像から身元を割り出すのは造作もないことだった。
 かくして犯人は確定され、捜査権と資料は捜査一課に返った。この事件に於いての第九の仕事は終わった。
 はずだった。

「な?」
 不機嫌そうな声で同意を促され、でも何のことか見当も付かず、青木は困惑して顔を上げた。目の前には腕を組んで仁王立ちになっている恋人の姿。上から目線のその眼差しがここまで似合う人を青木は他に知らない。
 薪の高飛車な態度はいつものことで、しかし彼が何について自分に同意を求めてきたのか、青木には分からなかった。もしかしたら彼に何か仕事を頼まれていたかと思い返してみるが、いつも薪の仕事は最優先で片付ける青木のこと、こんな時間に彼に催促されるような仕事が残っているはずもなかった。
「なんでしょう」と聞いてみる。当然、薪の反応は冷たかった。

「分からないのか。おまえは僕のなんだ」
 恋人の言いたいことも察せないのかと薪は大層おかんむりだが、分からないものは仕方ない。「分かりません」と正直に言うと、案の定薪は、若竹の葉っぱみたいに細くて形の良い眉をしかめ、辛辣な口調で言い返してきた。
「職員一丸となって取り組んでいる労働時間短縮問題の対策として科警研全体で定めた定時退室の水曜日に、こんな時間まで職場に残り、たった一人の閲覧者のためにシステムを動かして経費の無駄遣いをしているからにはさぞや重大な案件に違いない。つまり画面に映っているのが今日の昼前には捜査一課に報告を上げて処理済みのフォルダに仕舞われたはずの被害者の脳データに見えるのは僕の見間違い、ということだな?」
 すみません。「な」だけから以上の言葉を読み取るのはいくらオレが薪さんに関してエキスパートでも不可能です。

「もう終わります」
「いやいや、遠慮することはないぞ、青木。おまえのように優秀な捜査官が、半日以上前に片が付いた事件について調べ直しているからには報告に重大な不備があったと、僕のような愚鈍な者でも簡単に推察できる。最悪、冤罪事件に発展する可能性があると考えていい。そうなれば僕は、今この時間も続いているであろう容疑者の取り調べを差し止める手配をしなくてはならん。今夜は忙しくなりそうだ」
 どこまで続くんですか、その皮肉。
「ゆえに、おまえは僕に今夜のディナーは諦めろと言いたいわけだ」
 終了オペレーションを起動させようとしていたマウスポインタがピタリと止まる。時計の針は午後7時。よく考えたら薪がこの時間に退庁できることは滅多にないのだ。労働時間短縮は一般職員の目標であって、警視正以上の管理職員には関係ない。
 青木が定時退室できるはずの水曜日、官房室との掛け持ちで人の2倍も忙しいはずの彼が、懸命に仕事を片付け、或いは明日に回し、必死に時間を作って来てみたら恋人は終わったはずの事件を引っくり返している。不機嫌になるわけだ。

「すみません。1分で終わりますから」
 左下の終了アイコンをクリックしようとした青木の右手に、薪の手が重なった。次はどんな意地悪をされるのかと冷や汗をかく青木に、薪はふっと微笑んだ。
「冗談の通じないやつだ」
 全宇宙探したとして、通じる人いるんですか、その冗談。

「見せてみろ。どの辺が引っかかったんだ?」
 薪は青木の机に左手を付き、一緒にモニターを覗き込んだ。青木の右のこめかみを、薪のさらさらとした髪がくすぐる。懐かしい感覚。思わず頬が緩む。
「なんだ」
「いえ。昔、よくこうしてご指導いただいたことを思い出しまして」
 仕事の鬼の薪に気に入られたかったら、仕事ができる人間になるしかない。青木は必死で努力した。意欲的な部下に、薪も協力を惜しまなかった。二人きりで第九に残って夜遅くまでトレーニングをした。思えば贅沢な日々だった。
「つきっきりで薪さんに教えていただけて。幸せでした」
 青木も第九に入って6年目。捜査官としても中堅だ。一から十まで室長の指示を仰ぐのではなく、自分の考えで行動しなくてはならない。
「昔の方がよかったか」
「いえ、そんなことは」
 薪の役に立てるようになりたくて、青木は努力したのだ。昔の方がいいなんてことは決してない。ただ、薪がいつも自分を気に掛けてくれる幸福な日々を、そうとは知らずに過ごしていたあの頃に戻ってその幸せを噛みしめたいと言う感傷に囚われる事はある。

 青木が軽く目を伏せると、亜麻色の毛先にくすぐられていたこめかみにそっと柔らかいものが触れた。びっくりして身を引くと、薪が悪戯っ子のように笑っていた。
「昔に戻りたいか?」
「いいえ」
 あれから6年が過ぎて、二人は恋人同士。薪もいくらか丸くなって、職場でこんなこともしてくれる。今の方が絶対にいい。
「8時にオードヴィのディナーを予約してある。さっさと流せ」
「はいっ」
 青木は意気込んで、問題の画像ナンバーを入力した。

 MRI画像の中には、特別残酷なシーンではないのに背筋がざわざわするものがある。画面を閉じようとすると後ろ髪を引かれる。今回の事件は犯人そのものは間違いようがなかったが、この嫌な感じが全体に付きまとっていた。つまり青木が気になったのは犯人ではなく、被害者の方だ。

「薪さん、これで――違うんです、待ってください!」
 画面を見た途端、競歩の速度で出口に向かった薪に、青木は必死で取りすがる。薪の気持ちも分かるが青木だってけっこう辛かった。
 それは情交の画だった。
 他人のそういうシーンならお金を出しても見たい男はたくさんいるし、実際に産業として成り立っている。青木も薪も男である以上は商品化されたそれらに全く興味がないわけではないが、女性視点の情交画像となると話は別だ。
 被害者は女性で、この脳は彼女のものだ。当然視界には相手の男の裸しか映っていない。その相手がまた毛深い中年男で、見ても全然楽しくないどころか純粋にキモチワルイ。現に、画面には毛だらけ男性器が大写しになっていて、薪が脱兎のごとく逃げ出したのも無理はないのだ。

「青木、おまえ本当はこういうのが好みなのか」
「ちがいますってば。いや、画を間違えたわけじゃないんですけど、どうもこの辺の画が気持ち悪くて」
「画も気持ち悪いけど、それを熱心に見てるおまえも相当気持ち悪いぞ」
 薪に引かれても仕方のない状況で、しかも当の青木も何が引っ掛かったのか明確な答えを持ち合わせていない。どう説明したらよいものか迷ううち、薪が、
「Rアップって身体に塗ってもいいのかな……」
 ヘンな方向に走って行こうとしてる!
「すみません、オレの気のせいでした」
 自分のせいで、薪の美しい肌が岡部のような剛毛に覆われることになったら青木は死んでも死にきれない。青木は画面のスイッチに手を伸ばした。

「待て」
 薪の細い手が青木の手首を押さえる。青木が自分の手を机に戻すと、薪の指が中年男の腰の横、画面の右下端を指した。
「ここ」
 眼を凝らすが、何も見えない。促されて拡大した。2回、3回、まだ見えない。
 5回目の拡大作業を終えてようやく、それは姿を現した。限界まで解像度を上げる。急激に重くなったデータに、MRIシステムのファンが唸りを上げた。

 映っていたのは子供だった。たぶん男の子。裸に剥かれて、逆さまになっている。肌は異様な白さだ。いっそ青い。生きた人間の肌の色ではない。

「見えたんですか、これ」
「いや」
 見えたのでなかったら何だったのだろう。青木は畏怖の眼差しで薪を見上げた。
「彼女、薬をやってたか」
「あ、はい、多分。よく分かりましたね」
「普通、女性が男のアレなんか見ないだろ。薬で羞恥心が麻痺していたとしか思えない」
 この辺は経験の差というか。薪は女性の純情を信じる傾向が強いが、青木に言わせると薪の方がよっぽどピュアで恥ずかしがり屋だ。青木の知り合いには、男の裸を見るのが大好きな女もいる。
 根拠はともかく、彼女が薬を服用していたのはほぼ間違いない。情交に入る少し前、彼女は必ず盃に一杯の酒を飲んでいたが、その後は決まって画像が不安定になった。ほんの少量のアルコールで酩酊する体質と考えるより、快感を高める効力のある薬物を摂取していたと考える方が自然だ。

「画の粗さから言って、3年は経っているな」
「はい。5年前です」
「5年? 5年も前の画をよくここまで」
 終わりの頃は口の中で言われたから聞き取れなかったけれど、褒めてくれたのだと分かった。亜麻色の瞳が、とてもやさしく輝いたから。

「5年前の夏、彼女は複数の男性と関係を持っています。場所はいつもこれと同じ場所です」
 青木はマウスを操作して、背景にピントを合わせた。天井に、自然の形をした木が何本も横たわっている。床は畳敷きで壁は木製。色褪せた襖に黄ばんだ障子。古民家のような家だ。
「どういった理由からそんな生活を送っていたのかは不明ですけど、その間は仕事にも就かず、と言うか、これが仕事みたいな按配で」
「客を取っていたということか」
「それがですね、金銭のやり取りをしている場面は出てこないんですよ。まあ、引き出せる限界の画が今の画像だったんで、一括前金で受け取っていたら話は別ですけど、ちょっと考えにくいですよね」
「では純粋に男漁りをしていたと?」
 パソコンに取り込んでおいた被害者の資料を見て、薪が首を傾げる。そうなのだ。それは彼女のイメージではない。
「人は見掛けに依らないものですけど。違和感ありありですよね」
 見た目もそうだが、その後の彼女の暮らしぶりや交友関係の狭さからして、男を渡り歩くタイプの女性とは思えないのだ。これだけ多くの男性を落とせる気概があったのなら男友達の一人や二人、いてもよさそうなものではないか。
「なんらかの理由で不特定多数の相手との行為を強要されていた、と考える方が自然かもしれないな」
「暴力団絡みでしょうか。借金とか」
「違うな。連中はあんな殺し方はしない」
 薪の言う通り、彼らの殺しは散文的だ。裏切り者に対する見せしめでもなければ、遺体を逆さに吊るすなんて手間は掛けない。子供を暴力団の裏切り者と考えるのは無理がある。

 画面に顔を近付け、真剣に手がかりを探す薪に、青木は気になっていたことを尋ねた。
「この画は本物でしょうか」
 被害者は薬を服用していた、然るに幻覚を見ていた可能性が高い。幻覚は視界の中心付近に現れるのが普通で、焦点から外れたこのような場所に映っていることは稀だが皆無ではない。
「MRIのセオリーから言えばそうだが」
 薪は右手をくちびるの下に当て、ほんの数秒考えていたが、すぐに腹を決めたようだった。迅速な対応が必要とされる警察の捜査に於いて、決断の早さは優れた上司の重要な条件だ。

「青木。この画を僕の端末に送ってくれ。それと報告書」
「え。これ、上に報告するんですか」
 問題の画を掘り出したのは青木だが、薬のこともあるし、この画が現実である自信はない。こんな曖昧な根拠で報告書を上げて大丈夫だろうか。
「もしも現実だったらどうする。調べて何も出なければそれに越したことはない」
「分かりました。明日、報告書をまとめます」
 薪らしいと思った。職務に対して真摯で、手間を惜しまない。そして。
「なにを呑気なことを言ってる。今すぐやれ」
「え。だってもう8時だし」
「心配するな。オードヴィの予約は取り消しておいた」
 青木とのディナーはもっと惜しまない。
「うっ、ううっ」
「泣くな! 泣く暇があったらさっさと報告書をまとめろ!」
 こういうところは6年前からちっとも変わらない。青木は画面を涙で霞ませながら、報告書作成のためのシステムを起動させた。



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蛇姫綺譚(1)

 こんにちは。

 8月の末ごろから、たくさん拍手くださってる方、ありがとうございます~(〃▽〃)
 最初のお話から順に入ってたので、ご新規さんかな、それとも再読の方かな? 3ケタ久しぶりだな、って思ってたら1週間も続いて、さぞお疲れになったと思います。目薬さして、ゆっくり休んでくださいね、破壊された精神の回復を図ってくださいね、心配でしたら心療内科に行ってみてくださいねっ。(そこまで?)
 とにかくありがとうございました。おかげさまでSSの読み直し頑張れました。(一番キライな作業なんです。自分の話読み返さなきゃいけないのはけっこうな苦行(^^;)

 励ましていただいたおかげで、
 今日から公開できますこのお話、5万5千拍手のお礼SSでございます。
 夏に書いたので、日本の怪談的なものを目指してみたのですけどいつの間にかアクションコメディになぜ! これこそ怪談!←え。

 時期は2066年8月。
 タイムリミットを翌年に控えて少々焦りが出ている頃のお話です。

 長編ストーリーは実に1年振りなので、突っ込みどころは多々あるかと思いますが、どうか広いお心で。
 よろしくお願いします。





蛇姫綺譚(1)





 日曜日のカフェになんて入るもんじゃない。
 薪は心の中で軽く舌打ちした。コーヒーを挟んで恋人と向かい合っているのに、相手があからさまに隣の席を見ていたからだ。

「可愛いですねえ」
 青木が褒めたのは薪のことではない。それで面白くない、わけではない。
 二人で過ごすとき、青木は薪以外の人間を殆ど見ない。薪に危害を加えようとする人間、もといナンパ男の牽制は怠らないがそれは外敵に注意を払うと言った意味合いで、対象に興味を持っている訳ではない。付き合い始めて何年かになるが、青木は未だに薪に夢中で、他の人間なんか目に入らないのだ。

 そんな彼にも例外はあって、それが隣の席の女子だ。ずっと見ていたものだから自然と目が合って、すると相手は恥ずかしがって母親の腰に顔を伏せてしまった。要するに。
「ママ。おじさん、リエのこと見てる」
「え。ちょっと」
「や、違います。決して怪しい者では、――薪さん」
 母親の疑いの眼差しへの弁解をこちらに求めてきた青木に、薪は、ふんと鼻を鳴らしてそっぽを向く。
 バーカ。人さまの娘さんをジロジロ見るからだ。

 そこへ折りよく、隣の親子連れが注文したサンドイッチとパフェが運ばれてきた。子供ならではの切り替えの速さで、彼女はフルーツと生クリームがトッピングされた華やかなスイーツに歓声を上げる。母親の心配も、危なっかしい手つきで柄の長いスプーンを操る子供の手元に向いたようで、隣席の変質者はころりと忘れ去られた。どうも日本人は危機感が足りなくていけない。

「ふふ。一生懸命食べてるなあ」
 まだ見てる。懲りないやつだ。

 子供は可愛いと誰もが言うけれど、薪は子供が嫌いだ。うるさいし、我儘だし。どうして青木がそんなに優しい眼で彼らを見るのか、自分にはさっぱり――。
 いや、と薪は目を伏せた。コーヒーの湯気に濡れた睫毛が、艶を含んで重たげに重なる。
 本当は分かっている。青木は子供が好きなのだ。姪のことも、ウザがられるくらい可愛がっている。
 そんな彼が自分の子供が欲しくないわけはないと、彼が一度も口にしたことがないその事実を、子供たちを見ると嫌でも思い知らされてしまうから、だから薪は子供が好きになれないのだと思う。
 自分の弱さを認め、改めて幼子を見れば、食欲全開でパフェを頬張る彼女は己が欲望に忠実で、その潔さに感動すら覚える。ほっぺたを生クリームだらけにして無心で食べている様子に思わず笑みがこぼれた。……なるほど。向かいの大男がニヤニヤしてるのはこういった感情からか。

「悪かったな。産んでやれなくて」
 ぼそりと呟いたら、青木が横を向いたまま固まった。手のひらに載せていた顎を浮かせ、信じられないものを見る目でこちらを見たから、もう一度謝った。
「すまん。僕には産めない。て、おい」
 謝った薪に、青木はプフーっと噴き出した。結構しんどいセリフだったのに、ひどくないかそれ。
「いや、すみません。でもお互いさまでしょ」
「お互いさまじゃない。僕はおまえみたいに小さい女の子を愛でる趣味はない」
「なんか違う意味に聞こえますけど」
 青木はようやく薪の方へ身体を向けて、椅子に座り直した。コースターの上に放置されて、グラスの周りにたくさん汗をかいたアイスコーヒーを一口すすり、気が付いてストローで中身をかき混ぜる。氷が溶けたアイスコーヒーは、完全な二層構造になっていた。

「後悔なんかしてません。微塵も」
 カラカラと涼やかな音をさせながら、青木は静かに言った。
「無理するな。僕も責任を感じて謝ってるわけじゃない。ただ」
「後悔なんかしません。これからも」
 何と答えてよいものか、薪は少し迷い、けれども答えは出せず、黙って冷めかけたコーヒーを飲んだ。

 そうこうするうちに隣の席の親子連れはパフェとサンドイッチを食べ終え、伝票を持って席を立った。性懲りもなくバイバイと手を振った青木に、根負けしたらしい母娘は笑って手を振り返した。




*****


 メロディ10月号の感想ですが、今回はやめておきます。
 書いてたらアンチっぽくなっちゃったので(^^;
 追跡調査の件がどうしても納得できなくて~。わたしのカンチガイだったらいいのですけど。
 青木さんから送られてきたMRIの内容が、まだそれだと決まったわけじゃないしね。この先、それが正しかったと思えるようになるのかもしれないしね。
 大人しく続きを待ってますので、先生、よろしくお願いします。

 

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プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

しづの日誌

法医第十研究室へようこそ!
メロディ6月号、読みました。
一言感想 「どひゃー……」
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