モンスター(3)

 映画の追加キャストが発表されましたね。
 鈴木さん。期待を裏切らない爽やかイケメンくんですね。薪さんの初恋の人として魅力十分です。生田さんと並ぶと攻守が逆転しそうですけど、そこはご愛嬌。
 奈々子ちゃん。ご出演、おめでとうございます。好きなキャラなので嬉しいです。天然ぶりが楽しみです(^^)
 岡部さん。出演なさると信じてました。ワイルドさがめっちゃ素敵です。遠慮なく主役食っちゃってください♪
 今井さん。ご愁傷様です。<おい。
 いや、最初貝沼役かと思っ、……なんでもないです、すみません。大倉さんファンの方にもごめんなさい。






モンスター(3)





 参考書のページをめくる指が中途で止まり、指先の力がふっと抜けた。ページが自然に下に落ちるのに指は空に取り残されたまま。青木の頭の中には暗記の最中だった刑事訴訟法第81条とは何の関係もない、上司と後輩が楽しそうに話す光景が浮かんでいる。
 ハッと我に返って参考書に眼を落とすが、何処を読んでいたのかも思い出せない始末。机の上の時計は11時を回っている。独りの夕食を終えて直ぐに始めた学習時間は3時間にもなるのに、進んだのはたったの1章だ。捗らないにも程がある。
 学習効率の悪さに嫌気が差したか、青木は参考書を投げ出し、椅子の上で伸びをした。
「あー。きっと今年もダメだあ」
 青木が取り組んでいるのは、警視正昇任試験のための参考書だ。キャリア用に作られた、それもふるい落としが目的の試験だからひどく難解で、意地の悪い問題ばかりが出題されている。はっきり言って、警視の昇任試験とは比べ物にならない難しさだ。

 警視の試験の時には薪がノートを作ってくれた。でも今回は何もしてくれない。簡単なアドバイスすらも。
 それは怠慢ではない。薪曰く、
「他人に試験の手伝いをしてもらうようでは警視正の仕事は務まらない」
 例え試験に通っても役目が果たせなくては意味がない。実力を身に付けなければ後々苦しむのは当人だと、それは正論だと思うが、ぶっちゃけ青木は寂しい。
 なにもしてくれなくていいから、がんばれよ、と一言励まして欲しい。試験は来月に迫っているのに、家で青木が参考書を開いていても薪は横目で通り過ぎるだけだ。

 以前の薪はもっと、青木の出世に積極的だったように思う。「早く警視正の試験に受かれ」と事あるごとに言われていたのに、最近は聞かなくなった。何故だろう。
 薪の変化に理由を求めて、青木は恐ろしい可能性に行き当たる。
 薪は自分に見切りを付けようとしているのではないか。だから何も言わなくなった。こいつには期待しても無駄だ、と。
「……やばい」
 新人にヤキモチを妬いている場合ではない。頑張らなければ。薪に置いて行かれるどころか捨てられる。

 気持ちを切り替えようと、青木はキッチンでコーヒーを淹れることにした。ドリッパーを出そうしたが、時刻を考えたら面倒になった。自分用だし、インスタントで充分だ。
 滅多にないことだが、薪にインスタントを飲ませるときはまず少量の水で粉を溶いてからお湯を注ぐ。こうすると滑らかで丸みのある味が出る。知識はあったが自分のためとなるとそれも億劫で、湯を注いだ後にかき混ぜる作業すら放棄して、するとカップの内側に溶け残った粉が付着したままの何とも不格好なコーヒーが出来上がった。第九のバリスタが聞いて呆れる。

 シンク左手の調理台の前で無様なコーヒーを飲みながら、青木は効率的な学習計画を頭の中で組み立てる。……つもりだったけれど。
 どうしても考えてしまう。今も一緒にいるであろう二人のこと。

 今日は定時退庁の水曜日。研究室は6時に閉めたのだから、もう5時間にもなる。食事をしてから一杯飲んだとしても少々長すぎやしまいか。そもそも平日の門限は夜の10時だ。別々に住んでいた頃、翌日の仕事に差し支えるからと、青木は何度マンションを追い出されたことか。それが11時を回っても帰ってこない。
 薪が荒木を気に入っているのは分かっている。小器用で仕事の飲み込みが良く、応用が利いて、一つ教えれば十をこなすタイプ。青木はそうではなかった。不器用で、仕事を覚えるのも遅かった。鈴木に顔が似ていると、ただそれだけで薪に眼を掛けてもらえたのだ。最初から自分の実力で薪の眼鏡に適った荒木とは違う。
 薪は本当は荒木のような部下をこそ望んでいたのではないかと、そう思うと、7才も年下の後輩に対する羨望が沸き上がってきて、それが青木の心を乱れさせる。自分でも情けないと思う、でも止められない。薪が絡んだ時の青木の嫉妬深さは折り紙つきだ。長いこと、死んだ人間にまで嫉妬していたくらいなのだ。

 あと30分待って、帰ってこなかったら薪に電話をしてみようかと、思いかけた時に玄関のロックが外れる音がした。薪が帰ってきたのだ。
 走って行きそうになる脚を根性で止める。少し落ち着かなければ。こんな気持ちで薪の顔を見たら責め立ててしまいそうだ。しかし。
「いい匂いだな。一口飲ませろ」
 こんな場面では必ずと言っていいくらい、薪は青木の努力を裏切ってくれる。薪自身、こちらの方面に於いてはトラブルメーカーの資質があるのだ。
 そのときも薪は鞄だけをリビングの床に置き、上着も脱がずにキッチンにやって来た。調理台に向かう形で立っていた青木の横に、それとは逆のダイニングの方を向いて、青木の手からカップを奪い、飲みかけのコーヒーを口に含んだ。
 肩越しに見える、薪の小さな頭と長い睫毛。亜麻色の髪から立ち上るコーヒーと微かな百合の香。飲酒はしていない。風呂にも入っていない。そこまでは考えないつもりでいたけれど、ささくれていた心が一瞬で凪いだのは、心のどこかで疑っていた証拠かもしれない。

「……マズイ」
 しまった。あのいい加減に淹れたコーヒーを薪に飲ませてしまった。青木は慌てて薪からマグカップを取り上げ、赤点の答案用紙を親の眼から隠す子供のように彼の眼に届かない場所に置いた。
「座っててください。ちゃんとしたの淹れますから」
「いや、いい。今日はもう休む」
 時刻は11時20分。確かに、コーヒーを飲むには不適切な時間だ。
 だが、それはあまりにも素っ気ない口調だった。こんな時間に家に帰ってきて、一緒に暮らしている恋人の顔を見て、遅くなったことを謝るでもなく独りにした恋人の機嫌を取るでもなく、いつもとなんら変わりない横柄な態度。一言でもフォローを入れてくれたら、青木だってそんなことを聞かなかった。
 軽やかな足取りでリビングに戻る薪の背中に、青木はその質問を投げつけた。

「荒木の用事はなんだったんですか」
 キッチンの入り口で足を止め、肩越しに薪が振り返る。形の良い耳と右の頬がやっと見える角度。このアングルだと薪の睫毛はことさら長く見える。
「荒木は一人暮らしでな。食事がレトルトと外食ばかりだと言うから、簡単な料理を教えてやったんだ」
「そんなことですか?」
「そんなことって、大事なことだぞ。食生活は健康管理の」
「オレが行きますよ!」
 訪問の目的に驚いた青木が薪の言葉を遮ると、薪は心外そうにこちらを向いた。眉間に縦皺が寄っている。不快の証だ。でも青木はもっと不愉快だった。
「そんなの、忙しい薪さんがわざわざ家に行ってまで教えることじゃないでしょう? 警視のオレが雑用するのはおかしくて、警視長の薪さんが料理を教えに行くのはおかしくないんですか」
 絶対に自分が正しいと思った。職場での薪の世話を荒木に任せた、そのことで青木がどれだけのストレスを抱えているか、少しは察して欲しい。仕事だから仕方がないと自分に言い聞かせているのに、プライベートまで新人に奪われたら青木の理性なんか簡単にぶち切れる。

「もう二度とこんなことは」
「おまえが新人の頃」
 今度は薪が青木の台詞を奪う。やられたことはやり返す主義の薪は、青木の無礼にきっちりと報復を、意見には隙のない反論を返してきた。
「僕はおまえを家に招いて、料理を基礎から教えてやった。それと同じことをしているだけだ。おまえに責められる筋合いはないと思うが」
 言われてみればその通りだ。図々しく薪の家に押しかけて、それはもう数えきれないくらい夕飯を食べさせてもらった。それに比べたら家に訪ねて来ないだけ、荒木は遠慮深いのだ。
「でも、こんな時間まで」
「おまえ、よく僕の家に泊まって行ったじゃないか」
 それも薪の言う通り、でもでもでも。
「あなたが好きだったからですよ! 少しでも長く一緒にいたくて!」
 青木が怒鳴ると、薪はぽかんと口を開けた。
 鈍い人だと思った。いま初めて薪は気付いたのだ。青木が怒っていることに、そしてその理由に。

「悪かった。少し話し込んでしまってな。荒木の家族の事とか」
 薪は青木に歩み寄り、遅くなった理由を説明した。荒木の家は確か荻窪。職場からは30分、ここからは地下鉄で2駅。移動時間が1時間に満たないのに、「少し話し込んだ」だけで5時間は長すぎる。
「本当に、食事をしただけなんですよね?」
 その質問が薪を激昂させたのは分かった。周りの空気がズンと重くなったからだ。それでも取り消す気にはなれなかった。荒木が第九に来て1月余り、溜めに溜めたストレスだった。

「何を考えている。荒木はおまえの後輩だぞ。山本と同じだ」
 違います、と青木は心の中で激しくかぶりを振る。
 立場は一緒でも、山本と荒木では全然違う。山本は青木の気持ちを知っている。薪との関係も。荒木以外の職員はみな知っているのだ。ただ薪にはそれは言ってない。薪の性格を考えると、知らせることはマイナスにしかならないからだ。
 薪も誰も気付いていないけれど自分には分かる。荒木は薪が好きなのだ。同じ人に恋をしている者同士、言われずとも分かる。ずっと昔の話だが、竹内のこともすぐに分かった。
 その眼はいつも薪を追っている。その耳はいつも薪の声を拾おうとしている。薪に呼ばれれば喜び勇んで馳せ参じ、仕事を頼まれれば何よりも優先してそれをこなす。新人の頃の青木と同じだ。
 だから心配で堪らなくなるのだ。荒木はまだ24才。その若さで好きな人と二人きりで5時間もいて、何のアクションも起こさないでいられるか?

「そんなのは青木らしくない」
 らしくない? じゃあ「らしい」ってなんだ。
 薪が考えているより、自分はずっと低俗な人間だ。薪の関心が自分以外の人間に向けられるのが面白くない、他の人間が薪に触れるのが許せない。いつもいつもそんなにキリキリしているわけじゃないけれど、でも今夜は天使になれそうもない。
 ――だめだ、こんなんじゃ。仕事で神経擦り減らして帰ってきた薪を癒せない。

 俯いてしまった青木が、あまりにも打ちひしがれているように見えたのだろうか。薪は後ろ頭に手をやって髪を掻き上げると、青木のシャツの裾を軽く引っ張った。
「風呂に入るけど。おまえ、どうする?」
「……オレは後で入ります」
 それは薪にしてみれば精一杯の譲歩だったのだろうけど、青木にはそれを受け取る余裕がなかった。
 薪の誘いに乗って一緒に風呂に入ったら、露呈してしまうと思った。いくら抑えても、目が勝手に探してしまう。薪の身体に情事の痕跡を。青木以外の男と触れ合った徴を。
 そんなものは探しても見つからないと、薪の態度が物語っている。身の潔白を証明するためにも風呂に誘ったのだと思う。だが青木は、自分がこれ以上最低の恋人に成り下がるのが耐えられなかった。

「そうか」と薪はあっさりと青木のシャツを放し、キッチンを出て行った。
 やがてシャワーの音が聞こえてくる。青木はそれでようやく忘我から解放され、すっかり冷たくなったコーヒーをシンクに捨てた。




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モンスター(2)

 こんにちはー!
 仕事にかまけてブログほったらかしてすみません。下水の書類と道路の現場、思いっきりブッキングしちゃいましたー(@@;)
 まだ書類終わってないんですけど、とりあえず、続きをどうぞ! (コメントのお返事はもう少し待ってくださいね(^^;)


 最初に説明するの、いっつも忘れちゃうんですけど、
 この話の時期は2068年の10月です。「青木警視の殺人」の後ですね。よって宇野さんは入院中です。彼がいればもっと違う展開になってたはずなんですけどね、そこはそれ、ご都合主義ってやつでww


 それと、
 連日、たくさんの拍手をありがとうございます。過去作を読んでくださってる方、どうもありがとう。10日連続で3ケタとか多分初めて、あ、1日に300超えの拍手も初めてです。ありがとうございます。
 拍手していただいた話、どんなんだっけ、と開いてみるたびにヘンな汗いっぱいかいてます、いろいろな意味ですみませんです、でもうれしいです。これからもよろしくお願いします。




モンスター(2)





 来週のシフトについて薪と話しながら、岡部は部長会議の資料を整理していた。普通の会議資料なら荒木に任せるのだが、部長会議ともなると機密もAランクだ。新人には見せられない部分も出てくる。
「じゃあ、来週のメンテナンス当番は予定通り荒木と今井で」
 MRIのメンテは概ね宇野が受け持っていたのだが、彼は8月の事件で重傷を負い、入院中である。これをスキルアップするチャンスだと考えた室長の独断で、その間のメンテは全員でローテーションすることになった。

「それにしても、荒木は掘り出しものでしたね」
「そうだな。警大卒業したばかりの新人はこりごりだと思ってたけど、あいつは使える方だな」
 薪の言葉に頷いた拍子に、びり、と音がして手元の紙が斜めにずれた。広げて見れば綴じ穴が破れて、仕方なく岡部は補強シートを取出すが、これが小さくて薄くて、剥がすのにもコツがいる。イライラが顔に出て、何処から見ても凶悪犯の顔つきになっている岡部を見かねたらしい、薪が岡部の手からシートを取り上げた。
「岡部は日曜大工は得意なのにな」
 岡部の太い指先で二つ穴ファイルに書類を綴じるのは、結構な苦行だ。紙類は簡単に破れすぎる。引き替え、荒木はこういう作業がとても上手い。

 科警研内の通達類の回覧及び回答書の取りまとめ、庶務課に上げる伝票の作成等は、もうすっかり荒木の仕事になっている。それでいて、定時には机の上はきれいに片付いているから驚きだ。新人の仕事と言うのはとにかく時間を喰うものだ。昔の青木などはその典型だった。だから青木はいつも最後まで職場に残っていた。まあ彼の場合は、別の目的もあったのかもしれないが。
 荒木の仕事は時間が短い分、青木に比べるとやや荒いが、新人に任される仕事にそれほどの精度を求められるものはない。作業内容に相応しい時間配分と言えた。

 やがて岡部の前に差し出されたファイルは、シート補強が為され、きれいに綴じ直されていた。荒木より素早く、青木より丁寧な仕事。薪のオールマイティには脱帽だ。
「すいません」
「謝らなくていいから、うちのクローゼット直してくれ。青木がぶつかって、折れ戸のレールを曲げちゃったんだ」
「レールを曲げたって。家の中でなにやってんですか」
「だってあいつが悪いんだ。姿見があるからってクローゼットの中で――、ななな何でもないなんでも、あ」
 びりりっ、と派手な音がして薪の持っていた報告書が破れた。慌ててセロファンテープを貼るが、ワタワタしながら貼っ付けるもんだからあちこち重なっちゃって、3枚くらい完全にくっついちゃってますけど報告書の役割果たしてますか、それ。
 薪は失言に頬を赤くして、しわくちゃになった報告書に青くなって、頭を抱えてぐしゃりと髪の毛を掴み、靴先で机の脚をガンと蹴り飛ばして、
「くそ! 青木のやつ!!」
 最終的にはそれですか。

 少々懸念していたこともあったのだが、この様子なら問題ないと岡部は判断した。心配なのは青木の方だ。他人のプライベートに口出しするのは岡部の主義ではないが、この二人は特別だ。特に薪の方は、時々とんでもないことを考えていたりするから油断がならないのだ。
「薪さん。ちゃんと青木をフォローしてますか」
「青木がどうかしたか?」
「……なんでそう」
 心底不思議そうな薪の顔に、岡部はまるで頭痛に苦しむ人のように額を押さえる。わざとらしく溜息を吐くと、薪はますます怪訝な顔になった。
「ご自分のことになるといきなり鈍くなっちゃうんですよね。分かってましたけどね」
 事件のことなら一を聞いて十どころか百を知る薪だが、こういうことはハッキリ言わないと通じない。恋愛センサーが鈍感、と言うより欠落しているのではないかと、岡部は密かに疑っている。

「荒木に薪さんを盗られて青木が凹んでる、て噂になってますよ」
「なんだそれ」
 途端に険しく眉を顰めた薪に、岡部は焦る。みんなが二人の関係を知っていることは、薪には秘密なのだ。
「まあそれは言葉のあやですけど。今まで青木に向けられていたみんなの関心が、より手の掛かる荒木に移って、青木が精神的に不安定になってるってことですよ。要はあれです、弟ができた兄貴の心境」
「バカバカしい。いつまでも新人でいられるわけがないだろう」
 岡部だって、これが職場だけの事なら切り捨ててしまえる。男がケチな考えを持つんじゃないと、青木を叱責するだろう。しかし青木の心を乱しているのは今まで彼を可愛がっていた先輩たちではなく、たった一人の人物だ。
 そのたった一人の人物だけが実情を理解していないと言う、青木にとっては誠に残念な状況になっている。世界中の人間が青木より荒木を好ましいと思っても、薪さえ自分を選んでくれれば青木は幸せなのだ。反対に、世界中の人間が青木を好きだと言っても、薪の好意が他の人間に向けられたら青木は生ける屍になる。それなのに。

「大丈夫だ。青木はそんなに子供じゃない」
 分かってない。全然、わかってない。
 ここはきつく言っておかないと、こじれて泣きを見るのは薪だ。そうなれば自分にもとばっちりが来る。何度かそんな目に遭ってきて、先の展開が見えるようになった。

「いいですか、薪さん。思ったことは言葉にしないと、相手に伝わらないんですよ」
 薪が目を落としていた報告書に自分の右手を被せ、薪の視線を強引にこちらに向けさせる。仕事の邪魔をされるのが嫌いな薪が不機嫌に寄せた眉の下、険を含んだ亜麻色の瞳に向けて、岡部は精一杯の真心で訴えた。
「苦手なのは分かります。でも伝えることは大事です。そのために人間は言葉を持っているんです」
「よく言った、岡部」
 称賛と同時に、岡部の右手が薪の両手に包み込まれた。三白眼をぱちくりと瞬かせて見れば、宝石のようにキラキラと輝く亜麻色の瞳。

「雛子さんに気持ちを打ち明ける気になったんだな。心から応援するぞ。僕は何をすればいい?」
 そっちに飛ぶか、この男爵は。
「夜景のきれいなレストランを予約してやろうか。それともホテル? いっそ、部屋取っちゃうか?」
 母親相手にホテルの部屋で何をしろと。
「そうだな、普通に告白したんじゃ笑われてお終いだよな。じゃ、こういうのどうだ。岡部が事故に遭って死にそうだって僕が彼女に電話して、駆けつけてきた彼女はそこでやっと自分にとって誰が一番大切か気付いて」
 青木ー。だからこの人に昼ドラと韓流ドラマは見せるなって言っただろー。

「どうだ岡部、僕の計画は完璧だろう。善は急げだ。さっそく電話を」
「頼みますから何もせんでください!」
 叫んで椅子から立ち上がり、岡部は脱兎のごとく部屋を出る。唐突に開いたドアにぶつかって山本が吹っ飛んだらしく、モニタールームはちょっとした騒ぎになった。
 扉のこちら側では薪が、頬杖にくだけた表情で、
「照れちゃって。岡部は奥手だな」などと見当違いのことを呟いていた。



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モンスター(1)

 こんにちは。

 6万拍手ありがとうございました!
 ご新規さんも常連のみなさんも、どうもありがとうございます。特にご新規さんは、過去作から読んで行こうと思うと記事数が多いから大変でしたよね。お疲れさまでした。

 感謝を込めまして、こちら、お礼のドSSS、です。
 なんか白い目で見られてるような、何回恩を仇で返せば気が済むんだとか思われてる気がしますけど、ごめんなさい、自分が面白いと思うものしかわたしには書けません~(それがドS話って人としてどうよ?)
 てか、自分が書いてて面白いと思えないものは人が読んでも面白くないと思う、きっとそうだと思う!(だからそれがドS話って以下略)

 どうか広いお心で、よろしくお願いします!
 ほんのちょっとでもお楽しみいただければ幸甚でございますっ。
 
 

 


モンスター(1)





 母が、ごぼりと血を吐いた。咄嗟に押さえた右手の骨ばった指の間から、母の生命が零れ落ちていた。
 ナースコールのボタンを押そうとして止められた。いいの、と血塗れの手でシャツの裾を掴まれた。
 私のお気入りのシャツが黒ずんだ血で汚れた。母の中は病魔に荒らされて、真っ黒に腐ってしまったのだと私は思った。だからこんなに血が黒いのだ。赤いはずの血が黒い。
 だけどそれは私の思い違いだった。

「母さんはもう長くない。だからあなたが」
 母は患者衣の袂から一枚の写真(それは雑誌の切り抜きであった)を取出し、いつものように私に見せた。
「あなたが、きっと仇を討って。この男を和也と同じ目に遭わせて」

 悪いのは病ではない。病は人に苦しみを与えるが、悪ではない。
 母の中身を腐らせたのはこの男。夜ごと母が恨み言を向けていた写真の男だ。

 私は母から写真を受け取った。力強く頷いて見せる。
 母は、それでやっと落ち着いたようだった。ベッドに横たわり眼を閉じる。やせ細って顔色は青白く、口の周りを吐血で赤黒く染めた母は、まるで北欧の霧の夜を彷徨うモンスターのようだった。

 私はナースコールを押し、駆け付けた医師たちに母を任せた。母の治療をするのは私の仕事ではない。私の仕事は別にある。
 私は廊下に出て、病棟の端まで歩いた。周りに誰もいないのを確かめて、母に託された写真を見る。
 繰り返し母に突き付けられたその画像は、もはや見るまでもなく私の脳裏に焼き付いていた。亜麻色の短髪に亜麻色の瞳の美しい青年。仕立ての良いダークグレイのスーツに臙脂のネクタイ、やや襟の立った真っ白いワイシャツ。インタビュアーに向けて微笑みを浮かべる、その白い頬に母の吐血が、彼女の怨念そのままにべったりと付着していた。

 この男を、兄の和也と同じ目に遭わせる。殺人鬼の手に落ちて、弄ばれ慰み者にされ、二目と見られない姿になって死んだ兄と。そっくり同じことをこの男に。
 それが怪物の子供である私の仕事だ。



*****



 静かな熱意に満たされた執務室に、派手な衝突音が響いた。思わず全員が振り返る。自動ドアの傍に転がった資料箱、その隙間から覗いた29.5センチの靴。どうやら捜査一課から資料を運んできた青木が、書類棚にカートごと突っ込んだらしい。

「大丈夫か、青木」
「すみません、お騒がせして。大丈夫です」
 書類の下からマッコウクジラが海面に上がるみたいに、やや乱れたオールバックが顔を出す。散らばった書類を拾う彼に手を貸しながら、でも言葉は辛辣に小池は笑った。
「おまえじゃなくて書類だよ。転んだはずみに一枚でも破損してみろ。ブリザードが吹き荒れるぞ」
「安心しろよ、青木。薪さんなら外出中だから」
「あ、バカ」
 小池の横で彼と同じように書類を集めながら青木にフォローを入れた曽我の、30才を超えたあたりから筋肉と脂肪の割合が逆転してきている脇腹を、こちらは一向に太る気配の無い小池の尖った肘が軽く突く。それから小池は、曽我にしか聞こえないように声を潜めて、
「あの新人に薪さん取られて、青木が落ち込んでるの知ってるだろ」
 ぴくりと青木のこめかみが震える。だがそれはメガネのフレームに隠されて、小池たちの目には映らなかった。青木が何も言わないのをいいことに、二人の会話は非情に続く。

「今だって、そいつをお供に連れての外出中じゃないか」
「そんなの考えすぎだよ。薪さんはただ仕事に支障が出ないように、まだ新人で、単独で事件を持たせられない職員を同伴してるだけで」
「他の事ならともかく、薪さんのことだぞ。青木に理屈なんか通るかよ」
 青木は第九の捜査官だ。声のトーンを落としても口元を隠さなければ、内緒話は意味がない。てか小池さん、だんだん声大きくなってませんか?

「目の前で他の男が薪さんの横にべったりくっついてんだ。青木が冷静でいられるわけがない」
「俺も小池が正しいと思う。青木、このごろ元気ないし」
 あの、今井さん。書類拾ってくれるのは嬉しいですけど会話には加わらなくていいですから。て言うか放っておいてください。
「わたしも同感です。見落としようもない目前の書類棚にカートごと突っ込んだのは、その証明とも言えます」
 山本さん。証明いらないです。
「昨日なんか青木、昼メシ弁当1個だったんだぜ。午前中、薪さんが新人に付きっきりでMRIシステムのレクチャーしてたから」
「おやつのドーナツも1個しか食べてませんでしたよ。よっぽど思い詰めてるんですねえ」
 小池さん、山本さん。オレの精神状態、食欲だけで測るのやめてくれませんか。
「青木が人に自慢できることって言ったら身長と食欲だけなのにな」
『第九で一番温厚なのは今井さん説』を否定するつもりはありませんけど、時々ぐっさり刺しますよね。
「もう少し取り柄があればな。岡部さんみたいにSP顔負けの強さとか、小池みたいに語学に堪能とか、山本みたいに法律に強いとか、宇野みたいにハッキングが得意とか」
 曽我さん、最後のは犯罪です。
「「「「青木ってなんか、全部中途半端なんだよな」」」」
 余計なお世話です、てか誰も声抑えてないし!

 微妙な問題に土足で踏み込んでくるような同僚たちの態度は、しかし彼らの気遣いだと青木には分かっている。プライベートの悩みを表には出さないつもりでいたが、みんなに心配を掛けていたのだと知った。
「すみません、みなさん。本当に大丈夫ですから」
 青木が健気に笑顔を取り繕う、その努力を吹き飛ばすように若者の明るい声が響いた。

「荒木翔平、ただいま戻りましたー!」
 カラッと晴れた青空のような声が執務室に爽風を運んでくる。9月に配属になった第九の新しい顔は、24歳のキャリア組。現場慣れしていないキャリアの新人はあまり採りたがらない薪が二つ返事で受け入れを承諾した、希少なケースだ。面談時に聞いた彼の配属希望動機が『薪室長に憧れて』と言う聞き覚えのある事由だったことも、気難しい室長の首を縦に振らせる要因になったのかもしれない。

「あ、青木さん、すみません! 捜一から資料取って来てくれたんですね。ありがとうございます。後、おれがやります」
 素早く床に屈み、箱に戻し切れていない書類をサササッと集める、荒木はまるでコマネズミのようだ。くるくると実によく動く。
 身のこなしもさることながら、外見も良く似ている。小動物、それも動きが素早いハムスターとかウサギとかのイメージだ。小柄で細身の体躯がその印象を助長し、黒目がちのくりくりした眼に八重歯がかわいいと、庶務課の女子職員の間でも評判である。
 その仕事ぶりは見ていても気持ちがいいくらい溌剌としている。今、荒木が行っているのは捜査資料の用意であって、特段面白いものではない。それでも彼は意欲的に、楽しそうに仕事をする。そんな彼は徐々に、第九の新しいムードメーカーになりつつあった。

 薪から聞いた話だが、「新人にとって一番重要な仕事はなんだと思う?」と言う薪の問いに荒木は、「先輩方の補佐です」と迷わず答えたそうだ。その時点で薪は彼の採用を決めていたらしいが、わざと意地悪な質問をしてみたと言う。
「えらく消極的だな。手柄を立てる気はないのか」
「ありますけど。それが一番の近道だと思いますので」
「それはなぜ」
「教えてもらうより盗んだ方が、高いスキルが身に付くからです。受け身ではなく、能動的に探して盗む。おれはずっとそうしてきました。それには補佐の立場が最適なんです」
 その言葉に偽りはなく、荒木が第九に来てから青木の仕事は半分になった。買い出しや資料作りなど、今までこなしていた雑用の殆どを、彼がしてくれるようになったからだ。同じ後輩でも青木より年上の山本と違って、雰囲気が軽くてノリもいいから仕事が頼みやすい。手早で、何をやらせても器用にこなす。今まで研究室の中で名前を呼ばれる回数は青木がダントツで多かったのだが、今は荒木が取って代わっている。

「荒木。後でいいから、僕の部屋にコーヒー持ってきてくれ」
「はい室長! すぐにお持ちします!」
「あ、いいよ、荒木。続けて」
 スキャナーのトレイに資料を差し込む手を止めて給湯室へ向かおうとする荒木を、青木は引き止めた。荒木の仕事は急ぎだ。この資料をハードディスクに転送しないと捜査が始まらない。だから薪も「後でいい」と付け加えたのだ。
「室長のコーヒーならオレが」
「青木」
 呼びかけられた、薪の声にどきりとする。あまり好意的な声ではない。
「周りのことも考えろ。警視のおまえにいつまでも雑用をやらせておけるほど、第九は暇な部署なのか」
 厳しい言葉だけを残して去って行く薪に、青木は素直に返事をすることができなかった。薪の言うことは正論だが、最近の薪はあまりにも。

「薪さん、あの!」
 室長不在の間の報告を岡部から受ける薪の背中に、青木は走り寄る。室長と副室長の会話を遮るなど、よほどの大事でなければしない青木だが、そのときは何故だか言いようのない不安に襲われていた。
 なんだか薪が、自分から離れていくような気がして。

「今日のお帰りは何時になりますか」
 振り向かせたものの、緊急の用事があるわけではなかった。結局青木は半日も先の予定を確認すると言う行動に出て、それは自分でも不自然だと思ったが、薪は事務的に答えただけだった。
「送迎はいい」
「お仕事ですか?」
「いや。今日は荒木の家に行く」
「えっ」
 青木は思わず、岡部と薪の間に割って入った。自分の身体で薪を岡部から隠すようにしてコソコソと話す。こうしないといくら声を潜めても、岡部に唇を読まれてしまう。
「ど、どうしてですか」
「どうしてって……じゃあ、荒木を家に入れてもいいのか?」
「それはダメです!」
「だったらこっちが出向くしかないだろ」
 行かないと言う選択肢はないのか。

「室長。コーヒー入りましたけど」
 青木さんもどうぞ、と声を掛けられて気付く。トレイに8つのコーヒーを載せた荒木が、後ろに立っていた。仕事の早い新人は、ついでにと全員分を淹れたらしい。
 後でいい、と室長は言ったのに。コーヒーを持ってきたのが青木だったら「人の話はちゃんと聞け」とお小言を食らうところだが、
「室長のは大盛りにしておきましたね!」
 これが荒木のキャラクターだ。
 白いボーンチャイナには、縁切りいっぱいにコーヒーが注がれている。よくこぼさずにここまで持ってこれたものだ。

 薪は苦笑して自分のマグカップを取り、その場で一口飲んで量を減らすと、岡部を伴って室長室へ入って行った。その後ろ姿を眼で追いながら、荒木が呟く。
「まだまだだなあ、おれ」
 青木の肩の下で、荒木の薄茶色の頭が軽く振られる。荒木の身長は薪と同じくらい。見下ろせば、くりっとして愛嬌のある眼が、尊敬を湛えて青木を見上げていた。
「やっぱり違うんですよねえ。青木さんのコーヒー飲んでるときと全然」
 荒木は本当にいい後輩だと思う。仕事は一生懸命だけど、決してでしゃばることはない。さっきだって薪が口を挟まなかったら、素直に青木の言葉に従っていただろう。みんなにも可愛がられているし、薪だって。

「青木さん。今度また、コーヒーの淹れ方教えてくださいね」
「ああ」
 無邪気な笑顔に微笑みを返しながら、青木は自己嫌悪に胸を焼かれる。自分は荒木に嫉妬しているのだ。みんなに眼を掛けてもらえる第九の新人、かつて自分がいたその場所で、たくさんの愛情を受けて成長していく彼に。



*****
 
 不吉な書き出し、薪さんは若い新人と浮気中。これをどうやって楽しめと……どうもすみません……。

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蛇姫綺譚(17)

 雨が降って現場がお休みになりまして。
 昨日は怠け癖のせいで溜めてしまっていたコメントのお返事を書きました。(それでもまだ全部返し切ってないんですけど(^^;)
 いつも励ましてくださってありがとうございます。現場が始まってしまうとどうしてもこちらが手隙になってしまうのですが、どうか長い目で、これからもよろしくお願いします。

 拍手もたくさんありがとうございました。おかげさまで6万超えました。
 お礼SSは予告通り「モンスター」で、あ、S話はダメ?


 先々月からの続きもの、これでおしまいです。
 お付き合いくださって、ありがとうございました。




蛇姫綺譚(17)





「つまり……どういうことですか」

 ベッドの中で、青木はパジャマ姿の薪に尋ねた。薪の方に寝がえりを打つと、その重みでマットのスプリングが小さな音を立てる。
 ベッドでの質問にしては色気のなさ過ぎる青木の疑問に、薪は「うん」と気のない返事を返し、両手を組み合わせて自分の頭と枕の間に差し込んだ。
「あれは夢だ。僕たち二人して夢を見てたんだ。水曜日の夜からずっと」
 オードヴィの予約が取り消された水曜日、二人で見たはずの宮原さつきのMRIはハードディスクから消えていた。ログも残っていなかった。捜査一課の刑事たちはもちろん、第九の誰もその事件を憶えていなかった。
「水曜の夜からって、今日は金曜日ですよ?」
 夢オチなんて苦しすぎる。風呂敷広げ過ぎて収拾付かなくなった小説家みたいだ。

「木曜日はオレたち二人とも無断欠勤になってるし。岡部さんが気を利かせて、薪さんが頭痛、オレが腹痛ってことにしておいてくれたから助かりましたけど」
 N県から帰った二人を待っていたのは、第九の仲間たちの心配顔だった。2人の関係を知っている岡部だけは渋い顔をしていたが、てか岡部さん、それ誤解です。堅物の薪さんが「今日2人で会社休んじゃう?」みたいな美味しいこと許してくれるわけないじゃないですか。

「やっぱり白蛇の祟りだったんじゃ」
「非科学的なことを、と言いたいところだが。キツネの妖術があるくらいだし」
 3ヶ月前、T県の森の中でキツネに化かされた。その前には妖怪の棲む森で散々な目に遭った。どうも森とは相性が悪いらしい。
「なんか、今年に入ってから連発じゃないですか。今年はこういう年なんですかね」
「雪子さんが竹内と結婚したくらいだからな。何が起きても不思議はないが」
 薪は雪子が大好きなくせに天然で失礼だと思う。

「あくまで僕の主観と推論だけど」
 天井を見据えたまま、薪はそう前置きして、先日の不可思議な体験を整理した。
 蛇姫伝説は現代のものではなく、過去の出来事ではなかったか。だから舗装道路もなく、携帯電話も使えず、地図も役に立たなかった。

「タイムスリップってことですか」
「夢の話だからな」
「なるほど」
 夢と言うことにしておかないと、現実主義者の薪は話ができないのだろう。青木は相槌を打ち、話の続きを促した。

 白蛇の死がタイムスリップのトリガーだった、と薪は語った。
 それからすぐナビが使えなくなり、電話もインターネットも繋がらなくなった。薪が記憶していた現代の地図は役に立たなくなり、交番にはその時代に勤務していた老巡査が現れた。田崎巡査が口にした「蛇神村」の地名は正しかったことになる。
「薪さんが蛇姫に魅入られたのは、MRIで始祖の蛇神を見つけたからですか」
「……たぶんな」
「伝説通り、4匹の蛇の死にも立ち会っちゃいましたしね」

 ハツの話から、ボンネットで死んでいた3匹の蛇は蛇姫のお供であることが分かった。自分たちは律儀にも、自分たちの車で彼らを殺し、彼らの死骸を蛇姫と同じ墓に埋葬した。つまり殉死の手助けをしたことになる。
 蛇姫の生まれ変わりの儀式に貢献したことで、余所者であるはずの薪が次の蛇姫に決まった。若い女性はもはや、蛇神村には存在しなかったからだ。蛇神にまで女性だと思われていたことは薪は認めなかったが、多分そういうことだ。
 蛇たちを埋葬した後、青木は、白蛇が薪の口から体内に入って行くのを見た。薪には白昼夢だと蹴られたが、あれは幻ではなかったのだ。
 その後薪は、蛇姫の巫女たるハツにその身を狙われることになる。最初は蛇殺しの罪人として、蛇姫の魂が薪の中にあることが判明してからは次の蛇姫として。蛇姫に村の男たちの子を産ませ、村を存続の危機から救うこと、それが巫女の役目だからだ。
 ハツの神通力によって2人は森に迷い込まされ、彼女の屋敷に誘導された。薬を盛られ、発情した薪が男たちと交わって子を生せば、それでハツの計画は完遂される。事実、薪の身体にはその変化が起きていた。ハツの計画が頓挫したのはたったひとつの誤算、薪の下半身が異様に残念だったと言うことで――、
「やかましい!」
 すねを蹴られて青木は呻く。心の中で思ったのに、これぞ神通力。

「蛇神村のことはだいたい解りました。でも、それと宮原さつきの事件が消えてしまったこととは」
「森の中の白骨死体は宮原さつきの母親だ」
「え」
 あれが宮原さつきの母親?
「まさか」
「ワンピースのタグが同じだった」
 そんなところまで見ていたのか。言われてみれば顔立ちが似ていたような……そうだ、彼女は子供を「さっちゃん」と呼んでいた。

「あの森にオレたちが居合わせたことで彼女は自殺を思い留まり、結果、宮原さつきはまったく違う人生を歩むことになったと。――でも、母親が自殺したのは蛇神村が無くなった後ですよ? そうじゃないと宮原さつきの年齢が合いません」
「うん、そうなんだ。だからあの森は、場所によって時間軸がバラバラだったんじゃないかと思うんだけど……その辺は僕もよく分からない。ただ、白骨死体の傍で拾った薬瓶が翌朝になったら消えてしまったのは事実だ」
「逃げる途中で瓶を落として」
「それは考えにくい。瓶を包んでおいたハンカチはポケットに残って」
 言葉を切って、薪は小さな欠伸を洩らした。手枕を解いて薄い掛布団を引き上げる。

「いずれにせよ夢の話だ。もう寝るぞ。今日は疲れた」
 薪はくるりと寝がえりを打つと、青木に背を向けて押し黙った。枕元のリモコンで部屋の明かりを消して青木は、ほの白く光る天井のクロスに、巫女の衣装を着けて蛇姫の化粧を施した薪を思い浮かべた。





*****




 隣から寝息が聞こえてくると、薪は静かに身体を回転させ、闇の中で青木の寝顔を見つめた。
 健やかに、規則正しく繰り返される呼吸に安心をおぼえる。何があっても熟睡できる青木の若さと図太さを羨ましく思いつつ、我知らず緩む口元に失笑しつつ、薪はそっと彼の肩に自分の額を押し付けた。

 ――青木に話さなかったことがある。蛇姫が自分を選んだ本当の理由だ。
 自分は、子供好きの青木に子供を持たせてやれない。そのことがひどく気になっていた。だからかもしれない。
 青木の子供を産みたいなどと考えた覚えはない。それでも心のどこかにきっと、そんな生活を夢見る自分がいたのだと思う。それが、女の機能を失ってなお子を持ちたいと願う女の姿に重なったのだ。だから蛇神は自分に宿ったのではないか。

 この際、蛇神の真意などどうでもよい。
 そんな莫迦げた考えを抱くほどに、彼と別れたくないと自分は思っている。問題はそこだ。

 来年は青木と別れなきゃいけない、そう意識し始めた今年になって立て続けに奇妙な世界に誘い込まれたのは、そんな現実から逃れたいと願う、自分の弱さが魔を呼んだからなのか。
 あと1年。本当に、僕は青木と別れられるのだろうか。
『約束の期限までには必ず彼と別れます』
 去年の夏、薪は小野田にそう言った。そんな期限を切っているような人間が、例え僅かな間とは言え彼の側にいてもいいのだろうか。彼に愛される資格があるのだろうか。

 答えの出ない問いは、夜ごと薪を苦しめる。
 彼との時間が重なるほどに、愛される喜びを知るほどに,、深く、重く。

 薪は手を伸ばし、身体の脇に薪の手を待つように置かれていた青木の手のひらに自分の手を重ねた。力の抜けた青木の手指の間に自分の細い指を滑り込ませ、軽く握る。深い眠りの中で、青木が満足気な吐息を洩らした。

 永遠には無理だけど、せめて一緒にいられる間は。
 この世で一番の幸せを彼にあげられるように努力しますから、僕にもう少しだけ時間をください。

 誰にともなく祈りながら、薪は眠りに就いた。




―了―



(2015.8)



 この話、上手に着地できなくてすみませんでした。
 自分でも納得できなかったんですけど、ぶっちゃけ在庫が無くて(^^;
 次の話はもう少しまとまってると思うので、見捨てずにお付き合いいただけるとうれしいです。

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ジャンル : 小説・文学

蛇姫綺譚(16)

 こんにちは。
 今日もご来訪ありがとうございます。

 11月3日から昨日にかけて、たくさん拍手いただきました。ありがとうございました(〃▽〃) ご新規さんにも来ていただいてるみたいで、秘密ファンが増えるの、うれしいです。
 それはいいんですけど、最新記事が3連続でRと言う、
 違うの! ここはエッチなブログじゃないの! 今回はたまたま、いつもはドSとギャグの連続なの!(←それもどうよ?)

 R記事は1週間で下げますので、ご了承ください。
 なお、当該記事にいただいたコメントは記事を下げると消えてしまうので、こちらの記事のコメント欄でお返事いたします。毎度のことながら、分かりづらくてすみません(^^;

 次のお話は6万拍手のお礼SSにしたいと思います。
 予定では「モンスター」なんですけど、あ、ドS話はダメ? ううーん……。
 






蛇姫綺譚(16)






 
 翌朝、青木は爽やかな鳥の声で眼を覚ました。
 横を見ると、薪はまだ眠っていた。フロントガラスから差しこむ朝の木漏れ日が、薪の白い肌を輝かせる。思わず見とれた。蛇姫が憑依したハツは確かにきれいだったけれど、青木にはやはり薪の方が数倍美しく見える。

 車から降りて伸びをする。朝の森は、昨日カラスたちが狂い鳴きしていた場所とは思えないくらい清々しかった。
 薪のスニーカーを用意しておくことを思いつき、青木は車の後ろに回った。トランクを開けて、思わず大声を出す。ボストンバックの隣に信じられないものを見たからだ。
「なんだ、朝っぱらから」
 低血圧症の薪が目を覚まし、不機嫌丸出しの声で青木を責めた。朝のコーヒーも用意できないこんな場所で薪の機嫌を損ねるなど愚の骨頂、しかし今はそれを気遣う余裕もなかった。

「トランクに赤ちゃんがいます」
「なにを寝ぼけたこと」
 眼をこすりながら靴下でこちらに歩いてくる、薪の寝ぼけ眼は、それを目にした途端一瞬で見開かれた。白いお包みの中ですやすやと眠る赤子。襟にピンクのリボンが付いているから女の子かもしれない。
「薪さんが産んだんですか」
「埋めるぞ」
 激しく舌打ちして凄んでやれば、聞こえなかった振りで青木が薪のスニーカーを取り出す。少しだけ汚れていた薪の足をハンカチで拭き、靴を履くのに肩を貸した。

「捨て子だろうな。多いって話だし」
「どうしましょう」
「地元の警察に連れて行って、保護してもらう他ないな」
 この子は町の施設に送られるだろう。父親も母親も、もうこの世の者ではないかもしれない。だが、彼らはこの子の命を奪わなかった。人として最低のラインは越えなかったのだ。ひとり残していくのは可哀想だと、ならば共に行こうと、それは親の勝手な言い分だと薪は思う。口も利けない幼子に意見も言わせず、自分の独断でその命を奪うのは只の人殺しだ。

 周りが明るくなったことで眼が覚めたのか、赤ん坊はトランクの中でぐずりだした。姪のいる青木が、慣れた手つきで赤ん坊を抱き上げる。
 よしよし、と赤子をあやす彼を見れば、薪の胸がつきんと痛む。
 あと何年かすればきっと。彼は自分の子供をこうして。

「青木。子供、欲しいか」
「いいえ」
 え、と思わず声に出た。その答えを予期していなかったわけではない。青木なら自分に気を使ってそう言うだろうと思っていた、でも早すぎる。一瞬のためらいもなく返されるとは思わなかったのだ。
「なんで。おまえ、子供好きだろ」
「好きですよ。けど自分の子供はいらないです」
 心臓の、脈打つテンポで子供を揺すりながら、青木は何でもないことのように、
「オレが欲しいのはあなただけです」
 薪は黙って眼を伏せた。これでは昨夜の繰り返しだ。

 そんな薪の態度に青木は何かを感じて、でもそれを口にはせず、自然に話題を変えた。
「それにしても、どうやってトランクの中に? 鍵が掛かっていたはずでしょう」
「それはその……あちこちに手や足が当たったから」
 狭い車の中で愛し合ったから、動くうちにトランクのボタンを押してしまったのだろう。2人が眠りに付いた後、鍵の外れたトランクに子供が置かれた。一応の筋は通る。

「無理心中をしようとした親が、偶々この車を見つけて」
「さっちゃん!」
 薪の推理を証明するかのように、一人の女性が現れた。白いワンピースに長い黒髪の若い女性であった。こんな森の奥深くに居ながら半袖にサンダル履き。しかも手ぶらと来た。十中八九、母子心中だ。
「あなたのお子さんですか」
 青木に訊かれて、女性は「はい」と涙ながらに答えた。
「ごめんね、さっちゃん。悪いママだったね」
 青木の手から子供を受け取り、すると子供はすぐに泣きやんで、自分の指をしゃぶり始めた。母親と言うのは大したものだ。ほんのわずかな触れ合いで子供を安心させる。昨夜、彼女はこの女に殺されるところだったのに。

「ごめんなさい。どうしてもこの子を手に掛けることはできなくて……あなたたちの車を見つけて、拾って育ててもらえたらと」
「身勝手な方ですね。どこの誰とも知らない人間の車のトランクなんかに子供を置き去りにするなんて」
 彼女にとっても苦渋の決断であったことは想像がついた。そこまで追い詰められた人間がギリギリで思い留まって子供を迎えに来る、それは死を選ぶ以上に辛い未来を選択したと言うことで、人によっては感動さえするかもしれない。だがここは叱るべきだ。ちょっとやそっとの反省で許してしまったら、彼女はまた同じことを繰り返すに違いない。

「もし僕たちが悪い人間だったら」
「ええ、意外だったわ。てっきり男女のカップルだと……だって車の揺れ方が、その」
 うああああ! 何を言い出すんだ、この女!
「窓から聞こえてきた声もすごかったし。終いには、蛇になって何日も続けてしてみたいなんて」
 内容詳しすぎ! 聞こえてきたんじゃなくて聞いてたんだろ、それ!
「蛇になりたいだなんて、どうしてそんなこと言うのかしらって不思議だったんだけど。なるほど、男同士ね。きっとわたしたちには想像もつかないほど苦労してるのねえ。人間やめたくなるくらいだものね」
 余計なお世話だっ。
「可哀想に」
 赤ん坊と無理心中しようとしてた人に言われたくないんだけど!

 この女はなにか、この世で自分が一番不幸な人間だ症候群真っ只中にいるときに、自分よりも明らかに不幸な人間を目の当たりにして、ああ自分はまだ幸せな部類なんだ頑張ろう的なあれか、比較対象になった『明らかに不幸な人間』て僕らのことか、なんてムカつく女だ。
「薪さん、ブリザード止めてください。赤ちゃんが引きつけ起こしてます」
 青木が薪の額の青筋をいくらかでも減らそうとする、その努力を悪意のない、その分タチの悪い女の声がぶち壊した。
「あなたたちの苦労に比べたら、不倫相手の子供を産んで育てることなんて何でもないことに思えてきました」
 子供と一緒に森の養分にしてやろうか。
「頑張ってくださいね。応援してます!」
 おまえがな。

「二度と早まった真似をしないように。この子の将来のことを考えてあげてください」
 心の中では悪しざまに罵るも、無垢な赤子の前ではそれを口に出すこともできず。薪は低い声でそれだけを言葉にし、ようやくのことで年長者の威厳を取り繕った。
「はい! あなたもまだ10代でしょ。お互い頑張りましょうね!」
「40だッ、おまえの倍は生きてる!」
「薪さん、薪さん。もういません」
「え。なんでいなくなっちゃうんだ。また森の中で迷ったら、――あ」
 女の姿を森の中に探して薪は気付く。白いワンピースが消えて行った先から聞こえてくる車の音。早朝の道路を走る大型トラックだった。
「こんなに出口に近かったんですね。昨夜はもっと森の奥にいたような気がしたけど」
 暗くて分からなかったんですね、と苦笑交じりにトランクを閉め、青木は運転席に座った。なにやら難しい顔をしている薪に、早く乗ってくださいと声を掛ける。ここへは公務で来たことを思い出したのか、さっきの女性に言われたことが気恥ずかしかったのか、薪は後部座席に乗り込んだ。
 
 程なく道に出て、青木は少し驚いた。道が舗装道路になっている。昨日はずっと砂利道だったのに。
「ええと、まずは誰かに道を訊かないと。人を見つけて交番までの道を教えてもらって、あ、その前に朝ごはん食べられる所を」
「2キロ先にコンビニがある」
「えっ!? ……いや、もう驚きません。驚きませんけどでも、薪さんの頭って」
「ナビに書いてある」
 昨日、故障したはずのナビはいつの間にか直っていて、薪の言う通り、道沿いにコンビニエンスストアのマークがあった。5分も掛からず到着した店の駐車場に青木は車を停め、朝食を調達して車に戻った。

 車の中では、薪が運転席で何かを探していた。青木に気付いて席を譲り、自分は助手席に移ると、車のナビに宮原さつきの住所を入力した。目的地として登録すると、ここから30分ほどの距離と出た。ナビは正常に動いているようだ。
 おにぎりと冷たいお茶の簡素な食事を摂りながら、青木は駐車場に次々と入ってくる車を眺めた。通勤前にここで買い物をしていく客が多いらしく、広い駐車場が半ば埋まっている。昨日とはえらい差だ。昨日は30キロ走っても車一台すれ違わなかった。
「電話も使える」
「不思議ですねえ」
「ああ。不思議なことだらけだが……一番はこいつだ」
 おかかのおにぎりを齧りながら、薪は後部座席に手を伸ばす。捜査一課と書かれた茶封筒の中から出てきたのは、数枚の白紙であった。
「もうひとつ。白骨死体の傍で拾った瓶がなくなってる」
 昨夜、車の中に落とした可能性を考えて運転席周りを探していたらしい。
「逃げてる途中で落としたのかもしれませんね」
 それは充分考えられることだったが、薪は納得していないようだった。そんな単純な話ではない気がする、と薪は呟き、そしてそれは当たっていた。
 
 宮原さつきの家はナビのおかげですぐに見つかり、近隣住民の話も聞けたのだが、それは意外なものであった。誰一人として宮原さつきを知らないのだ。さつきを育てたのがハツであったとしても、彼女は森の中だけで育ったわけではない。地元の学校に通っていたのだから、同年代の誰も彼女を知らないと言うのは不自然ではないか。
 もうひとつ、聞き込みをしていて驚いたことがある。何処から出てきたものか、若い女性がたくさんいるのだ。それだけではない。道の途中には幼稚園も小学校もあった。夏休み中で多くの子供たちは家にいて、今どきの子供らしくテレビゲームに熱中していた。子供が少なすぎて村の存続が危ぶまれる話は何処へ行ったのだろう。

 どうやらあの男の子も事件ではなく超常現象――薪はあくまで立体映像だと言い張っていたが――だったようだし、これ以上の捜査は必要なしと判断し、二人は週末までの予定を切り上げて東京に帰ることにした。
 帰りがけに、昨日世話になった交番に立ち寄った。田崎巡査は今日はいなかったが、彼に礼を言っておいて欲しいと正職員の中村巡査に伝えたところ、またもや意外な答えが返って来た。
「田崎とは誰でありますか?」
「シニア巡査の田崎さんですよ。昨日、あなたの代わりに留守番をしていた」
「自分は昨日、ずっとここにおりましたが」
 中村巡査が嘘を吐いているようには見えなかった。キツネにつままれたような話だ。
 不審顔の二人に、巡査は自分の言葉を証明すべく、引き出しから警邏日誌を取り出した。若い巡査らしく、机の中にはアイドルの生写真が入れてある。目ざとくそれを見つけた薪が無遠慮に写真をつまみ上げた。焦った顔をするが、巡査の身分で警視長の薪に口答えできるわけがない。叱責を覚悟して肩を竦める中村巡査の前で、薪は携帯電話に手を掛けた。

「……こうくるか」
 くいと顎を上げ、薪は青木にスマートフォンの画面を見せた。そこには、フリルだらけのミニスカートを穿き、長い脚で軽やかにステップを踏む宮原さつきの姿が映っていた。
「事件そのものがなくなっている。宮原さつきは生きているんだ」



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蛇姫綺譚(15)

 メロディ12月号で再びエセあおまきすと疑惑が浮上したしづですが、ガセでございますのでご安心ください。
 不肖わたくし、骨の髄までがっつりあおまきすとでございます。青木さん、がんばれ。






蛇姫綺譚(15)






 タイヤが1回転するたびに、バックミラーがパシリと枝を弾く。ボディコーティングの上にどれだけの小傷がついたことだろうと、想像して青木は憂鬱な気分になった。自分の車でなくても心が痛む。車好きのサガだ。
「完全に迷ったな」
 助手席で薪が呟く。申し訳なさそうに青木が言った。
「すみません。オレの頭には薪さんみたいにGPS搭載されてないんで」
「僕の頭にだって入ってない。……止めろ。これ以上は燃料の無駄だ」
 青木は車を停めてエンジンを切った。危険予知のために少しだけ窓を開けておく。窓からは森の夜気と、季節を先取りした虫の声が聞こえてきた。

「おまえの言う通りだったな。あの老女は罠を張っていた」
 フロントガラスを埋め尽くす闇の中に何かを探すように、亜麻色の瞳が強く輝く。こんな状況にあっても強気な薪の横顔は、青木に安心と勇気をくれる。その瞳をふっと細めて、薪は微笑んだ。
「他人を信じやすいおまえが、よく気付いたな」
「そりゃ気が付きますよ。あのお婆さん、顔がヘビでしたもん」
「またそんな失礼なこと」
 クスッと笑って、でもすぐに思い直したらしい。そう、青木は他人の外見について悪く言うような人間ではない。
「もしかして、比喩じゃなくて本当に?」
「はい」

 薪はぽかんと口を開け、次の瞬間大声で叫んだ。
「なんで言わなかったんだよ、そんな大事なこと!」
「言ったじゃないですか。人間じゃないって」
「バケモノならバケモノって言えよ!」
「薪さんに見えてないとは思わなかったんですよ」
 青木の言うことにも一理ある。薪が青木の言っていることを理解できなかったように、青木も薪の行動が理解できなかったのだ。視覚が違っていたなら当然のことだ。
 しかし、青木は薪の後を着いてきた。そして老婆の家で食事をごちそうになった。相手が人外の者と分かっていたら、そんな行動を取るだろうか。

「だって。お腹空いてたから」
「化け物が用意したメシだぞ。食うか普通」
「助けてくれたし。善い化け物かもしれないと思って」
「いるか、そんなもん」
「そんなことないですよ。ハツさん、オレたちを逃がしてくれたじゃないですか」
 どうしてあの非常事態に、青木が薪の口を塞いだのか分かった。青木はハツが村人たちの手前、二人を殺す振りをしていると考えたのだ。その真意を村人たちに気付かれないよう、薪を黙らせる必要があった。
「ハツさんが言ったんですよ、薪さんの中に蛇姫様の魂があるって。だったら、蛇は味方になってくれると思ったんです」
 青木は何処までもお人好しだ。ハツのことも人間ではないと分かっていながら、結局は信じてしまっている。
「その割には、穴に落ちた時にパニクってなかったか」
「生理的嫌悪に負けました。オレ、しばらく鰻はいいです」
「僕もだ」

 青木の性善説に呆れつつ、会話を終わらせた薪は、闇の中でふうむと腕を組んだ。
 それにしてもおかしい。どうして青木に見えたハツの正体が自分には見えなかったのか。
 青木にしか見えなかったものは他にもある。4匹の蛇を埋葬した時、薪の周囲に現れたと言う白蛇の姿。暑さによる幻、或いは太陽光のハレーション、そんなものだと決め付けていたが、まさかあれも。
『おぬしはすでに蛇姫を宿している』
 あり得ないと思いつつも考えてしまう。もし、ハツの言葉が事実だったとしたら。

 ふと。
 頬に添えられた青木の指先が、薪の思考を中断させた。暗闇の中で運転席に顔を向ければ、青木の手に薪のくちびるが夜露に濡れる花びらのように触れる。手のひらでその位置を確認した青木は、何の前置きもなく薪にくちづけた。
 貪るようなキスだった。息をすることさえ容易く許してくれなかった。
 狭い車の中で、きつく抱きしめられた。耳元にかかる青木の熱い息。薪がそれに身を任せようと眼を閉じると、不意に身体を離された。
「すみません。さっきの男のこと、思い出しちゃって」
「悪かった。その、薬を」
 言い掛けてやめた。不貞の現場を目撃されたのだ。何を言っても言い訳にしかならないと思った。
「薪さんは悪くないです。ただ、くやしくて」
 青木が自分を抑えているのが分かった。きっとすぐにでも確かめたかったに違いない、恋人に自分が愛されていること。でも青木はこういう場所で愛を交わすことを嫌う薪の性質を知っている。だから身体を離した。

 薪は青木の手を取り、その指先に口づけた。人差し指を口に含み、濡らした指を自分のワイシャツの中に招き入れる。
「薪さん」
「まだ薬が残ってるみたいでな。そんな状態の僕はいやか」
「大歓迎ですっ」
 思わず吹き出してしまう。相変わらずバカ正直だ。
「公用車だから、汚さないようにしろよ」
「気を付けます」
 青木のことだから泊まりがけの出張となれば夜の用意も万全だったと思われるが、荷物はトランクの中だ。車の後ろに回って取って来て、車内灯の微かな明かりで準備を整えるには、二人の気持ちは逸り過ぎていた。
「僕の中に出していいから」
「え。でも」
「薬のせいかもしれないけど。そうされたいんだ」
 正直に言えば薬の効果は完全に切れていた。薬のせいにでもしないと、口に出せなかっただけだ。
 薪は暗闇を助けに願いを口にし、そしてそれは与えられた。

 もしも本当に僕に蛇姫の魂が宿っていたなら。これで彼の子供ができるかもしれない。

 女になりたいなんて思ったことはない、彼の子供を産みたいなんて思ったこともない、でもでもでも。
 もしも僕に子供が産めたなら、青木と別れなくて済むかもしれない。誰に憚ることなく、彼の子を生した人間としてこの先もずっと彼の隣にいられるかもしれない。
 自分の浅ましさに耐え切れなくなって、薪は泣いた。死にたくなるくらい自分が情けなかった。
 何を考えているのだろう。これじゃ、子供を盾に男に結婚を迫る女みたいじゃないか。

「薪さん」
 押さえていたつもりでも、肌を合わせている相手にそれを隠すのは不可能で。快楽の余韻による震えだと言い通すには、青木は薪の身体を知り過ぎていた。
「ごめんなさい。無理をさせて」
 ちがう、そうじゃない。おまえは何も悪くない。悪いのは。
 行為を終えて身を引こうとした青木の腰を、薪は脚で抱くようにして押さえた。自分から腰を浮かして、彼を深い場所に感じる。
「薪さん」
「本当に。なんでもないんだ」

 嘘だ。大ありだ。
 ずっとずっと気に掛かっていたのだ、自分たちに子が生せないこと。未来に命をつないでいけないこと。それは人として、いや、生物として間違った行いではないのか。
 彼と出会って愛し合ったこと、それが間違いだったとは思いたくない。でもやっぱり、僕らはどこかで誤ったのだ。だからこんなに苦しいのだ。自然の理に反しているのだと、認めることが苦しい。それでも。
「青木。愛してるよ」
「……おかしいですよ、薪さんっ」
 ちょっと待て。今のセリフのどこがおかしいんだ。
「もしかして、世界の終わりが近いんですか? それで泣いてたんですか?」
 セックスの後に恋人に愛してるって言っただけでどうしてそこまで言われにゃならんのだ。僕はノストラダムスか。

「やっぱり薬のせいかな。安静にさせなきゃいけなかったのかも。ああ、どうしよう、オレのせいで薪さんがおかしくなっちゃったら、あ痛っ」
「なんだその態度! 人が真面目に悩んでるのに」
「なにをですか」
「いやその……蛇姫の呪いに掛かったら、僕はヘビになるのかなって」
 本当のことは口が裂けても言えない。薪は咄嗟に嘘を吐いた。
「そんなこと心配して泣いてたんですか? 薪さん、かわい、や、すみません、もう言いませんから許してください潰さないで」
 青木が仕掛けてくれた冗談に紛らせて、この話は終わらせるつもりだった。悩んでも仕方のないこと。猶予は来年。1年後にはこの悩みも強制終了だ。

「いいんじゃないですか」
 握力計でも握るように自分の秘部を握った薪の手をやさしく包んで、青木は言った。
「オレもう、薪さんなら何でもいいです。ヘビになっても薪さんは薪さんでしょ?」
 ついさっきまで自分を痛めつけていた薪の手を、それをまるで大切な秘宝のように、大事に大事に両手で持ち上げて、青木はその桜貝のような爪にキスをする。青木のしっとりとした唇が、薪の指先をそれこそ蛇のようになぞった。
「薪さんがヘビになるならオレも一緒にヘビにしてもらって、ていうか薪さん、知ってます? 蛇の交尾ってすごいんですよ。合体したまま何日も続くんですって。薪さんとならそういうのもやってみたいで、痛たたたたっ!!」
 痛がる青木が面白かった、それは事実だったけれど、そのとき薪が青木の股間に蹴りを入れたのはそれが理由じゃない。

 卑怯だと思った。
 自分は彼にそう言って欲しかった、青木の口から聞きたかった、自分が彼の唯一無二の存在であると。聞いて確かめたかった、そしてそれを、別れを決意しながらも彼の愛を受け入れることの免罪符にしたかった。
 ずっと心苦しかった、彼に一生寄り添えない、そのことを知りつつ泡沫の幸福を手放せないでいること。潰える運命の愛に彼の貴重な時間を使わせていること。一刻も早く彼に彼の人生を返してやるべきなのに、それができないまま気が付けば長い時間が過ぎてしまった。一時の夢と呼ぶには長すぎる時間が。
 それらをすべて自分の罪と、認めるにはあまりにも重すぎて。自分は彼の望みを叶えてやれる、彼を喜ばすことができる、だからこの不毛な関係を続けているのは自分だけが悪いのじゃないと思いたかっただけだ。
 最低だ。彼の純粋な気持ちを、自分の罪を軽くするために使おうとした。

 薪は助手席から手を伸ばし、薪に蹴られて泣きながら身繕いをする青木の手を握った。
「合体は無理だけどな」
 闇の中、何も見えずとも。青木が尻尾を振る犬のように喜ぶのが分かった。








テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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