モンスター(7)

 こんばんは。
 前記事に、お気遣いのコメント、たくさんありがとうございました。
 みなさんの助言を活かして、自分だけで背負い込まないように、考え過ぎないように、ゆっくりやって行きます。 
 長期戦だものね。そうしないと、途中で息切れしちゃうよね。

 ということで、早速メロディ買ってきたー!
 事件の裏側が明らかになっていくのを、ふんふん、と頷きながら読んでたんですけど、
 P293の2コマ目で頭の中真っ白になりました。そこしか頭に残ってません。わたし、死んだ方がいいのかしら……。

 感想はまた後ほど、
 とりあえず、お話の続きをどうぞっ。





モンスター(7)






 特捜専用のため防音完備の第4捜査室で、青木は岡部と向かい合っていた。昼の休憩時間のことである。

「服役囚と面会? 薪さんが?」
「はい。荒木の話では、先月の末だそうです」
 荒木が語った薪の秘密は、岡部には無論、青木にも寝耳に水のことであった。
 その日、荒木は会議に出席していた薪を五反田まで車で迎えに行った。帰り道、途中のパーキングに車を停めるよう命じられ、そこで1時間ほど待機するように言われたらしい。しかし、荒木は青木に密命を受けている。薪は単独行動が得意だが、それは暴走の危険を多分に孕んでいる。決して一人にしてはいけない。もしも薪が部下を遠ざけるような行動に出たら必ず後を尾けるように、と。
 敏捷性に富んだ小柄な体躯を活かし、荒木は薪を上手く尾行した。そして突き止めた。
 薪の行先は、東京拘置所であった。

「薪さんは受刑者に会って何らかの話をした。その受刑者の指示で誰かが、あのくそったれな荷物を送りつけてきたんじゃないかと、荒木はそう言うんだな。相手は誰なんだ?」
「そこまでは。面会者帳簿は確認したそうですが、薪さんの名前は無かったそうです」
 証拠を残さないために警視長の特権を発動したか。調べるには拘置所の職員に聞き込みを掛けるしかないが、すると薪に尾行がばれる。それで荒木もそれ以上は踏み込めなかったのだ。
 岡部は三白眼を上空に向け、過去の事件から心当たりを探った。現在、拘置所にいる人物で薪を恨んでいそうな人物と言えば。
「あいつじゃないのか。あの変態」
「……どの変態ですか?」
 哀しいことに、薪に逮捕された変態は数が多過ぎて一人に絞れない。

「ほら、春の青髭事件。控訴しなかったから刑が確定して、今は小菅だろ」
 5月に薪が身体を張って解決した連続婦女暴行殺人事件には、『青髭事件』というセンセーショナルな呼び名が付いた。犯人の桂木省吾は3ヶ月後の裁判で死刑を求刑され、それを受け入れた。死刑囚となった彼は、現在、東京拘置所に拘留されている。東京拘置所は葛飾区小菅にあり、警察関係者が「小菅」と言えば東京拘置所を指す。
「省吾さんがこんなことをするとは思えません。あの人は薪さんに真実を教えてもらって、父親の呪縛から解き放たれたんです。なのに恨むなんて」
「わからんぞ、サイコ野郎の心理なんか。てか、青木。死刑囚をさん付けで呼ぶのやめろ」
「オレは東条さんの方が可能性あると思うんです。あの人って、薪さんが自分を愛してると思い込んでたんでしょう?」
「だからさん付けするなって」

 2年前の『I公園男女殺人事件』の犯人、東条学は15年の禁固刑に処せられている。彼は元精神科医、マインドコントロールはお手の物だし、刑務所内外に協力者も作れるのではないか。青木はそう考えたが、岡部は首を振り、
「東条には無理だ。中園さんの息の掛かった刑務官が、しっかり監視してる。余計なことを喋らないようにな」
 中園の非情さには、時々ぞっとさせられる。政治犯でもない東条が禁固刑になったのは、彼に多少なりとも精神の異常が認められたせいだと薪は言ったが、事実は違う。薪の秘密を守るため、中園が検察に手を回して禁固刑を求刑させたのだ。禁固刑は懲役の義務がないから、他人と話す機会を完全に掌握できる。禁固刑の受刑者は希望すれば刑務作業に参加できることになっているが、おそらくその申し出は黙殺されている。
 他には、ゴスロリ好きの細菌学者とか、吸血鬼と呼ばれたレズビアンとか、しかしどの犯人も友だちがいない代表みたいな人物で、あんな手の込んだことをしてくれそうな友人がいるとは思えない。逆に彼らとて、自分のためにそこまでしてくれる誰かがいれば、あんな事件を起こさなかったかもしれない。

「薪さんのことだからな。案外、受刑者の話を聞きに行っただけかもしれんぞ。官房室で犯罪防止条例の草案を作るだろ。その資料集めとかで」
「まさか」
「あの人は仕事のためなら平気でそれくらいやるぞ」
 自分が関わった事件ではなく、薪が適当に選んだ受刑者に面会を求めたとなるとお手上げである。できれば騒ぎにしたくないから、拘置所に出向いて調べるのは避けたい。薪本人に問いただすことはもっと避けたい。

 2人は頭を抱えたが、ふとある人物に思い当たって、ほぼ同時に顔を上げた。互いの眼の中に互いの解答を見つけ、彼らは同じ形に口を開いた。
「滝沢……」
 2065年の秋。日本中を混沌の渦に巻き込む大事件が起きた。
 元最高裁判所首席裁判官、現国家公安委員副理事長、法曹界の陰の首領、羽生善三郎翁の逮捕劇である。その事件に密接に関わり、裁判で検察側の証人として法廷に立った人物が、元第九職員にして同僚2名を殺害した滝沢幹生元警視だ。
「決まりだな。間違いない」
 滝沢が薪に恨みを持っているかどうかはともかく、「モンスター」とか「愛をこめて」とか、そういう薪が嫌がりそうなことは喜んでする男だ。
「小菅には馴染みもいる。青木、一緒に行くか」
「はい」

 執務室に戻り、個人予定表の自分たちの欄に外回りの文字を書いていると、今井と山本が昼休憩から戻って来た。後ろに荒木もいる。山本と荒木は相性が悪いと言っていたのに、珍しい組み合わせだ。
「今井。これから留守を頼めるか? 青木を連れて行きたいんだが」
 大丈夫です、と今井が快く返事をする。どちらに、と山本に訊かれて、岡部は曖昧に語尾を濁した。仲間内の嘘は岡部が最も苦手とするものだが、本当のことは言えない。
「ちょっとヤボ用でな。じゃ、頼むわ」
「荒木。後をよろしくな」
「はい、青木さん。行ってらっしゃい」

 不審顔の山本と笑顔で手を振る荒木に見送られて、二人は研究室を出た。小菅までは車で約40分。拘置所に到着して腕時計を見ると、1時半を回っていた。
 岡部の旧い友人である副看守長の導きで、二人は所定の手順を踏まずに拘置所の面会室に通された。岡部は彼に薪の訪問について尋ねたが、彼はその様な報告は受けていないと言う。東京拘置所の収容人数は約3000名。滝沢はそのうちの一人にすぎない。知らずとも無理はなかった。

「これはまた珍しい客だな」
 3年ぶりに顔を合わせた滝沢は、あの頃と全く変わっていなかった。尊大な態度もそのままに、彼はどっかりと面接用のパイプ椅子に腰を下ろした。
「滝沢さん。お元気そうですね」
 透明なアクリルボードの向こう側で不遜な笑みを浮かべている彼は、刑務所での生活に疲れた様子もなく、むしろ若返っているようですらある。そのことに青木が驚くと、滝沢はにやりと笑い、
「ここの生活はなかなかに快適だ」
 青木は知らないが、滝沢は旧第九を壊滅させた後、外国の傭兵部隊にいたのだ。そこに比べたら日本の刑務所などぬるま湯に浸かっているようなものだ。

「滝沢」
 岡部が低い声で名前を呼ぶと、滝沢は胡乱そうにそちらを見た。
「単刀直入に聞く。薪さんと何を話した」
「なんでおれに聞くんだ。薪に聞いたらいいだろう」
 岡部の質問を拒絶する返事は、しかし岡部に解答を与える。薪が確かに、滝沢に会いに来たという事実を。
「引っ掛けたな」
 青木の表情の変化からそのことに気付き、滝沢は苦笑いした。しかし直ぐに深刻な表情になり、ちっと舌打ちして、
「あのバカ。まだ過去の亡霊に囚われているのか」
 バカと言うのは多分、薪のことだ。では『過去の亡霊』と言うのは、薪に猫の首を送ってきた人物のことだろうか。
 やはり、滝沢は何かを知っている。

「まあいいか。それほど切羽詰まった話じゃなかったしな」
「それはこっちが判断することだ。何を話したか、正直に言え」
「知りたきゃ薪に直接聞け」
 頑迷に首を振った後、滝沢は声を出さずに口だけを動かし、
『今日は言えない』
 なるほど、と二人は思った。
 拘置所の面会は刑務官の立会いのもとに行われる。刑務官は受刑者と面会人が話した内容を細かく書き留める。つまり、この情報は刑務官に筒抜けになるのだ。
 薪と面会をしたときにはあらかじめ、刑務官に話を通しておいた。要は、滝沢が懐柔した刑務官が面会当番のときを狙って薪を呼びだしたのだ。しかし今日の訪問は飛び込みだ。段取りを組む時間がなかったのだろう。

「滝沢さん、お願いします。薪さんは訊いても教えてくれないんです」
「薪が喋らないことをおれに言えってのはおかしいだろう」
 青木と滝沢が刑務官に聞かせるための会話をする裏側で、岡部と滝沢は、共犯者のように無声でやり取りをする。
『いつならいい?』
『金曜の午後ならOKだ』
 遠すぎる。今日はまだ月曜日だ。
『もう少し早くならないか』
『無理だ』
 いくら滝沢でも、刑務官を何人も抱き込めるほど甘くはない。岡部はそっと青木に目配せした。引き上げの合図だ。

「上意下達が警察の基本だ。一応は元警察官だからな。道理に外れることはしたくない」
「そう言われては、引き下がるしかないな」
 岡部はふんと鼻から息を吹き出し、毛深くて太い腕を組んだ。
「こんなところに長居は無用だ。帰るぞ」
「青木」
 岡部に促されて立ち上がった青木を、滝沢が呼びとめた。口唇を読ませるつもりかと眼を瞠るが、滝沢はいつもと変わらぬ尊大な口調で、
「おまえは薪のボディガードだろう。だったらあいつを守ってやれ」
 はい、と青木は頷いた。隣で岡部が苦い顔をしたが、滝沢は岡部と同い年で、一度は同僚だった男だ。反射的に敬語になってしまうのだ。

「どんな敵からも、だぞ」
「はい」
「相変わらず分かってないな、おまえは」
 滝沢は左の頬だけを吊り上げ、苦笑とも失笑ともつかぬ笑いを浮かべた。それから彼は、子供の手伝いをまどろっこしく思う親のような眼になって、
「あいつの最大の敵はあいつ自身だ。それを倒さなきゃどうにもならん」
 と謎かけのようなことを言った。青木がきょとんとした顔で首を傾げると、滝沢は両手を左右に広げてから肩を竦めた。そのわざとらしい仕草が、なんだか妙に懐かしかった。

「要するに、薪が自分からおまえに話すようにならなきゃ始まらないってことだ。それができないなら力づくでも聞き出すんだな。大事なのは薪が自分の口で喋ることだ」
 態度は横柄で言葉はぞんざいだけど、薪を心配しているのがその眼で分かった。きっと滝沢は、薪の身になんらかの危険が迫っていることを知っていたのだ。それを教えようと、薪をここに呼び出した。
 警告を受けたなら、それを青木に話して警備を強化するのが筋だ。薪が自ら自分を守るための行動をとること、それが大事なのだと滝沢は言いたいのだ。
 そして薪にそれができないのなら。聞き出すのは青木の役目だ。

「わかりました。滝沢さん」
「だから敬語使うなって。殺人犯だぞ、こいつは」
「やってみます。ありがとうございます」
「礼も言うな!」
 岡部に叱責されつつも、青木は滝沢と透明ボード越しに眼を合わせた。そこに青木は自分と同じ種類の光を見つけ出し、にっこりと笑った。




テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

マジック

 たくさんのお祝いコメント、ありがとうございました。
 特に秘密コミュのみなさん。わたし、ずっとみなさんのところご無沙汰してて、たまにお邪魔してもロクなコメントも入れないでいたのに、みんな我がことのように喜んでくれて。思わずうるっときちゃいました。
 ひとつずつ、大切にお返事させていただきます。

 あのね。
 めっちゃプライベートの暗い話で、こういう話は、このブログのコンセプトに反するのですけど。なんで最近、コメント入れられなかったのかと言うと、仕事のせいではなく、わたしの気持ちが乱れていたから。
 お義母さんが、肝硬変&認知症になりまして。仕事と介護の両立で少々荒んでおりました。
 長男の嫁なんでね、覚悟はしてたんですけど、その時に現場代理人になってたのは想定外。わたし、お義母さんの世話だけすればいいんだと思ってたよ。両方は無理だよー。認知症舐めんなよー。

 気分的にも落ちてしまって、自分のことをするのがやっとでした。それもままならない日が多かったです。テンション上がらなくて。

 でも今回、みんなに「当選してよかったね」って言ってもらえて、わたし、独りじゃなかったんだなあって。
 現実も同じこと。もっと周りの人に頼ろうと思いました。
 気付かせてくれてありがとう。
 感謝を込めて、わたしからみなさんへ、クリスマスプレゼントです。
 プレゼントに相応しい内容かどうかは甚だビミョーですが、どうぞお納めください。






マジック






 まるで魔法のようだと青木は思う。
 難解なことも煩雑なことも、薪の手に掛ると見る見る間に片付いていく。仕事も雑事も大切なこともそうでないことも、薪と言う人間の前を通るだけですべてがパーフェクトになる。彼の仕事に失敗はない。オールマイティなコンピューターのようだ。

「薪さんて本当に。できないことないんですね」
 いいなあ、と羨望を込めた瞳で薪を見る、青木は少ししょぼくれた顔をしている。自分がどんなアプローチを重ねても通らなかった稟議書を、薪がほんの1、2行書き替えただけで決済が下りた。薪の名前はどこにも出ていないのに、これが実力の差というものか。

 稟議書のお礼にと青木が自腹を切った瑞樹の特上御膳は、その半分が薪の胃に納まり、残りが青木の口に運ばれようとしている。左手の頬杖の上からその様子を眺めつつ、薪は素っ気なく応えを返した。
「そんなことはない。100mを9秒台で走るのは無理だ」
「いや、超人の話じゃなくてですね」
「2人前の夕食を平らげるのも無理だ」
「……もういいです」
 小判型のヒレカツを口の中に放り込み、やや自棄ぎみに噛み砕いた青木を見て、薪がクスッと笑った。少し意地悪なその笑顔が青木にはたまらなく魅力的に映る。だから青木は意地悪をされてもされても、彼の周りを跳ね回るのだ。

「なんでもできるあなたはオレの憧れです」
 手放しの称賛を受けて、薪はそれを否定するでも謙遜するでもなく、考え事をするときのように視線を左下のテーブルに彷徨わせた。僅かばかりの沈黙のあと青木の顔を見上げて、新しい悪戯を思いついた子供のように無邪気に笑う。
「昔、魔法使いに魔法をかけてもらったんだ」
 美濃部焼のぐい飲みを持ち上げながら、薪はそんなことを言い出した。




*****




 自分の両親が死んだ日のことを、彼は鮮明に覚えている。
 その日は彼が自分の人生を定めた日であり、一生を捧げる仕事を選択した日でもあった。おかげで警察を辞めない限り、嫌でも付いて回る記憶になってしまった。
 自分にその日が訪れたことを、悔やまないのは非情だろうか。両親を喪ったことは悲しい、でもその日、彼の一生を左右する出会いがあった。あの日があったから今の自分がいる。あの日あの人に出会えたから。警察官になるという目標に向かって、迷わず生きてくることができた。両親の死が彼と自分を引き合わせたとも言える。それは亡くなった両親からこの世にたった一人残していく年端も行かない息子への、せめてもの贈り物だったのかもしれない。

 電話が鳴ったのは午後4時。母親が用意したおやつを食べ終えて、お絵描きの続きをしようとダイニングテーブルを離れた、その時だった。
 虫の知らせのようなものは何もなかった。さっき食べたのが母親が焼いた最後のホットケーキになったわけだが、特別に美味しいことも不味いこともなかった。強いて言うならいつも通り、普通の真ん中を行く味だった。
 母親からだと思って電話に出た。ちゃんとお留守番してるよ、おやつも全部食べたよ、そう言えば母親に褒めてもらえると、小さな手は勇んで受話器を取り上げた。

『剛君ですか? 落ち着いて聞いてくださいね。お母さんとお父さんが』
 あどけない声で電話に出た子供に、優しそうな女性の声で、残酷な事実が告げられた。「他におうちの人はいないの?」と訊かれ、「ぼく以外は誰もいません」と正直に答えた。知らない人からの電話を受けたときにはお留守番の人と一緒ですと答えなさい、と教えられていたことを忘れてしまったことに気付いたが、遅かった。
『では、交番のお巡りさんが今から剛君を迎えに行きます。一緒に病院に来てください』
 彼は利発な子供だった。父母が事故に遭ったこと、二人が亡くなったことを理解し、その事実を確認するために息子の自分が呼ばれたのだということを理解した。

 しかしそれはあくまでも、脳が言葉を理解したに過ぎなかった。幼かった彼に、死は身近なものではなかった。
 彼にとっての死とは、例えば、母親に手を引かれての散歩の途中、道端で見かけたセミの死骸。車に轢かれて痩せた腹から臓物をはみ出させたノラ猫。日常に溢れたそれらは、自分や自分の近しい人間からは遠く離れたものだった。子供の彼にとって父母は物知りでやさしくて力持ち、謂わば身近なスーパーマンで、その彼らがあのような姿になるなど想像もつかなかったのだ。

 何か持って行った方がよいのだろうとかと幼心にも考えて、幼稚園の黄色いショルダーバックを肩にかけた。中にはハンカチとティッシュ、連絡帳と筆記用具が入っていた。
 近所の交番の巡査の顔を、少年は覚えていた。いつものように「こんにちは」と挨拶をすると、巡査は何故か俯いて、小さな声で「こんにちは」と答えた。彼は一人ではなかった。相手が子供だからとの気配りか、電話口の女性を同伴していた。

 家の鍵をしっかりと掛け、促されるままにパトカーに乗り込んだ。初めて乗るパトカーの後部座席で、知らない女性の隣で、彼は身を固くしていた。
「剛君はいくつ?」
 5歳だと答えると、女性警官の表情が曇った。
「そんなに小さい子だとは」
 電話の受け答えの印象から、もっと年長の子供を想像していたらしい彼女に、彼はしっかりした声で、
「小さい子じゃありません。来年は小学生になるんです」
 そう言うと、女性警官は一瞬泣き笑いのような表情になって、でも微笑んでみせた。
「そうね。小学生なら小さい子じゃないわね」
 彼の言い分を認めて、女性警官は頷いた。母親に会ったらこのことを報告しようと彼は思った。きっと褒めてもらえる。お母さんはぼくが小学生になることをとても楽しみにしていたんだから。

 その思いつきが浅はかであったこと、もう二度と母親が自分を褒めてくれることはないのだと、彼が本当の意味で両親の死を理解したのは、救急病院の霊安室で冷たい躯となって横たわる2人の姿を見た時だった。
 霊安室のドアを開ける前、子供に見せるものではないと案内の看護師が付き添いの女性警官に言った。だが、彼らの身内は息子だけだった。「可哀想に」と肩を抱かれた、その時の彼女の顔を少年はもう思い出せない。次に訪れたあまりにも強烈なショックのせいで、前後の記憶は混沌としていた。

 正面衝突だったと、意味も分からず聞いた。強い力で破壊された二人の体は、見るも無残な有様だった。とりわけ、顔の部分の損傷がひどかった。
 それらと自分の両親の記憶とを擦り合わせるには多少の時間が必要だった。特に母親は飛び抜けて美しかった分、その変わり果てた容貌とのギャップを埋めるのが困難だった。

 でも、心はそれらを飛び越した。
 瞬時に理解した。彼らが自分の親であること。
 赤黒く汚れているけれど、あれは自分と同じ色、お母さんの髪の毛だ。皮膚を突き破った骨が覗いているけれど、あれは自分を抱き上げてくれたお父さんの手だ。

 心の速度に脳が追いついたとき、彼を衝撃が襲った。ものも言わず、彼はその場に昏倒した。



*****




 気が付いたときは布団の上だった。
 夢だった、という希望は一瞬で砕けた。初めて見る天井だったから。
 天井だけではなく、その部屋の何一つとして彼が知っているものはなかった。小狭い6畳間、少年の家には無い畳に障子。古ぼけた茶箪笥がひとつ。枕元に黄色い園児袋が置いてあった。

 彼に付き添っていてくれた女性警官はいなくなっていた。代わりにそこにいたのは、知らない男だった。
「おう。起きたか、坊主」
「来るな!」
 その可能性を考えなかったわけではなかった。一連の出来事、あれは全部嘘で、その目的は。
「知ってるぞ。おじさん、人さらいだろ!」
「うん、気持ちは分かるけどね。この人はお巡りさんと同じ警察官だからね」
 奥から知り合いの巡査が顔を出した。それでここが交番の奥にある休憩室だと分かった。だからと言って、男の潔白が証明されたわけではない。少年は勢い込んで、自分の推理の根拠を述べた。

「ウソだ。テレビで見たもん。子供を攫って外国に売るんだよ、この顔だったよ」
「どこのテレビ局だこら。プロデューサー締め上げて」
「カメさん、大人げないですよ」
 男は巡査の先輩だと紹介されたが、少年には信じられなかった。カメなんて変わった名前だ、ゴジラの方が似合ってる。そう言ったら怒られた。ウソを吐いちゃいけないって大人は言うくせに、それで怒られたら割に合わない。
「カメじゃなくてカベだ」
「カベ? ……妖怪のぬりかべ?」
「泣かしてやろうか、クソ坊主」
「カベさん」
 ――やさしくしてあげてくださいよ。可哀想な子なんですから。
 巡査が男に耳打ちした。それを聞き取るのは容易かった。少年は地獄耳だった。

 寝具の上に正座した少年の小さな肩を、巡査の両手が覆った。それは子供に大事なことを言い聞かせるときの大人の行動だと、彼には分かっていた。
「剛くん。明日、叔母さんが君を迎えに来るから。それまではここにいなさい」
 具体的な言葉は何もなかったが、彼は状況を理解した。
「お腹空いてない?」
 首を振った。
「今夜はここに泊るんだよ」
 頷いた。
「お巡りさんはパトロールに行かなきゃいけないんだ。このおじさんと留守番しててね」
「えっ」
 ゴジラと二人で留守番? ゴジラが暴れ出したらどうすれば?
「なんだ、そのツラ。取って食いやしねえよ」
 食べられるとは思わなかったけれど、踏み潰されることはあるかもしれないと思った。
 本当は怖かったけれど、黙って巡査を見送った。男の子は勇気を持たなくちゃいけない、と父親に教わっていたからだ。

 二人きりになるとゴジラはのっそりと立ち上がり、茶箪笥の中を物色し始めた。インスタントココアの缶を取り出し、2人分のカップに電気ポットのお湯を注いだ。これはあのお巡りさんのものだろうに、勝手に飲んでいいのだろうか。
「ほら坊主。飲め」
 しかもぼくを共犯にしようとしてる。
 少年がカップを持ったまま固まっていると、男は少年の後ろに回って胡坐を組んだ。それから少年の尻を膝の上にひょいと乗せ、自分のココアを口に含んだ。
「うお、甘えな。ガキの味覚ってのはまったく」
 自分が飲みたかったわけじゃない。飲ませたかったのだと知った。

 男の膝で、少年はカップに口を付けた。熱くて甘い、チョコレートの匂い。一口飲んで、ほっと息を吐いた。ココアと男の体温で気が緩んだのか、泣きたい気持ちになった。必死で押し留める。
「なんてツラしてんだ」
 視線を巡らすと、男がカップを持て余していた。
「泣きたきゃ泣け。ガキが泣いたところで誰も笑わねえよ」
 泣くもんか、と彼は思った。
 泣かない。泣いたらあれが本当になっちゃう。
 お父さんとお母さんが死んだって、認めることになっちゃう。

「我慢してもしなくても一緒だぞ。父ちゃんと母ちゃんは生き返らねえ」
 ひどい大人だと思った。みんなぼくを可哀想な子だって、お巡りさんも警官のお姉さんも看護師さんも、そう言ってくれたのに。
 ――言われてぼくがものすごく嫌な気持ちになったこと、この人は気付いていたのかな。

「泣き虫はガキの特権だ。使えるうちに使っとけ」
 この人の前なら泣いても大丈夫だと思った。泣いても、可哀想な子って思われなくて済む。

 少年は泣きながらココアを飲んだ。途中からココアが塩辛くなって、それはけっこう微妙な味だったけれど、全部飲み干した。
 男が寄越したティッシュで涙を拭いて洟をかんで、充血した亜麻色の瞳に映った男の姿は、最初に会った時とはまるで違って見えた。
 よく見ると、ゴジラじゃなくてゴリラに似ている。見れば見るほどそっくりだ。お祖父さんかお祖母さんあたりがゴリラだったんじゃなかろうか。
 母親とよく行った動物園で、ゴリラは身体は大きいけれど果物や草を食べる草食で、とてもやさしい動物なのよ、と教わったことを思い出す。もう二度とお母さんと一緒に動物園に行くことはできないんだ、そう思ったらさらに悲しくなった。

 動物園だけじゃない。一人じゃ幼稚園にだって行けない。小学生にもなれない。
 ぼくには何もできない。

「馬鹿言え。そんなわけがあるか」
「だってぼく、幼稚園でも一番小さいし。友だちにもよく苛められるし」
 少年の抜けるように白い肌と明るい亜麻色の髪は、幼少の頃から人目を引いた。加えて、幼い彼はまだ自分の能力を隠す処世術を持たなかった。出る杭はなんとやらで、少年はしばしば理不尽で無邪気ないじめっ子たちのターゲットになっていた。
 その状況は、彼に自分の無力を悟らせた。当時の彼は、自分に自信のない軟弱な子供だったのだ。
 そんな少年の弱気を吹き飛ばすように、男は強く言い切った。
「そんなこたあ関係ねえんだよ。おれは息子にもよく言うんだけどよ」

 この世におまえができないことなんか何もない。だっておまえはここに生まれてきたんだから。生まれてきたのは神さまに選ばれたからだ。おまえがこの世界に必要だから、おまえならできると思ったから、だから神さまはおまえという人間をこの世に送り出した。
 人は、生まれてきただけで神さまのお墨付きをもらってんだ。才能も力もあるはずだ。それを掘り起こすのはてめえの仕事だ。

「何も見つからなかったら?」
「そいつはおめえの探し方が足らねえんだよ。見つかるまで探せ」
 探し物の形もはっきりしないのに、それを見つかるまで探せなんて無茶なことを言う大人だと思った。そのような作業が自分にできるとも、また自分の中にそれを成し遂げる力が隠れているとも思えない。事実、その時の彼はまだ非力な子供でしかなかった。
「おめえはまだガキだ。ガキが何もできねえのは当たり前だ。そのためにおれたち大人がいるんだ」
 少年の頭の上から、男の野太い声は何故か心地よく響いた。初めて聞くような乱暴な言葉使いなのに、ちっとも怖くなかった。
 男の胸に匿われた背中が、とても暖かかった。突き刺すようだった悲しみは少年の傍に穏やかにうずくまり、真綿のようにゆるりと彼を取り囲んでいた。

「世の中にはよ、おめえみてえに小せえ頃から親と暮らせなくなっちまう子供もいてよ。だからってそいつらが駄目かってえと必ずしもそうじゃねえ。二親立派に揃ってても、駄目になる奴あ駄目よ」
 まるで苦行のようにココアを飲み干した男は、ゴリラそっくりのいかつい顔に笑みを浮かべて、ぐっと拳を突き出した。
「だからよ。おめえも負けんな」
 こうするんだよ、と少年の小さな手を拳の形にして自分の大きな拳と軽く合わせる。それになんの意味があるのか、その時は分からなかったけれど。少年は、自分が大人の男に一歩近づいた気がした。

「強い子になりな。親が遺してくれた名前に恥ずかしくねえようにな」
 はい、と彼は答えた。本当の悲しみが襲ってくるのはこれからだと、少年も男も知っていたけれど。その夜、彼らは心穏やかに時を過ごしたのだった。



*****




 ――魔法使いに魔法をかけてもらったんだ。

 薪がそう言うと、青木は眼鏡の奥の瞳を2、3度瞬き、深く考え込んだ。過ぎた能力を与えられた人間はやはり何処かに歪みが現れるものなのか。常人の青木には想像もつかないが、紙一重と言われるその境界線は、限りなく薄いものなのかもしれない。
「おまえ、今ものすごく失礼なこと考えてないか」
 薄いって言うか超えちゃってますよね。人の心読めるんだもん。

「両親が死んだとき、世話になった巡査がな」
 雪子に聞いたことがある。薪がまだ小さい頃に、彼の両親は交通事故で亡くなった。いっぺんに二親を亡くして、叔母の家に引き取られたそうだ。わがままで自己中なのにヘンに気が利くのはきっとそのせいよ、と雪子は薪の複雑な性格を分析していた。
「名前も覚えてないし、顔もうろ覚えだけど。言われたことは憶えてる」

 ――生まれてきたのは神さまに選ばれたからだ。だからこの世におまえができないことなんか何もない。

「よっぽど頼りなく見られたんだろうな」
 青木の酌を受けながら、薪は舌打ちした。親を亡くした子供が頼りなく見えなかったら返って怖いと思うが。幼少の頃から薪のプライドは高かったらしい。
「素敵な警察官ですね」
 ああ、と薪は頷き、ぐい飲みの酒を傾けた。



*****



 浮かない顔ね、と妻に言われ、靖男は我に返った。向かいでは、非番の日の約束を途中で反故にされた一人息子が、自分の小さい頃にそっくりのギョロッとした三白眼で父親を見つめていた。
「寄せ鍋よりすき焼きの方がよかった? でも今月はクリスマスもあるし」
「ちがうちがう」
 母さんは早とちりでいけねえ、と零しつつ、靖男はまた意識を浮遊させる。妻が発した「クリスマス」という単語が心に引っ掛かった。
 あの子は、今年のクリスマスを何処で誰と過ごすのだろう。

「そんなに食べたいなら、ここにお肉入れましょうか?」
「だから違うって」
 仕事の話を家庭でするのは靖男の流儀ではない。だから自然と家では口が重くなる。しかし、今回のことは事件絡みではないし。話しても良かろうと思った。

「昨日、後輩の交番に差し入れして、そのままおれだけ残っただろ」
 非番の日に、息子と遊園地に行って帰りに子供が大好きなハンバーガーを買って、家で家族3人で食べる、その約束を靖男は半分しか果たせなかった。遊園地の帰り道、ハンバーガー屋に寄った際、仲の良かった後輩に差し入れてやろうと思ったせいだ。
 そこに、あの少年がいた。

「ちょうどおまえと同じくらいの年だったぞ。身体はだいぶ小さかったがな」
 自分と同い年くらいの子供と聞いて、息子は相手に興味を持ったようだった。食べかけの鶏肉を器に戻して、話の続きを促すように「ふうん」と頷いた。
「両親とも事故でなあ」
 まあ、と気の毒そうに眉を寄せる、お人好しが滲み出た妻の丸い顔に癒される。お世辞にも美人じゃないが気が安まる。おれには似合いの母ちゃんだ、と靖男はいつも思っている。口に出したことは一度もないが。
「親戚も近くにはいないらしくて。顔を出すって言ってた親戚も、自分の会社が大変な時だとかで、子供の世話を見られるかどうかは分からないって話でな」
「だれも引き取ってくれなかったら、その子はどうなるの」
 一人息子の質問は鋭かった。引き取り手がなかったら施設に行くしかない。小学校1年生の子供にその現実を突き付けるのもどうかと思われたが、靖男は子供相手にも嘘は吐かないことにしていた。

「おまえとは違った意味で目立つ子でな。友だちに苛められてるって言ってたなあ」
 人形のように整った子だった。ああいう子は、施設に行ったらますます苛められるだろう。負けるなよ、と励ましたものの、あんな小さな子供には荷が重かったかもしれない。
 自分が面倒を見られるわけでもないのに無責任なことを言ったかと、昨夜のことを後悔し始めた靖男を救ってくれたのは、一人息子の力強い一言だった。

「おれ、その子と友だちになってやるよ」
 これは頼もしい。靖男の息子はガキ大将だ。身体も大きく、力も強い。そしてさすがは警察官の息子と言うべきか、弱い者いじめは決して許さない。
「家に連れてきてよ。その子がいじめられそうになったら、おれが守ってやる」
 彼が地区の施設に行くことになれば、家からはそれほど遠くない。遊びに来ることも可能だろう。あの子は来年から小学生になると言っていた。ならば、息子と同じ小学校に通うかもしれない。
 少年の未来に明るいものを感じて、靖男はゴリラそっくりの顔をほころばせた。

「ああ。頼んだぞ、靖文」



(おしまい)


(2014.12)



 どちらさまも、素敵な聖夜になりますように。
 メリークリスマス(^^)/

テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

届きました♪

 ちょっと早いクリスマスプレゼントが届きましたので、おすそ分け(?)です。







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モンスター(6)

 先週、誕生日だったんですよ。
 その日の夜7時ごろ、現場事務所で下請けさんと打ち合わせしてたらオットが様子を見に来まして。下請けさんがオットに、
「しづさん、今日誕生日ですよね。お家でパーティとかしてあげるんですか」と訊くのに、
「あれ、そうだっけ。忘れてた」
 この時期は忙しいので、忘れられるのは慣れてるので、別に何とも思わなかったんですけど、家に帰ってみたら、
 机の上に白百合の花束が置いてありました。
 オットとは一緒に帰って来たのでね、家に着いてから買いに行く暇はなかったはずなんですけどね。
 ……男の人って(笑)


 さて、事件の方はここから本番です。
 ドSさんにはお待ちかね、大多数の方にはすみません。
 どちらさまも広いお心でお願いします。




モンスター(6)




 それが第九に届いたのは、暑がりの岡部がやっとワイシャツの腕まくりをやめるようになった10月下旬の月曜日だった。
 茶色いクラフト紙に包まれた小さな小包で、表書きに「法医第九研究室様」とだけあり、差出人は鈴木一郎。いかにも偽名くさい氏名が銘打たれた15センチほどの箱を開けてみると、中には鋭い刃物で切断された茶トラ猫の首が入っていた。

 研究室宛の荷物を検めるのは新人の仕事で、しかし彼は第九に入ってまだ2ヶ月。こういった嫌がらせに慣れていない。彼は驚きのあまり椅子から転げ落ち、悲鳴のような声を上げてしまった。
「し、室長!」
「荒木! しっ」
 真っ先に気付いた青木が自分の身体で荷物を隠したが、時すでに遅し。耳ざとい室長は荒木の乱れた声音に異変を感じ取り、急ぎ足でこちらに来るところだった。

「青木。そこを退け」
「大丈夫です、対処はオレがします。室長の手を煩わすようなことではありません」
「いいから退け。邪魔だ」
 緊迫した面持ちで職員たちが見守る中、薪との押し問答の後、いつものように青木が引いた。皆の視界を遮っていた大きな身体が机の前からいなくなると、悪意の塊のような宅配物が全員の目に晒された。
 職員たちがぎょっとして身を引くのに、薪だけは眉一つ動かさず、
「猫の首とはいえ切り落とすのは大変だったろうに。ご苦労なことだな」
 ふ、と薄笑いさえ浮かべて嘯くが、その眼はもちろん笑っていない。

 引きちぎられたかのように鉤裂きになった猫の耳に、小さな短冊形のメッセージカードが無造作に突っ込んであった。薪がピンセットでそれをつまみ上げる。
『親愛なる薪室長へ  モンスターより愛を込めて』
 黒い厚紙に白抜き文字で、そう印字されていた。

「岡部」
「はい。おい、荒木。鑑識に言ってこの荷物を調べさせろ」
 岡部は薪の女房役を務めて10年になる。名前を呼ばれただけで彼の命令を理解する、そんな離れ業も普通にやってのける。
「さあ、仕事仕事。渋谷の放火事件の報告書は今日が期限だったはずだぞ」
 副室長の号令で職員たちが自分の机に戻った後、荒木は岡部の命令に従うべく、問題の荷物と包装紙を手近な空き箱に入れた。手袋を嵌めた両手でそおっと持ち上げ、鑑識へ赴くためにモニタールームを出る。そこを青木に呼びとめられた。
「荒木、ちょっと」
 いつもの青木らしくない、厳しい表情だった。

「ああいうの、室長には見せちゃダメだ」
「え、でも。カードに室長の名前が」
「例え室長の名前が書かれていても、室長には知らせるな。ああいうのが送られてきたら岡部さんに報告して、処分はオレたちがやる。いいな」
 青木の気迫に飲まれたように、荒木が緊張した顔つきになる。次に荒木が返してきた言葉には、微かな怒りが含まれていた。
「おれが来る前は、青木さんが手紙や荷物を開けてたんですよね。ずっとそうしてきたんですか」
「そうだ」
「……そうだったんですか」
 普段はやさしい青木に強く叱られたのが堪えたのか、荒木はじっと俯き、しばらくそこを動かなかった。少し言い過ぎたかとフォローの必要性を感じた青木が、自分よりだいぶ背の低い後輩の顔を覗き込むと、荒木は青木が見たこともないような暗い表情で、ガムテープで仮止めした箱の蓋を睨んでいた。

「荒木。そんなに気にしなくていい。次から気を付けて」
「室長は大丈夫なんですか? 名指しで送ってくるってことは、室長を恨んでる人間がいるってことでしょう。だったら本人に知らせた方が」
 荒木の深刻な表情は、薪を心配してのことだったか。彼の気持ちを、青木は嬉しく思った。青木の後輩の中には薪を嫌って第九を去った者もいる。それに比べたら。
「大丈夫だ。そのためにボディガードのオレが」
「青木!」
 しまった、と青木は焦る。勘の良い薪のこと、あの騒ぎの直後に青木が執務室から姿を消せばピンとくる。荒木への注意は後にすればよかった。

「荒木の行動は間違っていない。これは室長の僕に報告すべき案件だ」
 薪は怒りに眼を吊り上げ、遠慮なく青木を叱責した。後輩の前で先輩を叱る、そのことに対する気遣いはこの人にはない。
「隠蔽は警察官にとって最低の行為だ。それを後輩に指導するとは何事だ」
「もちろん郵便物の中に不審物があったことは報告します。しかし、室長の検閲を受ける必要はないと考えます」
「思い上がるな。それはおまえが判断することじゃない」
 それは昔、岡部と相談して決めたことだったが、青木はその事実には触れず、黙って頭を下げた。
「すみませんでした」

「荒木、青木の言ったことは気にするな。これからもこういうことがあれば僕に報告しろ」
 謝罪する青木には目もくれず、薪はすぐに荒木のフォローに入った。青木とは真逆の指導を行う薪に、荒木の瞳が困惑に曇る。
「室長は、平気なんですか」
「大丈夫だ。こんなものは慣れている」
 薪は一瞬だけ亜麻色の瞳を好戦的に輝かせたが、すぐにその光を消し去り、自嘲気味に前髪を掻き上げた。
「第九の室長なんかやってるとな、人の恨みは星の数ほど買うんだ。いちいち取り合っていてはキリがない」
 青木に対しては吊り上げた眦をやさしく緩め、微笑みさえ浮かべて薪は言った。
「荒木。心配してくれてありがとう」
 対応の差に、荒木は青木に申し訳なさそうな視線を送ってきたが、その気遣いは却って青木を傷つける。いたたまれなくなって青木は、早々に執務室へ戻った。

 月曜日の昼までに提出するようにと薪に命じられた捜査資料を作成しながら、でもやっぱり納得できなかった。「僕に報告しろ」と薪は言ったが、報告にも段階があって然るべきだ。荒木は新人なのだからまずは指導員の自分、それを超えたとしても岡部までが限度だ。室長に直接なんて、青木が新人の頃には許されなかった。
 そうやって幾重にもガードを固めても、第三者の迫害から薪を完全に守ることはできない。室長の名が明記された書簡までは、部下の青木が開けるわけにはいかないからだ。いかにも偽名であったり筆跡をごまかしていると判断された物は、間違った振りをして開封し、中身を確認していたが、そこまでしても通ってしまう悪意はある。それすら歯痒く思っていたのに。
 薪の意思に逆らうことになるが、やっぱり荒木にはこのやり方を踏襲してもらおう。荒木を説得する前にまずは岡部に相談して、なんなら岡部にも同席してもらって、などと策を巡らせていた青木の隣の席に、鑑識から帰ってきた荒木がすとんと腰を下ろした。

「青木さん。さっきはすいませんでした。新人の分際で先輩に口答えなんかして」
 荒木を説得する文言をあれこれ考えていたが、それは不要になった。薪の言う通り、荒木のしたことは間違いではないのだ。それでもこうして素直に頭を下げられる、きちんと人に謝ることができる。荒木は本当にいい若者だった。
「いや、オレの言い方も少し厳しすぎたよ。ごめんな」
「そんなことないです。おれ、青木さんのしたことは間違ってないと思いますよ。だってボディガードなんでしょ、室長の。だったらああいうのは対象に見せずに処分するのが当然です」
 他人の立場も気持ちも思いやれる。若いのに、心根は円熟している。薪が荒木を気に入るわけだ。
「さっきはびっくりして慌てちゃって。思わず室長を呼んじゃいましたけど、これからは気を付けます。あ、これ室長には内緒で」
 どうやら岡部に相談するまでもなかったようだ。荒木が物分かりの良い男で助かった、と思うと同時に、青木は自分の立場に不安を覚える。
 まるで荒木の方が年上みたいだ。薪のことになるとついムキになってしまう、この癖を直さないと男として荒木に負けるかも。

「青木さん。実はおれ、あの荷物の送り主に心当たりがあるんです」
 不安に飲み込まれそうになった青木の心の乱れは、しかし荒木のこの言葉でピタリと治まった。次に荒木が何を言うのか、青木の瞳はMRI画像を見るときの真剣さで荒木の口唇に吸い寄せられる。
「室長には誰にも言うなって言われてて、今まで黙ってたんですけど……先月の終わりごろに」
 眼を瞠る青木に、驚愕の事実が語られた。聞き終えて席を立つ。
「荒木。そのことは誰にも言うな」
 我知らず、青木は先刻と同じ厳しい表情で荒木に命令した。はい、と神妙に返事をする荒木に小さく頷くと、青木は仕上がった捜査資料を片手に席を立った。



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モンスター(5)

 雨で現場中止になりました。
 更新しますー。




モンスター(5)




 薪が密かに計画していた週末の予定はお流れになった。土曜日の朝早く、所長の田城から薪と岡部に、捜査依頼の電話が掛かって来たのだ。

 週半ばに起きたその殺人事件は、プロファインリングから劇場型の犯人像が浮かび上がったため再犯の可能性が強いと判断され、火急の対応が望まれた。事件が起きれば捜査官に休日はない。すぐさま連絡網によって第九職員全員が研究室に呼び出された。
 熟練した捜査官たちの的を射た捜査により容疑者は特定され、その日の夕方には捜査一課に事件を引き継ぐことができた。犯人を探して捕まえるのは一課の仕事で、第九の仕事はここで終わりだ。

 その日は3連休の初日で、それぞれに計画していたこともあったはずだが、一つの事件を解決に導いた高揚感は、取り消されたプライベートの予定を補って余りある報酬であった。そんな浮かれ気分の中、帰って休むにはまだ早いし、事件解決の祝杯を挙げよう、と曽我が言い出した。
 飲み会とイタズラはすぐにまとまるのが第九の特徴だ。段取りも仕事以上に手際がいい。5分も経たない間に曽我が店の予約を入れ、次は予算の確保だが。
「室長もぜひご臨席を」
「悪いが野暮用でな」
 誘いを断りながらも薪が差し出した、封筒の中身は休日手当を遥かに上回る。
「「「「ありがとうございまーす!」」」」
「あんまり飲み過ぎるなよ」
 薪の気前の良さの前には、お小言すら耳に心地よい。室長を除く全員が、ホクホク顔で週末の飲み屋街に繰り出した。

 みんな揃っての飲み会は久しぶりで、それと言うのも宇野が入院中だから自然と集まる回数が減っていた。遠慮ではなく、単なるメンツの問題だ。宇野の怪我は災難だとは思うが、自業自得の要素も大きい。オタクが二次元以外の人に恋をすると、色々な弊害が生まれてくるのだ。
「まったく、宇野のやつ。いつになったら退院するんだか」
「ホント迷惑な話だよ。おかげでメンテが当番制になるとか、マジ勘弁して欲しい」
「もともと体力無いからな、宇野は。家の中でコンピューターばっかりいじってるから」
「宇野さんはもう少し身体を鍛える必要がありますねえ」
「「「「おまえもな、山本」」」」

 そうやって宇野を非難しながらも、曽我が選んだ店はいつもの『どんてん』であった。店には少々失礼だが、薪からもらった軍資金が余ってしまいそうな庶民的な店だ。
 そこに青木は曽我の宇野に対する気遣いを見つけ、さらには他の職員が誰一人として軍資金と店舗の格差を指摘しないことに、みんなも曽我と同じ気持ちなのだと知る。
 そしてこれは青木の穿ち過ぎかもしれないが、皆が声高に宇野の自業自得を主張するのは、青木への心配りかもしれない。宇野が怪我をした夏の事件は、青木が殺人容疑で本部内手配された事件なのだ。宇野の情報収集は非合法且つやり過ぎであったが、青木を救うためだったことに違いはない。だから彼らの宇野への非難は、当然青木が感じるであろう宇野の怪我に対する罪悪感への不器用なエールなのかもしれない。

 席に着いて冷たいビールで乾杯した後、初めに口を開いたのは荒木だった。
「室長、今日もすごかったっすね!」
 第九に来て日の浅い荒木は、薪の人間離れした推理能力に絶賛感動中だ。先刻の捜査でもその天才性を垣間見たのだろう、興奮冷めやらぬ様子だった。
「ああ。今日も鬼だったな」
「あの人見てると本当の地獄はこの世にあるんだって納得できるよな」
「いやあの、確かに怖かったですけど」
 先輩たちのシビアな反応に苦笑いしながらも、荒木は室長を称賛する姿勢を変えない。

「室長の噂は警大でも聞いてましたけど、評判以上です。あんなすごい人、初めてですよ。憧れちゃうなあ」
「「「「荒木、もしかしてドM?」」」」
 違いますよ、と笑って荒木はおでんに箸を付けた。好物なのか、自分の皿にはんぺんばかり3枚も取り置きしている。こういう時、いつも最後に手を出す青木とは対照的だ。
 薪への賛辞もそうだ。青木が新人の頃は先輩に気兼ねして本心を口に出せなかったが、荒木は違う。堂々と薪を褒め称え、それが決して点取り虫の厭らしさに繋がらない。青木は開けっぴろげに室長を礼賛できる荒木のキャラクターを羨ましく思ったが、寡黙ながらも薪のイヌに徹してきた青木の姿勢の雄弁さには誰も敵わないと先輩たちに思われていることは知らない。

「室長が怖いのって仕事中だけですよね。こないだなんかおれの家に、むぐっ?」
 薪のトップシークレットが暴露されそうになり、焦った青木は荒木の口に揚げだし豆腐を突っ込む。「それ言っちゃダメ」と小声で注意をすると、荒木は少しだけ不思議そうな顔をしたが、何も聞かずにこくんと頷いた。
 これが荒木の特徴だ。理由が分からなくても先輩の言うことには素直に従う。主体性が無いのではなく、彼は自分を弁えているのだ。基本的に、先輩の判断は自分よりも正しいと彼は思っている。だから言われたことはとりあえずやってみて、そこから自分で答えを見つける。後輩としてはとても扱いやすい。一つ一つ説明してやって、それを自分自身が納得しなければ先に進もうとしない山本とは真逆だ。その代わり、山本は青木が舌を巻くような完璧な仕事をする。

「もちろん、すごいのは室長だけじゃないっすよ。先輩方もみんなすごいっす。あの室長に付いていくだけでも、並みの能力じゃ無理ですよね」
「あの皮肉に耐えるのは並の神経じゃ無理だな」
「青木くらいドMじゃないとな」
「だから違いますって」
 薪のイヌが進化して住み込みのボディガードに行き着いた青木を、酔った勢いで小池が揶揄する。薪と一緒に住み始めてから、小池には割とチクチク刺されるようになった。

「最高の部署ですよね。第九って」
 歓談するメンバーを見渡して、荒木は満足げに嘆息した。事件解決の達成感からかアルコールの影響か、今日の荒木は殊更に楽しそうだ。
「室長はカッコよくてやさしいし」
「「「「どこの室長の話?」」」」
「先輩たちはみんないい人たちばっかだし」
「「「「それほどでもあるな」」」」
 合図など何一つなくても声が揃ってしまう、先輩たちの無駄なチームワークの良さに、荒木はクスクスと身体を揺らしながら、
「おれ、第九に来てよかったあ」
 酔って赤く染まった顔で幸せそうに笑い、こてんとテーブルに突っ伏した。沈没したらしい。

「3時間か。新人にしちゃ持った方じゃねえの」
「山本は開始30分で寝たからな」
「あの時は少し緊張しておりまして」
 下戸を否定しつつも、山本の今日のオーダーはウーロン茶。後輩にみっともないところを見せたくないという先輩の気概だろうか。
「青木は強かったよな、始めから」
「そういやそうだな。6時間飲み放題コース、ケロッとした顔で付いてきたよな」
 曖昧に笑ってごまかしたが、青木の飲酒歴は中学生からだ。就職した頃には一端の酒飲みになっていた。
「「「「よかったな青木。荒木に自慢できることがあって」」」」
 あまり自慢にならないと思う。

 眠ってしまった荒木を壁際のスペースに寝かせ、青木は彼に自分の上着を掛けてやる。飲んでいるときは暑くても、眠ると急激に体温が下がる。10月ともなれば夜は冷える。そのまま寝せておいたら風邪を引かせてしまう。荒木は身体が小さいから、青木の上着なら充分掛け布団の代わりになる。
 夢でも見ているのか、眠りながらも微笑む様子の荒木の肩の辺りを、青木は子供を寝かしつける母親のようにぽんぽんと軽く叩くと、仲間たちのテーブルに戻って行った。



*****




 今日、母が死んだ。

 母の死に顔を見ても、悲哀や喪失感は感じなかった。母はやっと楽になれたのだ。その重荷を命と共にすべて下ろして。
 駆けつけてきた幾人かの親戚が、病気の時は寄りつきもしなかったくせに今になって涙を流すのを横目で見ながら、私の中には一つの計画が生まれていた。その計画が完成形となって私の前に姿を現したとき、私は母から、彼女の人生の大部分を占めていた最も重要なものを受け継いだのだと知った。

 私は怪物の子供から、真の怪物になったのだ。



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ジャンル : 小説・文学

モンスター(4)

 こんにちは。
 めっきり寒くなりましたね。現場の風が冷たいです。

 映画化の影響なのか、新しい秘密ファンの方、増えてるみたいですね。或いは、映画化がきっかけで再燃された方とか。
 うちにも何人か来ていただいてるみたいで、ここ1ヶ月くらい、拍手の数が半端ないです。1ヶ月で4000超えとか、ありがとうございます。そろそろ次のお礼SSのネタ、仕込んでおかないと、あ、でも、今やってる道路工事が来年の5月までだから……来年の夏でもいい?(^^;

 こういうの書きたいなあって言うのはあるんですけど、みなさん、「プライド革命」という神曲をご存知ですか?
「銀魂」のOPになってたんですけど、これがすごくいい歌なんですよ。鈴木さん亡き後、必死に第九を守る薪さんにぴったりなの。
 一部、歌詞を抜粋しますと、
「弱くたって 立ち向かうんだ 理由なら きみ(鈴木さん)にもらった」←自動変換機能ON
「声にならない 叫び声が 胸の中 震えてるんだ」
「今は 一人じゃない 胸が熱いよ 勇気(ちから)なら きみ(青木さん)にもらった」←自動…
「守り抜くために 闘うよ」
 てな具合で、これで1本書きたいな~、て。

 はい、ご想像通り、色気のない話になりそうです(笑)




モンスター(4)





 湯船に浸かって腕を上に伸ばし、薪は大きな欠伸をした。肩を回して凝りをほぐす。肩凝りは薪の、何年も前からの深刻な悩みだ。

 言えば青木が岡部直伝のマッサージをしてくれる。しかし彼は試験勉強の最中だ。邪魔してはいけないと、ここ1ヶ月ばかりは接触を控えている。と言うのも青木のマッサージは途中からいつも別のことになってしまって、なのに結果的には肩凝りが軽くなるから薪は不思議でたまらないのだが、問題はそのあと二人して寝入ってしまうことだ。ただでさえ仕事と勉強の両立は大変なのに、そんなことに体力を使わせては青木が可哀想だ。
 それでも、週末くらいは彼と触れ合う機会を持とうと薪は考えている。試験勉強でストレスが溜まっているみたいだし、どこかに連れ出せば気分転換にもなるだろう。

 それにしても、と薪は笑いを洩らす。
「青木のやつ、拗ねちゃって。かわいかったな」
 甘い表情からも分かるように、薪は先刻の諍いを針の先ほども気にしていない。小さなすれ違いが起きただけ。あのくらいで壊れるような脆い関係じゃない。
 一生一緒にいようと、心に決めて暮らし始めたのだ。これくらいのことでいちいち騒ぎ立てていたら先が思いやられる――。

 ふ、と薪は嬉しそうに微笑んだ。
 好きな人と過ごす未来を思い浮かべることができる、なんて幸せなことだろう。青木と会ったばかりの頃は想像もつかなかった。自分にこんなにも平穏な日々が訪れるなんて。
 鈴木のことは忘れていない。彼に会いたい気持ちもある。でも、死にたいなんて今は欠片も思わない。
 青木と生きていきたい。命が続く限り、ずっとずっと、彼と一緒に。
 だからこそ。
 薪は今日、荒木の家に行ったのだ。



*****




「すいません。ボロい部屋で」
 近所のスーパーと青果市場隣接の直売所で買ってきた食材を冷蔵庫に収納しながら、荒木は照れ臭そうに笑った。確かに今薪が住んでいるマンションに比べたら貧相な住居だが、どっこい、実は薪は貧乏には慣れている。
「いや。僕の学生の頃のアパートより、かなり上等だ」
「え、うそ。室長って昔ビンボーだったんですか?」
「ああ。小さい頃に両親亡くしてな。親戚に育ててもらったんだ」
 苦労したんですね、と相槌を打ちながらも荒木の手は忙しく動いて、エコバック二つ分の食糧は5分足らずであるべきところに収まった。これが青木なら倍は時間が掛かる。話をするときには必ず相手の顔を見るから手が止まってしまい、冷凍物が融ける、と薪に怒られるのだ。

 ドアを開ければそれで全てが見通せてしまう荒木の住まいを見て、薪は感心したように言った。
「一人暮らしの割にはきれいにしてるな」
 部屋はダイニングを入れて二つしかないから青木のアパートよりも狭い。それでも部屋の中は青木の家より片付いていた。余計なものがないのだ。
「すっきりして気持ちがいい」
「物が買えないだけっすよ。金、なくて」
 荒木は自嘲したが薪には居心地がよかった。薪の部屋も、ずっとこんな風だったからだ。

 オーディオコンポだの観葉植物だの絵画だの、そう言った余計な物を置く気がしなかった。あれば生活が潤うのかもしれないが、欠かせないものではない。だったら必要がないと考えていた。掃除の邪魔になるし、部屋の広さは限られているのだからスペースの無駄遣いだとも思った。
 青木と暮らし始めてから、薪の部屋には雑多なものが増えた。
 ガラスや金属でできたアートオブジェにサンスベリアの鉢植え。ソファの上には色違いのクッションが二つ、床には夏用のラグと雑誌やリモコンを突っ込んでおくマガジンラック。ベタベタのシャガールを飾ろうとしていたからそれだけはやめさせて、無難な風景画にしてもらった。
 この部屋もきっと、荒木に生活を共にする人ができれば相手の色に変わって行くのだろう。そんなことを考えながら、薪は買ってきたものの中から早めに使った方がいいと思われる食材を選んで、簡単な夕食を作った。ごはんにみそ汁、サンマの塩焼きにほうれん草のお浸し。煮物は初心者は敬遠しがちだけれど、煮汁の配合を覚えてしまえばバリエーションが豊富で重宝する。今夜は里芋にした。

 書斎机兼食卓のローテーブルに夕食の膳が並ぶと、荒木はぱちぱちと手を叩き、バースディケーキを前にした子供のようにはしゃいで、
「すげー。室長、魔法使いみたいっす!」
 大げさなリアクションに、つい笑ってしまった。
「そんなに難しい料理は作っていない。茹でただけ、塩を振って焼いただけ。簡単だろ」
「そこまではなんとか。でも、煮物はおれのキャパ振り切ってます」
「だし汁に味醂と醤油を1:1。微調整は必要だけど基本はそれで行けるから。何度も作るうちに上手くなる」
「そうなんすか、てかウマ! これ、超ウマいっす!」
 直球過ぎる感想に苦笑する。手料理を絶賛されるのは青木で慣れているが、青木は薪に対してこんなに馴れ馴れしい口の利き方はしたことがない。
 青木が新人で入って来た時も荒木と同じくらいの年だったと思うが、青木は育った環境のせいか目上の者に対する態度がしっかりしていて、こういう砕けた言葉は薪に対しては使わなかった。第九の中でも礼儀にうるさい山本などは荒木の喋り方に眉を顰めているようだが、薪はそれほど嫌ではない。知り合いに、生意気な口を利く少女がいるせいかもしれない。

 荒木は、食事の最中も賑やかな男だった。
 薪も青木も食べ物が口の中に入っているときは喋らないから、食事中に会話が途切れることがしばしばある。たが荒木はそれがない。口を動かしながら何かしら喋っている。話をしながら友人からだろうか、スマホでラインにも答えている。器用な男だ。
 などと感心している場合ではない。荒木のペースに乗せられて、本来の目的が果たせなくなりそうだ。荒木が汁椀に口を付け、会話が途切れたほんの僅かな隙を狙って、薪は本題に入った。
「荒木。仕事には慣れたか」
「はい。おかげさまで」
「対人問題は? 大丈夫か」
「最高っす。先輩はみんないい人ばっかで、あ、山本さんとはちょっとだけソリが合わないっつーかアレですけど、でもケンカとかはないっす」
 山本は慇懃無礼を絵に描いたような男だ。ら抜き言葉が基本で砕け過ぎる傾向のある荒木とは噛み合わないだろう。もっとも、山本と話が弾むのは誰にでも合わせられる青木くらいのものだが。

「一番仲いいのはやっぱ青木さんっすね。すげーよく面倒見てくれるし、教え方も丁寧で。自分の仕事後回しにして教えてくれるもんだから、こないだなんか小池さんに『余裕だな』なんてイヤミ言われちゃって。気の毒になっちゃいました」
 青木、安心しろ。僕が百倍にして返しといてやる。
「偉ぶらないけど仕事できるし、頼りになる兄貴って感じで――なんでそこで笑うんすか」
「いや。……荒木は、兄弟は?」
「一人っ子です」
「ご両親は」
「元気っすよ、親父もおふくろも。や、親父は人間ドックで肝機能高いって医者に注意されたって」
 大きめのサトイモをぱくりと口に入れ、リスのように頬を膨らませる。小動物を思わせる動作が荒木のチャームポイントだと誰かが言っていたが、確かに。

「そうだ、おふくろで思い出した。すいません、ちょっとおふくろに電話してもいいですか。連絡寄越せって言われてたの忘れてて」
 薪が返事をする前に、荒木のスマホは既に母親の番号を発信している。こういうところが秩序を重んじる山本のカンに障るのだろう。
「もしもし、ママ? おれ、翔平。うん、安心してよ、ちゃんと食べてるよ。今日なんか薪室長に料理教えてもらって、そう、おれが作ったんだよ。へへっ、ウソウソ、ホントは室長が作ってくれたんだ」
 母親に甘える素直な子供の笑顔で、荒木は電話に向かって笑い声を上げた。いい親子関係だ。

「室長。おふくろが室長に挨拶したいって」
 ハイと電話を差し出されて驚くが、父兄の対応は室長の重要な責務だ。大事な子供を預かっている、その責任を重々承知していると相手に伝わるよう、誠実に向き合わねばならない。
「室長の薪です」
『まあ、室長さんですか? 翔平がいつもお世話になってます』
 定番の挨拶を交わし、あなたの息子は元気で職務に励んでいる、職場での評判もいいし自分も将来に期待している、と話し、機密性も高いし精神的負担の大きい仕事だから、ご家族の理解と心のケアをよろしくお願いします、と結んだ。
 それから荒木に電話を返すと、荒木は左の肩と耳で器用にスマートフォンを挟み、
「じゃあママ、またね。あ、父さんに飲み過ぎるなって言っておいて」

 電話を切った後は自然に、荒木の家族の話になった。母親がガーデニングに凝っていてマンションのベランダがジャングルのようになっていること、父親の趣味は釣りで、休みの日は朝早くから海釣りに出かけることなど、どこにでもありそうな普通の家庭の日常を面白可笑しく薪に話して聞かせた。
 話し上手な荒木といると、時間は瞬く間に過ぎた。気が付いたら平日の門限を大幅に超えていて、慌てて帰り支度を整えた。思ったよりもずっと遅い時間になってしまった。タクシーを使うことも考えたが、荒木の住む荻窪から吉祥寺まではたったの2駅だし、青木が専属運転手に付くようになってからは数えるほどしか電車に乗っていないことを思い出して、そうしたらこの機会を逃すのが惜しくなった。
 駅まで送ると申し出た荒木に、明日の仕事に備えて早く休めと室長の威厳を持って命令し、薪は家の外に出た。心の中では、きっと青木がヤキモキしているだろうと底意地の悪いことを考えつつ、せめてアパートの門まで、と着いてきた荒木に「また明日な」と別れの挨拶をする。
「室長、今日はありがとうございました。夕メシ、すっげ美味かったっす。また暇なとき、他の料理も教えてください」
「ああ。またな」

 秋の夜、どこかで鈴虫が鳴いている。
 曲がり角でふと後ろを見ると、荒木はまだ門前に立ったまま、薪を見送っていた。それに気付いた薪が軽く手を振ったが、月もない夜のことで薪の仕草が見えなかったのか、荒木のシルエットは微動だにしなかった。



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プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

しづの日誌

法医第十研究室へようこそ!
メロディ6月号、読みました。
一言感想 「どひゃー……」
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