Promise of the monster(4)

 こんにちはー。
 やっと電柱が抜けまして、今日から現場再開です。行ってきます(^^
 

 お話の続きです。
 うーん、またメロディ発売までに終わらなかったー。



Promise of the monster(4)





「おれがおまえを殺してやるよ」

 薪は咄嗟に身体を翻した。手摺を背にして、滝沢の顔を正面から見る。「冗談だ」とおどける彼は、残念ながら拝めなかった。
 薪の細い首に巻かれたグレーのマフラーに、滝沢の手が掛かる。絞め技を予見して薪は、素早く彼の手を押さえた。しかしその手は簡単に払われた。傭兵部隊の訓練を耐え抜いた滝沢の腕と、官房室の膨大な書類に忙殺されて自主訓練もままならない日々を送る薪の手では、力の差があり過ぎた。

 マフラーの上から首を押さえられ、手摺に背中を押しつけられる。苦しさに仰け反ると、足が宙に浮いてしまう。
 このまま押されたら、下に落ちる。下手したら何人か巻き添えにしかねない。
「よせ、滝沢。通行人にぶつかる」
「この期に及んで他人の心配か」
「これ以上罪を重ねたら、おまえだって」
「……可哀想な男だな。おまえは」
 憐れまれて薪は、悲しげに眼を閉じる。

 この状況で、僕は。
 死にたくないと、どうして言えないのだろう。

「安心しろ。今更何人殺そうと、どうせおれは一生塀の中だ」
 途切れ途切れに息を吐く、薪の口に滝沢の人差し指が触れた。保湿クリームでも塗るかのように、そっと下唇をなぞられる。
「鈴木や豊村たちによろしくな」

 叫べばいいのに。僕は生きていたいと。
 追い詰められたネズミのように、彼の指に噛みつけばいいのに。
 なぜ。

「苦しいのは一瞬だ。楽に死なせてや、おうっ!」
 ガン! とものすごい音がして、薪は眼を開けた。するとそこには、さっき自分が蹴り倒したドアの下敷きになった滝沢の姿が。
 呆気に取られて視線を巡らせば、頬を紅潮させた青木が仁王のように立っていた。

「ちょ、滝沢! 大丈夫か!」
 慌ててドアを持ち上げようとするが、重くて動かない。よくこんな重量物を振り回せたものだ。
「お手伝いしましょうか」
「悪いな、助かる。て言うか、これやったのおまえ!!」
 薪が絡むと青木は無法者になる。これまでにも似たようなことは多々あって、そのたびに薪は青木を叱るが、一向に改善される気配はない。
「このバカ! 止めるにも方法があるだろ。そのドア、金属製だぞ」
「手元に手頃な武器が無かったので」
 死ぬだろ、そんなもんで殴ったら!
「すみません。柔道技で投げ飛ばせばよかったですね。……車道に」
 それは投げ飛ばすって言わないよね、投げ落とすって言うんだよね。

 どこまで本気か分からない青木の言い訳にツッコミを入れながら、薪は滝沢の介抱をする。滝沢は頭に大きなコブができていたが、意識はしっかりしていた。
「目の前がチカチカする」
「許してやってくれ。僕からもキツク叱っておく」
 二人とも、青木の尾行には最初から気づいていた。チョコレート売り場で撒いたつもりでいたが、甘かった。青木も警察官になって8年。彼なりに成長しているのだ。
 ちなみに、滝沢がカートに入れた山のような土産物と、二人が撒き散らかした大量のチョコレートは、丁寧な謝罪とともにすべて青木が買い上げていた。薪のボディガード兼世話役の青木は対象の不祥事の後始末も完璧だ。何故ならこんなことは珍しくもない。推理に夢中になった薪が歩きながら棚をひっくり返すなんてのは日常茶飯事。本人に記憶がないだけだ。

「バカ犬め。せっかくの計画が」
「計画?」
 鸚鵡返しに尋ねる青木に、滝沢は首を振った。後頭部を押さえて顔をしかめる。傷に響いたらしい。代わりに薪が答えた。
「いま僕を殺しても何のメリットもない。滝沢は、少しふざけただけだ」
「ふざけただけって、あんな」
 不満そうな青木を一睨みで黙らせて、薪は立ち上がる。滝沢の真意なんか、とっくにお見通しだ。
 滝沢はきっと、確かめたかったのだ。モンスター事件を生き延びた薪の心の変化を。岡部に託した、自分のメッセージが薪に届いたのかどうか。確認したかったのだと思う。
 しかし、その結果は。

「……すまん」
「弱気なおまえなんぞ、なんの魅力もない。襲う気にもならん。……襲う気にならないって言ってるだろう、ドアを構えるのやめろ!」
 滝沢が喚くと、青木はドアを下ろした。ゆるゆると出入口に向かう2人の後に続いて、重いドアを引き摺ってくる。
「買い物の続きだ。青木、計画を台無しにした罰だ。荷物持ちはおまえがやれよ」
「ええー。あのチョコレートの山、全部ですか」
「店員に届けさせるわけにもいかんだろう」
「あ、いいこと考えました。第九経由でメール便を使えば、――っ!」

 ギィン! と鋭い音がして、青木が持っていたドアに何かがぶつかった。衝撃で金属製のドアが凹み、3人はぎょっとして立ち竦む。
「伏せろ!」
 滝沢の号令で身を低くした、間髪入れずに2発目の衝撃音。青木の後ろのコンクリート壁に小さな穴が穿たれる。そこに突き刺さっていたのは、ライフルの弾丸だった。亜鉛金メッキの塗装にM118の文字が刻んである。
 狙撃されたのだ。

「狙いはおれか、薪か」
 滝沢は、裏社会を渡ってきた人間だ。買った恨みの数は膨大で、自分でも把握しきれていない。薪は長年第九の室長を務めてきて、その脳に重大な秘密を幾つも抱え込んでいる。彼を殺してでも秘密を守りたい人間がいてもおかしくない。
「ちょっと待ってください。じゃあ、どうして2発ともオレが照準なんですか」
「「でかいから」」
「そんなあ」
 情けない顔をする青木の鼻先に、3発目の弾丸が撃ち込まれた。その弾痕は、2発目の弾と殆ど重なっている。恐ろしい精度だった。
「いずれにせよ、逃がす気はなさそうだ」
 3発目の弾丸は、明らかな脅し。自分の腕前を示し、逃げても無駄だと言いたいのだ。

 弾痕から入射方向を算定し、薪は西側のビル群に目を走らせた。林立するビルの左端から4番目、自分たちのデパートよりやや高い雑居ビルらしき建物の屋上で、何かがキラッと光る。ライフルスコープのレンズだ。
 薪がそちらに向けて昂然と頭を上げると、相手もそれに気付いたらしい。すっくと立ち上がって、これ見よがしにライフル銃を構えた。
「あいつだ。滝沢、おまえの知り合いか」
「あれじゃ分からん」
 その男の身長は、170から180センチくらい。黒いニット帽らしきものを被っており、髪型や髪の色は不明。顔の半分が隠れるようなサングラスを掛け、鼻から下は長い髭に覆われ、よって顔立ちも不明。唯一の手がかりはスラッとしたモデル体型の身体つきだけだが、ダイエットブームの現代、痩せ形の男は掃いて捨てるほどいる。

「僕にも心当たりはない。少なくとも友人ではなさそうだ」
「おれの友人でもないさ」
「おまえに友人なんかいるのか」
「おまえよりずっと多いぞ。土産の数を見ただろう」
「見栄を張るな。西野以外の友だちなんかできなかったくせに」
「おまえだって鈴木以外に友だちいなかっただろ」
「おまえなんか、その唯一の友だちに騙されてたじゃないか!」
「おまえこそ、鈴木が女医先生といちゃいちゃできるように休日のシフト組んでたの、あれ、健気過ぎてイタイってみんな言ってたぞ!」
「余計なお世話、てか、みんなってだれ!?」
 怒鳴ると同時に、薪は青木の腕に囲い込まれた。そのまま床に倒される。青木の腕がクッションになって衝撃は緩和されたが、それでもコンクリートの床は、肉の薄い薪の身体には痛かった。

「古傷の抉り合いは後にしてくださ、うわっ」
 棒立ちになって怒鳴り合っていたら、格好の的だ。青木が薪を床に倒した直後、青木の頭があった場所に4発目の着弾。銃声は聞こえなかった。サプレッサーを使っているのだろう。
「だからなんでオレ!?」
「青木。おまえ、何かやったのか」
「何もしてません!」
「公安あたりじゃないのか。薪との関係がバレたとしたら、狙撃対象になり得るだろう」
 そう言った滝沢自身も冗談のつもりだったが、仮に、愛でる会の幹部連中に真実が露呈したならそれは現実になる。

 さておき。
 現在の敵は目の前にいる。それも一流のスナイパーだ。

「薪。銃をおれによこせ」
 弾かれたように、薪が滝沢を振り返る。無謀すぎる申し出に、一瞬言葉を失った。
「ばかな。仮釈放中の囚人に銃を渡せるか」
 分かりきった答えを返しながら、薪はポケットから銃を取り出した。薪の手には少し大きめの、S&Wの38口径。青木からの借り物だ。
 滝沢は一目でそれを見抜くと、薪の眼の前にぬっと手を差し出した。
「よこせ。撃てないやつが持っていても仕方ない」
「おまえがあの男を殺したら、中園さんが尽力した司法取引が無効になる。そうしたらおまえは死刑だ」
「ここで死ぬなら同じことだ」
 滝沢の言葉を無視して、薪は安全装置を外した。撃鉄を起こし、馴染みの薄い銃のグリップをしっかりと握る。

「薪さん。オレが」
「「おまえは引っ込んでろ!」」
「どうして仲悪いクセに呼吸はピッタリ合うかなあ。――わ!」
 ビクッと青木が身を竦ませる、5発目の着弾は青木の爪先20センチ。狙撃者までが、余計な手出しをするな、と青木に釘を刺すかのようだ。

 薪は銃を片手に、青木の前に走り出た。小さな身体で青木の巨体を匿うように左腕を広げ、胸の前で銃を握り直す。敵に向かって腕を伸ばす薪に、滝沢が言った。
「もしあの男が、貝沼事件被害者の父親だったらどうする」
 ガクン、と銃口が傾いた。振り返った薪の顔はさして驚いたようでもなかったが、銃身に伝わる手の震えに、彼の心情はより強く表れていた。
「そんな偶然が続くわけがないだろう」
「分からんさ。遺族同士が交流を持つことは珍しくない。『犯罪被害者遺族の会』なんてのもあるくらいだ。荒木の母親から情報を得た他の被害者遺族がいなかったと、どうして言い切れる」
 尤もらしい、しかし限りなく可能性は低い滝沢の理屈に、それでも薪は動けなくなる。いくら集中しようと神経を張り詰めても銃を持つ手は微かに震えて、それはいみじくも親友の命を奪ったあの日と同じように。

「そこまで考えていたら、何もできない」
「その通りだ。なにもできないさ、おまえには」
「前にも言っただろう。僕を見くびるな」
 強気に返すも手の震えは止まらない。正中を取った射撃の基本姿勢の、両膝の力が抜けそうで、やや内股になっているのを自覚する。このまま撃ったら反動で弾が逸れる。薪は意識して膝を伸ばし、グリップをもう一度握り直した。
 11月の冷たい風が吹き抜けるビルの屋上で、手に汗をかいている自分の未熟を嘲笑う。本当に、情けない男だ。

「おまえの言う通りかもしれない」
 弱くて臆病で口ばかり達者で。でも。
「だからって」
 そんな僕が生きる理由を、遺してくれた人がいる。生きることを望んでくれる人がいる。僕を守ろうと、心を砕いてくれる人たちがいる。その人々に対して。
「なにもしないのは男じゃない」

 せめてもの誠実を。僕に立ち上がる力をくれた大切な人たちに。
 彼らがくれた温かいもの、キラキラしたもの、僕を奮い立たせてくれるもの、僕を強くしてくれるもの。それらを僕が確かに受け取った、その証に。

 ガーン、と耳をつんざくような音が空に木魂した。薪が向けた銃口の40メートル先で、スナイパーがもんどりうって倒れる。
 地上では、銃声によって一瞬騒ぎになったものの、自分たちの周りに倒れる者もなく怪我をした者もいないことが分かると、すぐに元の流れに戻った。現場を目撃したのでなければ、その音が銃声であることを判断できる日本人は意外と少ない。多くの日本人にとって、銃撃戦と日常は簡単には結び付かないのだ。
 発射の反動でふらついた薪を、青木が待ち構えていたように後ろから支える。両肩を大きな手のひらで包むように、しっかりと受け止めた。

「薪さん、大丈夫で」
「また1人殺した」
 だらりと銃を下げ、薪はぼそりと呟く。俯く薪に、青木が悲しげに眉を寄せた。
「そうだな」と滝沢は敵が起き上ってこないのを見届け、薪の言葉を肯定した。それから薪を振り返り、はっきりと言った。
「でも、2人救った」
 それは事実の確認で、慰めではなかったのかもしれない。その証拠に、「ちがう」と首を振る薪に、滝沢はそれ以上の言葉を掛けなかった。

「違いません。薪さんのおかげで」
「3人だ」
 自責の波に沈む薪を救おうとした青木の助け船は、波間を漂っていたはずの遭難者の言葉で遠ざけられた。しかしそれは拒絶ではなく、この荒波を自身の腕で泳ぎきろうとする彼の決意表明。
「青木と、おまえと」
 薪の眼は、真っ直ぐに滝沢を見ていた。寒さからか射撃の余波か、その両膝は微かに震えて、青木に肩を支えてもらわなければ今にもその場に崩折れそうだったけれど。
「僕」
 その瞳は強く。眉はきりりと吊り上がって、彼の言葉に真を添える。

「3人だ」

 薪の肩を包む青木の両手にぐっと力が入り、「薪さん」と嬉しそうに名前を呼ばれた。滝沢はと言えばほんの少しだけ目を瞠り、「ふん」とバカにしたように嗤った。
「やっとまともに数が数えられるようになったか」
 皮肉に笑った滝沢の顔つきは腹が立つほど尊大で、だけど仕方ない。これがこの男の素の顔なのだ。

「青木。もう大丈夫だ」
「あ、すみません」
 自分の肩から離れようとした青木の手を、その右手だけを薪は銃を持っていない方の手で押し留め、「青木」ともう一度彼の名を繰り返した。
「僕は……これからもたくさん、躓くと思う」
 はい、と素直に返事をする青木を、薪は振り返りつつ見上げて、
「付き合ってくれるか」
「もちろんです」
 聞かずとも、青木の答えは分かっていた。分かりきった答えを彼の口から聞きたいと、駆け引きみたいな小細工を薪はしない。だから大事なのは青木の答えではなく、この質問そのものだ。
 大切なのは、薪の口からそれを青木に頼むこと。ちゃんと声に出して、言葉にして、相手に伝わるように受け取ってもらえるように、差し出すことが重要なのだ。

「転んで得られることもあるって分かったから、その前に手を出すことはしませんけど。起きるときにはちょっとだけ、オレの手に掴まってください」
「うん。頼りにしてる」
 しばし見つめ合った後、薪は捻った身体を元に戻し、青木は薪の肩から手を離した。事後処理のため、警視庁に連絡を入れようと携帯を取り出した薪に、滝沢はしゃあしゃあと、
「せっかく盛り上がったんだ、キスくらいしろ」
「なななななに言ってんだ、そんなことするわけないだろ!」
「遠慮するな。おれは後ろ向いててやるから」
「おまっ、コロス、ぜったいにコロスッ!!」
「だったら助けなきゃいいのに……」
 携帯電話を拳銃に持ち替え、頬を赤くして喚き散らす薪を背中に、滝沢は声を殺して笑った。




テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

Promise of the monster(3)

 昨日は雨でしたね。
 みなさんの苦痛がまた一つ増えたのではと、陰ながら心配しております。
 避難所生活を送っておられる方、余震に眠れない夜を過ごされている方。うちのバカ話で少しでも、気を紛らわせてもらえたら、いいなあ。




Promise of the monster(3)







 買い物客で賑わう休日のデパートは、和やかな喧騒に満たされている。
 大切な誰かへのプレゼントを品定めする女の子たちの姦しい声、目的のおもちゃの前で泣き喚く子供の声、それを叱る母親の声。騒がしいものの、平和である。

 それらを漫然と眺めていた薪の隣で、女の子の手を引いた若い母親が足を止めた。母親に「一つだけね」と条件を提示されて女の子は、母親に良く似た丸い眼をキラキラさせ、小さな手で一番上の棚を元気よく指さした。
「あれ!」
 釣られて見上げて、薪はプッと吹き出す。
 なんて賢い子供だろう。彼女が選んだのは巨大な金魚鉢のような容器に満たされた大量のチョコレート。多彩な銀紙に包まれたチョコは、千個近くもあるだろうか。しかし、残念ながらそれはディスプレイ用。チョコレートは本物らしいが、値札も付いていないし、売り物ではなさそうだ。
「あれはダメ!」と母親に怒られて子供が泣きべそをかく。大きくても一つは一つ、彼女にしてみれば、母親の言いつけ通りにセレクトしたのに叱られるなんて理不尽この上ない。涙も出ようと言うものだ。
 子供に同情しながらも視線を前に戻せば、さざ波のように通り過ぎる人々の笑顔。他愛もないお喋りと、BGMのように心地よいざわめき。隣で泣いている子供の泣き声すら微笑ましい。

 いつ頃からだろう。休日の、ゆったりと流れる平穏を享受できるようになったのは。
 彼らと同じ場所に自分が存在することを、許せるようになったのは。

「薪。その箱を取ってくれ」
 連れに呼びかけられて我に返った。ちょうど目の高さにあったマカダミアンナッツチョコの箱に手を伸ばす。「それを5個だ」て、なんでマカダミアンチョコなんだよ、ハワイじゃあるまいし。
「まだ買うのか」
 薪の冷たい視線の先で滝沢は、C国からの観光客よろしく買い物カートに商品を山と積んでいた。こういうのを爆買いとか言うのだろう。
「仲間の人数が多いんだ。仕方ないだろう」
「そんなこと言って、おまえ本当はパシリに使われてるんじゃないのか」
 憎まれ口を利きながら、カートの中身を確認する。突然強張った顔になって薪は、GODIVAと書かれたチョコレートの箱を棚に戻し、同じ数の板チョコを適当に選んでカゴに入れた。

「なにをしている」
「いや、ちょっと持ち合わせが」
 カートを掴んでレジへと向かわせる。それを片手で押し留めて、滝沢は左手のウィスキーボンボンを手に取った。
「問題ない。クレジットカードを使え」
「なんで僕がそこまで」
「恩返しだと思えばいい。おまえは今回のことで、おれに借りがあるだろう」
 自分で言うか、それ。
「そもそもの原因は、おまえが情報を外部に漏らしたことで」
「おいおい。10年も前の情報漏洩なんかとっくに時効だと言ったのはおまえだぞ」
 腹立つ! 確かに言ったけど、おまえに言われるとむっちゃ腹立つ!!

「まったく、おまえは忘れっぽくて困、おうっ?」
 怒りを起爆剤に、薪は力任せにカートを押した。そのカートに寄りかかるようにして立っていた滝沢は堪らない。バランスを崩し、たたらを踏んだが間に合わず、商品棚に突っ伏すように転倒した。いい気味だ。
「ザマアミロ、――った、痛っ?」
 薪の頭に、礫のようなものが幾つも当たった。何かと思って見上げれば、ディスプレイ用の金魚鉢が横倒しになって、そこからカラフルな色紙に包まれたチョコレートがパラパラと零れてきていた。
「やば」
 パラパラだった粒チョコの雨はすぐに本降りになり、次の瞬間。
「「うおっ!!」」
 ドドドッ、と降り注いだチョコの雪崩に思わず頭を抱える。恐る恐る目を開けてみれば、周囲に積もった大量のチョコレート。えらいことをしてしまった。

 慌ててチョコを拾い集める薪に、滝沢の鋭い声が飛ぶ。
「店員が来る。逃げるぞ、薪」
「バカなこと言ってないで、おまえも手伝え」
「このチョコ、全部弁償だぞ。いいのか」
「えっ」
 ほんの一瞬、固まっただけなのに。
 滝沢に手を引かれたら、反射的に足が動いた。滝沢は元傭兵部隊、砲弾の雨の中を駆け抜けてきた脚力はアスリート級。見事な逃げ足で、それに着いていく薪もすごいが、問題はそこじゃない。
 フロア端の階段を駆け上がるとき、ちらりと振り返った事故現場では、さっきの子供が楽しそうにチョコレートを拾っていた。





*****






 10秒もしない間に、薪と滝沢は階段の踊り場に立っていた。

「逃げちゃった」
 急に脚から力が抜け、薪は冷たい床の上に膝を着く。先刻まで滝沢に握られていた自分の小さな手をじっと見つめて、
「もしこれが新聞にでも載ったら、僕はおしまいだ」
「あほか。そんな暇な記者がいるか」
「目撃者……目撃者を始末しないと。フロア中の人間を、一人残らず。一警察官として!」
「警察官としてと言うより人としてどうなんだ、それ」
 危険思想に傾いて行く薪を滝沢が諭す。どちらが監視役だか分からない。

「少し頭を冷やせ」
 そう言って滝沢は階段を昇って行く。階段は暖房が届かないから涼しいし、利用する客も少ない。頭を冷やすにはもってこいの場所だった。
 カツンカツン、と二人分の革靴の音が冷えた通路に響く。階段を昇り続ける、単調な作業を繰り返しているうちに、気持ちが落ち着いてきた。
「滝沢。もう大丈夫だ」
 落ち着いて考えれば、あれは事故だ。戻って店主に謝れば済む話だ。
「さっきの店に戻って、買い物の続きをしよう」
 弁償は痛いが、踏み倒すわけにもいかない。職員共済のカードローンで賄おう。
「滝沢? 何処まで行くんだ」
 次の階からフロアに戻るのだとばかり思っていたが、滝沢は階段を上がり続けた。仕方なく、薪も後を追う。今日の自分の仕事は、こいつの監視なのだ。

 やがて二人は、最後の踊り場に出た。
 滝沢は屋上に出たかったらしいが、そのドアには当然のように鍵が掛かっていた。ドアノブを回してそれを確認すると、彼は無言でドアを蹴り破った。
「げ」
 外側に倒れたドアを架け橋のように歩いて屋外に出る。空は青く澄んでいたが、風はたいそう冷たく、寒い。そして、薪の懐はもっと寒い。
「ドアの修理代が……」
「ケチケチするな。おまえ、金持ちじゃないか。荻窪に豪邸あるんだろ」
「それは原作の設定だろ! 僕は貧乏なんだよっ」
「いいのか? 原作と設定違ってて」
「おまえが言うな!」
 取り戻したばかりの薪の冷静はいずこにか消え去り、目の前の男への怒りでこめかみのあたりが熱くなる。ぶち切れそうだ。

「良い眺めだ」
 胸の高さのフェンスから下方を見下ろし、滝沢は微笑んだ。倣って瞳を伏せれば、デパートに出入りする人の群れ。
「『人がゴミのようだ』とか言うなよ。蹴り落としたくなっちゃうから」
 訝しげに眉を顰める彼に、出典を説明したものかどうか迷う。勘の良い滝沢はすぐに察したらしい。「生憎、部屋にはテレビが無いんでな」と肩を竦めた。

「ああ。風が気持ちいいな」
 フェンスを両手で掴み、滝沢は背中を反らした。背中を丸めて縮こまる薪とは対照的だ。寒い、と薪が文句を言うと、滝沢は苦く笑って、
「戦地の寒さは、こんなもんじゃなかったさ」
 旧第九の事件の後、滝沢が過酷な環境を生きてきたことを薪は知っている。滝沢を利用した連中に仕組まれて、外国の傭兵部隊に入れられたのだ。滝沢自身、もはや日本にはいられない身であったし、恋人と親友を立て続けに喪ったショックも大きかったのだろう。開き直りにも近い境地で日本を出て、それから6年間、死と隣り合わせで生きてきた。
「朝、眼が覚めるたびに思った。どうしておれは生きているんだろう。他人を殺してまで、どうして生きなきゃいけないんだろう。守るものも、愛する者も、この世にはいないのに」

 少しだけ。彼の気持ちはほんの少しだけ、分かった。
 薪もかつて、すべてを喪った経験があるから。

「おまえも同じだろう」
「僕は」
 おまえとは違う。僕には一緒に住んでいる恋人も、信頼し合える仲間もいる。大切な友人も、尊敬する上司も。愛するひとも、守りたいひとも、たくさんいる。
 そう言おうとした。でも、言えなかった。
 薪は、彼らを手酷く裏切ったばかりだった。

 気が付くと、滝沢の両手がしっかりと薪の左右の手摺を掴んでいた。転落防護柵と滝沢の腕に閉じ込められる形になって、薪は身を固くする。嫌な予感がした。
「滝沢。なんのつもり」
「すまなかった」
「……時効だと言ったろう」
 答えつつ、情報漏洩のことを謝られたのではないと分かっていた。案の定、「そうじゃない」と滝沢は首を振った。
「鈴木と一緒に殺してやれなくて。本当に悪いことをした」

 ――そのせいで。
 おまえは長いこと苦しんだ。そしてこれからも。
 おまえの中に穿たれた巨大な喪失。それが埋まらない限り、恋人も仲間もかりそめ。本当の充実を得ることはできない。だから簡単に過去に舞い戻ってしまう。
 そんな悲しい人生を歩ませるくらいならいっそ――。

 薪の耳元で、滝沢が低く囁く。
「おれがここで、おまえを殺してやるよ」




テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

お見舞い申し上げます

 今朝のニュースで地震のことを知りました。
(昨夜はちょっと体調を崩してしまって、早寝してしまったもので)

 もしも、当ブログを覗いてくださってる方で、被害に遭われた地域にお住まいの方がいらっしゃいましたら、
 心よりお見舞い申し上げます。

 5年前の時は、うちも被災地でした。
 と言っても、それ程の被害はなく。怪我人もなく、食糧にも困らず、家が浄水場の近くなので飲み水には困らず(しかも会社は水道屋)、電気が使えない日が3,4日、その程度の不自由でした。
 ただ、原発の問題があったので、不安はいっぱいでした。
 今回、熊本のニュースを知り、当時の気持ちを思い出しました。
 原発関連のニュースに不安を募らせたこと。余震があるたびにびくびくしてたこと。
 避難所で朝を待っていた皆さんのお気持ちは、わたしが経験したものよりずっと大変なものだと思います。不安になるなと言われても無理だと思う、わたしもそうでしたから。
 だからせめて、ご自愛ください。心も体も、大事にしてあげてください。
 
 そして、万が一にも、大切な人を亡くされた方がいらしたら……。 
 かける言葉も見つかりませんが、どうか、ご無理なさらず。がんばらないでください。頑張り過ぎてご自分の身体を壊されたら、元も子もないです。そして間違っても、ご自分を責めないでください。



 5年前、地下鉄の駅で夜を明かした人々が、通る人の邪魔にならないよう階段の両端に座っていて、こんな状況でも他人を思いやれる日本人の美徳を世界中が絶賛しました。
 計画停電の折、「ヤシマ作戦」と銘打って節電対策を、アニメのノリか、と思いきやきちんと結果を出していて、日本の若者も捨てたもんじゃないと思いました。
 原発に向かう放水車の中継をテレビで見て、皆のために危険な場所に志願する人たちの勇気と道徳心に感動して泣きました。

 今回もきっと、世界に誇れる日本人の強く美しい精神が発揮されることと思います。

 
 今回、辛い経験をされた方々に、エールを送りたくて書きました。
 なにか失礼なこと、被害に遭われた方を傷つけるようなこと、書いてしまっていたらすみません。
 みなさんに、一日も早く日常が戻ってきますよう、心からお祈り申し上げます。



 

Promise of the monster(2)

 こんにちは。

 メロディの発売まで、2週間を切りました。
 予告では岡部さんが主役とのことでしたが、5巻に収録されてるような感じになるんでしょうか。楽しみですねえ。岡部さん、好きー(*´v`) 
 個人的には、副題「手紙とやっちゃん」でぜひ。
 

 お話の続きです。
 これ、けっこう長くって。7章あります。(青薪さんの後日談が2章だったのに、滝薪が7章って……)
 本日もよろしくお願いします。 




Promise of the monster(2)






「まずは朝メシだ」
 小菅駅への道すがら、滝沢は空腹を訴えた。朝が早かったので、薪も朝食を摂っていない。駅の近くまで行けばモーニングを食べさせるカフェくらいあると思ったが、それらしき店は見当たらない。小菅がこんなに寂しい駅だとは、いつも車で来ていたから分からなかった。
 1キロほど歩くと北千住の駅がある。その周辺ならコーヒーショップがあったはずだ。

 連れの意向も聞かずに方向を変えた薪に、滝沢の声が掛かる。
「なんだ。電車じゃないのか」
「隣駅くらいなら歩いた方がいい。途中で店も見つかるだろう」
「店? 家に招いてくれないのか」
「なんでおまえに僕の自宅を開放せにゃならんのだ」
「大丈夫だ。寝室は見ないようにするから」
「殺すぞ」
 言って薪は、歩く速度を2倍にする。「そう急ぐな」と後ろから、さして苦労もせずに追い付いてくる滝沢を振り返り、薪は電柱の陰に見知った顔を見つけた。
「どうした」
「いや。なんでもない」

 北千住駅の近くに何軒かあった喫茶店のうち、たった一つ営業中の札が掛かっていた店に二人で入った。
 時間が早いせいか、店内には数人の客しかいなかった。窓際の席に向かい合って座り、生野菜のサラダを添えたモーニングセットを2つ注文する。卵料理は3種類あって、薪は茹で卵を、滝沢はポーチドエッグを選んだ。
 注文の品が届く間、滝沢は、店内のあちこちに目を走らせていた。壁の抽象画やら天井からぶら下がった照明やら出窓に並べられた陶器製の人形やら、大して珍しくもないものを興味深そうに観察している。ここは、朝コーヒーを頼むとトーストと卵料理がサービスで付いてくることで有名なコーヒーチェーン店で、薪にとっては見慣れた店構えだったが、長い間、灰色のコンクリート壁ばかり見てきた滝沢には、遊園地のような場所に感じられたのかもしれない。

 やがて運ばれてきた厚切りのトーストにバターを塗りながら、滝沢が言った。
「おまえの手料理が食べたかったな」
 途端、コーヒーに羽虫でも入っていたかのように、薪が厭な顔をする。こいつ、どこまで図々しいんだ。
「僕がおまえのために料理なんかするわけないだろ」
「2人分も3人分も、作る手間はそう変わらんだろう」
 遠回しに同居人の存在を指摘されて、薪は冷静な監視者の仮面を厚くする。青木との関係を、この男は知っているのだ。
 挑発になど乗るのものか。赤くなったり取り乱したりしたら、相手の思うツボだ。

「おまえが来ても玄関は開けんぞ」
「心配するな。夫婦茶碗とかお揃いのマグカップとか色違いの歯ブラシとかサイズ違いのペアパジャマとか、見てもおれは気にしないから」
 反射的にソファから尻が浮く。監査対策のため、CCDカメラや盗聴器の類は徹底的に調査しているのに、どうやって。
「一体、おまえはどこからそういう情報を」
「え。本当にあるのか」
 思わず右手を握りしめたら茹で卵が潰れた。細かく割れた卵の殻が、薪の細い指の間からパラパラと落ちる。
「ぶっ殺す……!」
「おいおい、薪。お年寄りを怖がらせるもんじゃない。すみませんね、こいつ、口が悪くて」
 隣でコーヒーを飲んでいた老夫婦が眉を寄せて顔を見合わせるのに、滝沢が愛想よく笑い掛ける。外面のいい奴め。

 作り笑いを浮かべたまま滝沢は、トーストを齧りコーヒーを飲むと、ほうと息を吐いた。
「やっぱりシャバのメシは美味いな。コーヒーも久しぶりだ」
 特段旨いとも、薪は思わなかった。パンはベーシックな食パンだし、コーヒーは青木が淹れた方が断然美味い。
 塀の中の生活には詳しくないが、常識で考えても嗜好品の多くは禁止のはず。こんな風に食事を摂りながら自由に会話することもできないに違いない。
 そういう食事が味気ないことを、薪は知っている。薪も、砂を噛むように食事をしていた時期があるから。

「まだ卵の殻を剥いてるのか? トーストが冷めるぞ」
「……誰のせいだ」
 粉々になった卵の殻が白身に埋まってしまって、取るのが一苦労なのだ。面倒になって齧ってみたら、口の中がジャリジャリ言った。
「くっ、殻が」
「カルシウムの補給だと思えばいい」
『自分で自分を納得させるためにそう思うのはいいけど他人に言われるのは腹が立つしかもその元凶に!』
 声を出さずにノンブレスで突っ込む。隣の老夫婦に配慮してのサイレントモーションだったが、滝沢にはコーヒーに噎せるほど笑われた。こいつ、窓から蹴りだしてやろうか。
「おまえは楽しい男だ」
 人に楽しいと評されたのは初めてだ。鬼の室長、氷の警視長と噂される薪に、そんな経験があろうはずもない。どこまでも人を食った男だ。

「店が開くまでには時間がある。ゆっくり食べるといい」
「店?」
「土産を頼まれてな」
「小菅の仲間にか」
「ああ。意外と気のいい連中でな」
「土産ってなにを、て言うか、あそこは基本的に持ち込み禁止だろ」
 滝沢は、スーツの内ポケットから紙片を取り出し、テーブルの上に置いた。土産を配る人間のリストらしい。その中には看守長の宮部の名前もあって、なるほど、土産を賄賂にお目零しを願うわけか。
 ……名前の横に生写真(隠し撮り)とか書いてあるけど僕のじゃないよね?

「けっこうな数だな。その服装といい、おまえ、どこから資金を調達してるんだ」
「金なんか持ってない。ここの払いも土産もおまえ持ちだ」
「なんで僕が」
「嫌ならいいが。おれが食い逃げで捕まったとして、困るのは監視役のおまえだぞ」
「な」
 どこから突っ込んでいいものか、混乱する薪の前で、滝沢は悠々とコーヒーのお代わりをオーダーした。


テーマ : 二次創作:小説
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Promise of the monster(1)

 こんにちは。
 最近、放置プレイが日常化しております法十ですが、どちらさまもお見捨てなきよう、お願いいたします。

 そんな中で、7万拍手ありがとうございました(〃▽〃)
 みなさまの優しいお気持ちに支えられて、仕事も長男の嫁もがんばることができます。ありがとうございます。


 とか言いつつ、今日から公開しますこちらのお話、
 モンスター後日談 その2 (まだやってるのかとか言われそう)
 薪さんと滝沢さんのドキドキデートです。(やめろ)
 
 題名は、モンスターとの約束。
 
 さすがに後日談を拍手のお礼にはできないので(てか内容的に無理)、お礼SSは次の機会に。
 本日も広いお心でお願いします。




Promise of the monster(1)


 目前の壁はどこまでも続いている。
 遥か遠くに見える曲がり角までずっと、レンガを模したタイルが微妙に色を変えながら、連綿と連なっている。威圧的で不愛想なその壁は、来る者を拒むような閉塞感と、囚われた者を物理的に拘束する高さを持つ。

「なんで僕が」
 塀を見上げて眉間に皺を寄せ、薪は低い声で呟いた。
「こんな朝っぱらから」
 週末の時間割はウィークディの2時間遅れ、日曜の7時は早朝だ。おまけに薪は休暇中、それも1年に1度あるかないかの連続休暇の最終日ときた。襟元に巻いたマフラーに向かって、愚痴をこぼすのも無理はない。
「寒いし」
 白いカシミヤのコートの肩が竦められ、マフラーの隙間から白い息が吐き出される。やがて薪が立ち止まったのは、コンクリート製の大きな門柱の前。左右の柱には棒を携えた屈強な2名の番兵が、直立不動の姿勢で立っている。その物々しい警戒態勢と、彼の恋人曰く「白い服を着ると雪の妖精のよう」な彼の姿は、まるで釣り合いが取れていない。

 今朝、このコートを薪に用意したのも、何を隠そう同居中の恋人なのだが、彼は薪がコートを羽織ると同時に、感極まったように抱きついてきた。
「きれいです。まるで妖精みたい」
 そう言いながら着たばかりのコートを脱がせようとするから、思いっきり蹴り倒してやった。着せたいのか脱がせたいのかどっちなんだ、と訊いたら、「着せてから脱がせたいんです」と訳の分からない答えが返ってきたので、もう一度蹴り飛ばした。彼が床に転がると同時に玄関を閉めてザカザカ歩き、吉祥寺の駅に着いたところで気が付いた。「行ってきます」のキスをするのを忘れた。

 薪のそんな、休日ならではの浮ついた気分を、門柱の文字が一気に落ち込ませる。黒地に金の文字で記された、笑うことを許されない施設名。
『東京拘置所』である。

 細い手首を飾る銀色の腕時計が約束の時間を示すと、門を塞いでいた鉄柵がゆっくりとスライドした。中から出てきた制服姿の男たちに、薪は軽く頭を下げる。彼らも職務に勤しんでいるのだ。不満をぶつける相手は彼らではない。
 その相手は、彼らの後に続いて現れた。どこから調達したのか今年流行の型のスーツに身を包み、ピカピカの革靴を履いて、てかあの靴、ウェストンじゃないか。偏見を持ってるわけじゃないけど、真面目に働いてる自分が買えないような高級ブランド靴を、この建物から出てくる人間に履かれるのはなんか悔しい。

 休暇返上命令の電話は、昨夜遅くに掛かってきた。
『明日一日、滝沢くんとデートしてあげてよ』
 悪ふざけだと思ったから、物も言わずに切った。10秒もせずに2回目のベルが鳴る。
『僕の電話を無言で切るとは、いい度胸だね』
 不機嫌な上司の声に、薪はぬけぬけと、
「すみません、中園さん。電波障害のようです」
『その言い訳が使えないように家の電話に掛けたんだけど』
「子機を使ってるので」
『口の減らない子だね』
「減らないように気を付けてるんです。一つしかありませんから」
 脱力必至のオヤジギャグで返す。案の定、怒る気力を削がれた中園が、溜息交じりに言葉を継いだ。
『いいから聞きなさいよ。明日、滝沢くんが仮釈放になる』
「ええっ?」
 滝沢が殺人罪で投獄されたのは3年前。彼が奪った複数の人命は検察に死刑を求刑させるに十分な罪だったが、検察側の証人として法廷に立つことと引き換えに、無期懲役の実刑判決が下りた。仮釈放などと、そんな温情が受けられるような男ではないのだ。

『どんな手を使ったものか、僕にも分からないけど。仮釈放は本当だ』
「あの男は危険です。釈放なんて、羊の群れに狂犬を放つようなものですよ」
『僕もそう思う。そこで、条件を付けた』
 中園が付けた条件と言うのが、監視役の同行だ。不自然な仮釈放が通ったことから、刑務所内の職員は買収あるいは恐喝されている可能性がある。監視役は警察庁の職員から選ぶことに決めた。
 そこで白羽の矢を立てられたのが、薪だ。
 滝沢の元上司であり、3年前の事件でも共同戦線を張った仲だ。お世辞にも友好的な関係ではないが、ターゲットをよく知っていると言う点では、薪以上の人材は警察庁にはいない。
 滝沢の仮釈放が動かせないなら、これが最善の策だ。薪に選択肢はなかった。連休最後の日だろうと、2ヶ月ぶりのデートがキャンセルされようと文句は言えない。が、その元凶にまで物分かりの良い公僕の顔をすることはない。

 敵意剥き出しの薪の視線に、滝沢はにやりと笑って、
「ご苦労」
 えらっそーに! なにが『ご苦労』だっ!

 怒りのあまり目の前が真っ赤になる。脳の血管が切れるかと、いや、2、3本は切れたに違いない。
 たちまち膨れ上がった悪感情を声に出そうと薪の口が開きかけた時、職員の一人が警帽を脱いで、薪に向かって頭を下げた。
「ご協力ありがとうございます、薪警視長」
 舌の上から羽ばたこうとしていた極めつけの罵詈雑言を、薪は慌てて飲み込む。さっきも言ったように、この男以外の人間に罪はないのだ。

 咄嗟のことで切替えが間に合わず、ああ、いえ、などと曖昧な返事をした薪に、初老の男は握手を求めてきた。薪がポケットから右手を出すと、やや強引に両手で包まれた。コートのポケットよりも暖かい手だった。
「看守長の宮部と申します。お会いできて光栄です」
「えっ、看守長?」
 これは驚いた。看守長が見送りとは。
 囚人の釈放時には、現場の担当刑吏官が立ち会うのが通例だ。看守長が顔を出すのはよほどの大物か、ここに入ってもなんら社会的地位を脅かされないくらいの権力者に限られる。法曹界の首領を裏切った滝沢にそこまでの力があるはずはないのに、何故。

「薪。早くしろ」
「ああ、悪い」
 て、なんで僕が謝るんだ!
 殴ってやりたかったが、刑吏官たちの前だ。殴るなら人目に付かないところだ。

 職員たちの敬礼を背中に受けて、二人並んで歩き出す。後ろで門が閉まったのを確認してから薪は、冷静な監視役の仮面をかなぐり捨てて隣の男に食いついた。
「滝沢。仮釈放なんておまえ、いったいどんな手を使ったんだ」
 問われて滝沢は、焦るどころか鼻白みもせず。早朝の街を物珍しげに見回しながら、昔とちっとも変らない不敵な笑みを浮かべた。

「誠心誠意真面目に勤め上げた。その努力が認められたんだ」
「嘘を吐け。賄賂で看守を抱き込んでたくせに。おまけに看守長の見送りなんて、おまえ、小菅でどういう立場なんだ」
「いや、彼はおまえを見に来たんだ。おまえの写真がいたくお気に入りの様子だったから」
 写真と聞いて、薪の額に青筋が立つ。2ヶ月前、面会室で受けた屈辱は忘れられない。もちろん、見せられた写真のことも。
「まさかこないだのゴスロリ」
「あれよりもっと刺激的な写真だ。肌色の多いやつ」
 だからどこからそういう写真を手に入れてくるんだっ!

 思わず顔を歪めると、滝沢が嬉しそうに笑った。滝沢は薪が嫌な顔をすると喜ぶのだ。
「この場で撃ち殺してやろうか」
「好きにするといい」
 できもしないことを、と心の声が聞こえてくるような滝沢の口調にカッとなる。ポケットに忍ばせた拳銃を、コートごと相手の腹に押し付けた。
「今日はライターじゃない」
 ぎろりと下から睨み上げる。滝沢はニヤニヤ笑いを止めて、すうっと目を細くした。
「仮釈放中の囚人に不穏当な動きがあった場合、僕の判断で射殺してもよいとの許可を得ている。死にたくなかったら言動には気をつけろ」

 舐められてたまるか。馴れ合ってたまるか。
 こいつは殺人犯だ。それも、僕の仲間を殺したやつだ。一生許さない。

 滝沢は素直に両手を上げて、悪かった、と謝罪した。
「すまん。久しぶりのシャバで、ちょっと浮かれた」
 それはとても人間らしい感情だと思えた。3年も塀の中にいたのだ。外の空気を吸えるのは今日の一日だけ。籠の中の鳥に、たった一日許された自由。

「『ローマの休日』ならぬ『小菅の休日』か」
 薪がぼそりと呟くと、滝沢はなんとも言えない表情で両手を広げ、大仰に肩を竦めて見せた。
「おまえって男は。どうして見かけはティーンエイジャーなのに、言うことはオヤジなんだ?」
「やっぱコロス」
 ほんの少しでもほだされそうになった自分がバカだった。
 薪が苦々しく吐き捨てると、滝沢は声を立てて笑った。




*****




 この下、新装版のプロフ関連です。
 ネタバレいやんな方は読まないでくださいね☆




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Revenge of the monster(2)

 こんにちはー!
 絶賛放置プレイもいい加減にしろですみませんっしたー!

 先週の月曜日、お義母さんの手術、そのまま入院、片道1時間の病院へ毎日通いまして。
 金曜日の昼に退院が決まったのですが、お義母さんが一刻も早く家に帰りたいってんでその日のうちに荷物まとめて退院手続きを済ませて夕方帰ってきて、土曜日はお見舞いに来てくれた人たちのところへ挨拶に行って、
 もー、日曜日はなんもしたくない(笑)

 そんなわけで、薪さんとは対照的に、この時間までパジャマ姿でおります、しづです。
 だらだらしながらお送りします、モンスターの逆襲、後編です。
 




Revenge of the monster(2)






「――はい。あ、ちょっと待ってください」
 電話の相手に断りを入れ、青木は寝室を出た。リビングの掛け時計は九時を指している。
「今日はちょっとバタバタしてて。連絡できなくてすみませんでした」
 電話の相手は岡部だった。

 事件の後、青木は岡部に伝言を頼まれた。
『自分の考えを押しつけて悪かったと、薪さんに伝えてくれ』
 青木はにっこり笑って、それを断った。薪は岡部の気持ちをちゃんと解っているし、それでも岡部の気が済まないと言うなら自分で伝えればいい。これは彼らの問題で、青木が間に入ることではないと思った。
 伝言を断られた岡部は、じゃあ代わりに、と青木にもう一つの頼みごとをした。薪に知られないように、薪の様子を毎日知らせて欲しい。岡部には薪のポーカーフェイスは通じないから、顔を合わせていれば彼の精神状態はほぼ分かる。しかし、今回は顔を見ることができない。だからおまえが視て教えてくれと、そう頼まれた。
 この時間は薪のバスタイム。いつもはその間に報告を済ませていたのだ。よんどころない事情で、いま彼は眠っているが。
 定時連絡が途絶えたから不安になって、自分から電話を掛けてきたのだろう。岡部の心配性には、つい失笑させられる。まったく顔に似合わない。

 青木はリビングのソファに腰を下ろし、ちらっと寝室のドアを見やった。そこに人の気配がないことを確かめる。それでも念のため、声は潜めることにした。
「薪さんはよく眠ってます。――や、体調は悪くないです。むしろ絶好調っていうか本気になった薪さんはやっぱりすごいっていうか、なんでもないですごめんなさい、これから道場はカンベンしてください」
 ハイスペックな捜査官相手の会話は時として命懸けだ。

「はい、残念ながら。すっかり元通りで」
 青木は帰宅してから薪と交わした会話のいくつかを思い出し、苦笑した。
「ああなっちゃったらもう、オレには見守ることしか」

 イタズラ心と可愛い意地悪。いつも通りの薪だった。あまりにも“いつも通り”すぎた。それを演技と気付かせないスキルまで、完璧な「いつもの薪さん」だった。
「もっと正直になってくれれば、こっちも対処のしようがあるんですけど……あ、いいんです。そういう人だって分かってますから」
 身体の傷は比較的早く癒える体質の薪は、その釣り合いを取るかのように心の傷は長引く。彼がいかに平静を装っても青木は知っている。小説のページをめくる彼の指先が、時折止まっていること。少食の彼が、青木の前では旺盛な食欲を見せようと無理をしていること。夜中、何度も何度も寝返りを打つ彼の眠りがひどく浅いこと。
 それらはすべて、薪の中に巧妙に匿われている。隠蔽工作に長けた彼の悲しいスキル。

「身体の方はすっかり治ってることを確認しましたので、来週には出勤できると思います。薪さんもその方が気が紛れると、え? いや、無体な真似なんかしてませんよ。そりゃ久しぶりだったからほんのちょっと飛ばしちゃいましたけど、決して薪さんが嫌がるようなことは、ていうかあの人、最初のうちはなんだかんだ言いますけど途中からエンジン掛かると逆にこっちが攻め立てられ、うごぉっ!!」
『どうした?』と尋ねる岡部の声が、青木の携帯電話から漏れ聞こえる。返答がないことに焦ったらしい彼は、繰り返し青木の名前を呼び続けた。

「壁に掛けておいた時計が落ちて、青木の頭を直撃したんだ。局地的な地震かな」
 突然、電話の相手が変わったことに岡部はひどく驚いたらしい。狼狽えた声で、
『まままま薪さんっ』
 岡部さん。ま、多過ぎです。
『青木はどうしたんですか』
 薪にジロリと睨まれて、青木はあり得ない放物線を描いて落ちてきた掛け時計を抱えたまま、ローテーブルの下に負傷した頭部を突っ込んだ。電話を返してください、なんて言ったら本震以上の余震が来る、ぜったい。

「青木は口を利けない状態だ。なにか伝言があれば僕が預かろう」
 何もありません、と岡部は震える声で言った。歯がカチカチ言うほど震えて、分かります、岡部さん。今夜は寒いですよね。オレも身体の震えが止まりません。
「そうか。じゃ、僕からひとつ」
 ひいーっ、と岡部が息を吸う音がした。悲鳴のようにも聞こえたが気のせいだろう。

「いつもおまえには感謝してる。これからもよろしく頼む」
 背中を向けた薪の表情は、青木には分からなかった。でもその肩はやさしく開かれて、声は穏やかな波のように響いていた。

「うん? ああ、分かった。青木に伝えておく」
 じゃあな、と電話を切った薪が、ゆっくりとこちらを振り向く。差し出されたスマートフォンを青木がおずおずと受け取ると、薪の口元が意地悪く吊り上がった。
「岡部からの伝言。明日の朝6時に道場だそうだ」
「ええー……」
 これはあれか、休日の早朝の予定を入れることで青木に夜更かしをさせない、つまりこれ以上薪の身体に負担を掛けまいとする岡部の作戦か。
 警戒しすぎです、と青木は心の中で岡部に弁解する。いくら青木だって、そこまでケダモノ君ではない。

「さて。メシだメシ」
「あ、はい」
 シチューを温め直して、少々遅くなった夕食を摂った。冷蔵庫の中には青木の好きなポテトサラダも作ってあって、適度な運動でお腹を空かせた青木の食欲をますます増進させた。夜の九時以降のハイカロリー食は身体に毒だと言うが、青木は薪の手料理が食べられるなら寿命の2、3年は気にしない。

 薪が2杯目のシチューを自分用に装うのを見て、青木はスプーンを止めた。また強がって、と思う気持ちが青木を口うるさい保護者にする。
「寝る前にそんなに食べたら胃もたれしますよ。1杯でやめておいた方が」
 薪は、表面張力を振り切りそうな青木のシチュー皿をじっと見た。とばっちりを恐れた青木が口を噤むと、涼しい顔でシチューを掬う。
「誰かさんのおかげで、ハラ減って眼が覚めたんだ。飢え死にしそうだ」
「はいはい」
 夜中にお腹痛くなっても知りませんよ、と心の中で呟きながら、青木は素直に返事をする。後で救急箱の消化薬を確認しておこう。
「食事がすごく美味しく感じる。セックスって本当に身体にいいんだな」
「はいはいは、えっ」
 きわどいセリフに、思わずスプーンを咥えた薪のくちびるを見てしまった。下唇に付いたシチューを赤い舌先がペロッと舐める、その動きに先刻の記憶が呼び覚まされる。あのくちびると舌がくれる刺激を、その極上の快楽を、擒と言ってもいいくらいに青木の身体は覚えてしまっている。
 亜麻色の瞳が悪戯っぽく輝いた。その抗い難い誘惑。

「食べ終わったら2回戦、しようか」
「だ、ダメですよ。明日はオレ、5時起きで」
「そうだったな。じゃ、風呂の中で」
 いい、それいい!
 浴室なら鏡もあるし掃除も簡単だし、いやいやちょっと待て。
「ダメですってば。時間に遅れたりしたら岡部さんにどんな目に遭わされるか、――っ!」
 意味なくシチュー皿を掻き混ぜる青木の耳に、一足先に食事を終えた薪が息を吹きかけた。浴室とかクローゼットとかキッチンとか、寝室以外の場所での行為にエロチズムを感じる青木の性癖を、薪は見抜いている。

「待ってるから。風呂で」
「……お風呂で?」
「カラダ、洗いっこしよ」
「……はい」


 翌日。道場で待ちぼうけを食らった岡部が10時過ぎにのこのこと現れた青木を、足腰が立たなくなるまで締め上げたことは言うまでもない。



(おしまい)


(2015.10)

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プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

しづの日誌

法医第十研究室へようこそ!
おかげさまで8歳になりました(^^♪
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