You my Daddy(22)
最終章です~。
コンスタンスに公開できなくて、すみませんでした。
間延び更新にお付き合いくださって、ありがとうございました。
You my Daddy(22)
「今度という今度は自分が嫌になった」
頭の上に黒い雲を載せて、薪は猪口の酒に深い溜息を落とした。今夜は長くなるな、と岡部は敏く先を読み、座卓の下でそっと母親にメールを打つ。先に寝ててください、とそれはいつもの決まり文句だが、これまで一度も履行されたことがない。
新鮮な魚と日本酒が看板の小料理屋で薪と二人酒。今日は青木は甥の初節句だそうで、姉の家に泊まるらしい。
「なにをそんなに落ち込んでるんです? 今回も上手く治まったじゃないですか」
途中すったもんだはあったが、それはもはや定例行事。終わりよければすべて善しと、岡部はそんな格言を引っ張り出して薪の気を引き立てようとする。いつもと立場が逆だ。
いつもは薪が暴走して、自滅コースに突っ込んでいくから岡部が怒らなくてはならなくなる。したくもない説教を、それも明らかに聞き流す態度の相手にくどくどと繰り返すことの虚しさと言ったら。飼い猫相手に愚痴を零す方がなんぼかマシだ。尤も、岡部の家の飼い猫はちょっと特殊で人間の言葉を解するのだが、それはまた別の話だ。
今回は、DV被害から母子を救い、偽りの精神鑑定で無罪になるところだった犯人に正当な罰を受けさせた。薪もそんなに危ないことはしなかったし、精神的に追い込まれたり傷ついたりすることもなかったと思う。青木が少ししょげていたくらいで、今までの事件に比べたら平和なものだ。
しかし薪は岡部が見たこともないほど暗い顔つきで、好物の刺身にも、あろうことか猪口を持つ手まで止まってしまっている。これは聞き出すのに骨が折れると判断し、岡部は人間の口を軽くする最も手っ取り早い方法を用いることにした。すなわち。
「今日はミハルちゃんの快気祝いと行きましょう。ささ、薪さん、飲んで飲んで」
「うん……」
「この酒、美味いでしょう? 新潟の蔵元直送の限定品でね、店主に取り置き頼んでおいたんですよ」
勧められるままに盃を重ね、猪口がぐい飲みになり、それもまどろっこしくなった岡部がコップに切り替えた頃、薪がようやく口を開いた。
「青木が言ったんだ。僕の子供を遺せないことを申し訳なく思ってたって。だからヒロミたちには感謝してるって、そう言ってた」
さすがは青木。お人好しが底なし沼だ。
彼女たちのせいで家を追い出されて、薪との関係が変わってしまうかもしれないと食欲が失せるほど悩んでいたくせに。
「薪さんの言う通りでしたね。あいつを見損なってたのはおれの方でした」
さすがですね、と薪の洞察を褒めると「まあな」と薪は一瞬だけ普段の高慢な表情を取り戻し、でもすぐに弱気な表情になって、
「2、3年前のことだけど。青木に来た見合い話、僕が潰したことがあるんだ」
「えっ。青木の見合いの会場に乗り込んだんですか?」
岡部が驚いて聞き返すと、薪は岡部よりも驚いた顔をしていた。
「おっそろしいこと考えるな、おまえ」
潰したと言われれば普通はそう考えると思うが。
「雪子さんじゃあるまいし」
雪子の武勇伝を聞いてみたくもあったが、今は薪の話だ。
「具体的に、何をしたんです?」
「青木にって預かった見合い写真を本人に見せずに返した」
それは当たり前だろう。2年前にはまだ二人は一緒に暮らしてこそいなかったが、その関係はすっかり出来上がっていたのだから。
「そんな話を薪さんからしたら、青木が傷つくじゃないですか。見せなくて正解ですよ」
「分かってる。でも見せるべきだった。例え結果が分かりきっていても、青木の人生は青木のものだ。彼から選択肢を奪う権利は僕にはない」
薪らしい考え方だと思った。冷静で理論的で、平等で潔い。しかし彼はそれを為せなかったわけで。
「すごく落ち込んで、もう二度とこんなことはしないと誓った。なのに、気が付いたらまた同じ間違いを」
尻すぼみに語尾を弱めた薪は、ずるずると前のめりに体勢を崩し、
「僕ってダメだー」
座卓に突っ伏して拗ねる様子に、思わず吹き出してしまった。自分の腕の陰から薪の眼が、恨みがましそうに岡部を見上げる。
軽くいなして、岡部は尋ねた。
「青木は怒りましたか?」
薪の瞳からマイナスの感情が消える。代わりに浮かんだのは熱っぽさを秘めた恥じらいの色。何があったか大凡の予想は付いたが、岡部は重ねて訊いた。
「話したんでしょう。あいつはなんて言いましたか」
長い睫毛を伏せ、ついでに顔面も腕の中に伏せて、薪は小さな声で言った。
「僕がヤキモチを妬いてくれて嬉しいって。むっちゃテンション上がってた」
だと思った。予想通り過ぎて相槌を打つ気にもならない。
「本当に薪さんは、青木のテンション上げさせたら世界一ですね。いっそギネスに挑戦しますか」
「そんなギネスタイトル、全然嬉しくない。青木のやつ、僕があれほどダメだって言ったのにその場で、……なんでもない」
安心してください。道場でシメときますから。
「分かったでしょう? あいつの幸せの鍵は、あなたが握ってるんですよ」
照れ隠しか或いは青木の狼藉を思い出して本当に怒っているのか、初鰹を頬張りつつ尖らせたくちびるをそのままに、薪はぼそりと呟いた。
「うん。知ってる」
平気な顔で嘯く風情を、亜麻色の瞳の柔らかさが裏切る。とろけそうに甘い瞳をしている。「薪さんはときどき砂糖菓子みたいなんです」と得意のポエムを語りだした青木を岡部は大外刈りで転がしたばかり、でもあれはこういうことだったかと納得した。確かに、食べた記憶もない砂糖が口から出てきそうだ。
「子供のことは僕も随分考えたんだ。青木はともかく、親が泣くだろうなって。幸いあちらのお母さんができた人で、僕のことを息子だと認めてくれてるけど」
さすが青木の親だ。常識に捕らわれないフリーダムな精神は、母親からの遺伝というわけだ。
「でも、青木も同じことで悩んでいたなんて知らなかった。子供の1人や2人、本当に作っておけばよかったかな」
いたらいたで悩みの種になると思いますけど。
そういうことではないのだ、と岡部は唐突に気付く。
人生を共に歩む相手に互いを選んだこと、後悔する気はないけれど、心に棘のように刺さって抜けない負い目がある。自分は親から命をもらってこの世に生まれてきたのに、自分の子供を遺せない。次の世代に命を繋げていけない、人として責任を果たせない、そんな罪悪感。
――でもね、薪さん。
おれは思うんですよ。
「子供なら、たくさんいるじゃないですか」
岡部の言葉に、薪は不思議そうに眼を瞬く。どういう意味だ、と亜麻色の瞳に促され、岡部は少し照れながら言った。
「第九の連中は、みんなあなたの子供ですよ」
血こそ繋がっていないけれど。
あなたに見いだされ、あなたの背中を見て育ち、あなたの考え方と精神を受け継いだ。おれたちはみんな、あなたの子供です。
キョトンと目を丸くした薪は、次の瞬間、何故か猛烈に焦り始めた。
「アユミちゃん一人じゃなかったのか……そんなに大勢の女性と、僕はなんてふしだらな男なんだー!」
「そういう意味じゃなくてですね、だいたい山本とおれはあんたより年上、てか他の連中も生物学的に不可能ですから!」
「今井なんかあなたが1歳の時の子供ですよ?」と岡部が全員の生まれ年を諳んじれば薪はくすくすと笑って、「室長らしくなってきたな」と岡部の努力を褒めてくれた。緊急時に備えて職員の生年月日と血液型は暗記しておけと薪に言われたことを、岡部は実直に履行していた。
からかわれたと分かって、岡部はむっつりと酒を飲む。照れ臭いのを我慢して言ったのに、そういう返しってどうなの。ああやっぱり言わなきゃよかったといささか乱暴にコップに冷酒を注ぐ、岡部の手元に華奢な手がぐい飲みを差し出す。
丁寧に満たされた冷酒がくいと持ち上げられ、置かれたままの岡部のコップの縁にコツンと触れ合わされた。
「乾杯ですか」
なにに? と問うた岡部に、薪はふわりと笑いかけた。
「子供たちに」
岡部の武骨な手がコップを持ち上げる。飾り気のない円ガラスの縁と、美濃部焼のぐい飲みがもう一度触れ合わされた。
―了―
(2016.7)
コンスタンスに公開できなくて、すみませんでした。
間延び更新にお付き合いくださって、ありがとうございました。
You my Daddy(22)
「今度という今度は自分が嫌になった」
頭の上に黒い雲を載せて、薪は猪口の酒に深い溜息を落とした。今夜は長くなるな、と岡部は敏く先を読み、座卓の下でそっと母親にメールを打つ。先に寝ててください、とそれはいつもの決まり文句だが、これまで一度も履行されたことがない。
新鮮な魚と日本酒が看板の小料理屋で薪と二人酒。今日は青木は甥の初節句だそうで、姉の家に泊まるらしい。
「なにをそんなに落ち込んでるんです? 今回も上手く治まったじゃないですか」
途中すったもんだはあったが、それはもはや定例行事。終わりよければすべて善しと、岡部はそんな格言を引っ張り出して薪の気を引き立てようとする。いつもと立場が逆だ。
いつもは薪が暴走して、自滅コースに突っ込んでいくから岡部が怒らなくてはならなくなる。したくもない説教を、それも明らかに聞き流す態度の相手にくどくどと繰り返すことの虚しさと言ったら。飼い猫相手に愚痴を零す方がなんぼかマシだ。尤も、岡部の家の飼い猫はちょっと特殊で人間の言葉を解するのだが、それはまた別の話だ。
今回は、DV被害から母子を救い、偽りの精神鑑定で無罪になるところだった犯人に正当な罰を受けさせた。薪もそんなに危ないことはしなかったし、精神的に追い込まれたり傷ついたりすることもなかったと思う。青木が少ししょげていたくらいで、今までの事件に比べたら平和なものだ。
しかし薪は岡部が見たこともないほど暗い顔つきで、好物の刺身にも、あろうことか猪口を持つ手まで止まってしまっている。これは聞き出すのに骨が折れると判断し、岡部は人間の口を軽くする最も手っ取り早い方法を用いることにした。すなわち。
「今日はミハルちゃんの快気祝いと行きましょう。ささ、薪さん、飲んで飲んで」
「うん……」
「この酒、美味いでしょう? 新潟の蔵元直送の限定品でね、店主に取り置き頼んでおいたんですよ」
勧められるままに盃を重ね、猪口がぐい飲みになり、それもまどろっこしくなった岡部がコップに切り替えた頃、薪がようやく口を開いた。
「青木が言ったんだ。僕の子供を遺せないことを申し訳なく思ってたって。だからヒロミたちには感謝してるって、そう言ってた」
さすがは青木。お人好しが底なし沼だ。
彼女たちのせいで家を追い出されて、薪との関係が変わってしまうかもしれないと食欲が失せるほど悩んでいたくせに。
「薪さんの言う通りでしたね。あいつを見損なってたのはおれの方でした」
さすがですね、と薪の洞察を褒めると「まあな」と薪は一瞬だけ普段の高慢な表情を取り戻し、でもすぐに弱気な表情になって、
「2、3年前のことだけど。青木に来た見合い話、僕が潰したことがあるんだ」
「えっ。青木の見合いの会場に乗り込んだんですか?」
岡部が驚いて聞き返すと、薪は岡部よりも驚いた顔をしていた。
「おっそろしいこと考えるな、おまえ」
潰したと言われれば普通はそう考えると思うが。
「雪子さんじゃあるまいし」
雪子の武勇伝を聞いてみたくもあったが、今は薪の話だ。
「具体的に、何をしたんです?」
「青木にって預かった見合い写真を本人に見せずに返した」
それは当たり前だろう。2年前にはまだ二人は一緒に暮らしてこそいなかったが、その関係はすっかり出来上がっていたのだから。
「そんな話を薪さんからしたら、青木が傷つくじゃないですか。見せなくて正解ですよ」
「分かってる。でも見せるべきだった。例え結果が分かりきっていても、青木の人生は青木のものだ。彼から選択肢を奪う権利は僕にはない」
薪らしい考え方だと思った。冷静で理論的で、平等で潔い。しかし彼はそれを為せなかったわけで。
「すごく落ち込んで、もう二度とこんなことはしないと誓った。なのに、気が付いたらまた同じ間違いを」
尻すぼみに語尾を弱めた薪は、ずるずると前のめりに体勢を崩し、
「僕ってダメだー」
座卓に突っ伏して拗ねる様子に、思わず吹き出してしまった。自分の腕の陰から薪の眼が、恨みがましそうに岡部を見上げる。
軽くいなして、岡部は尋ねた。
「青木は怒りましたか?」
薪の瞳からマイナスの感情が消える。代わりに浮かんだのは熱っぽさを秘めた恥じらいの色。何があったか大凡の予想は付いたが、岡部は重ねて訊いた。
「話したんでしょう。あいつはなんて言いましたか」
長い睫毛を伏せ、ついでに顔面も腕の中に伏せて、薪は小さな声で言った。
「僕がヤキモチを妬いてくれて嬉しいって。むっちゃテンション上がってた」
だと思った。予想通り過ぎて相槌を打つ気にもならない。
「本当に薪さんは、青木のテンション上げさせたら世界一ですね。いっそギネスに挑戦しますか」
「そんなギネスタイトル、全然嬉しくない。青木のやつ、僕があれほどダメだって言ったのにその場で、……なんでもない」
安心してください。道場でシメときますから。
「分かったでしょう? あいつの幸せの鍵は、あなたが握ってるんですよ」
照れ隠しか或いは青木の狼藉を思い出して本当に怒っているのか、初鰹を頬張りつつ尖らせたくちびるをそのままに、薪はぼそりと呟いた。
「うん。知ってる」
平気な顔で嘯く風情を、亜麻色の瞳の柔らかさが裏切る。とろけそうに甘い瞳をしている。「薪さんはときどき砂糖菓子みたいなんです」と得意のポエムを語りだした青木を岡部は大外刈りで転がしたばかり、でもあれはこういうことだったかと納得した。確かに、食べた記憶もない砂糖が口から出てきそうだ。
「子供のことは僕も随分考えたんだ。青木はともかく、親が泣くだろうなって。幸いあちらのお母さんができた人で、僕のことを息子だと認めてくれてるけど」
さすが青木の親だ。常識に捕らわれないフリーダムな精神は、母親からの遺伝というわけだ。
「でも、青木も同じことで悩んでいたなんて知らなかった。子供の1人や2人、本当に作っておけばよかったかな」
いたらいたで悩みの種になると思いますけど。
そういうことではないのだ、と岡部は唐突に気付く。
人生を共に歩む相手に互いを選んだこと、後悔する気はないけれど、心に棘のように刺さって抜けない負い目がある。自分は親から命をもらってこの世に生まれてきたのに、自分の子供を遺せない。次の世代に命を繋げていけない、人として責任を果たせない、そんな罪悪感。
――でもね、薪さん。
おれは思うんですよ。
「子供なら、たくさんいるじゃないですか」
岡部の言葉に、薪は不思議そうに眼を瞬く。どういう意味だ、と亜麻色の瞳に促され、岡部は少し照れながら言った。
「第九の連中は、みんなあなたの子供ですよ」
血こそ繋がっていないけれど。
あなたに見いだされ、あなたの背中を見て育ち、あなたの考え方と精神を受け継いだ。おれたちはみんな、あなたの子供です。
キョトンと目を丸くした薪は、次の瞬間、何故か猛烈に焦り始めた。
「アユミちゃん一人じゃなかったのか……そんなに大勢の女性と、僕はなんてふしだらな男なんだー!」
「そういう意味じゃなくてですね、だいたい山本とおれはあんたより年上、てか他の連中も生物学的に不可能ですから!」
「今井なんかあなたが1歳の時の子供ですよ?」と岡部が全員の生まれ年を諳んじれば薪はくすくすと笑って、「室長らしくなってきたな」と岡部の努力を褒めてくれた。緊急時に備えて職員の生年月日と血液型は暗記しておけと薪に言われたことを、岡部は実直に履行していた。
からかわれたと分かって、岡部はむっつりと酒を飲む。照れ臭いのを我慢して言ったのに、そういう返しってどうなの。ああやっぱり言わなきゃよかったといささか乱暴にコップに冷酒を注ぐ、岡部の手元に華奢な手がぐい飲みを差し出す。
丁寧に満たされた冷酒がくいと持ち上げられ、置かれたままの岡部のコップの縁にコツンと触れ合わされた。
「乾杯ですか」
なにに? と問うた岡部に、薪はふわりと笑いかけた。
「子供たちに」
岡部の武骨な手がコップを持ち上げる。飾り気のない円ガラスの縁と、美濃部焼のぐい飲みがもう一度触れ合わされた。
―了―
(2016.7)
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