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女神(3)

女神(3)







「よっ、新人くん」
 馴れ馴れしい呼びかけに、青木は思わず眉をひそめた。
 法一の女傑、三好雪子の研究室である。別に雪子に会いに来たわけではない。解剖所見を取りに来たのだ。
 部署違いの女医に新人呼ばわりされる筋合いはない。まあ、社会人としても自分は確かに新人なのだが。

 青木は、この女が嫌いだった。
 同じ研究室ならともかく、部外者のくせに頻繁に第九に来ては室長と親しげに話をする。室長も室長で、この女のことだけは特別扱いだ。それはつまり……その先は、考えたくない。

 先日の、夜桜の一件から青木の心中は複雑だった。
 あれからついつい、薪の姿を目で追ってしまう。その一挙一動が気になって仕方ない。
 薪に認めて欲しくて、夢中で仕事をこなす。機器操作の練習もMRI技術の解説書を読むことも苦にならない。難しい専門書も、薪に教えを乞うことができる貴重なアイテムだからだ。その情熱の釣り合いを取るように、薪が出張などで不在のときは心の中が空っぽになってしまう。

 自分でもヘンだと思う。
 たしかに、薪に憧れて第九に来た。だからもちろん敬愛している。
 でもこれは……。

 この気持ちは、それとはまた別のもののような気がしてならない。
 薪と親しげに話す女医に、苛立ちを覚えるのは何故だろう。自分は室長のことを独占したいと思っているのか? 好きな女の子と仲のいい男に嫉妬するように? いや、でも室長は男のひとだし。

 ただでさえ自分の不安定な気持ちに振り回されている青木の心を、ますます不安にさせる女医の態度に、青木は憤りを感じている。
「何かご用ですか」
「室長の食べかけのサンドイッチの味はどうだった?」
―――― こういうところが、大嫌いだ。
「べつに、普通でしたよ」
「ふう~ん」
 含みのある言い方だ。やたらと勘に障る。
「何が言いたいんです?」
 挑戦的に言い放った青木の言葉に、勇ましい女医は、更に強い言葉で切り返してきた。

「あなた、薪くんのことが好きなんでしょう」

「なっ!何をバカな……!」
 根が正直な青木は、心の中がそのまま顔に出てしまう。頬が火照っているのが自分でも解る。これでは認めているのと同じことだ。
 それでも否定しておかないと、ここはまずい。室長に迷惑が掛かる。何より、この女から室長にその話をされるのは願い下げだ。まだ自分でもよく解らない感情なのに。

「そりゃ好きですよ。てか、第九に室長を嫌ってるひとなんかいませんよ。好きじゃなきゃ、あのひとにはついていけないでしょう」
「なかなかうまい言い方だけど、その顔じゃバレバレよ」
 この無神経さが嫌なのだ。どうして薪はこんな女がいいんだろう。
 薪にはもっと、細やかな神経の女性が似合うと思う。容姿にしてもこんな大女じゃなくて、小柄な薪にも釣り合う女性がきっといるはずだ。そういう相手だったら、自分も納得したかもしれないのに。
……いや、多分ダメだ。どんな相手でも、たとえ相手が深窓の令嬢でも、きっと自分は相手の女性のアラを探すのだろう。

 これは、嫉妬だ。

「だったらどうだって言うんですか」
 自分は室長にとってただの部下だ。嫉妬する資格なんかないのに、この女性に当たってしまっている。なんて勝手な男だ。
「あなたが誤解してるみたいだから解いておこうと思って。あたし、薪くんの恋人じゃないから」
「えっ?」
 女医は、思いもかけないことを言い出した。
 てっきり、余計なちょっかいを出すなと言われると思っていたのだ。それが薪との関係を否定している。どういうつもりだろう?

「お二人のことは、見てれば解りますよ。べつに今更隠さなくたって。オレ、邪魔するつもりはありませんから、安心してください」
「だから違うって。ありえないから、薪くんだけは。……誰からも聞いてないの?」
 いつもはポンポン言葉が出てくる彼女にしては、めずらしく言い淀んでいる。なにやら言い難いことらしい。
「何をですか?」
「みんな口が堅いのは認めるけど、今回は裏目に出たみたいね」
 独り言のように呟いて、真っ直ぐに青木の目を見る。これは真剣な話のようだ。
「あなた、去年の夏に起きた事件のことは知ってるわよね? あのとき薪くんに射殺されたのは、あたしの」
 そこまで言われてようやく気がついた。
 事件には関係ないと判断して流してしまった画の中に、彼女がいたような気がする。
 彼女は鈴木の――――。

「いくらあたしが非常識だからって、婚約者を殺した人の恋人にはなれないわ」
 法一の女薪は、きっぱりと断言してあっけらかんと笑った。




*****




 夜の第九に、薪はひとりで残務整理をしている。
 薪の就労時間は極端に長い。いつも朝の8時前には職場に入って、帰りは夜の8時過ぎ。12時間労働が日常になっている。
 が、家に帰れるのは余裕がある証拠だ。忙しいときには第九に泊り込みで捜査をする。それも一日二日の話ではない。今までの最長記録は、たしか3週間だった。
 研究所にはシャワー室も仮眠室もコインランドリーもあるから生活できないことはないのだが、仮眠室のベッドでは熟睡できないし、シャワー室には湯船がない。やはり家に帰って休まないと疲れをとることはできない。

 仕事が一段落ついて、そろそろ戸締りをしようと開け放していた窓に近付いた薪の目に、雪子の姿が映った。庭のベンチに腰掛けて、隣には青木がいる。珍しい組み合わせだ。

 雪子と一緒だからだろうか、その姿に鈴木が重なる。
 昔、こうしてよくあのベンチに腰掛けて楽しげに話している2人の様子を、ここから見ていた。見る事しかできなかった。
 あのときの切なさは、忘れられない。
 もう何年も前のことなのに、その記憶は薪の身体の奥に刻み込まれていて、一向に色褪せない。今でも思い出すとちゃんと泣けてくるから、自分でも驚きだ。

 自分はいつまで鈴木のことを忘れられないのだろう―――― そう思っていたところに、あの事件が起きた。
 そして薪は、鈴木への想いを忘れる努力を放棄した。

 僕が彼のすべてを奪った。彼の人生は、僕が終わらせた。
 だから。
 僕の人生もそこで潰えた。僕の残りの人生は、彼のものになった。
 彼の愛した第九を守って彼の愛した女性を見守って、一心にその身を聖職に捧げようとした彼の遺志を継いで、僕は生きることを決めた。彼が僕を迎えに来るまで、僕は自分のすべてをこの仕事に捧げる。

 薪の決心は固い。もともと頑固なのだ。
 言い出したらきかないし、思い込んだら止まらない。それは捜査官にとっては粘り強いという長所になるかもしれないが、人格としては少々困りものである。

 こうして見るとあの2人、なかなかお似合いだな、と薪は思う。
 雪子は女にしては175cmと背が高いが、青木は190cm近い長身なので身体の釣り合いも取れている。ただ年が若すぎる。雪子は薪と同い年だから、一回りも年下だ。雪子を任せられる男性を探していた薪だが、青木ではまったくもって頼りない。
 しかし、将来性はある。キャリア組の青木は望めば出世できる立場にいる。今年中に昇格試験を受けさせて警部にして、4年後には警視だ。それから警視正になるには多少かかるだろうが、それでも頭は悪くないから40前には昇進できるはずだ。

 何より、青木は鈴木によく似ている。
 雪子の心に入っていくには、それはどんな甘いマスクよりも強い武器になるはずだ。

 明るく振舞っているが、雪子は鈴木のことを忘れたわけでも乗り越えたわけでもない。彼女が法一の女薪などと呼ばれるようになったのは、解剖台の上で眠るほど仕事に没頭し始めたのは、鈴木を失ってからのことだ。つらい記憶を忙しさで紛らわせ、心に開いた大きな穴を仕事で埋めようとして、自分を追い込んでいるだけだ。
 それが薪には痛いほどわかる。自分も同じだからだ。
 周りの人間は、自分と雪子をよく似ていると評するが、もともとはまったく通じるところなどない。
 ただ、ふたりの間には鈴木がいた。
 鈴木というひとりの男を愛した者同士、それを失って絶望に打ちのめされた者同士、同じような方法で残りの人生を歩もうとしているに過ぎない。

 決定的な違いは、薪は加害者で雪子は被害者だ、ということだ。
 薪が死んだ鈴木にこの世で償うことは、もうできない。償えるのは、いま生きている雪子や鈴木の遺族に対してだ。
 鈴木の家には大学の頃から出入りしていて、薪と鈴木の両親とは15年近い付き合いだったが、それでも葬儀への出席は許してもらえなかった。香典も献花も返された。マスコミも来ているし、ご親族の手前もあるから、と雪子が薪に言いづらそうに事情を説明してくれた。
 遠くから、火葬の煙が上がるのをずっと見ていた。
 葬儀場から遠く離れた人目につかない道端で、電信柱の陰に隠れて、うずくまって泣いた。

 去年の夏―――― あと3ヶ月で1年だ。今年は墓参りを許してもらえるだろうか。

 自分のしたことを、許してもらおうとは思わない。薪の望みは、雪子にも鈴木の両親にも平穏で幸福な生活を送ってもらうことだ。
 自分だってもし、他の誰かが鈴木を殺していたら、一生その人物を怨むだろう。
 怨みが消えることなどない。鈴木はもう、絶対に帰ってこないのだから。死ぬまでこの憎しみが薄れることはない。
 雪子のように、加害者の自分と友人関係を続けることなど思いもよらない。自分にはそれは無理だ。

 彼女には敵わない、と思う。

 鈴木が死んでから、雪子の凄さがわかった。鈴木が雪子を選んだのは、性別の問題だけではない。雪子の方が人間として自分よりも勝っていたからだ。
 強さも、やさしさも、鈴木への愛も―――― きっと自分より上だった。
 自分の鈴木への気持ちは誰にも負けないと思っていたけれど、あれは愛とは呼べない代物だった。執着心と、独占欲。嫉妬と我儘。あの頃の自分は、本当に醜かった。

 雪子は違った。
 雪子の愛は、もっと大きかった。鈴木が雪子と付き合い始めてからも、鈴木が僕のところに来るのを許していた。僕が鈴木を見つめることを咎めなかった。気付かなかったはずはないのに、僕たちの関係について問い質すことをしなかった。
 引き換え、僕がしたことといえば、鈴木に縋り付いて縛り付けて、結局かれを困らせただけだ。あんなのは愛じゃない。だから、鈴木との関係は長くは続かなかった。

 今なら、もっとうまくやれる自信がある。でも、鈴木はもういない。
 僕が、殺したから。
 鈴木の人生も、雪子の人生も、僕がめちゃめちゃに壊したから。

 だから雪子には幸せになって欲しい。自分の贖罪のためにも、雪子には良いパートナーを見つけて欲しい。そうしたら、この胸を切り裂きたくなるような自分への嫌悪感も少しは薄れるかもしれない。

「う~ん。青木か……候補リストに加えておくか」
 まずは再来月の昇格試験だな、と頭の中の室長メモに書き込んで、薪は窓を閉めた。




*****

 補足説明させていただきます。
 薪さんがこの中で昇格試験について触れていますが、実際には存在しない試験です。
 キャリアは自動昇任ですから。でもそうなると、原作の岡部さんの階級が……??
 ということで、その帳尻を合わせるために作者が勝手に作った制度ですので、ご了承ください。


テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

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プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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