キセキ(2)

キセキ(2)





「あれ? 薪さんが二人?」
 薪と同じ顔をしたその人物は、薪が昨夜着ていたシャツの上に薪のエプロンをして、薪のズボンを穿き薪のスリッパで歩いていた。薪と同じアルトの声で、薪そっくりの居丈高な口調で、
「おまえ、どこに眼を付けてるんだ。どう見てもそれはネコだろ」
 と、薪を指差したからたまらない。根性で抑えたはずの薪のパニックはぶり返すだけでは収まらず、K点を超えて今や地球の引力を振り切りそうな勢いだ。

 息を飲み過ぎたせいで過呼吸寸前の薪に、青木は無慈悲にも背を向けて立ち上がり、薪の顔をした男の方へと歩いて行った。薪も後を追う。下着を付けていないから下半身がスースーして気持ち悪かったが、今は仕方ない。
 クローゼットからリビングに移動しながら、薪にそっくりの男と青木は話し始めた。
「オレの眼には、人間の身体に尻尾と耳が生えてるようにしか見えませんけど。てか、こちらは薪さんの御親戚か何かですか?」
「僕の親戚は現在東京都内にはいない」
 その通り、関東在住の薪の親戚は母方の叔母夫婦だけだが、彼らは現在アメリカにいる。そのことを彼は何故知っているのか、いやいや、ハッタリが偶然当たっただけだ。

「それ以前の問題として、僕の親戚にネコはいない」
「この子、猫と言うよりは狐に近い気がしますけど」
「なるほど、キツネか。妖術で人間に化けたわけだな」
 彼らの間で自分が人間として扱われていないことが、薪のプライドをいたく刺激する。が、鏡を覗けばすべからく無理もない。薪自身、このフォルムを人間のカテゴリに入れてよいものか、大いに悩むところだ。

「つまり、狐狸妖怪の類と言うわけか。妖怪のことならアリスちゃんの出番だな」
 男の口から「アリス」という聞き覚えのある女の子の名前が出て、薪は仰天した。あのことは、誰にも喋っていない。意識的に秘密にしたわけではなく、言っても信じてもらえないだろうという理由から誰にも話さなかったに過ぎないが、それでも彼女のことは青木と自分しか知らないはずだ。

 驚愕する薪を他所に、彼はズボンのポケットから薪の携帯電話を取り出した。慣れた手つきでタッチパネルを操作し、電話を掛ける。
 人のものを勝手に、と激昂した薪は彼に掴みかかったが、優秀なボディガードに取り押さえられた。薪の胴体を片手で拘束し、青木は会話に戻る。
「いつの間に彼女の携帯の番号を? あ、いたっ」
 爪を立てないで、と懇願されて、薪は自分に起きた次の変化に気付く。さっきまでは人間のものだったはずの手が、動物のそれに変化している。尖った固い爪と、掌には4つの肉球。
 やはり、この症状は進むのだ。驚愕と恐怖に震える薪の耳に、冷酷なアルトの声が響いた。

「そんなの知るわけないだろ。この世界のアリスちゃんと言えば、保健所に決まってる」
 どきん、と薪の心臓が跳ね上がった。野良犬扱いされて大人しくしている薪ではないが、今のこの姿では。
「ちょっと待ってください。保健所に渡したら、処分されちゃいますよ」
「仕方ないだろ。僕たちの勤務状態では動物を飼うことは不可能だし、飼い主を探すって言ってもこんな妖怪みたいな生き物。引き取り手があるとは思えない」
「でも、殺すのは可哀想です。今日は休みだし、車で郊外の森に連れて行ってあげましょうよ」
「自然に返す、ということか。……でも、そいつは納得しないみたいだぞ?」
 薪は必死で青木の腕に縋りつき、いやいやと首を振った。保健所でも森の中でも、結果は同じだ。薬で殺されるか凍え死ぬかの違いで、どちらにせよ生きてはいられない。
 板ばさみになって青木は、しかし彼が従う相手は決まっていた。恋人であり上司であり、命を懸けて守るべき相手の言葉に、彼が逆らえるわけがなかった。

「お願いです、薪さん。少しだけ猶予をください。オレが言い聞かせますから」
 青木が頼むと、彼は薪がいつもするように、大きな亜麻色の瞳でじっと恋人の眼を見た。それから華奢な肩を竦めて、
「おまえも僕も2ヶ月ぶりの休みなんだからな。間違っても明日の仕事に差し支えるような真似はするなよ」
 恋人の優しさに感動しつつも、その気持ちを億尾にも出さない。それはいかにも薪らしい、と言うよりは薪にしかあり得ないセリフ回しだった。薪が彼の立場だったら一字一句違わぬことを言ったに違いない、と本人が思うほどに。彼は完璧な『薪剛』だった。

「大丈夫だよ。あんなこと言ってるけど、薪さんは本当は優しい人だから。きみに危害を加える気なんてないんだよ」
 いや、それはどうだろう。動物には甘いけど、人間と妖怪には厳しいぞ?
 恋人の許可を得て、薪に笑顔を向けてくれた青木に、薪は心の中で言い返す。リビングの床に腰を下ろして青木は、子猫を抱くように薪を膝の上に載せた。
「いいかい。きみは大自然の中で生まれたんだ。だから、自然の中でのびのび暮らすのがきみの幸せなんだよ」
『僕が生まれたのは青山のN病院だ。人類の祖と言う観点で語るならおまえの言うことも間違いではないが、幸福の概念は人それぞれ。おまえに決め付けられる謂われはない』
「はい薪さん、すみません、て違う違う……きみの気持ちも分からなくはないよ。確かにきみはちょっと変わってるみたいだから。でもね、ここに居たら人々の好奇の目に晒されて、下手したら実験動物にされちゃうかも」
『そんな事態を防ぐ為におまえがいるんだろうが。何のためのボディガードだ、自分の責務を果たせ』
「すみません薪さん、申し訳ありません。っ、じゃなくて!」

 いかんいかん、と首を振り、青木は苦い顔をした。薪の顔を視界から外すようにふいっと横を向き、ぶつぶつと口の中で呟く。
「あー、どうもやりにくいな。薪さんの顔見ると自動的に奴隷モードに入っちゃって。責められるような顔されると、反射的に謝罪体勢に」
『本当のご主人さまが見抜けなくて何が奴隷だ。顔洗って出直せ』
「きみ、本来の姿に戻ってくれない?」
『戻れるもんならとっくにやってる!』
「それが無理なら、せめて他の人間に化けるとか。頼むから、薪さんの姿に化けるのはやめてくれないか」
『だから、あっちが僕に化けてるんだってば!!』
 薪は必死に訴えたが、聞こえてくるのは「ニャーニャー」という猫そっくりの鳴き声だ。声帯も変化してしまったらしい。当然、青木の耳にも同じように聞こえているだろう。

 このままでは埒が明かない。音声がダメなら筆談だ、と思いつき、薪は自分の仕事机に突進した。引き出しを開け、ペンを探す。メモ用紙に字を書こうとして、
 ……この手ではペンが持てない……。
 しかし薪は諦めなかった。字が書けなくても、人間には文明の利器がある。パソコンの電源を入れ、ワード画面を出して、
 ああっ、肉球が邪魔でキーボードが打てないっ!!
「みぎゃーっ!!」
 ヒステリーを起こした薪が上げた不満の叫びは、ネコの雄叫びそのものだった。

「だめだめ、そこは薪さんが仕事に使うところだから。悪戯したら怒られるぞ」
 それこそネコの子を摘み上げるように、青木は薪の身体をひょいと持ち上げ、デスクから遠ざけた。未だ変化の訪れない二本の足が、バタバタと空を泳ぐ。
 音声もダメ、筆談もダメ、出てくるのは猫の鳴き声だけ。この状態で自分が本物であることを証明するのは限りなく不可能に近い。
 薪がガックリと肩を落とすと、楽しげに笑う声が聞こえた。声の方向を見やれば、可笑しくてたまらないとばかりに身体を二つに折って笑い転げる自分の姿。
 なんて性格の悪い、さすが僕だ、ってなんで自分に笑われなきゃいけないんだ!

「薪さん、すみません」
「いや、動物相手に怒っても仕方ない。でも、これで飼えないことはハッキリしただろ。早く捨てて来い」
 さらりと最終通告を放って、薪の偽者は踵を返した。オムレツが冷めるぞ、と、聞けば青木は薪を放り出し、尻尾を振って彼に着いて行く。意地汚いやつめ、エサに釣られやがって。でもお腹は空いた。キッチンから漂ってくる美味しそうな匂いは、青木じゃなくても引き寄せられる。

「青木」と偽者はキッチンの入り口で立ち止まり、薪の恋人の名前を呼んだ。はい、と彼を見る青木に、先刻までの冷たい態度を一変させて甘く微笑む。
「二ヶ月ぶりの休日だ。帰ったら、二人きりでゆっくりしよう」
 こ、こいつ、いつの間に青木の扱い方を……!
「夜も。楽しみにしてるから」
「はいっ!!!」
 しかも僕より上手い?!

 ほくほく顔で朝食を頬張る青木の眼には、もう彼しか映っていなかった。それは薪がどんなに青木に愛されているかの証明ではあったけれど、この状況に於いては慰めにもならない。元に戻れる保証が無いのだ。




*****

「アリスちゃん」というのは、2066.2『秘密の森のアリス』に出てくる女の子の名前です。
 興味のある方はカテゴリからどうぞ。(^^

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2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
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