ランクS(5)

 おかげさまで、4歳になりました。(*^^*)




ランクS(5)






「海岸通りを抜けて、みなとみらいに出ろ」
 助手席でシートベルトを掛けながら、薪は唐突に言った。ナビに目的地を設定していた青木の手が止まる。
「高速乗った方が早いですよ」
「いいから。言われた通りにしろ」
 薪はぷいと横を向き、青木に形の良い後頭を見せて、こういうときは黙って命令に従うが得策だ。訊いても説明なんかしてもらえないし、うるさい、と怒鳴られるのがオチだ。

 みなとみらいへ向けて車を走らせていくと、フロントガラスの向こうに薪の目的が見えてきた。薪が仕事中にも関わらず助手席に座った理由は多分これだ。
 10月も半ばを過ぎた午後7時、辺りはとっぷりと暮れて、横浜名物のコスモクロックが七色に光っている。周辺の夜景も実に美しく、ちょっと気を抜くとナビの案内を聞き落としてしまいそうだ。
 薪は基本的に自然のものが好きだけど、人工物の美しさを否定するような頑固な自然礼賛者ではない。紛い物だらけのアミューズメントパークも楽しめるだけの許容を持っている。彼が細部まで拘るのは仕事だけだ。
 服の趣味も装飾品のブランドも、統一性はない。ヘアスタイルに至っては警視庁地下の散髪屋を贔屓にしているくらいだ。実情を知らない女子職員たちの間では、銀座の有名な美容室でカリスマ美容師の店長自ら特別に彼の髪を整えていることになっているらしい。知らぬが仏とはこのことだ。

「青木。腹減らないか」
 問いかけられて、青木は驚いた。推理に夢中になっているとき、薪は基本的に食事を摂らないからだ。神奈川くんだりまで足を運ぶ熱の入れようだから、てっきり推理モードに入っていると思っていた。珍しいこともあるものだ。
「了解です。コンビニでいいですか?」
 横目で隣を確認すると、薪は真っ直ぐ前を見たまま、その白い頬を夜景の青色照明で染め上げて、
「あのホテルでなんか食って行こう」と前を指差した。目前に見えているのは、半月型の造形が有名な横浜のシティホテルだ。
「わざわざホテルのレストラン使うんですか?」
 咄嗟にアクセルを踏み込みかけた己の右足を止めた、青木の抑制力に感謝して欲しい。それくらい驚いたのだ。
「たまにはいいだろ」
「……チェーン、積んでませんけど」
「あん?」
「雪が降るかも」
 青木の軽口にギロッと吊り上る亜麻色の瞳の怖いこと。でも本当にコワイのは、それを可愛いと思える青木の神経だ。
「うれしいです。薪さんとホテルで食事なんて」
 ふん、と鼻を鳴らして薪はそっぽを向く。食えりゃ何でもいいくせに、などと憎まれ口を叩く。それでも青木は嬉しくてたまらない、これから薪と一緒に楽しい時間を過ごせること。

 軽快に車を走らせて、ホテルの駐車場に滑り込ませる。自動ドアを潜ると、優雅で落ち着いた空間が広がっていた。ロビーは程よいざわめきに満たされて、平日のアフターに思わぬラッキーを拾って舞い上がり気味の青木に警戒心を取り戻させる。他県まで来ているから知り合いに会うことはないだろうけれど、あからさまにニヤついていたら不審がられるかもしれない。

 ここでも薪は青木の先に立ち、迷いなくエレベーターに乗った。細い指先が上から二番目のボタンに軽く触れ、箱は上昇を始める。
「え。上のレストランに行くんですか?」
 てっきり、地下のカフェレストランだと思っていた。高い場所にある店は値段も高いし、夜はディナーコースしか選択肢がない。コース料理となれば2時間近く掛かる。
「今夜は月がきれいだから。月の見えるところがいい」
「月、ですか」
 此処に来る途中、空にあったはずの月を青木は思い出せない。運転席からは角度的に見えなかったのか、夜景に気を取られて見ていなかったか。屋外の駐車場に車を停めたのだから目に入ったはずだと人は思うかも知れないがそんなもの、薪が隣にいたら見られるわけがない。彼と一緒に居ながら彼以外のものを見ることは、単細胞の青木にはとても難しいのだ。

 レストランに着くと、薪は受付係に自分の名前を告げ、すると窓際の席に案内された。「いつの間に予約を?」と訊くと、「さっき携帯メールで」と短い答えが返ってきた。青木は運転中もチラチラと薪を見てしまうのだが、メールを打っていることには気付かなかった。夜で車内が薄暗かったせいかもしれない。

 席に着いてオーダーを済ませ、料理が来るのを待つ間、青木は薪が見たがっていた月をいち早く確認した。
 コスモクロックの遥か上空に、上弦の月がくっきりと浮かんでいた。正中よりもやや西より、角度もいくらか傾いている。
「半月ですね」
「ああ」
 応じる声に視線を戻せば、真っ白なテーブルクロスよりも白く美しい肌をして、磨き上げられた銀食器よりも煌く瞳を上空に向けた薪の横顔が見えた。上向いた顎と首のラインが、とてもきれいだった。
 窓際に座って上を向いているのは自分たちだけで、他の客たちがみんな下を見ているのが何だか可笑しかった。いや、おかしいのは自分たちか。月は地表からでも見えるけれど、夜景は上空からしか見えないのだから。でも。
 こちらの方が薪らしい、と青木は思う。彼の、伏せた睫毛の美しさは例えようもないけれど、いつも高みを目指して挑み続ける、そんな彼には見上げる瞳が似合っている。

「青木。実は今日は話が」
「昔、子供の頃ですけど」
 薪の言葉を遮ったつもりはなかった。薪は視線を外に固定したまま小さな声で言ったので、青木には聞き取れなかったのだ。そのとき青木が、前菜の、トマトとカニをサンドイッチにして円柱型にした何とか言う料理にナイフを入れながら何を考えていたのかと言えば、小学生の頃、姉と交わした会話のことだ。
「半月は本当に月が欠けてるんじゃなくて、地球の陰で見えなくなってるだけだって姉に教えてもらって。あの時は驚いたなあ」
「……何でもそうだけど。初めて知ったときって、びっくりするよな」
 料理に合わせて選んだ白ワインのグラスを傾けながら、薪がクスッと笑いを洩らす。「昔からバカだったんだな」と言う答えを予想していた青木は少し戸惑った瞳で料理から薪に視線を移し、そして固まった。薪が、びっくりするくらいやさしく微笑んでいたから。

「僕も小学校の時、ユークリッド互除法の公式を知って驚いたよ。あれ、便利だよな。素因数分解も6桁以上になると結構面倒だから」
 どういう小学生ですか。
 我が身との格差に頭痛を起こしつつ、青木は応えを返した。
「オレがユークリッド幾何学を習ったのは、高校の時でしたけど」
「僕の時代は詰め込み学習で、おまえの時代はゆとり教育だったからな」
 詰め込みにも限度があると思います、と反論しようとして止めた。頭脳に限界を持たない人には通じない理屈だからだ。

「高校生の時には、もっとびっくりしたことがあった。クラスメイトに、女の子は花の中から生まれてくるんだって教えてもらって」
 優秀な学生であっただろう薪の友人に、それも高校生でそんな冗談を言う人間がいたことにびっくりだ。青木は失笑して、
「薪さん、それ、小学生の時の間違いじゃ」
「道理でいい匂いがするよなあ、女の子って」
 絶賛騙され中!?
 天才にありがちな失陥で、常識を知らないと言うか必要以外のことは覚えないと言うか、そんなわけで薪は時々ものすごくバカな男になる。
「頭いいのか悪いのか、どっちかに決めて欲しいんですけど」
「月のウサギと同じ。男のロマンだろ」
 月のウサギはメルヘンだと思うけど、女の子の匂いは何だかイヤラシイ。「どうせオレはいい匂いじゃありませんよ」と青木が拗ねたら、ニヤニヤと薪が意地悪そうに笑ったので、青木はやっと自分がからかわれていたことに気付いた。

「そう言えば、このホテルの形も半月型ですね」
「そうだな。ヨットの帆をイメージしたらしいけど、半月の方がロマンチックだな」
 確かに。半月の中から見上げる半月なんて、なかなかに洒落てる。
 薪は、使い終えたナイフとフォークを皿の右側によせて、再び右手の窓を見上げた。よっぽどここの眺めが気に入ったらしい。
「なんだか飲みたい気分だな。すみません、ワインリストを」

 ちょうどレンズ豆のスープを持ってきたウェイターに薪が声を掛けると、スープがいくらも冷めないうちにソムリエがやって来た。ホテルには珍しい、若い女性のソムリエだった。髪をきちんとまとめて、黒い制服を着ている。彼女がワインリストを差し出すと、薪はにっこり笑って、
「このあと予定があるので、あまり重くないものを選んでください」
 リストをロクに見もしないで、彼女にセレクションを丸投げする。薪は知ったかぶりをしない、と言うよりは覚える気がないのだ。
 利口な方法だと思う。ソムリエはワインの専門家、任せればちゃんと料理に合うものを選んでくれるし、値段も手頃なものを勧めてくれる。
 ソムリエールが用意してくれたティスティングワインは3種。薪は一番右側の白ワインを選んだ。

「ではそれをボトルで」
「大丈夫ですか? 薪さん、前にワインは身体に合わないから量は飲めないって」
 グラスか、せいぜいハーフボトルが適量だと思った。薪が自分で言ったように、この後は仕事が待っているのだ。
「飲めるだろ。二人で一本なら」
「オレは運転がありますから」
「……バカじゃないのか、おまえ」
 薪はテイスティングの残りを飲み干すと静かにグラスを置き、月に話しかけるように横を向いて呟いた。
「なんのためのホテルだよ」




テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Sさまへ

Sさま。

いつも丁寧に読んでいただいてありがとうございます。(^^
「コスモロック」見つけていただいてありがとうございました☆ 直しましたです。

ところで、ご、5巡目?
Sさん、こんなものをそんなに読んだら病気になっちゃうよー。(><)
ありがたく思いつつもSさんの健康が心配です……。

Aさまへ

Aさま。


>薪さんたら、初めから横浜デートが目的だったのね!

そうなんですよ。 ちゃんと気を使ってるのに、青木さんたらww。←楽しそう。

最初に考えたのはAさんのように、
「離れ離れになる二人、でも半月の見えない月のように互いの存在を感じる」的なロマンチックな話にしようとしたんですよ。 でも、この頃の二人にそれは未だ無理だなあと思って。 一緒に暮らし始めた今ならできそうですけど。


4周年のお祝い、ありがとうございます。
おかげさまで、本当におかげさまで、続けることができました。 Aさま始め、みなさんの励ましのおかげです。
元来、飽きっぽいのですよ、わたし。 好きなキャラも変わる方で、長くても2年くらいです。 薪さんは特別なんです。
他の追随を許さない薪さんの魅力はもちろんですが、こうして自分以外の薪さんファンの方と言葉を交わせることがブログの継続につながっているのだと思います。
これからもよろしくお願いします。(^^

プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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おかげさまで、しづは元気で仕事してます。(10/28)
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