ランクS(10)

ランクS(10)







 薪の渡仏が正式に通達されたのは、翌週末のことだった。
 金曜の朝のミーティングで副室長の岡部の口から予定が告げられると、すでに情報を得ていた部下たちは余裕の表情でそれを受け止め、室長の薪を不機嫌にさせた。なんでみんな知ってんだ、と薪が岡部に小声で噛み付く様子を見て、部下たちは心の中で苦笑した。室長のこんな姿も、しばらくは見られなくなるのだ。

「フォーラムにはもう1名、第九から参加することになっている。その者には室長と一緒にフランスに行って、準備委員会に参加してもらう」
 薪の同伴者に話が及ぶと、青木はにわかに緊張した。心臓がどきどきする。薪からは何も聞いていないが、期待してもいいはずだ。その期待は、書類から顔を上げた岡部と眼が合ったとき確信に変わった。
 が、次の瞬間、岡部は青木から眼を逸らし、
「宇野。おまえに頼む」
 はい、と頷いた宇野の落ち着き払った声音から、事前に本人の了承を得ていたのだと分かった。
 考えてみたら当然だ。決まりを付けなければいけない仕事もあるし、パスポートの用意もある。先週から宇野は残業続きで、1度も青木たちのアフターに付き合わなかった。そこから察するべきだったのだ。

 朝礼が終わった時、青木は立っているのがやっとだった。
 半年間、薪と会えなくなる。顔を見ることもできない、声を聞くこともできない。
 半年は長い、長過ぎる。今の青木の心理状態では、半年どころか6日も持ちそうになかった。

 小池と曽我が自分たちの席に戻りながら、「宇野かあ」「意外だな」と囁き合うのが聞こえた。尤もだ、と青木は思った。語学の得意な小池や今井が選ばれるならともかく、宇野はフランス語に堪能な職員ではないからだ。
 システムプログラミングでは足元にも及ばないが、イベントの準備なら総務部の経験がある自分の方が絶対に役に立つはずだ。フランス語だって決して得意ではないが、全然喋れない宇野よりはマシだ。
 自分の方が薪の役に立てるのに、どうして。
 そう思ったら、矢も楯もたまらなかった。薪を追って室長室に入ろうとした岡部を強引に捕まえて、「岡部さん」と切羽詰まった声で彼の名を呼べば、岡部はそれだけで青木の気持ちを察して、無人のミーティングルームに青木を連れて行ってくれた。

「どうして宇野さんなんですか。フランス語、喋れないのに」
 単刀直入に聞いた。言葉を飾る余裕も、言い方を考慮する思いやりも持てなかった。
「薪さんが決めたことだ」
 直球の質問には、直球の答えが返ってきた。岡部は青木を憐れむような眼で見ていて、それは彼の優しい心根から来るものだと青木は重々承知して、でもその時はそれが無性に腹立たしかった。レベルの低い人間が高みにいる人間に見下ろされている気分、多分生まれて初めて味わうプライドが傷つく痛み。その壮絶さに、青木は我を忘れた。

「それはきっと薪さんの本心じゃありません。先週、薪さんはオレにこの話をしようとして、でもオレが余計なことを言ってあの人を怒らせてしまったから、それでつむじを曲げて」
「青木。おまえ、自分が何を言ってるか分かってるのか」
 岡部の声が尖って、彼の不快を青木に教えた。薪が仕事に私情を持ち込まない人間だと言うことは知っている。でも、それに拘るあまりフランス語ができる青木を候補から外すのはおかしい。小池や今井が選ばれたのなら納得も行くが、IT以外に取り得のない宇野では仕事の主旨に合わない。いっそ、青木への当てつけとしか思えないではないか。
「だって、半年ですよ? 半年も日本を離れるのに、薪さんがオレ以外の誰かを同伴者に選ぶなんて」
 パシッと青木の左頬で乾いた音がした。岡部の平手打ちは全然痛くなかった。痛みを与えるためではなく、黙らせるために叩いたのだと分かった。それ以上言ったら傷つくのは青木自身だと、彼は知っていたのだ。

「何があったか知らんが、今日のおまえは最低だ」
 三白眼を恐ろしく光らせ、岡部は低い声で言った。
「フォローしないあの人も悪いけど、今のおまえは酷すぎる。薪さんがおまえを同伴者に選んだら、俺が全力で潰してやるよ」
 やさしい岡部に、こんなことを言われたのは初めてだった。自分が岡部に甘えているのは自覚していた。本当は慰めてもらいたかったのだ。皆の前で正式に発表したのだから、この人事が覆ることはない。解っていて、だから吐き出さずにいられなかった。

「そんなにオレ、あの人に相応しくないですか?!」
 それを一番よく分かっているのは青木自身だ。薪の一番近くでいつも彼を見ている、その幸せと辛さを毎日味わっている。
「吊り合わないのは分かってます、でもオレだって必死で」
 頑張っても頑張っても届かない、人間には持って生まれた才覚と限界があって、それは努力だけではどうにもならない。器を満たすことはできてもそれ以上は溢れ落ちるだけで、際限なく器を広げて行けるのは薪のような選ばれた人間だけだ。それでも。

「あの人に相応しい人間になろうと、オレはずっと」
 無駄な努力を続けてきたのは彼の傍にいたかったから。認めて欲しかったから、褒めてもらいたかったから。
 人間的成長とか向上心とか、自分が善良で前向きな人間でいられるように飾り付けた薄っぺらな装飾を取り払ってみれば、現れるのは子供じみた欲求。認められたいと言う欲望は常に人の奥底にあって、それがなければ成長もないが目の当たりにするとその厭らしさに鼻白む。向き合うには覚悟がいる相手だ。

「何をしている。仕事中だぞ」
 その声は青木を硬直させた。どこから聞かれていたのかと思うと、振り返ることもできなかった。
「岡部。室長会の引継ぎのことだが」
 青木の黒い瞳には絶望と悲哀が浮かんでいたはずなのに、それは黙殺され、薪は青木に視線もくれず岡部に話しかけた。青木の胸がギリッと痛む。誰かに心臓を握られでもしたようだ。

 青木は黙って部屋を出た。
 薪の冷たい横顔が、目蓋の裏にずっと残っていた。




テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Sさまへ

Sさま。

Sさまが呻いてるww。

薪さんのお供は宇野さんで決定です。
もちろん青木さんへの当てつけとかじゃなくて、薪さんには薪さんの考えがあるんですよ~。
この話は2064年の秋頃の話なので、二人の呼吸も大分合ってきてます。 だから仲直りも割と簡単にできるし、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。(^^


Aさまへ

Aさま。


青木さん、ちょっと哀れですよね。
自分のことも薪さんのことも見失っちゃってる感じで。

でも青木さんのいい所は、柔軟で切り替えの早いところ。そうやって前に進んでいけるところ。
今回も彼はちゃんと成長します。薪さんに相応しい男になるために!←ここが肝心。


>宇野なら一番、捜査を離れても無難と思ったのかしら(宇野ゴメン)

これにはちゃんと理由があります。
薪さんは室長ですから。常に部下全員のことを平等に考えているのです。


メロディ、読みましたよ~。
秘密はこれで一旦幕引きみたいですね。
しかしキャッチに「秘密のエピソードは続く」とありましたので、また時々は描いていだだけるのでしょうか。
いずれにせよ、先生には感謝の気持ちでいっぱいです。(*^^*)


プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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