夢のあとさき(2)

夢のあとさき(2)






 日光東照宮の駐車場から入口までは緩やかな登り坂が続く。その両脇には見事な日光杉が列をなしている。
 歩きながら、青木は空を見上げた。抜けるような皐月の空を背景に新緑が萌えるようだった。昨日の夕方から雨が降り出したので心配していたのだが、今朝はきれいに晴れ上がってよかった。
 ゆっくりと坂道を登っていく、多くの観光客が正面の石鳥居より先に眼を奪われるのは、右手前にある巨大な石柱だ。時代劇でおなじみの金色の葵紋の下に、いささか品性を欠くのではと危惧される程でかでかと神社の名称が書いてある。

 もう少し慎ましくすればいいのに、とは青木の恋人の意見だ。彼は仰々しいことは嫌いで、形骸的なことはもっと嫌いだ。拝観料を取ることからも分かるように、神のおわす場所と言うよりは観光名所に分類されるのが相応しいその趣に、彼はいささか不満げであった。
 それでも彼は作法通り、左の鳥居柱の前で立ち止まって一礼した。彼の隣を他の観光客がぞろぞろと追い越して行く。参道の真ん中を歩く彼らに薪はチッと舌打ちし、「神社に来るなら作法の一つも勉強してきたらどうなんだ」と小声で吐き捨てた。「家康公に祟られるぞ」なんて憎まれ口まで叩いて、普段はここまでうるさ型のオヤジではないのだが、今日の彼はあまり機嫌がよくない。

 彼に顰め面を作らせる大きな原因は、このごった返した人混みだ。うじゃうじゃと言う表現がぴったりだ。それもそのはず、世は大型連休の真っ只中。此処に辿り着く間にも交通渋滞に巻き込まれて、高速道路ならぬ超低速道路をのろのろと走って来たのだ。
「これで金を取るのは詐欺じゃないのか」
 渋滞によるイライラをETCバーにぶつける助手席の声を聞こえない振りでやり過ごしたら、目的地の名物を当てこすられてか「サル」と罵られた。薪の眉間の皺に怯えながら、だけど青木はちょっと嬉しい。サイドブレーキが必要になる程の渋滞なら薪の顔を見て話ができる。ぷんぷん怒っていても、休日の薪はやっぱりかわいい。
 薪の今日の服装は定番のカジュアルな少年ルックではなく、キレイ系だ。白いボタンダウンシャツにシルバーのナノータイを合わせ、ズボンもライトグレイのスラックスで上品にまとめている。祈祷を受けるのだから神さまに失礼な服装ではいけないと、同伴者の青木にまでジャケットの着用命令が出た。この格好ではウォーキングは無理だと思い、霧降高原のニッコウキスゲは諦めた。

 生理前の女性のように取るに足らないことが勘に障って仕方ないらしい薪の様子が落ち着いたのは、石鳥居を潜って左手に五重塔を観て(これについても彼は「せっかくの歴史的建造物を現代の塗料で塗り直してしまうなんて」と文句を言っていた)、表門に入ってからだ。目前に現れた三神庫と名付けられた建造物は、五重塔と一緒に何回目かの補修工事を終えて美しく塗り直されたばかり。赤と金を主体にした派手な色合いが青空によく映えた。
「きれーい」と、青木の隣で立ち止まった中年男女の女の方が声を上げた。「華やかねえ」と彼女ははしゃいだ声を上げ、夫らしき男に「派手な墓地だねえ」と失笑された。
「え、墓地って?」
「知らないの? ここ、家康公のお墓」
「そうなの」
「あの葵の御紋はなんで付いてるんだと思う?」
「単なるデザインかと」
「どんだけ勇敢な建築デザイナーだよ。徳川家の紋章を勝手に使ったら打ち首だって」

 無知な女性もいたものだ、と青木の懸念はそんなことではない。この会話を耳にしたら、薪の機嫌は直滑降だ。慌てて隣を見ると、薪はきょとんとした顔で歩き去って行く二人を見ていた。怒りを通り越して虚脱したらしい。
 彼は茫然とその場に立っていたが、彼らが歩き去ってからくすりと笑い、
「うん。綺麗だな」と呟いて歩き出した。
 青木もそう思った。歴史とか時代背景とか、何も解らなくてもきれいだと思えた。ここが家康公の墓地であることさえ知らなくても、その美しさに感じ入ることは許される。それを咎める権利を自分は持たない。よって彼女の無知に憤ることは自分の仕事じゃない。薪はそう考えたのかもしれない。

 表門から順路に従って進むと、最初の人だかりはやはり有名な三猿の彫刻がある建物だ。この建物は神馬の馬小屋だとパンフレットに書かれていたことを思い出しながら、青木は素朴な疑問を薪に投げかけた。
「馬と猿って相性がいいんですか?」
「どうしてだかは僕も知らないけど。昔、猿は馬の病気を治すって思われてたらしい」
「へえ。でも『見ざる言わざる聞かざる』じゃあ、病気の馬がいても気が付かない振りをされちゃうんじゃ」
「ぷっ。どっちにせよ、子供の猿じゃ役に立たないかもしれないな」
「え?」
 青木が不思議そうな顔をすると、「なんだ、本当に知らないのか」と薪は軽く眉を顰め、「そうか。おまえ福岡だっけ」と青木の出身地を口にした。関東の人間なら小中学校あたりで必ず訪れる見学地だが、北九州生まれの青木には馴染みが薄いのだ。

「恥ずかしながら大学のとき友人と一度来ただけで。三猿は覚えてましたけど、他の彫刻は忘れてました。全部で、えっと、8枚あるんですね」
 最前列に彫刻についての説明書きがあるらしいのだが、この人混みでは近づくことも困難だ。人の隙間から何とかして読もうとしている青木に、薪は8枚の彫刻の概要をざっと説明してくれた。
「この彫刻は人の成長を模していて、1枚目が母子、2枚目の三猿は幼少期で、悪いことを『見ざる言わざる聞かざる』で素直に育ちなさいって意味なんだとさ。それから少年期、青年期と移り、あの青い雲は青雲の志を表わしていて」
 さすが薪。何でも詳しい。
 人に問われて返答に窮する薪を、青木は見たことがない。信じがたい量の知識をその小さな頭脳に納めていて、それを淀みなく引き出すことができる。天才の頭脳は周囲の尊敬と畏怖を集め、だがそこで終わらないのがこの人の欠点だ。例えば、電気炊飯器はどういう仕組みでご飯を炊くのかを尋ねたとする。すると彼はとても分かりやすく説明してくれるのだが、その後、「仕組みも知らないでよく使えるな? 爆発するかもしれないとか思わないのか」などと嫌味なことを言うから誰も感謝してくれない。

 だけど青木はそのおかげで彼に近づくことができる。これで性格までよかったら高嶺の花すぎて、声をかけることもできない。その時も薪は一通りの説明を終えた後、三猿の彫刻に視線を戻して、
「インターネットが幼稚園児まで浸透したこの時代に、どうしろって?」と皮肉な笑みを浮かべた。意地の悪いツッコミは彼の上機嫌の証拠。嬉しくなって青木はそれに応じる。
「それは子供たちを隔離するしかないのでは」
「ふむ。となると、あの三猿の前には鉄格子とインターネットは1日1時間までの貼り紙が」
「……祟られますよ」
 青木が苦笑すると、薪はニヤニヤ笑って、
「そのための厄落としだろ。同じ料金ならたくさん祓ってもらった方が得だと思わないか」と罰当たりなジョークを返した。

 祈祷を行うのは祈祷殿という建物で、宮の中枢である本殿のすぐ横にある。厄落としに訪れた者たちは、約2時間おきに行われる祈祷の時間を待つ間、坂下門の手前にある眠り猫を様々な角度から見上げたり、その先に続く長い長い石段を登って家康公が眠っている奥宮に参拝したりする。
 その中枢エリアの外門となっているのが、有名な陽明門である。別名『日暮しの門』と呼ばれる、時が経つのを忘れて見惚れるうちに日が暮れる、それほどまでに美しい門。が、これは薪の好みではないだろうと青木は思っていた。
 陽明門は、門と呼ぶにはあまりにも豪華絢爛な建造物だ。実用性を重視する薪に、この門は装飾が多すぎる。

「薪さんは、もっとシンプルなものの方がお好きでしょう」
 薪の好みに詳しいところを見せたくて青木は先走る。相手が言葉を発する前にその意見を決めつけるのは失礼な行為だと思う、でも実際は、無口な父親の言葉を母親が代弁するように親しい関係にはありがちな言動だ。
 天邪鬼の本領を発揮するでもなく、薪は軽く頷き、まあな、と青木の予想を肯定した。
「薪さんが絶賛するのって、大抵は自然ですよね。オレはこういった建築物を観るのも好きですけど」
「自然が生み出す美しさに比べたら人間が作るものなんて大したことない。でも」
 それから顎を上げて、じいっと門の彫刻を見つめた。508体の彫刻の上を亜麻色の瞳が撫でていく。青木も釣られて、門を見上げた。
「此処でそんなことを言うやつは想像力がないんだ。どれだけの苦労を重ねて彼らがこれを造ったのか。考えたら、とてもそんなことは言えない」
 薪らしいと思った。薪は我儘だけど、常識人でちゃんとTPOを考える。根は真面目なのだ。

 混み合っているおかげで、彫刻を堪能する時間は充分にあった。流れに乗って門を潜り、そこで皆がするように振り返る。目的は、もちろん逆さ柱だ。
「『建物は完成した瞬間から崩壊が始まる』て言われてて、それで逆につけたんですよね」
「そうだけど、門にそれを施すのは珍しい。門にはもともと魔を通さない役目があって、ほら、この門にも正面に鬼神が彫られてただろ?」
 確かに、ものすごく怖い顔をした鬼がこちらを親の仇みたいに睨んでいた。眼がギョロッとして、青木は五課の脇田課長を思い出したくらいだ。
「あの鬼神で払いきれない大きな魔が訪れた時には、門は自ら壊れてそれを滅するんだ。逆さ柱に縛られて、この門は肝心な時に役目を果たせない。本末転倒だ。つまり、この逆さ柱は建造物の永続性を願ったわけじゃなくて、この門が美しすぎて災厄を引き寄せると人々に思われてしまったから付けられたんだ」
「美しすぎて……災いを……」
「魔よけのために作られたのに、逆に魔を呼ぶと懸念されて逆さに柱を付けられたとき。この門はどんな気持ちだったんだろう」
 門に同情するように、薪は呟いた。

 本人の好みとは関係のないところで、この門は薪に似ている。見る者の魂を奪う絶対的な美しさ。彼自身は何も思う所はないのに、その美しさが魔を呼ぶと人に言われる。事実、薪の美に魅入られた者たちは次々と道を誤って行く。多分最初の頃は、青木もそう思われていた。彼の殺人鬼と同じように、自分が青木を惑わしてしまったのかと悩んだに違いない。きっと薪は自分とこの門の境遇に共通点を見つけて、やるせない思いでその絢爛さを見つめていたのだ。

 掛ける言葉が見つからなくて、青木は口ごもる。そのまま俯いてしまった青木に、薪は笑って、
「信じたのか?」と意地悪そうに言った。
「ウソに決まってるだろ、バカ」
 ぽかんと口を開ける青木を尻目に、薪はくるりと踵を返した。
「おまえの言うとおり、逆さ柱の意味は建造物の崩壊を避けるおまじないだ。門が魔物と心中するわけないだろ。門が壊れたら小物の妖怪まで入り放題じゃないか」
 肩を揺らしながら嘲笑う、細い背中を追いかける。自分の取り越し苦労に気付いて、本当は全然そんなことは思わなかったのだけれど、青木は薪を非難した。
「ヒドイですよ。どうしてそんな嘘つくんですか」
「バカをからかうのは楽しい」
「もう。薪さんの話が本当だったら、この門、今の瞬間に崩れてますね」
「あ? なんだ、僕がアクマだとか言いたいのか」
「よく言われてますよね。太夫さんに」
 太夫とは被疑者のことだ。周りに一般人がたくさんいる場合、彼らのことをこう呼んだりする。
「大した根性も信念も持たずに法を犯すことの愚かさを、頭の悪い連中にも解るように噛み砕いて説明してやってるだけだ」

 何年か前、捜二からの協力要請で取調べを手伝ったことがある。詐欺師の学校なるものを摘発したときだ。信じがたい事に、犯人グループは詐欺の仕方を授業形式で教えていたのだ。主犯格たる経営陣の取り調べは二課の人間が行うとして、問題は生徒として登録されていた300名を超える詐欺師の卵たちだ。とても課だけでは捌き切れず他の課に応援を頼んだのだが、元二課の小池を通して第九にもお鉢が回ってきた。
 薪は犯罪者には容赦しない。そのことを青木が知ったのはその時だ。
「でも言葉には気を付けないと。身体に危害を加えなくても、威圧的な言葉で怒鳴ったりしたら強制的に歌わせたことになっちゃうんですから。それを理由に法廷で自白を覆されたりしたら」
「そんなことをしたら死ぬより怖い目に遭わせてやると言い聞かせてあるから大丈夫だ」
「だから脅しちゃダメなんですってば」
 犯罪者に人権なんかないと言い切る、そんなだから彼はいつまでも自分を赦せないのだと青木は思う。

「脅すなんて人聞きの悪い。丁重にお願いしてるんだ」
「じゃあどうして皆さん、オレの顔を見た途端『助けてください』って飛びついてきたんですか?」
 いったい何をされたらああなるのか、取調室に青木が赴くと、それまで薪と向き合っていた犯罪者の多くは青木の後ろに隠れてしまう。そのことを指摘すると、薪は肩を竦めて、
「さあ。悪い夢でも見たんじゃないか」
 と他人事のように言ってのけた。まったく、薪のツラの皮は鋼鉄でできている。

 青木には薪のような取調べの仕方はできない。というか、取調べそのものが苦手だ。犯罪者には犯罪を起こすに至った彼らなりの理由があって、それは時として涙を禁じ得ないほど悲しい物語だったりする。同情心の強い青木のこと、ついつい可哀想になって調書が甘くなる。問題は、その8割が作り話である、という事実だ。「交代だ」と言われて薪と席を替わった5分後には、彼らは何かに取りつかれたように本当のことを話し出す。その際、幼少期に死んだはずの父親は生き返り、男を作って出て行ったはずの母親と慎ましく暮らしていたりするのだ。
 鬼神の代わりに取調室仕様の薪の顔を置いておけば如何なる魔物も寄り付かないのではないかと青木は思い、その代わり、自分にとっては日暮しどころか人生そのものが暮れ落ちるまで門の前から動けなくなるかもしれないと、洒落にならない冗談を考えた。

テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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