夢のあとさき(5)

夢のあとさき(5)





 それから3時間。車内の空気は激変していた。

「青木のせいだ」
 低く唸るような声で薪は呟いた。恨みがましい声だった。
「さっきは違うって言ってくれたじゃないですか」
「やかましい! おまえのせいだろ、これ!」
 これ、と薪が指差したのはフロントガラスで、目前には見渡す限り続く森の風景。道なき道に迷い込んではや3時間、まだ日暮れには早いはずだが、生い茂った木々の枝で日光が遮られているのか辺りは夜のように暗く、ライトなしでは進むことも困難だった。

「おかしいですねえ。来るときは一本道だったのに」
「一本道に見えても枝道がたくさんあって、その一つに入ってしまったんだろう。自分を過信してナビ入力を省いたりするからだ」
 森の奥を見透かすように、薪は強い目で前方を睨み、さっと右手を上げて、
「いいからさっさと公道に戻れ。僕の勘ではあっちだ」
「さっきそれで崖から落ちそうになりましたよね」
 事件の勘は外したことがないのにそれ以外の勘はまるで当たらないのがこの人の特徴で、商店街の福引きですらポケットティッシュ以外もらったことがない。以前科警研の忘年会でやったビンゴゲームでは、なんと25マス中の未開マス4つでビリッケツというあり得ない記録を打ち立てていた。12リーチの確率は約1/2700。逆にスゴイとみんなに感心されて、無言でカードを破り捨てていた。

「森が深いせいか、ナビも動かないんですよ。困りましたね。このまま日が暮れてしまったら……そうだ、薪さんの救難バッジを使えば」
 青木は薪の襟を見た。その裏側には、小さなバッジが取り付けられている。スイッチを押すと救難信号が発信され、信号を受信した官房室の警備担当者からすぐさま当該県警本部に救助命令が下る仕組みになっている。小野田が薪の安全の為に用意してくれた有難いシステムだが、県警から消防署から、何十人もの人員が駆り出されることになる。ちょっと道に迷ったくらいで気軽に使えるものではない。それに。
「簡単に言うなよ。プライベートでバッジなんか使ったら、中園さんになんてイヤミ言われるか」
 薪の直属の上司である官房室付首席参事官の中園は、薪の若い恋人のことを当てこするような皮肉が得意だ。しかもそれを小野田の前でぬけぬけと言うから性質が悪い。
 隠し撮り写真を突きつけられて「別れなさい」と命令されたくらいだから、中園が自分たちの関係を壊したがっていることは明白だ。が、最近の彼の嫌味には冷やかしのニュアンスが混じっているような気がする。二人の仲はある程度認めていて、その上で揶揄しているような。小野田が中園の戯言にいちいち目くじらを立てるようになったのも、そのせいかもしれない。

「でも薪さん。この暗さは少し、えっ?」
 青木が急ブレーキを掛け、薪は前方に頭を振られる形でつんのめった。シートベルトにロックが掛かり、強く胸を押されて息が止まる。
「なんだいきなり。――あれ?」
 乱暴な運転に文句を言おうと横を向き、青木の視線を追って上方へと顔を上げる。そこにはぽっかりと浮かんだ満月。
「まだそんな時間じゃないよな」
 薪の声に、青木は無言で頷いた。腕時計は5時5分前を指している。5月の日没は午後7時ごろ。どう考えてもおかしい。

「昨夜は三日月だった気がするけど。違ったか」
「さあ」と青木は首を振り、ドアを開けて車外に出た。公道へのルートを見つけ出そうと耳を澄ます。
「あっちの方から何か聞こえます。人の声みたい」
 ちょっと見て来ますね、と青木はそのまま右手前方の藪に入って行った。
 一人車中に残って、薪は腕の時計を見る。5時2分前。見間違えたわけではない。車のフロントパネルに埋め込まれたデジタル時計も、同じ時刻を指している。なのに上空には月が輝いている。
 辺りが暗かったのは木々が日光を遮っていたからではなく、日が沈んでいたから? では時刻はどう説明する? 2人の腕時計と車の時計、合わせて3台の時計が同時に狂って?
「ありえない」と薪は呟いた。
 薪はこれまでに何度か不可思議な体験をしてきた。その経験で鍛えられた勘が告げていた。薪の勘は仕事以外は当たらない、しかしそれには例外がある。悲しいことに、悪い勘は仕事以上に良く当たるのだ。

「青木、ちょっとおかしい。あまり離れない方が―― 青木?」
 ついさっきまでは下生えを掻き分けて進んで行く青木のジャケットが見えていたのだが、ちょっと眼を離した隙に見えなくなった。森の中で光源が乏しいため、少しでも車のライトから外れると視認できなくなってしまうのだ。
 探しに行って逆に迷ってしまう危険性を考え、薪は携帯で青木に連絡を取ろうと思った。ポケットから取り出して電源を入れる。だが。
「ちっ。やっぱりか」
 圏外の表示が出ていて通話ができない。現代の日本にこんな場所があっていいのか。
「青木! 戻ってこい!」
 窓を開けて怒鳴る。返事がないので、派手にクラクションを鳴らした。それでも青木は戻ってこなかった。

「ったく、役に立たないボディガードだな。僕が野犬にでも襲われたらどうするんだ」
 薪は諦めて車から降りた。青木が向かった方向へ茂みを分けて進む。
「おい、青木! どこまで行っ、――!」
 すぽんと床が抜けた。
 のではなく、穴に落ちたのだと理解した時には急斜面の草の上を滑り台のように滑っていた。何とかその場に留まろうと足でブレーキを掛けたが、つるつる滑る座面の草に無効化された。いったい何という草なのか、まるで蝋でも塗ってあるように滑るのだ。
 心の中では絶叫ものの速度だったが、人間、落ちるときには上手く声が出せないものだ。加速度とGで舌が上顎に張り付き、口を開けるのが困難になる。暗闇の中、どこまでも落ちていく恐怖はかなりのもので、薪は身体が竦み上がるのを感じた。

 まずい。このままいくと最終的には何処かに衝突する、そうしたら怪我をするかもしれない。青木ともはぐれてしまったし、動けなくなったら救難バッジで助けを呼ぶしかないが、こんなに森の奥まで来てしまって果たして救助が間に合うだろうか。
 そんな不安に駆られて、薪は奥歯を噛み締める。
 いつの間にこんなに臆病になったのだろう。いつ死んでもいいと思っているなら、恐怖なんか感じないはずなのに。今の自分は、この世に未練が多過ぎる。

 滑り台の終わりはやや唐突で、柔らかい壁のようなものに思い切り打ちつけられた。衝撃に脳震盪を起こしたらしい。くらくらと回る世界は闇一色で、何も見えないのに回っていると感じるのは不思議だと、そんなどうでもいいことを最後に薪の思考は途切れた。




*****


 蛇足というか楽しいデートが台無しというか。
 でも書いてて楽しかったのはこっちだなー。人生、無駄なことの方がなんでも楽しいんだよね。

テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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