夢のあとさき(11)

夢のあとさき(11)






 貸切風呂を出て、共有の休憩スペースでまずは冷たいビール、次に頼んでおいた地酒を飲んだ。車は駐車場に停めてあるが、今宵の宿はこの施設の系列ホテルだ。フロントに頼めば係員がホテルの駐車場まで車を移動してくれるし、宿泊客はホテルと此処を往復するシャトルバスに乗せてもらえる。運転手の青木には嬉しいサービスだ。
 古民家風のラウンジは広々として、木のぬくもりに満たされていた。桟の無い大きな窓の向こうに広がる風景は、風呂から見えたのと同じ新緑の森。風に揺れる枝葉に木漏れ日がキラキラと輝いて、実に美しい。
 屋外に張り出した小縁に足湯のスペースが取ってあって、そこに座ると直に森の空気を味わうことができた。酒瓶を一本空けるころには身体の火照りも治まったので、そちらに席を移すことにした。
 二人お揃いの浴衣姿で差しつ差されつ、幸せを絵に描いたような休日だった。傍らに薪がいればそれだけで青木は天国だが、旅先の薪は特にかわいい。職場から離れるせいか、ガードも甘くなるし、先刻のような大胆な真似もしてくれる。

 休憩スペースには何人かの客がいたが、次の予定が詰まっているのだろう。青木たちのように長居をする客はいなかった。薪にも気になる観光地があるかもしれないと考え、二本目の酒の封を切る前に、青木は彼に聞いてみた。
「チェックインの時間にはまだ早いですね。薪さん、どこか行きたい所ありますか? と言ってもオレ、飲んじゃったんで車は無理ですけど」
 湯上りの酒が利いているのか、薪はとろんとした瞳を青木に向けた。それから青木の肩に自分の身体を持たせるようにして、
「いい。おまえとこうしていたい」と眼を閉じた。
 青木も同じ気持ちだった。独りで街を彷徨う人間が孤独を感じるように、知人のいない人混みは風景と一緒だ。ここに自分たちを知っている者はいない。こうして彼を抱き締めても誰にも咎められないし、恥ずかしいとも思わない。

「薪さん。楽しいですか?」
「うん。すごく楽しい」
 素直な答えが返ってきて、青木はますます彼が愛しくなる。本当に旅先の薪はかわいい。
「夜も楽しみだ」
「渓流沿いの露天風呂ですからね。気持ちいいですよ、きっと」
 違う違う、と薪は眼を伏せたまま笑って、もっといいこと、と悪戯っぽく青木を見上げた。
「また飲む気ですか? お酒はほどほどに」
「違うって。こっちの方」
 細い指がそっと青木の股間を撫でていく。ベッドの誘いだと分かってびっくりした。あの薄い薪がこんな、さっき風呂の中でしたばかりなのに。
「まさか、さっきので打ち止めとか言わないよな?」
「そういうわけじゃありませんけど。あの……失礼ですが、薪さんは1日に複数回のエッチはできないってご自分で」
「失礼な。僕はまだ40になったばかりだぞ。一晩に5回はいける」
「男は30を過ぎたら簡単に僧侶になれるんじゃなかったんですか?」
「なんだそれ。どこの世界のED患者だよ」
 あははと笑い出した、薪は真に楽しそうで。朝から続いていた違和感を、またも青木は遠くへ押しやる。薪がこんなに無邪気に笑ってくれるのに、余計なことは考えたくない。

 薪は青木の手を取って自分の後方に導き、その大きな手のひらの上にふざけて自分の尻を乗せた。みっしりと詰まった肉の感触。薪の腰は細いけれど、その触感はすこぶる官能的だ。
「こっちはおまえが僕に教えたんだぞ。ちゃんと責任取れよ」
「それはもう。一生面倒見させていただきますから、浮気なんかしないでくださいね」
「するわけないだろ。おまえが僕には最初で最後の男だ」
 ムードに流されたのか、薪はウソを吐いた。女性のことは知らないが、薪の最初の男は鈴木だ。鈴木以外に、彼が自分を全部差し出した相手はいなかった。
 青木にとって薪の過去の情事は嫉妬せずにはいられない事実だが、薪には大事な思い出だろう。青木だって、昔の恋人のことを何一つ覚えていないわけではないし、忘れたいとも思わない。

「気を使ってくださるのは嬉しいですけど。薪さんの最初の人になれなくても、最後の人になれたらオレは最高に幸せです」
「ちょっと待った。聞き捨てならないな。いつ僕がおまえ以外の男と寝たって言うんだ」
「すみません。20年以上前のことなんて時効ですよね」
 青木はぺこりと頭を下げた。薪が本気で怒っているように見えたからだ。これは青木が悪かった。恋人同士の睦言の最中に、過去の男のことなど口にすべきではなかった。しかし薪の怒りは、青木の無神経さに対してのものではなく、認識の相違によるものだった。

「20年前? 何言ってんだ、僕はおまえと会うまで男性とは経験なかったぞ」
「え。だって、薪さんは鈴木さんと」
「鈴木? おまえ、僕と鈴木のことをそんな風に見てたのか?」
 心外だ、と薪は眉根を寄せ、不愉快そうに青木の手の上から尻を退けた。
「鈴木とは親友だったけど、そんな気持ちになったことは一度もない。鈴木には雪子さんがいたじゃないか」
 頑固に薪が言い張るので、青木も少々意地になる。薪にとって鈴木の思い出は謂わば聖域で、それを簡単に否定する薪が理不尽に思えた。
「どうして知らないふりをするんですか。オレは鈴木さんの脳を見てるんですよ。薪さんも一緒だったじゃないですか」
 普通なら、過去の恋人のことを共有する必要はない。でも鈴木の場合は特別だ。薪がどんなに彼を愛していたことか。その彼を殺めてしまった薪の苦悩を、痛みを、理解して慰撫するためにはその事実を避けては通れない。嫉妬で心が焼き切れようと、枯れるほどに泣いた瞳が腫れ上がった瞼に塞がれようと、青木は薪と鈴木が愛し合う姿を見続けた。薪に、鈴木の本当の願いを知って欲しかったから。
 ところが。

「鈴木の脳を見た? 何の話だ」
 薪が心底不思議そうに尋ねるので、青木は自分の頭がおかしくなったのかと思った。何があっても、薪は鈴木のことを忘れない。それは薪が友人を忘れるような薄情な人間ではないという人間性以前の問題で、言ってしまえば、薪が彼を殺したからだ。なのに薪は罪悪感の欠片もない口調で、
「鈴木は貝沼の画を見て発狂して自殺した。それだけだ」
「自殺……」
 青木は戸惑った。なんだか話がおかしい。
 それでも、薪が鈴木を射殺した事実をそのまま口にすることはできない。青木は言葉を選び、さらに慎重に濁らせた。

「ええ、あれは自殺に近かったと思います。あの時も言ったように、オレは薪さんとの心中説を推しますが」
「心中? なんで僕なんだ。心中するなら相手は僕じゃなくて雪子さんだろ」
 自分は関係ないと言わんばかりの口ぶりに、青木は薪に真実を告げる決意をした。苛立ったのではない、薪の中で何かが起きていると確信したのだ。
 薪から、鈴木の事件の記憶が抜け落ちている。自分に罪のないように改竄までされている。これは異常事態だ。

「鈴木さんは薪さんに、自分を撃ってくれって言ったんですよね? それで薪さんは鈴木さんを……もちろん正当防衛で薪さんに罪はありませんけど、薪さんはそのことをずっと悔やんで、辛い日々を過ごして来られた」
 青木の言葉に薪は眼を瞠り、ぽかんと口を開けた。ゆるゆると首を振り、不安そうに青木を見上げた。
「どうしちゃったんだ、青木」
「どうかしてるのは薪さんの方ですよ。自分が鈴木さんにしたことを忘れちゃうなんて」
 青木は薪の両腕を掴み、彼と眼を合わせた。亜麻色の瞳はいつもと変わらず澄み切っており、そこに狂気はなかった。しかし薪は言った。
「さっきから何を言ってるのか、さっぱり分からない。鈴木は貝沼の脳データを破壊し、自分の頭を拳銃で撃ち抜いて自殺した。それがあの事件のすべてだ。貝沼の捜査の指揮を執ったのは僕だから責任を感じてはいるけれど、防ぎようのないことだった」
 事件に関する自分の認識をひとつ残らず否定されて、青木はどうしたらいいのか分からなくなる。東京に戻れば事件調書も新聞記事も保管してあるが、ここでは証明は不可能だ。

「誰から何を聞いてきたのか知らないけど、この話はもう終わりにしよう。せっかくの旅行なんだ。もっと楽しい話をしよう」
 青木を見上げてにっこりと微笑む。この上なく美しい薪の顔が、虚ろに見えた。





テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Aさまへ

Aさま。

>青木は竜に薪さんの鈴木さんを殺した罪悪感を無くしたいとかって願っちゃったのかな?

まあそんなもんです。
うちの青木さんはそれを願って薪さんの恋人になったわけですからね~。心の中では望んでいたと思います。


>でも、こちらの薪さん、恋人だった事も忘れてる(青木~!)

完全に青木さんの願望が現れてますね(笑)
竜が気を利かせたんでしょうね。余計なお世話ですけどね。


>鈴木さんのことを忘れた薪さんてビッチなんですね(^^;)

え、そうかな~。
エッチに積極的な恋人は男にとっては理想だと思うな~。


ビッチってのはあれですね、
青木さんと恋人関係にありながら鈴木さんを襲いまくる薪さんですね。

うちの薪さんは倫理観が強いという設定なので浮気とか絶対にしないんですけど、相手が鈴木さんになった途端豹変するんですよねー。 もう清々しいくらいにクソビッチ。
なんでだろう、としみじみ考えた結果、
「薪さんにとって鈴木さんは別腹」
そういうことでいかがでしょうww

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しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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