夢のあとさき(12)

夢のあとさき(12)






「薪くんじゃない?」

 2本目の酒瓶が空こうとした時、名前を呼ばれて薪は振り返った。
「雪子さん」と驚いた顔で薪が応じるのに、青木もそちらを見やる。自分たちと同じ浴衣を着て、髪を濡らした雪子が立っていた。
 青木は彼女に会釈しながら、見なかった振りで通り過ぎてくれればいいのに、と思った。青木たちと同じように忙しい日々を送っている人間は科警研にも沢山いて、たまの休みに羽を伸ばしに来た彼らとばったり顔を合わせてしまうのも不思議ではない。が、こんな話の最中に選りにも選って雪子とは。不幸な偶然としか思えなかった。

「青木くんとデート?」
「ええ、まあ。雪子さんは竹内さんと?」
「そ。たまにはね」
「婚前旅行ですか? いいですねえ」
 なんだ、このありえない会話は。
「デート?」と聞かれて薪が頷いたのにも驚いたが、薪が竹内の名前を出したのにはもっと驚いた。竹内と雪子は今年の1月に婚約したばかりだが、そのことを薪は快く思っていない。否、思うなどと言う消極的なものではない。薪は二人を別れさせるべく果敢に行動しているのだ。具体的には、雪子にあることないこと竹内の悪口を吹き込んだり、竹内の女関係を躍起になって調べたりしている。そんな薪が二人の婚前旅行を容認など信じられない。

「竹内さんはどちらへ?」
「実は替えの下着を車に忘れちゃって。取りに行ってくれてる」
「え。じゃあ雪子さん、この下って」
「ストップ。それ以上想像したら投げるわよ」
 笑いながら雪子は言って、薪の隣に座った。薪と二人きりのところを邪魔するなんて、ガサツに見えて気遣い上手な雪子らしくないと思ったが、そのうち竹内も来るだろうし、それまでの間だと思い直した。
 ところが、竹内はなかなか戻ってこなかった。雪子に勧めた冷酒の瓶が空になり、追加注文をして半時間が過ぎても姿を見せない。この日帰り入浴施設は自然の中の露天風呂をコンセプトにしているため、エンジン音が聞こえないように駐車場までは多少の距離を取ってあるが、それにしたって時間が掛かり過ぎだ。雪子は心配にならないのだろうか。
「先生。竹内さん、遅くないですか」
 堪りかねて青木が尋ねると、雪子はパタパタと手を振って、「大丈夫大丈夫」と繰り返した。すでに酔っぱらいの口調になっている。

 薪もそうだが、雪子も鈴木の月命日のことは頭にないようだった。そこで青木は朝から感じていた違和感の正体に気付いた。
 鈴木の存在が希薄なのだ。
 7年も前に亡くなった人の存在を濃厚に感じることの方が異常なのかもしれない。でも、青木はずっとその思いを味わってきた。薪に雪子に、現実には会ったこともない彼の姿を見てきた。
 青木の恋人になってくれる前、薪の心は鈴木のものだった。付き合いだしてからも長いこと、それは変らなかった。最初の頃は完全に鈴木の面影を重ねられていて、酷いことにベッドの中で間違われたこともある。それでも少しずつ少しずつ、薪は青木自身を見てくれるようになった。
 薪と二人、辿ってきた道筋は決して楽なものではなかった。喧嘩もすれ違いも嫌になるほどあった。だけどそのたびに、青木はますます薪のことが欲しくなった。薪もまた、青木を必要としてくれた。
 鈴木の存在を否定されると、自分たちが重ねてきた大事なものまで否定されたような気分になる。青木の苛立ちはそれが原因だったのだ。

「三好先生。竹内さんとのこと、鈴木さんのお墓には報告に行ったんですか」
「行ったけど。なに、急に」
 雪子は面食らっているようだった。婚約者を亡くして7年、新しい伴侶を得た報告を彼の墓前に供えたのかと、どうしてそれを赤の他人の青木に質されなければいけないのか。理由が分からなかったに違いない。
「雪子さん、気にしないでください。青木は朝からヘンなんです。ここに来る前も、鈴木の墓参りに行かなくていいのかって僕に訊いたんですよ」
「え。ああ、明日が月命日だから? なんで薪くんが。いくら親友だったからって、月命日まで参る義理はないわよね」
「それがなんか、何処かからおかしな話を聞いてきたみたいで。言うに事欠いて僕が鈴木を殺したって言うんですよ。ひどいデマですよね」
「えー、なにそれ。ていうか、なんで青木くん、そんな話を信じるのよ?」
「なんでって……どうしちゃったんですか、お二人とも! 鈴木さんのことを忘れちゃうなんて」
 思わず大きな声が出た。びっくり眼で自分を見返す、二人が見知らぬ他人に思えた。
 これはどういうことなのだろう。薪だけではなく雪子の中でも、あの事件は鈴木の自殺になっているのか。
 まさか、自分の記憶が間違っている? 自分は何か、とんでもない思い違いをしていたのだろうか。

「忘れてなんかいない。鈴木のことを忘れるはずがないだろ。鈴木よりいい友だちなんて、僕にはいなかったんだから」
「そうそう、仲良くてねー。克洋くんが薪くんばっかりチヤホヤするもんだから、あたし時々、ヤキモチ妬いてたのよ」
「嫌だなあ、雪子さんたら。ヘンなこと言わないでください。こいつ、僕と鈴木の仲を疑ってるみたいなんですよ」
 あら楽しそう、と雪子は彼女らしいノリの良さで薪の懇願を受け止め、でもちゃんと親友の立場を守ってくれた。
「大丈夫よ、青木くん。二人は健全な親友でした。あたしが保証するわ」
 薪が鈴木を好きだったこと、それを教えてくれたのは雪子だった。自分の記憶と異なる会話が次々と展開し、青木は目眩を感じた。車酔いした時のように気分が悪くなってくる。気持ちが悪い、薪も雪子も。これは本物じゃない。
 黙ってしまった青木に、何となく白けた空気が流れた。手洗いに行ってくる、と薪は席を立ち、気まずさが漂う空間には青木と雪子が残された。

「オレが間違ってるんですか?」
 青木が躓くたびに、雪子は青木を助けてくれた。傷ついた青木を慰め、勇気付けて、再び薪の元へ送り出してくれた。薪に関することで何か困ったことがあれば青木は雪子にすぐに相談する。目の前の彼女に違和感を感じてはいても、その習性は変えられなかった。
 果たして、雪子は青木の問いに答えた。
「間違ってないわよ。薪くんが忘れちゃってるだけ」
 あっさりと肯定されて、青木はまた分からなくなる。雪子はやさしい女性だが、真実を追求する研究者でもある。その彼女がこんな姑息な嘘に追従するだろうか。

「ご存知だったんですか。なぜそれを薪さんに教えてあげないんです」
「いいじゃないの。あんな辛いこと、忘れちゃったほうがいいのよ」
「そんな。それじゃ鈴木さんがあまりにも可哀想で」
「可哀想? 克洋くんと直に会ったこともないあなたが?」
 偽善者ぶらないで、と暗に糾されて青木は黙った。鈴木の婚約者だった雪子に、青木の立場で言えたことではなかった。彼女の方が青木より遥かに傷ついている。当たり前のことだ。
 それでも雪子は澄んだ眼をして、強く言い切った。
「これまで薪くんがどんなに苦しんできたか、傍にいたあなたが一番よく解ってるでしょ。それに、薪くんの記憶が戻ったところで克洋くんは帰ってこないのよ」
「それは違います」
 雪子のやさしさは痛いくらい分かって、でもやっぱり青木にはそれを認めることはできなかった。青木は警察官だ。真実を捻じ曲げて前に進めば、その先にはもっと大きな悲劇が待っている。そう教えてくれたのは他でもない薪だ。見過ごすことはできない。
「雪子先生のおっしゃるそれは、被害者は生きて戻らないのだから殺人犯を捕まえる必要はないと言うのと同じで」
「薪くんを犯罪者と一緒にしないで!」
「す、すみません、そんなつもりじゃ……」
 一喝されて青木は怯んだ。相変わらず雪子は怒らせると怖い。
 青木が俯くと、雪子は軽く肩を竦め、足の先で低く張られた湯をぱちゃぱちゃと叩いた。

「忘れて欲しかったんじゃないの。克洋くんのこと」
 問われて、青木は自分の心を湯面に映し出す。最初に薪の顔が浮かび、次に鈴木の顔が浮んだ。再び水面に現れた薪の顔は、涙で濡れていた。
 出会ったばかりの頃、薪はずっと下を向いていたような気がする。いつもしゃんと背中を伸ばして胸を張っているのに、何故かそう感じた。青木はそれを、彼が鈴木に囚われているせいだと思い、彼の中から鈴木を追い出してやろうと決意した。自分が鈴木に成り代わって、薪の心を愛で満たしてやろうと思った。
 ――だけど。

「たしかに、オレは薪さんに鈴木さんのことを忘れて欲しいと思ってました。オレが忘れさせてみせるって。でも、こういうのは違う気がします」
「何が違うの。あなたが望んだことよ」
「違います。上手く言えないけどこれは違う。忘れちゃダメなんです」
 薪と過ごしてきた年月、重ねてきた数多の出来事。それらが青木に教えてくれた。
 辛いことも悲しいことも、廻り回って糧になる。人生には無駄なことなどない、忘れていいことなど何もないのだ。
「未来に進むためには過去を忘れちゃ駄目なんです。傷も痛みも、抱えたまま進まなきゃ。真の意味で乗り越えたことにならない」




テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Aさまへ

Aさま。

>雪子は薪さんが鈴木さんを殺した記憶は無くなった方がいいと思うのですね。

いえ、これはちょっと裏があって。雪子さんはそんなことは思ってないです。


>青木は最初、鈴木さんに敵意を持ってたくらいなのに今は同情的ですね(^^)

さあ、それもどうでしょう。
同情心100%じゃないところがうちの青木さんの腹黒いところで、もうそれだけで青木さん失格なんですけど。エセ天使しか書けなくてすみません(^^;


>青木は苦しみながらも懸命に生きる薪さんが好きなんですよね。

わたしはそういう薪さんが好きです。
でも青木さんのこれはもっと我欲塗れというか結局は自分のためというか……

あー、なんか、否定ばっかりですみませんっ(><)

この話の青木さんを通じて語りたいことは、
人間は、本来は物凄く利己的で欲張りな生き物だ。それを理性や道徳心で抑え込んでいる。
抑え込むことは欺瞞ではない。それこそが動物と人間を分けるもの、人間の素晴らしさである。 


わたし、こういう風に自分の考えを言葉にするのがすごく苦手で、だからSSにしてるんです。それに関しては、お話読んでもらって、何となくでも伝わればすごく嬉しいですけど、伝わらなくても読者さんなりの感想なり解釈なりをしていただければそれで充分なんです。ただ、訊かれれば嘘を吐くわけにもいかないので、こんな風に否定ばかりになってしまうこともあります。ので、
わたしが何を言ってもAさまの自由に読んでください。それが一番ありがたいです。
プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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60Pを超えました(笑)
7/18 推敲やってます。
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7/20 推敲の結果、70Pになりました。←バカじゃないの。
2回目の推敲に入りました。
こんにちは(^^
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