夢のあとさき(13)

夢のあとさき(13)







 青木は結論を出し、顔を上げた。真っ直ぐに雪子の眼を見る、その瞳に迷いはなかった。
 雪子なら分かってくれる、青木はそう信じた。が、雪子は醜悪な虫でも見たように、眼を逸らして顔をしかめた。

「あんたさ。ご大層なこと言ってるけど、それ自分の都合でしょ」
 憎々しげに吐き捨てる。蔑みの籠った瞳に、青木の腹の底が急速に冷えた。雪子に厳しいことを言われたことはある、でもそれは青木のため、再び薪に向かっていく勇気を与えるため。こんな風に、切り捨てる口調で言われたことは一度もなかった。
 呆然とする青木の前で、雪子はすっくと立ち上がった。今まで座っていた床面に上がり、座ったままの青木を冷酷な瞳で見下した。
「あなたは薪くんに、克洋くんを殺したことを忘れて欲しくないの。だって、そうなってしまったら」
 赤い唇が薄笑いする。思わず青木は息を詰めた。
「薪くんはあなたを必要としなくなるものね」

 床が抜けたような気がした。

 気付くと、青木は足湯の中に尻をついていた。温かい温泉水が何故だかとても冷たかった。石張りだったはずの浴槽はぬるぬるして、驚いて手元を見ると、青木が浸かっているのは泥水に満たされた大きな水溜りだった。
「なんで」
 思わず口を衝いて出た、だが青木は思い出した。この冷たい泥水、ここはあそこだ、あの不思議な声が聞こえてきたところだ。
 薪も言っていた、同じ夢を見たと。
 同じ夢? あり得ない、双子でもない自分たちに、ゼロではないがその確率はとてつもなく低い。では、あちらが現実でこちらが夢? あの声の主は、本当に願いを叶えてくれた?

 ああ、では、もしかしたら。
 これは薪が望んだ世界なのか。

 辛い記憶を消し去りたいと、薪は願っていたはずだ。アイドルとの結婚なんかより、ずっとずっと切実な魂の叫び。
 あの時、この右手が引き金を引かなければ。
 その後悔を持たずに済む世界。鈴木のことを、純粋な悲しみと愛情を持って思い出せる世界。それが薪にとっての幸せな世界。

「あー、イライラする! あんたって本当にバカね」
 雪子のヒステリックな声が、青木の思考を破った。見上げると、雪子が腕を組んで仁王立ちになっていた。赤い唇を大きく開けて、彼女は鋭く青木を糾弾した。
「まだ気付かないの? これは薪くんが見てる夢じゃない、あなたが見てる夢なのよ」
「オレの?」
 そんなわけはない、と青木は思った。自分はこんな世界を望んではいない。第一自分が望んだ世界なら、薪が女性と結婚する夢を見たりするはずがない。
「そうよ。証拠もあるわ」
「証拠?」
「薪くんの夢だったら、フカキョンほっぽってあんたの方に来るわけないでしょ」
 うわあああんっ!!

「わ、分からないじゃないですか! 彼女よりオレを選んでくれる可能性だって」
「じゃあ一晩にエッチ5回とか、信じられるわけ?」
「だからそれは薪さんの夢だから」
「なんでそこで夢決定なんだ!?」
 いきなり薪が出てきた。「ちょっと引っ込んでて」と雪子に言われて頬を膨らませている。何だかメチャメチャになってきた。

「青木くん」
 乱れた場を雪子が仕切り直し、青木の名を呼んだ。その声は、いつもの雪子の声だった。青木を正しい方向に導こうとする女神の声だ。
「あなたは薪くんの幸せを願いながら、その実、彼が罪から解放されることは望んでない。あなたは自分が彼の人生に関わっていたいがために、彼の救済を妨げている」
「そんな」
 その望みが表れたが故のこの世界なのか。解放を切望する心と否定する心、両方が組み合わさった故の矛盾と混沌。

「違います。オレは本気で薪さんに鈴木さんのことを乗り越えて欲しいと」
「結果、薪くんがあなたから離れて行ったとしても?」
 薪が本当に立ち直った時が終わりの日だと。そう自分に言い聞かせて、でも抑えきれなかった青木の心が見せた夢。それがこの世界。きりきりと胸は痛むけど、事実なら認めるしかない。
「仕方ありません」
「だったら早めに身を引くことね」
 え、と青木は首を傾げた。現実の薪はまだ立ち直っていない、青木の力を必要としてくれているはず。だってそう言ってくれた、ずっと僕を好きでいろと、一生好きでいていいと、だからだからだから。
 心に決めても不安は残る。本当に自分といることが彼にとって一番の幸せなのか。

「分からないの?」
 雪子は青木が尻をついている泥溜まりにさぶんと飛び込んだ。跳ね上がった泥が浴衣の裾を汚す。
「この顔」
 豊かに張った腰に手を当てて、雪子は青木の頬に指を添えた。冷たい手だった。
「この顔を見るたびに、薪くんは克洋くんのことを思い出すわ。越えられる壁も越えられなくなってしまう」
 雪子は腰を折り、青木に顔を近付けた。至近距離で見る彼女の顔は美しく、黒い瞳が真正面で燃えるように輝いていた。
「薪くんの壁を高くしているのは、あなたよ」
 自分の存在が薪の躍進を妨げる。そのことは承知していた、心苦しくも思っていた、しかし。自分が薪の心に悪影響を与えていると弾劾されたのは初めてで、それも薪が一番触れて欲しくない領域に関することで、その指摘の鋭さに青木は息が止まりそうになる。

 自分の顔。鈴木にそっくりのこの顔。
 何度も何度も薪に間違えられた、数えきれないくらい重ねられた。そのことを青木は悲しく思った、でも薪はもっと傷ついたのだ。薪に辛い思いをさせないためには、鈴木か自分、どちらかしか薪の中には住めない、ということだ。
 現実に帰れば薪の元から去らねばならない、だったらこのままこの世界に留まりたい。この世界なら薪は鈴木の笑顔を思い出せる。自分が殺した鈴木の死体ではなく、彼との楽しかった日々を思い起こせる。さすれば彼に瓜二つのこの顔も薪の罪悪感を煽り立てるものではなく、大切な友人の記憶の風化を防ぐ手立てとなろう。薪と鈴木、両方の役に立てるのだ。

「――でもそれは」
 真実ではない。

「青木!」
 夢に過ぎないと言おうとした時、鋭い声で名を呼ばれた。その声を聞いた瞬間、青木は直立した。毎日のように研究室に轟く室長の怒号だ。条件反射とは恐ろしいもので、この声を聞くと例えどんな心理状態でも青木は背中がしゃっきりと伸びる。
「騙されるな。そいつは偽者だ。雪子さんがそんなこと言うわけないだろ」
「あれ。薪さん、いつの間に服を」
 薪は白いボタンダウンのシャツにライトグレーのスラックスを穿いていた。朝と服装が違う。今朝は青木が好きな少年ルックだったはずだ。

「さっきのは僕の偽者だ。ふんじばってトイレの個室に閉じ込めてきた」
「偽者?」
「いや、偽者じゃなくて虚像というべきか。ああ、今はそんなことはどうでもいい」
 薪はざばざばと泥水に入ってきて、雪子に対面した。
「雪子さんに化けるなんて身の程知らずな。彼女の怖さを知らないのか。彼女が本気で怒ったら、この建物全体が吹き飛ぶぞ」
 褒めているのか貶しているのか微妙だが、薪が尊大に言い放つと雪子は舌打ちして身を翻し、前庭から続く森の中に姿を消した。偽者を追い払った薪はさっと振り向き、青木の浴衣の襟を掴んだ。

「青木、目を覚ませ。このままだと僕たち二人ともオダブツだぞ」
「え? なんのことで、痛っ!」
 いきなり頬を張られた。それも往復、しかも速いし! パンパンて音が重なってパパパンて聞こえますけど!?
「いたっ、痛いです、薪さん、そんなに叩かないで」
「いいから起きろ!」
「起きてますよ、とっくに!」
 あまりの痛みに喚いたら、周りが突然暗くなった。

「――あれ?」
 見回すとそこは暗くじめじめした洞窟のような場所で、腰を落とした地面には真っ黒な水が溜まっていた。向かいに薪がいて、青木にビンタをくれようとしていた。刹那、目を覚ました青木と眼が合った、合ったのに。
「痛ったーい!!」
 思い切り頬を張られて青木は泣いた。




テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Aさまへ

Aさま。

青木さんが鈴木さんに似ていたことは薪さんの救済の一助になっていたと思います。
鈴木さんに対する罪悪感が青木さんに向かう強い感情に繋がったんじゃないかな。だから青木に殺されたいとか思ったんじゃないのかなー。

鈴木さんを殺してしまった薪さんは、彼によく似た青木さんを守り、愛することで鈴木さんに対する罪を償おうとしていたんじゃないか。青木さんの代わりに自分が犯人たちに復讐しようとしたのは大切な青木さんを傷つけられた怒りによるもの、でもその根底には鈴木さんに対する罪滅ぼしの意味があったんじゃないか。そうでなければ「根っからの警察官」が簡単に法を破ろうとはしないんじゃないか。「第九の捜査官が囮捜査なんかするようになったら終わりだ」と言っていた彼が、自ら囮になろうとはしないんじゃないか。

薪さんにとっては、青木さんのために身を投げ打つことが鈴木さんへの贖罪になる。
そう考えるとエンドゲームの薪さんの暴走に理由が付くんですけどいかがでしょう。
プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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