ミラー(3)

 前回、言及した車両盗難の顛末、報告し忘れてました。
 事件から半年くらい経って、実行犯は捕まりました。供述の検証の為に、警察の方が犯人連れて家に来ました。もちろん犯人は車に乗ったまま、現地を確かめただけですけど。その際、警察の方から説明がありました。
 実行犯は捕まるんですけど、組織の摘発までは難しいって担当の方がおっしゃってました。
 最近、また流行りだしてるみたいです。近くの現場でも、ユニック車が1台被害に遭ったって役所の方から聞きました。みなさんも気を付けてくださいね。






ミラー(3)






「おまえ、本当に忘れてるのか。上条くんだぞ」

 薪に名前を告げられた彼は、ニコッと笑って首を右に倒した。
 上条。
 どこかで聞いたような気がするその名前を、青木は必死に思い出そうとする。しかし、青木の頭の中のコンピューターは薪のように高性能ではない。名前を聞いただけで瞬時にこれまでに会った人間すべての顔写真がスクロールされる便利なシステムは搭載されていない。
「ごめん、本気で思い出せない」
 記憶の引き出しに失敗した青木が素直に謝ると、残る二人は顔を見合わせ、何とも言えない表情を作った。
 絶対にバカだと思われている。家に帰ったら「僕に恥をかかせやがって。どうしてそんなにバカなんだ? 脳みそごと交換してこい」とか言われそうだ。

「ぼくってそんなに人の印象に残らない人間なのかな」
 不服そうに青年に言われ、困り果てて薪を見上げる青木の目線を受けて、薪は肩を竦め、苦笑交じりに上条と呼ばれた青年に向かって口を開いた。
「まあ、許してやってくれ。こいつは現場慣れしていないから、髪形と瞳の色を変えられたら、もう見分けがつかないんだ」
 てっきり叱られると思ったのに、薪が自分を庇ってくれた。それが嬉しくて青木はついつい笑顔になる。ここは何とかして彼のことを思い出し、薪の恩情に報いなければ。
 必死に頭を巡らせる青木をよそに、上条青年は呆れたように、
「青木さんて、ほんっとうに薪さん以外の人間に興味ないんだね」
「いや。単なるバカだ」
「こんなに愛されてるんだもんねえ。ぼくがちょっと突いたくらいじゃ、揺らぎもしなかったわけだ」
 自分ひとりだけ話が見えない状況で、青木は尚も考え続けた。薪の言によると、青木の知っている彼とは、髪形と瞳の色が違うらしい。彼の顔立ちと体つきだけを手がかりに、過去の記憶の中から正しい人物像を引き出すことは、青木にはとても難しいことに思えた。

「女性を使えばよかったんだ」
 薪はスマートに腕を組み、自分よりもいくらか背の高い青年を見上げた。
「あの頃の僕なら、大人しく引き下がった」
 薪はそれを、相手の愚かさを揶揄すると同時に自分を嘲る口調で言い、それでいてとてもやさしそうに微笑んだ。
「あの頃の、てことは過去形だね?」
「うん。今はもうダメだ」
「進行しちゃったんだ」
「認めたくないけど、そういうことかな」
「……あれがいい起爆剤になったとか言わないでね。ぼく、失業しちゃうから」
「その方が君のためじゃないのか」
 目の前で展開する二人だけの会話に、青木は置いてけぼりを食ったような気分になる。これがまるで自分に関係のない官房室等の話なら席を外すところだが、どう聞いても薪と自分のプライベイトに係わることに思える。なのに、何を話しているのかまったく分からないというのは焦燥を超えて腹立ちを感じる。

「あのっ!」
 無礼を承知で、青木は二人の間に割って入った。
「オレにも分かるように説明してくれませんか」
「青木さんは知らなくていいよ。こっちの話だから」
 青木の懇願を袖にして、上条青年は冷たく言い切った。
 もとより、彼には期待していない。顔も覚えていない相手に何かを求めようとは思わない。二人に向けた言葉も、本当は恋人にこそ伝えたかった言葉なのだ。
 それなのに薪は、上条以上に冷たく、つんと横を向いて、
「こちらの話だ」
「そんなあ……」
 情けない声を出した青木に、上条青年はくすくすと笑い出し、薪はそっぽを向いたまま。だけどそんな薪の、そびやかした細い顎と半分閉じられた目蓋がギリシャ神話の彫刻みたいにきれいで。こんなときですら青木は彼に見惚れてしまう。
 ぼうっとした青木の耳に、上条青年のからかうような声が聞こえた。

「あーあ。引ったくり犯を投げ飛ばしたときには、あんなにカッコよかったのに」
「引ったくり?」
 事件に関するキーワードが入力されて、青木はようやく記憶のサルベージに成功する。何年前だったか、悪友たちと夜の街を飲み歩いていたとき、引ったくりに遭った少年を助けたことがあった。

「あ、ハルくん? いや、でも、あの子は金髪に緑色の眼だったような」
「あの時はね。その節はお世話になりました」
「なんだ、言ってくれれば良かったのに。元気だったかい?」
 やっと記憶の符号が取れて晴れ晴れとした気持ちで笑った青木に、何故だかハルは訝しげな顔をして、大きな目を2,3度しばたいた。
「大人っぽくなったね。もしかして、いいひと見つかった?」
 その可能性を考えたのは、ハルの態度が昔とは別人のように変貌していたからだ。
 青木が知っている彼は、とても寂しそうな子だった。一人でいるのが耐えられない、と涙を浮かべていた。その彼が今はどうだろう。自信に満ち溢れて、ちょっと溢れすぎて常識の枠から零れてるみたいだけど、とにかく、人生を謳歌しているように見える。その陰にはきっと、彼の元気の元になっている大切な人の存在があると青木は考えたのだ。
 薪さえいれば、どんな落ち込みからも浮上できる自分のように。彼もきっと。

 しかしハルは、青木の言葉に怪訝そうな様子を一層強め、
「薪さんから聞いてないの?」
 ハルの問いかけに、青木は驚く。ハルは近況を薪に報せていたのか。
「薪さん。ハルくんと連絡取り合ってたんですか?」
 薪は青木の質問には答えず、代わりにハルが「そうじゃなくて」と言い掛けたが、薪に眼で黙らされた。泣く子も黙る鬼の室長のひと睨みは今でも健在だ。

「青木さんに説明しなかったの? なんで?」
「したさ。でも彼は信じないんだ、バカだから」
 また青木を蚊帳の外に置いて、二人は話し始める。
「誰かが自分を罠に填めようとするなんて思いもしないんだ。親切な笑顔の裏に込められた悪意を感じ取れない」
「お人好し選手権に出たら、優勝間違い無しだね」
 ハルはそれを屈託のない笑顔で言ったが、さすがに青木でもこれは分かった。褒められてるんじゃない、バカにされてるんだ。
「でも、ぼくはそういう青木さん、好きだな。あの時もすごく親身になってくれてさ、けっこう本気になりかけたんだよ」
「表面上のものしか見えない。救いようのないバカだ」
 ハルのフォローを一刀両断に切り捨てて、薪は苦虫を潰したような顔で青木を罵倒した。薪にバカバカ言われるのは慣れているけれど、あんまり他人の前では言って欲しくない、と少しだけ傷ついた。

「他人は自分を映す鏡とはよく言ったものだ。僕にはあんなにはっきりと見えた君の真実が、彼には見えなかった。それは彼の中に薄汚れたものが存在しないからだ。自分にないものは、他人の中にも見えないんだ」
 その言葉は、青木にはよく聞き取れなかった。
 薪は人と話すときの彼らしくもなく俯いて、その声はひどく小さく、傍にいたハルには聞こえたと思われたが、青木の耳には意味を成さない断片でしか入ってこなかった。

「帰る」
 唐突に宣言して、薪はくるりと後ろを向いた。
「えっ? だってまだ買い物途中」
 止めようとした青木を無視して、レジの方へ歩いていってしまう。薪の気まぐれには慣れたつもりでいても、戸惑うことは未だに多い。
「人参とパプリカと潰れたほうれん草で、何を作る気なんだろ……」
 豪華な夕食は諦め、薪を追いかけようとして青木は、ハルに「じゃあね」と声を掛けた。

「今日は会えてよかったよ。ハルくんが元気にやってるみたいで安心した」
 青木は心から、彼の充実した人生を祝ったつもりだった。しかしハルは何故か形の良いくちびるを皮肉に歪めて、
「青木さんはやさしいね」
 苦々しく言った後、今度はにっこりと笑って、
「でも、すごく残酷なひとだね」
 表情と言葉の乖離に、青木は翻弄される。彼の真意が分からない。彼はいったい何が言いたいのだろう。
「薪さんのことも、いつもその調子で傷つけてたりする?」
「オレは薪さんを傷つけてなんか」 
 たまに薪があんまり可愛くて暴走しちゃうことはあるけど、あれは傷つけると言うよりは可愛がりすぎちゃうって感じで、薪にしてみれば迷惑な話なんだろうけど、そう怒ってる風でもないし。

「ぼくだったら耐えられないな。あなたみたいな人間を間近に見て暮らすなんて」
 そう言ったハルの口調が、昔聞いた彼のものに近しい気がして、青木は眼を瞠った。
 見れば彼の茶色の瞳は、青木が知っている緑色の瞳とはまるで違うそれは、しかし湛えられた孤独だけは記憶の中の彼と同じ、否、よりいっそう深まる寂寥を耐え忍ぶように、暗く虚ろに見えた。
「あなたを好きだったら余計耐えられない。死にたくなるよ、きっと」
「どうして」
「自分に絶望するから」
 彼の声の調子はとても明るくて、スーパーの照明も眩しいくらいで、なのに青木は此処が、自分が被告に立たされた法廷でもあるかのような緊張を強いられる。
 昨夜見たドラマの話にでも興じるかのように、軽やかにハルは続けた。

「青木さん。青木さんは、薪さんが持ち得ないものを無自覚に持ってて、それを目の当たりにするのは薪さんにとって嬉しいと同時にひどく苦しいものなんだってこと、分かってる?」
 ハルの質問は、イエスかノーで解答できるマルバツ問題にも等しかった。でも、答えられなかった。
 質問の意味が分からなかった。去年受けた警視正試験の、青木の苦手な解剖学の設問より意味不明だった。
「そのお人好しを直す事ができないなら、せめてそれだけは気づいてあげなよ」
 捨て台詞のようにうそぶいて、青木の横を通り過ぎていく。薪とは反対の方向に歩いていく彼を追って、青木の頭が右回りに巡らされた。
「薪さんより身長が高いことくらい、自覚してるよ!」
 遠ざかっていく背中にぶつけた言葉に、ハルはぶふっと吹き出して、右手を頭の横に上げ、青木に背中を向けたままひらひらと振ってみせた。そのまま、彼は振り返ることなく青木の前から姿を消した。

 咄嗟に出した解答が絶望的に間違っているのは分かっていたけれど、どうにも腹立ちを抑え切れなかった。
 無礼にもほどがある。薪は自分の恋人で、一緒に暮らし始めて半年にもなるのに、どうしてロクに面識もない彼にそんなことを言われなければならないのだ。彼が薪の何を知っていると言うのだ、何も知らないくせに勝手に薪の気持ちを語るな。
 薪のことなら自分が一番よく分かっている。6年も付き合っている恋人で、今は24時間一緒にいることも珍しくないのだから、理解して当然だと思う。他者のアドバイスなんか要らない、とそこまで傲慢になるつもりはない。これが雪子あたりから出た言葉なら素直に聞いたかもしれない。でも、彼に言われる筋合いはない。

「ったく、最近の若い子は」
 恋人の口癖を真似て苛立ちを吐き捨てた後、青木は3種類の野菜と林檎しか入っていない寂しい買い物カートを押してレジに向かった。





テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

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Sさまへ

Sさま。

>今、あの子が出て来るとは

ハルくん、覚えててもらえました? ありがとうございます。
1回こっきりのキャラでしたから、わたしも忘れかけてたんですけど(笑)
青木さんの限りなくアホに近い美しい精神を描くエピソードを考えてるうちに思い出しました。

え。わたしの脳なんか搭載したら社会人失格の烙印を押され、ごほんごほん。
何はともあれ、楽しんでいただけたなら良かったです(^^

Aさまへ

Aさま。

>相手の悪意を見抜けないのは警察官としてどうかとも思うし、

青木さんの性格って、刑事よりも弁護士向きだと思います。
きっと自分でもそれを自覚してたと想像するのですが、そんな青木さんが警察に入庁した理由はやっぱり薪さんの偉業だったりしたら超萌えます。


>それは時として自分と同じように相手に対しても純粋さを無意識に求めてしまうとか
>実際よりもより良く見てしまう傾向があるかも。

これ、相手によってはけっこう残酷ですよね。善意から発している分、たちが悪い。
薪さんみたいに自己評価の低い人には辛いんじゃないかと妄想して書きました。


>薪さんは青木の無垢で真っ直ぐなところに惹かれているし、離れられないことに変わりは無いですが。

そうなんですよね~。
辛くても、そこが好きなんだもの。
痛みも幸福感に摩り替る。そんな恋もあっていいですよね。
……わたしはゴメンですけど(笑)

Sさまへ

Sさま。

>う~む、青木は相変わらずばかじゃのう。

わはは、ぶった切りましたね★

人間の心理って複雑で、
美しい、守りたいと思うと同時に嫉妬したり壊したいと思ったり。みんなに相手を認めて欲しいと思うと同時に、その素晴らしさを知るのは自分だけでありたいと願ったり。
薪さんもきっと複雑だったんじゃないかと思うんです。
その中で一番大きくて強い感情が「守りたい」だったんじゃないかな。
複雑さの中から浮かび上がった感情だからこそ、強かったんじゃないかな。
そんな風に思います。


プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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法医第十研究室へようこそ!
おかげさまで8歳になりました(^^♪
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