ミラー(4)

 先日からの雑文、これでおしまいです。
 読んでくださってありがとうございました。






ミラー(4)






 休日の午後4時は、少し遅めのティータイムだ。
 今日のスイーツは『タルトタタン風リンゴケーキ』。スーパーで買ってきたリンゴを使って、薪がささっと作ってくれた。「本格的なタルトタタンは2時間くらいかかるけど、これなら1時間くらいでできるから」と薪は言ったが、青木はパイよりスポンジケーキ派だ。きっと、それを考慮した上でこちらを選択してくれたのだ。
 彼の気遣いに気づけたことに、青木は満足する。
 あまり口には出さないけれど、薪はいつも青木の好みを優先してくれるのだ。素っ気無い態度とは裏腹に彼はとても甲斐甲斐しくて、見えないところでたくさん気を配ってくれて、これはそのほんの一例。なんて可愛らしいひとだろう。
 やっぱり、薪のことは自分が一番よくわかっている。

 健気な恋人のために、青木はまごころを込めてコーヒーを淹れる。かぐわしい香気がダイニングに広がると、それを嗅ぎつけたように薪が姿を現した。
「あ。切っちゃったのか、それ」
 ケーキ皿にリンゴケーキが載っているのを見て、薪が眉をひそめた。青木のために焼いてくれたのだと思っていたのだが、もしかしたら誰かにプレゼントしようと思っていたのか。
「すみません。オレのじゃなかったんですか」
「いや、おまえのだけど。そのケーキ、一日おいて、カラメルソースがスポンジに染みたところが美味いんだ。だから今日はリンゴのパルフェでも作ろうかと」
 薪は食器棚の引き出しからフォークを取り出し、両手にケーキの皿を持った。ティータイムはゆっくりくつろげるリビングで楽しむのが薪の流儀だ。
「これはこれで美味いよ。明日残りを食べれば2種類の味を楽しめるしな」
 薪がいなくなってから冷蔵庫を開けてみると、パルフェ用に取り置いたリンゴのコンポートにきちんとラップが掛けられていた。

「そっか。パルフェか」
 それは髪の毛一本ほどの些細な相違で、しかも塵ほどの遺恨も残さず解消されたのに、青木はとても不安な気持ちになった。
 何でも分かるなんて、やっぱり自惚れだった。自分は薪のことを完全には理解できていない。
 自分以外の人間を完全に理解しようなんて考えること自体おこがましい、それは分かっている。だからと言ってその努力を怠ってはいけないと青木は思う。
 青木はこれまで、薪の気持ちを理解したいと思い、観察し、その言動をできるだけポジティブに受け止めてきた。それは薪が好意を行動に表すことが苦手で、そうしなかったら彼に愛されている自信が持てなかったからだ。
 でも今は違う。こうして共に人生を歩もうと決めて、彼の傍に一生居続けることを許されたのだから。彼の好意だけでなく、嫌悪や怨嗟も全部受け止められるようにならなくてはいけないのだ。彼が自分に対して腹を立てているときでさえ、その気持ちを受け止めて、宥められるようにならなければ。

「もうちょっと、甘いほうがよかったか?」
 ふと気がつくと、薪が自分の顔を覗き込んでいた。
 つまらなそうな顔をして食べていたのだろう。せっかく薪が焼いてくれたケーキなのに、自分は何をしているのだろう。
 こんなことではダメだ。心が不安に囚われている状態で、薪を癒せるわけがない。
「薪さん。オレといると苦しいですか?」
 率直さは青木の武器だ。薪には持てない青木の強さ。意識せず、その違いを露呈させた青木に、薪は2,3秒考えると、
「10歳も年下の若造に言われたことで、そんな弱気になってどうするんだ」
 アホらしい、と横を向いて呟いた。
 薪の聴覚機能の秀逸さに、青木は畏怖すら覚える。あの時、薪はすでにスーパーの出口付近に差し掛かっていた。あの距離で会話を聞き取る事ができるなんて、まるで超能力者だ。
「薪さんの耳って、本当に特別製なんですね」
「あほか。そんな特殊能力があったら、とっくに監査課からスカウトがきてる」
 いろいろあって、薪は監査課の人間が全員諜報部員だと信じている。
「顔見れば分かる。おまえ、分かりやすいから」
 言われて青木は眉根を寄せる。聴覚の特殊能力なんかなくても、青木の心を読むことにかけては薪は能力者だ。

「ものすごく頭に来たんです」
 隠しても無駄だと悟って、青木は第二の武器を使うことにした。つまり、正直さだ。
「彼が生意気とかじゃなくて、薪さんのことを何でも分かってるみたいに言うから。オレよりも分かってるみたく言うから」
 薪は今度は4,5秒間考えて、青木の方へ顔を向けた。
「彼は僕に近い場所にいる。だから分かるような気がしたんじゃないかな」
 そう言ってコーヒーカップを口に運ぶ、薪の睫毛に見惚れつつ、青木は不満げな質問を発した。
「恋人のオレよりですか?」
「そういう意味じゃない。魂が似てるって言うか」
「ぜんぜん違います! 薪さんは、強くて男らしくて、高潔な人です!」
 ハルと出会った時のことを思い出して、青木はついムキになる。あの時ハルは、自分を誘惑してきたのだ。いくら寂しいからって、初めて会った男性に一夜限りの関係を求めてくるような、そんな人間と同じはずがない。
 青木が強く主張するのに、薪はコーヒーカップを口につけたまま、
「一緒に暮らしてるんだから、そろそろ化けの皮が剥がれそうなもんだけど」
 一緒に暮らし始めてから、ますます薪が好きになった。薪は思っていたよりずっとやさしいし、想像していたより遥かに実直だ。静かに流れる穏やかな毎日は、しかし青木を鈍感にしたのかもしれない。
「そんなことないです。薪さんは勤勉で、清廉で」
「アイドルの水着写真集を作ってる男を清廉とは言わんだろ」
 そこは否定しない。

「ハルくんは」
 薪が焼いてくれた林檎のケーキを一口頬張って、その味をしっかり味わってから、青木は言った。
「彼は、薪さんが持てないものをオレが持ってるって。それを目の当たりにするのは苦しいはずだって言ってました。
 薪さん、オレといると辛いですか?」
「…………ばっかじゃないのか、おまえ」
 心底呆れ果てたように薪は答えて、フォークで自分のケーキを切り分けた。ぱくりと口に入れて、もごもごと咀嚼しながら、
「どうして一緒にいるのが苦痛な人間と同じ家で暮らさなきゃいけないんだ。僕はマゾヒストじゃないぞ」
 続いてもうひとつ、今度は少し大き目のピースを口に放り込んで、
「だいたい、僕が持ってなくておまえが持ってるものって何だ? 身長か? 剣道大会のトロフィーか? それともバレンタインにもらった本命チョコ―― いい気になるなよ、青木! チョコに添えられたプレゼント率が僕より多かったからって勝った気になってんじゃないぞっ!!」
「いえあの、彼が言ったのは、そういうことじゃないと思うんですけど」
 勝手に思い込んで勝手に怒り出す薪のクセは治らないけれど、こういうことで怒った薪の顔はとてもかわいいから、直して欲しいとも思わない。
「じゃあなんだ。おまえ、僕より優れた何かを持ってるとか自惚れてるんじゃないだろうな? 僕がおまえの年にはもう警視正になってたんだぞ。僕に認めて欲しかったら早いとこ試験に受かってみせろ!」
 やぶへびだ……。

 反論したら薪を激昂させるだけだと悟った青木は、ケーキを食べることに専念した。スポンジケーキの下に敷かれたリンゴの甘煮が、とても爽やかで美味しい。酸味と甘みのバランスが最高だ。スポンジはやわらかくきめ細やかで、奥歯に心地よい弾力を感じる。
 青木は食べることが大好きだ。ちょっとくらいの落ち込みなら、美味しい食事で浮上することができる。生命に直結するその営みを、青木は人生の中心近くに据えている。
 ケーキの美味しさに、自然と笑みをこぼしていた青木を見て、青木の人生の中心に据えられた人物が口を開いた。
「そういうところかな」
 はい? と青木が顔を上げると、薪は苦笑して、
「僕にはケーキ一つで気分を上げるなんて器用なことはできない」
「それ、オレがコドモってことですか」
「正解者にはご褒美だ。パルフェ作ってきてやる」
 結局バカにされていることを知って青木はむくれるが、自分でも単純すぎると思っているから返す言葉もない。軽い足取りでキッチンに歩いていく薪の背中を見送って、青木は残りのケーキをまとめて口の中に入れた。



*****



 冷凍庫を開けて、薪はファミリーサイズのアイスクリームを取り出した。スプーンで大きく抉り取って、オンザロック用のグラスに入れる。適当に砕いたクラッカーをはさみ、その上からもう一度アイスを載せる。リンゴのコンポートを飾って、上からキャラメルソースをかける。仕上げにミントの葉を添えて出来上がり。生クリームがないとちょっと寂しいけど、今日は買ってくるのを忘れた。

 恋人のために追加のデザートを作りながら、薪は思う。
 青木の中には邪心がない。自分にないものは他人の中にも見つけることができない。その可能性を思いつくことができない。だから彼は、ハルが人に雇われて自分たちの仲を裂こうとした刺客だったことにも気付かない。未だにハルの作り話を信じているのだ。
 他人の言葉の裏側を探り、笑顔に隠された悪意を暴き出すことばかり考えてきた薪にとって、青木のような人間はとても眩しい。眩しくて、まともに見られないくらいだ。
 と同時に、自分の汚さを強烈に思い知らされて息苦しくなる。きっとハルは、そう言いたかったのだろう。

 侮るなよ、と薪は心の中で、スーパーで再会した青年の顔を思い出す。
 憧れて憧れて、でも決して手に入らない。そういう人間との付き合いは僕は慣れているんだ。19の時からずっと、もう20年以上だ。苦しさなんかとっくに忘れた。
 羨望もある、自己嫌悪もある。おそらく、生れ落ちたときから彼らと自分は違うのだ。魂の色が違う。
 他人と接したとき、無意識に湧き上がるいやらしい疑心を、僕が努めて考えまいと意識する負の思考を、青木は思いつくことすらない。なんてきれいな精神。
 それを無垢と取るか愚かと捕らえるかはひとの自由だけど、僕にはとても美しく見える。
 それを壊したくないと思う。守りたいと思う。
 その気持ちは、絶えず自省する苦しさを超えて、強く大切なものなんだ。
 上条、おまえには分かるまい。哀れなやつだ。別れさせ屋なんて商売してるからだ。自業自得だ、いい気味だ。過去のこととはいえ僕の青木を誘惑しやがって、しかも抱きついて頭と背中を撫でてもらっただと? 自慢そうにほざきやがってあの小僧っ……いかんいかん、また負のスパイラルが……。

「薪さん、頭痛ですか? お薬飲みますか?」
 無意識のうちに手を額に当てた薪に、青木が心配そうに訊いてくる。大丈夫だ、と断って薪は、青木が淹れ替えてくれたコーヒーに手を伸ばした。
 額に手を当てていれば頭痛だと思い込む。青木の単純さを愛しく思いながら、絶品のコーヒーに頬を緩ませる。
 至福のときだ。
 この一瞬一瞬が、替えがたく貴重だ。青木がいるだけで、すべてのものが愛おしく感じる。目の前の大男はもちろんのこと、揃いのコーヒーカップや色違いで買ったクッション、そんなものにまでうれしさを感じる。
 この高揚感を味わってしまったら、どんなに苦しくても抜けられない。そしてそのうち、苦しみは幸福感にすり替わってしまうんだ。

「しみじみ考えたんですけど。薪さんがオレに劣等感を持つことなんか、それこそあり得ないんですよね。ハルくんだって薪さんの階級を知ってるんだから、そんなの分かってたはずなのに」
 スプーンでアイスクリームを口に運びながら、青木は不思議そうに言った。
「どうしてハルくんは、オレにあんなこと言ったんだろう」
「バカだな、まだ分からないのか?」
 愚かに悩み続ける青木の様子が可愛くて、薪はついつい彼をかまいたくなる。
「あの子、昔おまえに一目惚したんだろう? 僕にヤキモチ妬いたに決まってるじゃないか」
「あっ、なるほど。まだオレに気があったってことですか」
 ……なんだろう。急に青木の後頭部を蹴り飛ばしたくなったぞ。
「そういえばさっきも『けっこう本気になりかけた』とかって言ってましたね。あれってそういう意味だったのかな」
 先刻の会話から都合の良いところだけを抜き出して、青木はうんうんと頷いた。
 どうしてだろう、凶悪な気分が抑えられなくなってきたぞ。てか、すべてのものが憎たらしい。特に目の前の大男。

「青木。コーヒーお代わり」
「いやあ、まいったな――痛っ!!」
 空になったコーヒーカップを、テーブルではなく青木の頭頂部に置く。ゴツン! と派手な音がして青木が両手で頭を押さえた。痛かったらしい。
「何するんですか、いきなり」
「今日の夕飯は人参オンリーの散らし寿司だからな。覚悟しとけよ」
「そ、そんなあ」
「うるさい、さっさとコーヒー淹れてこい!」
 背中を丸めて台所に姿を消す恋人に、薪はふんと鼻を鳴らす。それからふと、青木の単純さを思い出して頬を緩めた。
「本当に、救いようのないバカだな」
 青木が食べ終えたパルフェのグラスを持って立ち上がり、薪は恋人がコーヒーを淹れているキッチンへと向かった。




(おしまい)



(2011.5)




 古い話ですみませんでしたー。
 次は新しいの行きますね。
 時季的にバレンタインネタで……うけけけっ。←不吉な笑い。



テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

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Aさまへ

Aさま。

そうなんですよー、現場が止まってしまって。
雪かきは大変だし凍ると処理に困るし。雪が嬉しいのは子供だけですねえ。


>薪さんも青木を眩しく感じて自省することもあるけどそれ以上に青木の美しい魂を守りたいと思うのですね(^^)

そうそう、そういうことを言いたかったのです。
いいな~、Aさんは的確に自分の考えを言えて。
わたし、そういうのすごく苦手で。Aさんみたいに自分の意見を簡潔にまとめるのが上手な人、羨ましいです。


プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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