チャレンジャー(2)

チャレンジャー(2)






 薪がリビングに戻ってきたのは、来客が帰った5分後。
「帰ったのか、あの二人」
「はい。薪さんによろしくって言ってました」
 薪のマグカップだけを残してすっかりきれいになったテーブルを見て薪が尋ねるのに、青木は微笑む。「ふうん」と頷いた横顔はいつもの澄まし顔。パニックは治まったようだ。

 放置状態のコーヒーはすっかり冷めてしまっていたが、薪はそれを飲み干した。喉が渇いていたらしく、彼はスポーツドリンクを呷る勢いでコーヒーカップを傾けた。
「青木。あいつらもしかして、僕たちのこと」
「まさか」
 空になったカップを弄りながら、薪がその疑惑を口にすると、青木は即座にそれを否定した。彼の憂い顔は増やしたくない。
「大丈夫です。誰にも気付かれてませんよ」
「本当に?」
「ええ」
 それならいいけど、と安堵のため息をつき、背もたれにもたれかかる。よっぽど神経を磨り減らしたらしい。
 薪が必死で二人の関係を隠そうとするのは、青木のためだ。羞恥心や保身が全く無いとは言わないが、青木の将来に影を落とすことを怖れているのだと思う。
 青木も昔は似たようなことを考えていた。自分の存在は薪の足枷になると、だったら身を引くべきではないのかと、らしくない考えに囚われたりもした。でも今はそうは思わない。

 極論してしまえば。
 例え自分の存在が薪を不幸にしたとしても、青木は彼と別れない。

 細かいことを言えばきりがない。同じマンションの住人にだって、自分たちの関係は疑われているだろう。小野田の友人である管理人に至ってはもっと大変だ。彼は薪と小野田の娘が婚約していたことを知っている。世間的には薪が当て馬になった形だから、もう完全に彼の中で薪は『女に騙されて女性不信になった挙句男に走ったカワイソウな男』になっている。網膜認証手続きの際、「あんたは薪さんを裏切ったりしないであげてよね」と言われたのは、彼の中でそういうストーリーが出来上がっていた証拠だ。
 そんな調子で、自分の存在は薪にとってマイナスになる事も多い。薪の出世の妨げになっていることも分かっている。
 それでも。彼と離れたくない。
 自分が彼をこの世で一番幸せにできるのだという確固たる自信もないくせに、人間的に考えてそれってどうなんだろう、と己の中で迷う声もあるけれど。意識的に耳を塞ぐことにしている。
 相手は天才警視長。凡人の青木が並大抵の努力で追いつけるものじゃない。なりふり構わず挑み続けなければならないのだ。

「青木」
 思い詰めた様子で青木の名前を呼んだ薪は、カップを弄るのを止めて、それをテーブルに置いた。
「これからこういうことがあったら、おまえは何も言わなくていい。対処は僕がする」
 でも、と青木は言い掛けた。が、薪は青木の反論を待たずに、
「この次は上手くやる。これは僕の仕事だ」
 常に同等でありたいと望む青木の気持ちとは裏腹に、薪は自分の仕事を増やしたがる。自分は年上だからと言う理由で、常に青木よりも多くの責任を持つ必要があると考えている。どちらも大人なのだから年なんか関係ないのに。
 だから青木は言ったのだ。
「どちらか片方の仕事ってことはないと思います。薪さんは何でも一人で抱え込むのがお好きですけど。一緒に暮らしてるんですから、オレにも分けてくださらないと」
 これが仕事の事だったら、青木は絶対に余計な口は挟まない。だが、プライベートなら話は別だ。
 しかし薪は頑なに首を振り、青木の申し入れを拒否した。
「僕は嘘が上手いし。吐き慣れてるから」
 たしかに、薪は嘘が上手だ。捜査上の秘密を守りつつマスコミの質問に答えなければいけない彼は、幾つかの情報を故意に隠すことがある。そういうときの薪の嘘は実に巧みで、質問者達を完璧に煙に巻いた上、本当のことを知ってから聞けばそんな風に取れないこともない、という話し方をするから騙されたと非難することもできない。
 だけど、それはあくまで仕事の話。近しい人たちに嘘を吐くことを薪は好まないし、心苦しく思っていることを青木は知っている。

「いいえ。いつまでも薪さんにばかり嫌な役目を押し付けるのは」
「だっておまえ、嘘は苦手だろ」
 思わず青木は黙った。
 自分はそんなにいい子じゃない。嘘を吐いたくらいで胸が痛むような純情な人間ではない。この瞬間だって、恋人を騙している。誰も自分たちのことに気付いていないと、白々しい嘘を吐いている。
 ずん、と心が重くなる。苦しさを吐き出すように青木は言った。
「薪さんは誤解してます。オレは、そんなに心のきれいな人間じゃ」
「僕の力が足りないせいで、青木を嘘つきにするのは嫌だ」

 嘘を吐くのは辛いだろうと、おまえにそんな思いはさせたくないと。
 そんな風に思えるのは、嘘を吐くことの苦しさを知っている証拠。吐かざるを得ない嘘に、隠さなければいけない真実に、彼がずっと傷ついてきたことの証なのだと青木は思った。
 警察機構の隠蔽体質が清廉な彼にどれほどの負担を強いてきたのか、想像に難くない。階級が上がるにつれて隠さなくてはいけない秘密は増え、その闇は深まって行く。それは薪に限ったことではない。匿った秘密のどす黒さに誰もが呑まれ、同じ色に染まって行く、そんな組織の中で。
 割り切ってしまえば楽になれるものを、真面目な彼はそれができない。その度に悩んで傷ついて悔し涙にくれて、辛ければ他に道もあっただろうに、分岐点では必ず険しい方を選んでしまう。それが亡き親友の願いであったと彼は信じているから。
 鈴木の願いは、薪の心からの笑み。それは自分を騙していては決して得られないのだと、薪には分かっているのだ。

 不意に、強い力で抱きしめたから。
 驚いた薪の手が空を泳ぎ、指先に当たったカップが床に転げ落ちた。「青木?」と薪は青木の腕の中で不思議そうな声を上げたが、青木はそれに応える言葉を持たない。
 孤高の戦いを続ける薪が、切なかった。




*****



 青木の腕の中で、薪は必死に考える。自分はまた何か、彼を傷つけるようなことを言ってしまったのだろうか。
 青木はやさしい。その分、他人の痛みに敏感だ。彼がこんな風に薪を抱きしめるときは、誰かの痛みに同調していることが多い。
 感情に支配された人間を言葉で慰めるのは、あまり上手いやり方ではない。言葉を理解するための左脳が麻痺した状態だからだ。だから薪は、黙って青木のしたいようにさせてやる。他人の体温を感じることで青木が落ち着くなら、このまま動かないでいてやろう。

 折り畳まれた右脚の感覚が無くなる頃、ようやく青木は腕の力を抜き、薪を少しだけ自由にしてくれた。薪は深呼吸をしながらそろそろと足を直し、ジンジン言う独特の感覚に眉をしかめる。今だけは誰にも触られたくない。反射的に殴り倒してしまいそうだ。
 苦痛に歪む薪の顔を見て何を誤解したのか、青木が深刻そうに言った。
「薪さん、オレも同じです。オレの未熟であなたに嘘を吐かせたくありません」
「おまえの下手くそな嘘なんて、吐けば吐くほど墓穴だと思うぞ」
「たった今、薪さんが掘ってらしたのは何ですか」という質問はスルーした。済んだことをぐちゃぐちゃ言うなんて、男らしくない。
「悲しいことも苦しいことも独り占めしないで。オレにも半分、分けてください」

「……わかった。じゃあとりあえず殴らせろ」
 は? と点目になった青木の横っ面を裏拳で撫でる。床に尻もちをついてぽかんとしている青木に、薪は右脚を庇いながら、
「おまえのバカ力で動けなかったから脚が痺れて、~~~っ!」
 それから青木を殴った拳をぐいと突き出して言った。
「半分だ」
「いやあの、そういう意味じゃなくてですね、これは二人の問題ですから二人で対応するべきだと」
 青木はなおも言い募ったが、薪はもうそれどころじゃない。ううう、と呻きながら右脚をさすっている様子に、やがて青木も諦めた。肩の力を抜いて失笑する青木に、今なら自分の気持ちを言葉で伝えることができると薪は考える。

「分かったよ。どちらにせよ、全部はカバーしきれないしな」
 青木に同情されていたことを知って、薪は苦笑を隠せない。この状況を、自分も落ちたものだと思うか優しい恋人を持って幸せだと思うかは人それぞれで、世間一般では後者の方が幸せに近い人間の思考と言える。が、残念ながら薪は前者だ。
「考えてみたら無理だよな。おまえの友だち関係とか」
 自分の力不足を素直に認めて青木の助力を請うと、青木は途端に元気になって、
「安心してください。こう見えてもオレ、先輩たちの飲み会から逃れるための嘘は吐き慣れてるんですよ」
「その割には次の日、罰ゲームとか言って、1時間近く並ばなきゃ買えない人気店の弁当買いに行かされてないか」
「……どうして先輩たちってあんなに鋭いんですかね」
 青木が小池たちの誘いを嘘を用いて断るのは、薪との約束がある時だ。当然、翌日は顔が緩んでいる。あれで気付かない方がおかしい。

「よし。僕がウソツキの極意を教えてやる」
「はい?」
「いいか、一番大事なのは平常心だ。パニックはいかん」
「説得力ないんですけど」
「あ? まるで僕がパニックに陥って要らんこと言って自分で自分の首を絞める様子を見ていたような言い方だな?」
「……薪さんて本当にご自分に都合の悪いことは一瞬で忘れますよね」
 ふてぶてしくシラを切る薪に、青木は額を押さえて溜息を吐いた。それから少しだけ悪戯っぽく笑って、
「あのシュークリーム、べらぼうに美味しかったですね」と聞き覚えのあるセリフを繰り返した。なんて意地の悪い、青木はいつの間にこんなに性格が曲がったんだろう。きっと小池辺りの影響に違いない。

「そんなところから聞いてたのか。なんでもっと早く助けに来ないんだよ」
「は? 全部自分に任せろとかおっしゃいませんでした?」
「それは今の話だろ。僕が言ったのはその前だ。僕があんなに困ってたのに知らん顔して、冷たいやつだ」
「ちょっと待ってくださいよ。ちゃんと助けたじゃないですか」
「遅い。グズ。ノロマ」
「結局オレのせいなんですね」
 青木はもう一度額を押さえ、でも今度は逆襲してこなかった。いい判断だ、次に何か生意気なことを言ったら問答無用で蹴りがいくところだ。

「でもあれ、本当に美味しかったですよね。もっと食べたかったな」
 青木は空のケーキ箱をひっくり返して店舗名を見つけ出し、ネット検索を掛けた。彼の熱意に、薪は引く。洋菓子なんて一日に何個も食べるもんじゃない。
「一日百個の限定品を並んで買ってきたって言ってたぞ。もう売り切れてるんじゃないか」
 冷たく言われてガッカリする恋人に、薪は仕方なさそうに、
「僕が作ってやるから。それで我慢しろ」
 青木はたちまち嬉しそうな顔になって立ち上がると、「お手伝いします」とキッチンへ向かった。恋人の現金さに苦笑しつつ、薪は、未だ痺れの取れない右脚を引き摺りながら青木の後を追った。



*****



 青木はいつも考える。自分は彼のために何ができるのだろう。
 薪にはいつも不安がある。自分の非力な手で、どうやったら彼を守りきれるのだろう。

 一生かけても完全な解は得られないであろう命題に、彼らは今日も取り組む。互いを水先案内にして、複雑怪奇な迷路に挑む。
 二人は肩を並べて前を向く。横を見て、相手が笑っていれば正しい道を進んでいる証拠。眉根を寄せれば行き止まりの予感。涙を浮かべればその先は袋小路、速やかに回れ右だ。
 迷って悩んで行き詰まり、苛立って壁を叩いたりする。壁は簡単に壊れてしまうときもあれば、叩いた手が傷つくほど強固だったりもする。そういう時は戻るしかない。
 臨機応変に柔軟に。一歩一歩進んでいく。彼らはやや不器用な者とひどく不器用な者のペアだから、そんな地道な進み方しかできないけれど。クリアしてきた迷路はなかなかに高度で、その分、確かな実力を身につけている。

 新しい迷路に、再び彼らは挑む。心から笑い合えるゴールを目指して。




(おしまい)



(2013.5)←また1年寝かすところだったー。

テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

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No title

待ってましたーー!お仕事もお疲れさまです!!
すっかり男爵薪さんのトリコのnokoです。
都合の悪い所はスルーしちゃう薪さん(笑)最高ですね1
けっこう頼りがいのある青木にも良いです〜〜!
どんどん次が読みたくなる・・・・(←図々しく催促?!)の
ですが、暑くなったり、寒くなったり、の季節ですから
ご自愛下さいね♪
さて、桜の季節なので桜シリーズを読み返して楽しみます^^

nokoさまへ

nokoさま。

更新を待っててくださってありがとうございます(^^


>都合の悪い所はスルーしちゃう薪さん(笑)

今回も男爵サクレツでございますww
薪さんが男爵になると、自動的に青木さんがナイスガイになるんですよね。
よくある話で、親がダメだと子供がしっかりするじゃないですか。あれと同じで、え、子供グレる? うーん、そうかー。


わたしの体調にまでお気遣いいただいて、ありがとうございます。
久しぶりに事務所に戻ってきたら、事務仕事が山のように溜まってて(^^;) もっか、半年前の工事台帳を絶賛作成中です。
あと、事務所の大掃除をしてます。うちの会社は春になると暇になるんで、毎年、この時期に大掃除をするんです。大量のゴミが出ますが、周りがスッキリして仕事がしやすくなります。
片付けの苦手そうな曽我さん辺りに、薪さんが、「机が汚いやつに限って仕事もできない」とか、超クールに言い捨てる妄想をしながら、毎日書類庫の整理に励んでいます。


Aさまへ

Aさま。

>年上だからとか抜きに同等にお互いをカバーし合って楽しく幸せに暮らして欲しいです。

理想ですよね~。
お名前出しちゃってアレなんですけど、かのんさんのとこのお二人って、そうじゃないですか? わたしの理想の二人って、まさにあの二人なんです。ああいうのいいな~、と思って書くんですけど、Sの血が邪魔するんです(笑)


>そして、たまに邪魔しに来る小池と曽我(笑)

いいですねえ、楽しそうですねえ。そして、
調子に乗り過ぎて岡部さんにシメられるとww
プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

しづの日誌

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毎日たくさんの拍手をありがとうございます。励まされてます。
おかげさまで、しづは元気で仕事してます。(10/28)
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