仮面の告白(2)

仮面の告白(2)








 500枚近いDVDのチェックがようやく済んだのは、夜半過ぎだった。
 金曜の夜に全員が残業というイタイ結果になってしまったが、おかげで休日出勤の必要はなくなった。明日が休日なら、一杯飲みたくなるのがサラリーマンというものだ。警察官とて例外ではない。
 しかし、この時刻ではどこのバーも閉店間際でゆっくり飲むことなどできないだろう。スナックなら開いているだろうが、薪が好む和食が美味い小料理屋はとっくに閉店している時間だ。
 こういうときは、家で飲むに限る。薪が岡部を自宅に誘い、青木がそれを聞きつけて図々しく付いてくる。近頃このパターンが定番になりつつある。

「まったく、雪子さんには敵わないよな」
「オレ、女性不信になりそうです……」
 薪のマンションのリビングで、床に車座になって、それぞれ好みの酒を飲んでいる。
 酒を飲むときには胡坐が一番だ。床暖房が効いて暖かいし、眠くなったらそのまま寝てしまえる。尻に敷いた座布団は、寝具の代わりになるのだ。
 つまみは昨夜の煮物の残りと、青木のリクエストの卵焼き、岡部が持ってきた自家製のぬか漬け。これがかなり美味い。岡部の母親の自信作だ。

「三好先生らしいですね。俺は実際見たわけじゃありませんけど」
 あのとき、岡部だけは室長室で薪のPCを見ていた。だから、モニタールームに雪子が来ていたことも、DVDをダビングして持っていったことも、知らなかったのだ。
「あれくらいじゃなきゃ、医者なんかやってられないんだろ」
「徹底したプロ意識ですね」
「それにひきかえ」
 薪がジロリと青木のほうを睨む。……嫌な予感がする。

「こいつときたら、AVに興奮して鼻血出してぶっ倒れたんだ。情けないったらありゃしない。雪子さんの爪の垢でも煎じて飲ませてもらえ」
 やっぱり誤解されている。誤解を解きたいが、それには本当のことを言わなければならない。言ったらさらに立場が悪くなる。青木は口を閉ざした。
「いいじゃないですか。若い証拠ですよ」
「ったく、岡部は青木に甘いんだから。だからこいつがつけあがるんだ」
 いつもこんな調子で、薪に苛められると岡部が青木を庇ってくれる。それが嬉しくもあり、悔しくもある。青木がこんなふうに反論したら薪はたちまち怒り出す。それが岡部の言葉だと不承不承ではあるが矛先を収めてくれる。岡部と薪の仲の良さを見せ付けられているようで、青木はちくりと胸が痛む。

「青木は純情なんですよ」
 岡部が言うように、青木は純情だと周りには思われているが、実はそうでもない。
 昔は彼女もいたし、女性経験もちゃんとある。意外なことに、けっこうその中身が濃い。人数はさほどでもないが、好きになった相手との性交渉では徹底的に奉仕する主義だ。相手の悦ぶ姿を見て自分も興奮を高めるタイプなので、青木の恋人の性生活は非常に充実したものになっていたはずだ。
 しかし、それは昔の話。

 いま青木の心を占めているのは、目の前で胡坐をかき、ぐい飲みの酒を傾けているきれいな横顔である。
 頻繁に夢に出てくるその美貌は、青木の識意下ではとても可愛くて、そのくせ淫らな行動をとる。この頃は夢だけでは我慢できなくなって、夜ごと想像の中で色々なことをさせてしまっている。
 その色々なことの中には、今日見たAVのような行為も含まれている。アイスキャンディーをしゃぶっていた薪のくちびると舌の動きは、青木の想像と正に重なっていて……それを思い出して腰砕けになってしまった、というのが真相である。

「でも、そんなんじゃ、女ひとりモノにできないだろう。画で鼻血噴くようなヤツが実物を目の前にしたら、脳の血管切れちまうだろ」
 薪は酔っ払うとけっこうしつこい。どちらかというと絡み酒のきらいがある。
「まさかおまえ、24にもなって経験ないんじゃ」
 童貞扱いまでされている。さすがにここは否定しておかないと、男の面子に関わる。
「違いますよ。オレだってそこまで子供じゃありません」
「じゃあ何で鼻血なんか出したんだ?」
 ……言えない。言ったら殺される。
「ほらみろ。まったく情けないやつだ」
「薪さんは平気なんですか?」
「僕は平気だ。見ても何も感じない。セックスなんて見るもんじゃなくて、やるもんだろ」
 それは確かに正論だが、薪の顔にはまったく似合わない。

 亜麻色の大きな二重の眼、長い睫毛。小ぶりな鼻に幼げな頬のライン。亜麻色の短髪が良く似合う。そんな幼い顔の中で濡れたように光るくちびるだけが彼の成熟を顕していて、大人の色香を感じさせる。
 本人はそう表現されることを殊更嫌うのだが、まるで女のような―――― 青木にとっては、女より美しい顔だ。
 その美しい顔が、とんでもないことを言い出した。
 
「岡部。おまえ、やるとしたらどんな女が好き?」
「はっ!?」
 やるってなにを!?
 言葉にならない青木の叫びをきれいに無視して、岡部が天気の話でもするかのように薪の問いに答える。
「俺は細身のほうが好きですね」
「そうか? 僕はちょっとぽっちゃりした娘がいいな。抱いたときに骨が当たっちゃうような女はダメだ。胸は大きいほうがいいし、お尻とか太腿とか、やわらかいほうが抱き心地いいだろ」
 リアルな好みである。
 薪の顔に似合わない言動には大分慣れてきたつもりだが、こういう方面の話題は特に似合わない。というか、薪のそういう場面が想像できない。薪だってこんな顔をしていても中身は普通の男なのだから、年齢から考慮して性経験がないわけはないのだが、やっぱり想像がつかない。
 色気がないわけではない。
 今だって、岡部がいなければ押し倒したいくらいだ。そうではなく、薪が自分から積極的に女の上に乗るという構図がどうしてもイメージできないのだ。
 個人的な理由から、薪のそういう場面には特に想像を豊かにしてしまう青木だが、薪の場合、上になるのではなく下になるイメージが強くて……相手が男の場合はもちろん、女相手ですら下になっていそうで怖い。

「やっぱり若い方がいいですよね」
「僕はベテランのほうがいいなあ。人妻とか。なんでもやってくれそうで」
「ベテランはともかく、人妻はまずいでしょう」
 公僕のイメージを壊す不倫や風俗は、警察官にはご法度である。
 これは実際、かなり厳しく査察が入る。そのための部署として、警務部の人事課の中に監査課というのがある。そういう内部告発の類があると、問題の人物の素行調査はもちろん、尾行までつけてプライベートを暴き出す。風紀良俗に反するような行為が確認されれば、降格や減俸のペナルティが科せられる。

「おまえは?」
「オレは好きになっちゃえば関係ないです」
 既に性別まで関係なくなってます、とこれは心の中で呟くに留めておく。
 薪には自分の気持ちを伝えてあるが、岡部は何も知らない。知られれば薪にも迷惑がかかる。だから青木は、第九の仲間の前では特に言動に注意している。たまに暴走してしまうが。
「恋人の話じゃなくて、寝るんならどんな女かって話だよ」
 無意味な質問をしないで欲しい。薪さん以外目に入りません―――― こないだそう言ったばかりだと思うが、もう忘れられてしまったのだろうか。
 
「オレ、気持ちが入らないとそういうことできません」
「女に不自由したことのないやつの言い草だな。いやなやつ」
「そうじゃなくて……ダメなんです。好きな相手とじゃないと、役に立たないんです」
「そうなのか? それもまた不便だな」
 不便、というのだろうか。青木には普通のことなのだが。
 気持ちが入らないセックスなんか、青木にとっては排泄行為と一緒だ。
 ただの生理現象を見ず知らずの他人と分け合うなんて、ひとつのトイレに二人で入るようなものだ。だから青木は、風俗には興味がない。まずは恋をしなかったらその先には進めない。真面目な男なのだ。
 
「まあ、太くても細くてもいいんだけどさ。結局は締まり具合だよな」
 現在青木が夢中で恋をしている相手は、女みたいな顔をしてそんなことを言っている。男同士で酒を飲むときに下ネタと女の話は欠かせないが、酔いが回るにつれてその内容はどんどんエスカレートしていく。この3人も例外ではない。
「見た目に騙されちゃダメだよな。年とか関係ないもんな。清純そうな顔してて、あっちはガバガバとかさ。びっくりするよな、あれ」
「薪さんのそのセリフにびっくりです……」
 青木の突っ込みを気に留める素振りもなく、薪は亜麻色の瞳を上方に移動させて、何かを思い出しているようだ。
 
「警視正になると査察が入るから、風俗禁止だろ。26の特別承認からずっとだから……うわあ、もう10年だ。このままじゃやりかた忘れちゃうよ。忘れないうちにやっとかないとやばいな。早く彼女作らないと」 
「いないんですか? 彼女」
「いたら、金曜の夜にこんなところでおまえらと酒なんか飲んでないだろ。とっくにホテルに連れ込んでるよ」
 連れ込むというか連れ込まれるというか、薪の場合は微妙なところだ。

「でも、素人女って面倒臭いんだよな。こっちはやりたいだけなのに、映画だ食事だ夜景だって。ホテルに連れ込むまでがさ、タルくって」
 このひとは、男としては最低の部類だ。むかし第九の先輩たちが酒の肴に話していた『彼女いない歴35年』は真面目な話かもしれない。
「その点、プロはいいよな。ああ~、ソープ行きたい」
「ダメですよ。警察官は風俗店出入り禁止です」
「みんな陰ではやってるんだよな」
「薪さんはダメですよ。注目度高いんですから。監査官に速攻で密告られますよ」
「それはまずいな。やっぱり街に出て引っ掛けるしかないか。金さえ払わなきゃ、自由恋愛で通せるもんな。でも面倒くさいなあ」
「それも楽しみのひとつでしょう」
「そうかあ? 僕はいやだな。あんな面倒な思いするくらいなら、ここでおまえたちと酒飲んでたほうがいい」
「彼女できないはずだ……」
「なんか言ったか、青木。おまえだって彼女に振られたくせに」
「薪さんがむちゃくちゃなシフト組むからでしょうが」
「人のせいにするな! いいか、女なんてもんはな、たとえ月に一回でも、しっかり相手の身体に自分のことを覚え込ませときゃ大丈夫なんだ。回数じゃなくて密度だ。僕の経験から言うとだな」

 まるっきり酔っ払いの喋り方になっている。本当に顔に似合わない。
 しかし、くだを巻いている薪はとても可愛い。表情が豊かだし、反応も面白い。なにより酔いが回ってくるにつれて、薪の笑顔が多くなってくるのが嬉しい。だから絡まれると解っていても、青木は薪と酒を飲むのが楽しみでたまらない。

 やがて薪は大きな欠伸をひとつすると、座布団を抱えてその場に横になってしまった。飲むピッチが早い割りに、それほど酒には強くない。そこがまた可愛いのだ。
 すぐに寝息が聞こえてくる。岡部と青木は顔を見合わせて苦笑する。誘った本人が一番に酔いつぶれてしまうのも、いつものことだ。

「室長って真面目そうだけど、けっこう遊んでるんですね」
 平静を装って聞いていたが、薪の武勇伝は青木にはかなりのショックである。
 清廉な印象が強かった分、イメージダウンが激しい。自分の気持ちを知っていて過去の女の話をするというのも、無神経といえば無神経だ。
「……まあ、室長だって普通の男だからな」
「ですよね」
 くーくーと可愛らしい寝息を立てている薪の体を抱き上げて、いつものように寝室へ運ぶ。
 真っ白いシーツが掛かったセミダブルのベッドに細い体を横たえて、首元まで布団をかぶせてやる。まったく手間のかかる上司だ。

 こんなあどけない顔をしているのに、さっきの話は本当なのだろうか。
 それもひとりの女性を愛しているならともかく、なんだか次々と相手を変えているような口ぶりだった。少なくとも3人の女性が、薪の話の中には出てきた。閨房の中のこともあからさまで、微に入り細に入り、もの凄く生々しい描写だった。

 ベッドの脇にかがみこんで、その寝顔を見つめる。
 この艶めいたくちびるが、女の乳房を吸ったのだろうか。薪の優雅な手が、しなやかな身体が、女の身体をまさぐって愛撫して犯して……。
 いつもは見ているだけで幸せな気持ちになれる薪の寝顔が、なんだかひどく腹立たしい。油性マジックで落書きでもしてやりたい気分だ。

「……よせよ」
 しまった。薪の人間離れした鋭さを忘れていた。
「ダメだってば」
 ちがった。寝言だ。
「そんなとこさわっちゃ」
 こちら側に寝返りを打ち、幸せそうな顔になる。女の夢でも見ているのだろうか。
「すずき……」
 ……………。

 こんなに好きな人がいるのに、男というのは不思議な生き物だ。青木には理解できないが、友人の中にもそういう男はたくさんいる。
 大恋愛の末に駆け落ち同然で結婚しておいて、1年も経たないうちに他の女とできてしまったり、子供が3人もいるのに毎週末はよその女の家に泊り込んでいたり、結婚しても風俗通いが止められなかったり。
 セックスと恋愛は別物だとその友人たちは口を揃えて言うが、薪もそう思っているのだろうか。

 自分の考えが古いのかもしれない。いつの時代の人間だよ、と友人たちにもよくからかわれる。
 しかし、青木には心の伴わないセックスはできない。逆に好きになってしまえば相手の美醜は関係ない。
 誠実といえば誠実なのだが、困ったこともある。実際、いま困っている。
 好きになってしまったら……相手がどんな人間でも関係ないのだ。
 もしも薪がこれほどきれいな人でなかったら、好きにならなかっただろうかとも思うが、自分は相手の容姿に惚れこむ類の人間ではない。内面に惹かれるタイプだ。
 ところが、ようやく解ってきた薪の性格は、わがままで自分勝手で高慢で自己中。皮肉屋で意地悪でお天気屋で癇癪もち。どう贔屓目に見ても青木の好みではない。というか、こんな性格の恋人を持ちたいと思う男はこの世にいない。
 しかし、青木にはそのわがままが可愛く思えてしまう。意地悪な笑みがとても魅力的に見えてしまう。これに困っている。
 今だってあんな話をされて、幻滅してもいいはずなのに悲しいだけで、想いが薄れる気配もない。好きな相手のことならすべてが許せてしまう。奥さんに浮気されても、「本当に好きなのはあなただけなの」と簡単に誤魔化されてしまうタイプである。

 寝室を出ると青木は、自分のグラスと薪のグラスを盆に乗せ、辺りを片付け始めた。
「なんだ。帰るのか?」
「はい」
「珍しいな。薪さんの朝メシはいいのか?」
「……今日はいいです」
 今日の明日で、薪と平気で話ができるか自信がない。世の中には知らないほうが幸せなこともたくさんあるのだ。
「どうやって帰る気だ? もう、終電ないだろう」
「大丈夫です。タクシー拾いますから」
 岡部は不思議そうな顔をしている。青木の気持ちを知らないのだから無理はない。今の話がどれだけ青木の心を傷つけたのか、解るはずもないのだ。

「実はさっき友達からメールが来て。近くで飲んでるみたいだから、これから合流しようと思うんです」
 もちろん嘘だ。
 しかしこうでも言わないと、岡部が不審がる。勘のいい岡部のことだ。自分の気持ちに気付くかもしれない。それはまずい。
「そうか。じゃあ、気をつけてな」
「はい」
 優しい先輩の気遣いを受けて、青木は薪のマンションを出て行った。


テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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