イヴに捧げる殺人 後日談(2)

 いっつも後手に回ってすみませんー。注釈入れるの忘れてました(^^;
 礼子が勤めてるキャバクラは、羽佐間さんの行きつけです。羽佐間さんは薪さんの捜一時代の指導員です。ADカテゴリの「折れない翼」という話に書いてあります。よろしくです。






イヴに捧げる殺人 後日談(2)






「夜間高校行ってるの。明後日、数学の追試なんだ」
 窓際に置かれた勉強机代わりのローテーブルの前で、礼子は数学の教科書を掲げてみせた。

 礼子のアパートは小間使いのユリエの私室より小さくて古い物件だったけれど、こまめに掃除されているようだった。ここも店のママの持ち物だそうで、彼女は礼子の生活を全般に渡ってサポートしてくれているらしい。おそらく薪が昔のツテを使って、頼み込んだのだろう。
 部屋を見回して、青木は複雑な顔をした。女の子の部屋というよりは男の子の部屋みたいだったからだ。カーテンや壁に掛かっている服には英文字やら髑髏やらが踊っていて、色づかいもモノクロや青系が多い。それでも、所々に星やハートが混じっているところはやっぱり女の子だ。

 青木が一人入ったら一杯になってしまう手狭い台所でインスタントコーヒーを淹れて戻ると、二人は畳敷きの床に座って額を寄せ合っていた。本当に、仲の良い兄妹みたいだ。
「他の科目は何とかなったんだけど、これだけはどうしても苦手で」
「数学なんか簡単だろ。公式さえ覚えておけば、後はそれを当てはめるだけなんだから」
「ちっ」
「女の子が舌打ちなんかするな」
 説教臭いところはやっぱりお父さんですね。

「なあ青木。数学は公式さえ抑えれば楽勝だよな」
「そうですね。オレも地理や歴史の方が苦手でした。覚えることいっぱいあって」
「なんで。一度読めば覚えるだろ」
「「ちっ」」
「おい。今、舌打ち二つ聞こえたぞ」
 青木がコーヒーを差し出すと、薪は不機嫌に青木を睨み上げるようにしたけれど。クレーンゲームで獲ったぬいぐるみが置いてあったり(キャバクラの先輩からのプレゼントだそうだ)、コーヒースプーンの柄にカエルの顔が描いてあったりする女の子の部屋で、畳に胡坐の薪は何だかあどけなくて、礼子がいなかったら襲ってたかもしれない。青木なんか人差し指どころか小指も入らない女性用のカップの持ち手に彼の二本の指が無理なく入ってしまう様とか、来客用らしい白地に桜模様の陶磁器が薪の上品な顔立ちにすごくよく似合う様子とか、そんな微細な、でも青木の心を猛烈に焚き付けるものがプライベートの薪には盛り沢山で、ついつい熱っぽく彼を見つめてしまう。心を落ち着けようとして、青木は熱いコーヒーを一気に飲んだ。

 これのどこに疑問を挟む余地があるんだ、と礼子とはまた違った意味で薪が教科書に首を捻っている隙に、礼子が青木を意味ありげな眼差しで見た。多分、青木の視線の特別さに気付いたのだ。
 いや、以前から気付かれていたのかもしれない。雪子もそうだけれど、恋愛慣れしていないように見えても女の子は鋭い。
 もっと気を付けないといけないと思った。薪に迷惑が掛かるのだけは避けたい。既に色々なリスクを背負わせてしまっているのは分かっている、だからこれ以上は。

 1年くらい前、薪に言われた。ずっと僕のことを好きでいろ、と。
 その時にふっ切ったつもりだった。弱気になることはない、引け目なんか感じることはない。もちろん自分よりも彼に相応しい人はいる、でも選ぶのは彼自身。自分は彼に言われた通りひたすらに彼を愛していればいい。だけど。
 ――本当にそれでいいのだろうか。
 同じループに何度でもはまる。この選択は正しいのか。彼のためになることなのか。何十回も考えたのに、未だに答えは出ない。答え合わせのできない宿題はいつまでも残って、心の隅に深く根を張る。つねに出張って来るわけではないけれど、視線をめぐらせればいつもそこにいる。愛するが故の根深さで。

「青木、手伝え」
 イライラしたような声で呼びかけられて、青木は我に返った。畳に胡坐の薪が、こちらを向いて眉を吊り上げている。
「こいつ、言った端から忘れていくんだ。僕一人じゃ教えきれん」
「なによ、教え方が悪いのよ。柚子はもっと分かりやすかったわ」
「どれどれ。ああこれはね、10万と2万と3千とって言うように、単位ごとに分けて考えるといいんだよ」
「なんでそんなことする必要があるんだ。そのまま掛けりゃいいじゃないか」
「薪さん。普通の人間は6ケタの掛け算は暗算じゃできないんです」
「なんで」
「「ちっ」」
「あっ、また舌打ちしたな、おまえら!」

 それから、数学とは相性の悪い礼子の脳に二人がかりで数式を詰め込むこと二時間。礼子が疲れて不平を言い始めたのと薪のイライラが頂点に達したのを見取って、青木は2度目のコーヒーブレイクを提案した。
 なんでこんな簡単な式が覚えられないんだ、と薪は、コーヒーの湯気の向こうで心底不思議そうに首を捻る。舌打ちの代わりに歯を食いしばって、礼子はこっそりと青木に洩らした。
「もー。どうして薪さんてあんなに意地悪なの」
 素直な憤慨に思わず笑う。青木もむかし新人だった頃、似たようなことを思っていた。でも今は、彼の思考経路を察することができる。あれは嫌味ではない。
 彼女がどうして数式を覚えられないのか、薪には本当に分からないのだ。よって悪気はない。悪気がない分タチが悪い、というやつだ。
 薪は家庭教師には向かない。教師に向くのは天才ではなく秀才だからだ。天才という生き物は、教科書を一読するだけでカメラで写し取ったかのように細部まで正確に覚えてしまう。しかも一度覚えたことは忘れない。覚える努力、理解する努力というのをしたことがないのだ。だから生徒たちが問題の何処に躓いているのか、見当がつかない。青木のように悩みながら勉強してきた人間の方が、教えるのは巧い。

 誤解されやすい薪を庇おうと、青木は礼子に薪のフォローを入れた。
「本当に意地悪な人は、勉強見てくれないと思うよ」
「ったく。うちの部下たちの方がまだマシだ。頭の程度はおまえと変わらんが、根性だけはあるからな」
 言った途端にとばっちりが来て、青木は黙ってコーヒーを飲む。安価なインスタントコーヒーの味にここまで癒されたのは初めてかもしれない。同情心に溢れた顔つきで、礼子がぽんと青木の肩を叩いた。
「苦労してるのね、青木さん」
「すみません、慰めないでもらえます? 泣きたくなっちゃうんで」
「職場では嫌われ者で恋人もいない。薪さんも大概ボッチよねえ。これであたしまで冷たくしたら、ちょっと可哀想かな」
 礼子の表情に青木は危機感を抱く。やばい、本気で同情している。彼女には柚子がいるが、この年頃の女の子の気持ちは変わりやすいもの。同情から恋に発展したりとか、その可能性が例え百万分の一でも潰しておかないと青木は不安で眠れない。

「そんなことないよ。薪さんは厳しいけどね、すごくやさしい人なんだよ。誰よりも多くの仕事をこなしてるし、辛い仕事は全部自分で抱え込んじゃう。部下の誰かがその仕事をしなきゃいけない時だって、必ず自分がフォローに付くんだ。そんな人だから、どんなに厳しくされてもみんな薪さんが大好きなんだよ」
「本当に?」
「そうだよ。薪さんはみんなに好かれてるよ」
「それは青木さんが」
 礼子はそこで言葉を切り、人を揶揄する目つきになった。黙ってコーヒーを飲む彼女の頭の中では何かが企まれている気配。やがて礼子は口を開いた。
「そう言えばさ。薪さんて、右のお尻の下にホクロがあるでしょ」

 ぷつん、と青木の中で何かが切れた音がした。青木は半分ほど残ったコーヒーカップをトレーに戻し、すっくと立ち上がって3歩ほど歩いた。それだけで薪の背中に到達する、そんな狭い部屋だった。当然、礼子の言葉も薪の耳に入っている。1メートル近い落差で見下ろす青木の表情からこれから起こることを察したらしい、彼は数学の教科書を盾のようにして身構えた。
「薪さん」
「待て青木、落ち着け」
「彼女、薪さんのホクロが何処にあるか知ってました」
「そ、それはつまりその、ほら、こないだの事件のとき」
「あの時は薪さんの腰から下は血で染まってて、ホクロなんか見えませんでした」
「無駄に鋭いな、おまえ」
 青木を取りなすことに懸命な薪と、薪を詰問するのにいっぱいいっぱいの青木は、青木の大きな身体に隠れた場所で礼子が笑いをかみ殺しているのに気付かない。

「寝たんですね」
「ちがう。僕は何もしてない」
「じゃあどうして彼女が薪さんのホクロの位置を知ってるんですか? 礼子ちゃんの前でパンツ脱いだってことでしょ?」
「礼子じゃない。脱いだのは他の女の前で、それも自分から脱いだんじゃなくて、無理矢理脱がされたと言うか剥ぎ取られたと言うか」
「他の女とも?!」
 自分の意志じゃない、という薪の言い訳は青木には届かなかった。青木の頭を満たしたのはたった一つ、薪の秘部を自分以外の誰かが見たという事実。
「じゃあオレは最低二人は殺らなくちゃいけないんですね……」
「青木―! 戻って来いー!!」
 焦りまくって叫んだ薪の声に、礼子の笑い声が重なった。若い女の子らしくケラケラ笑う彼女に、冗談じゃないぞ、と薪が舌打ちする。
「あー、可笑しかった」
 礼子は眼の縁に溜まった涙を拭い、「意地悪のお返しよ」と薪に舌を出して見せた。
「青木さん、思い詰めると怖いタイプね」
「下手に刺激しないでくれ。地獄を見るのは僕なんだから」

 種を明かせば。
 薪が捜査一課で羽佐間とコンビを組んでいた頃、連れて来られたのが礼子が働いている店で、まだ24歳だった薪はそこでキャバ嬢たちにからかわれて丸裸にされた。その時のキャバ嬢の一人が現在のママになっている。礼子はママからその話を聞いたのだ。
「キャバ嬢軍団に服を脱がされたのは事実だけど、酒の席のおふざけみたいなもんで、おまえが邪推するような事実はどこにもない。そもそも男のケツなんか見られたって減るもんじゃなし」
 礼子の前で、青木と恋人関係であることを匂わせるような会話は避けたかったのだが仕方ない。青木が向こう岸に渡ってしまわないうちに引き戻さないと。
「そうですか、集団で。じゃあオレはいったい何人殺せば……」
 戻って来れないらしい。

 畳に正座し、壁に向かってぶつぶつ言い始めた青木をほったらかして、薪はコーヒーカップを片手に礼子の方へやってきた。隣に胡坐をかいてコーヒーを飲み始めた彼に、礼子は夜中特有のテンションで絡む。
「抱きしめてアイシテルって言ってあげればいいのにぃ」
「腹減って錯乱してるだけだ。何か食わせりゃ正気に戻る」
「そこまで単純?」
 薪の冗談に礼子は笑った。念のために言い添えるが、薪は冗談を言ったつもりはない。

「あたしもお腹空いた。薪さん、なにか食べさせて」
「作るのはいいけど、こないだみたいに冷蔵庫の中空っぽのくせに手間の掛かるグラタン食いたいとか無茶言うなよ」
「薪さん、グラタン作るんですか? オレの分もありますか?」
 グラタンと聞いただけで四つん這いで走り寄って来た、青木は正座して、薪を期待に輝く瞳で見つめる。その姿は正にイヌ。
「おまえの分も作ってやるから手伝え」
「はい!」
 小さな冷蔵庫の中を覗き込む薪と、ウキウキしながらその後ろに付き従う青木を見て、礼子はため息交じりに呟いた。
「悪いことして青木さんに捕まったら、フライドチキンを投げてその隙に逃げるわ」
「楽勝だな」
「え。なんですか、それ。どういう意味ですか」
 きょとんと首を傾ける青木に向かって、使い掛けの玉ねぎが投げられた。咄嗟に右手でキャッチする。細い指先が青木を指し、職場仕様の硬い声が言った。
「みじん切り」




テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

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しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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