カエルの王子さま(10)

 こんにちは。
 続きでございます。


カエルの王子さま(10)





 一方、屋敷を追い出された青木は、困惑して道端に座り込んでいた。
 自分が間違えるはずがない。あれはたしかに薪だった。抱き締めた瞬間硬直し、時間と共に弛緩する身体を青木はよく知っていた。鼻腔を満たした百合の花にも似た彼の香も。
 しかし、薪は自分を知らないと言った。

 考えられる可能性は2つ。薪そっくりの顔と身体と香りを持った人間が偶然あの屋敷にいた可能性。そしてもう一つは、崖から落ちたショックで薪が青木のことを忘れてしまったという可能性だ。
 前者はあり得ない、と青木の捜査官としての経験が告げていた。そんな偶然が横行したら、世の中の9割の犯罪は偶然の産物になる。薪は記憶を失っている可能性が高い。
 昔の親友の顔は分かったのに青木のことはあっさり忘れ去られて、けっこう可哀想な恋人だと自分でも思うが、このくらいで諦めるような青木ではない。薪の非道な仕打ちには慣れている。問題は、どうやって彼の記憶を呼び覚ますかだ。

「応援を頼むか」
 薪が無条件で思い出しそうな人物が、もう一人いる。鈴木と密接に係わっていた女性、雪子だ。しかし、彼女に此処まで来てもらうには時間が掛かるし、目印のロープが張ってあるとはいえ森の中は危険も伴う。
「まあ雪子先生なら大丈夫だと思うけど……あ、そうだ」
 先日、雪子夫婦と四人で食事をしたとき、携帯で写真を撮った。雪子と薪がツーショットで写っている写真もあったはずだ。
「これを見せれば」
 屋敷に引き返そうと思った。省吾とかいう男に門前払いを食うかもしれないが、この写真があれば自分が薪の知り合いだと分かるだろう。さっきは焦って警察手帳を提示することも忘れていた。疲れと空腹でまともな行動が取れなくなっていたのだ。きちんと手順を踏んで協力を求めれば、彼も応じてくれるだろう。

「よし。そうと決まれば、――でっ!」
 いきなり、後ろ頭を誰かに引っぱたかれた。振り返ってみると、そこには恐ろしい顔をした大男が仁王立ちになっていた。
「岡部さん。どうしてここに」
「どうしてじゃねえよ、バカヤロウ。おまえのしたことは職務放棄だぞ」
 自分の行動が規律違反であることは分かっていた。「すみません」と謝りながら青木が叩かれた後頭部をさすると、
「薪さんならこうした」と岡部はしかつめらしい顔で言った。
 やっぱり岡部は甘い。薪なら絶対に蹴りがくる。「すみません」と青木はもう一度謝った。

「こうして岡部さんまで出てきてしまって、第九の方は大丈夫ですか」
「曜日の感覚もねえのか。今日は日曜だ」
 なんと。それでは青木が森に入ってから三日も経つのか。森の中には日の光が届かないほどに暗い場所も多かったし、青木は薪のことが心配で昼夜を問わず歩き続けていたから、時間の感覚を失くしてしまったらしい。
 青木が張っておいたロープのおかげで、岡部は迷わず此処に来ることができた。岡部も登山スタイルにリュックと、それなりの装備を固めてきたようだが、青木のように疲弊してはいなかった。

「ずいぶん時間が掛かったな」
「方向は何となく分かったんですけど、100メートルロープ3体じゃ全然足りなくて。街で新しいロープを調達して、何度も往復しましたから」
「で? 薪さんは見つかったのか」
「はい。ここから30分ほど歩くと大きなお屋敷がありまして、そこに」
「無事なのか」
「ええ、お元気でしたよ。オレを投げ飛ばすほど」
「投げ飛ばされたのか?」
 驚いて口を開けた岡部に、青木は薪を襲ったであろう災厄の内容を語った。

「記憶喪失? 薪さんが?」
「自分の名前も分からないみたいなんです。家の人には『サトシ』て呼ばれてて。オレの顔も覚えてませんでした」
「薪さんがおまえを忘れちまうなんてことがあるのか」
「そりゃあもうさっぱりと。そのくせ鈴木さんのことだけは覚えてるんですよ。オレが前髪下ろしたら『鈴木』って……うううう」
 思い出したら泣けてきた。苦労して探し出した薪に冷たくあしらわれたことより、鈴木に負けたことの方が悔しかった。
「ふうん」
 青木の嘆きに岡部は些少の同情も見せず、太い腕を組んで目を閉じた。なにやら考え込むような岡部の態度が、青木には意外だった。薪の居所が分かったのなら早くそこへ案内しろと言われるとばかり思ったのに。
 肩透かしを味わう青木をよそに、岡部は携帯電話を取り出した。ここでは携帯は通じませんよ、と青木が注意すると、衛星電話だと返された。そこまで用意をしてきたと言うことは、岡部は上官の命を受けてここに来ているのだろう。電話の相手は中園か小野田か、いずれにせよ警察の人間には違いない。

「青木が薪さんを発見しました。ええ、中園さんの予想通りで。はい、プランBです。予定通り決行します。そちらの手配はお願いします」
 どうやら電話の相手は中園で、岡部と彼の間では薪の救出に関する計画が立てられていたらしい。青木は岡部がその計画について、自分に説明してくれるのをじっと待った。

 やがて岡部は電話をポケットにしまい、我慢強く待ち続ける青木を見た。
「青木。家の人ってのは、どんな奴だ」
「省吾って名前らしいです。苗字は分かりません。薪さんのことを自分の弟だって言い張ってました」
 彼は薪の記憶喪失をいいことに、嘘を吐いている。ただ、これまでの経験から青木は知っていた。人が嘘を吐くのには何らかの理由があるのだ。もしかすると省吾は愛していた弟を亡くし、助けた薪を身代りにしているのかもしれなかった。その仮説を裏付けるように、省吾は薪のことをとても大事にしていたし、薪も彼を慕っているようだった。つまり、危害は加えられていないと言うことだ。

 青木は自分の考えを岡部に話した。話を聞いた岡部はしばらく考えていたが、やがて大きく「よし!」と頷いた。いざ、奪還作戦の開始だ。
「青木、メシにしよう」
「はいっ、――はいぃ?」
 てっきり屋敷に乗り込むのだと思っていた青木は、岡部の掛け声と同時に立ち上がり、反対に地面に腰を下ろした岡部を見下ろす格好になった。
「なに呑気なこと言ってんですか」
「薪さんは元気なんだろ。だったら急がなくてもいいだろう」
 岡部は背負っていたリュックを下ろし、その中身を取り出した。水筒と、大きな握り飯が4つと缶詰。タッパーに入った糠漬けの色合いがとてもきれいだった。
 食べ物を見た途端、青木は強い空腹感に襲われたが、ぐっと耐えた。薪をあの家から連れ出す方が優先だ。

「薪さんは記憶が無いんですよ。早く病院へ連れて行かないと」
「記憶喪失ってのは、医者にかかればたちどころに治るってもんでもないだろう。それに、もう一度訪ねたからってその省吾って男が簡単に薪さんを差し出すか?」
「きっと岡部さんが行けば怖くなって本当のことを、い、いえその」
 ギロッと睨まれて青木は口を噤んだ。薪といい岡部といい、どうして優れた刑事ほど目つきが怖いのだろう。
「焦る必要はないさ。日が暮れてからでも」
「日暮れまで待つんですか。どうして」
 日暮れどころか食事をする間すら待てない、と青木は言った。
 省吾の首に回された薪の細い手首が、青木の脳裏には映っていた。薪が元気だとしても、いや、元気になったからこそ安心できない。今までは怪我をしているからと遠慮していた男がオオカミに変身する理由として、先ほどの一本背負いは十分ではないか。

 いても立っても居られない青木とは対照的に、岡部は余裕の構えだった。
「おまえが先走ってる間に解ったことがある。ゆっくり話してやるからとにかく座れ。飯を食ったら顔を洗って、それから夕方まで眠れ。飲まず食わずで森の中をうろついていたんだろう。ひどい顔だぞ」
 ほらよと握り飯を差し出して、岡部はニカッと笑った。
「いつもの甘ったれた間抜け面に戻れば、薪さんだっておまえのことを思い出すさ」


テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

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Aさまへ

Aさま

>省吾も二人の大男を同時に殺すというのは無理でしょ(死ぬわけないけど)

そこを考えるのが楽しいんじゃないですか。ケケケ。(←病んでる?)

省吾の暴挙は、
はい、書きたいですね! SMプレイはともかく、薪さんピンチは楽しいので♪
ハラハラドキドキは法十のウリですから。その辺は諦めてください☆


>手紙の件はなかったことにしたらエピローグを描いた意味がないように思う

薪さんの中ではなかったことにはなってないけど、青木さんの立場からするとなかったことになるのか。

エピローグは青木さんの決意と薪さんの気付きを描いてましたよね。だから、てっきり二人の関係は進展したんだと思ってました。
それが、1年もほったらかされてたという事実にまずは驚きましたね! しかも3ヶ月間、うまいこと逃げられてた☆ 青木さん、充分に可哀想ですね。
それでも「手紙の返事をもらってない」と言える青木さんの神経に二度びっくりですよ。普通の人間なら「ダメだった」て思うところじゃないですか? わたしなら手紙の返事が来ない時点で迷惑だったかなって思う、ていうか、そもそも相手の状況も分からないのに家族なりたいって手紙自体書かないわ(^^;
色んな意味ですごいよ、青木さんは。 
でもいいのよ、そのくらいじゃないと薪さんの相手は務まらないもん。あの人、徹底的に普通の幸せから遠ざかろうとする人だからね、ちょっと常識外れてるくらいじゃないと落とせないよ。
青木さん、がんばって。そしてわたしを「ええ~」と呻かせてください。


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しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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