青木警視の殺人(9)
心を入れ替えて頑張ります3日目。
今日からまた現場なので、次の更新は週末になります。やっぱり3日が限度だねえ(^^;
青木警視の殺人(9)
――宇野さんから見て、青木警視はどんな人ですか?
薄茶色の瞳が宇野を真っ直ぐに見つめていた。琥珀色の紅茶のように、潤った瞳だった。
「青木はいいやつです。真面目で仕事熱心で、性格もいい。やさしくて親切で、おれたちには可愛い後輩です」
――欠点はありませんか?
「欠点て言うか弱点て言うか。青木は室長命で、薪さんが絡むと人が変わります」
――まあ。みんな同じことを言うのね。
クスクスと、彼女は口元に手を当てて可笑しそうに笑った。彼女が笑うと、殺風景なミーティングルームがぱあっと光り輝くようだった。宇野は息苦しさを覚え、無意識にネクタイを緩めた。それを彼女の視線が捉える。完璧な美貌に笑みを浮かべたまま、彼女は言った。
――宇野さんのネクタイ、いい趣味ね。
センスが良いと褒められたのは生まれて初めてで、それがとても嬉しかった。弾かれたように顔を上げると、彼女の姿は消えていた。立ち上がって辺りを見回すと、キャスター付きのホワイトボードの陰で、彼女と青木が抱き合ってキスをしていた。慌てて目を逸らしたが、二人の姿は宇野の網膜にしっかりと焼きついてしまった。
――宇野さん。お先に失礼します。
部屋を出ていくとき、青木は後輩らしくきちんと挨拶をした。生返事をしてちらりと彼を見ると、彼女は青木の腕の中で絶命していた。青木に抱き上げられた彼女の顔色は真っ白で、細い首は奇妙な形に折れ曲がっていた。血の気を失った美しい顔の、バラ色のリップを塗った唇から真っ赤な血が左頬を伝い落ち、リノリウムの床に血溜りを作っていた。
「――っ!」
声にならない叫びを上げて、宇野は浅い眠りから目覚めた。荒く息を吐いて心を落ち着ける。パソコンデスクのうたたねで見る夢なんて、ロクなもんじゃない。
宇野は2日ほどまともに寝ていなかった。
北川が殺害され、青木が行方を晦ましたのが2日前。宇野の睡眠不足はそれからだ。
死体が発見されたのは新宿の『Zen』というバーの裏口付近で、明らかな他殺体であった。直ちに青木が重要参考人として手配されたのは、彼が北川と最後に接触を持った人間であることと、匿名で捜査本部に送られてきた写真が原因だった。
そこには、生まれたままの姿で愛し合う男女が写し出されていた。PCオタクの宇野の眼から見ても、写真は合成ではなかった。青木が薪を裏切るとは信じ難かったが、これは紛れもない事実だ。
合成を疑った元捜査一課の竹内が、その真偽を判定してほしいと持ってきた写真を初めて見た時の衝撃を、宇野はまざまざと思いだす。途端に、どす黒い感情が胸に重く広がって行く。こんな気持ちになったのは生まれて初めてで、どう対処したら楽になれるのか分からなかった。
自分は青木に嫉妬している。それは自覚した。だが宇野はこれまで、嫉妬と言う感情を甘く見ていた。彼女は死んだのだ。それ以上に辛い現実などあろうはずもないのに、それでも心が疼くのを止められない。ここまで業の深い感情を、宇野は他に知らなかった。
彼女を抱いている後輩が羨ましいとか憎らしいとか、そんな単純なものではない。現実に胸が痛くて息が苦しくて、二人が睦み合っている写真を見ようものなら叫びだしたくなる。岡部たちの前で平静を装うために、宇野は研究室の机に飾ってあったヴィーナスのフィギュアを自分で壊した。ショックでショックを相殺したのだ。
自分がこの有様なのだから、薪のショックはもっと酷いはずだ。恋人として部下として、二重に裏切られたのだ。彼が憔悴しきっているであろうことは想像がついた。
それでも、青木と彼女が愛し合っているのなら。小池たちと酒でも飲んで、どうせすぐに別れるさとか、彼女は顔が室長そっくりなんだから性格も悪いに違いないとか、恨み言で一夜を明かして、翌日には「よかったな」と言ってやれた。傷心の室長を慰めるために、彼の大好きな女優のイケナイ写真を合成してやることもできたと思う。
でも、青木は彼女を殺して逃げた。
何かの間違いだと思いたい。宇野は青木とは長い付き合いだ。職場仲間の域を出ないが、知り合って九年になる。彼の人となりは理解しているつもりだ。何があっても人を殺して逃げるような男ではない。しかし。
2日前の早朝、捜査員がマンションを急襲したが、すでに青木は行方を晦ました後だった。今回の捜査本部は特別編成で、事件そのものにも緘口令が敷かれているから情報はせき止められている。が、そこは蛇の道ならぬ邪の道。竹内の「知り合い」からの情報が、岡部のところへ流れてきていた。
重要な証拠は2点。目撃証言と物証だ。
死体が発見されたすぐ側のバーで聞き込みをしたところ、彼女と背の高いメガネ男が言い争っていたという店員の証言が取れた。青木の特徴にぴったりと合致する。店内から青木と彼女の指紋も採取されたし、この証言は本物だと思っていいだろう。
そして現場には、指紋と髪の毛が残されていた。指紋は彼女の鞄に、髪の毛は傷口の血にへばりついていた。DNA鑑定の結果が合致したら、それで本部内手配の号令が下るとのことだった。
全国指名手配ではなく本部内手配が選択されたのは、これが警察官同士の殺人事件だからだ。痴情のもつれによるものかどうかは未だ不明だが、監査官と監査対象者が肉体関係を結んだ上に殺人事件まで起こしたとなると、どれだけマスコミに叩かれるか分からない。迂闊に公式発表はできない。発表されるとしたら青木に手錠が掛かってから、否、青木が懲戒免職になってからだ。
「くそっ」
数えきれないくらい掛け、でも一度もつながらなかった電話を、宇野は再びコールする。すぐに抑揚のない機械音声が、相手の電話の電源が切られていると宇野に教える。毒づいて、宇野は携帯電話を床に投げつけた。
「何やってんだよ、青木……」
宇野は青木を罵ったが、人のことを言えた義理ではなかった。宇野はズル休み3日目。問題の写真を預かってから、頭痛で自宅に引きこもっている。捜査本部の情報は電話で得たものだ。
パソコンマニアの宇野の部屋は、5台のモニターと5台のデスクトップPCが我が物顔にのさばっている。その専有面積はベッドより広い。5台のパソコンは、すべて使用用途に応じて宇野がカスタマイズしたものだ。グラフィックに特化したパソコンで写真を解析し、メモリーを増設しまくったパソコンで重いプログラムを動かす。そして、LINUXをインストールしたパソコンの目的は一つだ。
椅子のキャスターを滑らせてそのパソコンの前に移動する。宇野が昨日から挑んでいる宝箱は鍵が7個もあって、寝る間も惜しんでクラックして壊せたのはやっと3個。これだけ厳重に守られている場所に侵入したことがバレたら査問会に掛けられるかもしれないが、他は全部こじ開けて検索したのだ。もうここしか残っていない。
この中に、本物の彼女はいる。宇野は確信していた。
「よおし。今度こそ」
2回ほど大きく肩を回すと、宇野は恐ろしい速度でキィを打ち始めた。
今日からまた現場なので、次の更新は週末になります。やっぱり3日が限度だねえ(^^;
青木警視の殺人(9)
――宇野さんから見て、青木警視はどんな人ですか?
薄茶色の瞳が宇野を真っ直ぐに見つめていた。琥珀色の紅茶のように、潤った瞳だった。
「青木はいいやつです。真面目で仕事熱心で、性格もいい。やさしくて親切で、おれたちには可愛い後輩です」
――欠点はありませんか?
「欠点て言うか弱点て言うか。青木は室長命で、薪さんが絡むと人が変わります」
――まあ。みんな同じことを言うのね。
クスクスと、彼女は口元に手を当てて可笑しそうに笑った。彼女が笑うと、殺風景なミーティングルームがぱあっと光り輝くようだった。宇野は息苦しさを覚え、無意識にネクタイを緩めた。それを彼女の視線が捉える。完璧な美貌に笑みを浮かべたまま、彼女は言った。
――宇野さんのネクタイ、いい趣味ね。
センスが良いと褒められたのは生まれて初めてで、それがとても嬉しかった。弾かれたように顔を上げると、彼女の姿は消えていた。立ち上がって辺りを見回すと、キャスター付きのホワイトボードの陰で、彼女と青木が抱き合ってキスをしていた。慌てて目を逸らしたが、二人の姿は宇野の網膜にしっかりと焼きついてしまった。
――宇野さん。お先に失礼します。
部屋を出ていくとき、青木は後輩らしくきちんと挨拶をした。生返事をしてちらりと彼を見ると、彼女は青木の腕の中で絶命していた。青木に抱き上げられた彼女の顔色は真っ白で、細い首は奇妙な形に折れ曲がっていた。血の気を失った美しい顔の、バラ色のリップを塗った唇から真っ赤な血が左頬を伝い落ち、リノリウムの床に血溜りを作っていた。
「――っ!」
声にならない叫びを上げて、宇野は浅い眠りから目覚めた。荒く息を吐いて心を落ち着ける。パソコンデスクのうたたねで見る夢なんて、ロクなもんじゃない。
宇野は2日ほどまともに寝ていなかった。
北川が殺害され、青木が行方を晦ましたのが2日前。宇野の睡眠不足はそれからだ。
死体が発見されたのは新宿の『Zen』というバーの裏口付近で、明らかな他殺体であった。直ちに青木が重要参考人として手配されたのは、彼が北川と最後に接触を持った人間であることと、匿名で捜査本部に送られてきた写真が原因だった。
そこには、生まれたままの姿で愛し合う男女が写し出されていた。PCオタクの宇野の眼から見ても、写真は合成ではなかった。青木が薪を裏切るとは信じ難かったが、これは紛れもない事実だ。
合成を疑った元捜査一課の竹内が、その真偽を判定してほしいと持ってきた写真を初めて見た時の衝撃を、宇野はまざまざと思いだす。途端に、どす黒い感情が胸に重く広がって行く。こんな気持ちになったのは生まれて初めてで、どう対処したら楽になれるのか分からなかった。
自分は青木に嫉妬している。それは自覚した。だが宇野はこれまで、嫉妬と言う感情を甘く見ていた。彼女は死んだのだ。それ以上に辛い現実などあろうはずもないのに、それでも心が疼くのを止められない。ここまで業の深い感情を、宇野は他に知らなかった。
彼女を抱いている後輩が羨ましいとか憎らしいとか、そんな単純なものではない。現実に胸が痛くて息が苦しくて、二人が睦み合っている写真を見ようものなら叫びだしたくなる。岡部たちの前で平静を装うために、宇野は研究室の机に飾ってあったヴィーナスのフィギュアを自分で壊した。ショックでショックを相殺したのだ。
自分がこの有様なのだから、薪のショックはもっと酷いはずだ。恋人として部下として、二重に裏切られたのだ。彼が憔悴しきっているであろうことは想像がついた。
それでも、青木と彼女が愛し合っているのなら。小池たちと酒でも飲んで、どうせすぐに別れるさとか、彼女は顔が室長そっくりなんだから性格も悪いに違いないとか、恨み言で一夜を明かして、翌日には「よかったな」と言ってやれた。傷心の室長を慰めるために、彼の大好きな女優のイケナイ写真を合成してやることもできたと思う。
でも、青木は彼女を殺して逃げた。
何かの間違いだと思いたい。宇野は青木とは長い付き合いだ。職場仲間の域を出ないが、知り合って九年になる。彼の人となりは理解しているつもりだ。何があっても人を殺して逃げるような男ではない。しかし。
2日前の早朝、捜査員がマンションを急襲したが、すでに青木は行方を晦ました後だった。今回の捜査本部は特別編成で、事件そのものにも緘口令が敷かれているから情報はせき止められている。が、そこは蛇の道ならぬ邪の道。竹内の「知り合い」からの情報が、岡部のところへ流れてきていた。
重要な証拠は2点。目撃証言と物証だ。
死体が発見されたすぐ側のバーで聞き込みをしたところ、彼女と背の高いメガネ男が言い争っていたという店員の証言が取れた。青木の特徴にぴったりと合致する。店内から青木と彼女の指紋も採取されたし、この証言は本物だと思っていいだろう。
そして現場には、指紋と髪の毛が残されていた。指紋は彼女の鞄に、髪の毛は傷口の血にへばりついていた。DNA鑑定の結果が合致したら、それで本部内手配の号令が下るとのことだった。
全国指名手配ではなく本部内手配が選択されたのは、これが警察官同士の殺人事件だからだ。痴情のもつれによるものかどうかは未だ不明だが、監査官と監査対象者が肉体関係を結んだ上に殺人事件まで起こしたとなると、どれだけマスコミに叩かれるか分からない。迂闊に公式発表はできない。発表されるとしたら青木に手錠が掛かってから、否、青木が懲戒免職になってからだ。
「くそっ」
数えきれないくらい掛け、でも一度もつながらなかった電話を、宇野は再びコールする。すぐに抑揚のない機械音声が、相手の電話の電源が切られていると宇野に教える。毒づいて、宇野は携帯電話を床に投げつけた。
「何やってんだよ、青木……」
宇野は青木を罵ったが、人のことを言えた義理ではなかった。宇野はズル休み3日目。問題の写真を預かってから、頭痛で自宅に引きこもっている。捜査本部の情報は電話で得たものだ。
パソコンマニアの宇野の部屋は、5台のモニターと5台のデスクトップPCが我が物顔にのさばっている。その専有面積はベッドより広い。5台のパソコンは、すべて使用用途に応じて宇野がカスタマイズしたものだ。グラフィックに特化したパソコンで写真を解析し、メモリーを増設しまくったパソコンで重いプログラムを動かす。そして、LINUXをインストールしたパソコンの目的は一つだ。
椅子のキャスターを滑らせてそのパソコンの前に移動する。宇野が昨日から挑んでいる宝箱は鍵が7個もあって、寝る間も惜しんでクラックして壊せたのはやっと3個。これだけ厳重に守られている場所に侵入したことがバレたら査問会に掛けられるかもしれないが、他は全部こじ開けて検索したのだ。もうここしか残っていない。
この中に、本物の彼女はいる。宇野は確信していた。
「よおし。今度こそ」
2回ほど大きく肩を回すと、宇野は恐ろしい速度でキィを打ち始めた。