青木警視の殺人(17)

青木警視の殺人(17)






 その夜、深夜の眠りを破られたのは青木だけではなかった。中野の一等地に家族と一緒に住んでいる小野田官房長官も、携帯電話のベルで起こされた被害者であった。

「はい……坂崎か。青木くんに何かあった?」
 隣で眠っている妻を起こさないように寝室を出る。蒸し暑い廊下を歩く小野田の耳に、ボディガードの不思議そうな声が聞こえた。
『私をお呼びになったのは官房長では』
「ぼくが?」
『30分ほど前に電話をいただきました。急な用事ができたから、すぐに家に来てくれと』
 30分前なら、小野田は娘と薪の結婚式に出席していた。夢の中で。
 チャペルの陰で青木がびーびー泣いてた。それに気付いた薪が、彼のところへ行こうとした。引き止めたが、「ごめんなさい、小野田さん」と申し訳なさそうな顔で一本背負いを掛けられた。まったく、夢の中でも邪魔な男だ。

『確かに官房長のお声でした。夜中に申し訳ないと私を気遣ってくださるお言葉も、間違いなく官房長の』
「坂崎。急いでホテルに戻って。青木くんが部屋にいるかどうか確認して」
『は?』
「大至急だ!」
『は、はい!』
 書斎に入った小野田は、クローゼットから部屋着を取り出した。坂崎の連絡を待つ間に着替えを済ませる。小野田の予想が当たっていれば、今夜はもう眠っている暇はない。

 40分が経過した頃、坂崎から連絡が入った。果たして、青木は部屋にいなかった。
「やってくれるね」
 具体的な方法は分からないが、青木は偽電話で坂崎をホテルから遠ざけ、その隙に逃げた。本物の逃亡者になったわけだ。

 付近を探すようにと坂崎に命じて、小野田は電話を切った。少し考えて、切ったばかりの携帯電話を操作する。画面に表示されている時刻は夜中の3時半。しかしその手は迷いなく電話帳の中からある人物を選び、相手を呼び出した。
 相手は2コールで電話に出た。この男は昔から、小野田よりも眠りが浅い。
『なにか事件でも?』
「青木くんが逃げた。坂崎を偽電話で騙して」
『ひゅう。やるね』
 まったく同じ感想を抱いた小野田だが、中園に言われるととてつもなく腹が立った。
「感心してる場合じゃないだろ。一刻も早く保護しないと。青木くんまで殺されたらどうするんだい」
『あれ。馬に蹴られて死んで欲しかったんじゃなかったの』
 揚げ足取りが得意な部下の、呑気な言い草が神経に障る。強制された寝不足の苛立ちも手伝って、小野田は刺々しく言い返した。
「馬に蹴られて死ぬのはいいけど、警察内の人間に殺されるのは駄目だ」
『了解。馬を調達するよ』
 冗談を最後に電話は切れた。ふざけた男だが、彼に任せておけば間違いはない。

 書斎の机に向って、小野田はこれからのことを考える。青木の脱走は想定外だった。まさか彼に、そんな気概と技量があるとは思ってもみなかった。
「たった5日が、どうして待てないかなあ」
 小野田の計画では、金曜日には青木の濡れ衣は晴れるはずだった。もっと言えば、捜査本部自体を強制的に解散させる手筈を整えていたのだ。なのに青木は逃亡した。
 問題は、その期日を知っているのは小野田陣営だけではないということだ。彼らにも、いや、彼らにこそタイムリミットは切られている。その前に手を打たなければいけないと、焦っているのは彼らの方なのだ。そこに青木が出て行けば、飛んで火にいる夏の虫ならぬ殺人警官。抵抗による射殺なんて筋書きは、彼らなら5分で書き上げる。
 こんなことになるのなら、初めから本当のことを話しておけばよかった。この計画を薪が知ったら絶対に首を縦に振らないと思った、だから隠した。それが仇になった。
「あの薪くんでさえ5日間の忍耐を受け入れたって言うのに。どこの誰だよ、青木くんが忠実な飼い犬だなんて言ったのは。立派な野犬じゃないか」
 かくなる上は、金曜日のタイムリミットを早めるしかない。あの人に事情を話し、帰国を早めてもらうのだ。時差を計算に入れると、今は会食の真っ最中だろう。機嫌を損ねるのは拙い。彼の身体が空くまで待った方が賢明だ。
 小野田はそう考え、夜が明けるのをじっと待った。

 机に置いた携帯電話が再び鳴ったのは、気の早い夏の太陽が東の空に昇る頃だった。中園か坂崎からの連絡だと思ったが、どちらでもなかった。それは、小野田をさらに疲弊させる悲報であった。
『こんな時間にすみません、小野田さん』
 電話の相手は薪だった。彼は怒りのあまり震える声で、小野田に訴えた。
『宇野が襲われました。捜査本部の連中にです』
「宇野くんが? どうして」
『ハッキングで彼らの正体を探っていたんです。それが彼らに知れて』
 宇野がそんなことをするとは、これも想定外だった。彼らとて、無暗に人を襲ったりしない。宇野は大分深いところまで侵入してしまったに違いない。
『小野田さん。僕はもう我慢できません』
「ちょっと待って、薪くん。落ち着きなさい」
『小野田さんが動けない事情は分かります、これは僕が勝手にやることです。処分は後で受けます』
「ま……!」
 たった2文字の名前さえ、最後まで呼ばせてもらえなかった。自分の言いたいことだけ言って電話を切る、いつもなら苦笑で許す部下の無礼を今日の小野田は流せなかった。

「ああもう、みんな勝手なことばかりして! 少しはぼくの苦労も」
 一方的に切られて、思わず床に投げつけようとした電話が再度リリリンと鳴る。振り上げた右手の親指を画面に滑らせて、小野田は噛みつくように電話に出た。
「なんだよっ!」
『す、すみません、勝手なことして。でもあの、犯人を捕まえたのでご報告を』
「青木くん? 無事でよかっ、いや待て、なんだって?」
『北川さんを殺害した犯人を捕まえて、捜査一課に引き渡しました』
「どういうこと?」
『宇野さんがオレに犯人を教えてくれて。知ってる人だったからここに』
「ここって、きみ、どこにいるの?」
『第九です』
「えっ?!」
 犯人を捕まえに第九に来た? それでは、実行犯は第九の人間だったのか?

『すみません、小野田さん。詳しい報告は明日、あ、もう今日ですね、させていただきますので今はこれで。オレ、ちょっと調べなきゃいけないことがあるので。失礼します』
「待ちなさい、青、っ、先に切るなよ、もうっ」
 部下は上司の背中を追うというか恋人同士は似てくるというか、まったくあの二人は。

 小野田は、青木を探しているであろう二人の部下に急いで電話を入れた。坂崎は青木の保護のために第九へ向かわせ、中園は薪の暴走を止めさせるために捜査本部へ行くように命じた。青木が犯人を捕まえたことを知れば薪の暴走は止まったかもしれないが、彼は携帯電話の電源を切っていた。
「そんなわけで、坂崎くん。至急、第九へ行って欲しいんだ」
『かしこまりました。お任せください』
「というわけなんだよ、中園。なんとかしてよ」
『分かった。すぐに行くよ』
 状況を正確に把握している彼らは、コロコロと変わる小野田の命令に不平一つ零さず、深夜の職務に全力を尽くす。同じ部下でも、あの二人とはえらい違いだ。

 その問題児たちの方が先に犯人を捕らえてしまう。これは能力差ではなく行動力の差、もっと言えば状況判断の未熟から起きる先走りだ。小野田たちにも、犯人を挙げることはできた。それこそ北川の脳をMRI捜査に掛ければいい。彼女の脳には制約があるが、それは小野田の立場なら外せる縛りだ。
 だが、それでは駄目だ。事件の背後にいる人物に逃げられてしまう。肝心なのは、実行犯を捕まえることではないのだ。
 それがあの二人には分かっていない。特に薪には困ったものだ。仲間を傷つけられて我を失い、暴走する。目先のことに囚われ過ぎだ。事後処理が終わったらきつくお灸を据えてやらねば。

 予定していた電話を掛ける前に、小野田はコーヒーを飲んだ。急転する展開に、気持ちが高ぶっている。少し落ち着いてからでないと無礼を働いてしまいそうだ。
 ギラギラと容赦なく照りつける太陽がアスファルトを焼き、夏の朝の貴重な爽やかさを追い払う頃、小野田はコーヒーカップを置いて携帯電話を取り上げた。10回近くコールしてやっと電話に出た相手に、小野田は丁重に話しかけた。
「お休みのところ恐れ入ります、小野田です。例の作戦ですが、残念ながら頓挫してしまいました。――ええ、はい。それで、至急お戻りいただけないかと」
 簡単に事情を説明し、お願いしますと頭を下げて電話を切る。時刻を確かめると、ちょうど6時だった。

「みんな大概元気だよねえ……ああ、二度寝したい」
 寝不足が堪える年になったとぼやきつつも、二度寝する余裕などあろうはずもなく。小野田は出勤のため、警視庁SPにその朝最後の電話を掛けた。

テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

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Kさまへ

Kさま。

>ここの更新が待ち遠しくてしょーがないですっ(^∇^)

わー、うれしーww
楽しみにしてくれる人がいると思うと頑張れます。更新だけじゃなく、仕事も。


>前回貞子みたいなのが登場して

言われてみれば(^^;)<貞子

うん、この話ねえ、実は前に書いた話が絡んでて。
憶えてる人いるかな~、と思いながら公開してます。(←書いてるときは考えてない)
その時は注釈入れますので、よかったら読んでみてください。
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しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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