モンスター(22)
今日はメロディの発売日ですね!
夜は薪さんに会えるかな(〃▽〃)
お話の続きです。
うーん、今回もメロディ発売までにオワラナカッター。
モンスター(22)
ジャックナイフの刃先が薪の首を撫でた。観念して眼を閉じる。
何処からか金木犀の香りが漂ってくる。それを今生の酒代わりに肺腑に収めながら、ああやっぱり、と薪は思う。
やっぱり僕にはこんな最期が待っていたんだ。そりゃそうだ、あれだけのことをしておいて。畳の上で死のうなんて虫が良すぎる。
鈴木。
待たせたな。ようやく会えそうだよ。
あちらの世界できっと自分を待っているであろう親友の姿を心に浮かべ、薪は旅立ちの準備をする。
鈴木はこういう時いつもするように、ちょっと困った顔をして、でもやさしく笑ってくれた。仕方ないなあと言いたげに、うん、ごめん。解ってるよ。これはおまえが望んだ死に方じゃない。
――だけどね、鈴木。
僕にはこの道以外、選べないんだよ。
鈴木の不満顔に薪が言い訳すると、鈴木は何を思ったか前髪を手で後ろに撫でつけた。それからチタンフレームのスクエアな眼鏡を掛け――、
ちょ、なにしてんの、おまえ。それ、反則だろ。
『薪さん』と彼が薪を呼ぶ。
僕が死んだら、青木は――。
瞬間、荒木の手首を掴んでいた自分に薪は驚く。それは薪の初めての抵抗であった。
「なにか、訊きたいことでも?」
荒木が促してくれた時間稼ぎに乗って、薪は尋ねた。本音ではどうでもよかったはずのことを、いかにも気になっていたかのように。
「どうして今なんだ。これまでに、いくらでも機会はあったはずだ」
尤もらしい疑問だった。荒木が第九に来てから2ヶ月になる。これまでに何度も二人きりになる機会はあった。なぜもっと早く行動を起こさなかったと薪に問われ、荒木は静かに答えた。
「母が死んだんです」
先週の日曜に、と荒木は言った。
「おかしなもんですね。母が生きてるうちはいくら繰り言を言われても、聞き流すことができたんですよ。おれはデキのいい兄がそんなに好きじゃなかったし。嫌いじゃなかったけど、母のように仇を討ちたいとまでは思わなかった」
薪の首にナイフを当てたまま、荒木は訥々と話した。
「でも、母の死に顔を見たら。その安らかさにぞっとしたんです」
母親の最後を思い出したのか、荒木の手が微かに震えた。その微動は刃先に伝わり、薪の首に浅い傷をつけた。うっすらと血が流れる。
「母は末期がんで、その苦しみ方って言ったら尋常じゃなかった。なのに、なんでモルヒネの投与を拒否してたか分かりますか。薬でボケたらあなたへの手紙が書けなくなるからですよ。まあそれも8割方、青木さんが弾いてたみたいですけど」
モンスターを名乗って薪に手紙を書いていたのは、荒木の母親であった。それが命の期限を切られた彼女にできる、唯一の復讐だったのだ。病床に着いてからも彼女は手紙を書き続け、それを息子の荒木に託し続けた。
「おれが第九に入ってようやく、母の言葉はあなたに届いた」
青木の陰の働きを、薪は知らなかった。知らずに安寧を貪り続けた。無知ゆえの罪。
「痛みと苦しみとあなたへの恨みで、母の容貌は化け物のようでしたよ。それがあんなに安らかに。おれが代わりに恨みを晴らしてくれる、そう信じて死んでいったんだと思うと……こうする他なかったんです」
平凡な家庭の主婦だった荒木の母親を、幸せに暮らしていた一人の女性を、そんな風に変えてしまった自分の罪深さに、改めて薪は打ちのめされる。
自分が貝沼を見逃しさえしなければ、その悲劇は起きなかった。
「自分でもダサいことやってると思いますよ。殺意の相続なんか、今どき流行りませんよね」
薪は残った力のすべてを振り絞って、荒木の手首を握りしめた。その丸い頬を、つう、と自責の涙が伝い落ちる。
「死にたくないですか?」
薪の涙を生への執着と取り違えた荒木が、嬉しそうに訊いた。
「あなたがそう思ってくれてよかった。これで母も満足してくれる」
荒木は薪の首から少しだけナイフを離し、首筋に滲んだ血を、もう片方の手でそうっと撫でた。
「どうして母が、真相を知ってすぐにあなたを殺さなかったと思います?」
この期に及んで質問は無意味だったが、そのことは気になっていた。滝沢の話では、彼女が情報を得たのは2059年の夏。なぜ彼女はその時、薪を殺そうとしなかったのか。第九が混乱を極めたあの季節、薪の処分も確定せず、現在のように薪を守る者もいなかった。何よりも、鈴木を亡くしたばかりの薪はボロボロだった。女の力でも簡単に殺せたはずだ。
なのになぜ。
「あの頃のあなたが死にたがっていたからですよ。殺したら、あなたに喜ばれるだけじゃないですか」
荒木の答えは当たっていた。当時の薪にとって、死は唯一の救いであった。それを彼女は見抜いていた。同じように愛する者を喪い、絶望を見た人間として。そして。
「だから母は待ったんですよ、あなたが立ち直るのを。もう一度、この世に生きる希望を見出すのを。そこで殺さなかったら復讐にならない。だって兄は死にたくなかったんだから!」
希望していた大学に受かって、2年目の春だった。バンド仲間と作ったプロモーションビデオが審査を通過して、ライブカフェで演奏させてもらえることになったと夕食の席ではしゃいでいた。
兄が貝沼の手に落ちたのは、その矢先だった。
初ステージに向けて、毎日遅くまで貸スタジオで練習を重ねていた。帰り道、ひとりになったところを狙われた。貝沼はターゲットの生活パターンを調べ上げ、機会を狙っていたに違いなかった。
兄は貝沼清隆に殺された。理由は、『薪室長に少し似ていたから』。
「たったそれだけの理由で! あなたさえこの世にいなきゃ、兄貴は死ななかった! 母さんだって、あんな化け物じみた死に方しないで済んだんだ!」
襟元を掴まれて揺さぶられた。がくがくと揺れる頭蓋骨の中で、脳みそが溶けたアイスクリームのようにぐちゃぐちゃに混ざるのを感じた。
「もっと」
ぽつりと薪の頬に水滴が落ちて、薪が流した涙と合わさった。雨かと思い、そっと瞼を開けると、そこには滂沱する荒木の顔があった。
「もっと幸せに生きて、毎日楽しく笑って、そうやってずっと暮らせるはずだったんだ。父さんと母さんと兄貴とおれと4人で、それを」
自分が不幸にした人間は、この世にどれだけいるのだろう。貝沼の犠牲になった少年たちだけでなく、その家族や友人たち。その数を思えば自分が此処に存在していることすら許せない気がして、薪は何もかもを打ち捨てた清白の表情で眼を閉じる。
「あなたのせいだ!」
振り上げたナイフの切っ先が、薄曇りの空に鈍く光る。薪の瞳はそれを映すことなく、その心臓は鼓動を止めようとしていた。
最期の息を薪が吐き終えた、そのとき。
ガッ、と音がして、荒木の呻き声が聞こえた。石の上に金属片が落ちる音を聞きながら、薪の身体は支えを失って倒れていく。
石に当たった膝の痛みで、思わず目を開けた。目の前に、自分の人生に終止符を打つはずだったジャックナイフが落ちていた。
何が起きたのか分からずに呆然としていると、誰かに抱き上げられた。そのままその人物の胸に身体が押し付けられる。
大切なものを扱う手つき。愛おしさに溢れた抱き締め方。
厚い胸板と逞しい腕。薪の大好きな日向の匂いと、髪の毛から漂う懐かしいハードワックスの香り。
「薪さん」と呼ばれて、やっと目を開けた。
予想を違えず、そこには薪の恋人が、親友と同じような困り顔で、でもやさしく笑っていた。
夜は薪さんに会えるかな(〃▽〃)
お話の続きです。
うーん、今回もメロディ発売までにオワラナカッター。
モンスター(22)
ジャックナイフの刃先が薪の首を撫でた。観念して眼を閉じる。
何処からか金木犀の香りが漂ってくる。それを今生の酒代わりに肺腑に収めながら、ああやっぱり、と薪は思う。
やっぱり僕にはこんな最期が待っていたんだ。そりゃそうだ、あれだけのことをしておいて。畳の上で死のうなんて虫が良すぎる。
鈴木。
待たせたな。ようやく会えそうだよ。
あちらの世界できっと自分を待っているであろう親友の姿を心に浮かべ、薪は旅立ちの準備をする。
鈴木はこういう時いつもするように、ちょっと困った顔をして、でもやさしく笑ってくれた。仕方ないなあと言いたげに、うん、ごめん。解ってるよ。これはおまえが望んだ死に方じゃない。
――だけどね、鈴木。
僕にはこの道以外、選べないんだよ。
鈴木の不満顔に薪が言い訳すると、鈴木は何を思ったか前髪を手で後ろに撫でつけた。それからチタンフレームのスクエアな眼鏡を掛け――、
ちょ、なにしてんの、おまえ。それ、反則だろ。
『薪さん』と彼が薪を呼ぶ。
僕が死んだら、青木は――。
瞬間、荒木の手首を掴んでいた自分に薪は驚く。それは薪の初めての抵抗であった。
「なにか、訊きたいことでも?」
荒木が促してくれた時間稼ぎに乗って、薪は尋ねた。本音ではどうでもよかったはずのことを、いかにも気になっていたかのように。
「どうして今なんだ。これまでに、いくらでも機会はあったはずだ」
尤もらしい疑問だった。荒木が第九に来てから2ヶ月になる。これまでに何度も二人きりになる機会はあった。なぜもっと早く行動を起こさなかったと薪に問われ、荒木は静かに答えた。
「母が死んだんです」
先週の日曜に、と荒木は言った。
「おかしなもんですね。母が生きてるうちはいくら繰り言を言われても、聞き流すことができたんですよ。おれはデキのいい兄がそんなに好きじゃなかったし。嫌いじゃなかったけど、母のように仇を討ちたいとまでは思わなかった」
薪の首にナイフを当てたまま、荒木は訥々と話した。
「でも、母の死に顔を見たら。その安らかさにぞっとしたんです」
母親の最後を思い出したのか、荒木の手が微かに震えた。その微動は刃先に伝わり、薪の首に浅い傷をつけた。うっすらと血が流れる。
「母は末期がんで、その苦しみ方って言ったら尋常じゃなかった。なのに、なんでモルヒネの投与を拒否してたか分かりますか。薬でボケたらあなたへの手紙が書けなくなるからですよ。まあそれも8割方、青木さんが弾いてたみたいですけど」
モンスターを名乗って薪に手紙を書いていたのは、荒木の母親であった。それが命の期限を切られた彼女にできる、唯一の復讐だったのだ。病床に着いてからも彼女は手紙を書き続け、それを息子の荒木に託し続けた。
「おれが第九に入ってようやく、母の言葉はあなたに届いた」
青木の陰の働きを、薪は知らなかった。知らずに安寧を貪り続けた。無知ゆえの罪。
「痛みと苦しみとあなたへの恨みで、母の容貌は化け物のようでしたよ。それがあんなに安らかに。おれが代わりに恨みを晴らしてくれる、そう信じて死んでいったんだと思うと……こうする他なかったんです」
平凡な家庭の主婦だった荒木の母親を、幸せに暮らしていた一人の女性を、そんな風に変えてしまった自分の罪深さに、改めて薪は打ちのめされる。
自分が貝沼を見逃しさえしなければ、その悲劇は起きなかった。
「自分でもダサいことやってると思いますよ。殺意の相続なんか、今どき流行りませんよね」
薪は残った力のすべてを振り絞って、荒木の手首を握りしめた。その丸い頬を、つう、と自責の涙が伝い落ちる。
「死にたくないですか?」
薪の涙を生への執着と取り違えた荒木が、嬉しそうに訊いた。
「あなたがそう思ってくれてよかった。これで母も満足してくれる」
荒木は薪の首から少しだけナイフを離し、首筋に滲んだ血を、もう片方の手でそうっと撫でた。
「どうして母が、真相を知ってすぐにあなたを殺さなかったと思います?」
この期に及んで質問は無意味だったが、そのことは気になっていた。滝沢の話では、彼女が情報を得たのは2059年の夏。なぜ彼女はその時、薪を殺そうとしなかったのか。第九が混乱を極めたあの季節、薪の処分も確定せず、現在のように薪を守る者もいなかった。何よりも、鈴木を亡くしたばかりの薪はボロボロだった。女の力でも簡単に殺せたはずだ。
なのになぜ。
「あの頃のあなたが死にたがっていたからですよ。殺したら、あなたに喜ばれるだけじゃないですか」
荒木の答えは当たっていた。当時の薪にとって、死は唯一の救いであった。それを彼女は見抜いていた。同じように愛する者を喪い、絶望を見た人間として。そして。
「だから母は待ったんですよ、あなたが立ち直るのを。もう一度、この世に生きる希望を見出すのを。そこで殺さなかったら復讐にならない。だって兄は死にたくなかったんだから!」
希望していた大学に受かって、2年目の春だった。バンド仲間と作ったプロモーションビデオが審査を通過して、ライブカフェで演奏させてもらえることになったと夕食の席ではしゃいでいた。
兄が貝沼の手に落ちたのは、その矢先だった。
初ステージに向けて、毎日遅くまで貸スタジオで練習を重ねていた。帰り道、ひとりになったところを狙われた。貝沼はターゲットの生活パターンを調べ上げ、機会を狙っていたに違いなかった。
兄は貝沼清隆に殺された。理由は、『薪室長に少し似ていたから』。
「たったそれだけの理由で! あなたさえこの世にいなきゃ、兄貴は死ななかった! 母さんだって、あんな化け物じみた死に方しないで済んだんだ!」
襟元を掴まれて揺さぶられた。がくがくと揺れる頭蓋骨の中で、脳みそが溶けたアイスクリームのようにぐちゃぐちゃに混ざるのを感じた。
「もっと」
ぽつりと薪の頬に水滴が落ちて、薪が流した涙と合わさった。雨かと思い、そっと瞼を開けると、そこには滂沱する荒木の顔があった。
「もっと幸せに生きて、毎日楽しく笑って、そうやってずっと暮らせるはずだったんだ。父さんと母さんと兄貴とおれと4人で、それを」
自分が不幸にした人間は、この世にどれだけいるのだろう。貝沼の犠牲になった少年たちだけでなく、その家族や友人たち。その数を思えば自分が此処に存在していることすら許せない気がして、薪は何もかもを打ち捨てた清白の表情で眼を閉じる。
「あなたのせいだ!」
振り上げたナイフの切っ先が、薄曇りの空に鈍く光る。薪の瞳はそれを映すことなく、その心臓は鼓動を止めようとしていた。
最期の息を薪が吐き終えた、そのとき。
ガッ、と音がして、荒木の呻き声が聞こえた。石の上に金属片が落ちる音を聞きながら、薪の身体は支えを失って倒れていく。
石に当たった膝の痛みで、思わず目を開けた。目の前に、自分の人生に終止符を打つはずだったジャックナイフが落ちていた。
何が起きたのか分からずに呆然としていると、誰かに抱き上げられた。そのままその人物の胸に身体が押し付けられる。
大切なものを扱う手つき。愛おしさに溢れた抱き締め方。
厚い胸板と逞しい腕。薪の大好きな日向の匂いと、髪の毛から漂う懐かしいハードワックスの香り。
「薪さん」と呼ばれて、やっと目を開けた。
予想を違えず、そこには薪の恋人が、親友と同じような困り顔で、でもやさしく笑っていた。