真冬の夢(6)

真冬の夢(6)







 青木は、薪と街を歩くのが好きだ。
 ごく普通のスーツを着ていても、薪を振り返って見ていく人が必ず何人かいる。その薪と一緒に歩けることが、少しだけ誇らしい。モデルかアイドル歌手を恋人にしているような気分、といえば分かりやすいだろうか。男の見栄というやつだ。
 薪の衣装は、朝のラフな服に戻っている。コーヒーショップでの一件で、何を着ていても同じだ、と悟ったらしい。帽子は被っていないが、それでもやっぱり高校生以下にしか見えない。本当はこういう服装のほうが肩が凝らなくて好きなのだ、と言っていた。

 映画は青木が決めた。
 最近封切りされたばかりのミステリー映画で、いわゆる名探偵もの。本格推理作家と名の高い原作者が映画のために書き下ろしたそうで、原作の本はまだ発売されていない。つまり、映画を観ないとストーリーはわからない。
 薪は推理小説が好きで、よく読んでいると雪子から聞いている。これなら楽しんでくれるだろうと思ったのだが、青木の予想は大ハズレだった。映画が始まって1時間も経たないうちに、薪は熟睡してしまったのだ。

 ……失敗した。
 このひとを映画館に連れて来たら、こうなることは目に見えていたのに。

 暗闇に慣れた目のおかげで、薪の寝顔がよく見える。いつもながらのきれいな寝顔だ。
 薪は第九でもしょっちゅう寝ている。仕事はバリバリこなすのだが、その反動も大きいのだろう。仮眠室のベッドだと寝すぎてしまうという理由で、室長室には薪専用の寝椅子が置いてあるくらいだ。
 仮眠のときに必ず抱いている分厚い本は、今日はさすがに持っていない。家で眠るときもあの本を抱いて寝ているのだろうか。
 本、というよりは、中に入っている写真が重要なのだ。青木はそのことを知っている。

 薪の亡き親友―――― 鈴木克洋。

 ずっと以前、薪とは恋人という間柄だったらしいが、そのあと鈴木は雪子と婚約しているし、その辺のことは複雑でよく分からない。情報源が当の雪子なので、あまり突っ込んだ話もできない。
 両方と付き合っていたのだろうか。だとしたらずいぶん不誠実な男だ。そんな男が、今なお薪の心を捉え続けているというのは、少し腹立たしい。
 あの事件さえなければ、薪はとっくに新しい恋を見つけて幸せになっていたことだろう。しかしそうなると、自分の割り込む余地もなくなってしまうのだが。

 映画のスタッフロールが終わり、周囲の人々がいなくなる頃合を見計らって、青木は薪を揺り起こした。椅子で眠ったせいで肩が凝ったのか、薪は両肩を上げ下げして、大きく伸びをした。
 寝ぼけ眼の薪を促して、暗い通路を歩く。外はすでに夕日が眩しい。
 冬の夕暮れは早くて、一日があっという間に終わってしまうような気がするが、青木にとって今日はことのほか時計の進みが速い。薪と一緒にいると、嬉しくて楽しくて―――― 瞬く間に時が過ぎていく。かの有名な御伽噺の主人公もこんな調子だったに違いない。

 ビルの谷間に沈んでゆく夕日に目を細めて、薪は歩き出す。
 朱色の光が普段は白い薪の頬をうっすらと染め上げて、亜麻色の頭を黄金色に変えている。
 長い睫毛。透き通るような肌。この世の清らかなものだけで形作られたかのような、静謐な美貌。痛いほど透明で、限りなく儚い。
「きれいだな」
「はい」
「どこ見てるんだ。夕日だ、夕日」
 薪さんのほうがずっときれいです。さすがに、口には出せないが。

「ところで、犯人は被害者の甥だったか?」
 駅への道すがら、薪は先刻の映画の話を始めた。が、なぜ犯人を知っているのだろう?
「殺害時のトリックは氷を使ったものだったか?」
 犯行のトリックまで、なぜ知ってるんだろう。
「もしかして、前に観た映画でした? だったら先に言ってくださいよ」
「いや。初めてだけど」
 謎解きの場面で薪は熟睡していたはずだ。なのにどうして分かるのだろう?
 不思議顔の青木に、薪はその理由を説明してくれた。
「推理ものにはセオリーがあって、最初の30分以内に必ず犯人が一度は出てくるんだ。この原作者の本は何冊も持ってるし、パターンは読める」
 だから途中で寝ちゃってたんですね……。

「すみません。薪さんの人間離れした推理能力を忘れてました」
 犯人が分かってしまった推理映画ほど、つまらないものはない。物語として楽しめないことはないが、やはり最後にあの人物が犯人だったのか、とびっくりするのが楽しいのだ。その点、青木は製作者側から見て、正しいお客だったと言えるだろう。
「今度僕を映画に誘うときには、アクションものかSF……いや、ホラー映画がいいな」
 しょげた顔をした青木に、薪は意地悪な笑みを浮かべてさらに追い討ちをかける。青木がホラー映画が苦手なことを知っていて、まったく呆れるほど意地悪だ。
 しかし、その意地悪な笑いでさえ青木には可愛く思えてしまうから不思議だ。夕日が輝かせている、薪の大きな瞳のせいだろうか。

「また、誘っていいんですか?」
 青木の切り返しに、薪は目を丸くする。
「なに?」
「今度誘うときはって、今」
「ち、ちがう! 言葉のあやだ!」
「ホラーならいいんですね?」
「いちいち人の言うことを真に受けるな!」
 むきになって言い返す様が、本当に愛らしい。思わず抱きしめてしまいそうだ。行動に移したら、間違いなく投げ飛ばされるが。

「もう帰るぞ。いい加減、解放してくれ」
「夕食を奢りますよ」
「いらん」
 にべもなく言い切られて、青木が眉根を寄せる。少し言葉が過ぎたと思ったのか、薪は家に帰りたい理由を話してくれた。
「昨夜は朝まで本を読んでたんだ。2時間くらいしか寝てないから、眠いんだ」
「じゃあ、夕食はまた今度にします」
 そんな状態でも自分に付き合ってくれたのか。やっぱりやさしいひとだ。

「さ来週、薪さんの誕生日ですよね。その日はどうですか?」
「僕の誕生日は、今からレストランの予約が取れるほど、あまい日じゃないぞ」
 もちろん、知っている。
 薪の誕生日は12月24日。クリスマスイブなのだ。
「山水亭で懐石料理なんかどうです?」
「銀座の? 予約、取れたのか?」
 実は、雪子に聞いて2ヶ月前から予約を入れておいた。薪の大好きな料亭だが、完全予約制なので滅多に行けない。人気店なので予約自体もなかなか取れないし、たとえ予約がとれたとしても突発的な事件で無駄になってしまうことが多い。

「山水亭かあ。でも、高いぞ、あそこは」
「薪さんにはいつもご馳走になってますから。こないだのレストランのお礼もしたいし」
 先月は薪が昇格試験合格のお祝いに、レストランでディナーをご馳走してくれた。
 夜景がとてもきれいなムードたっぷりのスカイレストランで、夢のように楽しかった。
 豪華なディナーに相応しくドレスアップした薪の美しさといったら、店中の客が注目していたくらいだ。パープルグレイのスーツに上品なネクタイ。すらりとした体躯にフィットしたスーツは英国製で、ネクタイの透かし柄はヴェルサーチだった。カフスとタイピンは揃いのエルメス。それを嫌味なく優雅に着こなした薪ににっこりと微笑みかけられて、セレブに慣れているはずの店員まで顔を赤らめていた。

「1年に1回くらい、贅沢してもいいじゃないですか。ぜひ付き合ってください」
「まあ、考えとく」
 言葉面は素っ気ないが、顔はほころんでいる。
 あそこの土瓶蒸しは絶品なんだ、などとお気に入りのメニューまで教えてくれて、これは期待しても良さそうだ。

 人ごみの中を縫うように、薪は青木の前を歩く。その細い背中を見失わないように必死に後を追う。足の長さが違う割に歩く速度はそう変わらない。薪は早足だ。

 地下鉄の駅に着いて電車を待つ間、薪はちいさな欠伸を連発していた。本当に眠そうだ。
 やがて電車が入ってくる。師走の街はどこもかしこも混んでいて、地下鉄の乗車率も120%だ。タクシーにすればよかったと思いながら、薪を庇って他の乗客との間に立つ。

「混んでますね。大丈夫ですか?」
 薪の細い身体を抱きしめるような格好になって、電車に揺られる。密着できるのは嬉しいが、これだけ周りに人がいては何もできない。したところで殴られるだけだが。
「薪さん?」
 やけにおとなしいと思えば、薪は青木の身体に寄りかかったままうとうとしている。支えてあげないと、膝が崩折れそうだ。
 腰の辺りに腕を回して、抱き上げるように支える。青木の腕に薪の体重のほとんどが掛かって、どうやら眠ってしまったようだ。
 こんなところで眠れるほど眠かったのか。悪いことをしてしまった。薪も、もっと早く言えばいいものを。気を使ってくれたのだろうか。
 薪の降りる駅はあと3つほどだ。自分はそこからまだ2駅ほど先だが、これは薪と一緒に一旦下りて、送っていったほうが良さそうだ。

 電車から降りるのも一苦労だった。
 降り口まで人を掻き分けていかなくてはならなかったが、薪は足がもつれてうまく歩けないし、結局小脇に抱えるようにして連れ出した。まるで荷物扱いだ。

 吉祥寺駅のホームで薪を背負う。
 寒さに気付いて、自分のコートを薪の上からすっぽりとかける。昼間は比較的暖かかったが、日が沈んでしまうと途端にこの寒さだ。特に薪は軽装で来ているから寒いだろう。
 ここから薪の家までは2キロくらいだ。タクシーの列に並ぼうかとも思ったが、師走の時季、大きな買い物袋を提げた客が長蛇の列を作っているのを見て、諦めた。これなら歩いたほうが早い。
 夜に向かう冬の空気はだいぶ冷たい。青木の吐く息は真っ白だ。
 しかし、背中のちいさな体温のおかげで寒さは感じない。あそびに行った帰りに背中で眠ってしまうなんて、子供そのものだなと青木は思う。普段の仕事ぶりとこういうところのギャップが青木を惹き付ける要因のひとつなのだが、薪はそれを知っているのだろうか。

 薪のマンションが見えてくる。可哀想だが、そろそろ起きてもらわなくてはならない。
 エントランスのドアはカードキーだからそこまでは入れるが、部屋の玄関の鍵は瞳孔センサー式だ。薪の目がなくては入れない。

「薪さん。起きてください。うちに着きましたよ」
 玄関のドアの前で、しゃがみこんで薪をおろす。まだ眠りの中にいるらしく、青木の首に巻きつけられたほそい腕はなかなか離れない。
「薪さん?」
 左の肩に、細いあごの感触がある。
 頭をめぐらせると、びっくりするくらい近くに薪の美しい顔がある。
 起きている。
 いや、寝ぼけているのか。このひとは大きく目を開けて、寝ぼけるのが得意だ。

 薪の端正な顔が近づいてくる。
 細い首を左に傾げてまぶたをふせる。間近で見ると本当に長い睫毛だ。
 と、睫毛に見とれている青木のくちびるに、やわらかいものが触れた。
 それは一瞬のことで、偶然かすめたに過ぎないような接触だったが、青木を硬直させるには充分だった。
 しゃがんだままの姿勢で動けない青木を玄関の外に残して、薪はさっさと自分の部屋に入ってしまった。さよならの言葉もない。

「あ……」
 しばらくしてから我に返って、閉ざされたドアを見る。ドアの向こうに人の気配はない。おそらくもうベッドの中だ。青木のことなどすっかり忘れて、あの安らかな寝息を立てているのだろう。
 やっぱり今のは偶然だったんだな、と青木は理解した。
 ちょっとぶつかっただけだった。ただの接触事故だ。
 キスならこの前、むりやり奪った。あのやわらかなくちびるも、あまい舌も、まだ記憶に新しい。……その直後の、平手打ちの痛みも。
 以前、薪のほうからしてくれたキスも、理性が飛んでしまうほど激しかった。もっともあれはドラックの作用によるもので、あの時は相手が誰でもいい状態だったのだが。

 いや、薪の中では、あのときの相手は鈴木だった。

 とろけそうな微笑を浮かべて、青木に抱きついて、耳元で囁いた―――― 甘い声。
 『すずき……だいすきだ……』

 ……保留の答えは、いつになったらくれるのだろう。
 それとも、この素っ気ない態度こそが返事なのだろうか。
 でも、今日は寝不足を押してまで自分に付き合ってくれた。そのやさしさの意味は、単に押しに弱いのか、それとも……。
 ここでいくら考えても、はっきりした答えなど出ない。
 さ来週は食事に付き合ってくれると言っていたから、そのときにゆっくり話をしよう。正確には『考えておく』と言われたのだが、期待しても良さそうな雰囲気だった。

 床に落ちていたコートを拾い上げて、青木はようやく立ち上がった。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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