こんにちは!
公開作・過去作ともに、毎日たくさんの拍手、ありがとうございます。励まされてます。
ただいま構想中の、薪さんがお年を召して認知症を患う話、がんばります~。(←もうやめてあげて)
続きです、どうぞ!
You my Daddy(11)「お帰りなさい」
家に帰ると、ヒロミとミハルが笑顔で薪を出迎えた。薪の後ろで彼女たちの笑顔をまぶしく感じながら、青木は薪に鞄を手渡す。
「ただいま」と薪が鞄を差し出せば、それをミハルが受け取って書斎のドアの前に置く。その間、ヒロミは薪の上着を彼から受け取り、ハンガーで形を整えてブラシを掛ける。
それは今まで全部青木がしていたことで、彼女たちがいる限り此処に自分の仕事は無いのだと、見せつけられれば薪の家に上がり込む理由もなくなって、だから青木は今日もヒロミに誘われた4人の夕食を、ありもしない友人との飲み会を理由に断わる。
ヒロミは残念そうな顔をするが、青木に遊んでもらえなくて膨れるミハルを嗜めるために母親の顔を作る。「お兄ちゃんは忙しいのよ」と娘を諭し、「パパ。お風呂とごはん、どっちにします?」と薪に笑顔を向ける。薪の血を引くだけあって、若いのにしっかりした娘だ。
ヒロミたちが薪の家に来て、3週間が経過していた。青木のホテル暮らしはまだ続いている。
「じゃあ、オレはこれで」
「青木」
玄関を出ようとして、ワイシャツ姿の薪に声を掛けられた。待つように言われて足を止める。
薪がちらりとミハルを見ると、気を利かせたヒロミが「なっしーと遊んできなさい」と別室に子供を連れて行った。そこは青木の私物が入れてある部屋だったが、現在は母子の部屋に供されている。
程なく戻ってきたヒロミにネクタイをほどいて渡しながら、薪は不服そうに眉を吊り上げてこちらを向き、
「自主訓練も友人も大事だけど、たまには僕に付き合え」
新年度の開始月に、所長に就任したばかりの薪に暇があるはずもなく。ランチもアフターも、プライベートの時間を彼と共有することはできなかった。必然的に薪の送り迎えをするだけの日々が続いていたが、ホテルに帰ろうとして呼び止められたのはこれが初めてだ。
「もう半月くらい、おまえとメシ食ってないぞ」
「え。いや、だって」
「今日は先約の友人に譲るけど、明日は空けろ。1日くらい僕と」
「オレより、ヒロミさんたちを優先してください。何十年も離れていたんですから。それに比べたらオレなんか」
薪は青木の腕を掴み、もう片方の手で青木の言葉を止めた。人差し指を唇に宛がう、いつものやり方。それはもちろん、ボディガードに対する所作ではない。
青木は口を噤み、薪を見下ろした。下から真っ直ぐに見上げてくる亜麻色の瞳と視線を絡ませ、ああ、こんな風に薪と見つめ合ったのは何日振りだろう? 相も変わらず澄んだ水面のように涼やかな瞳。迷いなく穢れなく、青木の魂を惹き寄せる瞳――。
ぐいとネクタイを引かれた。逆らわずに背中を丸めると、薪に軽くキスされた。びっくりして、物も言えずに薪を見れば、瞬きもせずに青木を見つめ返す亜麻色の瞳。
そこに青木は、自分の間違いを見つけて息を飲む。
薪が望むことをしていたつもりだった。だけど、薪は本当は。
つい、と薪は青木から離れた。苦笑交じりに前髪を掻き上げる。
「見誤ってたのは僕の方か。僕としたことが、惚れた欲目ってやつかな」
ヒロミの前で、薪は青木との関係を暴露した。その行動は青木に確信をもたらす。薪は青木という恋人の存在を娘に隠しておきたいわけではなかったのだ。父親として子供の手本になろうとか、これを機会に家庭を持つことを考えようとか、青木が心配していたようなことは何もなかったのだとはっきり分かった。
「岡部が言ってた。おまえがヒロミたちのせいで自分の立場に不安を感じてるって」
「いいえ! ヒロミさんには感謝してます」
思わず青木は言い返した。
「感謝してます」
繰り返す、それは青木の本心だった。
ヒロミたちが現れて、青木は確かに疎外感を味わった。薪を取られたような気分になって、嫉妬もした。だけどそれ以上に、青木は彼女たちに感謝していたのだ。なぜなら。
「薪さんの子供をこの世に残せないこと、ずっと申し訳ないと思ってきました。でもそれを、あなた方が解決してくれた。
ありがとうございます。おかげでオレはこれからも、薪さんだけを愛して行くことができます」
青木がどうしても為せないこと、それを補ってくれたのは他でもないヒロミたちだ。感謝してもしきれない。
青木の発言にヒロミは驚き、薪は誇らしげな顔をする。誰に対して向けたものか、「ほらな」と胸を張る薪に、青木はにこりと微笑んで宣告した。
「と言うことで薪さん。深田○子嬢の写真集は廃棄処分の方向で」
「なんで!?」
父親の威厳はどこへやら、取り乱した声で薪が叫ぶ。
「科警研の所長として、この趣味はどうかと」
「男が水着のグラビア切り抜いて何が悪い」
「パパ、そんなことやってたの」
娘の冷たい視線をものともせず、それどころか開き直る呈の薪に、青木は態度を強くする。リビングの飾り棚の隣に置いてあるパソコンデスクの引き出しから青木が問題の写真集を取り出すと、薪はサッと顔色を変え夢中になって抗議を、てか、オレとの別居より写真集の方が必死ってどういうことですか。
「僕の恭子ちゃんに何をする!」
「今までは薪さんが、ご自分の子供が欲しいと仰ればそれを邪魔することはできないと思ってきましたけど、ヒロミさんたちがいるわけですから。もう女の人は必要ないでしょ」
「そういう問題じゃ、こら、返せ! いいだろ、水着写真くらい!」
「だめです。表紙に『今夜の深キョン』て書いてある時点でアウトです。用途的に」
「パパ、サイテー」
ヒロミが無表情に、壁に備え付けられた再生資源専用ダストシュートの扉を開ける。雑誌や新聞の類は此処に入れると、自動的にマンション全体の回収ボックスに到着するようになっている。個々の通路の先には大型のシュレッダーが搭載されており、住民のプライバシーは完全に守られる。
「待て、捨てるな! わー!」
廃棄ボックスに投入された自作写真集の後を追い、投入口に頭を突っ込もうとする薪を青木が後ろから羽交い締める。遠くから響いてくるガーッと言う騒音と共に薪の女神は寸断された。ちなみにシュレッダーは防音材に囲まれているので、裁断音は薪の幻聴だ。
「ぼ、僕の恭子ちゃんが……わあああんっ」
「大の男が泣くこと?」
「これは男のロマンだ、女にはわからん!」
女というより薪さん以外誰も分からないと思います。
「おまえら、とんでもないことをしてくれたな! あれだけ集めるのに何年かかったと思ってるんだっ」
いっぱしのコレクターみたいなこと言ってますけど、やってたことは雑誌の切り抜きですよね?
「僕がこのライフワークにどんなに情熱を注いでいたか、青木は知ってたよな?」
ご執心なのは知ってましたけど、ライフワークにしてたのは今知りました。
「それなのになんて残酷な……おまえがこんなに冷たい奴だとは思わなかった、絶交だっ。二度と僕の前に顔を見せるな!」
こんなことで簡単に振られちゃうオレってどうなの。
「パパ、どうしたの?」
騒ぎを聞きつけたミハルが奥の部屋から出てきてしまった。薪が目を潤ませているのを見て、子供ながらに同情したらしい。薪を慰めようと、彼女が部屋から懸命に引き摺ってきたのは、先日薪に買ってもらった自分より大きな梨の妖精。
「泣かないで。ミハルのなっしー、あげるから」
「ミハル……僕の味方はおまえだけだー!」
ガシッとぬいぐるみごとミハルを抱きしめて泣き崩れるとか、見てる方が痛いんですけど。顔がいい分余計に痛いんですけど、いっそダストシュートに投げ込んで記憶ごとシュレッダーかけたくなっちゃうんですけどどうしたら。
「おかしいなあ。ママに聞いた話じゃ、こんなキャラじゃなかったはずなんだけど。東大のアドニスって呼ばれてたって」
「見た目はアドニスのままなんですけどね。中身はすっかりオヤジです」
「この外見と中身のギャップに付いていけるのは、青木さんくらいのものかもね。青木さん、これからもパパをよろしくお願いします」
「こちらこそ。末永くよろしくお願いします」
娘と恋人が友好条約を締結している傍らで薪は、ミハルを抱いたままグズグズと泣き続け。やがてその涙がミハルに伝染していくのを見るに見かねて、青木は隠し持っていた薪曰く『男のロマン』を差し出した。
「はい、どうぞ」
「あっ、恭子ちゃん。どうして?」
「ダストシュートに入れたのはオレのカー雑誌です。捨てようと思ってたやつ」
「なんだ、驚かすなよ。ああよかった、無事だったんだね、恭子ちゃん。僕、心臓止まるかと思ったよ」
「ちっ。本当に捨ててやればよかった」
黒い呟きがダダ漏れの青木に、しかし薪は写真集の無事を確かめることに夢中でそれに気付かない。本当にこの二人は上手くできている。恋は盲目とはよく言ったものだ。
「パパ、元気」
「あ、うん。ありがとう、ミハル。おまえのおかげだよ」
にっこり笑って子供の頭を撫でる、その姿は子煩悩な父親そのもの。いや、祖父と孫だったか、いずれにせよ、そこにはほっこりと人を和ませる空気があって、見ているこちらまで癒されてしまう。これで薪の右手の自作写真集さえなければ文句はないのだが。
青木の隣でその光景を眺めていたヒロミが、一歩前に進んだ。ふと青木が横を見れば、何かを決意したようなヒロミの真剣な横顔。
果たして、彼女は言った。
「パパ。わたし、このままここに居ちゃだめ?」
無邪気に甘えてくるミハルを自分の膝で遊ばせていた薪が、訝しげに娘を見る。
「パパの身の回りの世話はわたしがするわ。パパのお仕事の邪魔にならないように、ミハルの面倒もちゃんと見る。だからお願い」
いずれ、そういう日が来るかもしれないと青木は予測していた。
薪が彼女たちを深く愛していることは、先日の言動からも明らかだ。母子2人での外出を許さず、ほんのちょっと絡んだだけの行きずりの男を過剰防衛スレスレに撃退する。心配性を通り越して過保護、でもそれは愛情の表れなのだ。
彼の気持ちを、その愛を、受け取っている当人は青木よりも身に染みて分かって、だったらこの申し出は我儘ではなく思いやり。薪もきっとそれを望んでいる。
ところが薪は、迷う素振りも見せずに首を振った。まるで最初から質問も答えも決まっていたとでも言うように、それは自然な動作だった。
「だめだ」
ネックになっているのは自分だと青木は思った。自分の存在が、薪の一つの幸福を壊そうとしている。そんなことをするくらいなら、青木は公園に住む方を選ぶ。
「薪さん、オレのことなら。ヒロミさんはオレたちのこと認めてくれてるんだし。オレが近くにアパートを借りて、そこで逢うようにすれば」
「パパだってミハルのことは可愛いでしょう? 青木さんもこう言ってくれてることだし」
薪はしっかりとヒロミを見て、ゆっくりと首を振った。その様子は高く聳える霊山のように泰然として、どんな反論も許さなかった。
「例え君が僕の娘でも、この家に君の居場所はない。説明したはずだ。この家は、僕と青木の家だ」
青木は知らなかったけれど、薪はヒロミに、青木との関係を包み隠さず話していた。相手の秘密だけを聞き出すやり方はフェアではないと思ったし、そうでなければ相手もまた、本当のことを話してくれないと思ったからだ。
「すまない」
薪は、自分の膝に座って、巨大なぬいぐるみ相手に無心で遊んでいる子供の落ち着きなく動く様子に目をやりながら、申し訳なさそうに謝罪の言葉を述べた。
「君にそんな迷いを生じさせたのは、僕の態度が原因だ。正直、君たちとの生活は楽しかった。幼い子供がこんなにも心を癒してくれる存在だとは、今まで知らなかった。でも」
言葉と一緒に、薪はミハルをやさしく抱きしめた後、ぬいぐるみに子供を預けるようにして床の上に下ろした。それからこちらに歩いて来て、青木の手を取った。
「僕のパートナーは彼だ。どちらかを選べと言うなら、僕の答えは最初から決まっている。そして」
青木の指の間に薪の細い指が滑り込むように侵入し、五本の指が青木の指を挟むように曲げられる。きゅ、と込められた力は、薪の決意の強さ。
「それは未来永劫、変わることはない」
永遠を誓う、薪の横顔に迷いはなく。だから青木も心に誓う。この手を、一生離さない。
「薪さ、イタッ」
「いつまで握ってんだ、バカ」
握り返したら引っぱたかれた。薪はどこまでも勝手だ。
薪はあっさりと青木の手を放し、沈み込む様子のヒロミに近付いた。彼女の肩に手を置き、穏やかに微笑みかける。
「心配しなくてもいい。君たちの恐怖は、じきに取り除かれる。昨日、裁判所の人間と話がついた」
ヒロミがパッと顔を上げた。驚愕の表情で薪を見つめる。
「大丈夫。あのことは誰にも言ってない」
薪は彼女を安心させるようにゆっくりと頷いて、静かに言った。
「これは一生、君と僕だけの秘密だ」
そこまで断言されて尋ねることもできず、青木は黙って二人を見守った。静まり返った部屋の中で、ミハルがぬいぐるみの名前を呼ぶ声だけが愛らしく響いていた。
テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学