新人教育(3)

新人教育(3)







 新人と一緒に帰ってきた室長の姿は、第九の職員を仰天させた。
 いったい何があったのか、上から下まで泥まみれである。ワイシャツの上に明らかに借り物とわかる大きなジャケットを羽織って、膝から下は裸足だ。華奢な足首が痛々しい。
 車に泥水かけられたんだ、と子供にも解る嘘を白々しく吐いて、室長は真っ直ぐにシャワー室へ向かった。室長のロッカーには、急な泊まり込みに備えて着替えが置いてある。シャワーさえ浴びればこのまま仕事に戻れるのだ。

「薪さん。大丈夫ですか?」
 扉の向こうで岡部の声がする。熱いシャワーを頭からかぶりながら、薪は応えを返した。
「ああ、なんとかな」
「だから言ったでしょう。あそこの親父はキツイって」
「まあ、あの気持ちは分かるから」
 髪を洗いながら、薪は昨日の岡部との会話を思い出している。
 室長室に報告書を持ってきた小池の一言から、この件は始まったのだ。
 
「青木のことなんですけど、その……」
 小池の言葉に、室長は報告書をめくる手を止めて顔を上げた。
 一言多くても少ないことはあまりない、その小池がこうも言い淀むのは珍しい。なにか言いにくいことがある証拠だ。
「青木がどうした」
「どうもなんか現実感がないっていうか……悪い言い方をすると、ゲーム感覚で捜査をしてるみたいな」
「青木の性格は、そういうんじゃないだろ。どっちかって言うと優しすぎるのがネックになるタイプだろ」
 同席している岡部が、的を得た人物評を下す。その見立てには薪も同感だ。
「そうですよね。俺の気のせいですかね、やっぱり」
 バツの悪そうな顔で頭を掻く小池に、薪は無表情に、
「小池、よく報告してくれた。あとは僕に任せろ」
「は?」
「行っていいぞ」

 小池が室長室を辞した後、薪はすぐにPCのキーボードを叩き始めた。室長のIDを打ち込んで、人事部の検索システムから情報を引き出す。画面を見つめる大きな眼が細められ、小さく舌打ちする音が聞こえた。
「そうか、失敗したな。指導の順番を間違えた」
「どういうことです?」
 岡部の問いに、薪はPCの画面を指し示す。警察庁が誇る人事統括データ―――― 画面には青木の経歴が細かく表示されていた。
「青木のやつ、所轄の経験がゼロなんだ。見ろ、警大を9月に卒業してそのあと警察庁の総務課に配属されてる。そこからここに来たんだ」
 考え込む時の癖で、薪は右手を口元に当てる。それから手を頬に滑らせて、机の上に肘をつく。
 岡部の前では薪はいくらかくだけて、こんな仕草もしたりする。頬杖はあまり良いことではないが、室長がやると優雅に見えるから不思議だ。

「うっかりしたな。あいつ、おそらく現場を見たことがないんだ。被害者遺族と話したこともない。遺族の悲しみや嘆きを聞いたことがない。だから捜査が上っ滑りするんだ。
 まずいな。このままいくと、ただの技術屋になってしまう。なまじ頭が良い分、陥り易いんだ。何とかしないと」
「俺が話してみましょうか」
 経験と実績に裏打ちされた岡部の指導力は確かだ。任せておいて間違いはない。が、これは言葉だけで理解できるものでもない。実際に現場に連れ出すのが一番だ。
「……例の越谷の家に、青木を連れて行く。あの遺体は明日がリミットだからな」
「あそこの親父はキツイですよ。俺が行きますよ」
「いや、僕が行く。室長は僕だ」

 昨日、室長とそんな会話を交わしていた岡部は、薪の身をずっと心配していた。
 案の定、こんな格好で帰ってきた。怪我はしていないようだが、体中泥まみれだ。
 青木が一緒だったのだから暴力を振るわれたわけではないと思うが、土下座くらいはさせられたのだろう。こんなことは初めてではない。頻繁にあることでもないが。
 薪は意外とこういうことは平気だ。室長が天より高いプライドの持ち主ということは岡部も認めているが、そのプライドに傷をつけるのは人に頭を下げることではなく、もっと別のことだ。例えば……背丈とか。

「岡部。あの件、頼んでくれたか」
 タオルで髪を拭きながら、薪がシャワー室から出てくる。もちろん素っ裸だ。その姿から岡部は自然に目を逸らして上を向く。自分の容姿が見るものをどんな気持ちにさせるのか、自覚のない室長はこういうことには無頓着だ。
「後輩には頼んでおきましたけど、今は出待ちです。初めはきれいなやつがいいと思って」
「いや。出来れば1週間くらい経過したのがいいんだが」
「え? 最初からそんなの見せる気ですか?」
 素肌に直接ワイシャツを着込み、下着とズボンを履く。防弾チョッキは濡れてしまっているが、さすがに替えは置いていない。今日は仕方がないと割り切ったようだ。
「あいつには荒療治が必要だ」
「ていうかそれ、周りのフォローの方が大変ですよ」
「フォローは僕がする」
「いや、何も室長がなさらなくても。指導員は俺なんですから、俺がやりますよ」
「部下の経歴を把握して指導方針を決定することは室長の役目だ。それを怠った僕が悪かった」
 備え付けのドライヤーで髪を乾かしながら、室長は潔く自分の非を認めた。
 髪を掻き回す手つきが乱暴だ。自分の失態に腹を立てているのだ。薪は部下にも厳しいが、自分にはもっと厳しい。その厳しさが薪の強さであり、危うさでもある。岡部は薪のそういうところを一番心配している。

「まさか、大学から直接に近い形で第九への人事があるとは思いませんでしたからね。三田村のやつ、なにか問題でも起こせばいいとでも思ったんですかね」
「三田村のせいじゃない。これは僕のミスだ。責任は僕にある」
 くどくどと理由を述べることはしないが、薪はひどく後悔している。岡部にはそれが分かった。

 新人に現実を見せる前に、MRIの画像を見せてしまった。
 最初に画像から事件に入っては、現実感を失ってしまっても無理はない。頭では現実に起きたことだと理解していても、どこか絵空事のような気がしてしまうのだ。
 現実が見えない人間に、捜査官は務まらない。どこの部署に行っても使い物にならない。最初が肝心だったのに自分のせいだ―――― 薪の考えは大体読める。

「青木は粘り強いし打たれ強い。着眼点もいい。きちんと育てれば、良い捜査官になる。あいつの才能を潰すわけにはいかない。僕が何とかする」
 亜麻色のさらさらした髪に櫛を通し、さっと整えると、薪は予備のジャケットを着込んだ。何だかいつもより、華奢に見える。防弾チョッキを着ていないせいか。

「午後には病院から目撃者の脳が届く。今日中に、徹夜してでも画を捜すぞ。一日しか猶予をもらえなかったんだ」
「じゃあ、みんなでやっつけますか」
「うん。頼む」
 はい、と頷いて岡部はモニタールームへ戻っていく。ロッカールームのドア口で振り返ると、薪はうつむいて厳しい目で空を睨んでいる。

「室長」
 岡部の呼びかけに、我に返ったように顔を上げる。岡部はにやりと気安い笑みを浮かべて楽しげに言った。
「新入りをいびる楽しみを、独り占めせんで下さいよ。俺にも少しは分けてください」
 何でも自分で抱え込もうとする薪の性癖を矯正するのは自分の役目だ、と岡部は自負している。
 室長の重責を少しでも軽くしてやりたい。独りではないのだと思わせたい。もっともっと自分を頼って欲しい。

 薪は亜麻色の目を丸くした後、きれいな微笑を岡部にくれた。
「そうだな。共犯者がいたほうが、イジメは楽しいからな」
「はい」
 第九研究室の懐刀と称される岡部の気持ちは、どうやら室長に届いたようだった。



*****

 かみんぐあうと。
 わたし、岡部さん大好きなんです。(きゃ、言っちゃった)


テーマ : 二次創作:小説
ジャンル : 小説・文学

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Author:しづ
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2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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