Daugthers(2)

2017/04/17/06:25  2069.4 You my Daddy

 こんにちはー。
 Daddyのあとがき、これでおしまいです。
 読んでくださってありがとうございました。
 





Daugthers(2)





「ほら。やっぱりこっちの方が似合うわ」
「驚いた、別人みたい。さすがね」
「少し毛先を巻くと、もっと華やかになると思うんだけど。やってみてもいい?」
「うれしい。ありがとう」
「こっちこそ。練習台になってもらって助かるわ」
 青木がクローゼットから引っ張り出してきたキャスター付きの姿見の前に座って、礼子とヒロミは楽しそうに話している。礼子がヒロミの髪を梳き、縛ったり捻り上げたりして様々な形に変えるのを眺めて、薪は首を傾げ、「不思議だ」と呟いた。

 二人の関係は、礼子が持ってきた一枚の書状によって劇的に変化した。
 いつものように礼子の派手な服装についての説教をして、いつも通りの生意気な返事が返ってきて、そうやって定番のセレモニーを済ませた後、「なにか用事じゃなかったのか」と尋ねた薪に、礼子は黒鞄からそれを取り出した。
 知り合った頃より一回り大きくなった胸の前に掲げられた、A4サイズの上質紙。そこには『T美容学校合格通知書』と書かれていた。それを認めた途端、ヒロミの礼子を見る目が変わり、態度が変わったのだ。
 どうもヒロミは自分の母親のようなタイプを嫌う傾向が強いようだから、キャバクラのバイトに勤しむ礼子のことは敬遠するだろうと思っていた。しかしその礼子が、将来に夢と目標を持って必死に努力している少女であり、水商売はあくまで勉学資金を調達するためであったことが分かって、自分の誤った先入観を激しく恥じたらしい。ヒロミは気は強いが、自分の間違いを素直に認めることのできる娘だ。

 それにしても、と薪はもう一度首をひねる。
 心の変遷もさることながら、それ以前の問題として、彼女たちが何をしているのかがよく分からない。
 鏡の前で二人がやっているのは、ヒロミが後ろで一本に縛っていた髪をほどいたり、また縛り直したり。前髪の分け目を変えたり、横に流してみたり。それで顔形が変わるわけじゃなし、いったい何の意味があるのだろう。

「不思議ですねえ。さっきまであんなに言い争ってたのに」
 青木の同意を得て薪は、彼が淹れてくれたコーヒーを口元に運びながら、
「女は謎だ」と呟いた。
 その亜麻色の瞳は、口中に広がるコーヒーの味を堪能する間だけ、傍らで飽きもせず人形遊びをしているミハルに落とされ、再びヘアスタイルの研究をする女性たちに向けられる。この天使のような少女も、あと20年もすればあんな謎めいた生物に変貌し、自分の理解を超えてしまうのだろうと思うと一抹の寂しさを感じる。男親なんてつまらない、と昔小野田が零していた気持ちが少しだけ分かるような気がした。

「礼子ちゃん、合格おめでとう。よく頑張ったね」
 コーヒーを配りながら、青木が礼子の努力をねぎらう。カーラーを巻き終えて、コーヒーに手を伸ばしながら、「ありがとう」と礼子が礼を言った。
 合格通知を持ってやって来た礼子は、よほど急いでいたらしく仕事着のままだった。そのせいもあってヒロミの誤解を受けたわけだが、電話やメールではなく直接報告に来るなど、可愛らしいことをしてくれる。まあ、あれだけ面倒見てやれば礼くらい言いに来るのは当然だと――、
「青木さんが根気よく勉強教えてくれたおかげよ。本当にありがとう」
 ちょっと待て。なんでそこで青木なんだ。
「おまえに勉強教えてたのは僕だぞ」
「薪さんが教えてくれたのは、最初の2、3回だけでしょ。後はみんな青木さんが教えてくれたんだから」
「……そうだっけ?」
 忙しい薪に代わって青木が率先して代役を買って出ていたのだが、実はそれが礼子を薪に近付けまいとする青木の策謀であったことは、青木の心の中にしまわれている永遠の秘密の一つだ。

「あたしの覚えがちょっと悪いからって、面倒くさがって」
「ちょっとってレベルじゃないだろ、あれは。穴の開いたバケツみたいな脳みそしやがって、いったいどうやったらあんなにきれいサッパリ忘れられるんだか、いっそ羨ましいわ」
「パパ、ひどい。いくらパパが天才だからって、そんな言い方無いでしょ」
 ヒロミ……どんな時でもパパの味方じゃなかったのか。

「周りの人間がみんな馬鹿に見えるって?」
「嫌な人種よねえ、天才って」
 さっきまで親の仇みたいにいがみ合ってたクセに、なんだ、そのチームワークは。共通の敵ができるとコロニーに団結と調和が訪れるってやつか。
「初めて会った時なんて、嫌味と皮肉のオンパレードよ。その頃あたし、親と一緒に暮らしてたんだけど、『淑やかなのはご両親の前だけですか』なんて言って、隠しておいたタバコとお酒、没収してったんだから」
「わたしも似たようなものよ。ミハルが泣くのを、『お母さんのヒステリーが遺伝したんでしょう』なんて言われて」
 互いの事情を知らないままに交わされる彼女たちの会話に、薪は肝を冷やす。二人とも、人には言えない過去を持っている。ヒロミは大人だからその辺りは上手く避けるだろうが、礼子は歯に衣着せぬ性格だから、無遠慮に相手の事情に踏み込まないとも限らない。

「それ、薪さんに責める権利ないわよね。あんたの遺伝でしょ、って言い返してやればよかったのに」
「あ、違うの。パパって呼ばせてもらってるけど、わたしと薪さん、血は繋がってないの」
 ヒロミとの特殊な親子関係を一言で説明するのは難しい。他人からはヒロミと薪が夫婦で、ミハルがその娘のように見えるだろう。礼子もそう思っていたらしく、クスッと吹き出すように笑って、
「ミハルちゃんが薪さんの子供なら、ヒロミさんと薪さんの血がつながってないのは当たり前でしょ。それより、薪さんとどこで知り合ったのか教えてよ。因みにあたしはね」
「礼子」
 心配していたことが現実になり、薪は慌てて二人の話を遮った。ミハルの父親の話は、この母娘の前ではタブーだ。
「あまり根掘り葉掘り聞くものじゃない。人にはそれぞれの事情がある。お互い、そのプライバシーを守って付き合うのが人付き合いというもので」
「ある事件で薪さんが、セーラー服着てあたしのボディガードを」
 守って、僕のプライバシー!!

「セーラー服ぅ?! 信じられない。パパ、その時いくつよ」
「年の問題じゃないわよ。それがものっすごく似合ってて、周りの連中、口を揃えて天使だの女神だのって大はしゃぎ」
「やだやだ、女子高生よりセーラー服が似合う40男なんて」
「40男がにっこり笑って『ごきげんよう』とか言うのよ。鳥肌もんよ」
「うわ、カンベンして。キモすぎ」
「でしょでしょ? 何度、みんなの前でスカートめくってパンツ下ろしてやろうと思ったことか」
「あはは、やればよかったのに!」
 きみたち、陰口は本人の前じゃなくて陰で……できればもう少し声を落としてくれるとうれしいな……。

「ちょっと二人とも」
 ああ、青木。頼りになるのはおまえだけだ。この二人の暴言を止めてくれ。
「薪さんだって仕事だったんだよ。それに礼子ちゃん、その言い方はどうだろう。言葉には限界があるよ」
 自分が見たものを他人に、言葉だけで伝えるのは不可能だ。いくら公平に見たつもりでも主観が入るし、言葉の選択やニュアンスの問題もある。
 薪は少なからず青木を見直した。さすが青木、いいことを言う。青木の言葉は、このネット時代に警鐘を鳴らすもので――、
「だからほら、その時の写メを、痛ったあっ!」
 こいつの葬式の鐘を鳴らしてやりたい。高らかに、三千世界に鳴り渡るほど。
 青木の背中を蹴り飛ばし、薪は青木のスマホを取り上げた。無言で写真ファイルを開き、データを削除する。床に倒れた青木が身悶えしつつハラハラと涙を零していたが、見えない振りをした。

「あれは青木さん、悪いわ」
「青木さん、天然だからね」
 一番大きなダイナマイトよね、と頷き合う彼女たちの意見は尤もで、改めて薪は感心する。女性とは感情に支配されているようでいて、人間の本性をしっかりと見極められる生物だ。薪には雪子という偉大な親友がいたから常々女性には敬意を抱いていたが、彼女たちも尊敬に値する。少なくとも、こんなバカに絆されてしまった自分より、ずっと人を見る目はある。
 コミュニケート能力も、ずいぶんと高いようだ。初対面の相手に、あんな派手なケンカを仕掛けることも、こんなに親しく話をすることも、薪にはできない。他人に遠慮なく物が言えるようになるには時間が掛かるし、仲良くなるのはもっと時間が掛かる。お互いの腹を探り合い、慎重に言葉を選び、顔色を見て、敵か味方か見極めていく。そんな付き合い方しかできない。

 良くも悪くも彼女たちは、薪が踏まなければいけないと認識している階段を易々と飛び越していく。青木も3段跳びくらいで行くやつだと思っていたが、彼女たちはその上をいく。敵わないな、と薪はぼやいた。
「なんですか?」
 薪の呟きを耳に留めた青木が尋ねるのに、薪は組み合わせた手を頭の後ろに持って行き、軽く伸びをしてから言った。
「あいつらには敵わん」
 ふてくされたように吐きだした薪に、青木は大真面目に答えた。
「それはそうですよ」
 肯首されて驚いた。自分では認めつつ、でも青木に肯定されるなんて思わなかった。

 青木は薪を神さまのように崇めている。正確には、青木の中にある究極の理想像を薪に重ねているのだ。生半可な覚悟では背負い切れないその重みが、薪の肩にはいくつもぶら下がっている。それぞれの立場からそれぞれの思惑で寄せられた重りは数多くあれど、青木のものが一番重い。薪自身、他の誰を差し置いても彼の期待にだけは応えたいと思っているからだ。そんな気概を持つ薪に、青木の言葉は意外だった。
 気持ちが顔に出たのだろう。青木は今度はふふっと笑い、
「だってこの世に」
 背中を丸めて身を屈め、薪の耳元に唇を寄せて言った。
「娘に勝てるお父さんなんか、いるわけないですよ」

 なるほど。
 世の父親は娘に甘い、それは全世界共通のヒエラルキー。実際の親子でさえその有様なのだ。血のつながりがない自分は、彼らよりもっと立場が弱くて当然だ。

「おまえの父親も、お姉さんには甘かったのか」
「そりゃあもう。だから姉はあんな性格に」
「ぷ。おまえのお姉さん、見た目美人なのに。喋らせたらすごいもんな」
「胸にしまっておいてくださいね。あれでも本人、薪さんの前では抑えてるつもりなんですから」
「あれで?」
 青木の実家で初めて会ったとき、密かに「口からバクダン女」とあだ名を付けた、天真爛漫を絵に描いたような女性のことを思い出す。よく喋りよく笑い、とても幸せそうだった彼女。その伸び伸びとした精神は、まごうことなき青木家の血脈だ。

 叶うことなら彼女のように、あの2人にも幸せになって欲しい。
 その身体に薪の遺伝子は無くとも自分をパパと呼んでくれる女性、ある事件をきっかけに知り合った薪と同じ業を背負った少女。父親風を吹かすには薄すぎる縁だが、その幸せを願わずにはいられない。
 彼女たちの未来を思い描くとき、薪にはどうしてもそこに普通の幸せな家庭を見つけることができない。青木の姉が過ごすような毎日を、彼女たちの人生に宛がうことができないのだ。
 それは薪自身にも言えること。そんな人間が彼女たちに人生を説くことは、彼女たちの男性不信をますます煽ってしまうだろう。

 人形遊びをしながら眠ってしまったミハルが、床に胡坐をかいた薪の膝に頭をもたせ、健やかな寝息を立て始める。青木が気付いてヒロミに声を掛けようとしたのを、薪は眼で止めた。それだけで青木は奥の部屋から、肌掛け用の毛布を持ってくる。

 傍にいて守ってやることは、自分にはできないけれど。今夜のように、ほんの少しでも。
 彼女たちに笑顔があるように。
 心安らかに過ごせるように。
 明日の楽しみを心に抱いて眠りに就くことができるように。

 願いと言うにはあまりにもささやか過ぎる、それらを願うのが精一杯の無力な自分を心の底では嘆きつつ、薪は自分の役目を全うする。背中を丸めて頭を低くし、ミハルの耳元にくちびるを近付けて、
「ミハルは大きくなったらおじいちゃんと結婚する、おじいちゃんと結婚する、結婚結婚結婚……何をする」
 薪のつややかなくちびるとミハルの小さな耳の間に、大きな男の手が窮屈そうに割り込んだ。ムッとして見上げれば、青木の困ったような顔。
「睡眠暗示と言うのは、男としても方法としてもいささか卑怯ではないかと」
「本人の前でなんて、恥ずかしくて言えない」
「いつからロリコンになったんですか。胸の小さな女性には興味無かったはずでしょう」
「抜かりはない。そのためにもミハルには、今のうちから恭子ちゃんの美乳写真を見せて英才教育を」
「子供になにを見せてんですか」
「彼女の胸は芸術だ。日本が生んだ世界に誇るべきボディアートだ」
「ちっ。やっぱり燃やしときゃよかった」

 青木の黒い呟きは、ミハルの寝返りに紛れて薪の耳には届かない。少し離れたソファでは、これからどこへ出かけるわけでもないヒロミのセットアップが進行している。スリープモードで掛けられるドライヤーの音と、女性特有の、小さくとも賑やかな話し声。
 心地よい音たちの中でまどろむ幼子の身体に、薪はそっと毛布を掛けた。




(おしまい)


(2017.3)
トラックバックURL

http://daiku756.blog47.fc2.com/tb.php/1409-cef2d5a2

◄ prev next ►