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真冬の夢(9)

真冬の夢(9)







 誰かの泣き声で目を覚ます。
 女子供の声ではない。立派な大人の男の声だ。
 大の大人が、まるで子供のようにしゃくりあげている。男のくせに、声も殺さずに泣くなんてみっともないやつだ、と薪は思う。
 もちろん自分の泣き声だ。こんな情けないやつは自分しかいない。

 時刻は午前3時。真夜中の静まり返った寝室に、月明かりが差し込んでいる。
 ゆるゆると身体を起こして、まずは家中の明かりを点ける。そうしないと、怖くて何もできない。
 涙をシーツで拭きとって、枕もとの写真に目をやる。今さっき、夢の中で自分を殺した親友が、やさしく薪に笑いかけている。

 ベッドから下りて真っ直ぐ風呂へ行き、給湯器のスイッチを入れる。
 寝汗でベトベトになったシーツを剥がし、パジャマとついでに下着も一緒に洗濯機に入れる。水分補給のために台所へ行って、冷蔵庫から水を出す。
 裸のままペットボトルを呷る。べつに誰が見ているわけでもない。
 一人暮らしは気楽なもので、夏はよく素っ裸でうろちょろしている。ブラインドは降りているし、窓には偏光ガラスを使ってあるから、たとえ夜でも外から部屋の中が見えることは無い。

 このマンションには、一年ほど前に移ってきた。

 あの事件の後、薪はマスコミと世間の非難に追い立てられて、引越しを余儀なくされた。
 新しいマンションは、セキュリティーと防音設備で選んだ。第九の室長という立場と、夜中に魘されて大声を出しても良いように、だ。
 職場からは遠くなったが、露骨な嫌がらせを受けることもなくなった。完全防音のおかげで夜中に洗濯機を回しても風呂に入っても、隣の住人からの苦情が出ることは無い。

 暖かいシャワーを強めに出して、頭から浴びる。
 石鹸を泡立てて、肌が赤くなるほどこする。貝沼の手が触れた背中を、腕を、腰を、臓物を押し付けられた感触が残る顔を、夢中で洗う。
 早く、夢の残滓を洗い流してしまいたかった。

 髪を洗って湯船につかる。つめていた息を大きく吐きだして、バスタブの壁にもたれ、足を伸ばす。
 左の肩の辺りに、新しい傷が増えている。夢の中で貝沼に切りつけられた場所だ。眠っている間に自分の爪で傷つけたらしい。
 湯が沁みる。

 あの事件から1年と4ヶ月。今でも薪は、週に3回はこの悪夢で飛び起きる。
 その都度、夢の内容は少しずつ違う。途中で夢が終わることもあるし、貝沼に殺されるだけのときもある。
 今日はフルバージョンだった。
 しかも、切り取られた自分の性器を口に突っ込まれるという、新しいバリエーションが追加されていた。最近見たMRIの画像を早速取り込んでしまったらしい。
 口の中にぐにょぐにょした生肉のような感触と血の味が蘇ってきて、吐き気がする。貝沼に犯されたときの痛みが、腰の辺りに残っているような気がする。
 あの夢だけは、何度見てもいやだ。

 1年前は、そんなことは無かった。夢の中で貝沼は、ただ純粋に薪の身体を切り刻むことを楽しんでいるだけだった。
 それが事件から半年後、見かけによらず無鉄砲な新人に鈴木の脳を見せられてから、貝沼に犯される夢を頻繁に見るようになった。
 あの画を見てから―――― やはり、あの連続殺人は自分が原因で起きたのだ、とはっきり解ってしまった。貝沼の自分に対する歪んだ恋情も。
 自分へのプレゼントだという死者の数は、貝沼の死後に亡くなった9人を入れて37人になった。自分の関心を惹くために、自分に見せようとして、そんな大量の殺戮を貝沼は行ったのだ。

 見なければよかった。知らないほうが幸せだった。
 もう、生きていられない、と思った。
 それを、青木に言われた一言で思い留まった。
 
『鈴木さんは、薪さんを守ろうとしたんです』

 鈴木が。
 鈴木が守ってくれた命なら、僕が勝手に捨てるわけにはいかない。
 僕の残りの人生は、鈴木のものだから。鈴木の人生を奪った代わりに、僕の残りの人生をすべて彼に差し出すことを決めていたから。

 自殺した第九の部下を含めて40人の命が、自分のために失われた。
 薪が直接手を汚したのは鈴木だけだが、それだけでも立派な犯罪者だ。そんな人間が警察に籍を置くことに疑念もあったが、鈴木が人生で成し遂げたかったことを代わりに自分がしようと決めた。

 風呂から上がって洗面所で髪を乾かし、バスタオル一枚のだらしない格好でリビングに戻る。サイドボードの上に飾ってある写真を手に取って、ソファの上で膝を抱え込む。
「ごめんな、鈴木。あんな夢見て。貝沼みたいな人間のクズと手を組むようなおまえじゃないよな」
 ―――― そうだよ。いくらなんでも共犯はひどいだろ。
 鈴木の応えが聞こえたような気がして、薪は苦笑した。

 でも、本当は、分からない。
 殺された人間の恨みは、殺されたものにしか解らない。

 あのとき、鈴木はまだ33歳の若さだった。
 それがこれからの人生すべて―――― 雪子さんとの結婚も決まっていて、幸せが約束されていた未来のすべてを奪われて、どれほど自分を憎んでいるのか。想像もつかない。
 それは、聖職に身を捧げようとした崇高な鈴木に、あの貝沼と手を組ませることを選ばせるような凄まじいものなのかもしれない。

「だけど、あれは勘弁してくれよ……」
 鈴木になら何をされても良いけれど、貝沼にいいようにされるのは、嫌だ。
 でも、自分が嫌な思いをした方が鈴木の鬱憤は晴れるのかもしれない。もしもそうなら―――― 耐えるしかない。
 あちらの世界でも、身体を切られるときはやはり痛いのだろうか。
 少し嫌だな、と薪は思う。
 痛くても死ねないから、痛みに終わりがないのだろう。鈴木は何回僕を殺したら満足してくれるだろう? ずっと殺され続けるのだろうか。

 その時を迎えるにあたって、薪にはひとつだけ、とても気になることがある。
「おまえは天国にいるんだよな、鈴木。でも僕は地獄行きだから、貝沼と一緒か……シュールな設定だな」
 それはおそらく、間違いない。
 鈴木が天国に行けなかったら、この世に天国に行ける人間は誰もいなくなる。そして、40人も人を死なせた自分が地獄に落とされない筈はない。しかし、そうなると自分が死んでも鈴木とは会えない。
 いや、鈴木は優しいから、僕を罰するときぐらいはきっと天国から降りてきてくれる。
 それなら永遠に責め苦が続いてもいい。鈴木が代理人を立てないことを祈るばかりだ。

「もう少し、待っててくれよな。もう少しだけ」
 ふと、薪は気付いた。
 1年前と、明らかに違っている自分の心に。
 以前は鈴木に、早く早く迎えに来て欲しいと思っていたはずだ。一刻も早く鈴木に逢いたくて。それなのに今は、もう少し待って欲しいと――。
 自分にもこの世でそれなりの責任がある。
 第九の部下たちを放り出すことはできないし、第九の立場をもっと確立させてからでなくては死ねない。雪子さんのことも。

 ……違う。
 これは、詭弁だ。
 自分自身が、生きていたいと思い始めている。

 いつ死んでもいいと思っていたはずなのに、いつの間にかもう少し生きていたい、と思うようになっていたのだろうか。鈴木のいない世界で、自分にとっては生きる意味など何もない世界で、それでも生きていたいと……?
 
「ごめん、鈴木。僕は、とことん汚い人間だよな。ほんと、ごめん。これから気をつけるから」
 だいたい、青木のやつが悪い。
 あいつ、何かと僕にまとわりつくし、しょっちゅうメシ食いに来るし、今日なんか休みの日だっていうのに押しかけてきて。あいつのせいで鈴木のことを考える時間が減ったから、こんな。
 ―――― こら、他人のせいにするなよ。
 薪の耳に親友のやさしい声が聞こえてくる。
 ―――― おまえの悪いクセだぞ。

「わかってるよ。今日のことだって、断ろうと思えば断れたものな。僕が悪いんだよな、はっきりしない態度をとって。あいつに期待を持たせてるのは僕だもんな。
 でもさ、あいつ、おまえに似てるから断りきれないんだよ。僕がおまえのこと好きなの、知ってるだろ?」
 言い訳にしかならないが、それでも言わせて欲しい。
「百も承知だよ、あいつがおまえじゃないことくらい。でも、あいつの中におまえを見つけることが何度もあって。そうすると、拒絶できなくなっちゃうんだよ。
 だって……おまえはもう、僕を抱きしめてはくれないだろ……」
 たとえ夢でもいいから、もういちど鈴木に抱かれたいな、と思う。

「僕が死んだら抱いてくれるよな?どんなに残酷でもいいから……どんなに痛くても我慢するから。約束だぞ。鈴木」
 ―――― しょうがないなあ、薪は。

 物言わぬ親友の声を聞いて、その表情を見て、薪は微笑する。
 外はそろそろ、夜が明け始めている。
 薪はそっと写真にキスをして、ソファから立ち上がりトレーニングウェアを着込んだ。早朝のトレーニングに出かけるのだ。

 薄蒼色の空の下、薪はいつものように走り出した。


 ―了―




(2008.9)


テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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