帰郷(10)

帰郷(10)








「なんだかみんな、仕事がスムーズに進むらしくてな。僕の机もこの2、3日、とてもきれいなんだ。なんでだろうな」
 室長の嫌味はまだ続いている。全開という感じだ。久しぶりの獲物に、嬉々として言葉が止まらないらしい。
『それってオレがいないほうが仕事がはかどるってことですか!?』
 我知らず微笑んで、薪は受話器に耳を傾けている。その笑顔は皮肉なセリフにそぐわない、とても幸せそうな微笑で、他人から見たらまるで恋人からの電話を受けているようだ。

『あんまりですよ、オレだって頑張ってるのに、そんな』
 青木の声は悲壮な響きを帯びる。きっと情けない顔をしていることだろう。
 薪の顔が満足げに緩む。
 相手を嘆かせたり凹ませたりすることに、無上の喜びを感じるらしい。困った性格である。
『そうですよね。オレなんかいなくても、誰も困らないですよね』
 拗ねた口調だ。この辺で許してやるか。

「僕はすこし困ってるぞ」
『コーヒーですか?』
 その理由は本当は別のことだが、ここでは言えない。というか、こいつには絶対に言ってやらない。
「そうだ。曽我が淹れるコーヒーは濃かったり薄かったりして、味が一定しないんだ」
『曽我さんは、ちゃんと量らないから』
「今度は岡部に頼んでみようかな」
『岡部さんはもっとダメです。宇野さんに頼むといいですよ』
「わかった。そうする」
 何気ない会話が薪の心を和らげていく。
 自分はいつからこの新入りに、こんなに癒されるようになっていたのだろう。

「青木。いま、ちょっと大丈夫か」
『はい。いいですよ。父は眠ったところですから』
 言わなければならない。
 青木にとっては、とても重要な人生の転機だ。
 父親の容態が落ち着けば、おそらく家族の間でそんな話も出てくるに違いない。その前に青木にいくつかの選択肢を提示してやることは、有意義な家族会議の助けになるだろう。
「これからのことだが」
『はい』

「……いつごろ帰ってこれる?」
 ―――― ちがう。
「なるべく早く帰っ……」
 自分の口から出た言葉に驚いて、薪は息をのんだ。
 なんだ? このセリフは。青木は今、大変なときなのに。

 黙り込んでしまった薪の耳に、青木の穏やかな声が聞こえた。
『このまま父が落ち着いているようでしたら、一旦、そちらへ戻ります』
「……うん。待ってるから」
『はい。淋しい思いをさせてすみません』
「ばっ、なに言ってんだ!僕がいつ……!」
『あはは。あ、母が呼んでるので、切りますね。勤務中に長話してすみませんでした』
 青木からの電話が切れた後、薪はしばらく動けなかった。

 何故あんなことを言ってしまったのだろう。あれじゃまるで、離れ離れの恋人同士みたいな会話じゃ……。
「なにやってんだ、僕……」
 机に肘をついて頭を抱え込む。
 結局、あの話はできなかった。どうしても言葉にならなかったのだ。
 言わなくてもいい皮肉はいくらでも出てくるのに、肝心要のことが言えないなんて。

 無意識のうちに、薪は靴を脱いだ。椅子の上に膝を抱えて丸くなる。
 青木の頑張りはずっと見てきた。
 誰よりも純粋で、誰よりも熱心で。薪を目標だといってはばからない、真っ直ぐに自分を見つめる瞳―――― あの目に自分は勇気付けられてきたのかもしれない。

 あの事件があって、すべてを失ってしまった自分に―――― 誰よりも大切な親友を喪い、今まで積み上げた実績もキャリアも信用も、全部なくなってしまった人生の落伍者のような自分に―――― 憧れて第九に来た、と言った新人の熱い目に、僕をこんなふうに見てくれている人もまだいたんだ、と思えて……嬉しかった。
 自分はそんな大層な人間じゃないと思いながらも、本当はうれしかった。
 青木の尊敬が心地よくて、だからあいつを突き放せなかったのかもしれない。
 褒めてもらいたがり屋の子供は、まだ自分の中から消えていないのか。こんなことでは、いつになったら鈴木に追いつけることか。
 自分の虚栄心を優先させて大切なことを言えなかったなんて、室長失格だ。
 僕が未熟だから、鈴木はなかなか迎えに来てくれないのだろうか。
 先日も夢の中で『もう少し頑張れよ』と言われたが、あれはそういう意味だろうか。この世界の苦痛にもう少し耐えろ、と鈴木はそう言ったのだろうか。

 だめだ、落ち込みそうだ。
 薪は大きくかぶりを振って、答えのない疑問を頭の中から追い出した。

 今は勤務時間中だ。仕事をしなければ。
 青木が自分を尊敬してくれるのなら、それに値する人間になってやる。部下の偶像を壊さないように努めるのも、上司の仕事のひとつだ。

 薪は、足を床に降ろした。
 背筋をしゃんと伸ばして胸を張る。机の上の報告書に手を伸ばして、中身を確認し始める。左手でPCを操り、内容をひとつひとつ検証していく。疑問点には付箋を貼って担当者につき返す。詰めが甘いと思えば赤いペンでチェックを入れる。
 部下から上がって来た報告書に、機械的に判を押すだけの上司も中にはいる。ひどいものになると、部下が上司の書くべき所見まで作成してくる。が、薪は自分の判を押すものに関しては、すべてを把握するのが当然だと思っている。そのための確認印であり、そのための室長所見だ。
 ただ、薪のようにここまで詳しく照合作業やチェックをするとなると、自分の仕事が膨大なものになってしまう。だから適当なところで折り合いをつけるのが正しいやり方なのだが、薪の場合それができない。部下を信用していないわけではないのだが、そういう性分なのだ。

 報告書の束を持って、薪は室長室を出た。
 モニタールームの部下たちに、報告書の訂正や追記を命じて、きつい一言を添える。部下たちは苦笑して薪の指示に従う。
 ここ何日かは、この皮肉は聞けなかった。この皮肉がないと、なんとなく物足りないような気分になる。複雑な心理だ。人間というものは、どんな環境にも慣れていく生命体であるらしい。
「ようやくいつもの室長だな」
「室長、青木のお父さんのことをよほど心配していたんですね」
「室長も人の子だったってわけか」
 薪の耳に届かないように、岡部と曽我はこっそりと囁きあう。隣のデスクから小池と今井もやってきて、親しみを込めた陰口に参加する。

 宇野のデスクでMRIの誤作動に関する専門的な会話を交わしている薪の横顔がきりりと引き締まっているのを見て、部下たちは一様に安堵の笑みを浮かべる。
「皮肉を言わない薪さんなんか、気持ち悪いよな」
「薪さんから皮肉と嫌味を取ったら、何も残りませんからね」
「わがままと自分勝手が残るだろ」
「お天気屋と癇癪持ちも残りますよ」
 辛口の人物評に、全員が声を殺して笑いあう。
 室長が元気になったのが嬉しくて、つい軽口を叩いてしまう。言葉はひどいが、職員たちの表情は明るい。

「楽しそうだな。何を話してるんだ?」
 いじめっ子のオーラを全身から発散させて、薪がこちらを振り返った。部下たちの表情が一斉に凍りつく。
 極上の作り笑顔をにっこりと浮かべ、薪は腕を組んで胸をそらした。
「今日は全員でMRIのシステムチェックだ。ひとりも帰さんぞ」

 ……室長の耳は地獄耳。
 全員が薪の新しい陰口を思いついて、第九の部下たちは顔を見合わせたのだった。


テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Author:しづ
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2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
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