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岡部警部の憂鬱(4)

岡部警部の憂鬱(4)








 岡部が第九に着任した日の午後、早速最初の捜査が始まった。
 事件の概要説明にかかった室長は、捜一から回って来た『コンビニ店員殺傷事件』の捜査報告をメモひとつ見ずに流暢に行い、それがまた岡部を苛立たせた。
 岡部よりも年の若い小池と曽我は、ただ素直に驚いているようだったが、岡部には室長の行為は、自分の記憶力の良さを新しい部下たちに見せ付けるためのパフォーマンスとしか思えなかった。

 薪の説明が、上手すぎるのも気に入らない。
 この事件は捜一で岡部が調べていた事件だから、内容は岡部のほうが良く分かっている。
 しかし、薪の説明は微に入り細に入り、散文的な捜査資料から実に細かいニュアンスまで精確に読み取って説明している。まるで自分が現場に出て捜査をしたかのようだ。

「岡部警部。何か私の説明に追加することがあればお願いします」
 はっきり言って、ない。
 しかしそれは、表面上のことである。捜査資料に現れない影の部分―――― 聞き込みを行なった時の感触や、人間関係の微妙な部分は、その場に居合わせたものしか分からない感覚だ。こういうものが捜査には大事なことなのだ。
 が、それを説明し始めた岡部の言葉は、説明を求めたはずの人物に途中で遮られた。
「MRIを見たほうが早いし、明確です」
 それが薪の言い分だった。

 見せ付けられたMRIの画に、岡部は打ちのめされた。
 視覚者の主観が現れるMRIは、画の持ち主の感情をあからさまに映し出す。自分が好きだと思う人間は美しく、嫌いな人間は醜く映る。聞き込みで得られる確証のない感覚など入る余地がない。

 これが科学捜査というものか。
 こんなにはっきりとその人間の気持ちが分かってしまうものなのか。それではこれまで自分が、刑事としてのカンを研ぎ澄まそうと積み重ねてきた努力は、なんだったのか。

「ご納得いただけましたか? 岡部警部」
 あなたの今までのやり方はここでは通用しません―――― そう言いたげな薪の高慢な口調に、岡部は思わず薪を睨みつけた。
 凶悪犯でもびびると評判の岡部の視線に、しかし薪は動じなかった。
 腕を組んで胸を張り、平然とした顔で岡部を見ている。身長は岡部よりずっと低いくせに、その目線は明らかに上からのものだ。

 かわいくない。
 見掛けはきれいかもしれないが、中身は真っ黒だ。
 おまえの実力の程は解っている。ここでは自分の言うことを聞いていればいいんだ―――― そういう目で岡部を見ている。

 あまり人を嫌ったり疎んじたりしたことのない岡部だったが、こいつだけは特別だ。
 嫌いだ。
 だいっきらいだ。

 ここに来て、薪の印象は最悪のものとなった。これ以上は落ちようがない上司の評価がさらに失墜する出来事があったのは、その夜のことである。

 一刻も早く捜一に戻りたい岡部は、早々と異動願いを書き上げて室長に渡す機会を待っていた。他の2人が帰ってからでないとさすがにまずいと思い、定刻を過ぎても帰らずにモニタールームにいた岡部は、そこで捜一によく顔を出す三田村の来訪を受けた。
「やあ、岡部くん。災難だったね、こんなところに異動になって」
 三田村は警察庁の警務部長だが、刑事部長の池澤と仲が良く、捜一にもなじみが深い人物だ。しかし、岡部はこの男があまり好きではなかった。
 警務部長という立場上、警察庁内の人事権を掌握している三田村は、お定まりの裏取引やワイロといった汚いことに馴染んでいる。曲がったことが嫌いな岡部は、この男を心の底で軽蔑していた。

「薪室長は、君とは合わんだろう。あの男は最低の人間だからな」
 あんたといい勝負だ。
 口には出さなかったが、岡部の顔は不機嫌だった。嫌いな人間ににこやかにできるほど、岡部は器用ではない。
「君は捜一にいるべき人間だからな。早く帰りたいだろう。わしの力でなんとかしてやってもいいが」
 それは願ってもないことだが、こいつに頼むのは嫌だ。どうせワイロを要求されるに決まっている。異動願いを出せば、後は捜一の課長が何とかしてくれる。三田村の力など要らないのだ。

「これはお珍しい。何の御用です? 三田村部長」
 室長室から、書類の束を抱えて薪が出てくる。
 残っていた岡部を見てすこし驚いているようだったが、まずは三田村のほうが先決だと思ったらしく、挑戦的な口調で問いかけた。
「激励に来たんだ。あんなことの後で、さぞかし大変だろうと思ってね」
「それはどうも。用が済んだらお引取り願いますよ。外部の人間がいると仕事ができないもので」
 薪は手近な机に書類を置き、一列に並んだモニターを3つとも起動させた。退室時間を大分廻っているが、これからまだ仕事をするつもりらしい。

「たいそうな口をきくじゃないか。あれだけの不祥事を起こしておいて、自分の立場を解っているのかね? 薪警視正」
 三田村の不遠慮な言葉に、薪は無表情の沈黙で応えた。
 動揺する気配はない。見かけによらず、図太い男だ。
「あの事件は、警察組織全体に泥を塗ったんだ。本来なら警視正の役職になどいられないはずだよ。君に少しでも申し訳ないという気持ちがあるのなら、自分から降格を申し出るのが当たり前だと思うがね」
 三田村のことは嫌いだが、岡部も同じことを考えていた。あれだけの不祥事に責任を取るものがいないなど、世間も納得しないだろう。

「あれは正当防衛ですよ。なぜ私が責任を取らなくてはならないんです?」
 それを自分で言うのか。
 信じられない。どこまでふてぶてしい男なのだ。
「君も偉くなったな。君が小野田官房長に泣きついて処分を免れたという話は、どうやら本当らしいな。自分には官房長がバックについている、というわけか。」
 まことしやかに囁かれている薪のパトロンの話に、三田村は触れてきた。
 そこは岡部も確かめておきたいところだ。もし、裏取引で室長の役職に留まったのが事実なら、ここで働くのはまっぴらだ。
「文字通りの意味合いだという噂は本当かね?」
 それはもっと密やかに囁かれている噂だ。
 しかしこれは、薪の外観を揶揄したタチの悪い冗談だろう、と岡部は踏んでいる。官房長には娘が3人もいたはずだ。

「三田村部長。申し訳ありませんが、人手が足りなくて報告書の作成が滞っているんです。くだらない冗談で、これ以上仕事の邪魔をしないで下さい。お帰りいただけないようなら」
 薪の目がぎらりと光って、三田村の顔を睨みすえた。
 なるほど、ひどく冷たい瞳だ。『氷の室長』という渾名はここからきたのか。
「官房長に言いつけますよ。もちろん、ベッドの中で」
 しれっとした顔で恐ろしいことを言って、薪は不毛な会話を終わらせた。
 三田村は怒りに顔を紅潮させて、足音も高く研究室から出て行った。今回の鍔迫り合いは、薪の圧勝だ。

 三田村が出て行くと、薪はすぐさまMRIシステムを起動させた。
 幾枚もの書類を両隣の机中に広げて、キャスターつきの椅子を滑らせるようにして書類の間を行き来しながら、両手でキーボードを叩き始める。
 その速さに、岡部は度肝を抜かれる。タイピングが苦手な岡部には、まるで神技だ。

 薪は3つのモニターを使って、ひとつの事件を3人の視覚者の視点から捜査しているようだ。その仕事ぶりは見事なもので、山のようにあった書類の束が、見る見る処理済の箱の中に放り込まれていく。
「あなたはどうして残っているんです?」
 てきぱきと仕事を捌きながら、薪は岡部に背中を向けたまま、居残りの理由を尋ねた。
「あ、いや。その」
 こんなに忙しそうな室長の姿を見てしまうと、異動願いが出しづらい。
 あんな不祥事を起こしたばかりで、第九の信用は地に落ちている。そんな部署に来たがる物好きはいない。
 小池と曽我のふたりも、おそらくは上司の命令にいやいや従っているに違いない。そこに年長者の自分が異動願いなど出してしまったらあの2人にも影響して、室長はまたひとりきりになってしまうかもしれない。
 少しだけ、可哀想な気もする。

「俺、何か手伝えますか?」
「この事件は昔のもので、僕にしか分かりません」
 前の部下がひとりもいないということは、中途だった事件の報告書はすべて薪がひとりで作成しないといけないわけだ。それでこんなに仕事が溜まっていて、昨日も徹夜だったわけか。だから今朝は虫の居所が悪くて、あんな口を。

 岡部には、他人の行動をなるべく善意に解釈しようとする傾向がある。基本的にお人好しなのだ。
 が、それに対する室長の言葉は、果てしなく冷たかった。
 
「あなたにできることなどありません。あなたはまだMRIシステムの操作ができないでしょう。いても無駄ですよ」
 それは事実だが、もう少し言い方というものがあるだろう。こっちは気を使って手伝いを申し出たというのに、本当にひとの心のわからないやつだ。
 さっきの三田村との会話にも、岡部はかなり憤っている。岡部の薪に対する印象は悪くなる一方だ。

「邪魔です。帰ってください。仕事をしない人間が側にいると、イライラするんです」
 カチンときた。
 と、同時に許せなくなった。
 この男は人格的にも人間的にも、最低だ。それがどんなに無神経なことでも、ひとこと云ってやらなければ気がすまない。

「さっきの三田村部長の話ですけど」
「僕が官房長に泣きついたって話ですか? 事実ですよ。もちろんベッド云々は冗談ですけど。官房長に頼んで、僕の降格処分は取り消してもらったんです。警視正以上でないと、室長に就任できない決まりですから」
 そんなに室長の座に居座りたいのか。そんなに出世が大事なのか。
 出世欲にまみれたキャリアは、岡部がこの世で一番嫌いな人種だ。この男はまさにそれだ。一緒の部屋にいて、同じ空気を吸うのもいやだ。

 薪の細い背中に向かって、岡部は厳しい口調で問い質した。
「責任を取ろうとは思わなかったのですか? 例えば室長を辞任するとか」
「馬鹿馬鹿しい。なぜ僕が室長を辞めなくてはならないんです?」
「でも、実際に亡くなった人がいるわけだし」
「それはただの自己満足でしょう。僕が室長を降りたからといって、彼が生き返るわけじゃない」
 友人の命を奪ったというのに、この男には罪悪感がないのか。
 心の底まで腐りきっている。嫌いを通り越して、吐き気がするほどだ。
「万が一、生き返ってきたらそれはお化けですよ。昔、そんな映画がありましね。ゾンビには塩が効くんでしたっけ」
 せせら笑う口調でキーボードを叩きながら、薪は楽しげに言った。

 もう、我慢できない。

 友人を殺しておいて、死者を冒涜するようなことを平然と口にする人間など、岡部が逮捕してきた犯罪者の中にもいなかった。みな、自分のしてしまったことを悔やんでいた。
 上司に逆らうのは警察ではご法度だが、こんなやつの下で働くなど1秒たりとも我慢できない。この異動願いを叩きつけて、捜一に帰ろう。

 背中を向けている薪の横に回りこみ、ポケットから封筒を出そうとしたとき。
 岡部はそれに気付いた。

 薪の顔は、言葉通り笑っている。しかし――――。
「室長……」
「なんです?」
 岡部が薪の横顔から目が離せない様子に気付き、薪は頭をめぐらせて岡部のほうを向いた。
「僕の顔になにか」
 ぼたぼたっとキーボードの上に、透明な液体が滴り落ちる。
 薪ははっとして両手で顔を隠した。
 手で触って初めて自分の涙に気付いたらしく、ひどく狼狽している。

「……出てけ」
「室長」
「見るな!出ていけっ!」
 ワイヤレスのキーボードが、岡部に投げつけられる。その剣幕に押されて、岡部は後ずさった。その隙に、薪は室長室に駆け込んで行った。
 岡部が室長室のドアに耳をつけると、中からは激しい嗚咽が聞こえてきた。
 声を殺そうとしているようだが、なかなかうまくいかないらしく、ときおり口汚く自分を罵る声が聞こえてくる。

 自分が泣いていたのにも気付かずに、あんなふうに喋っていたのか。普通の精神状態では考えられない。
 これは総監が危惧していた通りかもしれない――――。

 4人の捜査員を狂わせた貝沼の狂気に、薪室長も感化されているのではないか。
 警視総監はそれを疑っていた。それで岡部を第九に送り込んだのだ。
 薪のことは大嫌いだし、精神的に不安定な状態で室長の職務を全うすることができるとも思えない。
 総監は、薪を辞めさせたがっていた。
 このことを総監に報告すれば、いかに官房長のお気に入りとはいえ、薪の降格処分はまず間違いない。うがった見方をすれば、官房長とは反対の派閥に属する警視総監が、将来官房長の右腕になりそうな優秀な人材を今のうちに葬り去ろうとしているともとれるのだが。
 どちらにせよ、今日はまだ初日だ。結論を出すのは早すぎる。もう少し様子を見るべきだ。

 それにしても、なんてひどい上司だ。
 皮肉屋で冷血漢で嫌味ったらしくて、おまけに狂いかけている。

 薪に渡せなかった異動願いの封筒を見て、岡部は大きなため息をついた。


テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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