岡部警部の憂鬱(5)

岡部警部の憂鬱(5)








 そんな最悪のスタートを切った岡部だったが、薪の仕事ぶりを見るうちに、その高い実力を評価しないわけにはいかなくなってきた。
 捜査の過程を見たわけではないが、仕上がった報告書を読めば、MRI捜査がどれだけの確証に基づいてなされているのか、よくわかる。添付された写真や資料が充実していることは、岡部が捜一で作成してきた報告書の3倍も厚いファイルが物語っている。

 捜一からの事件概要説明書は、しごく簡単なものだ。
 岡部はしたことがないが、捜一の中には第九への悪感情から微細な情報をわざと表示しないものもいる。間違いは重要指摘となるが、足りないものに関しては必要ないと判断した、と言い訳が立つからだ。
 それを読み解いて仮説を立てて検証して、足りない部分は補い不必要な情報は削除し、完璧な報告書に仕上げるまでには、何十時間ものMRI画像の検証が必要となる。
 いい上司だ、とはまだとても思えなかったが、薪の仕事に対する真摯な姿勢だけは共感できるものがあった。岡部に続いて入ってきた小池と曽我も、噂よりも穏やかで、丁寧にMRIシステムの操作方法を教えてくれる室長に、好感を抱いているようだった。

 この調子で、なんとかうまくやっていけそうだ。
 新しいスタートを切ったばかりの第九には、まだ大した仕事も来ない。よほどの大事件でもなければ、回してこないだろう。今はまだ、大きく崩れてしまった地盤を固めなおす時期だ。
 薪は室長として立派に仕事をこなし、常に冷静に職務にあたっている。取り乱したのはあのときだけだ。
 しかし、あれは無理もない。
 三田村に生傷を抉られるようなことを言われたのだ。室長にも、いくらかは人間らしいところがあるのだ。
 とにかく、総監が心配していたような貝沼の影響は微塵も見られない。総監には、薪警視正は室長の役職にふさわしい人物だと報告しよう。

 しかし。
 ほどなく岡部は、薪の心に巣食う貝沼の狂気の深淵を覗くことになる。

 その時、薪は曽我の後ろからモニターを覗き込み、曽我の手に自分の手を重ねて、MRI専用マウスの使い方のコツを伝授していた。
「この部分を拡大するには……」
「室長?」
 薪はふいに黙り込んだ。
 と思うと次の瞬間、曽我の背中に負ぶさるように倒れこんできた。
「室長!」
 曽我の左肩に細いあごを載せて目を閉じている。重なり合った睫毛は至近距離で見るとびっくりするくらい長い。
 顔色は蒼白だが、呼吸は穏やかだ。規則正しく、くーくーと聞こえてくる。
 これは。
 
「岡部さ~ん……」
「完全に眠ってるな、こりゃ」
 徹夜続きで、とうとう限界を超えてしまったらしい。脈も少し弱くなっている。眠れば元気になると思うが、さてどうしたものか。
 とりあえず仮眠室のベッドに寝かせることにして、岡部は曽我の背中から薪の身体を譲り受けた。抱き上げてみるとひどく軽い。岡部の母親のほうが重いくらいだ。こんな細い身体でろくに睡眠もとらず、仕事を続けて大丈夫なのだろうか。
 
「病院に連れて行ったほうが、いいんでしょうか?」
 小池が心配そうな声で尋ねる。
「そうだな。単なる寝不足だとは思うが」
「あたしが診ます。ベッドまで運んでください」
 騒ぎの最中に入ってきたと見えて、その女性の来訪に気付くものはいなかった。
 長身に白衣を纏い、背筋をぴんと伸ばして立っている。短く切り揃えた黒髪に、気の強そうな黒い瞳。手にはピザの箱を3つも持っている。
「はじめまして。監察医の三好雪子です。薪くんとは大学のときからの友人なの」
 三好のことは岡部も知っていた。解剖所見を持って、何度か捜一に来たことがある。しかし、薪と友人だったとは知らなかった。

「胸と背中を診るから、ちょっと支えててもらえます?」
 薪をベッドに座らせてワイシャツを脱がせる。眩しいくらいの白い肌があらわになる。が、その肌には幾筋ものみみずばれがあり、岡部を驚かせた。
「この傷って」
「女の爪の跡でしょ。お盛んね」
 きわどい冗談でその場を誤魔化そうとするが、監察医の三好にその原因が分らないわけはない。
 岡部も傷の原因は爪だと思うが、これは女の爪痕ではない。傷がついている場所もおかしい。情事の爪痕なら、たいていは背中に付くはずだ。
 しかし薪の場合、身体の前側の部分―――― 腕や肩、胸やわき腹といった部分が多い。
 その中でも、左腕と左肩の傷が深い。この深さは爪ではない。もっと何か硬いもの―――― 刃物ではない、先の尖ったボールペンのようなもので抉った痕だ。
 明らかに、自傷行為だ。
 ズボンを脱がせればたぶん、足にも同じような傷が見つかることだろう。

「あーあー、また痩せて。これ以上ダイエットして、どうする気かしら」
 ほんとうに細い。
 薪は夏でもきっちりとスーツを着ていたから、ここまで細いとは思わなかった。
 ごつごつした肩と背中。あばら骨のくっきり浮いた薄いむね。下半身もこの調子で、骨と皮ばかりという状態なのかもしれない。体質なのか、顔にはその影響があまり現れていないから、ここまで疲弊しているとは見抜けなかった。

 聴診器で心臓と肺に異常がないことを確かめてから、女医は岡部に笑いかけた。
「心配しなくても大丈夫。いつもの睡眠不足と低血糖。ゆっくり眠って、ごはんを食べれば直るから」
「いつものって?」
「このひと、昔からこうなの。仕事に夢中になると、飲まず食わず眠らずになっちゃうのよ。びっくりさせてごめんなさいね」
 こんな言い方をするところをみると、三好は友人ではなく恋人なのかもしれない。薪よりだいぶ背は高いようだが、気の強そうなところは良く似ている。さぞかし痴話喧嘩は激しいことだろう。

「前は、鈴木くんが注意してくれてたんだけど……いなくなっちゃったから。あなたに頼むのは無理かしら、岡部靖文さん」
「なんで俺の名前を」
「有名だもの。捜査一課のエースが第九に引き抜かれたって。薪くんも喜んでたのよ。優秀な人材が第九に来てくれるって」
「俺は優秀なんかじゃないですよ。キャリアじゃないし」
「キャリアもノンキャリアも、薪くんの目から見たらそう変わらないと思うけど。頭の中、宇宙人みたいなひとだから」
 たしかに。
 薪のレベルになると、周りの人間はすべて自分より下に思えてしまうのかもしれない。キャリアもノンキャリアも、ひとくくりになってしまうというわけか。

 だが、薪が岡部のことを高く評価していたというのは眉唾だ。あの態度からは、それは微塵も感じられない。三好なりの気の使い方なのかもしれないが、あまり気持ちの良いものではない。
「お世辞は結構ですよ。俺はここに長くいる気はありませんから」
「あら、残念。薪くんは本当にあなたに期待してたのよ」
「まさか」
 けんもほろろな岡部の答えに、女医は肩を竦める仕草で横たわる友人を見やった。
「しょうがないひとね。誤解ばかりされて。まったく不器用なんだから」
 医者らしい優しい手で、三好は薪の亜麻色の髪を撫でた。薪を思う気持ちが伝わってくる。こんな人でなしにも恋人がいるとは驚きだ。

「無理強いはしないけど、できたら力になってあげて欲しいわ。このひと、自分にとっていちばん大事な人を亡くしたばかりなの」
「三好先生が力になってあげればいいじゃないですか」
 女医はゆっくりと首を左右に振って、岡部の提案を却下した。
「残念だけど、あたしじゃ余計に彼を傷つけるだけだから」
 そう言って、ひどく哀しい顔をする。
 岡部には2人の関係がいまひとつよく分からなかったが、聞き質すことも躊躇われた。

 複雑な表情をしている岡部にピザの箱を預けて、三好は去っていった。
 三好が薪を傷つけてしまう、その理由を岡部が知ったのは、ずっと後のことだった。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Author:しづ
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2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
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