岡部警部の憂鬱(6)

岡部警部の憂鬱(6)






「薪くんが起きたら、このピザでも口の中に突っ込んでやって」
 そう言い置いて、法一の女医が第九を去った後、岡部は昏々と眠る薪の寝顔を見ていた。
 白い顔。長い睫毛。いつもはきりっと吊り上った眉が、今はやさしいカーブを描いている。こうしてみると本当に幼くて、可愛らしい顔だ。
 初めて会ったとき、化粧をしていると思ったのは誤解だったようだが、これで素顔というほうが返ってびっくりだ。だいたい、これが男の肌か。肌理細やかで真っ白で、淡雪のように儚くて。

「岡部さん。室長、大丈夫ですか?」
 小池と曽我が、仮眠室へ入ってくる。やはり室長の様子が気になって、仕事が手につかないようだ。
「ああ。よく眠ってる」
 岡部に倣って薪の寝顔を覗き込む。思わず赤面してしまうのは、岡部と似たような感想を抱いたからに違いない。

 3人の視線に気付いたかのように、薪は目を覚ました。
 倒れてから1時間ほどしか経っていない。まだ休み足りないはずだが、薪はすぐに起き上がった。ベッドから降りようとするが、見た目にもまだふらふらしている。
「室長。大丈夫ですか」
「何をしてるんです」
 厳しい目で睨まれて、部下たちは驚く。べつに怒られるようなことはしていないはずだが、室長は明らかに立腹しているようだ。
「室長が心配だから、様子を見に来たんじゃないですか」
「見てどうするんです。医者でもないのに」
 自分を心配して来てくれた人に、なんて言い方をするんだろう。今後、薪が病気で入院しても、絶対に見舞いには行かない、と岡部は心に誓った。
「僕を思いやってくれるなら、1秒でも早くシステムの操作を覚えてください。そのほうがずっと嬉しいです」
 薪はベッドから降りて、モニタールームに行こうとした。どうやら休む気はないらしい。
 たしかに室長の机の上には書類が溢れかえっていたが、こんな状態で仕事をしても捗らないだろう。

「今日はもう自宅に戻られたほうが」
「神保町の誘拐事件の報告書だけは出さないと。それが済んだら帰ります」
「それなら俺たちで作りましたから」
 その事件は岡部たちが第九に入る前の出来事で、とっくに終わったものだった。報告書を残すのみとなっていたのだが、あの事件のせいで職員が誰もいなくなった為、室長自ら作成していたものだ。小池たちは気を利かせてその続きを作ってくれたのだ。
 さぞ感謝するかと思いきや、薪は小池から報告書のファイルを受け取ると、その場で書類をめくりながら内容の甘さを指摘しはじめた。
 やれ写真が足りないだの、略図を入れろだの地図をつけろだのと細かい指示をして、挙句の果てに「やりなおせ」と言って小池に報告書をつき返した。

「直したら室長室に持ってきてください」
 かわいそうに、小池はうなだれてしまっている。せっかく室長の負担を軽くしてやろうと頑張ったのに、その好意は受け取ってもらえなかった。がっかりして当然だ。
「それは明日でもいいでしょう」
 差し出がましいとは思ったが、岡部は口を挟まずにはいられなかった。思いやりの気持ちを踏みにじるような、室長の態度が許せなかった。
「報告書には期限があるんです」
「でも、所長から催促がきたことなんて、ないじゃないですか」
「捜一では催促されるまで報告書を提出しないんですか? 第九では報告書の提出は、期限の前日です。僕がチェックをする時間が必要ですから」

 仕事熱心も、ここまでくると可愛くない。
 岡部も他の2人も、慣れない機器操作に悩みながらも室長を休ませてやろうと頑張ったのに、これでは何にもならない。まったく、ひとの気持ちのわからない男だ。
「室長。こいつらはあんたのために、まだ不慣れなMRIで一生懸命それを作ったんですよ。その気持ちを考えてやったらどうですか」
「そんなものは仕事の上では、評価の対象になりません。捜一ではどうだったか知りませんが、第九では結果がすべてです。半端な書類には判を押せません」

 ……かわいくない。
 眠ってたときはあんなに可愛かったのに。いっそのこと、ずっと眠っていればいいのだ。

「そんな言い方はないでしょう。こいつらだって」
 モニタールームに入った薪の後を追いかけて、岡部は言い募った。岡部の言葉を無視して、薪はモニターの電源を入れる。と、机の上のピザの箱に気が付いた。
「それは三好先生が持ってきて下さったんです。室長が気付いたら、食べさせてくれって」
「僕はピザは嫌いです。みなさんで食べてください」
 幾枚かの写真をプリントすると、薪は室長室に入ってしまった。もちろん、ピザの箱はそのままだ。中身を見ようともしない。
 果てしなくひねくれている。恋人からの差し入れも食べられないなんて。

 小池と曽我は、顔を見合わせながらも室長の指示に従って、報告書の手直しを始めた。健気なやつらだ。こいつらのためにも、薪はもう少し自分の健康に気を配るべきだ。
 岡部はピザの箱を一つ持って、室長室へと入った。
「なにか食べたほうがいいって、三好先生も言ってましたよ」
「大丈夫ですから放っておいてください」
「睡眠不足と低血糖だそうですよ。ピザが嫌なら、パンでも買ってきますか?」
「……うるさいな」
 吐き捨てるように言われて、岡部はむっとした。
 こっちは心配してやってるのに、うるさいとはなんだ。こいつには、礼儀とか感謝とかいうものはないのか。

「あなたがそんなに世話好きだとは知りませんでした。でも」
 嫌味な言い方で、薪は岡部の好意を打ち返す。相手を気遣う気持ちを、ここまで否定されたのは初めてだ。
「僕はお節介が大嫌いです」
 さすがの岡部も、これにはキレた。
 三好の伝言を実行すべく、ピザの箱を開けると1片を手に取って薪の鼻先に突き出す。こうなったら力ずくでも食べさせてやる。

 ところが、薪は真っ青になって口を押さえ、床にへたり込んでしまった。
「室長?」
「……吐きそ……」
 慌ててゴミ箱を差し出してやって、背中をさすってやる。薪の細い背中は、まるで老人のように骨ばっている。
 ゴミ箱の中に吐き出されたのは、黄色い胃液だけで固形物は何もなかった。
 たぶん、何日もまともな食事を摂っていないのだ。だからピザの匂いを嗅いだだけで、気分が悪くなって。
 こんなヘビーなものが食べられるような状態ではないと、正直に言えばいいものを。どれだけ意地っ張りにできているのだろう。

「すみません……みっともないところを見せてしまって」
 突然謝られて、岡部はびっくりした。
 青白い顔をして、しょげたような表情をしている。失敗した、と思っているのがはっきりわかる顔だ。
 ……こっちが素顔なのか。
 だとしたら、ずいぶんと厚い化けの皮だ。被っているのはネコではなく、ライオンのようだが。
「送ります。家で休んでください」
「……はい」
 ようやく自分の限界を認めてくれたらしい。薪は汚れた口をハンカチで拭うと、岡部の申し出に小さく頷いた。

 定時はとっくに過ぎている。
 モニタールームの2人にセキュリティーをかけて帰るように頼んで、岡部は薪を自宅まで車で送り届けることにした。
 途中のコンビニで、牛乳とパンをいくつか買い込む。いちばん消化が良さそうなあんパンを薪に差し出すと、今度は素直に受け取ってモソモソと食べ始めた。紙パックの牛乳に顔をしかめているから、あまり好きではないのかもしれないが、栄養の面から言えば、これに勝る飲みものはないだろう。
 子供のおやつのような食事を薪が済ませる間に、車は目的地に到着した。薪の自宅は第九のすぐ近くだ。車なら10分もかからない。

 ところがそこで。
 岡部は、薪を取り巻く状況の厳しさを目の当たりにすることになる。

「なんですか、こりゃ」
 薪のマンションは、ひどい有様だった。
 ドアに大きく赤いペンキで「人殺し」と書いてある。他にも壁中に「死んじまえ」「覗き野郎」「人間のクズ」といったありとあらゆる中傷の言葉がスプレーで殴り書きされている。窓ガラスはすべて壊されているし、ドアは蹴り飛ばされて歪んでいる。
「一部の雑誌に、僕の実名と住所が載ってしまったので。帰るとこうなってるんです」
 肩を竦めて、他人事のように言う。どうやらこれが初めてではないらしい。

 さっき食べさせたパンが効いたのか、薪は軽い足取りで階段を上がってきた。
 研究室にいたときより顔色もいい。張り込みの必須アイテムは、やはり有効のようだ。
「薪さん。お帰りですか」
 薪の姿を目ざとく見つけて、初老の男が管理人室から出てくる。明らかな迷惑顔で、この酷い仕打ちを受けている薪に対する気遣いはないようだ。
「見てくださいよ、これ。困るんですよ、こっちも。早く出て行ってもらえませんかね」
「すみません。新しいマンションは見つけてきました。次の休みには荷物を運べるようにしますから。それまで我慢してください。この部屋の修繕費用は、私が全額払いますから」
「あなたが悪いひとじゃないのは、分かってるんですけどね。世間てのは、マスコミの言うことを鵜呑みにしがちだから」
 修理代を薪が持つと聞いて、管理人の態度が変わった。急に同情めいた表情を浮かべて、愛想笑いで薪の肩を持つようなことを言い出す。
「あなたも災難でしたよね。発砲してきたのは相手のほうなんでしょう?あなたは自分の身を守っただけだ。それなのに。理不尽なことをしてくる輩はいるんですよね」

 管理人の言葉に曖昧に頷いて、薪はドアの鍵を開けた。
 歪んだ扉は、開けるのに苦労する。貧血を起こしたばかりで力の出ない薪を見かねて、岡部は扉を開けてやった。

 部屋の中も悲惨だった。
 破られた窓から投げ込まれたらしいゴミや動物の死骸が、部屋中に散らばっている。夏のことで、その悪臭たるや、凄まじいものだった。とても人間の住める環境ではない。この部屋では、寝ることも座ることもできない。
 薪が世間からこれほどの迫害を受けていたとは。普段の冷静な仕事振りからは、想像も付かない。

「送ってくださって、ありがとうございました。それではおやすみなさい」
「いや、お寝みなさいって、これ」
 薪は土足のまま部屋に上がると、モップでゴミを一箇所に集め始めた。ゴミの袋に次々と、部屋に投げ込まれた悪意の塊を詰め込み始める。
「手伝いますよ」
「大丈夫です。慣れてますから。もう帰ってください」
「慣れてるんですか? これに?」
「ええ。ここ最近は、毎日これですから」
 薪の顔は穏やかなものだった。
 怒るでも泣くでもない。そのすべてを諦めてしまったかのような薪の態度は、かえって岡部の同情を誘った。

「ひどい臭いですね。ああ、でも夏だから窓がなくても大丈夫なんですね。しかし無用心だな。無くなったものとかはないんですか?」
「はい。部屋の中のものは、増える一方です。全部ゴミですけど」
 岡部は黙って床に散らばったゴミを拾い始めた。
 もともと第九は人権問題の観点から、世間の風当たりが強かった。第九の必要性をアピールするために、室長としてテレビに出たこともある薪は、世間やマスコミに顔が売れていた。それが今回は仇になった。
 「そのうち、人間の死体でも投げ込まれるんじゃないかと危惧しているんですけど。そしたらMRIで検証しないといけませんね」
 ……冗談のつもりなのだろうか。シュールすぎて笑えない。

 強烈な臭いの生ゴミをゴミ袋に放り込みつつ、岡部は扱いづらい上司をもてあましていた。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

コメントの投稿

非公開コメント

Yさまへ

鍵拍手いただきました、Yさま。
ありがとうございます。
過分なお褒めの言葉、恐縮です。

・・・・・・新しい方が見えられるたびに、この誤解が恐怖です・・・・・・。

えっと・・・・このお話は、マトモなんです。
他のは、その・・・・・・あはははは!(^^;
すいません、わたしはギャグとエロが大好きなお下劣野郎でして・・・・・冒頭に謳ってる通り、R系のギャグ小説ですから!笑っていただいてナンボですから!

あ、でも、うちの岡部さんはカッコイイと思います(←自画自賛、すいません)
どうか広いお心で、お願いします。
プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

しづの日誌

法医第十研究室へようこそ!
おかげさまで8歳になりました(^^♪
文字サイズをお選びください
最新記事
最新コメント
拍手のお返事
いつもありがとうございます!

最新拍手コメのお返事はこちらです。

過去の拍手レスの確認は、該当記事の拍手欄を押してください。
鍵拍手コメのレスは、記事のコメント欄にお返しします。
月別アーカイブ
カテゴリ
詩 (1)
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク
QRコード
QRコード
FC2カウンター
こんにちは(^^
現在の閲覧者数: