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岡部警部の憂鬱(7)

岡部警部の憂鬱(7)







 掃除が済んで、何とか人の住処らしくなった部屋で、岡部は薪と一緒に夕食を摂ることにした。
 近くのコンビニで弁当を買ってマンションに戻ると、薪は味噌汁を作っていた。窓に面していない台所と寝室は、被害を受けていない。不幸中の幸いである。
 薪の作った味噌汁は、岡部の母親のものより美味かった。
 岡部にはいくらか味が薄かったが、きちんと出汁をとった本格的な味噌汁だ。ひとは見かけによらないものだ。
「しばらく買い物もしていないので、簡単なものしか作れませんが」
「美味いです」
「そうですか」
 おなかが空いたので何か買ってきてほしい、と言った割に、薪は殆ど食べなかった。
 それどころか、弁当を膝の上に載せたまま、居眠りをしている。どうやら腹が減ったというのは、岡部を気遣ってのウソだったらしい。食べるよりも本当は眠りたかったのだろう。

「室長。ちゃんと布団で寝てくださいよ」
 薪の小さな手から割り箸と弁当を取り上げ、床の上に置く。揺り起こそうとしたが、薪はそのまま岡部のほうへ倒れこんできた。完全に眠ってしまったようだ。
「しょうがねえな」
 奥の寝室に薪を運び込み、ベッドに横たえる。ベッドからはなにかいい匂いがする。これは薪の体臭なのか――― 清冽な香りだ。
 と、不意に薪の細い腕が岡部の首に巻きついてきた。驚いてからだを離そうとするが、思いがけない強い力で縋りつかれて、岡部は硬直してしまった。

「すずきっ」
 誰かの名前を呼んでいる。寝ぼけているようだ。
「行くな……僕を置いて行くな、鈴木」
 どこかで聞いた名前だ。というか、日本で一番多い名だ。
 薪が射殺した同僚も、たしかそんな名前だった。

 岡部に抱きついたまま、薪は耳元で友人の名前を呼び続けた。夢を見ているのか、やけにはっきりした寝言だ。
 きつく抱きしめていた腕の力が緩み、すると今度は両手で頭をつかまれた。真正面から至近距離で、薪のきれいな顔を見せつけられる。
 亜麻色の目が大きく見開かれて、岡部の顔を映している。その眼は尋常ではない。
 狂った光―――― 薪の眼には岡部の姿は映っていない。彼が見ているのは、おそらく自分がその手で射殺した友人の姿だ。

「おまえがいない世界なんて興味ない!」
 悲鳴のような声で、薪は叫んだ。

「僕の気持ちを知ってるくせに……僕は、おまえがいなきゃだめなのに」
 寝言ではない。錯乱している。
「僕も連れて行け。早く、連れて行ってくれっ……!」
 振り絞るように叫び、薪はベッドに沈んだ。頬に伝う涙をハンカチで拭ってやりながら、岡部は薪の精神に不安を覚えた。

 このまま放っておいて、大丈夫だろうか。どう考えても薪の言動は普通ではない。単なる寝言とは思えない。内容が重過ぎる。

 しばらく様子を見ていると、薪は30分も経たないうちに、今度はひどくうなされ始めた。
「やめろっ、殺すな!」
 恐ろしい夢を見ているらしい。起こしたほうが良いと判断して、岡部は薪の肩をつかんで揺り動かした。
「室長、室長」
「やめろ!!」
 大きな叫び声を上げて、薪は跳ね起きた。
 岡部の姿を見て、反射的に身を引く。そのままベッドから転げ落ちるようにして床の上に座り込み、後ずさって壁に背中をつけた。

「来るな……」
 自分に言っているのかと思ったが、薪は岡部がいる方とはぜんぜん別のところを見ている。
 その亜麻色の瞳に何が映っているのかは不明だが、薪の恐怖は部屋の空気を淀んだものに変えて、岡部にその凄惨さを伝えてきた。
「あの時、ちゃんとおまえを捕まえていたら、こんなことにはならなかったのか? こんなにたくさんの人が死なずに済んだのか?」
 見えない誰かに、問い質している。その内容はひどく物騒なものだ。
「僕のせいだって云うのか? 僕のためにおまえは、あんなに沢山の人を殺したんだって―――― そうなのか?」
 薪を追いつめている人物に、岡部はようやく思い至った。

 貝沼清孝。
 例の28人殺しの犯人だ。4人もの捜査官を狂気の世界に追いやった、恐るべき脳の持ち主。その貝沼の幻覚が、薪には見えているのだ。
「違う! 僕のせいじゃない、僕が悪いんじゃない!」
 激しくかぶりを振って、薪は必死に自分を守ろうとする。
 しかし、薪のこの言葉はどういう意味だろう?
 まるで事件が起こる前から、貝沼とは知り合いだったかのような言い方だ。しかも、薪のせいで貝沼が殺人を犯さなくてはならなくなったような意味合いのことを口走っている。

「おまえはもう死んだんだ! 消えろっ!」
 薪は床の上を這いずり回って、貝沼の幻覚から逃げ惑う。壁づたいに回り込み、サイドボードに辿りつく。低い棚の上に置いてあったガラス製の花瓶を右手で摑むと、ボードに叩きつけて割り、その破片を使って自分の腕を切ろうとする。
「室長!」
 慌てて駆け寄って、細い身体を押さえつける。幻覚と現実を混同しているのか、薪は悲鳴を上げて岡部の腕を振り払った。
 ガラスの破片を小さな手から奪い取り、岡部は薪から離れた。今は近づかないほうが、薪を刺激しないで済む。
 薪は両手で自分を掻き抱くようにして、細い腕に爪を食い込ませる。あの蚯蚓腫れはこうしてできたものなのだろう。痛みでしか幻覚から逃れることができないのだ。だから薪の体には自分でつけた傷が、たくさんあるのだ。

 この夢は、毎晩のように薪を責め苛んでいる。
 寝室の中のいろいろな備品が壊れている様子が、岡部にそれを教えてくれた。
「室長、俺ですよ。岡部です。しっかりしてください」
「僕じゃない……僕がわるいんじゃ」
 うずくまった姿勢で自分のからだを掻き毟りながら、小さく小さく体を縮こめている。まるでこの世から消えてしまいたいとでも思っているかのように、肩を震わせて顔を伏せている。

「おまえも僕のせいだと思ってるのか? 僕のせいで30人もの人間が死んだって……そう思ってるのか?」
「違いますよ、室長のせいじゃありません」
 岡部には詳しい経緯はわからないが、今はこう云うしかない。
「だから僕に向かって発砲してきたのか? すべての元凶の僕を殺そうとして?」
 今度は射殺した親友と、岡部を取り違えているらしい。
「僕が、僕がぜんぶ……僕のせいで……」
 顔に両手を当てて、慟哭する。泣きながら、薪は亡き親友の名前を呼び続ける。
「鈴木……すずき……たすけて……」

 これがあの憎たらしい警視正なのか。
 他人の目に触れないところでは、こんなにも激しい罪悪感に責め悩まされていたのか。

 岡部が今まで見てきたどんな罪人よりも、その嘆きは深い。それはきっと、薪がなんの罪にも問われなかったからだ。罰を与えられなかったことで余計に深まってしまったのだ。
 罪を償う方法が示されるということは、罪人の気持ちを楽にしてくれる。刑に服したからといって自分がしてしまったことが帳消しになるわけではないが、それでも辛い思いをしたことで罪悪感は薄まるものだ。
 薪にはそれがない。
 どうやって自分の罪を償えばいいのか、誰も教えてくれない。これから自分がどうやって生きていけばいいのか、誰もその方向を示してはくれない。
 このまま以前の通りに過ごせるはずがない。でも、どうしたらいいのかわからない。
 今の薪はそんな状態で、泥沼のような悔恨にもがき苦しんでいるのだろう。

 冷血漢の仮面が剥がれ落ちてしまえば、そこにいるのはただの弱い人間だ。
 脆弱で矮小でちっぽけな存在。思えば岡部は昔、そんな存在を守ってやりたくて、警察官の道を選んだのだった。

 やがて薪の慟哭は、徐々に治まってきた。うつろだった目が正気を取り戻し、岡部を見てばつの悪そうな顔をする。自分が錯乱したのを覚えているようだ。
「すみません。ちょっと嫌な夢を見て」
 細い身体は、じっとりと寝汗で濡れている。寝室はエアコンのおかげで快適な温度に保たれているが、悪夢のせいでいやな汗をかいてしまったらしい。
 床の上に膝を抱えて乱れた呼吸を整えている薪の姿は、ひどく頼りない。いつもは厳しく吊りあがった眉が、弱気な形に垂れ下がっているせいかもしれない。冷徹な室長の顔はどこにもなく、ただ暗闇に怯える子供のようだ。

「大丈夫ですか?」
「平気です」
 とてもそうは見えない。
「俺でよかったら、ここに居ましょうか? きっと安心して眠れますよ」
 この状態の人間を置いて帰れるならば、岡部はもっと出世していたと思う。弱っている人間に甘いのが、岡部の欠点なのだ。
「余計なおせっかいは止めてください。子供じゃあるまいし。ちょっと悪い夢を見たくらいで大げさな」
「室長。そういうことは泣きながら言っても真実味がありません」
 岡部は苦笑して言った。薪が慌てて目をこする。
「もう大丈夫です。おやすみなさい」
 泣き顔を見られたのがよほど恥ずかしかったのか、薪はベッドに入り、頭から夏用の薄い布団を被ってしまった。
 疲れているのだろう。すぐに寝息が聞こえてくる。

 岡部はその場に腰を下ろした。
 何かあればすぐに対応できるように、座ったまま浅い眠りを取りつつ待機する。こんなことは捜一の人間なら朝飯前だ。

 案の定、1時間もしないうちに、薪はまたうなされはじめた。

 声を掛けて揺り起こす。岡部の姿を見ると安心したように眠りにつくが、再び悪夢に捕らわれる。苦しそうに泣きながら、親友の名前を、自殺した部下たちの名前を呼び続ける。
 それが幾度も繰り返されるうちに、夢と現実とがごちゃごちゃになってしまったようで、岡部のことを誰かと間違えては縋り付いてくる。
 まるで恋人を抱くように切なげな表情をしたかと思うと、次の瞬間には例の殺人犯と混同して激しく怯える。

 そんなことが一晩中続いて、薪がようやく眠りについたのは明け方のことだった。
 この錯乱は一時的なものだとは思うが、毎晩のようにこれが続いたのでは神経が参ってしまうだろう。
 白々と明けはじめた朝の淡い光の中で、目に涙を一杯に溜めたまま眠る薪を見て、岡部は田城や三好の言ったことを信じないわけにはいかなくなった。

 このひとは、こんな夜をずっと過ごしていたのか。
 平静に見せかけて、陰ではこんなにつらい思いをしていたのか。
 室長のこんな姿はだれも知らない。あの冷静であざやかな仕事ぶりからは、想像もつかない。

 こんなに脆い人だったのか。
 高慢ちきで皮肉屋で嫌味ったらしくて、やさしさのかけらもない冷血漢―――― 噂以上のヒトデナシだと他人に思わせることで、この人は自分の弱さを隠していたのか。

 岡部は、自分の進退について迷い始めていた。
 このひとは壊れかけている。
 このまま放っておけば、自滅するだろう。
 そうしたらきっと、第九は潰れる。自分は晴れて捜査一課に帰れる。
 あとは時間の問題だ。警視総監に報告するまでもない。自分は何もしなくていい。ただ、薪が自滅するのを待っていればいいのだ。
 可哀想だとは思うが、結局は自業自得だ。そもそもひとの脳を見るなどといった、倫理に反する捜査方法は、あってはならないものなのだ。だからこんな悲劇が起こった。第九はなくなったほうがいい。そのほうが薪も楽になれるはずだ。

 このまま何もしない。室長のことは見て見ぬふりをする。簡単で完璧な計画だ。
 しかし、岡部は自分の計画の欠陥に気付いていた。
「……それができれば、苦労しないんだよな」
 ハンカチで薪の涙を拭いてやりながら、岡部は呟いた。

 問題はただひとつ。
 それはお人好しで世話焼きの岡部が、この状態の薪を放っておけるかどうか、ということだった。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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