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岡部警部の憂鬱(8)

岡部警部の憂鬱(8)






 その夜、第九はVIPな客を迎えた。

 先日の薪の様子が気になって仕方がない岡部は、MRIシステムの機器操作を練習する振りをして、今日も居残りを決めていた。そのおかげで、普段なら口も聞けないような人物に会うことができた。
 その人物が、第九の自動ドアから気軽な調子で入ってきたとき、岡部は我が目を疑った。三田村も上層部の一員だが、今日の来客は格が違う。岡部は実物を見るのも初めてだった。
 署内報の写真でしか見たことのない顔が、人差し指を口の前に立てる。騒がないように、との合図だ。

 その人物は、モニターに釘付けになっている薪の背中にそうっと近づいていく。
 薪は、来訪者にはまったく気づいていない。MRI専用のマウスの上に小さな手を被せ、忙しく画面を切り替えては次のモニターに移動する。捜査に夢中で、周りが目に入らないようだ。
 突然、来訪者は薪の後ろから華奢な身体を抱きしめた。
 とっさに薪は腰を落として、背負い投げの体勢に持っていく。柔道は5段の岡部から見ても、それは見事な型で、薪が黒帯というのは嘘ではないらしい。
 しかし、この相手は投げ飛ばしてはまずい。

「室長! 官房長ですよ!」
「え!? ……うわわっ!」
 岡部の叫びに大きくバランスを崩して、薪は来客の下敷きになってしまった。
 図らずしも床にうつ伏せになった薪の上に、小野田がのしかかるような格好になって、岡部は思わず先日の薪のきわどい冗談を思い出してしまう。薪のきれいな顔と華奢な体つきを見ていると、ついついそういう噂を立てたくなる気持ちも解らなくはない。

「積極的なのはうれしいけど、部下の前ではまずいんじゃない?」
「だからそういう冗談はやめてくださいって、何度もお願いしたじゃないですか。小野田さんがそんなことばかり言うから、ヘンな噂が広まるんですよ」
「ぼくのせいじゃないよ。暇な連中が多すぎるんだよ」
 床の上に官房長が座り込み、どこかにぶつけてしまったらしい膝を擦っている。ひどいなあ、とぼやく小野田に「自業自得です」と素っ気無く応えを返して、薪は立ち上がった。

「今日は何の御用です?」
「きみを口説きにきたんだよ。ぼくのところへおいでよ。大事にするからさ」
「またそういう言い回しを」
 そこで薪は、岡部の様子に気づいた。
 官房室室長小野田聖司といえば、警察庁長官、次長に続く№3の実力者である。岡部のような一般の捜査官にしてみれば雲の上の人物だ。その小野田に気安い口をきいている薪に、岡部は目を丸くしている。

 薪は小野田に手を差し伸べて立たせると、官房長を室長室へと誘った。岡部の前で、室長室の扉が閉ざされる。
 小野田が薪のパトロンだという噂は本当らしい。ということは、三田村の話も事実ということか。薪本人も認めていた。
 だが、昨夜の惨状は―――― 薪の悔恨は本物だ。あれほどの罪悪感に悩まされながらも、出世はしたいということなのだろうか。

 気になる。
 これは捜査官のサガというやつだ。

 自分の道徳心には蓋をすることにして、岡部は室長室のドアに耳をつけた。薄い板張りのドアは遮音性が低く、こうすればかなり小さい声でも聞くことができる。
「きみが三田村のやつに苛められたって聞いてさ」
「三田村部長は、激励に来てくださったみたいですよ」
 もちろん皮肉である。その事は岡部も居合わせていたから知っているが、官房長は随分と早耳だ。

「だからさ、警察庁に戻してあげるって言ったじゃない。きみのために、参事官のポストまで用意したのに」
「僕が今いなくなったら、第九はどうなるんです? 僕しかMRIシステムを扱える者がいない状態なんですよ。誰かに役職を譲るにしても、今の状態では無理です。人材を育てないことには、第九は潰れてしまいます」
「ここの室長でいることで、きみがみんなに何て言われてるか知ってるの? きみだって逆に辛いはずだよ。鈴木君ときみは親友だったろ」
「鈴木はこの仕事が好きでした。僕は彼の愛した第九を守りたいんです。周りの人たちに、どう思われてもかまいません」

 そうか。
 ここに居続けるほうが、このひとにとっては辛いのだ。

 あんな事件の後、周り中に白い目で見られながら、自分が殺した親友の思い出がそこここに残る第九で、罪悪感に苛まれながら室長の重責に耐え続けることは、苦行に等しい筈だ。
 このひとは出世など望んでいない。
 ただ、第九を守りたいだけだ。
 降格処分を取り消してもらったのも、室長の座に居座り続けるのも、親友の遺志を継ぐためなのか。それがこのひとなりの贖罪なのか。

「ぼくはきみの悪口を聞くと、ものすごく頭にくるんだけど」
「僕の評判は、もともと良い方じゃありませんから。そう変わらないと思いますよ」
「そうかな。でもやっぱりムカつくよ。特に三田村。なにかあれば左遷(とば)してやるんだけど、あいつ官公庁に顔が利くんだよね。内閣官僚に同期がいるとか言ってさ。
 あーあ、残念だな。きみを引き抜くチャンスだと思ったのに。ぼくのところには来てくれないんだ」
「すみません。でも、小野田さんには感謝しています」
「言葉だけじゃね。態度で示して欲しいな」
「頬にキスでもしましょうか?」
「冗談キツイな。ぼくの娘は、相変わらずきみに夢中なんだけど」
 初耳だ。官房長の娘が薪に好意を抱いているとは。官房長が薪のバックについているのは、そういうわけか。

「冗談がきついのは小野田さんのほうです。警察庁官房室室長ともあろう方が、人殺しを娘婿にもらう気ですか?」
「あれは誰が見ても正当防衛だよ。あと20センチ右にずれてたら、きみは死んでたんだよ。まあ、きみの性格じゃ、気に病むなといっても無理だと思うけど」
「僕は彼の家族と婚約者の方には、一生をかけて償っていくつもりです。だから結婚もしません。自分が犯した罪に、誰も巻き込みたくないんです」

 岡部はドアから耳を離した。
 薪の言葉が本心だと言う証拠は、どこにもない。口ではなんとでも言えるものだし、官房長の前で善人ぶっているだけかもしれない。
 しかし、岡部は薪の言葉を信じたい気持ちになっていた。

 昨夜の薪の涙は、嘘ではない。嘘であんな泣き方はできない。
 涙を武器にしようとするものは、人前でそれを使う。そうでなければ意味がない。しかし薪の場合はまったく逆だ。
 罪の意識などないような振りをして、その実精神の均衡を乱すほどの罪悪感に苛まれていて―――― それを陰の部分に押し込めて、ひとりきりで歯を食いしばって耐え続けて。
 その懊悩を知ってしまった岡部には、今の薪の言葉を疑うことはできなかった。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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