岡部警部の憂鬱(9)

岡部警部の憂鬱(9)







 それからしばらくして、官房長は室長室から出てきた。
 モニターに向かっていた岡部に、軽く手を上げる。岡部は立ち上がり、最敬礼でそれに応えた。
「岡部くんだったよね」
「はい」
 官房長が、自分の名前を覚えていてくれたとは驚きだ。室長から聞いたのだろうか。

「薪くんのこと、頼んでもいいかな。彼、きみのことは信頼してるみたいだから」
 困る。
 あんなのは手に負えない。
 そう言いたかったが、官房長相手にそれはまずい。
 岡部が返答に困っていると、小野田は笑って「そうだよね、薪くんの面倒は見きれないよね」と自分で自分の提案を却下した。
「なんで薪くんがきみのことを気に入ったのか、わかったよ。まあ、薪くんの相手は大変だと思うけど、仲良くしてやってよ。岡部靖文くん」
「はあ……」

 監察医の三好といい官房長といい、薪が自分を気に入っていると言うが、信じられない。
 自分は機器操作の覚えも悪いし、PCも報告書も苦手だ。室内で書類を作るより、現場で聞き込みをしていたほうが性に合っている。だから、ここにいるより捜一にいた方が警察の役に立てると思う。
 というより、第九ではお荷物になってしまう可能性のほうが高い。そんな自分が「第九の仕事は結果がすべてだ」と言い切るような室長に、評価されているとはとても思えないのだが。
 まあ、別に好かれる必要もない。
 こっちだって室長のことは大嫌いなのだ。お互い様というやつだ。

 小野田が帰ったあとも、薪はなかなか室長室から出てこなかった。モニターの電源は入ったままだから、まだ仕事を続けるつもりだとは思うが、何をしているのだろう。
 細くドアを開けて、中の様子を盗み見る。捜一のクセはなかなか抜けないものだ。

 薪は室長席に座って、一枚の写真を見つめていた。

 静かに涙を流している。まったく、人が見ていないところでは、このひとはとても泣き虫だ。
 官房長との話で、親友のことを思い出してしまったのだ、と容易に想像がつく。手に持っている写真には、その親友が写っているに違いない。

「室長。大丈夫ですか?」
 岡部が声を掛けると、薪は慌てふためいて涙を拭い、写真を机の引き出しに隠した。その慌てぶりが岡部の苦笑を誘う。
「まだ残ってたんですか? あなたにできることなどないと言ったでしょう」
「MRIマウスの練習ですよ。あの2人に負けていられませんから」
「無駄な努力だと思いますけど」
 辛辣な物言いが、何故か微笑ましい。何だかだんだん、この皮肉が可愛らしく思えてきた。自分もおかしくなり始めているのだろうか。

 岡部が笑っているのを見て、薪は亜麻色の小さな頭をゆるゆると振り、大きなため息をついた。
「僕はだめですね、やっぱり」
 ふっと肩の力を抜いて、哀しそうな微笑を浮かべる。気弱な室長の顔は、岡部の庇護欲を掻き立てる。
 それに気付いているのかいないのか―――― 薪は背中を丸めて机に頬杖をつき、長い睫毛を伏せた。
「岡部さんには第九にいて欲しかったんですけど、諦めます。いろいろとヘンなところも見られちゃったし。こんな情けない上司の下では、働けないですよね。なるべく早く捜一に戻れるように、僕のほうからも手を回しますから」
「クビですか? 俺」
「僕に気を使わなくていいです。持ってますよね、異動願い。
 本当は初日に出すつもりだったんでしょ?それでやることもないのに、ひとりで残ってたんですよね」

 MRIで視覚者の心情を読むように、薪は岡部の気持ちを読み解いていた。
 最初から、薪は岡部の第九への悪感情に気がついていた。
 岡部が捜一に戻りたがっていることも、第九の仕事を嫌がっていることも。そのくせ薪のことが心配で、それを言い出せなくなってしまっていることも。
 だからあんなに強がって、岡部に気を使わせないように、あの事件のことを気に病んでなどいないと、ウソを吐いた。

「出してください。受理しますから」
 異動願いは、確かに毎日持って来ている。今もズボンの右ポケットに入っている。
 岡部だって捜一に帰りたい。室長のほうから申し出てくれているのだ。ここは素直に従ったほうが得策だ。
 岡部はポケットから封筒を取り出し、薪に手渡した。何日も持って歩いていたせいで、だいぶくたびれてしまっている。表書きはない。
 薪は封筒を開けて、中に入っていた便箋を取り出し、内容を確認した。

「なんですか、これ」
 亜麻色の眼が大きくなって、岡部の顔を見る。きょとん、とした表情。このひとは不意をつくと、びっくりするくらい可愛らしい顔になる。

 白い便箋には中央に大きな文字で、『これからもよろしくお願いします』とだけ書いてある。異動願いには見えない。
 
「どういうつもりです? 捜一に戻りたいんじゃ」
「敬語はやめてください。俺はあなたの部下なんですから」
 長い睫毛がしばたかれ、薪はいぶかしげな表情で問い返した。
「いいんですか? 僕から離れられる最後のチャンスかもしれませんよ。僕はあなたを手放したくないんですから」
「だから、敬語はよしてくださいよ。俺はずっとあなたの部下でいいです。手始めに、床の掃除でもしましょうか?」
 どこかで聞いた岡部の言葉に、薪は思わずくすっと笑った。滅多に見られないその笑顔は、天然記念物並みの希少価値だ。文句なしにかわいい。

 こんなに可愛い顔をしているのに、どうしてあんなにきついことばかり言うのだろう。
 いや、この顔で室長の威厳を保つには、態度だけでも厳しくしないと、舐められてしまうのかもしれない。
 第九はとにかく、外部からの批判が多い。それに立ち向かい、ねじ伏せようとするには、時として、暴君のような厳しさが必要なのかもしれない。

「あなたが第九に残ってくれる気があるのなら、ひとつだけお願いがあります」
「なんですか?」
「僕が死んだら、僕の頭を潰してください」
 岡部はその命令に息を呑んだ。
 このひとはいきなり何を言い出すのだろう。

「これは、僕の一番の部下に、いつも頼んでいたことなんです。あなたの前は、鈴木がこの役目を僕に託されていた。どんな状況下にあっても必ず遂行してください」
「理由はなんですか」
「僕の脳には、公表されてはいけない秘密がたくさん詰まっています。これが公になったら日本中がひっくり返ってしまうような、トップシークレットがいくつも入ってるんです。だから僕の死後、誰もこの脳を見ることができないように。僕の頭を潰してください」
「死体損壊の罪に問われてもですか?」
「そうです。お願いします。これは僕の遺言だと思ってもらっても結構です。なんなら、一筆書きましょうか」

 第九の室長とは、こんな覚悟までしなければ務まらないのだろうか。
 既にこの人は、覚悟を決めている。女のような顔をしているくせに、なんて雄々しいのだろう。
 昂然と頭を上げて、きりりと眉を吊り上げる。一分の隙もない顔つきだ。

「わかりました」
 岡部が頷くと、薪は安心したように笑った。
 その笑顔の美しさに、岡部は思わず目を奪われる。
 なんだ、こんないい顔ができるんじゃないか。初めからこの顔を見せてくれれば、こんなに回り道をせずに済んだのに。

「無茶なお願いを聞き届けてもらったお礼に、MRIマウスの使い方のコツを教えましょうか、岡部さん」
 岡部は敢えて、返事をしない。
 薪の顔をじっと見て、にやりと笑う。薪はその笑いを受けて、いきなり口調を変えた。
「岡部、モニタールームに来い。今から特訓だ」
 どうやら伝わったらしい。
「はい、室長」

 先に立って歩き出した細い背中について、岡部はモニタールームに入った。


テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
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