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岡部警部の憂鬱(10)

岡部警部の憂鬱(10)






 次の日曜日、岡部は再び薪のマンションを訪れていた。
 今日は引越しの日だ。
 夏だというのに、長袖のTシャツとジーパンという服装で、薪はせっせと段ボール箱に荷物を詰めている。

 私用だからという理由で、薪は最初岡部の申し出を固辞したが、日当は貰います、という岡部の言葉に折れた。
 もちろん目当ては現金ではなく、薪の手料理だ。薪は現金で済ませるつもりかもしれないが、そうはいかない。これだけの重労働だ。薪特製のちらし寿司に、味噌汁くらいつけてもらわないと、間尺に合わない。
 薪にしてみても、引越しの手伝いは警察関係者のほうが都合がいいのだ。
 薪の家には、MRIシステムが導入されたときの自己学習用の資料やら捜一時代のノートやら、事件記事のスクラップやらが山のようにある。正式な捜査資料でないとはいえ、やはり一般人の目に触れさせたくはない代物だ。

「悪いな、休みの日に」
「いえ。力仕事は得意ですから」
 20個ほどの段ボール箱の中身は、8割方が犯罪心理学の書籍である。
 その量たるや大学の研究室並みで、給料の殆どをこれにつぎ込んでいるに違いない。これがまことに重い。岡部でさえ1つずつしか持っていけない。薪の細腕では持ち上げることもできない。
 やはり煮物もつけてもらおう、と岡部は意地汚いことを考える。

「今日は顔色が良いみたいですね」
「うん。昨夜はおまえのおかげでゆっくり眠れたから」
 あれから毎日、岡部は薪の家に泊まりこんでいる。夕食をたかりに来ているわけではなく―――― 薪の作る料理はとても美味しくて、ついつい目的がすり替わりそうだったが―――― 薪の自傷行為を案じてのことだ。
 昨夜は岡部が買ってきた睡眠薬を薪に飲ませてみた。「とてもよく効く」という岡部の言葉を信じたのか、それとも眠れない夜が続いたせいで本能が恐怖に勝ったのか、昨夜は一度も目を覚まさずに、薪はぐっすりと眠った。

「よく効くな、あの睡眠薬。ちょっと酸っぱいけど」
 ……ばれている。
 実はただのビタミン剤だ。
 密かに精神安定剤を服用している薪に、副作用があってはいけないと、岡部なりに気を使ったのだが、このひとに小細工は通用しないようだ。

 新しいマンションは大部分の家具が作りつけなので、今まで使っていたものはあらかた処分してしまった。箱に詰めたのは衣服と調理器具、食器類、日用雑貨の品々で、わずか4つの箱に収まってしまった。
 しかし、馬鹿みたいに重い本の箱が10以上。それを運び出したら、このマンションにはさよならだ。
 本当は引越し業者に頼みたかったのだが、薪の名前と住所を出したら繁忙を理由に断られてしまった。新しいマンションも実は小野田の口利きだ。
 世間がこの事件を忘れてくれるのは、ことわざを信じるならあと2ヶ月ほど。それまではこの理不尽な仕打ちにも、我慢するしかない。

 岡部が友人から借りてきた2tトラックの荷台に段ボール箱を積んで、シートを被せる。新しいマンションまでは1時間ほどかかる。職場からは遠くなってしまうが、むしろその方がいいかもしれない。

 乗り心地の悪いトラックに揺られながら、薪は少し寂しそうな目で外を見ている。
 ここには警察庁に入庁した当時から住んでいたというから、いろいろと思い出もあるのだろう。親友だった鈴木も、他の第九の部下たちも、よくここに来ていたのかもしれない。

 もう二度と帰らない昔日に思いを馳せて、それでもひとは前に進んでいかなくてはいけない。薪の未来は新しい第九であり、新しい部下との出会いだ。その中にはもちろん、岡部も含まれている。

 やがて、薪の新しい拠点となるマンションが見えてくる。
 その真っ白な外壁は、薪のこれからの未来を思い通りに描けるよう、神様が用意してくれたキャンパスのようだった。


テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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