岡部警部の憂鬱(12)

岡部警部の憂鬱(12)







「岡部、味見」
 薪の声に我に返ると、目の前に小皿に入った味噌汁があった。
 昆布と鰹節できちんと出汁をとった味噌汁は、その辺の料理屋のものより遥かに美味い。

「うまいです」
「味噌、足りなくないか?」
 薪の好みは少し薄めだ。付き合いが長くなってくると、そんなことも解ってくる。
「いや、このくらいでいいですよ」
 薪はいつも朝はパン食だが、今日は岡部の好みに合わせてご飯にしてくれた。濃い目の味付けを好む岡部のために、味噌汁の味も心持ち濃くしてある。
 まったく細やかな心遣いだ。口には出さないが、薪は岡部のことを、とても大切に思ってくれているのだ。
 今の薪からは想像もつかないが、あのときの薪は、本当に憎らしかった。こうして思い出してみても、やっぱり憎たらしい。
 人間変われば変わるものだ。いや、変わったのは俺のほうか。

「遠慮するなよ。僕も青木も朝はパンなんだ。今日はおまえの好みに合わせて和食にしたんだから、味付けもおまえの好みに」
「青木も朝はパンなんですか? よく知ってますね」
 岡部の鋭い突っ込みに、薪の頬が微かに赤くなる。お玉を握る手が硬直して、なんだかギクシャクとおかしな動き方をしている。
「いや、ちが……別にそういうわけじゃ、いつも一緒に食べてるわけじゃなくてこないだはたまたま」
 なにかモゴモゴ言っている。墓穴を掘っている気もするが、聞こえなかったふりをしてやろう。

 薪とってはいいタイミングで、玄関のチャイムが鳴った。青木が帰ってきたらしい。
 薪のマンションは瞳孔センサー式のオートロックなので、一旦外へ出ると、本人以外は中へ入れない。カメラで青木の姿を確認して、薪はそそくさと玄関に歩いていく。
 カチャリとドアを開ける音がして、玄関口の会話が聞こえてきた。
「コンビニにネギあったか?」
「はい。さっきはすいませんでした。なんか、のりうつられたみたいで」
「僕も知らなかったんだ。おまえがそんなに納豆が苦手だなんて」
「え? 俺、納豆食いますよ」
「……じゃあ、なんであんなに怒ったんだ?」
 思い込みのすれ違いが面白い。この2人は性格はまるで違うのに、思い込みが激しいところは同じだ。

 薪はひねくれものだが、青木は真っ直ぐだ。薪は複雑怪奇な思考回路をしているが、青木は単純だ。
 ふたりとも東大法卒のキャリアだから頭はいいのだが、それを鼻にかけるようなことはしない。薪は相手にもよるようだが、青木はしない。
 世田谷の遺族の家に脳を貰い受けに行ったあの一件以来、青木は薪のことを崇拝するようになって、それは岡部を喜ばせた。
 薪の本当の姿を知れば、こいつはもう大丈夫だ。自分がそうであるように、室長のためなら、どんなにつらい仕事でもこなすに違いない。
 青木も始めは、薪のことを誤解していた。いや、誤解ではなく見抜けなかったのだが、薪の場合、見抜くのは至難の技というか、気付かないほうが普通というか、その。

 でも、こいつはたいしたやつだ。
 自分のようなきっかけはなかったはずなのに、ちゃんと室長の内面に気が付いた。
 強そうに見せて、本当はひどく脆いところがあるこのひとの危うさに手を差し伸べたくて、必死に努力している。室長の役に立ちたいと、ただそれだけで昇格試験にも合格し、岡部には宇宙語のようなMRIの専門書の勉強も続けている。

「オレにも味見させてくださいよ」
「おまえに味見させると、鍋が空になるからいやだ」
「まだカレーのこと根に持ってるんですか?」
 味噌汁の鍋の前で、他愛ない冗談を交わしている。
 このごろ薪は、この新入りとこんな会話をするとき、妙に和んだ顔をしていることに岡部は気づいていた。
 岡部も青木のことは可愛い後輩だと思っているが、薪の気持ちはそれとは少し違うような気がする。青木がそういう目で薪を見ているのはとっくの昔に気付いていたが、薪のほうはそう単純でもないようだ。

 青木を見つめる亜麻色の目には、ときおり感傷が混じる。おそらく、誰かを重ねている。その誰かの影を青木の中に探している。
 しかし、青木がその誰かにはなれないことも、ちゃんと分っている。そんな不安定な感情の中で、それでも確実にふたりは惹かれあっている。
 自分の与り知らぬところでなにがあったのかは不明だが、そこまで関与する気はない。これ以上は本当にお節介になってしまう。馬に蹴られてなんとやら、だ。
 とりあえず、薪の平穏な顔を見ることができれば、岡部はそれで満足なのだ。

「いっただきまーす」
 食卓には3人分の和朝食が並んでいる。
 岡部と薪の前には食事に合わせて日本茶が湯気を立てているが、青木の前には冷たい牛乳が置いてある。あまり乳製品が好きではない薪が牛乳を常備しているということは、牛乳好きの誰かが頻繁にここに出入りしては食事をしていく、という推理が成り立つ。
 べつに誰とは云わないが。

「あっ、おまえいくつ卵焼き食べる気だ?俺の分もあるんだぞ」
「わかってますよ。半分ずつですよね」
「そうだな、4切れずつだな」
「……僕の分はないんだ」
 休日の朝に、同僚の顔を見ながら朝食を摂るなんてつまらない。休みの日は、家族や仕事の絡まない友人と共に過ごしたい―――― 普通はそう思うだろう。
 しかし、休日にも一緒にいたいと思える人間と仕事ができる自分は幸せだ。
 これまでにも、何度か薪と二人で休日の朝を迎えてきた岡部は、ずっとそう思っていた。
 しかし、これからは。

 美味そうに薪の作った卵焼きを頬張っている後輩と、それをやさしい目で見ている上司の姿に、岡部は若干の寂しさを覚える。
 そろそろ、自分の役目は終わるのかもしれない。

 薪はどんどん青木との距離を縮めている。自分の手を離れて、他の男に嫁ぐ娘を見送る父親のような気分だ。でも、それを選んだのが薪自身ならそれでいい。というか、他にどうしようもない。
 自分では薪を本当の意味で満たしてやることも、幸せにしてやることもできない。青木には、おそらくそれができるのだ。若さゆえの無知と無鉄砲さで、岡部には到底できないことも、平気でやってのけるにちがいない。
 たとえば先日、室長室で見てしまったようなこととか、それ以上のこととか。

 青木の父親が亡くなったばかりのとき、夜の室長室での出来事を、岡部は偶然目撃してしまった。
 驚いたが、得意の投げ技を決めるでもなく、相手の抱擁を受け入れている室長の様子を見ると、無理矢理というわけでもなかったことがわかって、岡部としてはなんとも複雑な気分だ。
 だが、あれは恋人同士のキスというより、薪の方からしてみれば泣いている子供を慰める母親のキスみたいだったが。
 まあ、それは当人たちの勝手だ。これから先ふたりの関係がどう変わっていくのかは、当人たちに任せるしかない。

 薪が、笑顔でいてくれればそれでいい。

 恋人が男だろうと12歳も年下だろうと、大きなお世話というものだ。本人たちが―――― いや、薪が幸せなら、それでいいではないか。
 その代わり、泣かせたらただじゃ済まさない。あばら骨の二、三本なんて生ぬるいことはしない。体中の骨を粉々に砕いてやる。
 覚悟しとけよ、青木、と心の中で勝手に約束を取り決めて、岡部はふたりの仲を認めてやることにした。

「岡部。いいのか?」
「俺はいいんですよ。薪さんさえ……え?」
 薪の問いかけに、頭の中で考えていたつもりが独り言でも言ってしまっていたかと焦るが、薪の表情を見ると、そんなことではないようだ。
「卵焼き、全部食われちゃったぞ」
「なっ!」
 慌てて皿を見るが、既にかけらも残っていない。
「いま半分ずつって約束したろうが!」
「すいません。あんまり美味しかったんで、つい」
「俺はまだ一切れしか食べてなかったんだぞ!」
「僕は一切れも食べてないぞ」
「薪さんはいいじゃないですか! いつでも食べられるんですから!」
「……おかしくないか? その理屈」

 やっぱりダメだ。
 こんな食欲の権化のような若造に、大切な薪を任せるわけにはいかない。食べ物の恨みは深いのだ。
 まだまだ自分の役目は終わらない。
 薪のことを支えられるしっかりした人間に、こいつをみっちり鍛え上げてやる。柔道も剣道も拳銃の腕前もだ。頭脳はかなわないが、警察官には武術も必要だ。特に薪を守っていくためには。

 岡部の恨みがましい視線から逃れるように、青木はコーヒーを淹れに席を立つ。
 新品のコーヒーメーカーは大型のもので、本格的なエスプレッソが淹れられる優れものらしい。あまり食べることにはこだわらない薪にしては珍しいが、第九のバリスタの出現で、コーヒー好きが高じてきたのかもしれない。
 しかし青木は、その高性能の機械は使わない。手動のミル挽きとドリッパーで、丁寧にコーヒーを淹れる。
 ほどなく、コーヒーのいい匂いがダイニングに立ち込めた。

「お酒の翌日はさっぱりと。コロンビアスプレモです」
 青木からコーヒーカップを手渡され、その香りを吸込んで薪は満足そうに目を閉じる。
 一口すすって、極上の笑顔になる。第九のバリスタは、また腕を上げたらしい。その仕事ぶりに薪はご満悦のようだ。

 穏やかな薪の微笑みに彩られて、冬の休日はゆっくりと始まった。


 ―了―



(2009.1)


テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Aさまへ

Aさま、こんにちは~。
コメントありがとうございます。
このお話も最後まで読んでくださったのですね。 ありがとうございます!!


>原作に清水先生が描き切れなかった部分を盛り込んでくれたような感じがしました!

光栄です!
これって、原作の世界を壊してない、という意味ですよね? わーい、初めて二次創作らしく書けたような気がします~。


>薪さんが自宅に嫌がらせを受けてることは2002でちょっと出てきましたが貝沼事件直後の方が酷かったんでしょうね。悪夢も(><)

どうだったんでしょう。
薪さんがどこに住んでいるとか、個人情報は守られたと思っていますが・・・・ただ、警察内部の風当たりは強かったと思われます。 きっと、どこへ行っても『自分の部下を撃ち殺した』とかって陰口叩かれて、それを平気な顔で黙殺して・・・・・ああ、薪さん・・・・・・(TT) でも、萌える。<こら。
悪夢は見たでしょう! 間違いなく!!
昼間から幻覚に悩まされるくらいです、夜はもっと酷かったことでしょう。


>原作では岡部さんと飲みに行くようですが家には入れないみたいなのが残念です。もう少し心を開けたらいいのに・・

そうなんですよね。
わたしも最初はそう思っていたんですけど、薪さんはカニバリズム事件のことがあって、自分と親しい人を作らないようにしていた、という事実が分かってからは、彼の悲しい運命に涙するしかなく・・・・・・うう、薪さん・・・・・・でも萌える<こらこら。


>原作の岡部さんも薪さんが青木を特別な目で見ていることに気づいていて見守っていますね(^^)
>青木と違って薪さん一筋なところに癒されます(笑)

まったくです!!
青木さんったら、色んなことに惑わされすぎです。 


>薪さんが幸せになれるなら岡部さんでも(失礼)いいと思えるくらいです!

そ、それはダメ~~。
腐ってもあおまきすとなんです、わたし(^^;


>2008年1月号のぱふで二人の出会った当時の話等二人がメインの話を描く予定はありませんか?と質問されて先生は今のところ考えていませんが考えたら面白そうですねと答えていたんです。あのインタビューがきっかけなら嬉しいですね(^^)
>鈴木さんとの過去編も描いて欲しい!

なんと!
ぱふさん、グッジョブ!
ぜひ、またインタビューしてもらって、『鈴木さんとの過去編を』と言ってください!


プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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