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官房長の娘(1)

官房長の娘(1)






 第九のシャワールームがユニットバスに改造されたのは、一年でいちばん寒い2月の半ばのことだった。

 室長は大の風呂好きで、以前からこのシャワールームを湯船のついた風呂場に改造するという野望を持っており、何度か予算の申請をしていたのだが、当然のように棄却され続けてきた。
 国税でまかなわれている国の施設に、バスルームが備え付けられるかどうかなど常識で考えれば分りそうなことだが、第九の場合は他の研究室とは少し事情が違う。職員の人数不足と捜査の特殊性のため、研究室への泊り込みを余儀なくされる場合が非常に多いのだ。それも一日二日の話ではなく、1週間単位での篭城となる。
 中でも責任者の室長は寝泊りの期間が長く、最高記録はなんと23日間である。20日以上もシャワーだけで過ごさなければならなかった室長は、いつか必ずこの予算を通してやると心に決めていたのだ。

 そのチャンスが訪れたのは、2月の初め。
 薪のパトロンと陰で囁かれる小野田官房長が第九にやって来て、いつものきわどいジョークで第九の職員をドギマギさせた後、室長室で薪に個人的な頼みごとをしていった。このユニットバスは、その見返りというわけだ。

「よく予算が下りましたね。どうやって所長を説得したんですか?」
 工事の騒音が響く中、事情を知らない岡部が不思議そうに尋ねる。薪は机の上を整理しながら、悪びれもせずに裏取引の事実を教えてやった。
「小野田さんから言ってもらったんだ。鶴の一声ってやつだな」
「官房長には、借りを作りたくなかったんじゃないんですか?」
「これからその借りを返しに行くところだ」
 帰り支度を整えて、薪は立ち上がった。
 まだ、定時を10分しか過ぎていない。室長にしてはひどく早い退室時刻だ。

「後は頼んだぞ」
「はい。あの、どちらに?」
 薪のプライベートにまで口を出す気はないが、緊急の連絡先を聞いておいたほうがいい。岡部はそれくらいの気持ちで行き先を訊いただけなのだが、薪の返事は第九の職員たちを驚愕させた。
「官房長の娘さんとデートなんだ。くだらない用事で、携帯に電話してくるなよ」

 パープルグレイのトレンチコートを着込んだ室長がモニタールームから出て行った後、研究室はえらい騒ぎになった。
 浮いた噂ひとつなかった室長が、女の子とデート。しかも相手は官房長の娘だという。
 もらったラブレターを読みもせずに捨ててしまう冷血漢が、さては相手の父親の後ろ盾が目当てか、と薪をよく知らない人間なら思ってしまうかもしれない。
 しかし、薪に限ってそんなことはない。
 将を射んと欲すればまず馬を、などと回りくどいことをせずともとっくに官房長は薪の味方だし、薪は出世には興味はない。恋愛にはもっと興味がない。薪が興味があるのは事件のことだけだ。つまらない男である。
 研究室の面々は室長のことをずっとそう思ってきたのだが、どうやらそれは、相手を選んでいただけのことであったらしい。室長のおめがねに適うにはやはり、それ相応の地位を約束してくれる女性でなければならなかった、ということか。

「でも、あのひとが女の子と腕組んでる姿なんて、全然イメージできないんだけど」
「電話をしてくるなってことは、邪魔するなってことだよな」
「そういう方向へ持っていく気なのかな」
「室長が? ありえないだろ」
「この時間からデートするんだから、不自然じゃないだろ」
「……無理。想像できない」
 人の恋路の心配をする前に、自分のことを心配すべきだ。薪がこの場にいたら、きっとそう言っただろう。
 第九の職員の中で恋人がいるのは今井ただ一人で、他のものはみんな女性に縁がない。デートに割ける時間がない勤務体制のせいもあるが、警察官というのはもともと出会いが少ないのだ。特に世間から白い目で見られることが多い第九では、合コンの設定もままならない。エリート中のエリートばかりが集まった第九の職員たちが揃いも揃って独り者というのには、このハンディキャップが大きく影響している。

 薪のデートの行方をあれこれ想像する職員たちを遠巻きにして、ひとりだけいつもと変わらぬ穏やかさで仕事を続けている男がいた。
 職員の中でいちばん若くて背が高い。しかし、この男はだれよりも薪に心酔していたはずだ。
 薪に対するセクハラすれすれの小野田の冗談を真に受けて、この男がめまいを起こしている姿を職員たちは何度も目にしている。その反応が面白いとばかりに小野田の冗談の内容はエスカレートする一方だったが、毎回毎回その冗談に引っかかる方も引っかかるほうだ。
 そんな男が室長の恋話に無関心なんて、絶対におかしい。

「青木。おまえ、ずいぶん平気な顔してるけど。気にならないのか? 室長のこと」
「薪さんはそんなことしませんよ」
 隣の席の曽我が尋ねても、青木に動揺の気配はない。モニターから目を離しもせず、余裕たっぷりに言い返す。どこから湧いてくるのか、その自信の出所は不明だ。
「薪さんだって立派な男だぞ」
「大丈夫です。薪さんは犯罪者になるような真似はしません」
 キーボードの上を淀みなく長い指が滑っていく。室長ほどではないが、青木のタイピングの腕前はなかなかのものだ。
「犯罪って……そりゃレイプしたら犯罪だけど、合意の上なら別に」
「合意の上でもダメです。だって」
 エンターキーを叩き、マウスをクリックする。レーザープリンターから仕上がった書類が吐き出される。青木の今日の仕事はこれでおしまいだ。
「官房長の娘さんは、まだ中学生ですから」

 書類をホチキス止めにして、青木は席を立った。
 呆気にとられる先輩たちを尻目に、室長室へ書類を持っていく。備え付けのキャビネットの中の閲覧待ちの棚にその書類を入れると、振り返って部屋の中を見回した。
 部屋の主との昨夜の会話を思い出して、青木は思わずにやついてしまう。

「官房長の娘さんとはいえ、薪さんとデートできるなんて羨ましいです」
 大人気ない嫉妬心を恥ずかしげもなく口にする青木に、呆れたように室長は言った。
「一緒に食事するだけだ」
「本当に、食事だけですか?」
「相手は中学生だぞ。それ以上、何しろって言うんだ」
 それでも、やっぱり面白くない。
 クリスマスの山水亭がお流れになって、結局のところ薪とふたりでディナーを食べる計画は、実行に移されていない。

「知らないんですか? 最近の中学生は進んでて、性経験のある女子は50%を超えてるんですよ。薪さんみたいに押しに弱いひとは、反対に食われちゃいますよ」
「それ、僕に犯罪者になれって言ってるのか」
 たしかに、青少年保護条例違反である。
 それでもまだぶつぶつ言っている青木に、薪はある提案をしてきた。
「じゃあ、食後のコーヒーはここで飲むから」
 どうせ仕事も残っていることだし、食事が済んだら真っ直ぐ第九に戻ってくる。帰ってきた時間でデートの内容を判断すればいいだろう、というわけだ。

 あと2時間くらいで、薪はここに帰ってくる。薪のためにとびきり美味いコーヒーを淹れてやろう。
 それまでにユニットバスの工事が終わるといいのだが。あの派手な音が響いていては、せっかくのコーヒーが台無しだ。

 青木は室長室を出ると、モニタールームにいる先輩たちに声を掛けて外出することにした。
 今朝方、珈琲問屋に時間指定で頼んでおいたキリマンジャロAAの豆の焙煎が出来上がっている頃だ。今夜のディナーはフレンチだと言っていたから、この酸味のきいたコーヒーはこってりした後味を流してくれるだろう。

「中学生だってよ。薪さんてロリコンだったのか」
「いや、仕込む気かもしれないぞ。紫の上みたいに」
「光源氏かよ」
 いまだに室長の恋愛談義に花を咲かせている先輩たちに苦笑して、青木は研究室を後にする。
 2月の厳寒の空に、星がとてもきれいな夜だった。


テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
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