官房長の娘(2)

官房長の娘(2)







 豪華なシャンデリアの掛かった瀟洒なレストラン。白いナフキンにピカピカ光る銀食器。目にも美しいオマール海老の前菜の皿を前に、しかし少女は不満そうだった。
 
「剛さんと二人きりでって言ったのに、お父様の嘘つき」
 小さな声で、隣の熟年の男性に話しかける。かわいい唇を尖らせているさまが、いかにも甘やかされて育った最近の子供らしい。
「仕方ないだろう。薪くんがぼくも一緒じゃなきゃだめだって言い張るんだから」
「これじゃデートじゃなくて、ただの食事会じゃない」
 ちらちらと向かいの若い男性を見て、少女は密かにため息をつく。
 今日は2月10日。少し早めのバレンタインデートなのに、父親はその辺のことを解っているのだろうか。

 薪に夢中になっているという官房長の末娘は、今年で14歳になる。
 3人姉妹の末っ子で、名前は小野田香。2人の姉たちは父親を疎んじる年齢に差し掛かると自然に母親についてしまったが、香だけはこの年になっても父親にべったりで、小野田は目に入れても痛くないくらいこの少女を可愛がっている。
 小野田が薪との縁談を勧めている相手は、もちろんこの少女ではない。
 いくらなんでも22歳の年齢差はちょっと厳しい。よって官房長のお勧めは、一番上の26歳になる娘だ。10歳くらいなら、何とか許容範囲だろう。
 しかし、当人同士がうんと言わないことにはどうしようもない。娘のほうはそう嫌がっている様子もないが、問題は薪のほうだ。以前、この縁談を勧めたときには、にべもなく断られてしまった。別に結婚しろと命令したわけではない。会ってみるだけでもと言ったのだが、それすら断られた。そのときの断り文句がまた傑作であった。
『僕、好きな人がいますから』
 ……普通、官房長相手にこういうことは言わない。というか、こんな良縁を断るほうがおかしい。
 のっぴきならない事情があったにしても、若輩者ですから、とか私にはもったいないお話ですから、などと言ってやわらかく断るものだ。それがストレートに『好きな人がいるからあんたの娘とは付き合えない』と言ってのけた。思わず笑ってしまった小野田だった。
 それはさておき、香のことだ。
 
「香ちゃん。最近、学校のほうはどう? 楽しい?」
 薪もさすがに子供相手に皮肉は言わない。にっこりと微笑んで香に話しかける。
 整いすぎた微笑は明らかに対マスコミ用の笑顔だが、香にはそんなことはわからない。薪の美しい笑顔に、うっとりと見とれているようだ。不憫な娘である。
「ええ。剛さんは? お仕事楽しい?」
「うん、楽しいよ」
 あれが楽しいというのも、また問題だろう。

 自宅にいるときと打って変わって明るい笑顔で薪と会話を交わす愛娘の姿を見て、小野田は少々複雑な気持ちになる。
 あんな笑顔をぼくに向けてくれたのは何歳までだったかな。女の子は親よりも男を選ぶからな、と既に気分は花嫁の父である。

 この少女は14歳という多感なお年頃で、近頃反抗期というやつらしい。
 小野田にはそうでもないが、母親には反発しまくっているらしく「香を叱ってください」という妻のセリフを頻繁に聞くようになった。学校の成績は悪くなかった香だが、情緒不安定な精神が学業に影響したものか、最近目立って試験の順位は右肩下がりになっている。親としては次の期末試験では頑張って欲しいところだが、親の言うことなど聞く耳を持たないのがこの年頃の特徴である。
 そこで、小野田は娘をエサで釣ることにした。

『期末試験で20番以内に入ったら、薪くんとのデートを取り付けてやる』

 薪本人の承諾もなしに勝手に行われた約束は、恐ろしいまでの集中力で試験の順位を50番以上上げてきた末娘の努力によって、履行せざるを得なくなった。我が娘ながら見事なものだ。目的が明確になったときのがむしゃらな行動は周りの人間を瞠目させる。これは間違いなく自分の子供だ。
 しかし困った。
 薪を説得するのは一筋縄ではいかないはずだ。薪は仕事の邪魔をされるのを何よりも嫌うし、中学生の女の子とデートしてくれと言っても冷たい眼で見られて、『嫌です』と直球で断られるに違いない。
 思案顔の小野田に、昨年第九に入ってきたばかりの新人がコーヒーを持ってきたのはそんなときだ。この新人はこの1年で驚くほどに成長した。最近では、報告書にも彼の名前がよく載るという。報告書に名前が記載されるということは、それだけの功績を挙げているということだ。
『薪くんに頼みたいことがあるんだ。絶対に嫌がられそうなんだけど、どうしても引き受けて欲しいんだ。どうしたらいいと思う?』
 仕事上のことではなくプライベートなことで、薪本人が被害を受けるようなことはないと小野田が保証すると、第九の新人は薪が何度も申請しては却下されているシャワールームの改造を承認してやったらどうか、という裏取引を持ちかけてきた。
 冷暖房完備の研究室だが、コンピューター最優先の温度に設定してあるため、室温は一年を通して20~22℃。シャワーだけしか使えないとなると、夏はいいが冬は少し寒い。冬は第九の閑散期だから差し支えはないと思われるが、室長だけは一年を通して繁忙である。冬の最中にシャワーだけ、というのは風呂好きの薪にとっては耐え難いことなのだ。
 薪が風呂好きだということも、小野田にとっては初耳だ。薪のことはいつも気にかけているつもりだが、やはり一緒に仕事をしている研究室の仲間にはかなわない。
 新人がくれた情報は確かで、ユニットバスのことをチラつかせると薪は二つ返事で乗ってきた。けっこう現金な男である。
 しかし、これはあくまでポーズだ。普段から世話になっている小野田の頼みごとを、薪が無下に断るわけがない。小野田もそれは分っていて、第九の室長として気苦労の絶えない薪に何かご褒美をあげようとしているだけだ。

 捜査の特殊性から秘密にしなければならないことが多い第九の室長だが、去年の秋の麻薬がらみの事件は、特に大きな秘め事になった。
 あの麻薬売買のリストを薪が官房室に持ち込んできたときには、さすがの小野田も度肝を抜かれた。小野田なら正義を貫いてくれるかもしれない――薪はそう思って官房室を訪ねたに違いなかったが、残念ながら小野田にもそれは難しかった。
『このリストは有効に使うから。公表は諦めなさい』
『……小野田さんを信じます』
 それだけ言うと、薪は官房室を出て行った。
 それが公表できないことは、薪にも分かっている。しかし、自分の中の正義感がそれを許さない。薪の性格をよく知っている小野田には、その心情が読めた。

 表面では冷徹な皮肉屋を装っているが、中身はびっくりするくらい純情で真っ直ぐだ。自分自身を責めて責めて、今頃はきっと地の底まで落ち込んでいるに違いない。
 あの真っ直ぐなところが薪の魅力なのだが、管理者としては大きな欠点だ。あのままでは自分の後を任せることはできない。薪にはもう少し大人になってもらわなければ。
 薪はまだ36だ。あと10年もすれば清濁併せ呑むようになるだろう。自分が築いたものはそっくり薪に譲ってやるつもりだ。それまでは自分もこの椅子を守らねばならない。そのためにこのリストは有効に使わせてもらう。

 自分を信じると言った薪には可哀想だが、こういうことを避けては警察庁№3の椅子は守れない。汚い裏事情だが、現実問題として権力を持たなければ正義は貫けない。
 警察は大きな組織だ。いくら声高に正義を叫ぼうと、ピラミッドの底辺にいては何もできない。だから小野田は官房長の椅子にかじりついて離れない。
 薪が自分のように割り切って必要悪を認め、自分の正義を貫くためには上層部に食い込むしかない、と悟るのはいつのことなのか。小野田はその日を首を長くして待っているのだ。
 しかし、薪は今のところ出世に興味はないようである。

『僕はこのままでいいです。これ以上は望みません』
 警視長の昇格試験は確かに難しいが、薪の頭脳なら努力しだいで合格できるはずだ。特別承認の話も、小野田の方から持ちかけてやったというのに、断られてしまった。
 だがその理由は、試験に通る自信がないから、などという奥ゆかしいものではなかった。
『警視長になってしまったら、警察庁に戻らなくてはいけないでしょう? 警察庁の仕事は書類に判を押すだけで、つまらないですから』
 試験を受けたら受かってしまう、と言わんばかりである。自惚れが強いと誤解されがちだが、薪自身は自分の頭脳が他人より優れていることを自慢に思ってはいない。
 頭が良いのはある程度生まれつきのもので、足が速かったり手先が器用だったりするのと変わらない能力のひとつだとしか考えていない。大したことだとは思っていないから、謙遜する気もない。そこがまた周囲の反感を買ってしまうのだが。
 別に試験がよくできたからといって、何が偉いわけでもない。薪は警視正の昇格試験の最高得点記録保持者だが、本人にとっては紙切れに過ぎない表彰状よりも、第九の備品のひとつでも増やしてもらったほうが遥かにありがたい。まったく、かわいくない男である。

『僕は第九を離れたくないんです』
 薪の本音は、実はこっちだ。
 親友の愛した第九を守りたいんです――あの事件のすぐ後に、小野田は薪を警察庁に呼び戻そうとした。それを断った理由がこれだ。
 まだ、薪の傷は癒えていないらしい。第九を離れたがらないのはその証拠だ。
 いつになったら薪はあの事件の影から抜け出せるのだろう。小野田としてはそこが一番の心配の種なのだ。

 丸いテーブルの隣の席で優雅にナイフを取り上げた美貌が、小野田の複雑な眼差しを受けて小首を傾げた。
 小野田はにこりと笑って、前菜の皿に視線を戻した。




テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
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