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官房長の娘(4)

官房長の娘(4)







「どうしたんですか? その格好」
 夜の8時ごろ第九に帰ってきた室長の姿に、青木はひどく驚いた。
 この2月の寒さの中、上から下までびしょ濡れである。雨でも降ったのかと思ったがそうではない。第九の上空には先刻と同様、きれいな星空が広がっている。

「あの業者、誰が連れてきたんだ」
「ユニットバスの施工業者ですか?」
「お湯を出そうとしたら蛇口が壊れて、水が噴き出してきたんだ! おかげでこの有様、っくしゅ!!」
 薪の行動はだいたい読めた。
 第九に帰ってきて研究室に入る前に、シャワー室の工事が終わったかどうか確認に行ったのだろう。出来上がった風呂を見て、入りたくなってしまったに違いない。湯船にお湯を溜めようと新設の蛇口をひねったとたん、何故か蛇口が壊れて水を被ってしまったというわけだ。

「とりあえずオレ、水止めてきますね」
 水を止めるための止水栓は、建物の外にある。それを止めてしまうと建物全体の水が止まってしまうが、やむをえない。このままでは研究室中が水浸しになってしまう。
「大丈夫だ。バルブ回して来た」
「え、その格好で外に出たんですか?」
「仕方ないだろ。あのまま放っておいたらMRIシステムが浸水して大変なことに、ふえっくしゅ!!」
 もう一度大きなくしゃみをして、薪は寒そうに自分の肩を抱いた。
 薪の顔色は青ざめて、唇は紫色になっている。この季節に頭から冷たい水を被ったのだから無理はない。

「そのままじゃ風邪ひいちゃいますよ。どこかで暖まって服を着替えないと」
「どこかって、うちへ帰るしかないだろ。これじゃ電車には乗れないから、車のキーを取りに来たんだ」
「でも薪さんのマンションて、車だとここから1時間くらいかかりますよね。早く着替えないと。ロッカーに着替え置いてないんですか?」
「冬はあまり泊まり込みにならないから、下着くらいしか置いてないんだ」
 着替えたらよけい寒そうだ。
「そうだ。オレのアパートなら近いですよ。風呂使ってください」
 青木のアパートは第九から徒歩で20分。車なら3分くらいだ。
 しかし薪は何を思ったのか、首を縦に振ろうとしない。遠慮しているのだろうか。

「……おまえ、まさか僕を……」
「はい?」
「いや、なんでもない。大丈夫だ。キーをくれ」
「ダメですよ。服を脱いでこの毛布を着てください。オレが運転しますから」
 仮眠室から毛布を持ってきて、薪に差し出す。何を躊躇しているのか、薪は毛布を受け取ろうとしない。
「いい。平気だ」
 平気なはずがない。歯の根が合わないほど震えているではないか。
「わがまま言わないでください。行きますよ。早く脱いでください」
 しかし薪は動こうとしない。眉根を寄せて、困惑した表情を浮かべている。
 青木がいくら言っても聞こうとせず、薪はとうとう濡れた服の上から毛布を被ってしまった。
「なんで脱がないんです? 本当に風邪引いちゃいますよ」
 恥ずかしがっているのだろうか。いや、それはない。
 このひとは人前でも平気で裸になる。男同士だろ、と当然のようにシャワーの後は素っ裸でロッカールームを歩いていたはずだ。それに、薪の裸は何度も見ている。今更恥ずかしがることもないと思うが。

 まあ、無理やり脱がせるわけにもいかない。
 仕方なくそのまま車に乗せて、自分のアパートへ直行する。隣で薪が「道が違う!」「僕のマンションへはこっちじゃない!」とくしゃみを交えながらわめき散らしていたが、聞こえない振りでやりすごす。
 
「どうぞ。散らかってますけど」
 5分後にはアパートに着いて、青木は玄関のドアを開けた。しかし、今度はドアの前に立って中へ入ろうとしない。
 薪らしくない。なにをこんなに迷っているのだろう。
「どうしたんですか? 今日はなんかおかしいですよ、薪さん」
「ヘンなこと、考えてないよな?」
 …………。
「なんですか? ヘンなことって」
 わざと解らない振りをしてやると、薪は視線を逸らせて口の中で何事か呟いた。
「何もしませんよ。ってかできませんよ。薪さんのほうがオレより強いじゃないですか」
 そうなのだ。
 薪は柔道は黒帯だ。自分の倍近い体重の青木を軽々と投げ飛ばすだけの実力を、このほそいからだは持っている。だからそんなことを心配する道理はないのだ。

「なんでそんなに不安そうなんですか?」
「別に不安がってなんか、―――― っくしゅ!」
「ほら、早く中へ入ってください」
 毛布のお化けみたいになっている薪を強引に中に引き込む。こうなったら実力行使だ。
 部屋の暖房を最強にセットする。玄関の上がり口に立ったままの薪の腕を掴んで部屋に上がらせ、温風が当たる位置に座らせた。
 薪はカーペットの上に小さくうずくまって、物珍しげに周囲を見渡している。
 そういえば、ここに薪を連れてきたのは初めてだ。趣味の車のパーツや雑誌の類が乱雑に置かれている様子を見て、今ばかりは色を失った唇がそれでも皮肉を忘れない。

「掃除は得意なんじゃなかったのか?」
「自分の部屋なんて、こんなもんです」
 べつに掃除が好きなわけではない。これだって男の一人暮らしの部屋にしては、マシなほうだと思うが。
 薪の部屋はたしかにいつもきれいだが、あれは極端に物が少ないからできる芸当で、青木のように、勉強もしたいし趣味も捨てられない人間には無理だ。

「濡れたままだとよけいに寒いですよ。脱いでください」
 睨みつけられる。
 ここが研究室なら引き下がるところだが、今は仕事中ではない。
「なに恥ずかしがってんですか? 男同士でしょ。オレと同じ体なんでしょ。別にヘンなものはついてないんでしょ?」
 むかし、薪に言われたセリフをそっくりそのまま返してやる。薪がむっと眉をひそめた。

 以前は平気で自分の前を、はだかでうろちょろしていたくせに。どういった心境の変化なのだろう。
 そこで青木は、薪の変化の原因に思い当たる。
 この間のことか。
 薪の家でマッサージを頼まれたとき、その後ろ姿のあまりの美しさに、つい抱きしめて首にキスをしてしまった。
 あれは失敗だった。薪お得意の勘違いでその場は凌げたように思ったが、やはり気にしていたのか。

「はいはい、解りました。じゃあオレは風呂の用意をしてきますから。その間に着替えてください。オレの服で良かったら、そこのクローゼットに入ってますから」
 薪を部屋に残してバスルームに向かう。給湯器のスイッチを入れれば他にすることもないのだが、部屋に戻れば薪が嫌がるからここにいるしかない。
 薪には、はっきりと自分の気持ちを伝えてある。あれから4ヶ月。返事はまだもらってない。駆け引きには長すぎる時間だ。返事などしてくれる気はないのかもしれない。
 というか、そのときに実はきっぱり断られている。それでも食い下がって諦めない、と言ったのは青木のほうなのだ。
 薪には好きな人がいる。それは自分ではない。
 しかし、諦めることはない。その人物は、すでにこの世にはいないのだから。

 ピーピーという電子音が鳴って、風呂の準備が出来たことを報せた。湯加減を確認して、部屋へ薪を呼びに行く。
「薪さん、風呂の用意できましたよ。―――― あれ?」
 薪の姿はどこにもなかった。
「薪さん?」
 窓から外を見ると、表に停めておいたはずの車がない。
 薪が風呂に入っている間に彼の体格に合う着替えを調達してくるつもりだったから、車のキーは玄関に置いたままだった。それを持ち出して、自分で運転して帰ったということか。

 あの濡れた服はどうしたのだろう。服だけでも着替えて行ってくれただろうか。
 クローゼットの中を確認してみるが、青木の服で無くなっているものはなく、薪はあのびしょぬれの格好のまま自宅へ帰ってしまったものと思われた。
「そんなに警戒しなくたって」

 ふと、ジャケットの列が乱れているのに気付く。

 収納スペースをフルに使うため、ジャケットを吊るすためのバーは最上段に設置してある。きちんと並んだジャケットの中に一枚だけ、小さなジャケットが斜めになっている。
 手前が低く、奥が高い状態―――― つまり、背の低い人物が、背伸びをしてこの上着を引っ張って取ろうしたということだ。

「あ……しまった」
 薪は、この上着に気付いたのだ。
「まずいな。怒ったかな」
 自分がしてしまった行為に対して、自責の念が沸いてくる。
 薪にしてみたら、裏切られたような気分になっているのかもしれない。薪のことを好きだと言っておきながら、こんなことをしているなんて。
「怒るよな。気分悪いもんな、こういうの」
 薪の携帯は案の定、留守番電話だった。やはり怒っている。

 明日謝るしかないが、何と言おう。
 確かに嫌われても仕方のないことを、自分はしているのだ。しかし薪には悪いが、この上着は自分にとってはとても大切なものだ。絶対に捨てることなどできない。

 自分の上着と比べるとひどく小さなジャケットをきちんとバーに掛け直して、青木は薪への言い訳を考え始めた。


テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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