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官房長の娘(9)

官房長の娘(9)






 薪の退院は、2日後の夜だった。
 医師からの許可が下りたわけではなく、脱走に近い状態で病院から出てきた。熱さえ下がれば医者にも薬にも用はない。薪は薬が嫌いだし、病院はもっと嫌いだ。今回は不覚を取ったが、風邪なんか気合で治すものだ。本来は病院になどかかる必要はなかったのだ。

 岡部のやつが大げさに騒ぎ立てるから、と3日前は立つこともできなかった自分をきれいに忘れて、薪は部下の心配性に肩を竦める。おかげで大分仕事が遅れてしまった。
 自分がいない間に、連中はたるみきっているに違いない。明日からはビシビシ行かなくては、と第九の面々が聞いたら泣き出しそうな決意を胸に秘めて、薪は病院から真っ直ぐに職場へと向かった。

 セキュリティが掛かっている時刻だが、10桁の解除コードは暗記している。
 青木が担当していた南青山の放火事件の報告書は、明日が提出期限だ。今日のうちにあれだけは所見をつけなければ。でないと、期限より3日も早く報告書をまとめた青木の苦労が無駄になる。それに、明日は定例会議もある。その資料も作成しなくてはならない。悠長に休んでいるヒマなどないのだ。

 とっくに誰もいないと思っていたのに、第九には明かりが点いていた。
 背の高い新人が、昔の捜査資料を紐解いている。
 熱心なのはいいが、せっかく早く帰れるチャンスを自主学習に使うなんてバカなやつだ。それとも、今日は彼女のほうの都合がつかなかったのか。だとしたら不幸なやつだ。
 自分が職場に復帰したらそんな時間はない。MRIのラーニングテストをしてバックアップを録って。進行中の事件がなくても、やることは山ほどある。

「室長。身体のほうはもういいんですか?」
 薪の姿を見て、びっくりしたように声を掛けてくる。3日前の薪の陰険な態度に対する、わだかまりはないようだ。
「3日も寝てたら頭がボケそうでな。逃げ出してきた」
「え、勝手に出てきちゃったんですか?」
「自主退院だ。お金はちゃんと払ってきたぞ」
 まったく無茶ばっかりして、とぶつぶつ言い始める青木の肩越しに、資料を覗き込む。
 右手の下のメモを見ると、いくつかの事件を抜粋して統計を取っているらしい。PCの画面には誘拐事件のファイルが開かれている。自主学習にしてはずいぶん細かいところまできっちりと調べ上げている。なんだか会議用の資料のような。

「なにやってんだ、おまえ」
「明日の定例会議に、これ使えませんか」
「べつにこんなこと頼んでないだろ」
「はい。でも、作っておけば役に立つかと思って」
 自分の仕事でもないのに物好きなやつだ。
 岡部といいこいつといい、どうして余計なことばかりするんだ。こっちが頼みもしないことを押し付けがましく。
 でも、まあまあ良くできている。使えないこともない。
 少しは役に立つようになったな、と心の中で褒めてやって、しかし表面はいつもの冷たい無表情だ。その貌から薪の褒め言葉を読み取ることは不可能に近い。

「薪さん。オレ、あれから色々考えたんですけど」
「なにをだ」
「上着のことです」
 またその話か。
「あれ、どうしても捨てなくちゃダメですか?」
 どうして僕に訊くんだろう。べつに捨てろなんて言ってない。子供じゃないんだから、上着どころか下着があってもおかしくない。それを責める気もないし、責める権利もない。だから薪は返事ができない。

 薪の沈黙をどう取ったのか、青木はがっくりと肩を落とした。
「分かりました。あれは捨てます。でも、オレにはどうしてもできませんから、薪さんが捨ててください」
 青木は自分の机の引き出しから紙袋を取り出した。中に問題のジャケットが入っている。
「そう言われるかと思って、持ってきてたんです」
「なんで僕がおまえのゴミの始末をしなきゃいけないんだ」
 薪の尤もな言い分を聞こうともせず、青木は俯いてなにやら呟き始めた。この新人は落ち込みだすと、ひとりで納得するようにぶつぶつ言うクセがある。

「そうですよね。オレだって、同じことされたら気味が悪いです」
 気味が悪い? 気分が悪いの間違いじゃないのか―――― そう言いかけて薪は口を閉ざす。
 自分は気分を害してなどいない。青木に彼女ができたからって、気分が悪くなる理由がない。それじゃまるでヤキモ……ないないない。それはない。

「ゾッとしますよね。気持ち悪いですもんね」
 ……なんか、ニュアンスがちがう。今時の若いもんは、日本語もまともに使えないのか。
「ゾッとする? なんでだ?」
「なんでって、捨てたはずの自分の服を誰かがずっと持ってたら、ゾッとするでしょ」
 彼女が捨てていったものだったのか。しかしまだ新しいものに見えたが。

「他人が持ってたらそうかもしれないが、彼女の服ならべつに構わないだろ」
「はあ? 彼女?」
 青木は素っ頓狂な声を上げた。
 眼鏡の奥の黒い眼を何度もしばたかせ、不思議そうな顔をしている。素直に認めればいいものを、なんて白々しい。また腹が立ってきた。
 
「わかった、僕も正直に言おう。確かに僕はその上着に気付いてた。でも、おまえがきちんと報告をして来ないのが悪いんだ。だから、おまえが僕にされたことは全部忘れろ」
「忘れろって」
「特に先月のアレだ。悪かった。だけど知らなかったから」
 そこで薪は突然、キレた。
「だって言わなきゃわかんないだろ! 僕はずっとそう思い込んでたんだから!」
「言うって、何をですか?」
「おまえが本当は、その上着の持ち主が好きだってことをだ!」
「はい。大好きですけど」
 こいつ抜け抜けと……!
 報告しろと言ったのは自分だが、言われたら言われたでやっぱり腹が立つ。半人前のクセに、やることやりやがって!

 怒りを抑えて薪は相手のことを聞きだしにかかった。これも室長の仕事だ。
「いつからだ」
「ええと、気になりだしたのは、4月の始めくらいでした」
「そんなに前からか!?」
 青木の答えに驚いて、付けたばかりの冷静な室長の仮面は落ちてしまった。
 それでは自分に告白するより半年も前に、彼女に恋をしていたということではないか。そして秋物のジャケットが必要な季節には、家に出入りする仲になっていたということだ。順調に進展しているじゃないか。

「じゃあなんで僕にあんなこと言ったんだ? おまえ、僕をからかってたのか!?」
 騙された。自分は恋愛経験が少ないから、冗談を真に受けてしまったのだ。こんな12歳も年下の若造の戯言に振り回されて!
「ッざけんな! 僕がどれだけ悩んだと思ってんだ!」
 声を抑えることなどできなかった。
 耳を劈くような金切り声で、薪はがなりたてた。
 
「最近の若いもんはみんなこうなのか? 好きな女がいるのに、他の人間を口説いたりできるのか? 好きでもないやつとキスしても平気なのか? 僕なんか」
 鈴木だけで手一杯なのに。頭のてっぺんから爪の先まで、全部捧げてしまっているのに。

「ちょっと待ってください。薪さん、さっきからなんかおかしいです」
「おかしいのはおまえの頭だ!!」
 許せない。
 薪は昔から、不倫や二股といった不誠実な行為が大嫌いだ。男でも女でも、そういうことをする人間を心の底から軽蔑している。風俗嬢はいい。あれは商売だ。客のほうも、ちゃんとそれを心得ている。
 でも、妻や恋人がいるのならそういうことは絶対だめだ。相手の純心を踏みにじって、それでも自分の欲望を満たそうとする人間には、憎しみすら覚える。

「彼女に悪いと思わなかったのか!」
「……誰の?」
「おまえの彼女に決まってるだろ!」
「オレ、彼女とは1年前に別れましたけど」
 青木がまたとぼけたことを言い出す。ごまかされてたまるか。物証(ネタ)は上がっているのだ。
「それからは、ずっと薪さん一筋ですよ」
 この期に及んでまだ言うか。もう騙されない。

「おまえ今、この上着の持ち主が大好きだって言ったじゃないか」
「言いましたけど」
 悪びれていない。理解できない。
「何様のつもりだ! 僕とこの上着の持ち主と、2人とも好きだとか言うつもりじゃないだろな!」

 薪の言葉に、青木は目を丸くした。すぐに納得したような顔になって「また得意の勘違いですか」などと失礼なことをほざいた挙句、問題のジャケットを両手で持ち上げて顔の前で広げ、しげしげと眺めた。
「ジャケット一枚で、なんでこんな騒ぎになるかなあ……」
 ダークグレイの三つボタン。間近で見るとなかなかいい品だ。品があってスマートだ。青木の彼女は趣味がいい。
 
「これ、薪さんのですよ」
 青木の釈明に、薪は目眩を覚えた。
 バカだ、こいつ。
 現物が目の前にあるのに、こんな嘘を吐くなんて。
 浮気したら一発でバレるタイプだ。そんでもってつまらない嘘をついて余計に怒らせて、一気に離婚まで進むパターンだ。

「見え透いた嘘をつくな。僕はこんなに小さくな……」
 青木は、無言でジャケットを薪の肩にかけた。
 細身のダークグレイのジャケットは、あつらえたように薪の身体にぴったりだった。
「あれ?」
 よくよく見れば細身ではあるが、男物だ。周囲にあった青木のジャケットがあまりにも大きすぎて、錯覚で実際より小さく見えたらしい。
 
「こないだの異動願いといいこのジャケットといい、どうして勝手に思い込むんですか? オレのことで何かあったら、今度からは直接オレに訊いてください。オレ、薪さんには絶対にウソなんかつきませんから」
 薪はジャケットの裏を見て、ネームを確認する。確かに自分のものだ。しかし、自分が青木の家に行ったのはあれが初めてだ。忘れ物などできるはずがない。
「おまえ、これどうやって手に入れたんだ?」
「覚えてませんか? 昔オレが、ゲロ吐いて汚しちゃったジャケットです」
「ゲロ?」
 ……思い出した。
 たしかこいつがまだ第九に入って半年くらいの頃、現場に連れて行って腐乱死体を見せたことがある。青木の様子が死体に近づく前からやばそうだったから、後ろで上着を構えていた。
 鑑識の仕事も済んでいない現場に、無関係な人間の吐瀉物なんか落とせない。ましてや岡部の後輩に無理を言って、管轄外の現場に入らせてもらったのだ。それ以上の迷惑を掛けるわけにはいかなかった。

「これ、おまえのゲロ……!」
 その時の状況を思い出し、薪は慌てて肩を揺すってジャケットを振り落とした。
「汚くないですよ。ちゃんとクリーニングかかってますから」
「それは……クリーニング屋もそうとう迷惑だったんじゃ」
「自分で洗ってからクリーニングに出したんですけど。やっぱり臭かったみたいで、嫌な顔されちゃいました」
 もう半年以上も前のことだ。とっくに忘れていた。

「なんで捨てなかったんだ? そんな汚いもの」
「捨てられないです。オレはあのとき、薪さんに大切なことを教えてもらいました。オレが警察官としてこれからやっていくために、一番重要なことです。その時の大切な記念の品なんです。だからどうしても捨てられなくて」
 床に落ちたジャケットを拾い上げて、青木は自嘲混じりに懺悔した。
「あのとき薪さんは、オレに話してくれましたよね。自分の倫理観や創るべき社会のあり方や、守るべき人々を深く愛して感謝する心や―――― ああ、カッコイイなあと思って。オレ、あの時から薪さんにぞっこんなんです」
 自分の言葉に照れたように笑う。その笑顔は、やはり薪の心を騒がせる。

「でも、やっぱり気持ち悪いですよね。自分の服を他人がずっと持ってるなんて。まるでストーカーみたいですもんね。ほんとうに、すみませんでした」
 青木は深く頭を下げて、ジャケットを薪に差し出した。


テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Aさまへ

Aさま。

>恋愛経験が少ないと馬鹿にされる

いやいや、そんな人ばかりじゃないですよ。初心なのがいい、スレてない方がいいって言ってくれる人もいるはずです。

宗教関係は~、
はい、わたしも中学の時の同級生から15年ぶりくらいに突然電話があって、勧誘されたことあります。なんと言って断ったかは忘れてしまいましたが。


>きっとナイトな岡部さんが

ええ、それはもう!
公私に渡ってずっと薪さんを守ってきたのは岡部さんであったと!

青木さんは薪さんに守られる側ですからね。謂わば彼は姫でして、騎士ではない。
しかし、人間が一番の強さを発揮するのは誰かを守ろうとするときなんですよね。 青木さんの存在は薪さんを強くしてくれるのです。ただいま推敲中の長編はそういう話に、したかったけどなんだか焦点が定まらなくてぐだぐだになって沈没しました、残念!(>_<)
プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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