冬の七夕(3)

冬の七夕(3)







 建物の中に入ると、外の寒さが嘘のようだった。
 もうコートはいらない。薪と密着できる理由もなくなって、ちょっとだけ残念だ。このままもう少し話がしたいところだが、もう自室に引き取ってしまうのだろう。
 ところが。

「寄っていかないか」
 薪がそう言って立ち止まったのは、大浴場の前。
「体が冷えただろ。温まっておいたほうがいいぞ」
 男湯と書かれた藍染の暖簾をくぐって、薪は中へ入っていく。脱衣所には数人の泊り客がいて、中には薪の顔を訝しそうに見ている者もちらほら。
 薪のはだかは見たいけれど、他人には見せたくない。

「部屋で入ったらどうですか? 薪さんの部屋って、露天風呂がありましたよね」
 薪の部屋は、露天風呂付きの個室だ。
 他のものは3人ずつに分かれての普通の客室だが、1年に1回の慰安旅行。重責に身を置く室長に、このくらいの贅沢をさせてやりたいではないか。
 薪の風呂好きは、第九の職員なら今やだれもが知っていることだから、そのことに文句を言うものはいない。

「あそこじゃ体が洗えないんだ。内風呂も付いてるけど、狭いし」
 薪が浴衣の帯を解きはじめたの見て、青木は慌てて目を逸らす。
 青木の視界ギリギリの位置で、薪はさっさと浴衣を脱ぎ、脱衣篭に入れる。周囲の目などまったく意に介さない。
 普通に考えれば男同士なのだから当たり前なのだが、薪は自分の気持ちを知っているはずだ。
 無神経というか、気にしないというか。それとも、薪の中では、あれはもう済んだことなのだろうか。
 あれからずいぶん経つのに、一向に返事をくれないし……。

 ぼうっと考えている間に、薪は摺りガラスの向こうに消えていた。
 我に返って、服を脱ぐ。時計とメガネを浴衣の下に隠して、タオルを手に薪の後を追いかけた。

 青木の近視は、かなり強い。
 メガネを取ると、物の輪郭がぼやけて見える。不便だが入浴のときだけは仕方がない。メガネを掛けていたら曇ってしまって、視界は真っ白になる。逆になにも見えない。
 大浴場には、数人の人影。顔が見えないので、薪を探すのは厄介かと思われたが。

 何故だか、一目でわかった。

 周囲から、薪が浮き上がって見える。
 これはどういう作用なのだろう。突然、視力が良くなったみたいだ。
 立ってシャワーを浴びている。華奢な手がシャワーヘッドを掴んで、水流が体についた泡を落としていく。

 白い肌。繻子のように光る産毛。
 しなやかな背中は、麗しさに満ちて限りなく清らかに。
 男にしてはくびれの強いウエスト。丸みを帯びた尻から伸びる、理想的な形の足。太腿からふくらはぎのラインが、例えようもなく美しい。
 まぶしい、というか、神々しい。とても迂闊に触れられる雰囲気ではない。
 いや、触れてしまったら。大変なことになりそうな気がする……。

 青木はわざと薪から離れた場所で体を洗い、湯船に浸かった。
 髪を洗い終えた薪が青木の姿を見つけて、こちらへ歩いてくる。さすがに公共の浴場だから腰にタオルを巻いているが、見えない分だけ扇情的だと思うのは青木だけだろうか。

「ああ、気持ちいい。大きい風呂って、いいよな」
 このひとが素直に笑うのは、風呂に入っているときと、大好きな吟醸酒を飲んでいるときだけだ。仕事中には絶対にこんな顔は見られない。
「両手両足を伸ばしても、壁に触らないのがいいんだ」
 言葉の通りに、手足を思い切り伸ばして見せる。両腕を広げて微笑んでいる姿は、まるで青木を誘っているようだ。

 胸が苦しい。息が上手くできない。

 どうしてこんなにきれいなのだろう。
 男の人なのに、どうしてこんなにも自分の心を掻き乱すのか。

 濡れた髪から、桜色に染まった首筋から、無意識に発せられるかすかな色香。
 それは、男に愛された経験からくるものなのだろうか。かつての親友との遠い過去から―――― それとも未だにかれを想い続けている、薪の恋心のせいなのか。

 夢の中や想像の中なら、乱れさせることもできるのに。恥ずかしい行為をさせることもできるのに。
 目の前にしてしまったら……何もできない。
 美しすぎて、眩しすぎて、手が出ない。

「青木」
 このひとは、本当に人間なんだろうか。
 天使とか、神様とか、そういう世界に生まれたはずが、何かの間違いでここに来てしまったのじゃないだろうか。
「青木」
 このひとの存在こそが奇跡だ。
 人生の中で、たとえ今の瞬間だけだとしても、このひとの人生に交われたことに感謝する。幾ばくかのときを共に過ごせたことだけでも、自分は幸せだ――――。
「おい、あお…」
 亜麻色の瞳の誘惑に、眩暈がする。
 意識が遠のきそうだ。
 薪の姿が、次第に霞んでいく。湯煙に溶け込むように、白く白くほどけていって……。

 やがて、薪は完全に湯気の中に消えてしまった。何も見えなくなって、青木の視界は不意に暗転した。

 生ぬるい液体が口から頬に伝う感触に、青木は目を覚ました。
 ぼんやりとした視界に飛び込んできたのは、びっくりするくらい長くてきれいな睫毛。口唇に当たっている感触は、やわらかくて甘い、濡れた果実のような薪の。
「お、気がついたか?」
 青木が目を開けると、薪はさっと身体を離し、脱衣所の床に腰を下ろした。髪は濡れたままだが、きちんと浴衣を着ている。
 木板を張った天井が見える。蛍光灯の明かりが、現実の薪をはっきりと映し出している。幻想の世界から現実世界に戻ってきたようだ。

「ったく、おまえときたら。どんだけ僕に迷惑掛ければ気が済むんだ。自分の体重、考えて湯あたりしろ」
 湯船に沈んでしまった自分を、一緒にいた宿泊客と薪が引きあげてくれたらしい。重くて重くて、4人がかりだったんだぞ、と薪は言った。
 礼を言いたかったが、他の客たちは引き上げてしまったらしい。新たに入ってくる客もいないようで、熱気のこもった脱衣所には、薪の他にひとはいなかった。
「ほら。あとは自分で飲めよ」
 冷たいペットボトルを渡される。薪がこれを口移しに飲ませてくれたのだと分かって、青木は頬が熱くなるのを感じた。
 
「青木。僕の部屋で寝るか?」
「え!?」
 ドライヤーで髪を乾かしながら、薪は何でもないことのように言った。
 青木の心臓が、ドキドキと騒ぎ始める。
 自分の気持ちを知りながら部屋に誘ってくれるなんて、もしかしたら。

「ここに来る時、ずっと運転してたから疲れたんだろ。だから湯あたりしたんだ。あいつらは部屋でも夜通し飲むから、眠れたもんじゃないぞ。僕の部屋なら個室だから」
 なんだ、そういう意味か。まあ、そんなことだとは思ったが。
 でも、浴衣姿の薪と部屋でふたりきりなんて。それは別の意味で眠れなくなりそうだ。

「大丈夫です」
「明日はみんな二日酔いだろうから、帰りもおまえが運転だぞ。眠っておいたほうがいい」
「でも」
「月曜日の業務に差し支えるだろ。これは室長命令だ」
 それを出されてしまっては、頷くしかない。
 青木は複雑な気持ちを押し殺して、はい、と返事をした。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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