桜(2)

桜(2)






 通勤ラッシュの波に揉まれて、霞ヶ関の雑踏を歩く。
 青木のアパートから勤務先までは徒歩20分程度の距離で、いつもなら歩いてくるのだが今日は地下鉄を使った。
 別に、寝坊したわけではない。アパートの前の公園を通りかかったときに見かけた桜があまりにもきれいで、つい見とれてしまった。気が付いたら出勤時間ぎりぎりになっていた。

 日本という国が美しいのは四季があるからだ、と青木は思う。
 春爛漫。
 青木の一番好きな季節だ。冬の寒さに耐えた後、あちらこちらに春の花が咲き始めて新しい生活が始まる。なんとなく気分もうきうきする。
 しかし、この気分も第九の門をくぐるまでだ。職場に近づくにつれ、青木の足取りは重くなる。

 今年の1月に念願の第九に配属になって、2ヶ月。
 まさか、あんなところだとは思わなかった。

 毎日毎日、見せられるのは殺人の画ばかり。それも修正がかけられたものではなく、現実の生々しい画像である。これがビデオ撮影されたものならまだましなのだが、殺された被害者のものとなると、その恐怖と衝撃のために現実よりおどろおどろしいものになっている。
 目に見えるものを見ずに隠された真実を見抜け――先輩はそうアドバイスをくれるのだが、実際に見てしまうとどうしてもそれに引きずられてしまう。2ヶ月経っても一向に慣れない。

 自分には向かないのかもしれない、と青木は思い始めている。

 何より気が重いのは、室長のことだ。
 毎日のように叱られて、二言目には異動願いを出せ、と言われる。
 単に自分のことが気に入らないのか、あのときの出すぎた真似を怒っているのか。

 第九に入って1週間もしないうちに、青木は室長の過去の傷を抉るような真似をしてしまった。
 あの時は、そうすることが室長の重荷を軽くする唯一の方法だと信じていたのだが、果たして正しかったのか。そのあとの室長の態度を見ていると、間違っていたような気がしてならない。
 新参者の自分が、室長のいちばん深い傷に触れてしまった。癒してやれたわけでもなく、ただ残酷に真実を見せつけただけだ。

 あれを見て、室長の苦悩はますます深まったのではないか―――― そう思うと、いたたまれない。
 自分は、薪室長に憧れて第九に転属願いを出したのだ。その自分が、室長の苦しみを増大させるような真似をしてしまった。そんな後悔が青木の頭から離れない。

 室長は、本当は自分の顔を見るのも嫌なのではないか。
 この頃は、そんなことまで考えてしまう。
 そこに追い討ちをかけるように『おまえに第九は勤まらない』『異動願を出せ』と言われると、青木は地の底まで落ち込んでしまう。

 一番つらいのは、こんなに冷たくされているのに室長を嫌いになれないことだ。
 相手を恨むことができればいっそ楽なのだが、あいにく青木の中で室長に対する憧れは色褪せないどころか、ますます大きくなっている。
 とにかく、凄いのだ。
 あんなひとは見たことがない。小説の中に出てくる名探偵のように、ずばずば犯人を言い当てる。捜一からの資料で犯人の動機を推理して、MRIは検証に使うだけ、ということも多々ある。

 天才の呼び名も高い第九の室長、薪剛警視正。
 その仕事ぶりを間近で見て、卓越した推理能力を見せつけられて、魅了されない捜査官などいない。みな、彼のように鮮やかに事件を解決することを切望しているのだ。

 室長との才能の差があまりに大きすぎて、自信を喪失してしまう者もいる。
 第九に入ってくるのは、殆どが東大・京大卒のエリートばかり。言い換えれば、自分の頭脳に自信を持った人間ばかりだ。それが室長の前に出ると、まるで中学生が大学生と一緒に仕事をしているような、絶対的な実力の差を思い知らされる。
 それは彼らには耐え難い屈辱で、そのために第九を去る者も多い。実際、青木が第九に来てから2ヶ月の間に、2人の新人が辞めていった。

 しかし、室長の方にも大いに問題はある。

 室長は仕事のこととなると、とにかく厳しい。
 相手のプライドなど考えずに皆の前で叱りつけるし、バカとか無能とか役立たずとか、およそエリートが今まで言われたことのないような言葉で怒鳴りつけたりもする。
 加えて、あの無愛想な顔。いつも眉を険しく上げて、睨むような目でひとを見る。
 せっかくきれいな顔をしているのに、怒ってばかりでは美人が台無しだ。室長の笑顔など見た事がない、と先輩たちも言っていた。

 室長が笑うとすれば、何か意地悪なことを考えて、誰かをやり込めてやろうとするときだけだ。基本的に、意地の悪いひとなのだ。もちろんそのときの笑顔は、口の端だけを歪めたような陰険な笑みで、好ましいものではない。
 捜査官としての薪はともかく、人間としての薪はとても好きになれそうにない。だが、薪の明晰な推理能力には、どうしようもなく惹きつけられてしまう。

 青木が警察官になろうと思ったきっかけも、大学時代に薪のことを書いた新聞記事を読んだからだ。
 青木はもともと弁護士を目指していた。それで東大の法学部に入った。
 それが、在学中に見た新聞記事で、弱冠27歳で警視正に昇任したエリートが、新設された科学警察研究所法医第九研究室の室長に任命されたことを知った。それからの彼のめざましい活躍を知るにつれ、青木は自分も第九で働きたいと思うようになったのだ。
 
 そこまで憧れて、薪のもとに来たのだ。ちょっとやそっとのことではこの思いは消えない。だから青木は第九を去れない。
 それに、一応青木にも東大法卒のプライドがある。第九を辞めるにしても、今の役立たずのままではまるで負け犬だ。少しでも自分を室長に認めさせてから異動願を出して、惜しかった、と後悔させてやりたい。

 正門の前に立ち、自分の職場を見上げて青木はため息をつく。
「よし。今日も頑張るか」
 言葉に出して、自分を鼓舞する。そうでもしないと気力が萎えてしまいそうだ。
 
 青木はゆっくりと、第九の門をくぐった。



テーマ : 二次創作
ジャンル : 小説・文学

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2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
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