二年目の桜(5)

二年目の桜(5)





 シュッと自動ドアの音がして、VIPな客が現れた。モニタールームの全員が立ち上がって敬礼する。

「どうしたの。暗い顔して」
 飄々とした雰囲気をまとい、のんびりと歩いてくる熟年の紳士。薪のパトロンと陰で噂される、小野田官房長その人である。
「ははあ。さては例の事件、動機が出てこないんだね」
「ご明察です」
 岡部が小野田の言葉に答える。薪がいないときは岡部が室長の代わりだ。
「今日はどのようなご用件で?」
「決まってるじゃない。愛する薪くんの顔を見に来たんだよ」
 小野田はこういう色モノジョークが大好きだ。薪本人がそれを聞いて厭な顔をするのも楽しいし、第九の新人が焦りまくるのを見るのは、もっと楽しい。

「室長なら、いま風呂に入ってますよ。官房長のおかげでちゃんとした風呂がついたもんだから、喜んじゃって。ほとんど室長専用の風呂になってます」
「そっか。じゃあ邪魔しちゃ悪いね」
「仕事のことなら、俺が代わりに伺いましょうか」
「いや。仕事のことじゃなくて。ちょっと薪くんに確かめたいことがあったんだ」
 小野田は少し困った顔をしていたが、コーヒーを持ってきた新人の姿を見ると、思い出したように言った。
「そうだ。青木くんて薪くんのこと詳しかったよね。もしかしたらきみ、知ってるんじゃないかな」
「何をですか?」
「薪くんのお尻に、ホクロがあるかどうか」
 がしゃん! という音がして、小野田のコーヒーは床に飲まれた。第九の新人が純情なのは知っていたが、ここまで過敏に反応しなくてもいいのに。

「そんなこと知るわけないじゃないですか!」
「そうだよねえ」
 顔を真っ赤にしている新人を心の中で笑いながら、小野田は肩を落としてみせた。
 やはり本人でないと無理か。あまり本人には聞かせたくないのだが。

 そんな小野田のジレンマを解消してくれたのは、第九のベテラン捜査官だった。
「ああ。ありますね」
「本当かい? 岡部くん」
 さすがは腹心の部下である。薪のことなら何でも知っているらしい。
「右側の尻だったよな、曽我」
「そうでしたっけ? ホクロはたしかにありましたけど」
「岡部さんの言う通り、右側だよ。間違いない」
「俺も覚えてる。足の付け根のところだろ」
「そうそう。前かがみになるとよく見えるんだよな」
 話を聞いていた第九の職員たちが、口を揃えて証言する。薪の体の特徴を知っているのは、岡部だけではないらしい。慰安旅行で、温泉にでも行ったことがあるのだろうか。

「なんでみんな知ってんですか!? 前かがみってなんですか!?」
 小野田の疑問を代わりに口にしてくれたのは、一人だけその事実を知らなかった第九の新人だった。

「なんでって。薪さん、風呂から上がったらいつもすっぽんぽんだろうが」
「パンツ穿くとき、前にかがむだろ。その時に見えるんだよ」
 小野田には初耳だった。
 風呂上りの薪が、そんなオヤジのように裸でうろうろしているなんて。しかもここは職場ではないか。
「そうなの? あの薪くんが?」
「はい。肌が湿っているうちに服を着るのは気持ち悪いって、いつもロッカールームで裸のまんまうろちょろしてます。青木だって何度も見てるだろ?」
「オレにはとても直視できません」
 純情な新人は、同性の裸を見るのも恥ずかしいらしい。今は共同浴場に入れない若い男が増えているそうだが、この新人もそのクチだろうか。

「だって、あの顔だろ。つい見ちゃうよな」
 薪は顔だけ見たら、女優が裸足で逃げ出しそうな美貌の持ち主だ。その人間がはだかで歩いていたら、目を奪われるのが当たり前だ。
「そんでもって下のほうを見てさ、ああやっぱり付いてんだなって思って、そこで現実に戻って来るんだよな」
「オレはもう戻れないです」
「ん? なんか言ったか?青木」
「いえ。何でもないです」

 多少、意味不明の会話はあったものの、小野田の疑問は解消された。が、これによってもうひとつの疑問が首をもたげてくる。
「岡部くん。ちょっといい?」
 小野田は岡部にだけは事情を説明することにした。主不在の室長室に連れ立って入り、薪がいつもベッドの代わりにしている寝椅子に腰をおろす。
 岡部は薪がいちばん信頼している部下だ。プライベートでもよく一緒に飲みに行くし、自宅の出入りも自由だ。誠実で温厚な人柄に加え、体格もよく力も強い。しかも柔道5段剣道3段という武道の達人でもある。薪のボディーガードには最適の人物だ。

「薪さんの尻にホクロがあると、何かまずいんですか?」
「間宮が知ってるんだよ。薪くんのホクロのこと。不思議だろ?」
「間宮って警務部長の?」
 間宮の名前を聞くと、岡部は顔をしかめた。
 この下半身に節操がない警務部長が、薪を執拗に狙っていることは、岡部も知っている。
 警務部には決して薪をひとりでは行かせないようにしているし、第九の人間が参加できない会議のときには、捜一の後輩や友人にそれとなく気を使ってくれるように配慮している。
ただ、薪本人はそれほどの危機感は持っておらず、自分のほうが強いから平気だ、と岡部の心配性を笑い飛ばしている。薪が柔道2段の腕前とはいえ、体は間宮のほうがずっと大きいのだし、自由を奪う手段は何も腕力だけとは限らない。薪の考えは甘いのだ。

「なんで間宮とそんな話になったんです?」
「あいつ、ぼくのところの事務員に手を出したんだ。あんまり見境がないから、ひとこと言ってやろうと思ってね」
 見目麗しい者を見れば、男女の見境なくベッドに連れ込むと評判の男だが、官房長のテリトリーの者まで毒牙に掛けるとは。いい度胸というか、バカというか。
「本当にケダモノみたいなやつですね」
「猿並みだけど知恵もあるんだよ。その事務員、ぼくがいない間にぼくの机をごそごそ嗅ぎまわっていたから」
「……例のリストですか」
 岡部は、もと捜一のエースだ。勘もいいし頭も切れる。学歴ばかり高くて現場慣れしていないキャリアより、よほど優秀だ。
 
「もちろん、そんなところには置いておかないから。事務員は来月付けで異動にすることにしたし、そっちは済んだんだ。問題は薪くんのほうだよ。薪くんがいくらシャワーのあと裸でうろうろしてるって言っても、警察庁内を歩き回ってるわけじゃないだろ?」
 それでは露出狂である。

「当たり前です。第九のロッカールームの中だけのことですよ」
「じゃあ、間宮はいったいどこでそれを見たんだろ」
「薪さんの話は、どこからでてきたんですか?」
「ぼくも事務員のことで頭に来たからさ。正式な妻と子供がありながら次々と他の人間と関係するのは、警察官として如何なものかと注意してやったんだよ。そしたら、僕と薪くんの噂を引き合いに出してきてさ」
 もちろんその噂は根も葉もないデマだ。薪の早すぎる出世をやっかむ者たちによる、陰湿な陰口である。
「失礼なやつですね。あんな噂を真に受けて」
「いいんだよ。ああいう輩を牽制するために、敢えて否定しないでいるんだから」
「それで、小野田さんはなんて答えたんです?」
「ぼくは君みたいに目移りしないで、薪くん一筋だからいいんだって言ってやった」

 それは敢えて否定しないというよりは、噂に尾ひれをつけているような。薪が聞いたら、青筋を立てて怒りまくるに違いない。
 しかし、間宮のような男に、本当のことを言っても無駄かもしれない。
 色欲抜きの好意というものが、あの男の思考には存在しないのだ。捜査官としての薪の才能に惚れているとか、高潔な人柄に惹かれて彼の後押しをしている、と言ってもどうせ信じないだろう。
 
「そうしたら間宮のやつ、よっぽど頭にきたらしくて。薪くんの身体はそんなにいいんですか、とか始まっちゃってさ。
 細いけど、腰周りの筋肉はけっこう発達してるから、さぞ腰の使い方は上手なんでしょうとか。男にしてはウエストのくびれが強いのは頻繁にその運動をするからでしょうとか。そんなことを言い出すから見たことがあるのかって聞いたら、『右のお尻の下にホクロがあるでしょう』って」
 不思議だ。
 間宮は第九に来たことはないし、薪の自宅にも行ったことがないはずだ。他に薪が下着を脱ぐ場所といえば、トイレくらいのものだが。

「あと考えられるのは、警視庁のプールかな」
「いえ。あそこではちゃんと、腰にタオルを巻いて着替えてますよ。あのジムはいろんな人が利用しますから」
 薪は羞恥心がないわけでも、常識がないわけでもない。ただ薪にとって、第九はもはや自分の家と同じで部下たちは身内同然だから、気を使う必要もないと思っているのだろう。
「まあ、どこかで見たんでしょう。そんなに気にすることはないですよ。薪さんのことは、俺ががっちりガードしてますから」
 間宮が薪に接触した事実はない。そんなことがあれば、薪は必ず岡部に言うはずだし、室長室のキャビネットはとっくに蹴り壊されているはずである。

「それがね、ぼくも咄嗟に言われたもんだから言葉に詰まっちゃってさ。そしたらあいつ、そんなことだけはめっぽう勘が働くみたいで。薪くんとぼくの間には何もないって分かっちゃったらしいんだ」
 実際に何もないのだから、それでいいではないか。ひとりでも誤解する人間が減れば、薪は喜ぶだろう。
「真実を理解してもらえて、良かったじゃないですか」
「良くないよ。薪くんがぼくの愛人じゃないって分かったら、間宮のやつはもう遠慮しないよ。これまではぼくに気兼ねして、薪くんに手を出さなかったんだから。あいつがその気になったら、力づくでも脅しでも何でもやるよ。拳銃を突きつけられて辱められた女子職員もいるって噂だよ」
 本当だろうか。警察署内でそんなことが。
「犯罪じゃないですか、それ。なんで放っておくんですか」
「レイプは申告罪だからね。被害者からの届出がなければどうしようもないんだよ。とりあえず間宮には『薪くんは自分が上になるのが好きだから、僕は知らなかった』って言い訳しといたけど」
 たしかにその体位だと、尻の下は見えないが。薪に聞かれたら大変なことになりそうだ。

「とにかく、間宮には気を付けるように、薪くんに言っといてくれる?」
「わかりました。俺もそのつもりでいますから」
「頼んだよ、岡部くん」
 目の回るような忙しさを調整して、小野田は薪に忠告に来てくれたのだろう。岡部に薪のことを託すと、すぐに第九を出て行った。

 残された岡部は、間宮が何処で薪のからだの特徴を知ったのか、もう一度考えてみた。
 接点のない人間が、その人の秘密を知りえるとしたら。
「まさか」
 ある考えが浮かび、岡部はそれを確かめるために、警視庁の鑑識課に出向いた。
 鑑識課には、岡部が捜一時代に仲の良かった係員がいる。彼に頼んで、岡部はその機械を調達してきた。
 箱型の小さな機械を手に、バスルームへ向かう。薪は風呂から上がったようだ。
 まだ温かさの残る浴室で機械のスイッチを入れると、ピピピピという電子音が岡部の推理を裏付けた。

「いつの間に」
 機械の針が大きく振れるのを確認して、岡部はその周辺に目を凝らす。果たして、洗い場に付けられた鏡の縁に、わずか1センチほどのレンズが設置されているのを発見した。それは鏡を壁に取り付ける金具にとても巧妙にカモフラージュされており、岡部のように疑って探査機でも用いなければ見つけることはまず不可能だった。

 どこまで性根の腐った男なのだ。薪にはこの事実は教えられない。自分が覗きの被害にあっていたなどと知ったら、どれだけ傷つくことか。

 全部で3つも取り付けられていたCCDカメラをそっと回収し、岡部は研究室へ戻った。自動ドアをくぐると、薪が夢中になってメインスクリーンを見ている。画像はもちろん、例の事件の加害者のものだ。
 岡部が薪の隣に立つと、薪はスクリーンに顔を向けたまま、唐突に喋りだした。

「覗かれてたんじゃないかと思うんだ」
 なんと。
 薪はCCDカメラの存在に気付いていたのか。その上で放置しておいたと?

「青木が気付いたんだ。僕のケツにホクロがあるかって話で」
「青木! おまえ、何てことを薪さんに言ったんだ!」
 なんて無神経な男だ。それを聞いた薪がどんな気持ちになるか、考えなかったのか。
「二人の間に接点がないなら、そういう可能性もありかと思いまして」
 青木の推理は正しい。
 しかし、何もそれを本人に話すことはない。このままそっとしておけば、薪は嫌な思いをせずに済んだのに。

「だからって何も、薪さんに言わなくてもいいだろう」
「え? でも、気付いたことを室長に報告するのは、部下の義務だと思いますけど」
「事と次第によるだろう。自分が風呂に入るところをずっと誰かに覗かれてたなんて、薪さんが知ったらどれだけのショックを受けるか考えなかったのか!?」
 岡部の糾弾に、青木と薪が揃って岡部の顔を見る。ふたりとも、ひどく訝しげな表情だ。
 
「おまえ、何の話をしてるんだ?」
「覗かれてたって、誰が?」
「……あれ?」
 ふたりの言葉に、岡部は自分のとんでもない間違いに気付いた。

「ああ! 事件の加害者が覗きの被害に遭っていたかもしれないってことですね? なるほど、それなら加害者の脳に被害者の画がなくても、殺意を抱く理由になりますね。
 いやあ、青木。おまえ、いいところに目を付けたな。やるようになったじゃないか! 薪さん、青木も成長しましたよね。褒めてやってくださいよ。わっはっは……」
 上ずった声で喋り続ける岡部を、薪が冷たい眼で見据えている。腕を組んで相手を睥睨し、無言のプレッシャーを掛ける得意の戦術。
 
「はは……は……」
 厳しい追求者の瞳に、岡部は自白を余儀なくされたのだった。




テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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プロフィール

しづ

Author:しづ
薪さんが大好きです。

2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
未だ社会復帰が難しい状態ですが、毎日楽しいです。

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