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二年目の桜(8)

二年目の桜(8)






 青木は憤っていた。
 薪は青木の進言を無視して、この事件から第九は手を引くと、正式に報告してしまった。
 所長に提出した報告書には、前川美佐子の脳に残っていた自宅風呂場のCCDカメラの映像だけが添付され、なんとも曖昧なまま事件は捜一に返された。そのためこの事件については、すべて捜一が捜査をしたものとして記録に残されることになった。
 警察内部のことでありながら、それはたちまち世間の知るところとなり、『MRIの限界・捜一が第九に勝つ』などと週刊誌に書きたてられてしまった。

 この事件の加害者と被害者の関係を暴きだしたのは、第九だったはずだ。
 それなのに、第九はモニターばかりを見ていて人間を見ることができないとか、人間味のないエリート集団は人の心を忘れてしまった、などと職員の人間性を否定するようなことまで書かれて。
 青木は、こんなに腹が立ったのは生まれて初めてだった。

 週刊誌に第九の悪評を書かれる度に塞ぎこんでしまう室長は、今回ばかりは普段通りの冷静な態度で職務に当たっていた。他の部下たちは室長の機嫌が悪くないことを素直に喜んでいるようだが、青木にはその冷静さが返って頭にくる。こうなることが分かっていて、薪は事件を捜一に返したのだ。
「ちょっと、買い物に行ってきます」
 青木は研究室の外に出て、少し頭を冷やすことにした。頭に血が上ったこの状態では、とても仕事にならない。

 目に付いたコンビニで、非常食代わりのシリアルバーを買い込む。前川美佐子事件の泊まり込みのせいで、ストックが底を尽いていたのだ。
 好みのチーズとナッツ入りのものを選んで、カゴに入れる。食べることが大好きな青木は、大抵これで気分が良くなるのだが、今回ばかりは効き目がない。気分は最悪のまま、浮上の気配は認められない。

 薪の言うことはさっぱり分からない。
 こないだは真相の究明こそが前川家の人々を救うと言ったくせに、今度はこれ以上の捜査は打ち切るという。矛盾だらけだ。
 西田の脳に残されているはずの前川美佐子の秘密にこだわっているようだったが、例えそれがどんなにきわどい画像だったとしても、美佐子の動機を強くするだけのことであって、事件そのものの骨子は変わらない。だとしたらMRIの検証をして報告書を作成すれば、これは第九の実績になる。それをみすみす捜一に渡すなんて。
 手柄に執着するわけではないが、初めての自分の金星を消されたのはやはり頭に来る。
 ちゃんと理由を説明してくれるならまだしも、この事件に口を挟む権利はない、なんて酷いことを言われてしまった。自分はたしかに未だ半人前だが、それでも今回の事件に関しては、それなりの働きもしたはずだ。それなのに、薪の言い分はひどすぎる。

「あれ。いつの間にかここに来ちゃった」
 怒りに任せて歩いていた青木が辿りついたのは、前川家の前だった。
 薪の言うとおり捜一の公式発表がなされて、前川家は一応の平穏を取り戻したらしい。ブロック塀の落書きは塗りつぶされ、庭の生ゴミは消えていた。割れた窓ガラスは相変わらずだったが、今日はベランダに洗濯物も干してある。

「刑事さん。まだ何か?」
 青木が家の様子を見ていることに気付いて、家の中から父親が出てくる。
 前川美佐子の父親は温厚そうな男で、白髪交じりのふさふさとした髪をふわりと後ろに流している。家宅捜索に立ち会った際も思ったが、母親が老けて見えるのに比べて、父親はとても若々しい。
「いえ。特に用というわけじゃないんですけど」
「先日の件なら、こちらの意見は変わりませんよ」
 父親の言う『先日の件』に心当たりがない青木が訝しげな顔をしていると、彼は少し迷惑そうな顔で言った。
「あなたは第九の方でしょう? こないだも室長だと仰る方が見えましたよ。でももう、うちのことは放っておいてください。これ以上娘の恥を……」
 父親の言から察するに、どうやら薪は何日か前にここに来たらしい。しかし、ここでの捜査はすべて終了したはずだ。捜査を続ける気のなかった薪に、ここに来る理由があるとは思えないが。

「あなた。そんなところで立ち話なんて。中に入ってください。刑事さんもどうぞ」
 たしかに道端でする話でもない。
 家の中から声を掛けてくれた母親の勧めに従って、青木は前川家の門をくぐった。
「すみません、散らかってて」
 散らかしたのは前川家の人間ではない。警察である。
 家宅捜索の後、家の中はぐちゃぐちゃになる。手当たり次第に引き出しや戸棚を開けて中のものをぶちまけて証拠を探す様子は、強盗犯が金品を探すのとなんら変わりない。警察が市民に歓迎されないはずだ。

 それでも前川家の両親は、青木には親切だった。応接間に通してくれて、お茶を出して貰った。
 応接間のサイドボードには、娘の写真がたくさん飾ってあった。どれも父親とふたりで写っているものばかりで、この家ではカメラマンは母親の役目らしい。

「うちの室長が伺ったそうですね」
「ええ。あんなことをしでかした娘に、とても同情してくれて。お嬢さんのお気持ちは分かりますと仰って、わたしどもを慰めてくれました」
 青木にだって、美佐子の気持ちは分かる。同じ覗きの被害に遭ったもの同士だ。
「優しい方ですね。これ以上娘の秘密を暴いて欲しくない、と言ったわたしどもの勝手なお願いを聞き届けてくださいました」
 なるほど。
 薪はこのふたりと話して、西田の脳を検証しないことに決めたのだ。両親の意見を尊重して。ということは、このふたりを説得することができれば、西田の脳をMRIに掛けられるということか。

「そのことなんですけど。私はむしろ、美佐子さんの画を西田の脳から抽出して、美佐子さんがどれだけの屈辱を味わったのかを知るべきだと思うんです。なにも世間にその画を公表するわけじゃありません。ただ、美佐子さんの口惜しい気持ちを、私たちだけでも理解してあげたい。そうすることで美佐子さんも浮かばれると」
「駄目だ!!」
 雷のような声が轟いて、青木は思わず肩を竦めた。
 今の今まで温厚そうに微笑んでいた父親の顔が、まるで修羅のごとく憤怒の表情に歪められている。その豹変振りは1世紀前のロンドンに住むマッドサイエンティストのようだ。

「絶対に許さん! 娘の秘密を暴くことは、誰にもさせん!」
 突如として鬼のように怒り出した父親をなだめることは難しく、青木はほうほうの体で前川家を辞することになった。怒りをあらわにした父親とは対照的に、母親のほうは青木を門まで見送ってくれて、主人の非礼を詫びてくれた。
「あのひとは、昔から娘のことをとても可愛がっていたんです。本当に仲の良い父娘で。わたしはいつも仲間はずれでした」
 母親の言葉におかしなニュアンスを感じて、青木は首を傾げた。
 なんだか、この家族は不自然だ。夫婦はなんとなくギクシャクしているし、父親は娘のこととなると妙にむきになる。

 ふと、青木は思う。
 薪は昨日ここでこの夫婦を見て、何を考えたのだろう。あのサイドボードの写真を見て、どんな家族の肖像を思い描いたのだろう。
 美佐子の秘密。それがとても重大な秘密だとしたら。
 温厚な父親が我を失うほどに。
 婚約者と別れなければならないほどに、恐ろしい秘密。

 自分の心の底にゆらりと湧き上がった疑念に、青木は思わず身震いする。
 薪は―――― 薪は、どうしてここに来たのだろう。

 美佐子の母親は、白髪が目立つ小さな頭を丁寧に下げた。
「わたしも主人と同じ考えです。このままそっとしておいて欲しい。娘が命を賭けてまで守った秘密も……わたしたちのことも」
 震える足を踏みしめて、第九のへ道を辿る。
 三叉路を戻り、十字路を左へ曲がる。塀の上で今日も猫が昼寝をしているのが目に入ったが、先日のように青木を微笑ませてはくれない。

 T字路まで続く長い塀の角から、モカブラウンのスーツの肩が覗いている。青木が歩いてくるのに気付いて、人影は美貌の警視正にその姿を変えた。
 小柄な上司と向かい合って、青木はしばし黙り込む。
 言葉がみつからない。笑うこともできない。
 そんな青木の様子を見て取れば、どんな小さな情報からでも見事な推理を組み立ててしまう薪のこと、この経験の浅い新米捜査官に何があったかはお見通しに違いない。そして青木が自分の中に沸き起こった疑念に、尻込みしていることも。

『だからおまえが知る必要はないと言っただろう。ばかもんが』
 つややかなくちびるが開きかけたとき、青木はそこからそんな言葉が出てくるものと思っていた。が、薪が言ったのはまったく別のことだった。

「日比谷公園の桜が見ごろだ」
 それだけ言うと、薪は先に立って歩き出した。



テーマ : 二次創作(BL)
ジャンル : 小説・文学

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2008年の夏から、日常のすべてが薪さんに自動変換される病に罹っております。 
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